平成30年9月29日(土)ピアノと共に歩んだ道・・・(1991年11月14日~11月24日 第1回浜松国際ピアノコンクールに出場した大学2年生の頃)


←第1回浜松国際ピアノコンクールに出場した大学2年生、丁度20歳の私です。浜松市民会館ホール前で。

(1991年11月14日~11月24日)












←上の段、右から4番目が私。世界の30か国2地域、300名を超える応募者の中から、選ばれた参加者達の
顔ぶれ。選ばれた日本人の参加者達は、19名。自由に受けられるコンクールではなく、国内のオーディションや、あらゆる書類審査を通過して、この浜松国際ピアノコンクールに参加出来る出場権をもらえます。

このコンクールは、参加が認められると、宿泊費など全て、無料です。ものすごく立派なホテルだったのを憶えています。









←国際コンクール期間中は、ホテルとピアノの練習室、そして、他の参加者の方々の演奏を聴く毎日でした。
練習室には、「歓迎  岩野めぐみさん」とお花をつけた紙を貼って下さっていました。浜松の方達がとても暖かく迎えて下さったことが印象に残っています。
(1991年11月14日撮影)










私が、この時、準備したプログラムは、第1次予選が、バッハ 平均律1巻21番、ベートーヴェン ソナタ「ワルトシュタイン」、ショパン 「舟歌」
第2次予選が、ショパン エチュード「オクターブ」Op.25-10、スクリャービン エチュードOp.42-8、シューマン ソナタ3番、ラヴェル「水の戯れ」
諸井誠 ピアノのためのアルファとベータ作品12よりアルファ、本選 ショパン協奏曲第1番e-mollでした。

浜松国際ピアノコンクールは、3年に1度開催されます。私が、参加したのは、第1回目でしたが、今年、10回目の浜松国際コンクールが開催されます。

大学2年生の1年間の間にアイルランドのダブリンと浜松と、大きな国際コンクールに2つも参加させて頂けて、有り難かったなと思います。国際コンクールは、誰もが自由に受けられるというわけではないので、貴重な体験が出来たことを本当に感謝しています。


平成30年9月28日(金)ウィーン留学中の航空書簡から・・・23歳当時 ピアノの鍵盤の蓋


←ドイツ、ライプツィッヒにある、聖トーマス教会。バッハは、ここで、約30年間過ごし、オルガン奏者として働いていて、バッハが弾いていたオルガンがあります。(2011年12月17日~12月24日撮影)



1995年3月17日23歳当時、母へ送った航空書簡から・・・・

昨日、雪だった日が、うそのように今日は、晴れ上がりました。晴れた日のウィーンは、空も真っ青で、澄み切っていて、本当に美しいです。

今日は、ケラー先生のレッスンがあり、スクリャービンのエチュードOp.42-3(トリルの練習用)と、
モーツァルトのソナタKV.310(a-moll)を教えて頂きました。

いつも先生は、「グライヒェス テンポ ヴァイター インマー インマー(同じテンポで、いつもいつも)」としょっちゅうテンポを取って下さいます。ペダルの微妙な踏みかえ、フレージングの説明、又、先生は、
よく弾いて下さいます。

「中指と親指でトリルを弾くときは、中指も親指も同じ場所を鍵盤に打ちなさい」と言われます。

いつも先生は、ピアノの蓋を取っていらっしゃるので、中の鍵盤の様子がよく見えるのですが、先生は、
「ほら、ごらん、黒鍵と白鍵の釘の所は、場所が違う。その原理をよく知って、鍵盤をどの位置で、指で押さえるかよく考えなくてはいけません」。とおっしゃいました。

先生は、「メグミは、6月の始め頃にやるクラスアーベントに出なくてはいけませんよ」。とおっしゃいました。
初めてなので、ドキドキです。


*ケラー先生は、いつもピアノの鍵盤の前の蓋を開けてレッスンされました。一つの理由は、先生ご自身の指が長くて、前の蓋にぶつかって弾きにくいということと、
蓋を開ければ、その部分からも、広く音の響きを聴くことが出来て、豊かな音の響きになるから、というお考えのようでした。
ヤマハのピアノだと、スッと蓋が取れますが、スタインウェイだと、端と端のネジを取って、それからでないと、前の蓋が開きません。ケラー先生は、いつもドライバーを持っていらっしゃり、必ず、私達のレッスンをなさるとき、コンサート本番の時は、蓋を開けて下さるのでした。
グレン・グールドもそうやって弾いていたようです。


