令和2年2月29日(土)心を綺麗にすることが人生での成功


←第9回門下生コンサート(2011年3月19日(土))港文化小劇場

東日本大震災の直後で、不安が広がる中、開催出来ました。

この当時の子達の現在は、ほとんどが、成人しています。

社会人となられた生徒さん達は、音楽家としては、中学校の音楽の先生、指導者として、ピアニストとして、普通の一般企業の方達は、銀行員、不動産、インドネシアの小学校の先生、東京海上火災保険会社など、それぞれ立派に社会の為に役立っています。

又、お医者さんになられた生徒さんもいます。



←10周年記念の門下生コンサート(2012年3月20日(火))熱田文化小劇場

生徒さん達の進路先は、明和高校音楽科、愛知県立芸大修士・博士課程、東京藝大修士、桐朋学園大、東京音大演奏家コース、名音大演奏家コース、金城学院、椙山女学園大
東大、浜松医科大、名大、などです。


フランスのリヨン国立高等音楽院、ドイツのリューベック国立音大、フライブルク音楽大学、オーストリアのウィーン私立音楽芸大、韓国の大学に行っている子もいます。

又、俳優養成所へ行って、俳優になるため、又、税理士目指して、頑張っている子もいます。

チェンバロ科、コレペティ科、声楽科、音楽学など、ピアノを続けていたけど、転科した子もおり、
それぞれに、自分が最もふさわしいと思える道を見出して、自分の道をしっかり歩まれています。
人生の成功は、仕事の成功でもないし、有名になるとか、「家族が何とかになる」とかそんな「もの」は、成功でも何でもないと私はいつも思っています。長い人生の間には、病気になって今、あったものも消えてしまう可能性もあるし、今役に立っていても、役に立たなくなる時も出てきます。
そういう時に一番大切なのが、「こころの成功」です。ピアノだって弾けなくなる時もきます、そういう「もの」は全部何でも消えてしまいますけど、私が考えている、人生の成功とは、世間一般の人が考えているすぐ消える可能性のある「もの」ではないのです。他の人達のために与える幸せなら、ずっと消えません。

死ぬまでずっとこころを綺麗にすることが、人生の成功だと私は、考えています。私も努力して、幸せになるよう心を磨き続けるから、皆さんも幸せになってね、というお互い様の精神が1人1人の生徒さん達の心に宿っていると思います。どの方からも「先生と出会えて本当に心が豊かになれました」とおっしゃって下さるお言葉に私自身も、1人1人の生徒さんに出会えて有難う、という気持ちで一杯になっています。

来月3月22日(日)東文化小劇場で、開催される、第18回門下生コンサート、何人かの方々から、お問い合わせを頂きました。
「岩野先生のお教室の門下生コンサートは素晴らしいと耳にしたので、是非聴きに行きたいのですが、ありますでしょうか?」
コロナウイルスの年となっていますが、私達は、全力で、準備を進めています。生徒の皆さん、その日の為に半年もかかって、職人のように毎日、練習を積み重ねてきましたから、私達のパワーで、コロナウイルスも吹き飛びますよ!

無料でどなたでも入れます。フレッシュな生徒さんも多いので、皆さん、楽しみにしていてください!


令和2年2月28日(金)我が家のアイドル、うめ吉です!


←PTNAのホームページの私の教室紹介「生徒の声」欄に新たに掲載されました。
2年間を過ぎると消えていくので、記念撮影しておきました!





















←めぐみ教室のアイドル、「うめ吉」です。

生徒の皆さん、「コロナウイルス」に負けないでピアノを楽しんでね!

ボクもマスクして予防してるよ!










令和2年2月26日(水)音楽は、記憶を呼び覚ます


←ウィーンで。私の後ろのモーツァルトクーゲルン、これ、中が椅子になっています。

(2008年8月26日撮影)











←パリのセーヌ川から見たノートルダム大聖堂。
(2009年9月8日撮影)












1992年10月19日 桐朋学園大学3年生当時の私の日記から・・・・

「21歳になった。今日は、先生と、午後2時から7時まで、グリーグのコンツェルトのセカンドをやって、モーツアルトの「魔笛」そして、
ビゼーの「アルルの女」そして、バルトークの「オーケストラのためのコンツェルト」を先生と一緒にCDを聴いた」。

