令和2年5月4日(水)ズームにず~っとうなされて・・・

5月に入りました。パソコンや、スマホに向き合って、現在も、ズームにず~っと格闘中です(笑)。ここ数日間は、ズームが、夢にまで出てきて、うなされています・・・。

5月11日から、大学のレッスンが始まるので、とうとう、オンラインレッスンを始めることになりましたが、果たしてどうなることやら?

生徒さん達や、生徒さんのお母様方にレッスンにいらして頂くたびに助けて頂いて、長時間に渡り、お手伝い頂いて、何だか申し訳ないです。

本当に有難うございました。

大学生達に、私の個人ミーティングのIDや、パスワードなど教えて、大学生達からは、「はい!承知致しました!お願いします!」と皆さん元気よくお返事下さるのですが、朝9時頃から、夕方5時頃まで、8時間もスマホで、オンラインレッスンしていたら、スマホが、ブチギレて、爆発するんじゃないかな?とか、まだまだ、色々と分からないことが多いです。

50年近く関わってきたピアノの世界なら、深いところまで、生徒さん達を見ると一瞬にして、困っていることを瞬時に判断できますが、コンピューター関係は、全然だめだな・・・と。まず、スタートが、自分で出来ません。

その点、ピアノは、全然、難しくなかったなあ、とつくづく思います。ピアノなら、次から次へと弾きたい曲があり、興味が尽きなかったけど、パソコンは、まず、興味がない・・・。

普段、IT関係のお仕事の方で、そういったものから、全て断捨離したくなったという方がおられて、SNSや、フェイスブックなどから、何もかも離れた、といった方の事をお聞きして、「へえ!専門の方でも、一切合切コンピューターから、離れたくなるのか!」と思いました。

その話を聞いて、「ピアノは、やはりいいなあ!50年近く毎日欠かさず弾いているけれど、全然断捨離したいと思ったことはないよ」と
両親に話すと、「そうだね、やはり、音楽はそれほど、素晴らしいってことね」と話したような事でした。

私は、ピアノさえあれば、他はもう何もいらないのですが、今回は、大学の先生として、必要に迫られて、ズームをやっています。

明日は、大学の教員のためのズーム研修会ですが、ちゃんと、ミーティングに参加して、画面の中に入っていけるのか、小学校へ上がる前の
幼稚園児みたいな、気分でいる私です(笑)



令和2年4月30日(木)ピアノと共に歩んだ道のり   諸先生方のお言葉 今になってよくわかる


←ウィーンから帰ってすぐ開催した帰国記念リサイタル。地元四日市文化会館第2ホールで。
(1998年10月12日、26歳当時)

バッハの幻想曲とフーガBWV904、ベートーヴェンソナタOp.109全楽章、
武満徹「雨の樹素描Ⅱ」
シューマンソナタ第3番全楽章を演奏。

小学校、中学校時代の同級生達が沢山聴きに来て下さいました。






←初めてのPTNA指導者賞受賞33歳当時の私。全国297名の先生方の代表で頂きました。
(2005年8月24日33歳当時、ホテルニューオータニの授賞式後のパーティーで)

右は、私の恩師播本枝未子先生、左は、指のフィンガートレーニングの御木本澄子先生。

御木本先生は、私の事をまだ、学生だと思っていらして、「あら、めぐみちゃん、お久しぶり。
今日は、何の級で賞を頂いたの?」
と尋ねられました。
「あの・・・・・私、もうとっくに学生を卒業して、33歳にもなるんですけど・・・生徒も沢山見ています。(笑)今日は、指導者賞を頂きました」。
先生方から見ると、私は、いつまでも子供のままのめぐみちゃん、のようです。



ゴールデンウィークが始まるけど、外に出れないから困るとか色々世間では騒いでいますが、私は、どうという事はなく、元気に過ごしています!

元々、私は、ゴールデンウィークだから、昔から、どこかへ遊びに行くという習慣がなく、思う存分、学生に戻った気分で、家で充分ピアノが弾ける幸せを噛みしめております。

若い頃、合唱団のお仕事をしているときは、ゴールデンウィークに強化合宿で、団員の方達と練習、オペラの練習の時は、お休みの時、長時間に渡り、練習が行われ、ピアニストに休みはないのが当たり前のこととして生活しているので、外に出れないのは、普通の事だからです。


バレエ団や、合唱団、オペラなど、沢山の人数が集まるお仕事は、こういう時、とても困りますよね。その点、ピアニストで良かったなあ、とつくづく思います。
ピアノは、一人で、自分の家で練習できますし、誰かと合わせをしなくても済みますし、ピアノって一番ストレスがかからない楽器なんじゃないかなあ・・・・。
私の性格に合うのですね。最終的には、そこだと思います。性格が、ピアノ向きかどうかは、とても大きなポイントを占めると思います。ピアニストは、外に出れなくても、家で、ピアノを弾いていられるから、全然退屈しないんです!


3歳から始めて、全くブランクなく、45年間もピアノから、離れたことのない生活を送っていますが、こういう時代が来てしまったからこそ、私の中でピアノに対する思いが益々強く、恋しく、愛おしく、感じられます。

26歳で、もう日本に帰りたい、そう思ったときに、ふらっと私の悩みを聞いて下さった声楽の先生のお話しされた言葉が今も心に残ります。

「貴女が、やめたいと今仮に、思ったとしてもやめられないわよ。どんなにピアノが恋しくなる時がくるか・・・今はわからないと思うけれど、絶対そういう時が来るわよ」。
又、他の先生もおっしゃってくださいました。

「私、子供を産んでね、ずっとブランクがあってピアノが弾けなかったんだけど、久しぶりに、ピアノを弾いたらね、もうわからないんだけど、あとからあとから、涙がポロポロポロポロこぼれてね、どうしようもないの。ああ、やっぱり、私は音楽が好きなんだなあって、心からそう思えた。貴女もきっとそう思う時がくるわよ」。と・・・。

私は、今になって、ピアノを続けていて本当に良かったなあと心から思います。先輩の諸先生方がおっしゃる意味が、今の年齢で深く深く、胸に落ちてくるのです。

若い時にはわからない諸先生方のお言葉は、ずっとずっと後になってからわかります。親や先生方がおっしゃる言葉は、真実を語って下さっていると思います。
感謝の気持ちで一杯です。



令和2年4月29日(水・祝)ピアノと共に歩んだ道のり  仕事は、全てさせていただくもの


←2006年4月3日ヤマハピアノフェスティバルのゲスト演奏で。

コンクールに出場された方達が、結果発表を待っている間の演奏です。

午前と午後2回に分けて、ショパンのノクターンとメトネルの作品を中心に演奏しました。
(名古屋青少年アートピアホールで)







←2007年4月4日ヤマハピアノフェスティバルのゲスト演奏で。

この時は、チャイコフスキー、リャードフなど、お客様の耳に心地良い小品をたくさん集めて演奏しました。

同じく青少年アートピアホールで。









ウィーンから帰国後、学生という身分が終わり、音楽家として生計を立てていくために一体何をどこから始めたら良いかわからず、
考えに考え抜きました。
一般的な職業なら、目につくところに、「求人募集」とか書いてあって、わかりやすいのですが、音楽家のお仕事は、そのように求人募集とか、どこにも書いてありません。