平成30年9月27日(木)ウィーン留学時代の日記、写真から・・・(1994年~1998年)



←1998年1月30日、冬の国、ウィーンらしい寒さの中で、26歳当時。

ここから、中心地のカールスプラッツもすぐ近いので、あまり、ここは、雪が積もって見えませんが、
郊外に行くに従って、雪の量も多くなってきます。









1995年11月15日、24歳当時のウィーン日記から・・・

今日は、わりと暖かくて良かった。昨日ガス(ツュンダー(点火装置のこと))がダメになったから、壊れたかなと思って、近くのタバック(タバコ屋さん)に行ったら、ないと言われて、わざわざ、7区のルグナーデパートまで行き、買ってきて帰って、もう1度壊れたはずのツュンダーを動かしてみたら、火がついたので、もうがっかり。
なんか、どっかこっかつかなくなったり、色々故障が起きるから、そのたびに、あ~あ、何て不便なんだろう、日本は、いいなあなんて、思ってしまう。
ピアノを学びに来たのだから、そういうことを言ってはいけないのだけど・・・。
そして、クラヴィアプラクティクム(初見の授業)もせっかく行ったら、鍵がしまっていて、帰ってみて、シュトゥーディエンフューラー(学生便覧のような冊子)を見たら、祭日になっていたので、もうガクッ!
今日は、何かついてない。


※ウィーンでは、台所のガスをつける時に、ツュンダー(長い、ライターのようなもの)で、火をつけるのですが、この中に入れる小さな石を買ってきて、火をつけます。
マッチでも出来るそうなのですが、私は、恥ずかしいことに、この年齢になっても、マッチが擦れないのです・・・・。2歳の時に、マッチ箱からマッチを取り出して、シュッと擦ってみたら、誤って、バア~っと火が燃え広がってしまって、大泣きした恐ろしい想い出があり、それきり、マッチで火をつけるのが恐くなってしまいました。(笑)
誰か、マッチを上手に擦れる人がいたら、コツを教えて頂きたいです・・・・。


平成30年9月26日(水)ウィーン留学中の日記、写真から・・・(1994年~1998年時代)


←ウィーン、ケルントナー通り。貴乃花がウィーン公演に来た時の現役時代のポスターが見えます。
写真の私は、この時、23歳だから、貴乃花は、22歳ですね!


このすぐ、左側に、インフォーメーションがあります。日本語で書かれた、「月刊」というパンフレットが無料でもらえます。

この「月刊」に1か月分のコンサート情報など、全て書かれてあり、「ヴィーン、ゲッカン、ビッテ!」と言えば、
初めての人でも十分通じますよ!しかし、23年も前の事だから、今も「月刊」が、あるかどうかはわかりませんが・・・・。







1996年5月17日、24歳当時のウィーン日記から・・・・

2時に、ヨハネスガッセへ行き、友人とドビュッシーの合わせをした。3時半からは、レッスンだったから、ロートリンガーへ2人で行ったら、イタリア人の団体の人10人ほどの人が、ドワーっと、ケラー先生のレッスンを聴いていたので、びっくりした。
連弾は、もっと流れて、P、mpなど、もっと区別をつけるようにと言われた。ソロシュトゥック(ソロ作品)は、クラスアーベント(門下生コンサート)の時よりもっと良かったということだ。


*私のレッスンの時、たびたび、色々な国の方が、「レッスンを見学させてほしい」といって、聴いている人が結構いました。
ウィーン国立音大のレッスンは、いつでも自由に見学出来ます。自分が行きたいと思うところの大学へ直接行って、自分の目でどの先生のレッスンが自分にふさわしいか、を見学させていただき、自分の目で良く確かめてから、先生選びをする方が多いようです。事前に先生とコンタクトがあれば、入試に合格するという話は、単なる噂にしかすぎず、私の時代は、そんなことは、一切関係ありませんでしたので、自分の実力をつけることのみ、没頭して、入試にのぞみました。


