平成31年1月31日(木)国民性の違いをよく感じたウィーンでの生活


←ウィーン留学時代に住んでいた、私のヴォーヌング(マンション)の前の建物。
あちらは、建物が頑丈だから、壊すのも、大変そう・・・・。

(2008年8月26日撮影)










毎日、寒いですが、私は、元気です!今年も、受験やコンクール、門下生コンサートに向けて頑張っている生徒さん達と共に、張り切っています!

そういえば、ウィーンには、カイロがありません。日本よりずっと寒い国なのに・・・。

ウィーンで日本から持って行った、カイロを持って手を温めていたら、知らない男性から、「それ、何?」と聞かれます。
「これは、日本では、カイロと言って、暖かくするものよ」。と教えてあげました。「へえ~いいなあ、ボクもほしいな」。

こうやって、どこの国の人か、さっぱりわからない人でも、誰かれ構わず、話しかけられます。

「私は、お金がありません。食べるものがないから、お金を下さい」とかいきなり、言われると、かなりびっくりします。

私だって、貧乏留学学生なのに・・・。日本で、いきなり、「お金を下さい」なんて話しかけられることは、まずないので、国民性の違いを感じます。


平成31年1月28日(月)生徒さんのコンサートのご案内


←来る、2月3日(日)開演13:00つばきホールで、第26回瀬戸新人演奏会が開催されます。

門下生の中から、第30回尾東音楽コンクールで、銀賞と瀬戸市議会議長賞を受賞された、明和高校3年生の吉岡瑞貴さんが、出演されます。

曲目は、ベートーヴェンのソナタ18番、入場無料です。

ご興味のある方は、是非、応援に行ってあげてください!

















平成31年1月27日(日)第6回岐阜ピアノコンクール中学生部門金賞第1位

昨日に引き続いて、第6回岐阜ピアノコンクールの中学生部門があり、中学3年生の生徒さんが、 金賞の第1位を頂いたと喜びの報告がありました。

又、今日は、ヤマハジュニアピアノコンクール(YJPC)の楽器店別大会(予選)があり、中学2年生の生徒さんが優秀賞を頂いたと喜んでいました。

皆さん、おめでとうございます!


平成31年1月26日(土)第6回岐阜ピアノコンクール

今日は、第6回岐阜ピアノコンクールに参加した、明和高校3年生の生徒さんが、銅賞を頂いたとの報告がありました。

おめでとうございます!


平成31年1月18日(金)ウィーン留学時代の日記から・・・24歳当時     


←オーストリアのザルツカンマーグート地方にある、ハルシュタット。
世界一美しい湖畔の街としてよく知られています。

23歳当時、初めて、ザルツカンマーグート地方を訪れたとき、ウィーン国立音大の
学生になってまだ5ヶ月しかたっていないのに、私、ここで、勉強する!て言ってましたね。

湖が見える真ん前で、ピアノを1日弾いていたい、と話すと、周りの人達から、笑われますけど・・・・・。

それくらい、気に入った場所でした。

(写真は、2012年8月25日撮影)。



1996年1月2日 24歳当時のウィーン日記から・・・

昼の1時頃から5時頃まで、調律をして下さった。
弦も切れていて、今、特別、よくさらうので、ぐちゃぐちゃにくるっていて、時間がとてもかかった。
私にとっては、随分重たいタッチになって、少し大変。ハンマーをサウンドペーパーで、こすったりしていた。
1200シリング(1万2000円)だった。



※つい先日、ケラー先生の奥様が国際電話を下さり、お話した時に、オペラのチケットにしろ、コンサートのチケットにしろ、現在日本人があまりにも増えすぎたので、かなり値上がりしている、と聞きました。
ウィーンは、世界一住みやすい国なんだとか。日本人がどんどん増えると、今後、更に値上がりしそうですね。
ケラー先生御夫妻とは、20年以上も前にウィーンから帰国した後も、すぐそのあと、愛知県芸の客員教授として、名古屋にいらして下さり、再び、ウィーンに戻られた後も、いまだに、交流が続いています。昨年、ケラー先生は、ウィーン国立音大を退官され、先日の国際電話で、奥様から、「めぐみさん、お父様、お母様を連れて、是非、又ウィーンにいらっしゃいね。その時は、私の家に泊まってね!」とおっしゃって下さいます。
恩師の存在は、いくつになっても、有り難いです。いつまでも、お元気でいてほしいです。


