令和3年5月30日(日)生きた学び

来月6月6日(日)の弾き合い会に向けて、PTNAに参加される生徒さん達は、楽しみにしている様子です。

門下生コンサートと同じく、毎年行ってきた弾き合い会も、20年近くになりました。録音や録画などもして、最終的な仕上げとなっていくのがこの弾き合い会です。今までの先輩方も、この弾き合い会を通して成長されました。

弾き合い会をするとなぜ、皆さん上手くなるかと言えば、やはり、自分が弾くだけでなく、他の人の演奏がステージでどのように聴こえてくるか、客観的にわかるからだと思います。

他の人の演奏を聴くと、「拍子感がない」「一本調子に聴こえる」「身体全体が固まっている」「音を聴いていない」
「呼吸がない」「お腹と指がつながって歌うとは?」「テンポ感が悪い」「リズムが悪い」「音色の変化が少ない」「きちんと弾いているけど、どこか面白くない」などなど、改めて、自分の演奏がより明確になってきます。

その時、初めて、自分の頭で、「自分は、いつもテンポ感が悪いっていわれるけれど、それは、こういう演奏の事をいうのかなあ」とか、
音が固いというのは、音だけの問題でなく、呼吸と共に音楽が伸び縮みしていないせいで、固いっていわれるのかなあとか、色々そこで、子供なりに自分の頭で考えることをします。


人から教えてもらうよりも自分で発見したという喜びが、とても素晴らしいことなのです。又、最終的には、きちんと準備するけれど、最後は、マニュアル通りの演奏になっても面白くない。そこに自分で考えたもの以上の音楽のひらめき、即興性が、生まれると、魅力的な演奏になります。

これは、指導することが出来ない分野であり、その指導出来ない部分に、又、その子の本当に感じていることが正直に表れるものであります。

私は、自分が意図している以上のものがパッと閃いている演奏がとても好きです。そんな演奏は、もう一回この人の演奏聴いてみたいなと思わせてくれるので、結果的に、通過できるのです。

←アントワープのノートルダム大聖堂の中にある、ルーベンスが描いた「キリスト降架」。
(2015年12月21日、アントワープで撮影)


フランダースの犬でネロとパトラッシュが息を引き取ったのがこの絵の前です。

私が保育園、幼稚園の頃、「アルプスの少女ハイジ」と同様に、「フランダースの犬」も感激して見ていました。

この絵を実際にアントワープで見たときは、「ああ、これが、あのラストシーンの舞台になった場所で、ネロが見たかった絵なんだなあ」と私の頭の中で、点と点がつながりました。

事前に知っている知識を持って、実際に目で見る、確かめる、そして、考える、このエネルギーの循環が「生きた学び」だと思います。

弾き合い会に参加される生徒さん達も実際に「生きた学び」を他の人の演奏から、
沢山吸収して、「閃き」のある演奏を最終仕上げにしていきましょう!
楽しみにしています!


令和3年5月29日(土)門下生コンサートDVD,ブルーレイ出来上がりました!















先日の門下生コンサートのDVD、ブルーレイが出来上がりました!

今日の午後3時頃届いたので、そのあとの生徒さん達から、お配りしています。

郵送の生徒さん達は、幹事さんの方から、お送りさせて頂きますので、今しばらくお待ちくださいね。

裏のジャケットにDisc1(1番~21番)Disc2(22番~33番終演後、インタビューコーナー)
載せて頂いていますので、自分がどこで弾いているかすぐわかります。

それでは、皆さんの熱演を楽しんで下さい!


