令和2年3月31日(火)ラヴェルと「8時だよ、全員集合」の話をした矢先に・・・


←ビエ~ッ!!泣き叫んでいる1歳の私、三重の東谷の社宅で。やっと立てて怖かったのかな?

2年後には、一生を共にするピアノが後ろに・・・。















←2歳半の頃の私。お習字でお遊び。その後引っ越した三重の家で。













先日、ラヴェルを弾いていた、生徒さんのレッスンで、ラヴェルと志村けんさんの人物像をお話ししました。

ラヴェルは、自分の創作をするために、「孤独」を愛していたと思う、そのために、いつも彼の芸術の純粋さが外からの影響から侵されないように護られていたし、
彼自身、自分に天分を与えられていたことを常に自覚していて、芸術に身を捧げる責任を負わされていたと思う・・・・という話から、志村けんさんの話になっていき、きっと志村さんもそんな方だったんじゃないかな?人を笑わせていても、普段は、すごくシャイで寡黙なひとだったと聞くから、きっとラヴェルと志村さんの芸術は、やっていることの違いはあっても、深いところでは、突き詰めている部分が似ていると思うよ。・・・と話しました。そういった意味で、芸を磨き続ける人は、皆、奥深いところでつながっているのを感じます。


お若い方達はあまり、知らないと思いますが、「8時だよ、全員集合」の番組は、私達の年代の人なら、きっと幼年時代、皆さん見ていらっしゃったことと思います。
流行りものには疎い私でも、知っているくらいの番組ですから、余程有名な番組だったということがお分かりいただけると思います。(笑)

私は、特に、オープニングとエンディングの歌が大好きでした。「ババンババンバンバン!」終わりに、加藤茶さんが、呼びかける
「風邪ひくなよ!」「お風呂入れよ!」「御飯一杯食べろ!」等のかけ声が子供の心にスッと入ってきて、嫌な事があっても、明日からも頑張ろう!そんな気持ちになれました。又、コントは、面白すぎて、笑いが止まらなくなるから、「ほら、又、喘息が出るよ。笑い過ぎたら、ゼーゼーなるよ」と親から注意されたり。

私の子供時代は、大人も、子供も、人数が多くて、騒がしくて・・・・怒ったり、ケンカしたり・・・。
嫌な事も多かったけれど、人と人とがぶつかり合えて、熱い時代だったな・・・とにかく、活気がありました。物もなく、食べるだけでも必死の時代だったけれど、皆、目標に突き進んでいていい時代だったな・・・と昭和の時代を懐かしく思い出していたら、志村さんのニュースを
聞いてびっくりしました。

生徒さんにレッスンで志村さんとラヴェルの芸術について話したばっかりだったから・・・・。

人間の一生はあっという間。だからこそ、皆と仲良くお友達でいたいです。



令和2年3月29日(日)相手の立場になってみれば、腹の立つことなんて何もない


←先日の門下生コンサートで、私との写真を入れて、作成して下さった生徒さん。どうも有難う!

初めての門下生コンサート、周りの門下生の方達が、いい方達ばかりで、とても楽しかったそうです。











他の生徒さん達からも、特に今、コロナのニュースばかりで、気分が落ちていたけれど、
気持ちが前向きになれた、開催して下さって、本当に有難う、というお声を沢山頂きました。皆さんに喜んで頂けて開催して本当に良かったです!

「小さい頃から、ずっとピアノを続けていると、あんな風に上手にきちんと弾けるようになるものですか?」

「どうして、右手と左手が同時に動くのですか?」

「どうやって、指導されているんですか?」

沢山、ご質問、感想を、頂きました。皆さん、有難うございました。
3つとも、ピアノを弾かない方達にとっては、その部分が一番の疑問であり、私達からすると、とても難しい質問です。

小さい頃から、ピアノを弾き続けていると、上手にきちんと弾けるようになるかという質問は、毎日続けていければある程度の所まで指導によって、何とかなると思います。

右手、左手が、同時に動くという問題は、私もよくわかりません。どうして、同時に違う動きを取れているのかは、謎です。

どうやって、指導するか?は、相手が理解できるようになるまで、何回でも同じことを繰り返します。これは、途方もない忍耐強さがいります。
しかも、腹を立てず、怒らずに・・・・。
「何べん同じこと言わせるの!前言ったでしょ!」これは、禁句です(笑)
半年でも1年でも、何年かかっても同じことを言って聞かせる。これは、とても大事だと思います。

もし、私が、ピアノとは、違う分野の事を、誰かから教えて頂くとします。何回言われても、理解出来ないときに、「何べん言ったらわかるのか!
本当にお前は、飲み込みが悪いな」などと言われたら、すごく悲しくて辛い気持ちになると思うのです。
もし自分が逆の立場であったら、教えてもらうときの自分が、どんな気持ちになるのかをいつも考えていれば、自然と、腹が立つことも何もありません。
そこにあるのは、何とか、相手が幸せになってほしい、ただ、それだけ。慈しみだけです。

上手に指導するとは、100パーセント、相手の立場になれることなんだと思います。


令和2年3月27日(金)見たり、聴いたりしていくうちに、自然になじんでいく踊りの特徴

門下生コンサートが、無事に終わり、生徒さん達は、早速、PTNAの課題曲を練習しています。丁度この休み中に、生徒さん達は、ピアノがいつもより、練習出来たり、CDを聴いて研究の時間が沢山取れるから、嬉しいですね!今日の生徒さんもPTNAの4曲、とても熱心に練習して、レッスンに持ってきていました。今度は、生徒の皆さん、5月31日の弾き合い会に向けて張り切っています!
←これは、折り紙で作ってあるグランドピアノですね。足も3本ちゃんとあって
とても上手ですね!他の生徒さん達からも、お手紙を頂きました!

