平成29年11月29日(水)留学時代の生活から・・・(1994年~1998年時代)イタリア 


←ミラノのドゥオーモ。
この中の、ステンドグラスが、とっても美しいです!

↓ミラノ中央駅。

ヨーロッパ1の威容を誇る駅というだけあり、
あっちを向いてもこっちを向いても、天井が高く、首がだるくなるくらい大きな駅。








ミラノへ、列車で入る場合は、スイスのチューリッヒ~イタリアのミラノの車窓が、とても素晴らしくおすすめです!

オーストリアから、スイスに入り、イタリアに入っていくと、ドイツ的なスイスの風景、アルプスの山、湖、谷、そして最後にこれから訪れるイタリアの街並みと美しいヨーロッパを次から次へと
見せてくれるので、目が離せません!それぞれの国の街並みの違いもよくわかります。

私は、ウィーンから、8時間かけて列車でまずチューリッヒに行き、チューリッヒを見て、泊まり、翌日、ルツェルン(チューリッヒからは1時間くらい。)へ行き、
ルツェルンからミラノへは、4時間くらいなので、十分日帰りで、ルツェルンに戻ってこれました。

ヨーロッパの列車に乗っていると、それぞれの国境で、言語が変わるのが面白いです。ヨーロッパは、陸続きなので、国境が来ると、列車の中で、パスポート検察があります。違う国に入ったんだなというのは、車掌さんが話す言語と、辺りの街並みが、変わってくるので、「あ、なんか変わった」というくらいの感じです。

オーストリアから、スイスは、ドイツ語が話されるから、何となく、気分的に安心感がありました。イタリアに入ると、イタリア人の車掌さんに変わるので、突然、車内放送が、イタリア語に変わります。見えてくる景色も、オーストリアやスイス、ドイツ的な、爽やかで牧歌的な風景とは、全く変わるのがイタリア。
ドイツや、オーストリア、スイスなどは、外に家庭の洗濯物を干しません。私も、ウィーンでは、家の中に洗濯物を干していました。外に洗濯物を干さないのは、美しい景観を保つためだそうですが、イタリアは、日本と同じように、各家庭の洗濯物が、ヒラヒラ干されていました。

私が、イタリアを訪れたのは、夏だったせいもあり、とにかく暑かったです。オーストリア、ドイツ、スイスなどの、爽やかな空気感とは、随分違うなと感じました。


平成29年11月28日(火)留学時代の日記から・・・(1994年~1998年時代)ウィーン 美術史博物館


←ウィーンの美術史博物館の入り口。素晴らしい美術館です!

1994年12月27日(23歳当時)のウィーン日記から・・・。

クンストヒストーリッシェスムゼウム(美術史博物館)に行った。印象に残ったのは、レンブラント、そして、ルーベンス、フリューゲル、あとラファエロの「草原の聖母子」もあった。オランダのレンブラントは、おばあさんの目が、そして、男の人の目が本当にこちらを見て語りかけてくるようだった。

ルーベンスの「マリアの昇天」も圧倒された。フランダースの犬のネロがこれを見たい見たい、と言って、最後見て、パトラッシュを横に死んでいったのを想い出す。ここのムゼウム(博物館)は、彫刻も、大昔のギリシャの文字が書かれた石器なども沢山あって、素晴らしかった。






←パルラメント(国会議事堂)の前で、23歳の私。歴史的な建築物には、赤と白のオーストリアの国旗があります。












平成29年11月25日(土)留学時代の生活から・・・(1994年~1998年時代)チェスキー・クルムロフ(チェコ)いつも音楽を感じる


←チェコのチェスキー・クルムロフから、両親へ送った絵葉書。

「1997年3月25日

ここは、”世界に誇る景観”だけあって、中世そのままの本当に美しい町で、下から眺めても上から眺めても何と美しいことでしょうか!
ヴルタヴァ川というスメタナ作曲”モルダウ”川を見ました。あの曲にピッタリの美しさです。
しかし、東ヨーロッパなので、乗り物、バスが汚い。ガラス窓は、真っ黒で、バスのお金を払うのも運転手がくたびれた財布からいちいちおつりを渡してくれたりと東の国を感じます。
でも、何といっても、物価の安さは、目を見張るほど。このハガキ1枚15円、切手が18円、ペンションも信じられない安さで1人1200円、昼は、50円も出せば、沢山食べられます。ただ、大変なのは、言葉。
ドイツ語は、ほとんどきかず、チェコ語で話してきます。
明日は、プラハに入ります、それでは、Dobrou noc!(ドブロウ ノッツ チェコ語でおやすみなさい)」
 
