令和2年11月30日(月)日本バッハコンクール

昨日、日本バッハコンクールがあり、名古屋後期地区で、小学5年生の生徒さんが小学5、6年のC部門で優秀賞を頂き、全国大会へ進むと喜びの報告がありました。

よく頑張られましたね!おめでとうございます!


令和2年11月29日(日)第19回門下生コンサートのチラシが出来ました!

←来年3月25日(木)13時開演、名古屋市天白文化小劇場で、開催される第19回門下生コンサートのチラシが出来上がりました!

私と幹事さんとで、何度も何度も見直して、間違いがないよう作成しました。

幹事さん達には、本当にお世話になり感謝しています。

新入生の子が、「今年は、コロナの為に、2月で、学校が一斉休校になってしまい、担任の先生に感謝の気持ちを伝えることも出来ないまま、2年生が終わってしまいました。一生懸命勉強したことに悔いは残らないけれど、その先生に伝えることが出来ないままで、終わってしまったから、

だから、ごあいさつは、大事だと思います、そのためにも、ごあいさつを、しっかりしたいから、演奏も大事だけど、新入生インタビューにも是非出たいと思います」とレッスンノートに書いていて、感激しました。

小学3年生の幼い心の中に、人と人との「一期一会」の意味がもうわかるなんて・・・

私も、「そうね、人間って、生きていること自体が奇跡だと、先生も毎日そう思って過ごしてる。どこで、どうなるかって本当にわからないものね。大切な人達とも、いつまでも会えるって思いがちだけど、実はそうじゃない。人間は、いつでも、死と隣り合わせだからこそ、
毎日、充実感を持って生きることが出来ると思う。今日元気でも明日は、どうなっているかわからないし、だからこそ、身近にいる人達を大切にして、毎日を精一杯生きないといけないと思う」という話をしました。

大人の生徒さんにも、その話をすると、「すごいなあ!小学3年生で、そういう意味を理解しているなんて!」と驚かれていました。

私なんて、自分が小学生の頃、どんな話し方をしていて、演奏をしていたかなんて、まるきりわからないけれど、今の子達は、ブルーレイや、DVDで、自分の幼かった頃のインタビューや演奏の姿を大人になってからも見れるから楽しいだろうなあ!と思います。

曲目のチラシや、お知らせの紙を幹事さんの方から、そのうち添付させていただくと思いますので、皆さん、どうぞよろしくお願いいたします!

ご興味のある方は、是非、聴きにいらして下さい!


令和2年11月21日(土)エリーゼ音楽祭全国大会金賞、エリーゼ大賞の生徒さん

昨日、第10回エリーゼ音楽祭の全国大会があり、大学院2年生の本居千佳さんが、ポピュラー部門で、金賞、エリーゼ大賞を頂いたと喜びの報告がありました。

よく頑張られましたね!

おめでとうございます!


令和2年11月20日(金)ウィーン留学時代の日記から・・・25年前の今日 

←ウィーンにも日本料理店が何軒かあります。

カールスプラッツの中心地に「雲海」というお店があり、友人とよく行きました。
留学中、度々、利用したのが、オーストリア航空。
飛行機のチケットを買うと、雲海でお食事出来る食事券がもらえました。

(1998年1月30日ウィーン、撮影)







1995年11月20日 24歳当時のウィーン日記から・・・

今日は、寒かった。友人がロンドンの国際コンクールから帰ってきて、夜7時から、ANAのホテル7階の雲海へ行き、1人490シリング
(4900円)の雲海御膳を食べた。
初めにわさびののった胡麻豆腐、そして、御飯、お漬物(人参、きゅうり、大根の糠漬け、マグロのトロを海苔で巻いたもの、
大根の細切りしそ、イカ、鯛のお刺身、お豆腐とわかめのお味噌汁、天ぷら、エビ、きぬさや、最後に柿のゼリーが出てきた。
どれも何て繊細で美しいのだろう。味に品があった。本当に美味しかった。


※今から、丁度25年前の今日の日の日記です。留学生達は、とにかく、飢えていて、欲しいものは、日本食、何はともあれ、日本食で、
雲海のお食事券がもらえると、真っ先に食べに行きました。
お寿司とか、しゃぶしゃぶなどもあり、普段滅多に食べられない食事が出来て大満足でした。

今から25年前は、まだ、携帯も、インターネットも何もありませんでした。
ウィーンで生活していたその当時の私は、楽しみと言えば、人と会って、音楽会へ行くことや、オペラやバレエを観たり、ベートーヴェンの散歩道をゆっくり歩いてみたり・・・。
今の世の中は、訳が分からないほど、スピード化してきていて、もう若い人たちについていけません(笑)
いつか、ニュースでロボットのベートーヴェンが、「エリーゼのために」を何の感情も込めずに、弾いているのを見たときは、もうびっくりしました。