皆さん、感想を沢山頂き、どうも有難うございます!とても嬉しかったです!









先日、ショパンのマズルカを弾いている生徒さんに、「沢山のCDを聴いて、マズルカとは、どんな踊りの特徴があるのか、聴いて研究するといいですよ」。というお話をしました。マズルカの中にも、クヤヴィヤク、マズル、オベレクのようにゆっくりしたものから、早いものまで色々あり、ショパンが毎日書き溜めた音楽での日記みたいな感じです。

私達日本人は、「月が~出た出た~・・・」のような、炭坑節とか、東京音頭とか、盆踊りのような音楽は、教えられなくても、大体の手拍子の取り方や、テンポ感は、誰でもなじんでいると思います。
←唯一好きだった、夏休みの盆踊り大会。幼稚園の頃の私。(下の写真、右から2番目。)やぐらの上で踊っている人を見ながらまねして踊っています。

浴衣の後ろに背番号を張ってもらい、誰が一番上手に踊っているかを
審査員が判断します。

上手に踊っていたという事で、賞を頂き、ユニーの鉛筆1ダース頂いて、すごく嬉しかった盆踊りの想い出です。


ウィーンの人にとってのウインナ・ワルツ、ポーランドの人にとってのマズルカが、私達日本人にとっての盆踊りみたいなものだと思うから、まず、感じとることが大切です。ウインナ・ワルツの3拍子が、均等でなく、2拍目を早めにずらし、3拍目にいくまでの間を取る・・・などと言葉で、説明不可能なように、マズルカも沢山聴いて、まず、感じとることが大事です。


まず、まねることから、ピアノの上達は、始まります。語学もそうでしょうし、美術もそうです。私が、ヨーロッパ各地のあらゆる美術館を見たときに、地べたに座り込んで、美術の学生たちは、絵画をまねして書いているところを度々見かけました。まねを沢山していくうちに、自分の色んな色が出せるようになります。

いいなあと思う事を、すぐ、自分のものに取り込んで真似できる人、これこそが、学習するということであり、すぐ、違いを気づくことのできる人は、学習能力の高い人です。

私が学生の頃、自分が練習する曲のCDは、必ず何枚か聴いてから、練習を始めました。そうすると、自然に譜読みも早くなってきます。


何枚か聴いていくうちに、好みの演奏が出てきます。そして、これは、上質だなとか、これは、おかしい、というものも判断がつくようになります。

そういった意味で、その子が、自分で発見、気づくことを手助けしてあげられることが、教え導くという事なのだと思います。


令和2年3月25日(水)皆さん、お花みたいです!


門下生のお母様が、お写真を添付してきてくださいました。皆さん、ドレス姿が、お綺麗でお花みたいです!ステージで演奏するドキドキも、
非日常の雰囲気を味わえてワクワクしますよね!















私も、生徒さん達も門下生コンサートにいらして下さった方達も私の周りは、皆、元気なのに、外に出かけると、何だか、街全体がショボ~ンとした感じです。
丁度、私が、ウィーンへ留学していた頃のウィーンが、人は少ないし、土の午後、日は、お店が閉まっているし、祭日は、しょっちゅうあるし、何だか、休みだらけ、といった印象で、気ぜわしい東京の生活に疲れ果てていた私は、音楽をやるのに、ウィーンは、静かで落ち着いていていいなあ、なんて初めの頃は、
思っていました。

しかし、4年間たつと、そのしょんぼりした感じに飽きてきて、日本に帰国すると、確かに、皆、走っていて、忙しそうだけど、何か、活気があっていいなあ!と思いました。
早く、音楽家として仕事がしたい!そんなワクワク感を胸に日本に帰国しました。

先日、フランスに留学中の生徒さんが、日本に帰ってくるのに、相当、大変だったようで、30時間もかけてやっと帰れたとご報告いただきました。

家に帰ってきても、ご両親様に何かあってはいけないからと家庭内隔離をしているとの事です。

さぞ、大変で不安な毎日だと思いますが、生徒さん達が、真っ先に私を想い出して下さるのがとても有難いです。

フレッシュな生徒さん達、現在の生徒さん達、卒業された生徒さん達、皆さん、私の大事な大事な宝物です。皆さんが共存しあって、影響を受け続けているのが、よくわかります。

私は、1人1人の生徒さん達の人生をまるごと抱えるくらいの思いで、向き合っています。そんな思いで見させて頂いた、生徒さん達のゆくえは、自分が生きた証でもあり、芸術作品でもあると思うので、将来どうなっていくのか、どこまでも、見ていたいです。


令和2年3月24日(火)門下生コンサートの様子から・・・


←合格インタビュー。4月から、憧れの明和高校音楽科に通うことが出来る喜びに胸をふくらませています。おめでとうございます!嬉しいですね!












←就職インタビュー。小学2年生の頃より、椙山女学園大学を卒業するまでの14年間の長きに渡り、通って下さいました。
4月から、長年の夢だった小学校の先生(音楽だけでなく全教科受けもつ教諭)になられます。

ピアノ、学科、人物全てにおいて、優秀な学生に贈られる、椙山女学園賞(令和元年度学園表彰)を頂き、表彰されました。(椙山女学園大学のホームページにもアップされています。ご興味のある方は、ご覧ください)。

今の時代、特に、他人の気持ちや、痛みをとても良く理解して、人の話をよく聞くことの出来る先生が求められています。立派な人格は、一生通用する唯一の宝です。私も彼女から、沢山の事を教えて頂きました。今まで本当にどうも有難う!