私は、若い頃、ピアノを使ってやれる仕事なら、どんな小さなことでも、選り好みせず、全てお引き受けしたい、と心に強く誓ってきましたし、現在も勿論その考えは変わっていません。

仕事というのは、本来、自分がしたいことをする、のでなく、世の中が私を必要としている仕事を全てさせていただくものです。

どんな分野でもそうだと思いますが、続けていくという事の方が、数倍大変な事なのです。ある程度の所までは、続いても、その先続かなかったり、色々な要因が重なり合って続けていくことが難しくなることもあります。

私は、オペラのコレペティの仕事をさせて頂いていた時に、ベテランのテノールの方から、「この世界はね、やっぱり、何といっても「実力」の世界だよ」。
と言われた言葉にとても共感を覚えました。

私が、オペラのコレペティの仕事を一生懸命やっていると、その中に、必ず、私の仕事ぶりを見ていて下さる方がいて、その方が、又、次のお仕事のご縁を下さいます。きっかけを作って下さるわけですが、新人はきっかけを頂くことですら大変ですから、きっかけを作って下さった方は、正に「観音様」です。一生感謝しても感謝しつくせない思いです。

卒業したばかりの新人は、そういった意味で、今自分を取り巻いている方達にまず、自分の仕事ぶりを、物事に真剣に取り組んでいく姿勢、表情を、表面に出すことが、とても大切だと思います。
ピアノの演奏だけが上手くても勿論ダメです。時間にルーズだったり、約束を破ったり、人間的に信頼が出来ない人、品行方正でない人は、この人に、仕事なんか任せられないと即判断されますから、そういう意味で、世間の目はとても厳しいのです。
しかし、ピアノ以外の面でも、きちんと人としての道を踏まえ、正直に、誠実な行動をとり、約束を守り、信頼のおける人は、又、必ず見ていて下さる方がいます。そこに、世間の温かみを感じます。

私は、仕事がしたい、と思っても、その相手がいなければ、仕事として成り立ちませんので、お声をかけて頂いたお仕事は、誠実に責任を持って果たすことが何より大切だと思います。


嫌だなあと思う仕事が自分に回ってきたら、それこそチャンスです。誰もが嫌がる仕事を引き受ければ、確実に喜ばれるし、その嫌がる仕事を喜んでさせていただくことこそが、仕事の醍醐味です。そこから又更に良いお仕事のご縁を頂けるのです。


令和2年4月28日(火)心を込めて弾くとは?


←ウィーンから、帰国して、明和高校で教え始めたばかりの27歳の私。
あちこちでリサイタルをさせて頂いたり、演奏活動を中心に活動していた頃です。この時は、個人の方のホールでのリサイタルでした。











←三重の家で。ウィーンから帰り、地元四日市での帰国記念リサイタルを直前に控えていた26歳の私です。

家でのリハーサルは、必ず、本番のドレス、靴を履いて「避難訓練」しておきます。

ピアノの譜面台も、取り、蓋も全開して、リサイタルの曲を全て通します。

どこか、暗譜が飛んでもどこでも着陸出来るよう、大事故につながらないようにさまざまなイメージトレーニングをしておきます。





演奏する時に、心を込めて弾きなさいとは、先生から、よく言われる言葉だと思いますが、まだ、ピアノを学習して間もない皆さんにとっては、
どうすれば、心がこもった音になるのか、それ自体が、分かりにくいと思います。
具体的に説明すると、人間の声を思い浮かべてみましょう。すごく恐怖を感じたり、嬉しそうだったり、悲しそうだったり、苦しそうだったり、色々な感情を感じると同時に反射的に、声に現れると思います。

そのように人間の感情がサッと声に響くように、ピアノでは、演奏者の感情を指や、腕に反応させて弾くことが出来ます。だから、弾いていても聴いていても音楽は、楽しいのです。

心の痛みが、そのまま、自分の指や、腕に伝わり、音に響いていくのを感じ取ることが出来た時、初めて、心の琴線に触れる音楽を奏でることが出来ます。

悲しみには、悲しい音が、辛い時は、辛い音が、何かを失って心にぽっかり穴が空いたような空しい感じも、全て、音に出来た時、その人は、
本物のピアノのテクニックを習得したといえます。

慣れてくれば、感情をいちいち入れようと思わなくても、自然に、指や腕が、その感情の動きを読み取り、自然にピアノが歌い始めます。

シラケた演奏だからといって、その人が、何の感情も持っていない人だとは思いません。

むしろ、表面がクールに見えていても、人の心の中には、見ただけではわからない沢山の感情が渦巻いているのです。その出し方を、音に乗せるテクニックを知らないだけです。

生徒さん達の心の中に色んな感情が渦巻いているものを引き出して、音に乗せていく方法をお手伝いするのが、私の役目でもあります。

本当に恐怖を感じたときに、人間の声がいつもと違う声になっているはずです。そのようにその曲の中で、色んな感情を感じ取れば、自然に指や腕に反応して、ピアノの音に乗り移り、結果として、心がこもった演奏になるのです。


令和2年4月27日(月)ズーム格闘中


先日あった、門下生コンサートのDVDのサンプルが送られてきました。早速、幹事さん達と私とで、皆さんの名前や、曲目など間違いがないか
チェックして、今日、訂正をお願いしましたので、連休明け頃には、生徒の皆さんにお配り出来ると思います。
3月22日、門下生コンサートを開催した日は、丁度、コロナの問題が出てきたばかりの頃でしたが、思いきって開催しておいて本当に良かったですね、と生徒の皆さん、そうおっしゃって下さいます。
私も本当にそう思います。1人1人の生徒さん達の演奏が、私の心を癒して下さっています。

例年なら、もう、高校も大学もレッスンが始まっていますが、学校でのレッスンは、今も休校のままです。

生徒さん達が、「めぐみ先生、早く、学校へ行きたいです」と悲痛な心情をレッスンノートに書いています。

私も、早く学校が始まるといいなあと思います。

普段、大学での学生さん達とは、かなりの人数になるので、出会って、「○○ちゃんは、何時ね。○○君は、何時ね」。と出会えば、30分でレッスン時間を打ち合わせ出来たことが、全員のレッスン時間を配分するのに、5日間もかかりました。

メールで何もかも打ち合わせをすることが、どんなに大変かがよくわかりました。私のウィーン時代の恩師ケラー先生御夫妻も「何もかも機械化されると、今までの倍時間がかかってね、かえって、不便になって・・・。ウィーンでもそうよ、本当に困るわね」とつい先日、国際電話下さったところでした。

ここ数日間は、学生さん達との打ち合わせに伴い、現在もズームと格闘中です。

私の所のお若い生徒さん達の方が、よくわかっていらっしゃるので、生徒さん達に尋ねたりして助けて頂いていますが・・・。

初め、ズームをスマホの表面に出すことからつまずきました。ズームを出すとインスタグラムが出てくるのです。「あっ、これが、うちの大学生達がよく話している、インスタグラムというものか」と思いながら、「ズームとインスタグラムは、同じ意味なのかな」とそのまま続けていくと・・・・
人の顔が一杯出てきてびっくり!これは違うなと思い、違うボタンをどんどん押していったら、恐竜のアザラシのぬいぐるみみたいなのが出てきて、その後すぐに、着信音が鳴って、
「ハ~イ!アイ ウォント トゥ スピーク ジャパニーズ!」えっ!?日本語で私と話がしたい?一体どういうこと?????

