平成31年4月30日(火・祝)大学4年生22歳当時の私の日記から・・・(写真は、ウィーン時代です)


←ウィーン留学時代に住んでいた、私のお部屋。

ウィーンに初めて来たときは、
部屋の中が暗くて、すごく淋しく感じました。こんなに暗いと、目が一層悪くなるんじゃないかなと、思いました。

(1995年2月26日23歳当時撮影)







←ピアノは、1ヶ月2200シリング(2万2000円)で、借りていましたが、椅子は、ついていませんでした。運ばれてきたとき、「え?椅子がない・・・・」

仕方がないので、誰かが、置いていった椅子をそのまま、ピアノの椅子に使っていました。


その時から、どんな椅子で弾いても、平気です。

ピアニストの(故)中村紘子さんが、昔、地方へ演奏会へ行ったときに、ピアノの足が、ついていなくて、ピアノの前に、お座布団が、しかれていて、びっくりしたという話を本で読んだことがあります。

ピアノの足がなく、ピアノの前にお座布団・・・。お琴か何かの楽器と思っていた時代が日本には、あったようです。

(1995年9月、23歳当時撮影)


1993年10月27日、大学4年生、22歳当時の日記から・・・

「ミシェル・ダルベルトさんがいらっしゃり、お話と、ブラームスのOP.119を弾いて下さった。質問コーナーがあって、練習時間は、ゼロとか、自分は、音楽関係の家に生まれていないから、全部何もかも自分でやることに苦しみを感じた、とか、スポーツカーとスキーが好きだった、常に頭の中は、音楽で一杯で、動きを考えている点から点ということなどを、フランス語で、平野先生が通訳して下さった。
あと、日本のレストランで、「有難う」は、言っても、「さようなら」は、言わないのか?ジャパンエアラインズでは、「さようなら」は、言っても
「どうぞ、また」は、言わない、とかおっしゃっていた。ピアノの演奏は、401の部屋で弾いて下さったけど、どこかのホールで聴いているみたいに素敵な音色がした」。


※最近、昔、録画していた、スーパーピアノレッスンの番組を隙間時間に見ています。
ミッシェル・ダルベルトさんや、ミッシェル・ベロフさん、ジャン・マルク・ルイサダさん、マリア・ジョアオ・ピリスさんなど。学生時代は、ゲルハルト・オピッツさんや、シプリアン・カツァリスさん、ワルタークリーンさんなど、全部録画して、自分の音楽に一体、何が、足らないのか、いつも研究しては、見ていました。
学生の頃、見ていた、レッスンと、自分が実際、生徒達を指導する立場になった耳で聴く、ピアノレッスンは、
とても面白いです。


平成31年4月27日(土)23歳ウィーン留学時代の航空書簡から・・・(1994年~1998年)

←イギリス、バース寺院。

ステンドグラスから、優しい光が降り注ぎ、安らかな気持ちになれます。


(2013年9月20日撮影)








←ドイツ、フュッセンの駅から、ユーゲントヘアベルゲ(ユースホステル)に向かう途中で。
ドイツでは、特に、太陽の光が違うと感じます。木に降り注ぐ太陽の光が、
湿気のない乾燥した木の葉にあたって、キラキラ輝いています。

爽やかな木漏れ日を見ると、ああ、ドイツに来たなあ、というイメージが私にはあります。

(1997年6月23日撮影)







1995年3月27日、23歳当時、ウィーンから、母に宛てた航空書簡から・・・

「ウィーンは、コンサートがとても安く、気軽に通えて、いいところだなあとつくづく感じます。
最後は、バルトークのオーケストラのための合奏曲、これもリッカルド・シャイーの指揮が、迫力があって、ブラボーが鳴りやまず、
又、同じ曲を2回もやったんですよ。今、バルトークも譜読みをし始めているので、響きが、所々、似ているところもあって、とても面白く聴けました。ウィーンフィルもいいけど、コンセルトヘボウのオケも、音色が柔らかくて、素晴らしいです。

