令和元年8月30日(金)生きたリズム


←ウィーンのアウグスティーナー教会。

マリア・クリスティーナ(ハプスブルクの女帝マリア・テレジアの娘)のお墓になっているそうですが、頭を垂れて、列を作って歩いていく人たちの姿が、もの悲しいです。
イタリアの彫刻家が作ったそうですが、とても心に残る大理石の彫刻です。

(写真は上下共に、2008年8月26日撮影)。







←教会の中の、木彫りの天使。1つ1つ天使の表情が違うのが、とても素敵です。
丁寧に、じっくりと彫られています。
彫刻も、ピアノの音楽づくりみたいに、時間が、沢山かかっていることと思います。
サッと出来上がったものでなく、時間と年月をじっくりかけて、作った人の魂が込められているものに私は、一番魅力を感じます。









6.テンポ感、拍子感、リズム感、感じていますか?について。

良いリズム感を持つことは、とても大切です。

リズムとは、何があろうとも、音楽の底を崩れずに、いつも脈打っていなければなりません。

リズムは、身体で感じとるものです。リズムの強い人と一緒に演奏したり、アンサンブルすると、乗り移りやすいので、リズムの強い音楽を沢山聴くといいと思います。

生きたリズムとは、微妙に変化しながら動いています。

リズムは、音楽の魂です。リズムの律動は、テンポが変わっても崩れることなく、安定していなければなりません。

機械のリズムのようになってしまってはいけません。書かれた、拍子をきちん、きちんと時間通り弾くことではなく、実際には、少しずつ少しずつ変化しながら、動いています。

自分の持っているリズムに、命を吹き込み、生命を与えることで、生き生きとした美しい演奏が出来るようになると思います。


令和元年8月28日(水)1996年25歳当時の私のウィーン日記から・・・


←ウィーンのモーツァルト像。

季節の良い時は、いつもト音記号のお花が綺麗です。(左は、1995年9月撮影)。

冬になると、何にもお花はなくなり、淋しい感じです。(右は、1995年
2月撮影)。





1996年11月2日 25歳当時の私のウィーン日記から・・・

友人のお誘いで、北海道記者の方、ヤマハの社長さん、調律師さん、ウィーンのヤマハに勤めている秘書のディアナさんと、シュテファン寺院のグラーベンを下に降りたワインケラー(エスターハージーケラー)にお食事に行った。

国立で、声楽を教えていらっしゃる先生もいらしていた。

私が、「もうピアノをやめてしまいたい、何だか、あほらしい、て気がしてきちゃって・・・」というような話をすると、

その先生は、「わかるわ、私も歌やめたい、てザルツブルグにいたとき、何度もそう思った。こんなのしてどうするの、あほらしい、てね。
でもね、仮に、もし、お母さんが、そうやって、やめたら?って勧めても、貴女自身が、絶対にやめられないわよ。だって、3歳から、
この世に生まれてきて、すぐに、ピアノに向かって、恋人みたいなものよね、恋人以上よ。もし、貴女が、結婚して、そのままピアノをやめて、子供の世話したり、お母さんになっても、きっとすごくピアノが弾きたくなるわ、きっとよ。今、スランプかもしれないけど、いいのよ、そういう挫折って。
そういう時は、ゆっくりと休むことね。今、もうやめたい、って、すっごく思っていても、後で、絶対無性にピアノが恋しくてたまらなくなるのよ、今、わからないでしょうけど・・・。
とにかく、自分は、何がやりたいのかという事を、いつも強く心に持ってれば上手くいくわ。
留学までしてきて、長い間、本当にお金もかかって、やってきたんでしょう?
一花咲かせなきゃ、いいえ、きっと一花咲くわ、ほんとよ」。

聞いていて、よし、頑張ろうと、又、思った。
それに、こうも言われた。
「大体、そんなに、ご両親が、協力的なのに、それだけでも恵まれてるのよ。いつまでも、気の済むまでやっていいって、言って下さるのに、もったいないわ。音楽家って、一番幸せよ。一番素晴らしい職業。一番美しい職業ね。音楽家って」。



※留学生同志が集まると、必ず、こういう話になりました。日本に帰って、音楽の仕事なんてあるのかどうか?一体、何をしていけばいいのか?
音楽大学では、教えてもらう事の出来ない、現実にぶつかり、誰しも、悩んでいました。
先行きが見えない不安に誰もが、そう思う若い時期です。私も、例外なくその中の1人でした。


令和元年8月23日(金)皆さん、おめでとうございます!