平成30年9月22日(土) 小学4年生の私の日記から・・・・小学5年生で、毎コン(全日本学生音楽コンクール)を受けるため、2年間続けて、他の参加者達の演奏を研究した


←エストニア、タリンの街並み。タリンにもやっぱり
ありました、マクドナルドが!
(写真は、2018年9月1日)











小学4年生の私の日記から・・・(1981年11月1日(日))

毎コンをききに大阪に行ったこと

今日は、朝6時半、お父さんの車で、四日市駅まで送ってってもらいました。
四日市から、なんば(大阪)まで、2時間、ビスターカーにのっていきました。
やっと場所についたから、みんなのえんそうをきいていると、びっくりするほどじょうずな子もいたし、へたな子もいました。小学生のしんさのけっかのとき、まちがえた子がないていました。
わたしも、コンクールに出て、まちがえたりしたら、なくのかなあと思って、じっとその子を見ていました。
中学生のけっかのとき、わたしの友だちが1位になったのでよろこびました。1位の子は、全国大会に出れるのです。
わたしが、友だちにおめでとう、という前に、友だちはないていました。
お母さんも、その子のお母さんとだきあって、ないていました。
わたしは、1位になったのに、どうしてなくのかなあ、と不思議に思いました。

担任の先生からのコメントから・・・

「人間の涙は、うれしいときも、かなしいときもでるんですね。どっちにしても、このコンクールの涙は、いっしょうけんめいやったけっかでしょうから、いい涙でしょう。」


*コンクールを受ける場合は、私の演奏だけ聴いて、良く弾けていると思っても、全ての参加者の演奏を聴いてみなければ、本当の事がわからないから、という母の考えもあり、私が受けないときも
あちこちへ連れて行ってくれて、朝から晩まで、コンクールを聴きに行っていました。
毎コンは、私の時代は、小学5年生から、受けることが出来て、三重の子は、名古屋ではなく、本選は、大阪(西日本大会)で、受ける決まりとなっていました。
小学5年生で、受ける準備をするために、小学3年生、小学4年生と2年間続けて、大阪まで、聴きに連れて行ってくれました。


平成30年9月19日(水)生徒さんの出雲大社での授賞式・演奏会


←先日、出雲大社で、第9回(一社)日本イタリア協会主催コンコルソ・ムジカアルテのステッラ部門の授賞式と特別演奏会が行われました。












←ステッラ部門の優秀大賞の生徒さん、熱演しています。神社の中は、どんな響きがするのでしょうね!

日本最大級の大注連縄がある、神楽殿の中は、暗くなってからは、とても幻想的で、素晴らしいところだったそうです。











←イタリア総領事や、出雲市長もいらっしゃり、テレビカメラも入っていたとのこと。翌日の市庁舎くにびきホールでも演奏させて頂いたとの事です。
コンコルソ・ムジカアルテを受けられた方達、色んな体験が出来て良かったですね!おめでとうございます!
















平成30年9月17日(月・祝)40年前の敬老の日 小学1年生の頃の私の日記から・・・



←40年前の9月17日、敬老の日。私が、毎日つけていた
小学1年生の時の日記です。


「きょうは、けいろうの日でわたしは、たいいくかんでピアノをひいておきかせしました。
まっているあいだは、どきどきしましたがひきはじめるとどうもなかったです。たくさんのおじいさんおばあさんたちがきていて、はぎ先生がいないかなあとおもってさがしましたがいなくてこうちょう先生やきょうとう先生はみえていました。夕やけこやけとチョットシタケンカをひきました。
きょくもおわらないのに手をたたくのです。
わたしはどうしてかなあ?と思いました」

























←小学1年生の時の担任の先生からのコメント

「めぐみちゃん、じょうずに日記をかきましたね。せんせいは、ほんとうにかんしんしました。まい日まい日、がんばってよくかいたね。
めぐみさんが、ピアノのれんしゅうにがんばっているのがよくわかりました。からだがくたびれているのに、いやだともおもわずにれんしゅうするのだから、じょうずになるのですね。むずかしいピアノのきょくをひいたときは、ほんとうにうれしいでしょう。これからもがんばってね。
それから、日記をよんでいてめぐみさんがこころでかんがえたこと(おもったこと)や、きもちがかいてあるのは、いいことですね。おもったことがかいてあるから、よむのがたのしみなんですね。じょうずなぶんになるのです。
これからもがんばってかきましょうね。

