令和元年7月31日(水)PTNAの正会員、おめでとうございます!


今日は、何だか、ものすごく暑かったです。普段、大学へ行く通勤道も、暑いことが、そんなに身体に応えないのですが、今日ばかりは、相当応えました。

今日が、特別暑いからか、私の身体が50近くなって随分老いぼれたのかも(笑)・・・

先日、ウィーンに留学したばかりの門下生第1号から、ウィーンからの近況報告が届きました。

今は、ウィーン大学へ行って、ドイツ語を学んだり、美術館へ行ったり、ブルクテアターへ行ったり・・・・秋から始まる、コレペティ科のレッスンを楽しみにしている様子です。

5歳の時に、初めて、彼女と出会い、あんな小さかった子が、もうウィーンへ留学するような年齢になったんだものねえ、こちらの身体もガタがくるはずだ、
と両親と話したところでした。

彼女だけでなく、大きくなってきた生徒達を見ると、皆さん、立派になられて、本当に頼もしいです。
PTNAのB級から受け始めた子達が、今では、G級だの、特級だの門下の皆さんの活躍ぶりが益々楽しみになってきた今日この頃ですが・・・・

私が、70歳になってもまだ、元気で生きていれば、生徒達が、40歳くらいで、生徒達の活躍が見れるかしら?
私の仕事は、今すぐ成果が表れるわけではないから、ずっと生徒さん達の成長を見ていたいですが、生徒達が1人前になったときに、私は、まだ、この世に生きているかな?なんて色々考えたりします。

つい最近は、現在、私の教室で、学んで下さっている、村上喜美子先生が、私の推薦を通して、PTNAの正会員に正式に承認されました。
おめでとうございます!今後も、正会員になれるような、優れた人材を推薦していけると嬉しいなと思っています。


令和元年7月30日(火)PTNA G級 全国決勝大会へ

例年通り、外は、蒸し風呂状態の暑い夏がやってきました。

まだ、大学はあり、明日試験、そして、これから、行く審査の準備などで、夏休みという感じでは、ありませんが。

昨日、今日とG級の本選があり、現在、愛知県立芸大1年生の門下生から、「先生、全国決勝大会に行けます!」と喜びの報告がありました。
本当におめでとうございます!

幼年時代から、長い事、一緒に時を過ごして手塩にかけて見させて頂いた子達が、大人になってもこうして、色々と報告してくれると皆さんとすごした歴史の重さを
想い出し、嬉しい思いで一杯です。


令和元年7月26日(金)門下生のご活躍


←9月16日(月)13:30開演、ヤマハグランドピアノサロン名古屋で、
音楽大学学生によるピアノコンサートVol.10が開催されます。

門下生の吉岡瑞貴さんが、ショパンのバラード1番、4つのマズルカOp.24
ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番1楽章、メンデルスゾーンの幻想曲(スコットランドソナタ)Op.28を演奏されます。


瑞貴さんは、小学6年生の頃から、私の教室で、ピアノを学ばれ、愛知県立明和高校音楽科の
ピアノ科を卒業後、現在、愛知県立芸術大学のピアノ科1年在学中です。

入場無料、全自由席ですが、限定30席との事です。

ご興味のある方は、是非、応援に行ってあげてください!








令和元年7月25日(木)幼なじみ、いつも来て下さる演奏会

←ウィーンから帰ったばかりの時に開いたリサイタルの後、応援に来て下さった同級生たちと。
(写真は、1998年10月12日四日市市文化会館第2ホールの楽屋で)


前列左から数えて5番目。白のブラウス、紺のジャンパースカートを着て座っているのが27歳を目前にした26歳の私。

みんな幼稚園、小学生低学年からの幼なじみです。

今度の10月5日の電気文化会館での私のリサイタルも幼なじみが来てくださいます。

私以外は、みんな結婚して、皆さん、立派なお母様たちです。今度は、可愛いお子様たちも連れて聴きにいらして下さるのがとても嬉しいです。

この時から、21年もたちました。

一番初めのデビューリサイタルの時に、小学1年生の時、クラスの席が、隣だった、同級生の男の子も立派な会社員になっていて、訪ねて下さいました。

楽屋で、「めぐみちゃんは、もう遠い世界に行ってしまった、僕がたどり着けんところへ行ってしもた・・・」と言っていたのを思い出します。20年以上も会っていないと、誰が誰かさっぱりわかりません。

