令和3年4月28日(水)カワイこどもピアノコンクール

先日、カワイこどもピアノコンクールがあり、小学3年生の前田暁映君が、金賞を受賞したと喜びの報告がありました。

よく頑張られましたね!おめでとうございます!

彼の夢は、ピアニストです。きっとなれると思います。

是非、素敵なピアニストになって下さい!


令和3年4月23日(金)ピアノと共に歩んだ道のり  一瞬早過ぎず、遅すぎず、出逢うべき人には、必ず出逢える

←今年もPTNAの時期がやってきました。

私の教室の生徒さん達は、PTNAに向けて、頑張っています。

第1回目の初めての参加者が幼稚園の5歳の私でした。

私の母は、ピアノは弾けなかったけれども、歌が大好きで、ピアノの先生以上に音楽に対して、熱心で情熱に溢れていました。
そんな私の母が、「音楽の友」の雑誌を毎月取り寄せていて、その広告欄にPTNAの事が書いてあるのを知りました。

それを見て、「5歳の子供でも受けられるコンクールを探しているから、受けたい」という事と、
「良い指導者を紹介してほしい」という内容で、PTNAの創立者の(故)福田靖子先生に直接手紙を書いたのです。

福田先生は、直接お返事を下さり、私の住んでいた、三重の四日市の自宅まで、訪ねてきてくださいました。

「スイスのジュネーブ音楽院の教授のベラ・シキ先生が来日されるので、レッスンを受けましょう」。と
小学1年生の私に言って下さり、その時に、ドイツ語の通訳をして下さった先生が、私が音楽家として
「ピアノの道」を歩む事となった、運命の恩師との出会いとなりました。

その時から、母は、もうその先生に惚れ込んで惚れこんで、周りがもう全然見えていないくらいに尊敬していました。
私が、小学4年生の時、その先生は、東京の実家でレッスンされることになったので、私達も迷わずその先生の元についていって、毎週東京へレッスンに通う事になりました。
今の時代では、地方にも留学帰りの優秀な指導者のピアニストの先生方は沢山いらっしゃいますが、私達の時代は、良い指導者に出逢う事が
その当時は、なかなか難しかったのです。

三重の家から大泉学園の先生のご自宅まで、片道5時間半かかります。朝は、5時起き、三重団地の家から四日市駅までバスで30分、四日市駅から名古屋駅まで近鉄電車で40分、名古屋から新幹線で2時間、山手線で池袋、池袋から、西武池袋線で大泉学園、そこから、バスにのり、「北出張所」まで、色々な電車、新幹線、バス、を乗り継いで、私のレッスンは、いつも午前11時でした。
今のお若い方達のような裕福な生活と比べると、とてもではないけれど、ピアノ以外の事は、何も出来ない、貧しい生活でしたが、私の母は、その先生に首ったけで、
レッスンや、コンクールや、海外からいらっしゃる先生方の公開レッスンなどなど、家のお金は、全てピアノの事に注ぎ込んでいました。

今でもよく話します。「電車や、飛行機代などの交通費、ホテル代、レッスン代、コンサート代、コンクールや、公開レッスンなどの受験料、楽譜や、CD、録音機材など、ピアノに関する事に家計の全てを注ぎ込んできたのを合わせると、立派な家が、5軒か6軒くらいたってるね(笑)」と・・・。

しかし、母は、「生活は、ものすごく貧しかったけれど、どれだけピアノの事につぎ込んでも、全く惜しくなかった。レッスンの何と素晴らしかったことか!お母さんの青春だった!あんな楽しい世界を味わわせて下さった先生に心から感謝するし、めぐみにも本当に感謝してる」。

といつも言ってくれます。

私が、生徒達によく読んであげる本の1つにジョセフ・レヴィーンのピアノ奏法の基礎があります。

←この本の序章で、ピアニストの中村紘子さんが、
「良い師にめぐり逢うということは、良い結婚相手に出逢う事と同じくらいに困難で、運命的なものではないだろうか。」と書いていますが、正にその通りだと思います。

ロシアでは、初心者の教育に当たる指導者が音楽の大家であるということ、そのために、初心者を教えるきちんとした先生の謝礼は決して安くない、ということも書いてありますがその通りです。

私の好きなピアニストの方々は、ほとんどがロシア人なのですが、やはり、初心者を教育する指導者が素晴らしいからだろうなと納得がいきます。初心者を教える指導者の使命は最も大切で、音楽の道ではとりわけ大切だということも書かれています。








←上のタッチは、悪いタッチ。指を曲げて、爪に近い面積の少ない場所で、弾くと、石ころの上を歩いているような固くて、弾力性のない貧弱な音しか出ない。

下のタッチが柔らかく光沢のある美しい音を出すタッチ。指は、自然に伸ばしたまま。
指の肉厚なクッションを利用して、指の付け根の関節だけを使う。









この本は、とてもコンパクトですが、ピアノ奏法の基礎に関する、正しい事が全て書いてあり、初心者の方は、勿論の事、かなり、上級者の方にも面白く読めるので、音楽高校生や音楽大学生の方達、ピアノの先生方にもお勧めしています。