※先日、大学生の生徒さんが、プロコフィエフのコンツェルト3番をレッスンに持ってきました。
私の高校・大学時代は、コンサートピアニスト、指揮者でいらっしゃった先生の本番のアシスタントみたいなことをしており、
「明日プロコのコンツェルト3番の本番が井上道義さんの指揮であるんだけど、セカンド付き合って!」そのたびに、元々、譜読みが大好きな私は、「はい!今すぐまいります!」といった感じで・・・・
先生と一緒に弾いたピアノ協奏曲の数々は、想い出に残っています。

やはり、お客様の人気は、ベートーヴェンの皇帝5番、ラフマニノフの2番、チャイコフスキーの1番、グリーグ、などが、メインでしたが、ラヴェルの左手のためのコンツェルトや、バルトークの3番、サン・サーンスの5番、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲なども、先生の本番前のアシスタントとして一緒に弾かせて頂けたことも、振り返れば、全て現在の自分の養分になっています。
自分自身もモーツァルトの20番~27番、ショパンの1番2番、リストの1番、ベートーヴェン、1,2,4番、シューマンイ短調、序奏とアレグロ・アパッショナート、グリーグ、ラフマニノフの2番、3番、フランク「交響的変奏曲」ラヴェルト長調、などなど、ありとあらゆる協奏曲を譜読みしていた年頃です。

プロコフィエフの3番を初めて、先生と合わせたときは、「ん?何か、越後獅子の唄みたい、日本的なメロディだな」と感じました。
プロコフィエフがそのころ、日本に来て、芸者遊びをしていたことと、関係があるのかな?と思いました。

そういえば、ラヴェルの「鏡」の中の「蛾」は、そのころ、ラヴェル自身が「高級娼婦」のところに出入りしていたそうで、「蛾」は、「娼婦」を現しているとか・・。昆虫の「蛾」とは、ちょっと違いますから、楽譜の裏を読んで、表現するとはそういう事でもあります。

プロコの3番は、私のイメージでは、途中で、「E.T.」の映画に流れてくるような不思議なメロディがあります、それにすごく似ていると思わない?とその生徒さんに話すと、「似ている、映画音楽みたい」と答えていました。

「E.T」の映画は、私が、小学4年生頃に流行った映画なんですが、私の学生時代は、ピアノの行事に追いまくられて、映画なんてとても見る時間もなく、社会人になってから、ようやく、DVDで、見れました。内容も良かったですけど、私は、映画を見ていても、やはり、どうして、この場面に
この音楽が使われているのか?といった音楽の方により興味が向いてしまいます。映画のサウンドの中でいいなあ!と思った部分を拾い出してピアノで弾いてみたりとか、そういうことをして遊ぶのが私は、大好きなのです!

日本では、プロコのコンチェルトだと、3番が人気ですけど、2番も抒情的な部分も多く、いいですね。1番は、最高にかっこいいです!
私が、ウィーン国立音大時代、同じ門下のユーゴスラヴィア出身の友人のセカンドに付き合って、ステージでも弾いた想い出深いコンチェルトの1つでもあります。何で、日本では、1番は、流行らないのかな?その国によって、流行るものが違うのかな?

音楽は、本当にいいものですね!その曲を聴くと、その当時付き合っていた人達の事や、自分がその時、心に感じたことが、全部よみがえってきますから・・・・。私にとって、音楽は一生の友であります。メトネルのコンチェルトや、スクリャービンのコンチェルトもとても美しいです。


令和2年2月24日(月・祝)フライブルク音楽大学

←オランダの麦畑は、ゴッホが描いた、「カラスのいる麦畑」そのものだと感じました。

麦畑の上を本当に黒いカラスが沢山飛んでいて、少し怖かったです。

(2015年12月撮影)









門下生の小島理紗さんが、フライブルク音楽大学に合格が決まったと喜びの報告がありました。おめでとうございます!
理紗さんは、これから、国家演奏家資格課程で勉強して、人生最後となる学生生活をしっかり勉強してきます、との事でした。