今回、10回目のソロリサイタルを開催させていただくにあたり、私の大事な生徒達や、幼なじみの同級生達、色んな方々から、「頑張って!」と声をかけて頂きます。沢山の方々にいつもお力を沢山いただいて、今に至っています。本当に有難いです。

3歳からずっとピアノだけの道を歩き続けた、44年間です。そんなに長い間、弾き続けていると、自分にとって、ピアノがどういう存在かも、どうして私が、ピアノの道を歩き続けているのかさえもさっぱりわからなくなっています。昨日、大学生達から、「先生が、ピアニストになったきっかけは何ですか?」と聞かれました。そう聞かれて、答えに困りました。私もわかりません。私が女で生まれたことを、男には、絶対変えることが出来ないような、変えられない運命だったんだと思います。


←27歳を目前にした26歳当時の帰国記念リサイタル。地元四日市でしたので、同級生たちが、沢山聴きに来てくださいました。

バッハの幻想曲とフーガa-moll BWV904、ベートーヴェンのソナタOp.109全楽章、武満徹の「雨の樹素描Ⅱ」そして、
シューマンのソナタ3番全楽章を演奏しました。

まだ、ウィーンから帰ったばかりで、仕事がなく、演奏活動を主にやっていた頃です。











令和元年7月23日(火)音の中に、多彩なニュアンス、陰影、色があるかどうか


←ザルツカンマーグートのヴォルフガング湖。鏡のような静かな湖面です。

(上下共に2008年8月21日撮影)

























4.音の中に、多彩なニュアンス、陰影、色がありますか?について。

私が、中学2年生の時に、母方の方の祖母が亡くなりました。
九州に帰り、寝たきりの祖母を家族全員で、一番最後に見舞った病院での出来事を鮮烈に想い出します。

ほとんど、意識も朦朧としているのに、祖母が、私に、「いいピアニストになんなさいよ」。と声をかけてくれました。
そして、母には、「もうこれが、最期だよ」。と言っていました。

そのとたん、母は、ベッドの柵にかけてあった、タオルを掴み、まるで、胃の奥から、突き上げるような嗚咽をもらし、
そのタオルで、涙を拭いていました。

私は、「え?何で?」という思いが頭の中をグルグルかけめぐりました。いつも強い母。どんなに苦しくて、悲しいことがあっても、絶対に弱音を吐かない母。私が、悩んでいても絶対、優しい言葉はかけてくれない、そんな厳しい母。

いつも、私のピアノの事で、頭が一杯で、徹夜して勉強するような母でしたし、子供達の事をそれなりに大事にしてくれていたと思っていたから、母に、別れが辛い人がいたなんて、信じられない思いで一杯でした。やはり、母にとって、一番大切な人は、母親なんだ・・・私は、その気持ちが、痛い程、わかり、涙がこみ上げてきました。もう2度と、会えないかもしれない、後ろ髪を引かれる思いでいる、母の辛さがそのまま私の心に伝わり、共感の気持ちと、命の重さを深く感じることの出来た、体験です。

もう1つは、私が小学1年生の時の、担任の先生が、母にハガキを下さったことがありました。そこに、どんな内容が書いてあったかは、その当時の私の頭では、理解できませんでしたが、とにかく、私のピアノの横で、母は、その先生から、頂いたハガキを泣きながら、読んでくれました。

嬉しい内容だったのか、悲しい事だったのか・・・・。今だになぜ、あの時、どうして、お母さんは、泣いていたの?と聞いてみたいけど、なんか悪い気がして、聞けないままでいます。

私は、ニュアンス、とか、陰影、色と聞くと、人の心の奥底には、どんなに想像しても、誰の心にも、どうしても、踏みいれることの出来ない、暗い闇、
計り知れない奥深さがあることを、いつも感じます。

