令和元年9月28日(土)前売りチケット完売しました

来週10月5日(土)の私のリサイタルの前売りチケット、完売致しました。皆様に応援して頂き、深く感謝申し上げます。
有難うございました。

今後のチケットの販売は、当日券のみとなります。

皆様に会場でお目にかかれるのを楽しみにしております。


令和元年9月27日(金)ピアノと共に歩んだ道のり  25年前の危機感


←ウィーンへ初めて旅立つ前日の夜。22歳の私です。成田空港旅客ターミナルの展望デッキで。母だけが見送りに来てくれました。暗くてちょっと見えにくいですが、淋しそうな私の顔・・・。
保安検査場を通って、母は、私の姿が見えなくなるまで、手を振っていました・・・。


(1994年9月20日撮影)








私がウィーン国立音楽大学に留学する前、色々な人に話を聞くと、「是非、行きなさい!」と喜んで勧めて下さる人はいませんでした。
母は、私に大学を卒業したら、すぐ働いてほしいと思っていましたし、大学のドイツ語の先生方に相談すると、「あんな暗くて淋しいところに行きたいんですか・・・・はぁ・・・コンビニもなく、あんな不便なところに・・・」

ある先生からは、「留学?お嫁に行かないの?」とおっしゃられたり・・・(笑)
友人からも「え~っ?留学するの?やめときなよ~」

私の周りの皆さん、なぜか、私が留学することが、あまり、嬉しくないようでした。

大学4年生の頃の私は、将来の事を考えて切実な思いで、頭が一杯になっていました。

そういった、思いを全て清算して断ち切るためにも、「今、行かなければならないのだ、周りが何と言おうと、何としてでも、今、行かなければ、
私の未来はない」と、危機感に迫られて留学したのです。

結果として、この時の若い自分の選択は、本当に良かったと今でも思います。

父は、いつも、「どんな道でもいい。周りから勧められた道ではなく、めぐみ自身が、一生を通して、納得のいく生き方だったと思える人生を送ってほしい」。と言っていました。

私もその意見には納得できました。音楽家としての道が自分にとって本当にふさわしいかどうかを見極めるためにも、精一杯、力の限り自分が
納得できるところまで、やり続けてみなくては、わからないじゃないか、その道をあきらめるためにもまずは、今自分が出来ることを、一生懸命やらなければ・・・ずっとそういう思いに突き動かされてきました。現在もその気持ちは色あせることはなく、私の心の中の声がそうやって私を導くのです。

自分で決めた道なら、のちのちまで、後悔も残りません。心から、その道を愛おしく思い、大切にできます。

だからこそ、私は、後悔も何も残らず、ここまで、音楽を愛し続けてこれました。これからも、自分が通ってきた彩り豊かな「ピアノの道」を慈しむでしょう。


令和元年9月26日(木)べーテン音楽コンクールからレリーフを頂きました!


←今日、べーテン音楽コンクールから、綺麗なレリーフが送られてきました。

何かなと思って開けてみると・・・

第12回べーテン音楽コンクールで、「優秀指導者賞」を頂いたようです。有難うございます。

生徒さん達が熱心に頑張って下さったお陰です。
私の教室から、未来に羽ばたくピアニストさんが沢山育ちますように・・・。

お祈りしています。そういえば、「祈る」は、ドイツ語で、べーテンといいます。





令和元年9月20日(金)皆様、有難うございます!