今日は、PTNAの全国決勝大会の表彰式でした。

現在、愛知県立芸術大学1年在学中の山田ありあさんが、G級ベスト5賞を頂いて、本当におめでとうございます!


令和元年8月21日(水)生徒さん達のご活躍


先日、ヨーロッパ国際ピアノコンクール in Japanを受けた中学1年生の生徒さん達2人が、千葉地区で予選通過、又、現在愛知県立芸大1年在学中の生徒さんが、尾東音楽コンクールで銀賞を頂いたと喜びの報告がありました。

又、昨日は、PTNAピアノコンペティションのG級の全国決勝大会が東京の第一生命ホールであり、決勝大会に進まれた現在愛知県立芸大1年在学中の生徒さんから、
素敵なお写真が届きました。

←貴重な体験が出来て良かったですね!長いPTNAの夏だったと思いますが、最後まで、よく頑張られました。
これからも、喜びもあれば、辛い事も沢山ある、ピアノの道、コツコツと粘り強く、自分が信じた道を
まっすぐ歩み続けて下さい!歩み続けていれば、必ず、そこから、希望も生まれ、新しい道が開かれていきます。

若い皆さん達のご活躍をいつも応援しています!














令和元年8月18日(日)ムーシケピアノコンクール特別レッスン


今日は、朝から、四日市へ。ムーシケピアノコンクールを受ける方達のための特別レッスンです。皆さん、一生懸命、レッスンを受けて下さり、ありがとうございました。9月1日の本選へ向けて、頑張って下さい!


















































←佐藤愛さん(左)と小林ほなみさん(右)と一緒に。卒業生達が、私の事を気にかけて下さり、会いに来て下さって本当に嬉しいです。皆さん、いつもどうも有難う!

愛さんは、丁度今、フランスから一時帰国中で、つい先日、リサイタルが大成功だったそうです。

ほなみさんは、現在、立派に、生徒さん達の指導をされて、頑張られています。

ほなみさんは、今日、朝から、ずっと私のレッスンを聴いて下さって、カメラマンの役目もして下さいました。

帰りは、四日市駅まで、ほなみさんの運転で送っていただきました。

小学6年生から見させて頂いた生徒さんに車で、送っていただく、
そんな時が来たなんて・・・・
感無量です。

愛さんもほなみさんも、お若いし、これからの世代を担っていく方達です。

若い皆さん達が、これからも益々ご活躍されますよう、お祈りしています。


令和元年8月16日(金)彩り豊かなピアノの道


←PTNAのC級、全国決勝大会へ、進まれる小学6年生の生徒さん。

立派な、トロフィ―と盾、賞状を頂いて、とても嬉しそうです!

又、今年も素敵な想い出が、増えましたね。

楽しかったことも、苦しかったことも、全て含めて、これからも、彩り豊かな、ピアノの道を歩んで
いかれることをお祈りしています。







令和元年8月15日(木)音の中の表と裏


←アントワープにある、「フランダースの犬」の少年ネロとパトラッシュの記念碑、
ベンチになっています。

地元の人達には、「物語が哀しすぎる」とのことで、評判が良くないそうです。

(上下共に2015年12月21日撮影)








←アントワープにある、ノートルダム大聖堂には、ネロが毎日のように見ていた絵
「マリアの被昇天」があります。
慈愛に満ちた、マリア様の姿に亡き母の姿を重ねたといいます。











5.音の中に、表と裏を感じて弾いていますか?について。

ピアノの音は、指を下に下げて、音を出すために、音の中身を判断できる耳を持たないと、全て、表に出てきてしまう恐れがあります。
素晴らしい画家が描いた絵は、遠くにあるものと、近くにあるものの遠近感が見事に描かれています。
音も、ドの音一つとっても、それが、上向きなのか、下向きなのか、まだ前に向かって続く音なのか、フレーズの最後として、収まる音なのか、
それを聴き取らなければなりません。