令和3年5月28日(金)ケリをつける

←オランダのクレラーミュラー美術館で。

スイスの彫刻家、アルベルト・ジャコメッティの彫刻です。細長い人物の彫刻が面白いなあと思いました。

(2015年12月18日撮影)












相変わらず、緊急事態が解除されず、私は、パソコンやスマホに振り回されています。
機械ものは、いじっていないと、なぜか、反応が鈍るらしく(人間もそうか!)パソコンが上手く立ち上がらないので、マウスが悪いのかなと思い、電気屋さんにマウスを買いに行きました。

マウスというコーナーに行ってみると、あるわ、あるわ、何十種類のマウスだらけで、何を買っていいかもわからず・・・はっきり言って、物がありすぎです!こんなにあると迷ってしまい、買い物も出来ません。

1時間くらい迷った挙句、最後は、「もう何でもいい、これに決まり!」と買いましたが、今の人達は、さぞ、買い物するのにも大変だろうなと察します。

私が育った頃は、物がなかったから、選ぶものがなかったけれど、万事がこの調子だと、もう知らない!普通のマウス、使えればいいです、といった気分になります。

何でも、ケリをつけていくことが、これからの時代、必要になってくるなあと思いました。


令和3年5月21日(金)DVDの見直し

先日の門下生コンサートのDVDのサンプルを、全て見て訂正箇所がないかチェックしてビデオ撮影のゴイス様へ連絡をしました。

いつも綺麗に撮影して頂けて、門下生達全員、毎年楽しみにしている、DVD、ブルーレイです。

コロナの事もあり、製作にかかわる方達が例年より少ないとの事で、あと10日~14日ほど、納品までお待ちください、との事でした。
又、完成品が仕上がったら、お知らせいたします。

終演後の生徒さん達とのインタビューも入っていますから、是非、最後まで見てくださいね!

チャプターが1人1人ついていますから、とても見やすいです。門下生コンサートのDVDは、生徒さん達の成長と、一緒に過ごした想い出
と共に、歴史が感じられて、私にとってかけがえのない大切な宝物です。
今回もこんな時期のさなかに、無事に行えて良かったなと改めて思いますし、皆様には、ご協力頂き、心から感謝しております。

今週から、椙山女学園大学の方は、オンラインレッスンになってしまいました。昨年に比べると、わりとスムーズにつなげられている学生さん達が多いように思います。

ズームをすると、一挙にスマホの電池の消耗が激しく、又、壊れやしないかとそれが気がかりです。

昨日は、Wi-Fiがつながらなくなり、大騒ぎで、マニュアルを見て、購入したばかりの新しいルータをつなげました。自分で出来ました!


今までのルータは、もう数十年前の昔に私の生徒さんのお母様がつなげて下さって、それ以来、変えていなかったので、寿命がきていたようです。

大学生達に「どう?オンラインの授業は疲れる?」と尋ねると、「はい、目が痛くなったり、頭が痛くなったり、疲れます」とどの子も言います。

私の学生時代も毎日が戦争みたいに大変でしたけれども、今の子達は又、違った苦労があるだろうなと思います。

いつの世も、若い青春時代は、決して明るい時代ではないと思います。先が見えず、一番苦しく、暗い闇のような時期が青春時代だと私自身は思っていて、実際自分がそうでした。

歳を取ればとるほど、考え方が柔軟になってきますし、視野が広くなってくるので、物事に対して寛容になってくるところが、歳を重ねる素晴らしさだと思います。

←ザルツブルグ中央駅前で。ザルツブルグは、よく雨が降ります。

雨が降ると、とても寒いです。

日本は、雨が降っても、ジメジメで蒸し暑いのが特徴ですね。

(2008年8月24日撮影)







令和3年5月18日(火)「何もしないことに全力を注ぐ」事の大切さ

梅雨に入りました。門下生コンサートのお写真も出来上がりました。ブルーレイやDVDなどは、今週あたりに、サンプルが送られてきて、私が、見直しや、訂正など色々したのちに、現物が完成なので、皆さんにお配り出来るのは、もうしばらくお待ちください。

さて、現在の生徒さん達は、6月6日の熱田文化で行うPTNAの弾き合い会に向けて楽しみにしている様子です。

皆さん、もう大体暗譜をして、これから、本番へ向けての準備に差し掛かっているので、実際に、ホールで弾いてみると、自分の演奏がしょんぼり聴こえたり、スケールが小さく、綺麗に弾けていても、エネルギーが循環されず、こじんまりと、まとまっているという感じになると思います。
バランスや、ペダルの使い方など、家の中でただ弾いているだけでなく、体感できると思うので、どのように自分の音が舞台で響いてくるのか、
じっくり聴いてみましょう。