沢山の生徒さん達から、お手本になる先生になられることと思います。

←新入生インタビュー。

皆さん、それぞれの夢に向かって頑張ってくださいね!











←幹事さん達、1年間、何もかもお世話になりまして、本当に有難うございました。
長いお手紙、時間がかかって大変だったこととお察しいたします。
幹事さん達、保護者の方々、いつも応援して下さり、有難うございます。
1回目からずっと素敵なアナウンスをして下さり、演奏もして勇気を下さるピアノの先生は、門下全員の力強い味方です。



←お母さまが、写真を添付してきてくださいました。

終演後、皆、楽しそう!

人と人との関係が希薄な時代だからこそ、いざという時に頼り、頼られの関係を作っていることが、とても大切と思います。

門下生同士、皆さん、とても仲良くされているようで、嬉しいです。悩みを1人で抱え込まずに、風通しの良い教室であることをいつも大事にしています。

私は、大切な生徒さん達に万が一のことがあるといけませんので、1日マスク姿で、お見苦しかったと思いますが、私も門下生も皆、とても元気です!年配のおじさまが涙をうかべて感動した、と言って下さったと、聞きました。全く、見ず知らずの方にもそんな気持ちになって頂ける音楽の力はすごいですね!生徒さん達の自信につながったと思います。


令和2年3月23日(月)第18回門下生コンサート、無事に開催出来ました!


←昨日、第18回門下生コンサートが、無事に終わりました。











←普段のおまじないは、手をつながずに、隣の生徒さん同士で、背中をポンポンする、
トイトイトイに変えましたよ~!











今年の門下生コンサートは、コロナの心配もあり、最後まで、開催できるかどうか、ギリギリまで、心配していましたが、無事に、開催できまして、
お世話頂いた、幹事さん達を始め、いつもご支援頂いております、保護者の方々、外部の方で、ご来場くださった、全ての方々に、感謝申し上げます。

幹事さんが読んで下さるお手紙の内容のお言葉一つ一つが、心に響き、泣けました(涙)。今年こそは、しっかりと、先生らしく、シャンとしていなければ、と思いながら、やっぱり、又、取り乱してしまい、私の前にいた子供達が、「先生、どうして泣いてるのかなあ?」としげしげと見つめられて尚更、純真な子供達の姿の可愛らしさに泣けました。

フレッシュな生徒さん達、長い事通って下さっている生徒さん達、どの生徒さん達の演奏も、私の心に、沁みました。
聴いて下さった方々の中には、「素敵な音に幸せを感じました。このような状況だからこそか、素晴らしい音の中に身を置けてとても癒されました」。と感想を頂きました。演奏もですが、合格、就職、新入生インタビューも皆さん、素晴らしかったです!

終演後のご挨拶では、「人生で幾多の哀歓があるが、それを音の中に感じられるよう、その深さがわかるまで、道を究めて、深い耳を持って聴けるようになること」と、
「目明き千人めくら千人」の言葉通り、世間というものは、きびしくもあるし、暖かくもあるという松下幸之助さんの「道をひらく」の中にあるお話をしました。

世間には、めくらの面も沢山あり、いいかげんな仕事をやって、見逃されてしまう事もあるが、これに慣れて、世間を甘く見て、馬鹿にしたらやがては、目明きの面にゆき当たって、身のしまるような厳しい思いをしなければならない時がくるということ、

又、いい考えを持ち、真剣な努力を重ねてもなかなかこれが、世間に認められないときがあり、そんな時、世間が冷たく感じられ、自分は孤独だと考え、希望を失いがちとなるが、悲観することはない。めくらが千人いれば、目明きも千人いる。そこに世間の思わぬ暖かさがある。

いずれにせよ、世間は厳しくもあり、暖かくもある。だから、世間にたいしては、いつでも謙虚さを忘れず、又、希望を失わず、着実に自分の道を歩むよう心がけたい、という内容です。

経営の神様と呼ばれた、松下幸之助さんを私は、とても尊敬しており、「道をひらく」という本が私は大好きで、しょっちゅう持ち歩いては、心に刻んでいます。お若い世代の方々にも是非おすすめしたい本です。

私自身、音楽家として長い事、ピアノの道を歩んでこれたのは、いつも目明きの人からの眼差しが常に注がれていたということに感謝の念が堪えません。

音の中にも、そんな人生の深さがわかって聴ける耳を持った人(目明き)と物事のうわべだけ、表面しか聴けない人(めくら)との違いがあるという事を、自分の体験を通して、身を持って知り、松下幸之助さんが、なぜ、あのような素晴らしい経営をされたかが、よくわかり、松下さんの言葉に、全て納得がいくのです。

「人の振り見て我が振り直せ」です。私は、どの生徒さん達の事も、自分にはない長所を沢山持っていて、毎日、生徒さんたちから、学ばせて頂いています。お互いに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めていくのが、自然の理というものであり、繁栄の理でもあると思います。
皆様、私の門下生達を応援して頂き、本当に有難うございました。