はぎ先生より  めぐみさんへ」



40年前の日記を読むと、敬老の日もピアノを弾いていた私です。あれから、40年たった今日の日、名音大の秋学期のレッスンも始まりました。小学1年生の頃、ピアノに関わっているのは自然な事でしたが、まさか、そのころは、将来、自分が音楽で生きていくとは、思ってもみませんでした。私を支えて下さる全ての方達に支えられて、ここまでこれました。本当に有難いです。


平成30年9月15日(土)ヘルシンキ研修から・・・(8月29日~9月3日)音は、寒さも表現できる


←エストニア、タリンの船乗り場。左側がヘルシンキ行き、右側が、ストックホルム行き。

タリンから、ヘルシンキまで、2時間で到着します。










←フィンランド湾。ヘルシンキへ向かう船の中から。夕日がとても美しかったです。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲の第1楽章を思い出します。











←「森と湖の国」として知られるフィンランドは、6万を超える湖と、果てしなく続く大森林があります。
首都「ヘルシンキ」は「バルト海の乙女」と呼ばれ、とてもロマンティックな雰囲気を持っています。
日本に帰国する日、ヘルシンキは、ピカピカに晴れていました。











←エストニアの首都タリンの旧市庁舎。600年以上も経つ歴史的な建築物で、現在は、コンサートや、迎賓館として使われているそう。
この前の広場が、「ラエコヤ広場」といって、1441年に世界で初めて、クリスマスツリーが置かれたということで知られているそうです。




















高校、大学時代、私のピアノの先生が、指揮者ということもあり、シベリウスの交響曲第2番をサントリーホールで、指揮するから、と先生が勉強されている姿と、実際に本番で、シベリウスの指揮を振られた時の感激は、今もずっと私の心に残っています。

北欧フィンランドの穏やかな明るさと柔らかな光を感じる交響曲第2番1楽章の初めの出だしとクライマックスの4楽章が私の特にお気に入りの部分です。

シベリウスの音楽も、グリーグのホルベルク組曲も、イ短調のコンツェルト、ペールギュント・・・・などなど、北欧の作曲家が書いた曲は、どこまでも澄み渡るすがすがしさに溢れています。
音楽は、寒さも、暑さも表現できます。

音楽と、その国の持っている空気の粒子は、密接に結びついているんだなあ・・・・て思いますね。



平成30年9月12日(水)ヘルシンキ研修から(8月29日~9月3日)・・・・音楽は、過去の記憶をいっせいに呼び覚ます


←ヘルシンキにある、フィンランド正教会の大聖堂、ウスペンスキー大聖堂。(生神女就寝大聖堂ともいい、イエスの母マリアの死を記念する正教会の大聖堂。)やはり、ロシア風に見えます。












←エストニアのタリンにある、聖ニコラス教会の中で、名高い宗教絵画「死の舞踏」を見ることが出来ます。

14世紀頃、ヨーロッパでは、黒死病(ペスト)が大流行して、そのころから、教会や、墓地に「死の舞踏」といわれる壁画が描かれるようになったとのこと。特徴的な事は、王様や、女王様、騎士や領主、子供などの横に、
全部骸骨と手をつないで踊っている絵が描かれていることです。
死は、身分や、立場に関係なく、どの人にも公平にやってくることを表しています。

この絵を見たときに、私は、真っ先に、サン・サーンスの「死の舞踏」の音楽が浮かんできました。

音楽をしていて、幸せだなと感じることは、何を見ても、何を聴いても、全て、音楽のメロディが頭に浮かんでくるところです。




←今回私は、初めて、「ヒースの花」をヘルシンキのヌークシオ国立公園で実際に見ることが出来ました。ピンクがかった、紫色の美しい花です。
私が、すごく好きな曲の1つでもあり、ウィーン留学中に勉強した、ドビュッシーの「ヒースの茂る荒地」を弾いたときに、ケラー先生から、「ヒースの花を見たことがありますか?一度実際に見てごらんなさい。アイルランドに沢山ありますよ。リューベックの「エリカ街道」にも美しいハイデの花が咲き乱れます」。と言われた言葉を真っ先に思い出しました。ドイツ語だと、「ハイデ」。イギリスでは「ヒース」と呼ばれます。