音楽だけは、ロボットの演奏は、やめてほしい~と切実に思います。

今日は、明和高校でした。いつもの調子で、又、傘を持たないで、出かけたから、全身シャワーを浴びたようにびしょ濡れ・・・
ここ最近、暑いくらいのお天気が続いて、このどしゃ降り。最近のお天気も異常だと感じます。

25年前は、私が風邪をひいて、時々マスクをしてウィーンの街を歩いていると、ウィーンの人達からは、白い目で見られる…という感じでしたが、今の時代は、マスクをしないと、罰金を払わせられる国もあるとか、随分時代が変わったなあと大きな時代の変化を、つくづく感じています。


令和2年11月19日(木)生徒さん達のご活躍

























来月12月11日(金)名古屋市中村文化小劇場で、愛知県立芸術大学学生による「ピアノ名曲コンサート」が開催されます。

第1部は、15:00開演です。

門下生の中から、第1部の2番目に宮脇彩永さんが、ドビュッシーの前奏曲集第2巻より、「妖精は良い踊り子」
「ヒースの茂る荒地」「風変わりなラヴィーヌ将軍」「花火」

3番目に髙浪杜和君が、ラフマニノフのソナタ2番変ロ短調作品36より、第2、第3楽章(初版)を演奏されます。

お2人共、現在大学3年生です。一生懸命頑張っている様子で、お2人の成長を心から、お祈りしています。

ご興味のある方は、是非応援に行ってあげてください!!


令和2年11月17日(火)音楽家は天使に愛される

←ウィーンを代表するバロック建築の傑作であり、ブラームスも愛したカールス教会。

この近くにブラームスは、住んでいた時期がありました。

ブラームスは、ハンブルクの貧民街で生まれ、その後、35年間もウィーンで暮らします。

(1995年9月撮影)







←ドイツのブレーメンで、見つけた、天使の置物。オルゴールになっていて、優しい繊細な音楽を聴かせてくれます。

天使は、必ず、歌を歌っていたり、楽器を弾いていて、
ハープや、笛を吹いていたり、チェロを弾いている天使をよく見かけます。









大学生の生徒さんが、ブラームスのソナタ2番を一生懸命練習しています。ブラームスの生涯について話し合ってみました。

「ブラームスのお父さんは、コントラバス奏者で、音楽家だったんだけど、ハンブルクの貧しい家庭だったそうね。
家計を助けるために、13歳の頃から、船員相手のダンスホールや、酒場で演奏していたっていうよね。
深夜に、お酒やタバコで、むせかえるような、子供には、見せられないような場所で、酔った男女のために、ピアノを弾く・・・・そんな生活を送っていた。今でいえば、中学1年生くらいでね。
まだ、若干19歳でこの2番のソナタを書いた訳だけど、かなり、大人っぽいという感じがするね。

ウィーンには、中央墓地というところがあって、その中に、ブラームスが眠るお墓があるんだけど、頭を抱え込んで、苦しみの多い表情をしたブラームスのお墓があるよ・・・・」。などなど。

いい音楽家になっている人の共通点だと思うけれど、ブラームスに限らず、皆すごく、孤独な生涯を送っていると私は、思います。
孤独の生み出した結果が、全て、芸術作品になっていると思うから・・・。

ベートーヴェンだって、孤独を愛した人だったし、ショパンも、シューマンも、ラフマニノフも、ラヴェルやドビュッシーだって、きっと皆そうだったに違いないと思います。

モーツァルトのような神童は、小さい頃チヤホヤされたと思うけど、最後は、どこにモーツァルトの骨があるかどうかもわからない、記念碑だけあって、埋葬時に、妻さえ立ち会わなかったと聞きます。

モーツァルトの音楽から、聴こえてくるのは、天使の音楽です。音楽家は、天使に愛されるのかもしれません・・・。


令和2年11月10日(火)記帳点検

今日は、普段からお世話になっている、青色申告会の記帳点検に行きました。

毎日つけている帳簿を間違いがないかどうか、見て頂きます。音楽家として、仕事を始めた際に、まずびっくりしたのが、ありとあらゆる事務をこなさなくてはならないことでした。

昔から、自営業、サービス業を営んでいるご家庭の方達なら、慣れていらっしゃることなのだと思いますが、私の家庭は、ごくごく普通のサラリーマン家庭。父は、頼りにならないし、私も母も、サービス業がどのような仕組みになっているかさっぱりわからずで、2人共、本当に困りました。
自営業を営んでいる方達がどんなに大変かが身に沁みてよくわかります。

サラリーマンなら、事務関係は、会社に任せておけばいいですが、音楽家というサービス業は、全て何もかも1人でやらなくてはならず、租税公課、事業主貸、事業主借、減価償却、私の知らない単語が、ずらりと並びます。
「この科目は、どれ?これは、どの科目に記帳すればいいの?」など、私には、わからないことだらけです。それを青色申告の方達が、丁寧に教えてくださいます。