来年2021年の門下生コンサートは、3月25日(木)天白文化小劇場で開催致します。又、皆様にお目にかかれますこと楽しみにしております。


令和2年3月21日(土)ドイツからも一時帰国の生徒さん

ドイツに留学中の生徒さんも日本に一時帰国したとご報告を頂きました。
ドイツも爆発的に感染者数が増えて、大学が閉鎖になり、夏ゼメスターの開始が2週間遅れるとのことです。

ウィーンから、ドイツから、生徒さん達が、コロナの影響で一時帰国したと次々と連絡があり、留学中の皆さんは、さぞ、大変だろうなとお察しいたします。

私のウィーン留学時代を振り返ってみると、歴史に残るような事件が、やはり、2つありましたね。
1つは、1995年1月17日に起きた、阪神淡路大震災、もう1つは、1995年3月20日に起きた、地下鉄サリン事件です。

今から、丁度25年前、私は、23歳で、ウィーンにまだ、住み始めたばかりでした。

阪神淡路大震災の時は、父が、会社に行く前に、トイレに入ったら、ゆ~らゆらで、揺りかごみたいだったと。その後、2階にある、私のピアノの部屋に飾ってある、お人形さんや、色んなものが、全部下に落ちていて、これは、普通の地震ではないなと思ったそう。
私は、ウィーンのテレビで、日本がとんでもないことになっていることに気づき・・・・。


地下鉄サリン事件もそうでした。ウィーンのテレビで見て、丁度そのころ、現地のドイツ語学校に通っていたので、色んな国の友人から、
「メグミのところは、大丈夫なのか?」と先生方も皆さんで心配して下さったことを昨日のように思い出します。
異国に住んでいると、そういった大事件が起こったときに、現状がよくわからないことが不安の元になります。

なので、私の両親は、特に、父は、今でも言います、「何かが起きたときに、いくら急いで、帰ると言っても、海の上を12時間半も飛行機で飛ばなければ、帰ってこれないんだから。いつでもめぐみを送り出すときは、もうこれで、お互い別れ別れになっても仕方がない、そう覚悟して
送り出したよ。無事に帰ってきてくれて本当に嬉しい」。と・・・。


他人が聞くと、何を、オーバーな、とお腹を抱えて笑われそうですが・・・・。

私を育てて下さった、両親、ピアノの恩師から受けた大きな深い慈しみは、感謝してもしきれないほどです。

私も生徒達も現在とても元気です!日本は、すごく几帳面なお国柄ですし、約束事をきちんと守るから、コロナもすぐに収束すると思います。



令和2年3月20日(金・祝)門下生コンサート開催します。

いよいよ、あさって、22日(日)東文化小劇場で、午後14時開演、第18回門下生コンサートを開催致します。

あちこちで、イベントが中止になったりして生徒さん達は、どこにも出れないので、唯一、門下生コンサートを楽しみにしている様子です。

生徒さん達は、とても元気にしています。本番前のおまじないは、いつもみんなと手をつないでやりますが、今年は、コロナの事もあるので、ちょっと変えてしようと思っています。(フフフ・・・)

生徒さん達は、半年~1年がかりで練習してきましたので、生徒さん達が頑張っている姿、私達の教室の和やかで温かい雰囲気を味わって頂ければ、幸いです。

あさっては、皆さん、どうぞよろしくお願い致します。


令和2年3月18日(水)合格発表

今日は、明和高校音楽科の合格発表がありました。

朝10時。レッスン中の生徒さんに「ごめんね。今日は、どうしても電話に出なくてはいけないから・・・・」と言って、電話を取ると、
「受かりました!先生のお陰です!」と喜びの声にほっと安堵しました。

一緒にいた生徒さんも、「良かったですね~!」と満面の笑みでした。これから、プログラムの本刷りに入るので、いつもこの時期、合格発表待ちでドキドキするのですが、幹事さん達にすぐご連絡して、他の門下のお母様方も、皆さん、大変喜んで下さり、祝福のお言葉を頂きました。

自分の喜びは、たかが知れているけど、他の人達の喜びを一緒に喜ぶことで、とても幸せな気持ちになれます。

27歳から、明和に勤めさせて頂いて、21年にもなりますが、いつまでたっても合格発表に毎年ドキドキして、うぶな私です(笑)。

学生の時の「ピアノの道」は、本当に孤独で、淋しかったけれど、今は、生徒さん達と一緒に「ピアノの道」を歩いていけるから、心強いです。
社会人になっていく生徒さん達も増えていますし、これからの時代を担っていく、お若い方々の力を私は、とても頼りにしています。


今年も又、受験生に嬉しい春がやってきました。おめでとうございます!門下生コンサートでは、終演後の合格インタビューも楽しみにしていてください!


令和2年3月17日(火)生徒さん達が近況を知らせて下さり・・・・


←第12回門下生コンサート。(2014年3月21日(金・祝))南文化小劇場で。













先日、名古屋音楽大学ピアノ演奏家コース特待生の生徒さんが、無事に卒業式を終えられて、成績優秀者に贈られる、雅亮会奨励賞と、中・高校の教員免許も頂いたとお手紙を頂きました。

1年間給費奨学金ももらえると喜びの報告があり、ご卒業おめでとうございます!

又、現在、ウィーンに留学中の生徒さんは、大学も休みになり、スーパーや、薬局以外は、全て閉鎖して食糧も手に入りにくく、外出禁止令も出ているそうで、一時帰国するとご連絡頂きました。

他にも、現在、フランスに行っている生徒さん、ドイツに行っている生徒さん達がいるので、大丈夫かなあと心配しています。
無事で元気にしていてほしいです。

さて、私達の3月22日の門下生コンサートは、行いますが、普段の年なら、終演まで、聴いて下さると有難いですが、少し、体調が悪いなと思う方は、無理なさらずに
御自分の演奏が終わった時点で、すぐお帰り頂ければと思います。勿論、元気ハツラツな方は、どうぞ、最後までお聴きくださいませ!