風の吹きすさぶ荒野に自分で生きる姿から、「孤独」「寂しさ」「博愛(平等に愛すること)」「良い言葉」という花言葉があるとか・・・。

ヒースを見たときに、ドビュッシーの音楽、ウィーンでの恩師の言葉・・・・私の脳にインプットされていた全ての点と点がつながり、
音楽と共に、パア~っとよみがえってきました。

今回ヘルシンキで実際に手に取って、見ることの出来たヒースの花も、又、私の脳にインプットされて、再び、
ドビュッシーを弾いた際に、記憶が、よみがえると思います。意味を知って、ピアノを弾くのと、ただ漠然と弾いているのとでは、全然聴こえ方が変わってきます。

いっせいに過去の記憶がよみがえるという点で、「音楽」は何と素晴らしい、美しい役割を担っているのだろうとその神秘に感激です。


平成30年9月11日(火)ヘルシンキ研修から(8月29日~9月3日)・・・エストニアの教会、ロシアの教会に似た感じ


←世界遺産にもなっているエストニア・タリンの旧市街は、ポーランドのワルシャワの街並みによく似ていました。
私の着ている服の絵柄が、エストニアの柄なんだとか。そういえば、エストニアの国旗は、青、黒、白・・・・。












←エストニアのアレクサンドル・ネフスキー大聖堂。
フィンランドもエストニアも長い間、ロシアに支配されていた期間が長く、ロシアの建物によく似た正教会の教会をよく見かけました。












私は、教会がとても好きで、ヨーロッパに行くと、まずは、教会に入ります。その中で、目を閉じて、ここで、ピアノを弾くと、こんな音が出せるだろうなあ!と色々音の色のイメージを想像しながら、全身で、教会の中の空間を感じます。

ウィーンのシンボル、シュテファン寺院、ザルツブルグ大聖堂、ルツェルンにある、スイス最古のバロック建築のイエズス教会などが、私の好きな教会です。


高校・大学のレッスンでは、「聖書をよく読みなさい」と言われて、旧約聖書、新約聖書共に、読んでいましたが、その時は、これとピアノと何の関係があるのかなと・・・・。これを読めば、上手になれるのかな?とか(笑)。しかし、その先生は、私に、音楽家としての後ろ姿を見せて下さっていたんだと思います。

ピアノを弾くためには、まず、ヨーロッパの歴史や、文化、言語を知ることが、とても大切なんだと実感します。
ピアノを弾くこと自体、外国語を話しているようなものだから、一生かかっても学び尽くせない奥の深さがあり、ピアノを弾いていて良かったなと、歳を重ねれば重ねる程、思います。


平成30年9月7日(金)ヘルシンキ研修から・・・ウィーンに留学する前、シベリウス音楽院も候補先だった


←ヘルシンキのシベリウス公園にある、パイプオルガンをイメージして作られたモニュメント。














←ヘルシンキにある、テンペリアウキオ教会。パイプオルガンの下に、ピアノもあります。
岩の中に作られた教会は、初めて見ました。
音響効果が良く、コンサートもよく開かれているようです。











私は、幼い頃から、音楽好きの母が毎月、ショパンや、ムジカノーヴァ、音楽の友などの月刊誌を取り寄せてくれて、毎月読んでいました。

ショパンの月刊誌に、ピアニスト館野泉さんの「ヘルシンキ便り」が毎月連載されていて、貪るようにして読んでいました。

今の若い子達なら、インターネットで、どれだけでも情報が取り込める時代ですが、私達の時代は、留学するといっても、どこの国にするか、から始まって、先生探しから、何から何まで、どうやって初めの一歩を歩み始めればいいのか、さっぱりわかりませんでした。