最近は、昔育った門下生達が、次々と、学生生活を終え、これから、音楽家として、お仕事を始める時期にさしかかってきているなあと感じます。

私の教室は、卒業後も門下生1人1人を気にかけて、どの子の事も皆さんで、祝福し、応援していくといった、暖かい関係が結ばれていることを
とても幸せに思います。

現代は、何もかも、スピード化しすぎていて、何でも、早く、早く、そして、いかに効率よく近道を探し出そうという傾向にあるように思いますが、
ピアノだけは、残念ながら、上達するのに近道はないのです。忙しすぎたり、競争が度を過ぎると、「心」が失われていきます。「心」を伴わない音楽など、誰も聴きたくありません。私は、生徒さん達が、「感じる心」を見失う事のないよう、いつも気を配っています。

ピアノの上達は、すごく遠回りをして、回り道を一杯しながら、上達していきますから、私は、いつでも生徒さん達の成長を10年、20年、30年・・・単位で見ています。

私は、3歳から、ピアノを始めたので、私自身のピアノの腕を磨くまでに23年かかりました。そして、門下生達を育て上げて今度は、音楽家として
一人前にさせるために又、22年かかりました。その間、悩みを沢山抱えながらも、一度もブランクがなく、お休みをせずに、3歳からピアノを始めて、45年間もピアノ一筋で
向き合えている根気強い自分に対して、ちょっとした誇りを感じてもいます。
今現在も、私は、自分に対しても、生徒さん達に対しても、全く焦るという事がありません。なぜなら、死ぬまでやり続けることだからです。終わりは来ません。
私達の職業は、見習いから始まって、一人前になるまでにものすごく年数がいるのです。

私の片腕になってくれるような生徒さんが段々増えてきて、本当に楽しみが尽きません!

門下生達が幸せになっていく姿を見ているのが私の一番の楽しみとなっています!


令和2年2月23日(日)ピアノの練習は、習慣化されるもの


←オランダ、アムステルダム中央駅で。12月で、運河が凍っていません。

(2015年12月19日撮影)











←オランダといえば、風車。ザーンセ・スカンスの村で。ここも雪が積もっていません。

(2015年12月18日撮影)












来月の門下生コンサートも近づいてきました。新しい新入生の生徒さん達には、門下生コンサートの流れを、お話ししています。
開演から、終演後の生徒さん達のインタビューまで、全てが録画されて綺麗な、DVD、ブルーレイになって出来上がってくるので、とても楽しみの様子です。

私が小さい頃、発表会の写真は、残っていますが、どんな演奏していたか、どんな話し方をしていたか、わかりません。私の教室の生徒さん達は、幼年時代から、立派な大人になっても自分の幼いその姿をブルーレイで、振り返って見ることが出来るので、楽しいだろうなと思います。
1人1人の生徒さん達は、私の分身みたいな存在なので、私にとっても、貴重な宝物です。

PTNAの課題も発表されて、生徒の皆さん、どの曲を弾こうかな?と曲選びを楽しんでいるようです。

先日、生徒さんから、「先生は、ピアノと集中して向き合えれなくなったとき、どうやって乗り越えられましたか?」という質問を受けました。

ピアノの練習は、毎日、食事をしたら、歯磨きをするという習慣のようなものだと思います。朝、昼、晩、食事をしたら、歯磨きをしないと気持ち悪い、そんな感覚が、ピアノの練習にもあり、心の中に、例え、何か、解決できないままで、くすぶっているもやもや、葛藤、悩みがあっても、習慣化されていることを、まず、やり始めることで、心が落ち着いてきます。それが、長年習慣化されていくと、弾かないと気持ち悪い、という感覚になってきます。私の場合は、朝起きたら、まず、すぐピアノに向かって練習を始めます。一日の始まりが、ピアノの練習で始めないと、一日がスタートしないんです。


音楽は、自発的なものがとても大きいです。他人からやれと言われてやるものでなく、自分からやろうとしない限り、音楽から、得られるものは何もありません。それには、書かれていない、楽譜の裏をよく読み取ることが、大切です。

人間は、とても多面的で、今日と明日の人間では、まるきり別人であったり、実に面白いです。大人しい部分や、優しい面、その反面すごく厳しい面もあったり、活発な面や、すごく暗い部分、明るくて、積極的な部分、ユーモアがあるかと思うと、
急に黙り込んでしまうような陰の部分・・・・・色んな人間と付き合うことは、自分の全く知らなかった面を発見出来ます。
私にとって、色んな人間とは、生徒さん達ですが、これまでに、何千人となる数の人間を相手にしていると、今まで、自分の性格で見えていなかった部分が沢山発見できて、自分の心がどんどん柔らかくなってきているのを感じます。それくらい、人間の心理は複雑で、興味深く、どこまで、研究しても答えが見いだせないんだな、とつくづく感じます。