私も、今年の門下生コンサートは、念のために、ご挨拶も、終演後のインタビューもマスクしようと思います。

ブルーレイを何年か後に見たときに、「あっ、コロナの年だったな」と笑える時代が来ますように、皆様のご健康をお祈りしています。


令和2年3月16日(月)ステージが段々と狭く感じられる、生徒さん達の成長した姿






























←回を重ねる毎に生徒さん達が、段々大きくなっていくのがわかりますね!

ステージが狭く感じるようになってきました。












令和2年3月15日(日)誰にも盗まれないもの身に付ける


←第6回門下生コンサート(2008年3月22日 熱田文化小劇場で)。













←第7回門下生コンサート。(2009年3月21日 東文化小劇場で)。













いよいよ、第18回目の門下生コンサートが、来週の日曜日に迫ってきました。

3月22日(日)東文化小劇場の門下生コンサートは、生徒さん達の大イベントとなって、とても楽しみにしている様子です。

今年は、就職インタビューもあります。彼女の事を少し、ご紹介したいと思います。

小学2年生の頃から、大学4年生になるまで、ずっと通って下さった生徒さんです。彼女が、まだ、幼い頃、お母様が、「誰にも盗むことが出来ない本物を身に付けることが大切ですよ」と彼女に話して聞かせていらっしゃったことをよく思い出します。

その本物とは、ピアノの技術でもありますが、一番は、立派な「人格」と「心」の清らかさのことです。物や、お金など、目に見えるものは、盗まれたりしますが、中身が伴っている心だけは、誰にも盗まれることがない、という意味です。

彼女は、幼い頃から、とても謙虚で、大人しくて、私の話を、じ~っと聞いている子でした。大学卒業と同時に学校の音楽の先生になることが決まり、彼女みたいな人が先生になってくれると、世の中が、良くなっていくだろうなあと思えるような人です。

彼女は、「先生の所に通っていらっしゃる、先輩方が、本当に皆さん、良い方ばかりで、影響を受けたことと、岩野先生が、幼い私に
これは、どう思う?とか、どう感じる?とか、色々と話しかけをすごく沢山して頂いたおかげで、自分の頭で考え、話すことが出来るようになりました」。とお話しして下さいました。

とても嬉しかったです。彼女だけでなく、私が、すごく感じることは、他の生徒さん達も、幼い頃から育ってきている子が、ピアノだけでなく、大変に心が清らかで、立派な人格を持ち、大人顔負けのお話が出来るようになっていることは、特筆すべきことだと感じます。

時々、私の生徒達の噂をあちこちで色々な先生方から、耳にすることがあります。「岩野先生の生徒さん達って、皆さん、素直でいい子が多いですね~
すごく真面目で、純粋で・・・」と言われると、親バカ(先生バカ?)ですが、本当に嬉しいです。

やはり、勉強が出来るとか、ピアノが上手いということ以上に、皆さんから好かれる謙虚で誠実な性格は、希少価値があり、1つの成功を意味する事でもあると思えるからです。



令和2年3月13日(金)ピアノと共に歩んだ道のり  病とピアノの行事の連続だった小学1年生、2年生当時の私


←第4回門下生コンサート。2006年3月25日、熱田文化小劇場で。

まだ、上下共に、この頃は、父が撮影していましたので、ひな壇がなく、横に生徒さん達がズラッと並んでいる感じです。










←第5回門下生コンサート。2007年3月24日熱田文化小劇場で。













←小学1年生当時の私のお便り帳。
母と学級担任の先生とのやりとりから、抜粋。

「6月13日

昨日の予定に体育(てつぼう、かわとび)と書いているのを見て、
「お母さん、てつぼうやれない、かわとびってどんなの?」と言ってるけど、
「みんながやれることは、めぐみに出来ないことはないわよ」とあまりこだわらずに聞き流すようにしています」。





←10月20日
「昨日、ハンガリーの世界的なピアニストのベラ・シキ先生が、名古屋へ他の事で参りまして、東京の先生の紹介で、見てもらってあげるからと言って下さいまして、昨夜、家への帰りが大変遅くなりました。
申し訳ありませんが、1時間学校へ行くのが遅れました。お許しください」。



※小学1年生、2年生当時のお便り帳の内容は、ほとんどが、ゼーゼーヒューヒュー喘息持ちの私が、しょっちゅう熱を出して寝込み、学校を休んでいたことと、その合間は、ピアノの行事で、そのたびに、学校をお休みしなければならなかったこと、母と学級担任の先生とのやりとりを読み返してみると、よくこの年齢まで、無事に生きてこれたなあとつくづく思います。


外で遊ぶのが嫌いだったのは、走ったり、動くと、ゼーゼーヒューヒュー呼吸困難になり、気管支喘息を起こすので、次第に、外で遊べないという事もあり、ピアノに邁進出来たのだと思います。

今は、ものすごく規則正しい生活を送り、絶対に無理をして自分の身体を痛めつけないように気を付けています。

幼い頃、身体が弱く、幾たびか、病に臥した体験が多かったため、人一倍、他人の心の苦しみや、悩み、
痛み、気持ちにとても敏感になったのだと思います。
現在の私が、今、ここにこうして、普通に生きていられることだけで幸せに思っています。