ピアノの音も、音から音へ移る時に何とも言えない、ニュアンスや、そこに、陰りが聴こえたとき、初めて、自分と同じ気持ちになってくれた、と魂は、喜ぶんだと思います。

人間の魂の芯の部分に触れて演奏することが、作曲家の心を理解して弾くこと、命と直接語り合える演奏が、色のある演奏なんじゃないかなあって・・・。

ニュアンスのある音、色のある演奏という話をしだすと、止まらなくなるので、ここらへんで・・・。


令和元年7月22日(月)音色の美しさ、みずみずしく、光り輝く音について


←九州の祖母の家で、猫を可愛がる小学3年生当時の私。

ピアノを弾くときは、猫の身体を想像します。しなやかで、柔らかい、猫の身体。
歩くときも、足音がしません。高いところから飛び降りても、弾力性を持って、着地します。

ピアノ演奏のタッチも同じです。

子供時代、自然豊かな場所で育ち、猫を触ったり、夜空にきらめく月や星、茜色の夕焼けを家の窓から、見たり、季節の移ろいを身体で感じることが出来たのは、とても良かったと思います。

この猫は、こたつの上にある、お魚をめがけて、私の手を離れて、その魚のほうに行きたくてたまらないんです。舌なめずりして、「おいしそう!早く食べたいなあ」と・・・・。私が、
ちょっと意地悪して、引きとめています。(笑)

3.音色の美しさ、みずみずしく、光り輝いていますか?について。

ピアノの楽器そのものから、一番美しい響きを出せることは、1つの魅力の第一ポイントです。
どんな楽器でも、美しい音を作るコツを知っている人なら、アップライトピアノでもグランドピアノでも、いい響きが作れます。
かなり、ひどい状態のピアノでもいい響きに出来る人はいますので、いい響きを引き出せるかどうかは、演奏者次第です。

良く響き、美しい音色を出すには、指の一番、弾力性のある肉付きの良い部分で弾くことです。
爪に近いところで音を鳴らすと、ぶっきらぼうな音で、全然心に響きません。

タッチの動作をゆっくりしてみればわかりますが、指先が鍵盤の底まで、いくまで、どこにも止まる動きがないようにしなくてはなりません。
柔らかく力の抜けた手首で、鳥の羽根に触れるような感じで、鍵盤に触れれば、音は、美しく、長く、どこまでも、止まることのない伸びる音になります。

美しい音色、たっぷりした歌う響きのコツは、平たい指で、指の付け根から弾きます。しかし、繊細なパッセージを弾くときは、指は、立てぎみに
して、指の頭で弾いたりしますし、色々です。

「どんな音を出したいか」耳をよく使うことによって、要所要所で、音楽の心と技術が結びついた、さまざまなタッチを使うのです。


令和元年7月18日(木)楽譜の「裏」をよく読む


←アメリカ、ユタ州のプロボにある、ブリガムヤング大学のポールポレイ先生のお宅で、ピアノをお聴かせする、小学2年生の私。


(上下共に、1979年6月~7月にかけてのPTNA演奏旅行で)









←アメリカ、サンディエゴで、(故)バスティン先生のピアノの先生方のためのセミナー。
作曲家の(故)中田喜直先生の姿も。母は、幼い私を、引っ張って、そこらじゅうの
ピアノセミナーに連れて行ってくれました。白いリボンを付けた小さいのが私。

母が困ったのは、周りが全員、ピアノの先生方なので、楽譜から、音を探すのが、難しかったとのことです。








2.楽譜に書かれていない裏もよく読んでいますか?について。

楽譜は、きちんと読まなければいけませんが、強弱や、ペダルなど、楽譜通りにすると、不自然に聴こえてしまうところが沢山あります。

そこで、「裏」をよく読むことが大切になってきます。クレッシェンドと書いてあっても、額面通りに受け取って音をそのまま強く弾いていくと、とんでもない不自然な音楽になってしまうこともよくあります。ディミヌエンドと書いてあっても、ハーモニーの緊張感があれば、結果的に、強くなっていくところもあります。

ショパンの作品などでも、ペダルを踏む記号があっても、実際は、踏まないところも沢山ありますから、楽譜の通り弾いた、でもダメなのです。

又、フォルテや、ピアノと書かれてあっても、その作曲家が、「私はこんな気持ちで、ここの部分を書きました」とか、「私の言いたいことは、これなんです!」とか、書いていませんから、楽譜を読んでいくときに、その音の気持ちに共感して弾いていかなければなりません。