どれが、正しい道、なんていうものもないし、これが、一番いい生き方なんていうのもないし、正解はどこにもない。だからこそ、この生徒さんには、こういう処方箋を与えてあげればいいのではないかなと私は、毎日、智慧を絞ることによって、又、知らなかった自分に出会えます。そのたびに、新しい道が拓かれていくのです。。

人生の岐路に立たされた時に、どちらの道へ進めばよいのか?不安になる生徒さん達の気持ちは、私自身が自分も体験してきたことであり、一番知っています。しかし、どれを選んでみても、人間は、結局自分にとって、いちばんふさわしい好きな道を歩んでいくし、全て、自分が選択した道で、生きていくのだな・・・・私自身は、そう思っています。


令和2年2月19日(水)ピアノと共に歩んだ道のり   小学1年生当時の日記から   学校がきらいだった私


←小学1年生当時の私の日記から・・(上下共に)

「5月10日 水曜 天気 あめ

きょうは、しょううんどうかいはできませんでした。
そして、おもしろくなかったです。
わたしは、がっこうがきらいです。
きゅうしょくがいやです。
もうすこしへらしてくれないかなあとおもいます」。





「5月11日 木曜 天気 雨のちくもり

きょうは、きらいなきゅうしょくがでました。
いつもきらいなものがたくさんでます。
だからわたしはいやです。
もうぎゅうにゅうではらいっぱいです。
もうちょっとじかんがあればいいなあとおもいます」。







幼い頃の私にとって「ピアノの道」は苦労が全然なかった一方で、小学校生活は、とてつもなく難しい生活でした。

小学1年生の5月で、既に「私は学校が嫌いです」と書いてあるのが笑えます。学校という場所は、とにかく、騒々しく、私が一番嫌いな時間は、
体育、給食でした。
又、外へ出て遊ぶ時間が億劫でなりませんでした。私にとっての遊びは、ピアノだったのです。なので、休憩時間が来て、皆と何をしていいか
わからない遊ぶ時間は、恐怖でした。
私を除いた、クラスの全員は、色んな遊びを知っています。しかし、ゲームもやったことがないから、ルールもわからないし、何をやっていいのか
わからず、皆が大騒ぎしているのをじっと見つめているしかありませんでした・・・。

初めて、出てきた給食にはびっくりしました。出てきたものは、パンや、牛乳、チーズや、ハムや、マーガリン、シチューや、ヨーグルトの中に甘い果実が入っているもの、全て私が今まで口にしたことのない物ばかり出てきました。

いわゆる、今でいえば、洋食というものを食べたことがなかったのです。ご飯、お味噌汁、お魚の和食がメインだった我が家では、どれもこれもが初めて見るものばかりでした。クラスの他の子達を見渡すと、パンの間にマーガリンを塗り、ハムとチーズを挟んで食べています。
それすら、どうやって食べていいのかわからず、みんなの様子を一生懸命まねしながら、パンを一つ食べきるのも私には、苦労が伴いました。

ピアノを弾くのは全然難しくないけど、給食は、どうやって食べればいいのか?ものすごく考え込んだ私でした。今から思うとそんなことで悩んでいたなんてバカみたいです。

普通の子供達が簡単に出来ることが私には、すごく難しい・・・。学生時代は、やはり、遊び慣れている子が楽しいでしょう。体育も、普段、外でよく遊んでいる子は、何ということなく、スムーズに遊びの延長でなじんでいけます。

私が、学校になじめないのを見て、ドイツの小学校は、小学4年生で、将来の事を決めて、既に、得意な事を生かせる、職業訓練校があるというのを聞き、日本も早くそういった制度になるといいね、なんて、よく両親も話していました。

学生生活が大変だっただけに、私の場合は、音楽家としてお仕事を始めるようになってから、本当に幸せ一杯になりました。自分の好きな事と、出来る事だけに集中出来るからです。

又、食べ物の好き嫌いも全くなく、男の人がビックリするくらい何でもよく食べます。今は、大好きな生徒さん達と共に、ピアノを弾いて過ごしていられる事が、私の至福の時間です。

←生徒さん達からのバレンタイン。
あっという間に食べたので、中身がありません(笑)