ところで、送ってくれた梅は毎日食べています。日本食は、本当においしいね。毎日、ブレートヒェン(丸い白パンの名前)食べていると、
やっぱり飽きます。
いつも語学学校から帰ってお昼を食べた後は、ハイディ(アルプスの少女ハイジのこと)を見ています。ドイツ語でもやっぱり名作は素晴らしいね。
日本で4、5歳の頃、見た、同じ感動を今も再び受けています。ハイジを見ていると、心が綺麗になり、和みます。

ハイジを見終わると、コンクール、新しい曲目の暗譜、ドイツ語の新しいクラス、リサイタルのこと・・・・考えることだらけです。それでは、又ね~!」


平成31年4月25日(木)ウィーン留学時代の母との航空書簡から・・・23歳当時(1994年~1998年時代)


←ウィーン楽友協会のグローサーザールで、ウィーンフィルを聴く23歳当時の私。
ここが、しょっちゅう通い詰めた、シュテイプラッツ(立見席)。

立ち見でも、最前列なら、見えるけれど、人が一杯だと、見えなくなってしまうので
見るのは、あきらめて、
下の床に座り込んでオーケストラのスコアを広げながら、耳だけで、聴いている学生達もいました。

(上下共に、1995年1月6日撮影)






←立ち見席から、見た、ウィーンフィルの舞台。ウィーンフィル、ベルリンフィル、
ワルシャワフィル、コンセルトヘボウ・・・・色々な国のオーケストラが沢山聴けました。
楽友協会では、ウィーンフィルでも、どんなコンサートも、立ち見なら、50シリング
(500円)で聴けました。(1994年~1998年当時)
その国の持つ、音色は必ずありますね。


特に、ウィーンフィルは、弦の響きが柔らかいのが印象に残っています。
街中にワルツの3拍子が流れているような国が、ウィーンです。





1995年3月27日、23歳当時、母との航空書簡から・・・

「ムジークフェライン(楽友協会)のグローサーザールで、ディリゲント(指揮者)は、リッカルド・シャイー、ピアノが、マリオ・ジョアオ・ピリス、オーケストラが、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会をシュテイ(立ち見)で、行ってきました。
初め、ベルクのソナタ第1番、これは、私が、コンクールの課題になって弾いたことが、ありますけど、オーケストラ版になっていて、へ~え、ここの部分は、オケだとこんな楽器で、こんな響きになるんだな、と思いました。

とても柔らかい弦楽器の音で、この曲の持っている、神秘的なものがとてもよくわかりました。
次が、ピリスの、ベートーヴェンのピアノコンツェルト3番、特に2楽章は、素晴らしかったです。祈りでした。
ピリスの完全に音楽、芸術のしもべとなっている演奏に私は、心を打たれました。立ち見も、酸欠になるほど、人が沢山で、息苦しかったけれど、素晴らしい演奏会なら、立っていても、全然疲れませんでした」
続く


平成31年4月20日(土)23歳当時のウィーンの留学生活から・・・母との航空書簡のやりとり(1994年~1998年時代)


←23歳当時。(写真は、1回目の住居のバーデツィンマー(浴室)。)
2回目に引っ越した、ウィーンの住居は、5区でした。

ここは、非常に交通至便で、バスに10分乗ると、カールスプラッツに着きます。
ウィーン国立歌劇場、楽友協会ホール(ウィーンフィルの本拠地)、コンツェルトハウス、などがあり、夜は、ほとんど、オペラや、バレエ、コンサートを聴きに行っていました。