チェスキー・クルムロフは、20年前は、まだ、世界遺産などではなく、私が訪れた時代は、ひっそりとした、街でした。今や、ここは、世界遺産になっている場所で、観光客も押し寄せて、経済も豊かになり、バスなども、きっと変わったと思います。


←この下を流れているのが、ブルタヴァ川。中学の時、音楽の授業で聴いた、モルダウの流れが、パァ~っとよみがえりました。

昔も今も、何か、心で感じたり、思ったり、景色を見た時に、言葉というよりも先に、私の心に音楽が流れてくるから、そこが、音楽をやっていて良かったなと思える瞬間です。







平成29年11月23日(木・祝)留学時代の生活から・・・(1994年~1998年時代)スイス 


←スイスのチューリッヒ。


←ルツェルン駅前で。







↓ルツェルンのカペル橋。











スイスは、空気が爽やかで、とても美しい国です。ウィーンから、列車で行くと、チューリッヒまで、約8時間くらいかかります。
思い出すのは、列車の中で、トアレッテ(トイレ)のシュルッセル(鍵)をあけられなくなった子供が、「ヒルフェ~!!マミ~!(助けて!ママ~!)」と泣き叫んでいたことです。前にも書きましたが、ヨーロッパのトイレは、古くて、壊れている事が多いので閉じ込められると、本当に怖いです。

スイスには、ジュネーブ音楽院などがあります。ルツェルンの音楽祭も有名ですね。スイスの物価は、大変に高いと思います。従って、観光客は、いますが、日本人の留学生は、あまりいない印象を受けます。


平成29年11月22日(水)生徒さん達のコンサートのお知らせ


来る、12月16日(土)16:00開演(15:30開場)しらかわホールで、明和高校音楽科の定期演奏会があります。

門下生の中から、髙浪杜和君が、ショパンの幻想曲、宮脇彩永さんが、ショパンの舟歌を演奏致します。

ご興味のある方は、是非、応援に行ってあげて下さい!










平成29年11月18日(土)留学時代の生活から・・・(1994年~1998年時代)ハンガリーのブダペスト


←ハンガリーのブダペストの王宮。ドナウ川をはさんで、国会議事堂があります。

↓ブダペスト、ケレティ駅。

列車の名前は、「フランツ・リスト」号です。


ヨーロッパの長距離列車は、音楽家の名前がついています。

ウィーンから、ポーランドへ行く時は、
「ショパン」号という名前の列車に乗ります。
他、「モーツァルト」号「レハール」号という名前の列車もあります。

「ベートーヴェン」号という列車の名前は、ないです。

ウィーンのヴェストバーンホーフ(西駅)から、特急列車に乗って、約3時間くらいで、ハンガリーのブダペストへ行けます。ウィーンから、最も、気軽に、東欧圏に入れる国です。ウィーンから、入ると、やはり、東の国といった、どことなくうら寂しい雰囲気が、漂っていましたが、今は、世界中の経済が豊かになっているので、私が訪れた、20年前とは、随分違って発展してきていると思います。

物価は、驚きの安さでした。私が、日帰りで行った時に、地下鉄の乗り方がわからなくて、一生懸命、路線図を見ていたら、
「ナニカ、オテツダイ、シマショウカ?」と話しかけて下さった、男性の方が、親切に、乗り場や、切符の買い方など、教えて連れて行って下さいました。