私の職種は、ピアノを弾くだけでなく、人の話をよく傾聴する、又は、話していない、行間を読むことだと思いますが、その人が一体、何を言いたいのか、訴えようとしているのか、空気を敏感に察知します。

感受性が強い人は、人の心を特別敏感に察知します。音楽家の方は、皆さん、大変に感受性が強く、ピュアな方が多いと感じます。


楽譜の裏を読む事とは、イマジネーションをフルに使うことでもあるのです。


令和元年7月17日(水)音の長さ、休符、楽譜をよく読む


←オランダ、アムステルダムにある、オペラとバレエの劇場(ナショナル オペラ&バレエ)。
運河から、見えます。12月なのに、凍るはずの運河が、全く凍っていません。
(上下共に2015年12月19日撮影)











←オランダの画家、フェルメールが描いた、「デルフトの眺望」。オランダ、ハーグにある、マウリッツハイス美術館で。

雲から差し込む太陽の光、川に映るデルフトの街並み、吸い込まれそうに美しい絵画です。










「弾き合い会」で、生徒の皆さんにお渡しした、チェックシートから、1番の続き、「音の長さ、休符、楽譜をよく読む」についてです。

音には、四分音符や、八分音符、十六分音符・・・色々あります。この長さも、きちんと読まなくてはいけません。しかし、音価というものは、
テンポによっても変わりますし、結構、やっかいで、かなり、大きくなっても、楽譜をよく読んでいない、いい加減に弾いている演奏が多く聴かれます。

又、音の長さを、短いか、長いか、だけで、単純に、とらえている人も多いです。基礎的な音価をきちんと守ったら、どのくらいの長さだと、美しく芸術的に聴こえるのか、最終的には、演奏する側の美的センスによるところが非常に大きいです。

休符も、単なるお休みではありません。前のハーモニーの緊張感が続いて、次の音を待っているようなところもあります。

休符は、聴いている人に一番、強い印象を与え、次に何が起こるのか、期待感が高まる場所です。気持ちがずっと続くように弾かなければいけません。ただ、ボーっと待っているだけの休符ではなく、音の長さも休符も全てに意味があるのです。

又、休符の時に、ペダルを踏むと悪い時と、ハーモニーが続いているときに、踏んでいい場合もあります。これも楽譜を真面目に読み込んで守るだけではないので、数学のように、これとこれを足せば、こういう答えが出ますよ、というものではありません。

私は、生徒達に、音の切り方の例として、「例えば、前髪を1センチ長くしても、鬱陶しく見えたり、短すぎて見えたり、お洋服の丈でも、丁度いい、その人に似合っている丈の長さというものがあるでしょ?音の長さも、休符の長さも、その曲の場面にふさわしい長さにしましょうね」というお話をしてあげると、理解できるようです。

音の長さも休符も、楽譜を読むときに、全ては、美しく、芸術的に聴こえるかどうか判断できる耳を持てるように日々の練習の際、心がけていくことが、大切です。


令和元年7月16日(火)門下生のご活躍


←来月の8月10日(土)名古屋市熱田文化小劇場で、
東京藝術大学3年生によるコンサートが開催されます。

門下生の髙橋美櫻さんが、チェンバロで、バッハの半音階的幻想曲とフーガBWV903を演奏されます。

昼の部13時開演で、美櫻さんは、歌の伴奏とソロで演奏されます。

美櫻さんは、中学1年生の頃から、私の教室で、ピアノを学ばれ、明和高校音楽科のピアノ科を卒業後、現在東京藝大3年生で、チェンバロを学ばれています。

半音階的幻想曲とフーガは、ピアノでもよく弾く名曲ですが、チェンバロだと当時の楽器の音色がよみがえって興味深いですね。

ご興味のある方は、是非、応援に行ってあげてください!