皆さん、私の日記を愛して下さり、本当に有難うございます。こんなに沢山の方々が、私の日記を見て、温かい気持ちになって下さっているという事を知り、改めて、びっくりしています。

10月5日のリサイタルの前売りチケットも皆様の暖かい応援のお陰で、とうとう、完売になりそうです。
今後、お買い求め下さる方々へ、お願い申し上げます。今なら、すぐ、直接ご自宅へお送り出来ますので、ご住所などの連絡先を書いて、
メールを頂けますと有難いです。

私の教室のモットーは、私のところに頂いた皆様からのメールには、迅速に返信する、を常日頃から心がけており、生徒さん達には、勿論の事、初めましての方々にも、迅速に対応しております。
その速さは、救急車を呼ぶくらい早いです。

時々、皆様からの受信は出来ても、私からの返信が皆様の方に届いていないということもございます。ですので、私からの返信が、1日を過ぎてもない場合は、おかしいと思って再度ご連絡くださいませ。(万が一、こちらからの返信メールが届かないときの為にお電話番号も書いておいて頂ければ、こちらからお電話差し上げます。
よろしくお願い申し上げます)。


令和元年9月19日(木)他人の心の痛み

←ウィーン国立音大留学時代の日記から・・・・

1996年10月19日、25歳の私です。ウィーンのミッシンドルファーシュトラーセにある友人宅で。


25歳の誕生日、韓国人の友人チーユンが、
夕食をごちそうしてくれた。韓国では、誕生日は、わかめスープを必ず飲むのだそう。
赤飯、リンゴ、キウイ、ケーキも食べさせてもらった。カードももらって、チーユンは優しい子で
私は大好きだ。

















ここからは、私の幼年時代の想い出です。

保育園で、椅子取りゲームなどをやると、他の子供達は、ギャアギャア大騒ぎして、我先に椅子をめがけて座ります。

その中で、必ず、みんなに突き飛ばされて椅子を取られてしまって、途方にくれて泣いているのが私でした・・・・。

又、小学校時代は、ドッジボールに悩まされました。私をめがけて、一番に強烈なボールが飛んできます。

そのボールが身体に当たると、ものすごく痛いんです・・・(泣)

私は、といえば、こんな痛みを他の人にぶつけたら可哀そうだ、と思う気持ちが、先に働いてしまい、どうしても人を当ててやり返すという事が出来ません。
大人になって、椅子取りゲームもドッチボールもしなくてよくなり、やっとその呪縛から解放されました。

父は、「いつも自分が苦手だと思うことを他人と比べて、悩むのは、よくない。人間は、1人1人、考え方も思いも違うし、上手にできることと、苦手な事が1人1人違う。
色んな体験を通して、傷ついたことが人一倍多い分、他人の心の痛みがよくわかっているのがめぐみの強みだと思う。それを仕事に生かせばいい」といつも言ってくれます。

生まれて一番最初に出会う、人生の恩師である、両親や、先生方から、かけて頂いた愛のあるお言葉は、その時、すぐわかることもあるし、何年か後、ずっと後になってから、ようやく胸に落ちてくることもあります。

自分の短所だと自分では、思い込んでいたことが、実は、現在、仕事をしていくうえで、私の一番の長所として案外発揮されているのかもしれない、自分の辛かった、幼年時代を振り返って、つくづくそう思うことがあります。

10月5日のリサイタルでは、見ず知らずの方が、遠隔地から、ご夫婦でいらして下さるとか、ホテルを予約して聴きにいらして下さるという方達もいらっしゃいます。
名古屋まで、どうぞ、お気をつけていらして下さいませ。

皆さん、こんな私ですが、応援して下さり、本当に有難うございます。


令和元年9月17日(火)前売りチケット残りわずかになりました!


←私が、初めて、自分だけのソロリサイタルをさせて頂いた時、浜松テクニカルアカデミーホールのリハーサルで。

1991年10月19日、桐朋学園大学2年生、20歳になったばかりの日です。

その当時師事していた、高校・大学時代の恩師からの
御紹介でお仕事を頂いて、演奏させて頂きました。

お客様は、20歳のその当時の私より、2つか3つくらいしか、年が離れていないような、浜松テクニカルアカデミーで、調律を学ばれている生徒さん達とヤマハ関係者の方達100数名です。


その時、演奏した曲は、バッハ平均律一巻21番、ベートーヴェン「ワルトシュタインソナタ」ショパン「バルカローレ」ラヴェル「水の戯れ」諸井誠「ピアノのためのアルファとベータ」
ショパンのエチュードOp.25-10「オクターブ」スクリャービンエチュードOp.42-8シューマンのソナタ3番です。