令和2年2月18日(火)ピアノと共に歩んだ道のり・・・・小学1年生当時の私 朝日新聞掲載  


←昭和53年9月7日(木)朝日新聞掲載(左下)

本文より抜粋

小学1年生の岩野さん 銀賞

「四日市市三重6丁目の三重西小学校1年生岩野めぐみちゃん(6つ)が、
東京・第一生命ホールでこのほど開かれた、第2回ピティナ・ヤングピアニストオーディション(全日本ピアノ指導者協会)で、見事に銀賞を受賞した。最年少の受賞。

めぐみちゃんは、「いつも、頭の中で、ポンポンとピアノが鳴っているの」と周りの喜びにもけろりとしている。

オーディションには、全国の5歳から18歳までの400余人が参加。このうち22人が決勝に残った。めぐみちゃんは、バッハのポロネーズや、ベートーベンの「ソナチネ」など4曲を弾き、銀賞に入った。

毎日欠かさない指の基礎訓練のおかげで、「音がきれい」との評を受けたという。

「毎日練習しないと忘れ物をしたみたい」とめぐみちゃん。

院長も「目に見えない努力のたまもの」とほめている。




※この時は、朝日新聞社の方々が、いらして下さって、インタビューを受けました。
その頃の私は、ピアノを弾くという事は、誰もが簡単に出来ることなのに、どうして、そんなに周りの大人が大騒ぎしているのか、自分でもさっぱり訳が分かりませんでした。
いつもピアノの先生が私をどんどん前へ前へと導いて下さり、全くの素人の親も私も一体何がどうなっているのかよくわからない毎日が過ぎていきました。従って、学校どころではない、自分の意志とは関係なく、どんどん「ピアノの道」のレールがしかれていったのです。
振り返ると私は、いつも周りの方達の良いご縁に恵まれたと感謝しています。


令和2年2月17日(月)ピアノと共に歩んだ道のり・・・・小学1年生当時の私 中日新聞掲載


←昭和53年9月5日(火)中日新聞掲載

小学1年生6歳当時の私。PTNAの決勝大会で、銀賞を頂いたとき、中日新聞社に連れていかれました。

本文より抜粋

見事!6歳で銀賞 四日市の岩野さん

「東京・有楽町の第一生命ホールで行われた全日本ピアノ指導者協会主催のピティナ・ヤングピアニストコンクール全国決勝大会で、銀賞に輝いた。

めぐみちゃんは、4歳の時、わずか6か月で基礎練習曲である、バイエルをマスターするほどの才能振りを発揮した。
全国からの予選通過者107人が出場、めぐみちゃんは、堂々22人の決勝会出場権をにぎった。6歳は、最年少で、3人いた。

決勝会は、東京芸大教授田村宏審査委員長らを前に、めぐみちゃんは、バッハ「ポロネーズ」ベートーベンの「ソナチネ」シューマンの「兵士の行進」現代曲では、林光「ちょっとしたけんか」の4曲を弾き会場から、大きな拍手を受けた。
めぐみちゃんは、「練習は、しんどかったが・・・・」とニコニコ。院長は、「将来が楽しみ。手さえ大きければ、どんな曲でもこなせる才能の持ち主」と銀賞入賞をほめている」。

*現在、周りの方々から、先生の小さい頃は、どんな感じだったのですか?とよく尋ねられます。
この新聞記事もまだ、海のものとも山のものともつかないような小さい頃の出来事です。いつでも、どうなるかなんて先の事は全くわかりませんが、私自身が48年間、
心を砕いて歩んできたピアノの道のりが何らかの形で皆様のお役に立てましたら幸いです。


令和2年2月16日(日)川地咲由里さんのピアノリサイタル


今日は、5/Rの音楽ホールで、門下生の川地咲由里さんのピアノリサイタルがあり、伺いました。

トークも交えて、それは、それは、素敵なコンサートでした!

咲由里さんが、幼い頃に、私との毎週のレッスンで、本当に研究熱心だったことや、
私がリサイタルをするたびに、私の似顔絵、ステージ姿を綺麗に絵に書いて下さったり、
咲由里さんとの懐かしい想い出が沢山、よみがえってきました。

生徒さん達が、皆さん、立派に成長されて、本当に頼もしいです。

沢山の門下生の子達も応援に駆けつけて下さり、お母様方とも懐かしい方に沢山お会い出来ました。

皆さん、いつも私の門下生を応援して下さり、有難うございます!