←初めて出演して下さった10周年記念の門下生コンサートで。中学1年生当時の髙橋美櫻さん。

ベートーヴェンのソナタ、テンペスト第1楽章を演奏しました。

(2012年3月20日(火)熱田文化小劇場撮影)










令和元年7月15日(月・祝)PTNA予選

昨日、今日で、PTNA予選がありました。

D級を受けた中学2年生の生徒さん1人、中学1年生の生徒さん達2人、又、今日は、C級を受けた小学6年生の生徒さん1人、小学5年生の生徒さん達3人、全員優秀賞で予選通過したと、喜びの報告がありました。皆さん、おめでとうございます!

賞に入った方も、入らなかった方も、皆、最後まで、よく頑張られました。努力したことは、決して無駄になりません。例え、結果が出なくても、
その時に一生懸命努力した自分がいた、そのことが、生きていく道で、心豊かな体験として残っていきます。

一生懸命やっても、この世は、ままならないことが沢山あります。
努力していく過程には、その間に、辛い事や、悲しくてたまらない事や、誰にもわかってもらえないような届かぬ思い、
自分だけ取り残されたような淋しい気持ちや、もう希望がなくなって、次に進めないかもしれない、そういった不安が出てくると思いますが、
そういった気持ちになれること自体が、味わい深く、幸せな事なんだと私は思います。

不安も、心配も、悲しいことも、何もなく、ずっと嬉しい、そういう状態が、必ずしも、幸せだとは言えません。不安と向き合って、どうそこを乗り越えていこうか、自分の頭で必死に考えて、工夫していく間に、あの時、あんなに苦しんだからこそ、今の自分がある!そう思える時が必ず来ます!

ピンチ即チャンスです。コンクールの結果だけで、人生決まりません。皆、どこかで、悲しい思いや、辛い気持ちを沢山抱えて、でもそれを乗り越えた先には、又喜びが待っています。私の、長いピアノ人生は、常にその綱渡り状態で、滑って転んで、いまだに、そんなことばっかりやっています。(笑)けれど、生徒さん達の事がものすごく可愛いです。生徒の笑顔に毎日癒されています。

私は、やはり、人を愛することと、人から、愛されることが、一番幸せだと心から思います。


令和元年7月11日(木)本番前のチェックシート


←イギリス、ロンドンにある、大英博物館。世界で最も有名な博物館の1つとなっているそうです。

(上下共に、2013年9月21日撮影)











←大英博物館の最大の見どころは、エジプト部門。ヨーロッパの人々が、古代エジプトに憧れてロマンを感じていたのがわかります。












PTNAのコンクール前に、弾き合い会で、生徒の皆さんにお渡しした、プリントが、すごくためになった、本番の直前まで、それを読んでいた、と
大人の生徒さんが、おっしゃっていました。お役に立てて嬉しかったです。

20年以上も通って下さっているピアノの先生だからこそ、私のプリントに書いた、意味の真髄がわかるわけで、初めての方には、すごく難しく感じるかもしれません。

何でも、初めての事や、これから、学び始めるというものに対しては、誰でも、初心者です。

私は、この箇条書きにしたものをこの日記を楽しみに読んで下さっているピアノ学習者の皆さん達にも簡単に書いていこうと思います。
皆さんのために、も勿論ですが、私がいつも自分の演奏で注意を払っている事柄でもあります。

皆さんにお渡しした、本番前のチェックシートは、51項目ありました。まず、1つ目から・・・

1、音の正確さ、音の長さ、休符、楽譜をよく読みこんでいますか?

この項目1つだけでも、細かく説明しだすと、1冊の本になってしまいます。それを手取り足取り、レッスンの際に、生徒さん達に教えるわけなのですが・・・。

まず、音の正確さ、について。大人の曲になると、余程のテクニックの持ち主は別として、弾きにくいところが必ず出てきます。
一生懸命練習によって、克服しようとしますが、これが、練習によって、可能になる部分と、どれだけ、練習しても不可能な部分というのは、確実にあります。

指の動きと頭の中身が、つながっていない、無意味な練習をすると、尚更、弾きにくくなってしまいます。なので、頭をよく使って、毎回、工夫をして、丸覚え練習をしないように心がけていきます。自分の弾きにくい部分が、練習不足のために弾きにくいのか、それとも、ありとあらゆる練習を試みたけれど、やっぱり、弾けない、そのどちらにあてはまるかをしっかりと、自分で確認しておくために、出来る限りの手を尽くしてみることが、大切です。


令和元年7月7日(日)PTNA予選

昨日、今日と又、PTNA予選がありました。

C級の小学5年生、小学6年生の生徒さん達2人、A1級の小学1年生の生徒さん、D級の中学1年生の生徒さん達2人、優秀賞で、予選通過です。

皆さん、おめでとうございます!