平成31年1月17日(木)心を映し出すピアノの優しい音色


←ショパンの生まれた家、ジェラゾヴァ・ヴォラ村の近くは、あたり一面、のどかな平原が広がります。

(上下共に、2010年8月24日撮影)。










←ショパンの生まれた家、ジェラゾヴァ・ヴォラの庭にある、白いショパンの像。木々の小枝や、葉が優しく風に揺れるところに、ショパンの物哀しいメロディが聴こえます。












小学6年生の生徒が、卒業式の合唱の伴奏を聞かせてくれました。

「さよなら 友よ」  作詞 坂田寛夫 作曲 黒沢吉徳

心を映して 空の色
少し悲しく光る朝
別れの時が今せまる
さよなら 友よ さよなら 友よ
忘れまい この日を
いつまでも


何も言わない校舎さえ
心ありげに見える今日
勇んで行けと声がする
さよなら 友よ・・・・・・・


私は、優しい音色でどこか、哀しげなピアノの音で、素敵に弾き終わった彼女に、歌の言葉の意味を深く味わうことと、それをピアノの音に1つ1つのせるように、そして、彼女に「出会い」と「別れ」について色々尋ねてみました。
彼女は、今の小学校が大好きで、もう1度、小学1年生に戻りたいそうです。何と、幸福な学生時代!

彼女が、別れの辛さを初めて味わったのは、小学2年生の頃だと話してくれました。同じマンションに住むお友達が、熊本に転校してしまい、いなくなった後の、
シ~ンと静まり返った空気に、限りない喪失感を感じたとの事でした。

「そうね、1人1人の存在は、いるだけで、暖かいものね。光だと思う」。と私は答えて、自分の体験からいって、見送られる側よりも、見送る方がどちらかといえば、
哀しいと思う、ということも、話しました。

私の小学6年生の時の担任の先生が、卒業式の日に、クラスのお母様と私達全員に、お話をして下さいました。いつも厳しくて、叱られてばかりいた想い出が残る女の先生でしたが、すごく熱心で、一生懸命な素晴らしい先生でした。

その先生が、話して下さった言葉の全ては、小学6年生当時の私には、理解できませんでしたが、なぜか、次の言葉だけは、とても印象に残っています。
「子供たちに、精一杯のことをやってきたつもりですが、上手くいかなかったことも、沢山あったと思います。子供たちの全ての願いをかなえてあげることは、できなったかもしれませんが、それでも子供たちは、一生懸命ついてきてくれました・・・・」
と涙ぐまれていました。「何で、こんなに今日は、優しいんだろう・・・」とびっくりしたのを憶えています。
 

あれから、35年も昔の事ですが、今もその先生とは、交流が続いています。
今、自分が、生徒を教える立場となり、その先生の涙のわけが、よくわかるようになりました。親の言葉も恩師の言葉も、時がたてばたつほど、深い重みを持って、
彼女の弾くピアノと共に私の心に響いてきました・・・。


平成31年1月14日(月・祝)ソシミの和音、さしみ?


←ザルツブルグにある、モーツァルトが生まれた家。真ん中の黄色い建物。裏から撮影したもの。
(2012年8月26日撮影)。











1人でレッスンに通ってきている小学3年生の男の子と私とのレッスンの様子です。
レッスン室に入るなり、上着もヘルメットもかぶったまま、息せき切って、私に話し始めます。
「冬休みはね、北海道に行ってね、おいしいものを沢山食べて、気温は、マイナス16度、雪が降って、新幹線が遅れて・・・・」実況中継です。
ママから、ポケットベルが鳴ると、私には、理解不可能な、「〇×□△・・・・・・・」中国語で、ペラペラペラ~。ママとは中国語、私とは、日本語で、使い分けて、バイリンガルというわけですが、にぎやかなこと!