令和2年2月15日(土)もぐらみたいにおこもり

生徒さん達からのバレンタインです!

皆さん、どうも有難う!

私は、普段
ピアノの部屋に、もぐらみたいに
こもっていて、ほとんどショッピングに出かけません。

なので、生徒さん達から頂くプレゼントは、いつも初めて見るものばかり。へえ~っとびっくりしています。完全に時代から取り残されています。

そういえば、私が育った、桐朋女子高校は、地下に教室があり、「もぐら」と呼んでいました。

桐朋生達は、本当に練習の虫が多くて、
「もぐら」みたいです。

まあ、楽器やる人は、それが習慣化されていきますよね・・・・。





令和2年2月14日(金)来月の門下生コンサートへ向けて張り切っています!
















生徒さん達から、バレンタインを頂きました。

どうも有難う!











さて、来月3月22日(日)開演14時~東文化小劇場で、開催される、門下生コンサートも近づいてきました。
生徒の皆さんは、追い込みに入り、頑張っていますし、上手に弾けるようになってきて、とても楽しみです。
幹事さん達も、お忙しい中、色々と動いて下さり、本当に助かります。
生徒さん達、昨年の演奏から、又、一段と成長した姿を、見せてくれると思います。
是非、沢山の方々に聴いていただきたいです!
皆様のお越しを門下生一同、お待ち申し上げております!


令和2年2月12日(水)ピアノと共に歩んだ道のり・・・・小学1年生当時の私の日記から・・・アンドラーシュ・シフの演奏会



























小学1年生当時の私の日記。(1978年6月9日(金)はれ)

アンドラーシュ・シフのピアノリサイタルを聴いた感想ですね。

「きょうは、シフをみにいきました。きんきんしたおとでした。グランドピアノだからおとがでるんだなあとおもいました。

ひくときけんばんみないで、うえばっかりみていました。ほとんどしってるきょくだったです。

あしがあがったりさがったりしていました。

ものすごくおとをだしていました」。



※シフを聴いたんではなくて、見に行ったというのが笑えます。









令和2年2月11日(火・祝)第10回日本バッハコンクール全国大会

今日は、第10回日本バッハコンクールの全国大会が、東京で開催され、小学4年生の生徒さんが、C部門で、奨励賞とベスト賞を頂いたと喜びの報告がありました。

よく頑張られましたね!おめでとうございます!


令和2年2月9日(日)ルーマニア国際音楽コンクールJr版 第4回赤坂ジュニア音楽コンクール

今日は、第4回赤坂ジュニア音楽コンクールの愛知予選があり、小学1年生の生徒さんが東京の本選へ進むと喜びの報告がありました。

おめでとうございます!


令和2年2月8日(土)ドイツ便り


←ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州(黒い森地方)のパンフレット。

この女性が被っている帽子のボンボンは、赤いですが、未婚だと赤で、既婚だと、黒いボンボンになるそうです。このボンボンは、14個という決まりがあるそうです。

バイエルン州にも民族衣装ディアンドルがありますが、ディアンドルも未婚はエプロンの左に結び目があり、既婚は、右にあるとか。日本のお着物も振袖は未婚の人とか、そんな感じでしょうね。

ドイツの黒い森も、大好きだけど、この女性が手に持っている、この地方の名物シュヴァルツヴェルダー
キルシュトルテ(黒い森地方のサクランボケーキ)が美味しそう!







現在、ドイツに留学中の門下生、小島理紗さんから、近況報告を頂きました。
理紗さんは、リューベック国立音楽大学を卒業され、今度は、シュトゥットガルト音楽演劇大学を受験して、合格したと喜びの報告がありました。
おめでとうございます!

シュトゥットガルトは、活気あふれる都会で、美術館や、博物館も沢山あるところですよね。クリスマスマーケットもドイツの中で一番きれいだという話を聞いたことがあります。バーデンヴュルテンベルク州にあるから、名物のさくらんぼケーキも沢山食べられるのかな?

今は、本当に便利な世の中になりました。遠いドイツからでも、さっとメールで、やり取りできるのですから・・・。
幼い頃から見させて頂いた生徒さん達が、私の事を想い出して下さるだけでも、本当に嬉しいです!どうも有難うございます!