何もかもが私にとって、いつでも、ゼロから始めなくてはならず、その道のりは非常に困難を極めました。あの、ゼロから、始めた、留学準備を考えると、若くて、情熱に満ち溢れ、何もかも知らなかったからこそ実現出来たことであり、あの準備の大変さを考えると、もう2度とあの頃に戻りたいとは思いません・・・・。


館野さんの北欧的な、静かで、温かみのあるピアノ演奏も大好きでしたし、私達の時代は、全く、学費がかからないということもあり、シベリウス音楽院も私の留学先の候補に、上がっていました。
今でも、フィンランドの人は、大学を卒業するまでにかかる学費が全て無料だとのことです。

又、私が、大学3年生の時に、北九州国際音楽祭のオーケストラのソリストとして招かれて、韓国のオーケストラ(指揮者は、フィンランド人のオッコ・カム)と共演したことがあったのですが、
この音楽祭自体が、フィンランドのクフモ音楽祭の姉妹版のような音楽祭となっています。
ありとあらゆる北欧の音楽が聴けて、フィンランドから、沢山の素晴らしい音楽家達が招かれていました。

今でも、フィンランドのクフモ室内楽音楽祭は、人気のある音楽祭のようです。


平成30年9月6日(木)ヘルシンキ研修から・・・・エストニア、タリンでのパイプオルガンコンサート


←エストニア、タリンの街並み。ヘルシンキから、船で2時間乗れば、タリンに着きます。
街並みは、ポーランドや、チェコに似た感じ。











←タリンにある、聖ニコラス教会の中での、パイプオルガンコンサート。
私が聴いたうちで、とても印象的だった曲は、リストのカンタータ「涙し、嘆き、憂い」の通奏低音による変奏曲、
BACHの主題による幻想曲とフーガでした。

この曲は、ピアノで最近よく弾かれていますが、パイプオルガンで聴くとより魂の奥底にグッと響いてきます。
私は、元々、教会音楽や、パイプオルガンが好きなので、タリンに行って、いいコンサートが聴けて嬉しかったです。
フランクの「プレリュード、コラールとフーガ」なども、こういうところで、演奏出来るといいだろうなあと感じながら聴いていました。

















今回の飛行機も、往復ともに、フィンエアーでしたが、歳をとるごとに私自身の心に変化が訪れているのを感じます。

それは、飛行機の中での過ごし方。若い頃は、映画を見るのが好きだったんですが、今は、映画に興味がなくなり、ずっとクラシック音楽をつけて聴いていました。
ベートーヴェンの月光や、ドビュッシーの月の光、ショパンのノクターンの2番など・・・。

ベートーヴェンの月光などは、こんなにゆっくり、ゆっくり弾いたら、コンクールや、受験などでは、間違いなく落とされるような演奏でしたが、
飛行機の中で、聴くには、ゆっくり、ゆっくり噛みしめて、弾いているのも味わいがあっていいなと思いました。

ドビュッシーの月の光などは、ギター2台で、演奏されていたり・・・。やはり、クラシックは聴いていて、一番心が休まるなあと思いました。
どんな演奏でも、聴く場所と、その土地と、自分の成長度合いによって、音楽の味わい方も変わり、人間は、毎日、変化し続けていくものだとつくづく音楽を聴きながら、感じました。


平成30年9月5日(水)第9回コンコルソ・ムジカアルテ表彰式


←去る、8月28日に、東京の六本木ヒルズ(最上階51階)で、今年1月に行われた、(一社)日本イタリア協会主催
第9回コンコルソ・ムジカアルテの受賞者達の授賞式・特別演奏会が行われました。

参加された、7名の門下の皆さんのお写真をお母様が送って下さいました。イタリア語の表彰状に立派なトロフィー、メダルの入った素敵な盾を頂いて、皆さん、嬉しそう!

真ん前の着物姿に足袋で、参加した生徒さんもいて、可愛いですね!皆さん、華やかで、とっても素敵です!

この中の6名の生徒さん達は、イタリアに演奏旅行、マスタークラスに参加したことにより、イタリア滞在での同じ時間を過ごした
仲間として、一生心に残る素敵な想い出が作れたことと思います。

六本木ヒルズは、周りを取り囲む大きな窓から、富士山を眺められたり、東京を一望できる、美しい景色の良い眺めが広がる場所で、演奏できたなんて、皆さん、素晴らしい体験が出来ましたね!