日本と違い、不便さを感じる1つに「水」と「お湯」が思う存分使えないという事は感じました。

海に囲まれて、水が豊富な日本と違い、ヨーロッパの人達は、水をすごく節約します。

日本に帰って、何がしたいか、と聞かれると、まず一番に「温かいお風呂に入りたい」でした。

ヨーロッパでは、水はチョロチョロ、お湯は、出ても、ある程度の制限があり、途中で、水に変わってしまうことが多いです。

ウィーンは、冬の国なので、途中で、お湯が出なくなると、「うう~冷たい!」身体が芯から温まりたいときに、やはり、日本のお風呂が恋しいです。

←ドイツや、オーストリアは、いつもどんより曇り空が多いですが、5月~8月の間は、たまに晴れると、青い空が、澄み切っていて、とても美しいです。

(2008年8月21日撮影)









1995年3月27日 23歳当時、母との航空書簡から・・・・続き

「実際、ルプーを聴いても良かったけど、CDで聴いても予想通りでした。ブラームスの暗い哀しげな秋の北ドイツの音を上手く表現していて、素晴らしいです。
プロコフィエフは、バレエの「ロメオとユリア(ロミオとジュリエット)を3回も見て、プロコフィエフに対する考え方が変わりました。
綺麗なメロデイーが沢山あります。この先、プロコもやっていこうと思いますが、何しろ弾きたい曲が多すぎるので、困ります。

1回1回のレッスンを大切にして、若いうちに、沢山譜読みして、暗譜して、自分で最も良いと思うものをレパートリーにして、リサイタルの
プログラムに入れていきたいと思っています」。続く


平成31年4月19日(金)ピアノと共に歩んだ道・・・ウィーンでの恩師が聴きに来て下さった、想い出のリサイタル(2002年の頃)


←2002年5月15日に電気文化会館で開催した、5回目のソロリサイタル。

ハイドン ソナタ第32番、シューマン 幻想曲、
ショパン ノクターン第13番、14番、
スクリャービン ソナタ第3番「心理状態」を演奏しました。


明和で教え始めて間がない頃で、合唱団や、バレエ団、オペラの伴奏など、ありとあらゆる音楽の仕事をしていた頃です。

ウィーン国立音大で、お世話になったローラント・ケラー先生が、愛知県立芸術大学の客員教授として、名古屋に来られるとお電話を頂いて、本当に驚きました。

私が、リサイタルを開くと話すと、その当時住んでいた、千種区のマンションにご夫妻でいらして下さり、私のプローベ(リハーサル)を聴いて下さいました。

「メグミ、すごく上手くなった、音楽の点から点、クライマックスに持っていくフレーズの作り方が、以前より、ずっと上手くやれるようになった!」と
ものすごく喜んで下さり、リサイタル本番も聴きにいらして下さいました。

ケラー先生が、終演後私の楽屋を訪ねて下さり、「イッヒ グラトゥリーレ!(おめでとう!)と手を差し伸べて下さり、私が感動して、あまり、泣くので、「めぐみさん、自分の演奏が気に入らなくて泣いているんじゃないのよね?嬉しいからよね?私も一緒にもらい泣きしちゃったわ」。と奥様も一緒に泣いて感動して下さった、想い出に残るリサイタルでした。

合唱団の方の1人が、ステージの下から、お花を下さり、そのお花をピアノに置いて、
アンコールには、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」を弾きました。

まさか、ウィーンでお世話になった、ケラー先生が、日本で、しかも名古屋で、私のリサイタルを聴きにいらして下さる日がくるとは、想像もしなかったので、感動しました。
あれから、17年が過ぎましたが、いまだに、私は、音楽を自然に聴こえるようにするには、どうすればよいか?毎日、ピアノの前で、苦しみ
もがいています。

毎日ピアノに向かって、研究し続ける私を見て両親は言います。「ある程度、適当にしておけばいいんじゃないの?生徒にもよく言うじゃないの?そんなに完璧に仕上げようとしなくていいって」と・・・。

又、父は、特に、そんな私を見て、可哀そうだと言います。「めぐみを本当に幸せにしてやれたのかわからない、普通の生活をさせてやりたいなという気もするけど、それだけ、のめり込めるものがあるのは、自分のような凡人から見たら、うらやましい気もするし・・・でも、めぐみを見ていると、つくづく大変だなと思う。何が、幸せか、いまだによくわからん」と。