令和2年2月7日(金)PTNA教室紹介「生徒の声」欄 


←PTNAホームページの私の教室紹介に、14年間通われている、大学4年生の生徒さんのお声が、新たに掲載されました。

生徒の皆さん、暖かいお言葉を書いて下さり、有難うございます!とても嬉しいです!

私が、ずっとピアノの道を歩いてこれているのは、生徒さん達のお陰です。

私にとって、生徒さん達の存在がなければ、きっとくじけてしまっていた「ピアノの道」。

これからも、生徒さん達のお力になれるよう、1人1人に心を砕いて、精一杯お手伝いさせて頂きます。

皆さん、よろしくお願いいたします。













令和2年2月5日(水)同級生の演奏を聴き合える場所


←フランス、ジヴェルニーにある、画家のクロード・モネの自宅の庭で。
「睡蓮」の題材となった場所を見ることが出来ます。

白内障で苦しんでいるときに、多数制作されたそうです。

(2009年9月7日撮影)








ここ最近は、名音大、椙山、明和の3つのピアノ実技試験があり、大学生、高校生の方々の演奏を沢山聴くことが出来ました。
名音大の4年生卒業試験は、皆さん、美しいドレス姿で演奏されていました。色んな曲が聴けて、それぞれに個性豊かな演奏で、楽しかったです。
椙山は、大学1年生の学生さん達。明和は、高校1年生の方々。

3つ掛け持ちしていると、それぞれの学校の特色があり、面白いです。

3校とも、私が育った、桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)、桐朋学園大学と違うのは、皆で、試験を聴き合えるという事だと思います。

桐朋は、1人1人試験場に入っていき、他の誰もが聴くことが出来ません。その代わり、ウィーン国立音楽大学は、全て、公開試験です。

椙山も他の同級生たちの演奏を全員が聴き合うことが出来て、素晴らしいなと思います。

2月8日にある電気文化会館での椙山女学園大学の卒業演奏会は、門下生の井上恵利那さんが、トリをつとめられるそうです。
小学2年生から見させて頂いた子が、もう大学卒業なんて、感慨深く、又、素晴らしい成績を修められて、ご卒業とのこと、
おめでとうございます!


令和2年2月3日(月)昨日の航空書簡の続き(ウィーン国立音大第1回目の卒業試験の様子から・・・24歳当時)


←ドイツ、ライプツィッヒにある聖トーマス教会合唱団のパンフレット。
(2012年のイベントが全て掲載されていました)。
800年にもなる長い歴史を持つ合唱団です。















←ドイツ、ドレスデンでのホテルにあったパンフレット。眠る前に読む物語とのことで、中身を見ると、
ドイツ語で、ビッシリ物語が書かれています。読んでみると、コウノトリが何とかかんとか・・さっぱり意味がわかりません!

バッハのゴールドベルク変奏曲は、伯爵の不眠症のために作曲されたそうですが、
ふと、このパンフレットを読んでいて、ゴールドベルク変奏曲を想い出しました。













昨日の続き・・・

・・・・・・あとから、とてもわくわくして嬉しくなったんですが・・・。同級生の友人が「ねえ、お願いだから、めぐみちゃん、ピアノやめないでね。貴女がそういう事言うから、今日、私、ボロボロ涙流して聞いたんだから」。
他の同級生の子達も、「私、何か、めぐみちゃんの弾いている姿見たら、何か可哀そうになってきて・・・・。私、胸が一杯になって泣いてしまったのよ」。
「めぐみちゃーん、ボク感動したよー、本当にー!」と言ってました。

アンナ(イスラエルの友人)は、「ヴァルーム ゾー トラウリッヒ?ドウ ビスト ゼアグート シュピーレン(どうしてそんなに悲しそうなの?君はとっても良く弾いたのに)」と私の顔を心配そうに見るので、私は、アンナに「イッヒ ハーベ ベシュタンデン(合格したわ!!)」とささやいたら、
「なあーんだーもう心配したあ!!」て私に飛びついてきて、一緒に抱き合って喜びました。