混乱しきってしまい、レッスンに来られた生徒さん達に尋ねて皆さんのお力を沢山いただいてやっとの思いで、インスタグラムを×にすることで、ズームが表面に出てきました。そうすると今度は、パスワードでつまずき・・これまた、次の生徒さんに設定して頂いて、何とかつながることが出来ました。中学生の生徒さん達は、普段から使い慣れていて、さすが早いです。全く下地がない私にとって、本当に有難かったです。


ズームで、ちょっと生徒さんと私の家でやり合ってみましたが、声は遅れるし、つなぐまでに、どこを押すんだっけ・・・そればかりまごまごして、これで、ピアノレッスンなんか出来るの?と・・・。

ピアノの音を心を落ち着けてじっくり耳を澄まして、よく聴きましょう、どころではないなあ・・と。

それにしても、あのインスタグラムや、恐竜のアザラシがズームだと思っていた私は、かなりおかしくて自分でも笑えます。ズームの画面を検索したのに、インスタグラムを押すように誘導している広告の事、そこを×にする、これだけで相当つまずいていました。

これからどんどん私のわからないことが一杯出てくると思うので、お若い生徒さん達の助けが必要です。本当に頼りにしています。
よろしくお願いいたします!

それにしても、早く学校が再開してほしいです。そうすれば、オンラインの事も、何もかも、人と会って、尋ねたり、話が出来るからです。

出会って話が出来ないのは、すごく不便です。機械化されるのは、いい面も勿論あるけれど、行き過ぎた機械化は、慣れるまでに相当不便さを感じている私です。


令和2年4月22日(水)ウィーン日記から・・・1994年12月30日 23歳当時

←ウィーン、フォルクスオーパーのチケット。(1994年12月30日(金)23歳当時)

パルテレのボックス席で座れて、50シリング、500円でオペラが見れます。











1994年12月30日、23歳当時のウィーン日記から・・・

ツィゴイネルバロン(ジプシー男爵)をフォルクスオーパーへ、見に行った。ヨハンシュトラウスのウィンナワルツとはこういうものかととても感動した。
全然見えない席と言っていたけれど、割と良く見えて、すごく良かった。
ワルツの時など、私も一緒に踊り出したくなった。こういう歴史の中で育ってきたウィーンの人達は、本当にいいなあと思った。

※ウィーンには、有名な、シュターツオーパー(国立オペラ座)とフォルクスオーパー(大衆オペラ座)の2つの大きなオペラ座があります。
U6で、(地下鉄6番線)ヴェーリンガーシュトラーセ、フォルクスオーパーと地下鉄の名前にもなっており、車内アナウンスもあるのですぐわかります。
少し、ケルトナーシュトラーセの中心地からは離れますが、フォルクスオーパーの方が、気軽に見れる感じです。駅の真ん前にあるのもいいですね。


令和2年4月21日(火)どんな境遇も反面教師、幸せに変えていける


←ウィーンのドナウ川のほとりに立つ、アッシジの聖フランチェスコ教会。

(上下共に1998年7月撮影)











←聖フランチェスコ教会をバックにドナウ川の前で、26歳の私。

「美しく青きドナウ」と言いますけど、実際に見たドナウ川は、全然青くないです。
どう見ても、茶色か、深緑で、美しくはありませんが・・・










スーパーに食料品の買い出しに行くと、レジのところも透明のビニールカバーがあり、レジを打つ人達は手袋姿、歩いている人は、皆、マスク、
テレビをつけるとこれまた、皆、マスク姿・・・。何だか、人間が人間じゃないみたいで悲しいです・・・と言って、嘆いていても、仕方がないので、
音楽家として出来るだけ、皆さんに前向きな話題、建設的な考え方をしていけるように書いていこうと思います。

今日は、ピアノの上級者の方達のために書きます。
音楽高校生から、音大生のピアノの練習の仕方です。

この年代になると、とにかく沢山の曲をこなすことになると思います。そこで、この曲を弾くとあの曲がダメになり、あの曲を弾くとこれがダメになり・・・・通すだけでも1時間くらいかかるリサイタルプログラムをどうやって、毎日練習していくか、私自身もこの時期色々と試行錯誤しました。

まず、大体弾けるようになったら、とにかく、最初に通す、何が起こってもまず通す、これは、毎日やりました。

バッハのパルティータでも全部通して弾くと30分くらいかかります。ベートーヴェンのソナタでも30分くらい、ロマン派も大きなシューマンのソナタなどは、30分くらい、近現代も30分くらい、おまけにピアノ協奏曲も2曲で1時間・・・練習していくと、通したら、終わりみたいになってしまいます。

そこで、ソナタのようなものは、呈示部だけ、とか、展開部だけ、とか再現部だけとか、曲の一部分を練習する、「つまみ食い式」練習を私はよくやりました。必ず、全て通した後で、「つまみ食い」研究をします。通しは、全て暗譜です。通さないとなぜダメかと言えば、いつでも、ピアノの世界は一発勝負にかかっているからです。「手が冷たくて上手く弾けません」「ピアノが弾きにくくて、弾けませんでした」などは、通用しない世界です。勿論、「緊張して上手く弾けません」も禁句です。緊張するのは、当たり前で、全員緊張するものだからです。緊張していても弾けるようではないといけないという事です。

「あっ、間違えました、もう一回弾いてもいいでしょうか?」とリセットは出来ません。どんなことがあっても弾き直したり、途中わからなくなったとしてもとにかく、先へ続けること、このイメージトレーニングさえやっていれば、舞台で安心して弾けます。

家でも舞台で、緊張して弾くときと同じように最初1回通すのです。1時間~2時間かかると思います。

そして残りの2時間くらいを研究、音色を変えることだったり、フレーズ作りだったり、音域、音の高さを心の耳と直結しているかどうかだったり、
CDを聴いたり、自分の演奏を録音したり・・・様々な研究をしていきます。

私の高校生時代は、レッスンで新しい曲を持っていくと、次は、暗譜ね、と言われます。3回目はもう、違う曲というスパンの早さ。
「レッスンに来た時に、譜面をめくって弾いているようでは、そんなことじゃ、ピアニストになんかなれないよ」と注意され、とにかく、人生であんなに頑張ったことないというくらいに頑張りました。曲が形になっていない時は、完全に無視されるといった、そういう意味ですごく厳しいレッスンだったと思います。何も言われないから、自分でやるしかない!注意されないという事は、自分の演奏がてんで、お話にならないという事だ!
そう感じ取った私は、自力で曲を仕上げていけるように、踏ん張りました。その完全に放任されたおかげもあり、ウィーン国立音大に留学した時は、何と、楽なのかしらと思えたくらいに、曲を仕上げるスピードが速くなっていました。何でも物は、その人の受け取り方次第で、反面教師となり、どんな境遇でも幸せに変えていけます。
自分の心さえ、視点さえ、変えていければ・・・。
私の所に通っていらっしゃる生徒さん達は、小さい頃から、それを徹底させていますので、きっと将来、音楽家として、生計を立てていくことが必ず出来ると思います。

今は、ガタガタしていますが、5年~10年くらい立てば、又、平穏ないい時期が必ず訪れると思います。お若い方達が、ピアノをやめてしまうことのないように、必ずいい未来が待っていますから、辛抱強く、粘り強く、精一杯努力してください。今までも人はそうやって進化し続けてきたのです。必ずいい未来が来ると思って、信じて待ちましょう。


令和2年4月20日(月)音を出す前にちょっと待って!