ず~っと、どうすれば、もっと美しい演奏が、相手に伝わる演奏が、出来るのか?
いい演奏にするために、ああでもない、こうでもない、その繰り返しばかりやっています。しかし、どれだけやっても、上手くいきません。

死ぬまでずっと納得のいく演奏は出来ないまま、苦しみ抜くと思うけれど、それが、私の人生・・・そう思っています。


平成31年4月17日(水)ピアノレッスン、卒業後の想い出に残ってもらえると嬉しい


今日から、椙山女学園大学のレッスンも始まりました。2007年に教育学部が出来た当初から、勤めさせて頂いて、早いもので、12年目が過ぎようとしています。

大学生の皆さん達が卒業するときに、私とのピアノレッスンが、皆さんの心の中に美しい時間として、残りますように・・・・(これは、大学生の皆さんに対してだけでなく、全ての生徒さん達をレッスンしているとき、私が、一番大切にしていることの1つです)。

人の気持ちを敏感にくみ取り、心、情緒を沢山感じながら、ピアノの音を慈しんでいきましょう。

下は、私が、今学期担当させていただく18名の学生さん達です。皆、若くて可愛いです!よろしくお願いします!






























平成31年4月16日(火)新緑まぶしい季節・・・学校でのレッスンも始まりました!


←新緑まぶしいこの季節!明和高校前の木々を見るたびに、季節の移ろいを感じます。春の新緑、夏のサウナ、秋の木枯らし、冬の枯れ木・・ここの道を通って、もう20年にもなりますが、いつでも私の気持ちは、新1年生です。











←今日から、明和高校でのレッスンも始まりました。

新1年生の生徒さん。緑まぶしい季節同様、希望を一杯持って、張り切っています!












平成31年4月14日(日)門下生たちの活躍ぶり



現在、ドイツのリューベック国立音楽大学に留学中の門下生、小島理紗さんのお母様が、理紗さんのリューベックでの演奏会のチラシを添付して送ってきてくださいました。


理紗さんは、ブラームスフェスティバルや、卒試に向けて、頑張っているそうです。

留学の事を聞きたい方は、いつでも聞いて下さい、との事です。


一番右側が、理紗さんです。

門下生たちが、どんどん活躍していってほしいです!












平成31年4月13日(土)23歳当時 ウィーンから母に送った航空書簡から・・・


←ウィーン国立音大に入学したばかりの1994年10月27日。23歳になったばかりの私。

一番最初に住んだ住居のキュッヒェ(台所)です。ベルヴェデーレ宮殿に近い、3区でした。

ここの台所は、ガスでなく、電気だったので、ある日、シュトラーセンバーン(市電)に乗って、少ししてから、
「あ~っ!卵をゆでたままにしてきたような・・・・?」

家に飛んで帰って、台所を見ると、そこら中に、卵の殻や、白身も黄身も吹き散らかして飛び散っていました。

ガスと違い、火が見えない分、危なかったです。


←ウィーンのケルントナー通りでは、毎日、色んな大道芸人がいて楽しませてくれます。

この銅像のように立っている大道芸人は、まばたきも、手もどこも動きません。見ている人たちが、「いつ、動くかな?」と神妙に見ています・・・が、お金を入れてあげると、動きます。

(1998年6月~7月撮影)








1995年3月27日くもり 23歳当時、母に宛てた、航空書簡から・・・

昨日(26日)から、サマータイムになりました。今までより、時計を1時間早め、従って、日本との時差が7時間になります。ウイーンが、夜10時の場合、日本は、朝の5時になります。日がどんどん長くなり、6時ごろまで、明るくて嬉しいです。

今日は、アシュケナージのプロコフィエフ、ラドゥ・ルプーのブラームスのCDが届きました。どうも有難うございました。
今、ブラームスをやっているところだったし、色々と送ってくれて、本当に助かります。

私の大好きなピアニストの1人、ルプーのブラームスは、素晴らしいですね。私がこのように弾きたいと思っていることを全てかなえてくれていて、とても参考になります。

続く・・



平成31年4月5日(金)沢山のご感想を有難うございました!