令和2年3月12日(木)ピアノと共に歩んだ道のり・・・苦しくも美しい「美の宮殿」へたどり着くために・・・


←第3回門下生コンサート、この時は、小さい生徒さん達と大人の生徒さん達と分けて2回写真撮影しました。
(上下共に、2005年1月9日千種文化小劇場撮影)

























←時代と共に、移り変わっていく、2回目~17回目までの門下生コンサートのビデオDVD、ブルーレイ。

第1回目は、録音のみ。第2回目からVHS、第3、4回目が
DVD、第5回目から、プロの方にお願いすることになり、毎回とても綺麗に撮影して頂いています。

私の宝物です。DVDを見ていると、生徒さん達と音楽の旅に出かけて、電車に乗っている気分になります。
各駅停車で、乗ってくる生徒さん達が、「音楽の道」を味わい尽くさないまま途中下車する人もいれば、
私と一緒に、苦しくも美しい「美の宮殿」にたどり着くために、ずっと音楽の旅を続けている生徒さん達もいます。

電車の外は、その時々で、見える風景が違います。


←当時小学2年生の私のお便り帳。母と学級担任の先生とのやりとり。

11月10日
「お忙しいところを度々すみません。
今日は、鳥羽の方へ、指の訓練へまいりますので、休ませてください。
一か月か、2か月おきに1回見える先生らしく、今日は、初めてなので、どうしてもお休みしなければならず、大変済みません」。







※フィンガートレーニングで、小学2年生の時は、鳥羽の御木本澄子先生のお宅へ、小学4年生からは、中学3年生まで、ピアノレッスンと掛け持ちで、東京の市ヶ谷にある、御木本先生のご自宅へ通っていました。

三重の四日市から、片道5時間半かけて、大泉学園までまず、ピアノのレッスン、市ヶ谷へフィンガートレーニング、広尾へソルフェージュ、ひどい時は、3つ一日掛け持ちしていたので、翌日学校へ行くと、いつも寝不足で、頭が混乱して、フラフラでした。

フィンガートレーニングは、バネ量りを使ったり、トレーニングボード、ボール、輪ゴム、を使います。鉛をいつも持たされて、学校へ行くとき、レッスンに通う時、人差し指、中指、薬指、小指の第一関節だけで、鉛を入れた小袋を母が作ってくれて、毎日持ち歩いて訓練しました。

暇さえあれば、握力の機械も握ったり・・・・。そして、朝、昼、晩、お風呂に入った時、上がってから、眠る前、起きた後、毎日毎日、私の指と指の間を広げるマッサージを母がしてくれていましたね。



令和2年3月10日(火)お問い合わせ下さる方は、連絡先を教えて頂ければ、お返事出来ます。


←第2回門下生コンサート。まだ、この頃の写真撮影は、父が撮っていました。
(2004年1月10日。千種文化小劇場で。)












←第8回門下生コンサート。第6回の頃から、プロのカメラマンの方が写真撮影をして下さることになりました。8回目の時は、撮影するときに、面白いお人形を見せて下さり、生徒さん達と大笑いしたのがついこの間の事のようです。皆さん、とびきりの笑顔で写っています。
(2010年3月22日(月・祝)港文化小劇場で)。

上・下共に、子供達は現在、皆、立派な大人になっています。








色々な方々から、「今月3月22日の門下生コンサートは、本当にありますか?」とお問い合わせを頂きます。
はい、あります。私達は、開催の準備を進めていますが、万が一、東文化小劇場自体が中止になった場合は、こちらから、ご連絡差し上げますので、お電話番号、メールアドレスなど、お知らせくださると、お返事出来ます。又は、私の日記にもその都度最新情報をアップしていきますので、ご覧ください。

肺炎は、私自身が3歳の時に肺炎で、入院した体験があり、あの海の中で溺れるような、息が全く出来ないような苦しさを今でもよく記憶しています。本当に辛い、生死をさまよった体験のある私は、肺炎の苦しみをとてもよく理解できますので、他人事とは思えません。

今、こうして、普通の生活が送れていることにまず感謝したいです。

現在は、私も生徒達も、とても元気ですが、本番は、生徒の皆さんは、全員マスク着用して、東文化小劇場にいらして下さい。外部の方達も私達の門下生コンサートを以前から、楽しみにして頂き、誠に有難うございます。元気だと思われる方でも、万が一のことを想定して、ご来場頂けます方々には、マスク着用して、お入り頂けますと有難いです。


音楽には、免疫力がアップする力があります。
あまり、神経過敏になりすぎず、かといって、他の方々にご迷惑のかからないように最善の予防をしながら、本番へ向けて、皆さん張り切っていきましょう!