私は、昔から、心理学にとても興味があり、そういった本を読むのが大好きなのですが、河合隼雄先生が、カウンセラーとして来られた患者さんの為に、「何もしないことに全力を注ぐ」ということを本の中で、よくおっしゃられており、ピアノ指導と、とても重なるなあと深く共感を覚えました。

河合先生のおっしゃる「何もしない」という事は、患者さんの為に、「何もしない」という事ではありません。

私達は、ともすると、相手に良かれと思ってアドバイスすることが、かえって、その人の気持ちを傷つけたり、分かってもらえない気持ちを増幅させてしまったり、相手の為にならないことをやってしまいがちです。そうではなく、その人の魂に下りて行って、そこから外れることなく、さようならを言うときに私もあなたの荷物は(悩み)は、一緒に持っていますよ、と言った気持ちで、更に相手の話をなおもまだ、聴き続けることが大切だとおっしゃっています。
相手が話していない、沈黙していることも聴き続けなければならない、それは、相手の命が自分の命にグッと入ってくる瞬間でもあり、これは、命がけで人の話を聴くという事であり、何もしないという事は、ものすごく、忍耐強く、精神的にもタフでなくてはならない・・・・そういった内容を読むにつれて、

私が、まだ、ウィーンから帰ってきたばかりの20代の若い頃、生徒さん達を教え始めたばかりの頃、とにかく、一生懸命やりすぎるくらいにレッスンしていたことを想い出しました。
今も一生懸命やっていることに変わりはないけれども、昔の一生懸命とは違ってきたなと自分でも感じます。
河合先生にとっては、患者さんが、自ら治ろうとする自然治癒力を見守り、その患者さんを自分の力で治したわけではない、勿論その場その場で、必要な空気や、水を供給することはするというのですが、そういったことも、生徒さん達を指導させて頂いて、その深い意味が、とてもよくわかります。
私も、上手くなっていく生徒さん達のために、必要な空気や水を適材適所で供給していったりするわけですが、やはり、最終的に上手くなっていくのは、上達しようとする生徒さん自身の力です。

生徒さんのタイプは、1人1人、皆違います。以前、こういう生徒がいたから、こうすればいいという例は一つもありませんし、
ピアノ指導は、日々、創造する力を試され、接する相手1人1人に対して全て違った智慧を絞らなくては、なりません。毎日が新しいものを生み出していくとてもクリエイティブなお仕事で、色んなタイプの生徒さん達と接する上で、新しい発見が毎日あり、何年たっても興味が尽きず、
とても面白いです。

河合先生は、「何もしないことに全力を注ぐ」域に達するためには、人間だれしも、やりすぎくらいにウロチョロする時期も必要だともおっしゃられています。そこから、ジタバタして、のたうち回る経験があったのちに、出てくる智慧のようなものが、現れてきて、私もこの歳になって改めて、
「何もしないことに全力を注ぐ」という河合先生のお言葉が体験と共に、私の胸に深く深く、落ちてくるのです。

←スイス、ルツェルンのフィーアヴァルトシュテッター湖で。

ラフマニノフの別荘もあるとても美しい場所です。

(1998年7月ルツェルン滞在時、撮影)









令和3年5月11日(火)苦しみを辛抱強く感受し、人生の喜びを心から味わう

←ウィーンにあるゲーテの像。(1998年6月撮影)