この本に書いてあることの全てを私の母が惚れ込んだ一生の恩師は、熱心に教えてくださいました。

その先生に出逢えていなければ、又、その先生をご紹介下さった福田先生が、わざわざ、東京から、はるばる、三重県の四日市の自宅まで
小学1年生の私の家に会いにいらして下さらなかったら、現在の自分は、なかっただろうなとつくづく思います。
←PTNAの創立者の福田靖子先生と一緒に、アメリカ演奏旅行で、小学2年生の私。サンフランシスコで。

(赤いカーディガンを着て、帽子をかぶって福田先生の右隣にいるのが小学2年生の私。
その隣は、現在もご活躍のピアニストの若林顕君。)
私の母の手紙がきっかけとなり、PTNAとの出会いも、アメリカに連れて行って下さったことも、何より、初心者の段階で、最高のピアノの指導者に巡り合うことが出来たことも、
全て、運命的な出会いです。

一生の間に出逢うべき人には必ず出逢える、一瞬遅すぎず、一瞬早過ぎず・・・
そう感じます。




令和3年4月14日(水)今日という日は、もう戻らないから、一日一日を大切にしたい











←椙山女学園大学のレッスンが始まりました。
私が、担当させて頂く、18名の学生さん達。
対面レッスン出来るだけでも、良かったです!







明和高校のレッスンも始まりました。
あっという間に、3年間過ぎていきます。今日というこの日は、もう2度と戻ってきません。
いつもそう思いながら、お若い皆さんが、充実した、高校生活、大学生活が送れますように、精一杯お手伝いさせて頂いています。
皆さん、どうぞよろしくお願い致します!











令和3年4月9日(金)ルーマニア国際音楽コンクールJr版 第4回赤坂ジュニア音楽コンクール

先日、ルーマニア国際音楽コンクールJr版 第4回赤坂ジュニア音楽コンクールがあり、小学3年生の都築美渚さんが銅賞を受賞したと喜びの報告がありました。

よく頑張られましたね!おめでとうございます!

ルーマニアと聞くと、想い出します。私が、ウィーン留学中、語学学校に通っていた時に、ルーマニア人の修道女がいました。

マザー・テレサが着ている、修道女のお洋服を毎日着て、語学学校に通ってきます。私と同じ、22歳で、もう修道女になっているのは、すごいなと思い、「将来、何をしていくの?」と尋ねると、「一生、修道女として生きていくの」と話していました。
男の子だと、「牧師になりたい」という子も結構いました。

日本では、あまり、修道女になるとか、修道士になっている人が周りにいないと思います。人には、1人1人、様々な考え方があり、どの考え方が良くて、どの考え方が悪い、という事は、何もなく、色んな人達と交流出来たことで、他人に対する、視野が更に広がりました。

今、生徒さんを見させて頂く立場になっても、どんな人の心も私の心にすっと入ってこれるように、いつも自分を空っぽにしています。

あともう一人、ルーマニア人の子で忘れられないのは、ピアニストのミヒャエル・ウルスレアサです。ウィーン国立音大在籍中の彼女の演奏の
素晴らしさは、あれから、30年近くたった今でも、忘れることが出来ません。17歳当時で、もう巨匠クラスの演奏でしたが、33歳で天国へ召されました。

私よりもずっとお若いウルスレアサの神のような演奏が聴けただけでも、ウィーン国立音大に来たかいがあったなとつくづく思うのですが、
音楽は、誰かの心に必ず残っていきます。

知っている人だけでなく、知らない人の心にも生き続けるのです。

音楽の素晴らしさは、そこにあると思います。
←ウィーンへ行く前に滞在していた、ミュンヘンの女子寮の地下室にある、ピアノ練習室で。
桐朋時代のドイツ語の先生が、おっしゃっていたっけ・・・「あんな薄暗いお化け屋敷みたいなところへ行きたいんですか?」と・・・。

(1994年5月14日撮影、22歳当時、ミュンヘンで)









令和3年4月8日(木)自分の演奏を客観的に聴く機会

椙山女学園大学の方にも、新しい学生さん達が沢山入ってきました。私が、担当する18名の学生さん達。まだ、顔と名前が覚えられませんが、
昨年に比べたら、初めのオリエンテーションで、顔合わせが出来るだけでも良かったです。

又、緊急事態となった場合、メールでのやり取りが必要になるので、「先生は、アンドロイドだけど、みんなは、iPhoneですか?
アンドロイドとiPhoneと何が違うの?」と尋ねると、皆さん、ニコニコしているだけでした。益々、謎が深まるばかりです(笑)

その後、明和での講師会議がありました。昨年は、これもつぶれたので、対面で出来るという事がどれだけいい事か、身に沁みて感じました。

私の教室での生徒さん達は、これからPTNAの弾き合い会に向けて張り切っています。幹事さん達には、大変お世話になりますが、又どうぞよろしくお願いいたします。

6月6日(日)熱田文化小劇場で、行います。PTNAの参加会場にもなっていますし、熱田は、響きが素晴らしいので、ホールが取れて良かったなあと思います。自分で弾いているときに気づかないことを、ホールの響きで、お友達の演奏を聴くと、客観的によくわかると思います。