レッスン中、私が、「ここは、ソシミの和音よ」。と注意すると、「え?さしみ?」
「この曲は、3月26日の門下生コンサートで弾くのよ、場所は、ナゴヤドーム矢田・・・」
「え?ナゴヤドーム?中日ドラゴンズとヤクルトが、この前」
「違うの、野球の話ではなくて、ナゴヤドーム前矢田駅下車の東文化小劇場で弾くのよ」。
「下車ってなに?」
「電車から降りるってこと」

私達の会話はまるで、漫才です。しかし、私が話す全ての言葉に食らいついて、「それなに?」「それどういうこと?」「それどういう意味?」何でも質問、そして覚えていくとても聡明な子です。次から次へと質問がわくという事自体、私の言葉を真剣に聞いているからこそ、です。

「僕はね、将来医者になるんだ。救急医療課。僕の行く大学は、東大だよ」。「おおっ!!」
そして、ピアノを想い出したみたいに、ガーっと弾いては、又、私とおしゃべり。

そんな彼に、「心」を込めて弾くことの大切さについて、話題を振ってみました。

「日常生活で、心を感じることはある?」
「ううん、ない・・・でも、夢の中なら、あるよ。でも、現実ではない」。

「じゃあ、普段、お母様や、おじいちゃんから、自分に対して、心を込めて下さっているなあと感じることはある?」
(一瞬黙って)「・・・・・・ある」

「それそれ。目に見えないことだけど、その「心」をピアノに込めて弾きましょう」。

わざと、知らん顔して、又、チャラチャラピアノを弾き始めます。でもね、内心では、わかっています。「心を込めたピアノ演奏」というものがどういうものかは、
わかるんですけど、テレているだけです。

「家に帰るまで、ママが心配しているでしょう?」と聞くと、
「全然。ママ心配してないよ」。「めぐみ先生バ~イ」。
(笑)大人顔負けの少年です。今日は、そういえば、成人の日。彼が、二十歳の時は、どんなふうになっているんだろう?他の生徒達も、あっという間に大きくなってしまいましたからね、今、これだけ、私に積もり積もる話を聞かせてくれますが、中学2年生頃になったら、案外、ダンマリ・・・になるかも。
生徒の皆さんの成長が、楽しみです。


平成31年1月12日(土)YJPCコンクール課題曲アドバイスレッスン 
















今日は、植田店で、YJPC課題曲アドバイスレッスンがありました。

生徒さんもピアノの先生方も、大変熱心に取り組まれて、嬉しく思いました。

一日、6時間練習している、という男の子がいました。

しかも、小学2年生で!将来が楽しみですね!

皆さん、本番に向けてきっといい演奏が出来ると思いますよ。頑張って下さい!


平成31年1月11日(金)ウィーン留学時代の日記から・・・25歳当時 ベートーヴェンとケンカ!?


←ウィーンにある、ベートーヴェンの像。近くで見ると、本当に恐いです・・・・。
演奏するのも、一番難しいです・・・。

(1995年9月撮影)

後期のソナタ28番の第2楽章の付点のリズムが微妙に違うらしく、ケラー先生から、何度も「違う!違う!」と言われ続けるのですが、どこがどのように違うのか、その当時、どうしても理解出来なかったのです。
私は、とうとう自分に腹を立てて、ベートーヴェンのソナタの楽譜を棚の中にしまい込んでしまって、ベートーヴェンとケンカしていた時期があります・・・(笑)







1997年4月2日 25歳当時のウィーン日記から・・・

「今日やっと朝リヒャルト(大家さんの名前)から電話があって、フォアミッターク(午前)に行くからとのこと。それでも待って待って、ようやく来てくれて、
もうこのシュトロームは、悪くなっているから、新しいのに変えた方が良いとの事。
私が、買い物に行っている間に、男の人3人が来て、私の部屋のシャワーの所とか、散らかり放題で、下は、土まみれで、びっくりした。
大きなイタリア製のシュトロームが運ばれてきた。2時間くらいかかってやっと取り付けていってくれた。
どうか、これからは、無事に暖かいお湯が出ますように。
久しぶりに、お湯を使えたときは、本当にさっぱりして、嬉しかった。」


平成31年1月9日(水)日本バッハコンクール


←先日の日本バッハコンクールの堺地区で優秀賞を頂いて、全国大会へ進む小学6年生の生徒さん。

このトロフィーの一番上に可愛い鳥がついていましたよ。


「ほら、見てみて!」天真爛漫という言葉がピッタリな男の子です。

バッハを美しく演奏することは、大変難しいですが、よく頑張りましたね。おめでとうございます!