←私が、ウィーンに住んでいた頃のウィーンの図書館カード。その当時、レコードなども聴けました。

Megumi Iwanoと図書館の人が書いて下さいます。










←カードの裏。開館時間です。













ピアノの音を出した後で、「あっ、違った、もう1回弾き直し!」と言って、弾き直すピアノ学習者の皆さんに良い練習方法を提案します。
結論から申し上げると、正しい音が頭の中で鳴っていない時は、音を出す前にちょっと待って!正しい音だけを出せるまでは、ピアノの音を出さない、まだ、弾かないで、鍵盤に正しい音を押さえるようにしてから、音を出すように心がけます。これだけでも、随分と正確な音で弾けるようになりますよ。
私が見ている限り、よくある2つのパターンがあります。


1.頭の中で、既に音楽が鳴っており、とにかく最後まで早いテンポで、通して弾かないと気がすまないグチャグチャタイプ。

2.頭の中で、次に来る音の予測がなく(ハーモニー感、調性感など)今、弾いている音をとりあえず、必死で読んでから、先を弾くタイプ。

1のタイプは、譜読みは、早いけれど、大雑把で雑なので、1つ1つ、音のお掃除のやり直しをしなくてはなりません。

2のタイプは、1音1音見ていくので、丁寧ではあっても、曲が形になるまで、何を弾いているかよくわからず、仕上がるまでに時間がすごくかかるタイプ。

私は、小学6年生頃までは、完全に1のタイプでした。なので、毎回のレッスンに持っていく曲の数が多すぎて、楽譜の分量を見て、先生方が、
「うわ~こわいなあ~」と・・・。
左手のための練習曲は1冊全部まるごと弾いて持って行ったことも・・・。

しかし、しかし、しかし・・・・ここからが、大変です。


私が小学2年生の頃、バッハのインヴェンションをやり始めたのですが、「右のアーティキュレーションが守れていない」「バスが伸びていない」
「音の長さが違う」「切るといったら、ただ切ったじゃダメ」自分勝手に弾くチャラチャラ弾きに先生は、さぞ、お困りになられたことと思います。


私の生徒さん達を見ていても、チャラチャラ弾きの子には、1つ1つ丁寧に楽譜を読んで、それをちゃんと音にするように、楽譜に書かれてあることをまず、きちんと守って弾けるようにさせています。

又、逆のタイプの子には、次に何の音が来るかのイメージが(ハーモニー感や調性感)がないわけですから、次に来る音を口で言ってから、指をその音の鍵盤にちゃんと乗せているかどうか確かめてから、音を出すように注意させています。

違う音を弾いてしまってから、直すやり方は、脳に違った音をインプットして記憶させてしまうので、鳴らす前、音を出す前が肝心です。

間違った音のままで覚えてしまうと又、直すのに倍、時間がかかるからです。。


令和2年4月19日(日)ジャンヌ


←聖ジャンヌダルク教会の中で。ステンドグラスが綺麗。戦争中に保管されていた窓だそうです。

(フランス、ルーアンで、上下共に、2009年9月5日撮影)











←ジャンヌ・ダルクは、いいことをした女性なのに、どうして、処刑されたのかしら?

ジャンヌ・ダルクの像の前で。











大学院の生徒さんが、「Jeanne」「ジャンヌ」を弾いてレッスンに持ってきました。私は、この曲を聴いたのは、初めてで、彼女に色々と尋ねてみました。

「作曲した人は、marasyと書いてあるけど、フランス人なの?」「いえ、日本人のまらしぃさんです」

「ジャンヌって、誰か人の名前なのかな?」「はい、ジャンヌ・ダルクの事だそうです」とその生徒さん。

ジャンヌ・ダルクと聞いて、私は、以前行った、フランスのルーアンの地で処刑された場所、ジャンヌ・ダルク教会の事を思い出しました。

ジャンヌの像の前に、赤いろうそくが沢山灯っていました。フランスの人達にとっての国民的ヒロインでもあり、カトリック教会における聖人でもある女性で、19歳で、火あぶりの刑に処せられて、その短い生涯を終えたジャンヌの生涯が、聴こえてくるような素敵な曲でした。こんな時期だからこそ、余計に彼女の弾くジャンヌが心に沁みました。

又、私の好きな曲が1つ増えました。生徒さん達とのレッスンは、とても楽しいです。


令和2年4月18日(土)ボロボロのハノン先生


←私のハノンの楽譜。生徒さん達が見て、「うひゃ~ボロボロ~!!」。皆、びっくりしています。
43年間も時がたち、本当に、ボロボロ。5歳の幼稚園生の時に買ってもらい、ハノンを弾いてから、曲を練習するのが、毎日の日課となっていました。

ピアノを習っている人なら、誰でも必ず練習するハノン。
「全部弾くと1時間で弾けます。毎日、わずかな時間繰り返すだけで難しさは、魔法にかかったように消え去り、すぐれた芸術家の秘密である、真珠の玉のような、音色の澄んだはっきりとした、磨かれた美しい演奏にまでいきつくことができるでしょう」。

とはじめに書かれた言葉が5歳の心に残り、そこが気に入って、何回も読みました。

5歳の私は、完全にその言葉の魔法にかかってしまったわけですが(笑)・・・・・現実は、ハノンを全部弾いたからといって、曲のあらゆる弾きにくい部分が、完全に弾けるようになるというものでもない、というのがわかったのは、高校生くらいですね。

しかし、現実を知るまであらゆることを試みて、毎日の努力を怠らなかったことに、私は、すがすがしさを感じています。何もやらなくて後悔するよりも、あれもやったし、これもやった、でも出来なかった・・・の方が、後悔が残りません。

又、あらゆることを試みたから、現在の自分があるわけで、全て、無駄になるものは、何もなかったです。
全部自分の為になりました。

ところで、このハノン先生、1820年フランスに生まれて、教会のオルガニストもしていたそうです。1900年にフランスで亡くなられたとの事だけど、昔の人で、80歳までも生きたら、今なら、100歳くらいの長寿の先生だったかも・・・。

そういえば、昔、私の大学の授業で、学生さんが、「今から、ハノンという曲を弾きます」
とか、「今から、ソナチネという人の曲を弾きます」と紹介して弾く子がおり、

「ハノンは、シャルル ルイ ハノンという人の名前ね。ソナチネは、人の名前じゃなく、クラシック音楽のジャンルや、形式のことね」。と説明しましたが、私も、学生たちが話しているのを聞くと自分までわけがわからなくなってきて、クラス全体で大笑いしたのを思い出します。

ハノンていう曲??ソナチネっていう作曲家!?(笑)
しかし、私が全然知らない分野だとこういう面白い事を平気で話すと思うので、大丈夫です!