私の桐朋時代の恩師もおっしゃってたなあ・・・「あなた、本当にピアニストなんかになりたいの?大変だぜ~。サラリーマンは、何でも会社がやってくれるからいいよなあ」なんて、おっしゃっていたっけ・・・・。私がレッスンに伺うと、いつも机の上が領収書の山になってた・・・。

その通りです。母が、私が幼稚園の頃から、ありとあらゆる、公開レッスンや、ピアノの事に関する講座に連れ回してくれましたが、今は、
もうその時代は終わり、私にない事務能力を必死で教えてくれています。

毎日帳簿に記帳していくのですが、私は、よく間違えます。母から、「ほら、又、ミスした」と注意を受けます。

母もかなりの高齢なので、全ての事務を私がこなせるようにならなくてはならないので、母に1つ1つ教えてもらいながら、頑張っていますが、難しいなあ・・。


音楽家って、夢のある職業ではあるのですが、陰では、恩師がおっしゃっていた通り、事務の全てをこなさなくてはならない、大変なお仕事です。

←青色申告会の記帳点検。パソコン、帳簿、山のような書類を
エンヤコラ、かついで、持っていきます。













令和2年11月4日(水)ウィーン留学中の生徒さんのご活躍


←ウィーン留学中の鈴木真琴さんが、来月12月5日、ウィーンでR.シュトラウスのオペラ、
サロメをコンツェルタント形式のコンサートで演奏されるという事で、チラシを送ってきて下さいました。

ウィーンと言えば、つい先日、テロがあり、彼女の安否を我が家でも、とても心配していました。

そのテロがあった日に、カフェに行くはずだったけれど、リハーサルで皆疲れてカフェに行かなかったから巻き込まれずに済んだ、立てこもりがあった場所のすぐ近くにいたから、あのままカフェに行ったら、帰れないところだった、とのことです。

ウィーンは、又感染者が増えて、ロックダウンになり、おうち時間になってしまったけれど、来月のコンサートのためにさらう時間が出来て良かったとの事です。


リハーサルでの彼女は、プロの方相手に、「音が違う!」「リズムが違う!」「はい、もう1回~」と指導しているとか・・・。それが、コレペティのお仕事ではあるのですが、ビシバシ突っ込んで指導している彼女の姿が目に浮かびます。

真琴さん1人であのオペラを指揮者もなしに、オーケストラ役を全部担うお仕事です。

私は、若い頃、あらゆる音楽に関わるお仕事をしてきた中で、最も、大変で、体力的にもきつかったのが、
コレペティのお仕事だったので、彼女が、ウィーンのプロのオペラ歌手の人相手に指導をして、指揮者の役割を担っていると思うと、本当にすごいなあと感心します。
何はともあれ、当の真琴さんは、元気でピンピンしていると門下の皆様によろしくお伝えくださいとの事でした。真琴さんらしい(笑)

コンサートのご成功、お祈りしています!


令和2年11月3日(火・祝)光陰矢の如し

11月に入りました。来年3月25日(木)天白文化小劇場で開催する門下生コンサートの参加人数が確定したので、1人1人のお名前や、曲目、
時間配分など全てパソコンで打って、先日、幹事さん達にお渡ししました。

レッスンに来られた生徒さん1人1人に、他の生徒さん達の事も興味を持って頂けるように、「この生徒さんは、先生のところに何年生の時に来た子でね・・・・」と簡単な紹介を話して聞かせると、食い入るようにして原稿を見つめています。

先輩達の存在は、いつでも憧れの存在なんですね!かつての生徒さん達も皆そうでした。皆さん、あっという間に大きくなりました。
光陰矢の如しです。

今年は、19回目にもなります。ここまで続けてこられたのは、毎年お手伝いして下さる、幹事さん達や、応援して下さる保護者の皆様のお陰だと感謝の気持ちで一杯です。参加して下さる生徒の皆さん、有難うございます!

私にとって、門下生コンサートとは、今年1年、お互い何とか無事に過ごせて良かった、元気でいられて、何事もなくピアノが弾けて良かったね、と1人1人の「ピアノの道」の節目を喜び合い、この美しい時間は、2度と戻ってはこない、生徒の皆さんの成長とお幸せを祝福するコンサートだと思っています。

今回は、11:45に写真撮影をしたら、皆さんで毎年行っていたおまじないや、私に読んで下さるお手紙などは一切なしにして、例年より、1時間早めて13:00開演でいきたいと思います。

又、今回は、学年順、同学年は、アイウエオ順で演奏致します。

詳しい事は、そのうち、幹事さんからご連絡がいくようになると思いますので、皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

チラシが仕上がるのを楽しみにしていてください!門下生の皆さんの演奏をとても楽しみにしています!
←オーストリアのロマンチックな雪景色。(1996年12月20~22日チロル地方へ行ったときの絵葉書から)












←雪景色のノイシュヴァンシュタイン城。(1994年5月~6月ドイツのミュンヘンで
滞在した時の絵葉書から)。