←ハンガリー、ブダペストの「漁夫の砦」。
(上下共に1998年7月8日撮影)。












←ハンガリー、ブダペストの街並み。













門下生コンサートのご感想から・・・

「生徒の皆さんの熱演が素晴らしいものでしたし、幹事さんのお手紙には、感慨深いものがあり、我が子に重なる気持ちもあり、私も涙してしまいました。
昨年、丁度1年前に、ピアノの路頭に迷っていた○○を天白の会場での門下生コンサートに、○○と一緒にお邪魔させて頂いて、こんなに素晴らしい演奏をされる
生徒さん達に衝撃を覚え、必死な気持ちで勇気を出して、めぐみ先生の門を叩かせて頂いた事を鮮明に思い出します。
休憩中に、生徒の皆さんが、何の屈託もなく、和気あいあいとされていたことも、素敵な関係をお見受けして心に染みました。

そんな素敵な素晴らしいめぐみ先生のお教室に入れて頂けたことも感謝の限りです。
そして、めぐみ先生に拾って頂けなかったら、今頃、○○は、どうなっていたことでしょう、と思うと、本当に今があって良かったなあと思います。
今回、貴重な経験をさせて頂いて、めぐみ先生にご指導頂き、感謝の限りです。本当に有難うございました。一層○○は頑張ると思いますので、よろしくお願いいたします」。(新中学3年生のお母様から)

「皆さん、心に訴えかけてくる素晴らしい演奏で、とても楽しく過ごすことが出来ました。あっという間に時間が過ぎてしまいました。
○○も門下生の一員として演奏できることをとても嬉しく思います。とても幸せです。

一番初めのレッスンで、「聴いている人に何が言いたいのかをピアノで伝えられるように」という目標を先生がおっしゃってくださいました。
それから少しずつ、練習の仕方が変化しています。
客観的に音を聴いたり、工夫したり…○○が、自分自身で研究している姿にとても感心しています。
自ら、すすんで、ピアノに練習に向かうようにもなりました。
専門的な音楽の世界につながる色々な事を教えて頂けることが、本当に嬉しいようで、ピアノを弾くことが、随分楽しく変わったようです。

先生に出会うことが出来て本当に良かったです。いつも愛情をもって教えて下さり、有難うございます。感謝の気持ちで一杯です。
これからもよろしくお願いいたします」。(新中学1年生のお母様から)

「皆さん心のこもった演奏で、とても素晴らしいコンサートでした。あんな素敵なコンサートに出させて頂けることをとても幸せに思っています。先生の丁寧なご指導、諦めないで、コツコツ頑張ること、一音一音を心を込めて大切に弾くことなどを教えて頂き、少しずつですが、本人も自覚を持つようになりました。
先生のお話や、幹事さんのお手紙もとても感動しました。これからもどうぞよろしくお願いいたします」。(新中学1年生のお母様から)

「先日の発表会、大変お勉強させて頂きました。素晴らしかったです。
小さい頃に岩野先生に巡り合えた生徒さん達は本当にお幸せだと思います。
素敵な時間でした。有難うございました」。(一般の方から)

他、沢山のご感想をお寄せいただき、有難うございました。全てのご感想は、掲載することが出来ませんでしたが、有難く読ませて頂きました。皆様のお声を励みにして、神様が私に授けて下さった、皆様との「出会い」と「ご縁」を大切にして、生まれたときから決まっていた、
自分の「使命」を全うしていきます。毎日、皆様に教えられ、皆様に手を引かれつつ・・・。
皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