3月22日(日)東文化小劇場午後2時開演です。今年で、18回目にもなります。
毎年、お手伝いして下さる幹事さん達、日頃より、多大なご支援を頂いております、保護者の皆様全員に、心から、感謝致します。生徒さん達は、その日の為に半年もかかって、一生懸命練習してきましたから、なくなってしまったら、可哀想です。1人1人がきちんと予防して、22日、開催できることをお祈りしています。

門下生達の明るい元気な姿を是非、見て頂き、音楽を楽しんで頂ければ幸いです。


令和2年3月8日(日) ウィーン留学時代  母に宛てた航空書簡から 1996年10月27日 25歳当時


←ショパンが生まれた家、ジェラゾヴァ・ヴォラ。これは、そこで買った絵葉書です。
(2010年8月24日)












←ウィーンから一時帰国した際の、デビューリサイタル。

地元三重県の四日市市文化会館第2ホールで。24歳当時の私。

(1996年4月18日(木)撮影)









ウィーン留学時代、母へ宛てた航空書簡から・・・1996年10月27日、25歳当時

「今日から、ウィーンは冬時間になりました。先週もその前も先生から、ベートーヴェンソナタOp.101を絞られて、もうくたくたになってしまっています。
先生が、あまりにも一生懸命教えて下さって、それに応えられないのがものすごく苦しいのです。ベートーヴェンを弾き出すと、ノイローゼになりそうになるので、しばらく弾きたくありません。それが、19歳や、20歳の頃なら、それでも頑張れたかもしれないけど、私が一番辛いのは、気持ちが前向きになれない、弾き始めているのに、気持ちが前に進まない状態なんです。
私は、ほとんどもう、自分の限界を感じています。
年上の友人に、何かそういったことを話してみたら、「めぐみちゃんみたいな人が、そんな風に思うなんて、考えもつかなかったわ。でもそういう時期かもしれないよね。上手くいってるときは、どんどん進んでいけるような気がするんだけど、必ず壁にぶつかって、そこから、なかなか壁を打ち破ることが出来ない。そういう時、新しい事がしたいのよね、うん、わかる、わかる」と言ってくれました。
社会に出ていきたいという自然な欲求が今ようやく私に訪れ始めたのかもしれません。では、又。めぐみより」


※ウィーン国立音楽大学は、その当時取得できる、最高の学位が、マギスター(修士)でした。すごく大変なので、取得するかどうか、ものすごく迷いました。修士の試験は、4日分のソロリサイタルプログラムと協奏曲を2曲、そして、ドイツ語での修士論文を書かなければならず、本当に大変でした。自分の持てる力、200パーセント以上の事をしたと思います。ウイーン国立音大で初めの学士を取った後の2年間の間、ものすごく悩みながらも、26歳の時、念願のマギスターを取得した時は、感無量でした。
先生や、両親から、「大丈夫、出来るよ」と大きく励まされながらも、内心は、とても複雑でした。そういう事もあり、私が今教える立場となって、
生徒達を励ましはしますが、必要以上の期待は、持たないようにしています。それは、当事者は、期待をあまり持たれ過ぎても、それが、すごく重荷に感じることもあるからです。
この航空書簡で、わかる通り、25歳当時の私は、その時点で、自分のピアノの技術が、もう限界だと感じていました。しかし、それにもかかわらずそののち、23年間の歳月、結局私は、一日もピアノから離れることはなく、現在に至っています。悩みながらも、続けてこれたのは、音楽が大好きな事と、私の周りに沢山の生徒さん達とめぐりあえたことです。このことは、私にとって、まだ、自分は、限界ではない、という事を強く教えてくれた、奇跡的な出来事でした。
生徒さんの1人1人を見させて頂く間に、追い詰められていた、私の心が、少しずつ、柔らかくなっていくのを感じ、自分がこんな人間だったんだということを改めて、再認識させられたのが、生徒さん達の存在です。生徒さん達と出会って、初めて、私の知らなかった、未開発の魂が生み出されたのです。
自分の限界と、まだ、未開発の部分を発見する旅・・・それが、私にとっての「ピアノの道」です。


令和2年3月5日(木)ピアノと共に歩んだ道のり  小学3年生当時の私 漫才みたいだった湯山昭先生との公開レッスン


←湯山昭先生の「お菓子の世界」。

当時5歳だった、幼稚園生の私の心を一番ときめかせてくれた曲集です。

シャープやフラットが沢山あって、どんどんハーモニーや、音色が移ろっていく音色の変化に私は、
すっかり心を奪われました。

「お菓子のベルト・コンベヤー」から始まり、順番に弾いて、最後の「お菓子の
行進曲」まで楽譜1冊丸ごと弾くというのが、私の幼稚園生の時の毎日の日課でした。


下の「こどもの国」も、大好きでした。楽譜は、小学2年生でPTNAのアメリカ演奏旅行へ、選ばれて行ったときに、弾いた、ゴーカート、フランス人形。
























私が小学3年生の時に、湯山昭先生は、私の故郷の三重県四日市市の都ホテルにいらして下さいました。私は、公開レッスンのモデル生として先生からお声がかかり、湯山先生のレッスンを受けさせて頂きました。

都ホテルの中のむせかえるような聴講者の方々ばかりの前で、「それでは、岩野めぐみさんに、「水たまりにうつった世界を弾いていただきます」とご紹介されたので、私は、ステージに上がっていきました。私は、ピアノの前で、お辞儀をして、ピアノの前に座ろうとしていました。
湯山先生は、「まだ、もうちょっと待っててね」そうおっしゃって下さっているのに、私が、ステージから降りないので、お客様たちは、「ワハハハ~!!」会場全体が笑いの渦!