私も行ってみたいです。門下のお母様が表彰式、演奏会の様子をビデオに撮って下さったそうなので、
楽しみです。有難うございました。そして、皆さん、おめでとうございました!

イタリア演奏旅行の日記は、他の生徒さん達にも、とても楽しく見て頂いたとの事で、私の日記を見て、「いいなあ!」「行きたいなあ!」と興味深々の様子でした。
今年は、特別、沢山の生徒さん達が集まったので、より盛り上がった感じがして、私もとてもうれしく思っています。

私の日記を見て、イタリアのこのコンクールに興味を持たれた方々は、是非、ご参加ください。イタリアに演奏旅行にも行けて、こんな素晴らしい場所での表彰式、演奏会にも参加できます。

今年もあります。予選が、音源・動画審査、セミ・フィナーレが12月9日(日)、グランフィナーレが、来年1月20日(日)両日とも、愛知県の方は、名古屋芸術大学で受けることが出来ます。

今日からレッスンも始まるので、皆さんから表彰式の様子を聞くのが楽しみです。次は、門下生コンサートへ向けて、私も頑張ります。受験生もいますし、最善を尽くしていきたいです。


平成30年9月4日(火)ヘルシンキ研修から・・・


←北欧独特の憂愁漂う森と湖。冬は、雪と氷で閉ざされます。












←ヘルシンキ大聖堂。この中には、5614本のパイプを使ったオルガンがあります。私がこれまでに見てきた建築物の中で、いわゆるドイツや、オーストリアなどの
「ヨーロッパの風景」とは、異なる印象を受けました。シベリウスと言えば、交響詩「フィンランディア」。
祖国への賛歌として書いたこの曲は、フィンランドの自然を賛美しただけでなく、根底には民族の叫び、祖国の叫びが込められているのだなあと思いました。











私が、フィンランドに興味を持ったのは、高校1年生から、大学4年生までお世話になったピアノの恩師の影響が多大にあると思います。

その先生の身体の中に、フィンランド人の血が流れているということもあり、レッスンの時に、いつもフィンランドのお話しを聞かせて下さいました。レッスンは、いわゆる、「ここをああしなさい」「こうしなさい」といった、音楽の作り方、技術、演奏の仕方を教えて下さるのではなく、レッスンの内容は、大抵、作曲家についてのお話、ヨーロッパの歴史や文化、そういったことについてでした。音楽をどのように作っていくかは、私次第であり、いつも私の音楽を自由にさせて下さいました。そのために、ウィーンへ留学することになったときに、全く違和感なく、溶け込むことが出来ました。


長年師事したピアノの恩師から受ける影響は、私の全てを作って下さったと言ってもいいくらいに大きいです。


平成30年9月3日(月)フィンランド研修から帰りました!

今、先程、フィンランドのヘルシンキから帰ってきました。

私の好きな作曲家の1人、シベリウスの事を色々と知る事が出来て、又、エストニアのタリンでは、パイプオルガンのコンサートを聴いて、フーガが、もっともっと好きになりました。ピアノでは、フーガのテーマの遠近感が出しにくいけれど、パイプオルガンだと、遠近感がよくわかる事と、私の身体全体に音がしっかり、食い込んでくる感じで素晴らしかったです。

日本にいない間、生徒さん達から、メールを頂き、全員にすぐ返信してありますが、皆さんに届いているかどうか、私が全然スマホを使いこなせていないので、心配です。
もし、届いていない方は、ごめんなさい!

日本でも使いこなせていないスマホを持っていき、飛行機の中や、ホテルなどで送信していたのですが、接続できていません、とか出てきたり・・・・、何のことやら、いまいち、さっぱりわけがわかりません(笑)ピアノと一緒で、スマホ習得には、まだまだ、私には、練習が必要なようです・・・・

←シベリウス公園にある、シベリウスの記念碑。後ろから、にらまれているみたいです。

気温は、最高が17度、下は、11度くらい。セーターを着て、マフラーをして、それでも寒いくらいでした。