恥ずかしがらずに何でも質問して下さい。こちらも相手がわかるようにどうやって説明すればいいか、頭を使うので、指導する側の為にも勉強になります。何でも質問する人は、上達する人です。

誰でも初めは皆、初心者です。皆さんで楽しくピアノを弾いていきましょう!



令和2年4月17日(金)初心者は、まず、初めに何をどう始めればよいかわからない

PTNAのコンクールが動画審査になったと連絡を頂きました。

自分の家で撮影出来て、優劣がつかないというのがとてもいいですね!(優劣がつかないのは、A2~F級)

課題曲チャレンジという名になったとの事、審査の先生方の講評は頂けますので、皆さん、頑張って下さいね。

今日、私は、スマホを3脚に立てるモバイルホルダーというものを買いに行きました。何となく、大学がオンライン授業になりそうな流れを感じ始めて・・・。私は、ピアノレッスンだけは、難しいと思うのですが、全ての大学がそうなってしまえば、仕方がありません。機械ものばかりに囲まれて、私が目指している、芸術の星、美の宮殿が益々遠くなっていき、芸術的な美的感覚が失われそうで、何だか、淋しいです・・・。

実際オンラインレッスンになった場合、スマホにしろ、パソコンにしろ、どこから始めればいいのか?私が、大学生達をレッスンしているときに、他の学生達もレッスンを見ているの?私と相手が一緒に弾いて、その画面を見ながら、弾けるのかな?わけがわかりません!

初めてピアノを習う全くの初心者の方達もきっとこのような疑問を持たれる方は多いのでは、と思います。

以前、まだ私が若くて、生徒さんを教え始めたばかりの頃、「何番から(指使い)弾きますか?何の音から始めるのですか?」とか、
「この音で合っていますか?」とか尋ねられた時に、びっくりしたけど、私も全てがオンラインレッスンになってしまったら、初めはすごく戸惑うと
思います。

そこで、お若い方達の出番です!こういうことは、1日中スマホを見ている最近のお若い方達が得意だろうと思います。
私の場合、ピアノは、遊んでいるうちに教えられなくてもテレビから聴こえてくるアニメの主題歌など、耳から入ってきたものをパっと両手で弾いたので、全く苦労がありませんでした。音の読み方なども習ったこともありません。そんな感じで、スマホで、普段から、ゲームなどをしょっちゅうしていれば、遊びの延長上にオンラインというものもやっていけるのだろうなと思います。

私みたいに、ピアノ一筋人間は、オンラインのやり方自体、「電源入れて、まず初めに何をしたらいいのか?」というところからスタートですね。
初心者というものはそういうものだから、ピアノを教える時に相手がわかっているものと思って指導してはいけない、一の一、初めの第一歩から教えてあげなくてはいけないんだなあと改めて感じました。

学生の時もよくありましたね。授業の時、先生が、時々わからないところがあったら、質問してくださ~い!と言われたりしますけど、
「全部!その質問がまずわからないから、質問が出来ない!」ですよね(笑)。

質問が出来るという事は、意味がわかるから、疑問がわいてくるのですね。

全くわからない初心者に初めの第一歩から100パーセント相手の立場になって教えてあげられる先生は、本当に素晴らしい先生なんだと思います。


令和2年4月16日(木) 本当のグローバル化は、英語や、ITの能力ではない

生徒さんから、「先生は、きめつのやいばって知ってますか?先生の好きな漫画は何ですか?」とレッスンノートに書いていたので、
「先生は、その漫画は知らないけど、面白いことなら、何でも好きよ。心のためになるいいものなら・・・。でも、見ていて気持ちの悪いものは、全て嫌いです!」と答えました。

あらゆる年代の生徒さん達が私の知らない、今流行っていることを教えてくれます。可愛いです。生徒さん達の心を知るには、生徒さん達が、
興味を持っていることに関心を寄せることが大事だと思うからです。

私は、小さい頃、「かさこじぞう」や、「いなばのしろうさぎ」「舌切り雀」「はなさかじいさん」「さるかに合戦」等の、日本の民話、
イソップ物語、アンデルセンや、グリムの童話「白雪姫」や、「シンデレラ」その他、「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」などなど、好んでよく読んでいました。

その物語の共通しているところは、今振り返ると、「人の道」を教え、他の生き物をいじめると、必ず自分もやり返されるといった教訓が含まれていたと思います。
偉人伝も大好きでした。

以前、藤原正彦さんが書かれた本「グローバル化の憂鬱」をとても共感して読みました。
「またもや、英語とITか」というタイトルで書かれた項目は、特に共感しました。

藤原さんは、グローバルな人材というが世界に出たら、勝負は、英語やITの能力ではない、教養と人間性の勝負なのだ、
そんなものよりも先に、まずは、小学生に、できるだけ、多くの物語、詩、偉人伝などを読ませ、感動の涙と共に夢、正義感、勇気、弱者への思いやり、卑怯を憎む心などの情緒力を培い、家族愛、郷土愛、祖国愛などをはぐくむこと、美しい自然や、芸術に親しみ、美的感受性を高めること、これらが人間の骨格を作る…のような内容で書かれていますが、私もそう思います。

そして、世界中の子供達に、「人の道」を徹底して、教えること、この点で、最も大きな責任を持つ親は、卑怯だけは絶対に許さない、という姿勢を幼いうちから、力ずくでたたき込まねばならない、そして、思いやりや、弱者への涙を詩、童話、物語、小説などを通して培う事だ、

科学や技術が進歩して、人間は格段に賢くなったように見えても、人間社会が健全で幸福であるためには、昔からの「人の道」を教えることしかない、そして、この世のあらゆる悪い事は、大抵これら情緒の欠如にある、と書かれてあることも、同感でした。

生徒さん達を見させて頂いて、ピアノを教えるという事は、単にピアノの事だけを教えていては、ダメで、人間として一番大切な「人の道」を教えることが、最も大切だと私は、自分の体験から強く感じています。


令和2年4月15日(水)ピアノと共に歩んだ道のり・・・ウィーン国立音楽大学の学生証(1994年~1998年時代)


←ウィーン国立音楽大学の私の学生証。ウィーンの国章「鷲」の絵が書かれています。

私が学んだ、1994年~1998年の間、ウィーン国立音楽大学のドイツ語での正式名称は、
ホッホシューレ フュア ムジーク ウント ダルシュテレンデ クンスト イン ヴィーン
でした。

1998年から、現在の、
ウニヴェルズィテート フュア ムジーク ウント ダルシュテレンデ クンスト ヴィーン
と名称が変更されました。

学生証を見せると、楽譜も借りられます。



←4年間使った、私の学生証の中身。22歳入学当時の写真をホッチキスで、止めただけという簡単なものです。マトリケルヌンマーは、入学番号(学籍番号のこと)です。
左下の「イワノ メグミ オールデントリッヒェ ヘーレリン」は、ちゃんとした、ウィーン国立音楽大学の正規の学生ですよ、という意味。

シールをゼメスターごとに貼り変えていきます。

ここが、「ガストヘーレリン」となっている人は、「聴講生」です。時々、自分の受験した科を間違えて、
「聴講生」になってしまう学生さんもいらっしゃるので、ドイツ語で要項を書くときに充分気をつけて・・。