ワルシャワのワジェンキ公園のショパン像もそうでしたが、近くで現物を見ると、写真で見るよりもずっと、どっしりと風格があり、立派な像です。

健康、名声、能力、満ち足りた生活の全てに恵まれたゲーテですが、人生で、本当に楽しみを味わったのは、たった5週間だったと聞きます。

そこで思い出すのが、私が好きなスマイルズの名著「向上心」(S.スマイルズ著、竹内均訳)の中から、
大好きな文章を抜粋してみました。

「最大の幸福とは、もつれた糸のようなものである。幸福は、悲しみと喜びの組み合わせで、悲しみがあればこそ、喜びは大きくなる。

不幸のあとには、幸せがあり、我々を悲しませては、更に大きく喜ばせてくれる。
涙で一杯になった目には、何も映らない。時間が経つにつれて、悲しみを経験したことのない人たちの目よりも、そういう人の目の方が、物事がはっきりと見えるようになるのである。

賢い人は、人生にあまり期待しすぎてはいけないことをしだいに学んでいく。堅実な手段で幸福の追求に努力すれば、失敗に対する気構えもできてくるだろう。
我々は、人生の喜びを心から味わい、一方では、苦しみを辛抱強く感受しなくてはならない。泣き言や不平を言っても何の役にも立たない。明るさを失わず、正しい手段で黙々と働き続けることが、何よりも有益である。
賢い人は周囲の人達からも多くを期待しない。他人とうまくやっていくには忍耐が肝要である。どんな立派な人間にも欠点はある。それには目をつぶり、思いやりと憐みの気持ちを持ってやらなければならない。完璧な人間など果たしているだろうか?」

←ミュンヘン国立音大の近くで。この季節のミュンヘンは、緑が鮮やかで、空気は澄んで、格別に美しかったです。今から27年も前の事です。

(1994年5月10日、22歳当時の私)。










爽やかな気持ちの良い季節となりました。高齢の両親は、コロナワクチンの1回目を接種して2回目を受けると言っています。
接種自体は、普通の注射よりずっと痛くないけれど、翌日に筋肉痛があったり、だるかったりしたようです。2回目の方がきついそうなので、頑張ってほしいです。
私は、何しろ、職業柄、さまざまな人に会う機会が多いので、「めぐみも早くやった方がいい」と父からは勧められています。
私自身、3歳の時にひどい肺炎にかかり、入院して死にかけた体験がありますから、肺炎の苦しみは、他人事でなく、心底よくわかります。
寝ても起きても、とにかく息苦しくて、海の中で溺れているような感覚ですから、呼吸が出来て、酸素がしっかりと取り込めるだけで、それだけでもありがたいと思います。

明日から、愛知県は緊急事態が又出るので、高校の修学旅行が延期になったり、大学も再び、オンラインでレッスンが始まろうとしています。

アンドロイドのスマホを持ち始めて、3年になりました。まだ、充分使えています。5年くらいは使えるよと聞いたので、丁寧に使ってなるべく長く持たせたいです。


令和3年5月7日(金)奏心会主催「サマーコンサート」出演者募集

←2021年8月12日(木)愛知県芸術劇場コンサートホールで奏心会主催のサマーコンサートが開催されます。

今年は、協奏曲、小品など、皆さまが弾きたいものをとピアノを最大2台までお使い頂けるそうです。
(演奏時間区分は、15分以内、30分以内、40分以内となっています)。

芸術劇場のコンサートホールで演奏してみたい方は、ご連絡下さい。

パンフレットを差し上げます。

申し込み締め切り日は、5月31日(月)です。















令和3年5月6日(木)名古屋音楽大学のオーケストラ

今年の10月7日(木)「第24回オーケストラとソリストたちの夕べ」が愛知県立芸術劇場コンサートホール(18:00開演)で開催されます。

そのためのオーディションの本選が、今日めいおんホールで行われて、現在名古屋音楽大学ピアノ演奏家コース4年在学中の谷口拓未君が、選ばれました。
曲は、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」です。毎日、真摯にピアノに向き合い、誠実に、努力する彼の姿に心からのおめでとうを言いたいです。
本当によく頑張られました。