平成31年4月4日(木)大切なお子様へ授けてあげられる最高のプレゼント


初めて私の所に体験レッスンに来られる方達が、「他の生徒さん達は、皆さん、幼い頃から、どのようにして、ピアノの道を歩んでこられたんですか?」と度々尋ねられることが多いので、つい最近、明和高校音楽科に合格された生徒さんのお母様から私に下さったお手紙を掲載させて頂こうと思います。
親御さんが、大切なお子様に授けてあげられる最高のプレゼントとして、音楽の道を目指されている方々のお役に立てましたら幸いです。


「岩野先生

お陰様で、本日、明和高校音楽科へ無事合格することが出来ました。

1年間受験曲のご指導、そして○○が小学2年生から今まで約8年、こんなにも育てていただき、感謝の気持ちで一杯です。
本当に有難うございました。

岩野先生のいらっしゃる明和高校に入りたいと小さい頃から毎日頑張ってきました。お友達と遊ぶ時間やテレビを見る時間もほぼ作らず、新しい曲を読むことに夢中で過ごしてきました。

いつか、ピアノなんて嫌い、ピアノやめる!!と言う日が来るのでは・・・。そんな時は、何て声をかけよう・・・と考えていましたが、8年間
一度も辞めたいと言う事もなく、ピアノに夢中にさせて頂きました。

もちろん、楽しい事だけでなく、苦しく辛い事も沢山ありましたが、常に前向きになれたのは、先生が、岩野先生だからです。
大好きな先生に一週間に一度会える、真剣に頑張ったこと、先生は全てわかって下さり、ちゃんと向き合って下さる。小さいながらにそれを感じて、一生懸命になれたんだと思います。

初めての門下生コンサートの曲、「子守歌」のご指導の時、出だしの「ド・ド・ミ~」の2つ目のドは、「行く音」。1コ目のドと2コ目のドは違う‥‥という意味が全くわからず、最初の1小節、たった3音に何時間もかけて2人で悩んだのは、今でも我が家の笑い話です。
中3になり、宿題の多さや、学校の忙しさで、弾く時間が思うようにとれず、苦しんでおりました。

曲も難しいので、弾き込まないとすぐ弾けなくなってしまうと、寝る時間を減らしていましたが、結局は寝不足だと弾けなくなり、先生に申し訳ないと言っておりました。

でも弾けなくても、お休みはしない!弾けなくてすごく恥ずかしいけど、お休みしたら、もっと弾けなくなるから・・と言っておりました。
頑張っている姿を見てきたので、何とか念願の明和高校に入学させてあげたいと親としては祈ることしか出来なかったので、今日の合格発表は、本当に嬉しかったです。こんなにものめり込むものが出来たことは、○○にとってとても幸せな事だと思っております。

そして何より、岩野先生に出会えたことが、私達親子にとってとても幸せな事だと思っております。

小2のあの時、体験レッスンの申し込みメールをさせて頂いて本当に良かったです。岩野門下で本当に幸せです。

これから明和高校で、充実した3年間を過ごし、親子共々更に精進していきたいと思います。

岩野先生、本当に有難うございました。

今後ともご指導の程、どうぞよろしくお願いいたします」。



平成31年4月3日(水)名音大オリエンテーション


←今日は、名音大のオリエンテーションでした。

私が担当させていただく1年生~4年生までの学生さん。5人欠席していて写真に載せれませんでしたが、

皆さんに自己紹介していただきました。

お互いに周りの人の長所と欠点を、素直な心で、よく理解しておくということが大切だと思うからです。

長所は、出来る限り発揮させてあげるように、短所は、出来る限り、補ってあげるように、暖かい心で、最善の心配りをするように私は、心がけています。



私は、計算に弱いので、15名担当させていただく、学生さん達が、どの時間にレッスンすればいいのか、配分が難しく、計算に強い学生さん達に助けてもらいましたよ(笑)「頭の中が音符だけなんじゃない?」なんて両親からは、からかわれますけど。


私は、3歳からピアノを始めて、ず~っと44年間ピアノ一色の人生で、この先もピアノで終わると思うけれど、若い学生さん達のパワーを沢山いただいて、皆さんのレッスンをしていくのが一番楽しい時間です!