表は、分かりやすいと思いますが、裏は、脱力して抜いた音で弾くので、抜きすぎると、ミスタッチの原因の一つにもなります。

私が、生徒達に、よく話して聞かせるのが、日本語の発音。ご飯を食べる「お箸」「はし」(下に下がる)と、川を渡る「橋」「はし」(上に上がる)とでは、イントネーションが違うという事です。隅っこの「端」「はし」もあります。

まだほかに、どんなものがあるでしょう?「くも」と言う単語は、空に浮かぶ「雲」や、生物の「蜘蛛」もありますけど、これは、一見すると、同じ発音なので、前後の文章がないとわかりにくいです。

日本語を母語とする私達なら、サッと理解できても、他の国の人が、理解するには、難しい発音が沢山あります。

ピアノの音も、外国語の発音を覚えるみたいに、まず、よく耳で、表に出ている音なのか、裏にいっている音なのか、外国語の発音を覚えていく感覚で、イントネーションをじっくり聴きとらなければなりません。ただ、漠然と、音の洪水をワア~っと聴いているのは、音を真から聴いていることにはならないのです。


令和元年8月14日(水)15回目のピティナ指導者賞


←高知県のピティナ・ヤング・ピアニストコンサートで演奏する小学4年生当時の
私。

メンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソを演奏しました。










←高知県の演奏旅行もPTNA創立者の(故)福田靖子先生が連れて行って下さいました。福田先生(左)と小学4年生当時の私
(右)。














←2005年8月全国297名の指導者を代表して、第1回目のピティナ指導者賞を受け取らせて頂いた、
33歳の私です。(東京・四ツ谷のホテルニューオータニで行われた、表彰式で)

創立者の(故)福田靖子先生のご子息の福田成康専務理事から、賞状を受け取らせて頂いたときは、PTNAの歴史を想い出し、感慨深いものがありました。












毎年、生徒さん達、ご家族の皆様が、熱心に頑張って下さるお陰で、今日、15回目のピティナ指導者賞受賞のお知らせを頂きました。

第1回目に頂いたのが、私33歳でした。福田成康専務理事から、「是非、代表で賞状をお受け取り下さい」とお電話を頂いたときは、
お母様の福田靖子先生が、生きていらっしゃれば大変に喜んで下さるだろうになあと、思いました。「親孝行したいときに、親はなし」という言葉がありますが・・・。靖子先生は、幼い私を連れて、音楽の道とは無縁だった素人の母にとって、あちこち、連れて行って下さる親のような存在でしたから、私をここまで、導いて下さったことに心から感謝いたします。

現在私が、あちこちへ、審査へ伺うと、参加者の皆さん、本当に素晴らしくて、毎年益々レヴェルが上がっていくコンクールだなと感じます。
特に、小さい子達の上手い事といったら!どうしてあんな幼い子達が、歌心を持って、音楽を愛し、音の表情をよくつかんで、それと共に、顔の表情から、身体の動きから、音色のニュアンスから全て、まるごとこれ音楽、といった表情を出せているのか?感動して、涙を誘います。


長い人生の間には、色々な問題や、困難なことが、待ち受けています。それにも屈することなく、一生音楽だけに身を捧げている人たちの生き方は、本当に素晴らしいと思います。どんな道でも、自分が出来ることを他の人達の為に役立てて、人としての道を踏み外すことなく、立派な生き方をしている人達の事を私は
心から尊敬します。


「私はなぜ、ここの場所にいるのか?」いつもそのことをしっかりと胸に刻み、毎日、応援して下さる皆様に心から感謝しながら、これからも、音楽だけに身を捧げていきたいです。


令和元年8月11日(日)PTNA C級 小学6年生 全国決勝大会へ

今日は、PTNAのC級の本選があり、小学6年生の生徒さんが、第2位で、全国決勝大会へ進出することが決まりました。

暑い中、本人の努力の賜物とご家族の皆様が、一丸となって、よく頑張られました。本当におめでとうございます!