生まれて初めて、新幹線のグリーン車、という場所に乗せて頂いたのも、この時が、初めてで、最後です。(笑)

ところで、来月の10月5日の私のリサイタルの前売りチケットが、あと残りわずかとなりました。

今回、リサイタルをすることで、全く知らない方達から「いつも日記を感動して見ています、なので、リサイタルのチケットを下さい」とメールを頂いたりします。私より随分とご年配の方が、「先生の事を励みにしています。だから、毎日私も、励んでいきます」など、色々な方達から、暖かいお言葉を頂き、感謝しています。

私は、いまだに、SMS、SNSがどういうものか、区別がつかず?ツイッター?フェイスブック?大体見方もわからないし、ラインも
必要ないし、一般的な常識からすると、完全に世の中から取り残されているかも?(笑)
しかし、皆さんが、私の日記を楽しみに読んで下さっているというのを聞くと、インターネットの力ってすごいんだなあ、なんて改めて思います。

何は、ともあれ、そういうものは、若い人達に任せておこうっと。(笑)


令和元年9月13日(金)ピアノと共に歩んだ道のり 小学5年生当時の私の日記から・・・


←「だれかきて~水が飲みたいよ~」届かぬ思い。

2歳の私。言葉がなかなか出ないので、私の事を理解してもらうのに、人一倍時間がかかる淋しい子供時代を送りました。保育園の先生や、幼稚園の先生、ピアノの先生方からも、「めぐみちゃん、大丈夫?家でもこんなに大人しいの?」と不思議がられました。

私の心の中にある、「届かぬ思い」は、いつも音楽に向けられていきました。

音楽と出会ったときに、私の思いが「ここには、ある!」と確信出来ました。





小学5年生当時の私の日記から・・・・(1982年5月6日)

「今日は、とてもいそがしい日でした。
学校は、6時間授業、帰ってから、英語に4時~5時まで。帰ってから、夕はん食べておふろに入ったら、もう6時50分。
6時50分から、7時50分まで、ピアノ。8時半から、10時半まで、また、ピアノ。
10時半から、しゅくだい、勉強をすると、もう12時半。とくに、今日は、しゅくだいが多すぎた。
自由勉強もして。
今、日記を書いている時間は、ぴったり夜中の1時。
これじゃあ、いつねる時間がくるのかわからない。
まるで、時間がわたしのせなかをおしているようだ。
1日が、48時間あるといいな、と思うことがある。
本もよみたいから、かならず、ねるとき、ふとんの中で本をよむ。
いつも夜中1時にねるのがふつうになってきた。
本当に時間がない。
どうしたら、うまく時間が使えるようになりますか。
先生、おしえてください」。



担任の先生からのコメント

「一日は、24時間しかないんだから、むずかしいことですね。
岩野さんは、ほかの人より、ピアノの分だけでも、多いから、たいへんなのよね。それに、日記、自由勉強も人以上にやるし、体をこわさないようにがんばってほしいと思います。
うまく答えられなくて、ごめん」。

※小学5年生の頃の担任の先生は、女の先生で、本当に熱心で、生徒達に一生懸命で、誠実な対応をいつもして下さいました。
読みたくもなかったと思いますが、私の日記を読んで下さり、毎日毎日、コメントを書いて下さいました。
「一日が、48時間欲しいと言っていた、めぐみさんの事をよく記憶しています」。と今でも、私の「ピアノの道」を応援し続けて下さっている先生です。
私のリサイタルもいつも必ずいらして下さいます。
周りの方達が、応援し続けて下さるからこそ、私は、頑張れます。皆さん、有難うございます。


令和元年9月11日(水)マトリョーシカ人形


←現在、愛知県立芸大1年生の生徒さんが、レッスンに見えました。

彼女が、モスクワ音楽院のマスタークラスを受けに行った際のロシアのお土産、
マトリョーシカ人形。可愛いですね!ロシアに行っても私の事、想い出してくれたんだなあと、とても嬉しかったです。どうも有難う!