←ウィーン留学中は、教会の中でミサを聴くのが大好きでした。

讃美歌を歌っていたり、司祭様のお話を聴いたり・・・。

教会で讃美歌を聴くと、ハーモニーの暖かい柔らかい響きが大変に美しく、「心の3畳間」を持てました。地元の人が参加しているミサなので、よそ者の私は、後ろの方で、静かに・・・・日本の神社と一緒で、教会も誰でも入れるところが素晴らしいですね。

(1995年9月撮影、23歳当時のウィーン、一番左手前後ろに座っている髪の毛の長いのが私。)






令和3年4月6日(火)第11回ヨーロッパ国際ピアノコンクール in Japan全国大会

先日、ヨーロッパ国際ピアノコンクール in Japanの全国大会があり、中学生部門で参加した本村玲菜さんが、銀賞を頂いたと喜びの報告がありました。今日は、明和高校の入学式があり、憧れの高校生活に胸を膨らませている様子です。

おめでとうございます!

私も、昨日から、名音大が始まり、学生さん達とのレッスンに、てんやわんやの1日でしたが、学生の皆さん、とても可愛いです。
大学生になると、皆さん、ピアノのレッスンだけでなく、自分がこの先どういう道を歩んでいこうかという将来設計に関しても話し合います。
どの学生さん達も、すごく礼儀正しくて、ご挨拶や、お返事もしっかり出来て、社会人としてこれからの時代を担っていく一歩手前のお若い学生さん達の存在がとても頼もしいです。

明日からは、椙山女学園大学も明和も始まります。

皆さんにお会い出来るのがとても楽しみです!

←プラハのフランツ・カフカの生家がある、「黄金小路」で。留学当時の私。

(1997年3月27日、プラハ撮影)












令和3年4月4日(日)自分が行ったこと、努力したことは、何年かたった後に、必ずどこかで生きてくる

4月に入り、大学の生徒さん達の打ち合わせが1日から始まり、まるっと4日間かかりました。明日から、早速大学が始まります。
数年前までは、全員で会って打ち合わせできたので、「先生、ここに入れますよ」。と1人1人の学生さん達が私のレッスン時間配分の計算を手伝って下さり、大助かりだったのですが・・・。このご時世なので、全て、メールでやり取りです。

私の大学生時代を思い出します。4月は、いつも、何の授業を取るかで、大変だったことを思い出します。
一番、大変なのが、1,2年生で、3年生あたりから、段々授業が少なくなり、4年生になると、授業のない人は、ほとんど大学に行かなくていい感じになっていきます。

ピアノとはまるで関係のないような授業もありましたが、とにかく、履修しておくとその時わからなくても、後になって生きてくることが必ずあるだろうという予感がいつもあって、授業を受けていました。

その予感は、大当たりで、大学で、他の人の何倍もの授業を履修して、単位数の数がものすごく多かったために、留学した時に、ほとんど、授業が免除になりました。

大学の単位が少なくて、留学した時に、振り替えがきかず、ピアノ以外の科目を取るのに精一杯で、留学しても、単位が取れず、卒業出来ない人たちも沢山います。

大学で、これが今何のために役立つのかという事は、一切考えず、いつか、どこかで、必ず、その人が行った努力は、何倍にもなって返って生きてくる場所があるというのが、私の実体験です。

クラスの中で3,4人しか履修していない授業もあります。私と、ドイツ語の先生と個人レッスンのような授業の時もありました。

しかし、私が、留学する準備をするときに、生徒の数が少なかったからこそ、その先生と親しくなることが出来ました。

実際、ドイツ語の手紙の書き方など、分からないときに、その先生にすぐ電話をして、「今から、先生のお宅へ伺います!」夜の8時か、9時を
超えていましたから、その先生は、「えっ!?今!?」と驚かれていました。

その先生が、いいよともおっしゃらないうちに、私は、ピューッと飛び出て行って、その先生のご住所を探して、ご自宅を探し、片手には、ドイツ語の手紙を握りしめて、押しかけていきました。

今から思うと、先生もよく私の情熱に応えて下さったなと思うのですが・・・。しかし、そういう事が出来るのも、学生の特権です。

努力している真っ最中には、分からないことなんですが、必ず、後で、その努力したことが、生きてきます。それは、すぐには、やってきません。
20年後か、30年後か、今自分がやっていることは、後で必ず、自分の身に降りかかってくると思えば、一日一日が真剣勝負です。

だから、今でも、私が、生徒さん達を見させて頂くときは、この子の20年後、30年後、生きてくることが必ずあるという強い確信を持って、私自身の実体験をもとに、見させて頂いています。

情熱と誠意。これに勝るものはありません。そして、それは、言葉に出さずとも、必ず相手に伝わるものなのです。