当時は、学生証の収入印紙が120シリング(1200円)でしたね。



ウィーン国立音楽大学の正規の学生として認められると、いつも学生証は、肌身離さず持っていなければなりません。バスや、地下鉄、電車など、学生証を見せれば、平日は、午後から、土、日は終日乗り放題の定期券など、買えます。近隣のヨーロッパの国へ行く場合も26歳までなら、
学割がきく旅行会社で、随分と安くチケットを買う事が出来ました。
いずれにせよ、日本とは比べ物にならないほど交通費は、安いなと感じました。

オペラ座、ムジークフェライン(楽友協会)、コンツェルトハウス、などの、音楽会のチケット、美術館や、博物館、シューベルトの生家や、ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書の家などの作曲家が住んだ家、その他、
ウィーンの歴史的な建物内の見学など、全て、この学生証を見せると学割がききます。

プラハで、パスポートを盗まれた友人と共に、「盗難証明書」をプラハの警察ですぐ発行してもらえたのも、この学生証があったからこそです。
パスポートを失くしても、学生だという事がわかると、ウィーンにその日のうちに帰してもらえました。

私のような外国人留学生を受け入れてくれて、オーストリアの国家の税金で学ばせて頂けたわけだから、ウィーンには、今でも格別な愛を感じています。

ウィーンも、日本人、中国人や韓国人などのアジア人、他、移民が、増え過ぎましたから、何もかも、現在は、日本の東京と変わらないくらい、かなり物価は高くなっていると思います。

又、私の時代は、大きな事件は、地下鉄サリン、阪神淡路大震災で、日本だけの災害でしたが、コロナは、世界中の災害だと思うので、病気まで、グローバル化してしまったんだなあと思います。


令和2年4月13日(月)ウィーン日記から 23歳当時 アルゲリッチのコンサート

←フランス、エトルタの断崖。

クロード・モネの素敵な絵画の舞台となった場所です。

(2009年9月4日 エトルタの断崖の絵葉書)









←実物のエトルタの断崖の前で。ザア~ッという音がものすごいです。風と共に白い波しぶきがあがる様子はとてもダイナミック。ヨーロッパの中で海を見たのは、アイルランドのダブリン国際コンクールを受けに行ったとき以来初めてでした。


(2009年9月4日撮影)








←1995年4月2日23歳当時聴きに行った、アルゲリッチとラヴィノヴィッチの2台のピアノのコンサートのチケット。120シリング、1200円でした。

(ウィーン、コンツェルトハウスで)










1995年4月2日 23歳当時のウィーン日記から・・・

アルゲリッチとラヴィノヴィッチの2台のピアノを聴いた。
ラヴェルのラ・ヴァルス、そしてアンコールのマメールロワ、ラフマニノフの組曲2番がとても良かった。
アルゲリッチは、全ての音が、どんなに細かい音も、うやむやにならず、みんな聴こえてくる。

※この時は、コンツェルトハウスのガレリーといって、かなり後ろの席ですが、アルゲリッチのどんな小さな音も、全てが鮮明に聴こえてきました。はるか遠くまで伸びてゆく、奥行きのある澄み切った音色は、大事ですね。
歌手もそうだと思いますが、美しい声(素材)をまず持ち、そのうえで、歌詞がはっきり聞こえ、そこに歌心がこもると、その音楽の意味がよくわかります。ピアノの音もモヤモヤしないように、しかし、しなやかな音で、意味がよくわかるように発音します。
ピアノの音を1音鳴らしただけで、綺麗に響くのは、それだけで、魅力的ですね。食べ物の素材と同じで、まずは、そこだと思います。素材がよければ、そのままでもとても美味しく食べられる。けれど、素材が悪ければ、いくら色々と調味料を使っても、どこか、パッとしない。素材の良さ、ピアノの音色が美しい事は、ピアニストにとって第一条件だと思います。


令和2年4月12日(日)ピアノのレッスンは、オンラインは難しいと思う (特に初心者の方にとって)


←スコットランド、ショパンは、新天地を求めて、パリからロンドンへ活躍の場を見つけるために渡ります。

しかし、階段を上る時も、おぶってもらわなければならないほど、衰弱して「この世界が私から滑り去っていくようだ」と言います。

(2013年9月18日、スコットランドの絵葉書)







遠隔地から通っていらっしゃる大学生の生徒さんから先日、久しぶりに連絡があり、その大学は、前期の授業が全てオンラインになったと聞きました。

私は、普通の学科の授業は、オンラインでもいいと思いますが、ピアノのレッスンだけは、オンラインは難しいと思います。

なぜなら、ピアノの音は、心を落ち着けて、静かに耳をじっと澄ますこと・・・・。

そばで弾いて下さる先生の音も、自分の音も、上のスコットランドの湖みたいに心をまっさらにして、清らかな心でよく「聴いて」澄んだ音を出すことが大事だと思うからです。

先生が話されているときの声の調子や、熱がこもった空気感、呼吸や、音の中のほんの少しの表情の違いも聴き取り、読み取らなくてはならないのです。

これは、オンラインレッスンでは、不可能です。ずっと画面を見つめていると、何だか気が散るし、本来の耳をそばだてて音をじっくり聴くことが出来ません。

それと、お若い方には、いいのかもしれませんが、私くらいの年齢になると、目がチカチカして頭まで痛くなってきて非常に悪いです。

人間の脳は、最後まで一番長く使える武器です。その脳の中まで悪くなってしまわないように、音楽まで、ロボット化してしまわないよう、私は、
コロナそのものよりも、音楽家がロボットみたいにならなければいいなあとそれを一番不安に思っています。

バッハや、ベートーヴェン、モーツァルトや、ショパンなどの大作曲家が生きていた頃は、そんなものがなかったからこそ、こんなに美しい音楽が書けたのだと思います。

又、オンラインでずっとパソコンとか、スマホばかり見つめていると、私くらいの年齢では、せいぜい働いても、あと20年くらいなのでいいですが、まだ、お若い方達は、先が長いのに、目が相当悪くなるのではないかと心配です。

私は、やはり、人間の生きた刺激がほしいです。今回、こうなってしまったのは、人間が、自然をいじめた結果そうなってしまった気がします。

生命のネットワークは、いつでも、自然と共存していることだと思うのですが、この共存していることを忘れて、行き過ぎた、状態になっています。

インターネットによって、世界の情勢を知ることは、いい事も沢山ありますが、悪い事も沢山あります。何事も、バランスが大切だと思います。



令和2年4月10日(金)恩師の存在、いくつになっても有難い

昨晩、私のウィーン国立音大時代の恩師の奥様から、国際電話を頂きました。
「めぐみさん、大丈夫?ウィーンは、もう大変なことになっているのよ。ウィーン国立歌劇場も6月末まで閉鎖でしょ?
勿論、音大も全て、何もかも閉鎖になってね。イギリスもひどいわよ」。息子様も、ウィーンフィルのメンバーだから、あらゆるところで、大混乱が起きているそう。
ヨルダンにいる親せきは、屋上で、ジョギングするとか。外出すると、警察に逮捕されるのだそうです。買い物にも行けなくて、食料品を乗せた車が来て、やっと物を買えるのよ、日本は、まだ、そこまで、蔓延していないからいいわね、との事でした。