試験が終わった後、友人から、ピンクのバラの花、アンナから、ユリとか色んな花束とチョコレート、ツィーユンから、お人形と、ネックレスと、チョコレートとカード、みんなが、「イッヒ グラトゥリーレ!!(おめでとう!)」と駆けつけてくれて本当に嬉しかったです!
帰ったら、同級生の友人が、お手紙とケーキを私の部屋の前に置いてくれていて、私は、いいお友達が沢山いて良かったと思いました。
初めてのリサイタルに向けて益々頑張ります。めぐみより


※とまあ、こんな感じで、ウィーン国立音大の1回目の卒業試験は、24歳で、無事に終わりました。この後、更に、大変な修士への卒業試験へ向けて頑張ることになります。いつでも、私の前には、大きな壁が立ちはだかり、その壁を飛び超えて、飛び越えて、飛び越えて・・・・その繰り返しでした。
この航空書簡を書いたときは、24歳ですので、音楽家として生きていくという決意は、根底にはあったものの、色々と悩みが尽きませんでした。

先行きが見えない不安が一杯で、友人に「もう、私、ピアノやめるわ。他の事もしてみたい」。などと打ち明けていたこともありました。悩みを打ち明けるたびに、友人も先生も、私の話を「そうだね。やめた方がいいんじゃない?」と共感して聞いてくれる人は、誰もおらず・・・。
友人全員が「めぐみちゃん、ピアノやめちゃ、ダメだよ!」と。自分に自信を失ったときは、身近にいる他の人の方が、より客観的な目線で、私という人物をよく見ているのかもしれない、と感じました。

自分が出来ること、他の人達の為になれることを考えていけば、自ずとそこから、音楽家としての道が拓かれていくように思います。


令和2年2月2日(日)航空書簡の続きから・・・(24歳当時の私、ウィーン国立音大卒業試験の様子)


←ドイツ、ライプツィッヒにある、聖トーマス教会のパンフレット。
バッハが、約47年もの間、音楽監督を務めた教会です。















先月の航空書簡の続きから・・・

「・・・・コンチェルトのセカンドをして下さる先輩がいらして、『メグミちゃん、今日は、フォア アレム ムジカーリッシュ(とりわけ音楽的に)にやろうね。
いつもの通り弾けばいいんだからさあ、ほら、こないだのレッスンの時もとっても良かったんだから、そのまんま弾けば絶対大じょーぶ!!』と言って、励ましてくれたのですが、それを聞いたら、何か、胸が一杯になってしまって、先輩にくっついてワーワー泣いてしまいました。

ステージに上がる直前、いつも思う事は、同じです。
『普通の生活がしたい。血圧の上がらないゆっくりした気分の普通の女の子になりたい、どうして、ピアノなんて弾いてきてしまったのかー』と。
今度は、韓国人の友人ツィーユンのお母様とツィーユンが、又、私をぎゅうっと抱きしめたので、又、泣いていたら、韓国の男の子(最高に上手かった)が、『ヴァス イスト デン ロース?フィール エアフォルク!(どうしたんだい?頑張れ!!)』と。
そして、主任のメディモレッツ教授が、「緊張することはありませんよ。小さなコンサートと思ってね。おや?鼻かぜですか?」なんておっしゃってくださいました。
私が弾くときは、メディモレッツ教授が、聴衆のみんなに「フロイライン イワノ(岩野さん)は、バッハ、ヴォルテムペリールテ タイルアインス(平均律1巻)) H-dur
べ―トーヴェン ヴァルトシュタインゾナーテ(ワルトシュタインソナタ) ドリッテンザッツ(3楽章) ショパン エトゥーデ(練習曲)Op.25-4、
ドビュッシー ポワソンドール(金色の魚)
グリーグ コンチェルト ドリッテンザッツ(3楽章)を演奏されます」。ときちんとプログラムを全ておっしゃって、それを待って私は、弾き始めました。
弾きながら、涙は出るわ、鼻は出るわで、グリーグの時セカンドして下さった、先輩が、ちり紙を渡してくれました。
自分では、もっといい演奏がしたかったのですが、メディモレッツ教授から、『フロイライン イワノにコンサートの機会を与えたいと思います。
ドビュッシーのコンサートをベルヴェデーレ宮殿で行いますが、5月21日19時30分からのコンサートに出てもらえますね?』と言われて、
私は、ケラー先生がいらっしゃらないから、てっきり、合格か、不合格かを言って下さるのかとばかり思っていたら、そういう事だったので、ちょっとびっくりしてしまいました・・・」。

続く・・・・・