平成31年1月8日(火)ピアノと共に歩んだ道のり・・・・ウィーン留学時代(1994年時代) 入試に、自分で作ったおにぎり持って…22歳当時


←ウィーン国立音大の入試が行われた、フェストザールで。
(写真は、入学後1年たった、1995年9月23歳当時)












私の後ろにある黒い板に、合格発表が貼りだされます。


私が受けたのは、22歳当時の1994年9月26日(月)です。受験番号27番、午後4時頃弾き、次の日には、合格発表がありました。

今でも、しっかりと憶えています。丁度、夏時間から、冬時間に入れ替わる頃で、時計を1時間遅らせるので、、時間を間違えていかないように気を使いました。


日本から持って行った、「ふじっこ」の昆布を入れたおにぎりを自分で作って、お昼にそれを食べて、入試にのぞみました。


入試の翌日に、ケラー先生が、合格したよ、とお電話を下さり、自分の合格を初めて知りました。

その後、本当に自分の名前が書いてあるか確かめに行き、ちゃんと「MEGUMI  IWANO」の名前が、タイプで打たれた文字を見て、段々と実感がわいてきました。

合格しても、しなくても、どちらでもいいわ、くらいの軽い気持ちでした。考えてみれば、私のこれまで来た「ピアノの道」は、ずっとそんな感じでした。
というのは、仮に、何か、結果が悪くても、ピアノと共に歩んでいくのだし、結果は、私にとって、あまり重要な事ではないのです。それより、続けていくときっと何か見えてくることがあるだろう、悟れる時が来るだろう、という思いは、常にありました。

ピアノが、そばにあれば、それでいい、そんな感じです。皆さんが私と出会うことで、幸せになってくれることが、私は一番嬉しいです。


平成31年1月5日(土)イノシシ君


←生徒さんが、いのししのぬいぐるみをプレゼントして下さいました!













←生徒の皆さんからの年賀状で、玄関がにぎやかです!

抱き心地がフワフワのイノシシ君。











←今年は、ボクの年!レッスン頑張るぞお!!レッスン室の前の椅子で張り切るイノシシ君です。

生徒の皆さん、レッスン楽しんでね~!!












平成31年1月2日(水)ウィーン時代の日記から・・・24歳当時


←ハンガリー、ブダペスト。修士を取って、日本に帰る直前、26歳当時の私。
「学生」という、背中に重たい十字架を背負っているような感覚から、やっと解放されて、嬉しくてたまりませんでした。
(写真は、上下共に、1998年7月8日)











←ブダペストの街並み。1998年当時なので、今は、随分変化していると思います。













1996年1月1日 24歳当時のウィーン日記から・・・
「アイン グーテス ノイエス ヤール!
テレビで、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ていたら、ロリン・マゼール(指揮者)が、ドイツ語、英語の後に、日本語で、
「アケマシテ オメデトウ」と言っていたので、びっくりした。ニュースでも一番に、新年の様子が、トウキョウと出てきたので、とても嬉しかった。1日、雪が降っていた。昨晩は、爆竹の音が、パンパンパンパンうるさくてたまらなかった。今年も良い年でありますように。今年は、とりわけ、私にとって、大切な年だ。卒業試験、リサイタル2つ重大な仕事が待っている」。


*ここからは、現在の話です。先日、生徒さんから、「めぐみせんせいは、なんで、ピアニストになったんですか?」という可愛い質問がありました。
私は、「そうねえ・・・・ずっとピアノを弾き続けてきたからかなあ?」と答えたら、「あはははは!」私も、その子も一緒になって、大笑いになりました。

目に見えない何物かに導かれている感覚が、非常に大きいです。その感覚だけを頼りに、自分の信じる道を歩み続けてきた結果、現在があるのでは、と思っています。私が、一生、「ピアノの道」を歩み続けたい理由は、色々とあるのですが、それだけでは、説明の出来ない、底知れない、とても不思議な力を感じています。


平成31年1月1日(火)明けましておめでとうございます!!


←皆さん、明けましておめでとうございます!沢山のお年賀状を頂き、有難うございました。

今年もよろしくお願いいたします。











←毎年の事ながら、今年も受験生達の合格祈願をしてきました。生徒さん達が、毎日幸せでありますように、いつもお祈りしています。

ちなみに、私は、おみくじを引いたら、「大吉」が出ました。実は、私、今年、「年女」「亥年」です。

生徒の皆さんのお役に立てますよう、今年も、淡々と、「ピアノの道」を歩き続けていきます。