このお人形さんの中に、さらに・・・・胴体を開けると?












←あと4人もお人形さんが入っていてビックリ!













来週、伏見のヤマハグランドピアノサロン名古屋で(9月16日(月・祝)13:30開演14:15終演予定)現在、愛知県立芸術大学1年在学中の
吉岡瑞貴さんが、メンデルスゾーン幻想曲Op.28、ショパンバラ―ド1番、4つのマズルカop.24、ラフマニノフピアノソナタ第2番1楽章を演奏されます。ご興味のある方は、是非、応援に行ってあげてください!

もう、リサイタルプログラムが演奏出来るようになったのだと思うと、感慨深いです。幼い頃から見させて頂いた生徒さん達が、どんな風に育っていくか、これからも生徒の皆さんの成長が、とても楽しみです。

彼女は、今、車の免許を取るために、教習所に通っているとのこと。私は、免許がないので、車に乗れる人に憧れます。生徒さん達が、皆、大きくなってきたから、私を乗せてどこか連れてって~!(笑)

大学生になると、車の免許も、バイトも色んなことが出来るようになって、楽しみも増えますね!


令和元年9月10日(火)ピアノと共に歩んだ道のり  2畳半のピアノのお部屋 (桐朋女子高校1年生時代)


←当時の桐朋学園大学の調布寮の前で。上下共に、桐朋女子高校1年生の私。













←寮の私のピアノ練習室で。何と、2畳半です!グランドピアノG2を入れたら、きゅうきゅうです。
ピアノの下をもぐって、ピアノの椅子に座りに行き、背中は、壁にピッタリくっついている・・・・おまけに、クーラーなしです。今の時代、クーラーなしの夏なんて、暑くて、熱中症にかかって住めません。寝るお部屋は、4人相部屋でした。

食事、洗濯、お風呂、ピアノの練習、何もかも済ませて、夜10時消灯、という規則でした。








←寮は、規則が色々とあり、縛られるので、24時間練習できる、マンションへ、お引っ越し。
三重県の家から、府中市までマイクや録音機の機材を車に載せて、父が運んでくれました。

この写真は、高校3年生ですね。バッハの半音階的幻想曲とフーガ、ベルクのソナタを研究中です。










←寮よりは、スペースがありますが、それでも、一部屋の隅にキッチンがあって、お風呂とトイレがくっついている狭さ・・・・。この写真は、高校2年生の時です。

私は、お引越しが非常に多く、三重県の中でも、東谷、三重団地、東京では、調布寮、
府中市のマンションの中で、北向きのお部屋から、南向きのお部屋に、2回引っ越し。
ウィーンへ行って、初め、3区に住んでいて、5区。いったん、三重に戻り、そして、名古屋に来て池下、そして現在の場所にやっと落ち着きました。

お引越しのたびに、CDや楽譜、ピアノ、録音機・・・生活に必要なもの、荷造りしては、又、ほどき、荷造りしては、又ほどき・・・・大変だったあの辛い学生時代には、2度と戻りたくありません!

場所は変わっても、生活の時間の大半が、ピアノの前で過ごす毎日。
その生活だけは、学生時代から、全く変わることなく、現在に至っています。


令和元年9月5日(木)ウィーン国立音大の掲示板(1994年~1998年ウィーン留学時代)


←ウィーン国立音楽大学(入試がある校舎)の掲示板。23歳当時の私。
(1995年9月撮影)


住居探し、求人情報、「ベビーシッター求む!」とか、色々ありましたね。23歳といえば、本来なら、学生ではなく、社会人として働く年齢なので、
私も、何か働くところはないか、といつも必死でアンテナ張って探していました。