令和元年8月10日(土)モスクワ音楽院


今、モスクワ音楽院のマスタークラスを受けに行っている、愛知県立芸大1年生の生徒さんから、素敵な写真が沢山届きました。

エレーナ・リヒテル先生から、「音楽が本当に好きだというのが貴女の演奏からよく伝わってきます」と大変褒めて頂いているそうで、私も嬉しく思っています。

それにしても、現在のモスクワは、気温が20度で、とても寒いそうです。

蒸し風呂の名古屋と全然違いますね。

体調を崩さないよう、無事に帰ってきてください!









令和元年8月9日(金)キキとララの曲


←生徒さんからのプレゼント。

こんな可愛い、キキとララのハンカチがあるんですね!私が好きなのを、知って選んでくださったのかしら?どうも有難う!今では、世の中で何を売っているのか、
何が、流行っているのかさえもわからなくなっている私。完全に浦島太郎になっている私に生徒さん達が、色んな情報を教えて下さるので、有難いです。

幼稚園の頃から、小学生の間、キキとララにぞっこん惚れ込んでいた私。

今度のリサイタルに来て下さる、幼なじみの同級生が、「今でも、キキとララを見ると、めぐみちゃんを想い出すよ。今でも好きかな?」と聞くので、私は、

「今も好きよ。キキとララを見ると、今でも胸がときめきます!」と話したところ。

小学生の頃、私の周りは、筆箱、ノート、サンダル、鉛筆、消しゴム、レッスンバッグ、お弁当を包むナフキン、ララのお人形・・・きれを買ってきて、ララの服もつくってもらって着たり
全部キキとララに包まれていましたね。

好きが高じて、「キキとララの曲」を作曲しましたよ。月とか、星とか、雲の上に教会があったりして、そういう世界が大好きなんです。しかし・・・・私なりに、そういう世界を音にしてみたんですが、何か、変てこりんな曲です。(笑)


令和元年8月7日(水)九州(北九州)地区PTNA本選審査


←3日間の本選が行われた、北九州市立響ホール。

天井の方へ向かって、音が、立ち昇り、まろやかに空間で回る響きは、ヨーロッパの音
そのもの。

素晴らしい残響のある、ホールでした。名古屋なら、しらかわホールのような響きです。








←審査員の先生方と御一緒に。先生方、スタッフの皆様、お世話になり、有難うございました。













←海の上をすれすれに飛ぶ、中部国際空港の着陸前。台風の影響も全くなく、帰ってこれました。













この時期、いつも台風の影響で、飛行機が欠航になったり、新幹線が止まったり、参加者の方々もちゃんといらっしゃれるかどうか、他の審査員の先生方と心配していました。

台風が来るということがわかっていても、雨傘を持たない私。ウィーンにいた頃からの習慣になっていて、雨に濡れても平気です。
今回も、全く、傘を使わず、移動出来ました。


令和元年8月4日(日)遠い昔、自分も受けたPTNAの想い出


←PTNAのA級全国決勝大会で演奏する、小学1年生の私。
バッハ ポロネーズ ト短調 ベートーヴェン ソナチネ10番 シューマン 兵士の行進、
林 光 ちょっとしたケンカ を弾いて銀賞を頂いたときです。足台もなく足がぶらぶら・・・。 











←PTNAのG級を受けたとき。全国決勝大会の表彰式で。
中学3年生当時の私。(真ん中白い服)

この時は、バッハ平均律1巻の18番、ベートーヴェン 32の変奏曲、ショパン エチュードOp.10-4 ショパン アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ、ラヴェル
夜のガスパールから、オンディーヌを演奏して、奨励賞と前田賞副賞を頂き、結果は、4位でした。








今日から、審査で、遠隔地へ出かけるので、荷物の整理をしています。機内持ち込みにするために、小さいスーツケースにしたので、必要最低限の物しか入れていませんが、それでも、きゅうきゅうになっています。

生徒の皆さんもこれから、本番が、待っていますが、皆、一生懸命やっています。頑張って下さい!

私も行ってきます!