ステージ上から、客席に座っていた私の母の姿が見えました。恥ずかしさで真っ赤になりながら、
「早く降りなさい!何やってるの!」としきりに私に手をこまねいて、客席に降りてらっしゃい、と「おいでおいで」しています。
小学3年生の私は、大人たちが、何をおかしくて笑っているかさっぱり、意味がわからず、最後まで?でした。母も私も穴があったら、入りたいような恥ずかしい想い出です。

レッスンが始まると、湯山先生が色々と私に尋ねてくださいます。その時に、マイクを湯山先生の口に持っていってさしあげないと、声が通らないんじゃないかと考えて、マイクを持っていくと、「あっ、いりませんよ」と笑われます。何か私が話したり、行動するたびに会場中がドっと大笑い。

段々、私と湯山先生との会話のやりとりが、「ボケとツッコミ」みたいになってきて、漫才みたいな感じになってきました。(笑)

子供は何事においても真剣ですから、そんな真剣になっている子供が可愛くて、大人がからかっているとは想像もしません。なぜ、私が話すたびに皆が笑うんだろう?と不思議でならず・・・。しかし、湯山先生は、そんな私をからかうばかりで、会場全体が、漫才か、落語でも聞いているような感じになっていきました。今から思えば、私をリラックスさせようとして下さったんだと思います。
非常にユーモアのある先生でした。
「あなたの音色は、大変クリアで澄み切っていて、本当に美しいですね」。と大変褒めて下さったことが、とても印象に残っています。

会場中の方達から、笑われて、恥ずかしかったけれど、まあ、人を泣かせるより、笑ってくれた方が楽しいから、構わないか・・・と今では、そんな自分を面白く思っています。

今年のPTNAのC級の課題曲に湯山先生の「鬼あられ」が出ています。生徒達が弾くたびに大いに笑われた、漫才のような湯山先生との公開レッスンを想い出します。


令和2年3月4日(水)ピアノと共に歩んだ道のり  ウィーン国立音大留学23歳当時の航空書簡から・・・当たり前の事、難しい


←ウィーン3区にある、フンデルトヴァッサーハウスの絵葉書です。(1998年当時)

これをデザインした、フンデルトヴァッサーは、「自然との調和」をいつも大切にしていました。中に入ると、渡り廊下や、どこもかしこも全部真っすぐの所がなくて、面白い家です。日本で言えば、市営住宅です。

自然は、何一つ直線がないという事ですね。人間の身体も、そうですし、
音楽も私は、自然の一部だと思います。

ピアノを弾くときも、音から音へ移る時に、真っすぐ、直線的でなく、曲線を描くようにして、演奏します。



1995年3月30日 雪のち晴れ マイナス3度 ウィーン国立音大留学中23歳当時の私、母へ宛てた航空書簡から・・・


「今日は、とても寒かったです。ブラームスのOp.119を全部見て頂きました。私の演奏を「音色や響きもとてもきれい、でも退屈です」。と言われて、「それぞれの性格をよくとらえて、変化を沢山つくらなければいけません」と言われました。私の後から、スギ・シンさんという女の韓国の人が、やはり、同じ曲を弾いていて、ケラー先生が「聴いていく?」と言われたので、聴かせてもらいました。迫力に富んだ演奏だったけど、私と同じことを注意されていました・・・・」。

※私が、留学していた、26年前のウィーン国立音大は、色んな人種がいましたが、韓国、台湾、中国、などのアジア人がとても多く、今は、更にもっと多くなっていると思います。これだけ、インターネットでも色々な演奏が見れますし、グローバル化が進むともうどこの国へ行っても皆同じような似た演奏になってきている感じがします。
私達の時代は、ヨーロッパの子達は、バッハや、他の曲は、素晴らしいけど、なぜか、ショパンのエチュードが上手く弾けず、落とされている子が多かったですね。
日本人の強みは、ショパンのエチュードではないかというくらい、皆さん、完璧に弾かれますね。すごいです。
日本人の皆さん、普段から、真面目でよく練習しますし、音楽高校、音大で、バッチリ鍛えられますから。
ウィーン国立音大の学生だった頃の私は、入試は、とても楽しいから、毎年、聴きに行きました。
世界各国から集まってくる受験者達の演奏を聴きながら、「ああ、このまま時間が止まればいいのに・・・」と思うくらい魅力的な演奏する子も沢山います。しかし・・・最後、ショパンのエチュードを弾くと、あっちもこっちもミスだらけで、「あああ!惜しいなあ!自分が試験官ならこういう音楽的な子に点数を高く入れたいと思うけどなあ!残念!やはり、まずは、技術が完璧でないと、プロを目指す演奏家の卵ばかりが集まってくるのだから、仕方がないか・・・」と思いました。

完璧に弾けて、その上、音楽的・・・当たり前かもしれないけれど、その当たり前のことが、大変難しいことなのです。


令和2年3月3日(火)3月22日門下生コンサートは、開催出来ます!


今日は、幹事さん達と今月の門下生コンサートの打ち合わせに行ってきました。

幹事さん達が、何でもテキパキと進めて下さり、とても感謝しています。

コロナウイルスの影響を受けて、学校がお休みになったり、色々と延期になったり、中止になったりしているようですが、私達の門下生コンサートは、予定通り開催致します。

3月22日(日)東文化小劇場、午後14:00開演です。

生徒の皆さんが、半年かけて一生懸命練習してきた成果を是非お聴き頂ければ嬉しいです!終演後、毎年恒例の合格インタビュー、就職インタビュー、新入生インタビューも
あります。

生徒さん達も、体調管理を充分にして、元気な姿で、ご来場の皆様をお迎えしましょう。


皆様もお身体を大切になさってください。受験生の皆様にとっても、嬉しい春がくることをお祈りしています。








令和2年3月1日(日)ブルーメンシュタインピアノコンクール全国大会

ブルーメンシュタインピアノコンクールの全国大会があり、名古屋工業大学大学院1年生の本居千佳さんが、第2位、サファイア賞を受賞されたと喜びの報告がありました。

おめでとうございます!