これからの時代を担っていく、希望が沢山ある若い学生さん達、期待しています!皆さん、よろしくお願いします!(スマホやインターネットもちんぷんかんぷんですので、皆さん教えてくださいね!)


平成31年4月2日(火)皆さんの感想のアンコールにお応えして・・・


門下生の多くのお母様方が、私にあてて書いて下さった幹事さんからのお手紙を我が子と重ねて涙ながらに聞いて下さったという、感想を沢山お寄せ頂いたので、アンコールにお応えして、

下記は、そのお手紙から・・・

「〇〇を岩野先生に教えて頂くようになったのは、10年前、〇〇が小学3年生の頃でした。
〇〇には、良い耳と歌う力を持ってほしいと思っておりました。数人の先生のコンサートや発表会に伺っていた時、丁度この東文化小劇場で岩野先生の門下生の発表会があり聴かせて頂きました。

そこには、音一つ一つに愛情をこめて紡ぐように弾く、生徒さん達の姿がありました。私は、即決で、「この先生のもとで、勉強させよう」と決めました。

先生のもとへ伺うと快くレッスンを了承して下さいました。

レッスンが始まると、○〇が、弾いたものに対して、先生が、「ちょっとちがう、こうね」とおっしゃって弾いて聴かせて下さり、〇〇は、わかっているのかいないのか・・・・。

私は、〇〇の反応の鈍さにイライラしてしまい、家での練習にもついくちを出してしまいました。

ある日、「ねえ、先生のおっしゃることがあなたには、わかっているの?」と怒り心頭で、〇〇に尋ねると、〇〇は「わかってる、わかっているけど、できないだけ・・・」。と言いました。

「ああ、そうなのね」と私はハッとしました。今、まさに、聴いて判断する事、音を聴くとはどういうことか?を学んでいる時なんだと
やっと気づいたのです。

そして、そのことは、修得するのに、時間の要ることで、忍耐の心をもって絶対にあきらめることなく岩野先生が教えて下さっている、私が
余計なくちをはさんだりしてはいけないんだとやっと思うことができました。

その時から、レッスンには、〇〇のみ行かせ、〇〇の能力と岩野先生を信じて全くノータッチで、私は向かおうと決めました。

それから、数年が過ぎて〇〇は、いつしか、とても繊細な音楽を奏でるようになっていました。

私が感動することは、先生が決して本当にその音が鳴るまでは、「そうね」とおっしゃらないことです。

決して、〇〇の少しの努力などに気をつかって、妥協の気持ちから「そう、そんな感じ」とはおっしゃらず、10回やってもできないときは、
「はい、じゃあ、次」と言われること。

コンクール本番の前日でさえ、「全然まだまだ これもあれも出来ていないけど弾いてきて」とおっしゃり、安易に「うまくいってるから大丈夫」などおっしゃらなかったことです。

その静かな厳しさが、本物を求めるちからを育ててくださったと思っています。

イメージを豊かに持って、それを音にする作業、そして本当にその求める音になっているのかを判断できる耳、岩野先生にさずけていただいたちからは、音楽家にとって最も大切な財産です。

高校生になり、立ちはだかる壁は、更に高くなり、努力をしても理想に近づくどころか、どこをさまよっているのかわからないような気持になる時もあります。練習は、孤独と向き合わなければならず、辛い日々を過ごす姿もありました。

そういう時にずっと寄り添って下さったのは、やはり、岩野先生でした。

ほとんど大人になった〇〇に対して、先生は、〇〇の音楽を大切にしてくださいました。

子供の頃とは違う適度な距離感をもって愛情深く見守って下さることが、どんなに〇〇の支えになったことでしょう。

10年間、大きな愛情と情熱をもってご指導くださった、岩野先生に、感謝の気持ちで一杯です。

そして、これからも一生続く音楽の道を歩く時、迷ったときは、おちからを借して下さいますよう、お願い申し上げます。

本当に有難うございました」。