令和元年7月4日(木)門下生のご活躍


現在、ドイツのリューベック国立音楽大学に留学中の小島理紗さんが、先日、無事にリューベック国立音大を卒業されたと喜びの報告がありました。

アウスゲツァイヒネット(首席)で、卒業されたとの事。又、Steinway Foerderpreisのコンクールで、第1位を受賞されたとの事です。

おめでとうございます!

←第4回門下生コンサートで演奏する、小学6年生当時の小島理紗さん。
尾高淳忠「ソナチネ」を演奏しました。

(2006年3月25日、熱田文化小劇場撮影)










←リューベックにある、ホルステン門。理紗さんは、この近所に住んでいるのかなあ?なんて、想像しています。(2011年12月19日撮影)













令和元年7月3日(水)大学生になっても訪ねてくれる生徒さん達の存在、本当に嬉しい


現在桐朋学園大学3年生の生徒さんが、久しぶりに、レッスン室を訪れて、大学の実技試験の曲を聴かせて下さいました。

ベートーヴェンのソナタOp.101や、ラフマニノフの音の絵のエチュードOp.39-3など・・・。とても丁寧に素晴らしく弾いていました。


私は、「ミスタッチしても、聴き手は、気にしない。それよりも、聴き手は、弾いている人の心の中にある、感情の動きを受け止める。
表現が、聴き手に伝わると、客席から、返ってくるものが、必ずあるから、そうなってくると、もっと弾きやすくなってくる。そういう質の高さが、必要ね」。

「又、小説家なんかでもそうだと思うのだけど、これで、一発賞を取ってやろうとすると、段々、小説を書くこと自体が苦しくなってくる。
けれど、読んでくれる人の心を救うような小説を書きたい、と思って書くと、結果的に、それが、人の心を打つ小説になってくる。
ピアノ演奏もそうね、上手い人は、星の数ほどいて、自分みたいなのが、ピアノ弾いてても仕方ないんじゃないか?と、私は、たびたび、学生の頃、そう思ったよ。

コンクールで賞を取りたい、という思いが先にくると、ピアノを続けること自体が、苦しくなってくる。そうではなく、自分の演奏を聴いてくれる人が、1人でも、生き方が変わった、とか、涙の一粒でも流してくれたなら、それが、一番、音楽家として、心が満たされる。人の心を救いたい、そう思って、演奏すること、その強い思いが、先にあることが、音楽家としてとても大切な事だと思うよ・・・・」。

のような、お話をしている間に、彼女の目から、ポロポロ涙が・・・・。

感動してくれたんだと思います。彼女だけでなく、幼年時代から、見させて頂いた生徒さん達の多くが、大学生になっても、こうして、演奏を聴かせてくれて、成長した姿を見せてくれて、いまだに交流があることをとても嬉しく思います。

1人1人の生徒さん達とは、とてもいい時間が過ごせていると思います。手塩にかけて見させて頂いただけに、大人になっても、いつまでも、
どの生徒さんの事も私にとっては、愛おしいです。
来年は、教育実習もあるとのこと。若い生徒さん達の成長をずっと見続けていたいです。


←大学4年生当時の私。教育実習は、三重の母校の中学校に行きました。

あらゆることで、心がズタズタだった私は、教育実習で、演奏したピアノに、中学生達が、ものすごく、感動してくれて、又、復活出来ました(笑)


体育館で、リストのエチュードの「狩り」を演奏したんですが、私が、担任した、生徒達が、1人1人、感想文を書いて、私に手紙をくれました。


コンクールで頂く、どんな講評用紙よりも、感激しました。子供達は、鋭いな、ちゃんと伝わるんだなあって・・・。先生って幸せな職業だなと心から、思えた、体験でした。