恩師の存在は、いくつになっても本当に有難いです。音楽家として、仕事に影響が出ていないか心配して下さっているのです。
私の事を家族と思っていつも気にかけて親身になって下さることに感謝の気持ちで一杯です。

←ウィーン国立歌劇場のチケット。100シリング、日本円で1000円です。
バレエのロミオとジュリエット、マラーホフのパントマイムには、本当に感激しました。
言葉がなくても、顔の表情、指先、背中、頭のてっぺんから、足のつま先まで、音楽を肉体が奏でていました。言葉がないのに、今、何を伝えたいのか?全て、私に伝わってきました。
しかも、遠くから見る席でも、エネルギーがしっかり届くのです。そんなマラーホフの魂のこもった演技に何回涙したかわかりません。
ピアノのレッスンでは、どうしても理解出来なかった大切な事が、この時、初めて理解出来ました。

それと同時に、そんな気持ちになれるプロコフィエフの音楽の偉大な力は、すごいと思いました。

音楽をやっている自分は、何と幸せなのだろうと、心の底から思えた感動体験の1つです。
(1995年1月25日)


←ウィーンのシュテファン寺院の前で。
今は、この場所も閑散としているでしょうね。

(2008年8月25日撮影)










1995年1月25日 23歳当時のウィーン留学日記から・・・

今日は、国立オペラ座へ行って、ロミオとジュリエットのバレエを見た。出演者のロミオ役の男の人とジュリエット役の女の人がとっても素晴らしくて今まで見た中で一番良かった。2人で一緒に踊るところが素敵で本当に感激した。もう一度見たい。

※まだ、マラーホフの名前も、その人が、100年に一度出るようなダンサーかも、まるきり知らない23歳の私でしたが、他のダンサーとは、明らかに違いました。魂のこもったパントマイム、身のこなしや、着地の仕方の質感の高さ、音楽を聴いてその表情をよくとらえている、ずば抜けた音楽性の高さに感嘆したのは、勿論ですが、何より、訴える力がすごかった。ピアノの演奏も、これなんだなと・・・。マラーホフの踊りには、
どんな部分にも全て、言葉がないのに、セリフが聞こえ、身体が、ヴァイオリンの楽器のようにしなやかなメロディを奏でている・・・。本当にすごいと思いました。


令和2年4月9日(木)ウィーン留学日記から・・・見ず知らずの方達からも沢山の愛を頂いた

←アンドラーシュ・シフのコンサートのチケット。ウィーンのコンツェルトハウスで。

右端が、いつもちぎれているのは、チケットを切るためです。チケット代が0シリングとなっています。無料でした。

(1996年6月15日24歳当時)








1996年6月15日 24歳当時のウィーン留学日記から・・・

オーケストラが、カメラータ・アカデミカ、ピアニストにアンドラーシュ・シフを迎えてのコンサートに行った。入り口の所で、男性の方から、無料チケットを下さるというので頂いた。
ベートーヴェンのシンフォニー1番、ベートーヴェンのコンツェルト1番、モーツァルトのコンツェルト27番だった。
ベートーヴェンもモーツアルトも弾き振りだった。
バレンボイムは、さすがにベートーヴェンがすごかった。シフのモーツァルトは、とても良かった。この曲の清澄で、かつ優しい静かな安らいだ音にとてもマッチしていて気に入った。


※ウィーンに住んでいる頃、コンツェルトハウスの当日券売り場で、チケットを買おうとしていると、「このチケット、貴女に無料であげます」と
言って下さることが何回かありました。
ムジークフェライン(楽友協会)でも、内田光子さんのリサイタルを立ち見で聴いていたら、年配の女性の方から、「このチケットあげるから座って聴きなさい」といって、前の方で、内田さんの素晴らしい演奏を満喫出来ました。
私が、ミュンヘンのアイヒェナウに滞在していた頃も、「日本人の方ですか?日本食が恋しくなるでしょう?私の家で、一緒に食事しませんか?」とお声をかけて頂き、コロッケをご馳走になりました。
又、いつかチロルに行ったときには、帰りのバス停が見つからず、雪道をトボトボ歩いていたら、「駅まで、乗りなさい」と車を止めて乗せて下さいました。
いずれも、まったく見ず知らずの方から、お声をかけて頂き、人の優しさに沢山触れることが出来ました。
何れも、「一期一会」の出会いですが、私にとっては、「観音さま」。異国の地で日々、そういった、人の優しさに触れるたびに、私は国籍や、言語は異なっていても、皆、奥深いところでつながっているのだなあとつくづく人の親切を有難く感じたものでした。


令和2年4月8日(水)道草によってこそ、その道の味がわかる

←ウィーンフィルのチケットも50シリング、日本円で、500円で聴けました。(立見席ですが)

指揮は、リッカルド・ムーティ。演奏後、気軽に楽屋を訪ねることが出来るのがいいですね!気軽にサインもして下さいました。

(ムジークフェライン楽友協会ホールで、1995年1月6日)

23歳当時の私のウィーン日記には、行ったコンサートのチケットは、こうやって、糊で貼ってあるので、はるか25年も昔の事が、全部よみがえります。








←これが、その時のリッカルド・ムーティのサイン。

プログラムは、有料です。それは、日本と違いますね。











昨日、緊急事態宣言が発表になり、私は、今回の件で、いつも思い出すのが、河合隼雄さんの本、「こころの処方箋」の中の「道草によってこそ、「道」の味がわかる」という項目です。

お若い学生の皆さんは、特に今回の事で、一番、大切な時期を無駄にしてしまっていると考える方も少なくないと思います。
しかし、私が思うには、自分の体験も含めて、案外、道草を食っている、というのは、悪くないなと思えるのです。

なぜなら、目的地にいち早く着くことのみを考えている人は、その道の味を知ることがないままだからです。

このあたりが、人間の面白いところで、道草を食っていると、しまったと思って、頑張ったりするから、全体として案外つじつまの合うように人生出来ている、
道草によってこそ、道の味がわかると言ってもそれを味わう力をもたなければならない・・・・・のような内容で河合さんは、書かれていますが、
同感です。

なので、生徒さん達には、「今まで通り、練習を続けてね。必ず、あの時一生懸命やっていたことが、全て今の自分を支えている、そう思う時が、必ず来るから」。と話しています。

「心配またよし」です。人生常に何らかの不安がありますが、それを懸命にひたすら乗り切っていくところに、人間としての大きな生きがいも感じ、人生の深い味わいも感じることが出来るのだと思います。


令和2年4月7日(火)ウィーン留学日記から・・・リヒテルの演奏会 

←スヴャストラフ・リヒテルのピアノリサイタルのチケット、ウィーンのコンツェルトハウスで。

1995年23歳当時、前列から4列目で、100シリング、日本円で1000円です。
ウィーン国立音大の学生証を見せると学割がききます。日本と比べると、びっくりするような安さですね。

(1995年3月13日)


4年間の間、留学出来る年数は限られているのだから、今しかない!毎晩のようにコンサートに通いました。





1995年3月13日 23歳当時のウィーン日記から・・・

コンツェルトハウスへリヒテルの演奏会へ行った。ハイドンのソナタ51番、47番、レーガーの連弾だった。
譜面を見て、譜面台の横の所だけに小さな電気を置いて、明かりはとても暗かった。
音色がこの世のものでない天国のような音だった。