ウィーンには、「日本人会」というのがあり、会費を納めると、毎月1度、情報誌が送られてきます。

その中に、バイト情報みたいのもあり、「4歳の子供のピアノレッスンをして下さる方探しています!」とか、色々ありました。ウィーンの大学の掲示で一番よく見かけたのが、ベビーシッターのバイトですね。日本では、あまり、ベビーシッターを雇う人は、少ないと思うのですが・・・。

ウィーン駐在の日本人のご家族のお子様のピアノレッスンなど、バイトしている留学生達もいましたね。
ウィーン国立音大の指揮伴(指揮者の先生の伴奏)とか、現地の方のピアノレッスンしてほしい、など、色々と住んでいれば、バイト的なお話はありましたが、私の場合は、
毎回のレッスンで、毎回違う曲を暗譜して持っていくこと、又、生活するだけでも大変でしたので、全て、お断りしていました。

私を含めて、留学生たちが、集まれば、「将来、何するのかな?」「何が出来るかな?」と将来の仕事についての話ばかりしていました。
色々と本当に悩みの多い20代でした。

私の友人で、「ピアノで、食べていけなかったら、JTBの現地ガイドになる」とか言っていた子もいました。

最終的に職業として成り立つ場合は、自分にとって、一番ふさわしい、無理なくやれる職業に落ち着いてくると思います。

今の子達は、情報も沢山ありますし、すごくしっかりしていますね。情報がありすぎて、困ることも勿論あると思います。
知らなくていい事も沢山ありますから・・・

「知らぬが仏」もいいものです。


令和元年9月4日(水)応援して下さる皆様へ 有難うの気持ち込めて 演奏したい

来月10月5日の私のリサイタルが、1か月後に迫ってきました。(10月5日(土)電気文化会館ザ・コンサートホール19時開演)

今回、5年ぶりのリサイタルを開催させていただくにあたり、沢山の方達に応援していただき、誠に有難うございます。

私の為に、貴重なお時間を割いて頂いて、当日聴きにいらして下さる皆様には、感謝の気持ちで一杯です。

1つ1つの曲に対しては、どれも強い思い入れがあり、何か、それについて書こうとしたら、書けなくなってしまいました・・・・。
音楽に対する私の想いは、私のつたない言葉で表現できるギリギリのところまで、プログラムに書きましたので、当日のプログラムをご覧ください。

言葉の先に、音楽は、あり・・・・。

当日は、応援して下さる皆様に「有難う」の気持ちを込めて、演奏致します。

皆様、よろしくお願いいたします。


令和元年9月1日(日)本番前、どう過ごす?


←小学1年生の私。カブトムシのメスとオスを随分と可愛がった夏の想い出です。
PTNAの決勝大会にも連れて行って、新幹線にも同行した、メスとオスです。

本番の直前までカブトムシの世話を焼いていました。

幼いながらに緊張している心をほぐすために、何かを可愛がることで、本番前の自分の心を落ち着かせていたんだと思います。

生徒さん達から、「本番前は、先生は、どのように過ごしていますか?」と
よく尋ねられます。

特別なことは、何もしませんが、自分のお気に入りの音楽を聴いていたりします。

自分のこれから弾く曲を聴いたりは、しません。ピアノを直前まで弾いていることもありません。出来るだけ、無心になれるよう、何も考えないようにして、静かに過ごしています。

この写真のカブトムシは、PTNAから、帰ってきた後、オスが、死んで、メスだけが、生き残りました。

オスが死んだときも、すごく淋しくて、後に残った、メスは、目に入れても痛くないくらい可愛がりました。キュウリが、好きだから、キュウリを食べているところをじっと見ているのが、嬉しくて・・・。

すごく、可愛がったので、私に一番、なついてくれました。カブトムシも可愛がってくれる人の事は、わかるんです。

可愛がったのもむなしく、メスも夏の最後に息を引き取りました。子供時代も、ピアノ一色だった私を傍らで励ましてくれた、カブトムシのメスとオス。
今でも、PTNAの夏の想い出と共に、私の心に残っています。