私の両親も真っ先に喜んでくれました。オーケストラと共演できるチャンスを頂けて、私もとても嬉しいです。

この曲は、どの変奏も素晴らしいですが、特に、18変奏は、本当に美しいです。

映画を見ているような素晴らしい名曲を是非、皆さんに聴いて頂きたいです。

又、チラシが出来たら、アップします。


令和3年5月2日(日)ピアノを演奏するときは、自転車に乗っているような感覚

私が補助輪なしの自転車に乗れたのは、とても遅く、小学5年生の夏休みの頃でした。

生徒さん達に尋ねてみると、「年長さんで、乗れたよ」と答えてくれます。

小学5年生の私は、運動場へ行き、親しい友人に自転車の後ろを持ってもらって、1日がかかりで、やっと補助輪なしの大人の自転車に乗れるようになりました。

何回乗っても、「パタン!」と倒れます。それもそのはず、私は、倒れないようにと思って、ハンドルを両手で必死に握りしめていたのです。
今から考えると、お腹や、腰をしっかり安定させて、とにかく、足を動かさなければならないのに、コツがつかめていなかったわけです。

「はい、もう一回やってみようよ。手を離すよ~!」と言って友人が手を離した瞬間、思い切ってペダルをギュッと踏むと、身体が飛行機のように
ふわりふわりと飛ぶような感じになったのをよく覚えています。そして、私もやっと人並みに自転車に乗れたという嬉しさで一杯になりました。

「ピアノを弾くときも、そんな感じなんじゃないかなあ。大切なところは、お腹や、腰に支えがあって、肩や背中の後ろまで力が抜けて、必要でないところに力を入れないのは、自転車に乗れた時の感覚と同じだと思うよ」と生徒さん達に話しています。

遊び慣れている子は、どこに力をこめなさい、と教えてもらわなくても、自分から、コツを知ると思います。

子供の頃の私にとってのピアノはお遊びの時間でした。ピアノの時間になると、もうワクワクして、1曲譜読みが終わると、もう次の曲が弾きたくなり、毎日、新しい曲を練習するのが私の日課でした。

そういう点で、美しい音を出すために、どこに力を入れて、どこを抜きなさい、と言われなくても、ピアノで遊び慣れていくうちに、自然に身に付いたと思います。

その反対に、皆が、外で遊びだすと、私には、何をしていいかさっぱりわからず、遊べません。なので、非常に辛い子供時代を過ごしました。

今は、その正反対で、毎日、自分の練習や、生徒さん達とのレッスン、など、音楽漬けで、毎日がとても幸せです。

私は、自分がやりたいことが、音楽だということを3、4歳でわかり、小学2年生でPTNAのアメリカ演奏旅行に、福田靖子先生と中田喜直先生に連れて行って頂いたときに、「私は、大好きな音楽に一生を捧げたい」と強く思い、その熱い思いは、今も全く変わることがありません。

それどころか、歳を増すたびに、人間は、やはり、自分のやれること、自分にふさわしいこと、をやることで、どんどん自分の事を深く知るようになり、充実感を持てるようになり、幸せになれるんだなあと強く感じています。

私は、大好きな音楽を通して、人と人との心をつなげていきたいといつも思っています。社会の役割から見ると、ほんのささやかな役割ですが、
自分の出来ることを最大限に発揮して生きることが一番の幸せにつながるのだと思います。

←2014年10月4日の私のソロリサイタルから。(電気文化会館ザ・コンサートホール)

演奏中は、何も他の事は、考えず、ひたすら、全身耳にして音楽に集中します。赤ちゃんの泣き声が気になるとか、誰かがセキをして集中力が欠けるとかいうのは、全然ありません。

しかし、ピアノを弾いていないときに、騒がしい雰囲気は、全くダメで、スーパーとか、
レストランなどで、音楽がガチャガチャ鳴っていると、一刻も早く、逃げ出したくなります。







←演奏していると、飛行機が離陸するときみたいに、身体が、ふわ~っと地面から機体が離れていくような感覚になります。

ピアノが私で、私がピアノ、一心同体の感覚になれます。