※リヒテルは、晩年は、楽譜を置いて、演奏されていました。私は、バッハの平均律のCDを持っていますが、同じ音でしたね。
天国に行った音なんて、行ったこともないけれど、そういう感覚が沸き起こる演奏でした。

演奏会に行くと、CDを聴いたときと、実際の生演奏の音とちょっと違うな、と感じることもよくありました。
一番そう感じたのは、アシュケナージ。CDでは、音がパ~ンとこちらに来る音で、輝いていますが、ムジークフェライン(楽友協会ホール)で聴いた、アシュケナージの音は、こもっていました。
ポリーニは、私の周りでは、冷たい表現と言われていましたが、生の演奏は、全然そうでない。ものすごく、情熱的で、こちらも頭に血がのぼるくらい、激しい演奏でした。
それでいて、全然、バランスが崩れず、完璧。

完璧主義者な彼にふさわしい演奏でした。


令和2年4月6日(月)シンプルで真っすぐな思い


←ポーランド、ワルシャワにある、天文学者コペルニクスの像の前で。

コペルニクスは、ポーランドのパン屋の息子でした。

(上下共に、2010年8月24日撮影)


























明日から、始まる予定だった、高校もお休みになりました。大学もそうです。私は、自分が、3歳の時、肺炎で入院して、重症になった体験があるから、どんなに苦しいかがよくわかります。感染された方々は、一日も早く回復されますよう、お祈りしています。

私は、元々おうち大好き人間!1日家にいてもやることは、いつも山のようにあります。自分のピアノの研究や、生徒さん達のレッスン、本を読んだり、日記を書いたり、お料理したり、アイロンがけしたり・・・どこにも行かなくても、次から次へ楽しみを見つけ出しています。

世の中が、暗いニュースばかりだからこそ、家の中でも楽しめるピアノを学習している皆さんに役立つこと、ピアノを習っていなくても、楽しく読んで頂ける日記をこれからも書いていきます。

私自身の留学時代の日記や、生徒さん達の様子、私が、これまでに自分で試してみて、良かったよ、と思うことは、全部書いていきます。
私が、日記を書く上で、とても大切にしていることがあります。

それは、真実を書く、という事です。

本当の事しか書かないので、刺激的な事が好きな人には、面白くないかもしれません。しかし、飾りがなく、とてもシンプルな私のまっすぐな思いが、ピアノ学習者の皆さんのためにお役に立てれば、嬉しく思います。



令和2年4月4日(日)本当の実力つけることが大事


第10回ヨーロッパ国際ピアノコンクールin Japanから、賞状が送られてきました。

生徒さん達が、熱心に頑張ってくれたお陰です。有難うございました。















私の教室では、コンクールを受けたい人も、受けたくない人も皆、自由にさせています。
自分が、学生の頃、受けてきたコンクール体験では、コンクールの曲をやりつつ、ハノンやツェルニーのような、基礎力がきちんと養われるものもやったうえで、コンクールに参加していました。

1年間の間に、やった曲が、コンクールの曲だけというのは、本当にピアノが上手くなりたいのなら、あまり、いい事ではありません。
子供の時は、それで、何とかなっても、大人になってくると、実力の差が歴然と目に見えてきます。

私の学生時代では、ハノンは、最初から最後まで、毎日練習して、スケール、アルペジオも小学1年生の時から、全調練習していましたね。
和声感も培われますし、大事です。ツェルニーは、100番、リトルピアニスト、30番、40番、50番、60番、左手のための24の練習曲、その他、テクニックをつける基礎力になるピッシュナ、クラマービューロー、モシュコフスキーなど、ありとあらゆるものを弾きました。

コンクールの曲だけで、実力つけて、賞を取ろうとしてもそれは、無理です。バッハなら、アンナマグダレーナから始まって、インヴェンション、
シンフォニアを経て、平均律、フランス組曲、パルテイータ、イギリス組曲・・・バッハの作品だけでも、沢山あります。沢山弾いていくうちに、トリルの入れ方、アーテイキュレーション、テンポ感なども、沢山やってこそ、わかってくるのです。

なので、バッハの曲を、数える程しか、弾いたことがなければ、新しい曲になったとき、又、一から、
どこをどうやって、弾いていいかもわかるはずがないのです。

少ない器で、コンクールに入ったとしても、それは、その場限りの事であることも、非常に多いのです。

この世の中、本当によくしたもので、「楽して、いいとこ取り」は、絶対に出来ないようになっています。

地道な、本当につまらないと思える作業が生活の一部となり、楽しいと思えることこそが、「美の宮殿」に近づける第1歩です。誰も見ていなくても、誰も拍手してくれなくても、地道に、陰で他の人のやっていないような根気強い作業をやることで、確実に、正しく譜を読む力もつき、本当の実力がついてきます。

「芸術の星」へ近づいていくためには、1つ1つの小さな積み重ねがあってこそ、本物が生まれます。

なので、いつでも、物事は、うわべだけ見て判断してはいけないと私が思うのはそういう理由からです。


令和2年4月2日(木)1年に1度の桜
















今日は、生徒さん達のレッスンの合間に、近所の桜を見に行ってきました!

毎年、「花見」というより、「人見」というくらい、沢山の人で、にぎやかですが、今年は、静まり返っています。桜も、大勢の人が沢山見に来てくれると、張り合いがあって、精一杯咲こうとすると思いますが、閑散としていて、どことなく、淋しそうに咲いています・・・・。

私はといえば、幼い頃から、現在に至るまで、ピアノ生活をずっとしてきていますので、外に出れなくても、何の不都合も感じていません。
学生の時から、夜、飲みに行くなんてことも一切なく、社会人になっても、ずっとその生活は変わりません。
私にとっての遊びはピアノだから、色んな曲を弾いて、楽しんでいます。「遊びの延長が職業になっているんだから、うらやましいな」と会社員だった父は言います。


来週からは、高校も始まります。又、生徒の皆さんと楽しく「ピアノの道」を歩みます!


令和2年4月1日(水)ウィーン留学時代の日記から・・・好きだった、バッハのパルティータ


←ドイツ、ライプツィッヒにある、「アウアーバッハス・ケラー」。

ゲーテや森鴎外も通った、名物レストランです。

ゲーテの「ファウスト」のさまざまな場面が壁画になっています。

和服を着ている男性が、森鴎外。森鴎外は、「ファウスト」を翻訳しました。

(2011年12月21日撮影)






1995年4月1日 23歳当時、ウィーン留学中の私の日記から・・・・

月刊ウィーンをもらいにケルントナーシュトラーセ(通り)まで行った。
母から、FAXが届いた。すごく風の強い日で、雨も降った。
今、ブラームスOp.119、ドビュッシー映像2集、スクリャービンエチュードOp.42-1、3、5、そして、バッハのパルティータ6番をさらっている。

※今から、丁度25年前の日記です。パルティータは、どれも好きですが、ウィーン国立音大で、私がまず初めにレッスンを受けた曲は、6番でした。
そのあと、有名な1番を弾きました。若くして白血病で亡くなられた、ディヌ・リパッティの1番の演奏は、涙が出ます。神です。
4番も大好きで、特にイェルク・デームスのレコードは擦り切れる程聴きました。