ハンガリー人なのに、日本語が上手で、ビックリしたことを覚えています。食べ物は、ハンガリーグーラーシュ(パプリカ入りビーフシチュー)牛肉をトマトや、玉ねぎ、ジャガイモと一緒にパプリカソースで煮込んだスープが、最も、日本人の口には、合うと思います。


←ハンガリーは、刺繍製品に素敵なものが沢山あります。ハンガリーのお人形。












平成29年11月16日(木)留学時代の生活から・・・ウィーンの名物、フィアカー(観光馬車)とシュトラーセンバーン(市電)


←ウィーンの名物。フィアカー(観光馬車)です。馬の蹄の音が、リズミカルに旧市街の路地に響き渡ります。


↓ブルクテアター(ブルク劇場)です

馬は、パカパカ、市電は、ゴーンゴーン、
その中に、車も走る・・・・

馬がパカパカ走っている時は、お馬さんが優先です!







ウィーンの見所は、ほとんどが、環状道路、リンクの中にあり、初めて訪れる人にも、とてもわかりやすい街です。
旧市街を一周する、シュトラーセンバーン(市電)に乗れば、ウィーンの主な建物の半分は見たことになります。

←シュターツオーパー(国立オペラ座)前の市電乗り場前で。オペラを見に行った帰り。
夜に、1人で出歩いても、ヨーロッパの中では、ウィーンは、比較的治安が良い方です。
又、街並みも美しく、日本と比べると、時間の流れが、ゆ~ったり、の~んびりしていて、静かな街です。











平成29年11月14日(火)留学時代の生活から・・・真冬の車窓から見える景色


←最初の卒業試験(エルステ・ディプロム)日本の音大で言えば、学士課程を卒業する前に送った、両親あての絵ハガキ。
ウィーン、1995年12月16日
お父さん、お母さん、お元気ですか?今年のお正月は、残念ながら(昨年も)ウイーンですが、本当に、ケラー先生とシュテファニーデス先生が私のためにご親切に力を貸して下さったので、計画どおり、erste Diplomを受けられるので嬉しいです。年越しそばとか紅白とかびしゃもんさんとか、色々なつかしく思い出しています。
お父さん、お母さんも良いクリスマスと幸せな新年をお迎え下さい。




クリスマス時期になると、
「フローエヴァイナッハテン (クリスマスおめでとう!)」生徒が私に話しかけてくれる子もいます。

私も、自分自身の勉強のためにも、生徒さん達にドイツ語で話しかけたり自分の気持ちを簡単なドイツ語にして、レッスンノートに書いてあげたりして、一緒にレッスンを楽しんでいます。
←ザルツブルグからウィーンに帰る列車の中で。

長距離列車の中では、ウィーンからザルツブルグを経由して、ミュンヘンに入るルートが一番景色が美しくて
気に入っています。

特に、クリスマス1か月前くらいから家の玄関の前にもみの木を買って来て、植えて、そこに小さな灯りを灯すのですが、その静謐な美しさを電車の中から、見るのが、大好きなんです。

オーストリアもドイツも、家のガラス窓をピカピカに磨くのが、日課となっている国ですが、カーテンなどを閉めずに、わざと、家の中の様子を外部の人に見せます。オレンジ色の灯りの中で、暖かい暖炉の火が見えたりして、冬の時期の夜の長距離列車は、特にブンダーシェーン!(素晴らしく美しい)です。
丁度、左上の絵葉書のような風景です。

気温は、マイナスになり、すごく寒いけれど、真冬は、特に、静かで落ち着いているヨーロッパらしさを味わえます。


平成29年11月12日(日)第9回コンコルソ・ムジカアルテのセミ・フィナーレの審査



今日は、(社)日本イタリア協会主催の第9回コンコルソムジカアルテのセミ・フィナーレがあり、審査に行きました。
ピアノ、ヴァイオリン、フルート、声楽、皆さんの熱演が、本当に素晴らしく、聞き惚れました。


本番のあった、名古屋芸術大学の3号館ホール。












平成29年11月10日(金)留学時代の生活から・・・毎日毎日絵を描いたモネは私のコレーゲ(仲間)のような気がして・・・


←ウィーン、1996年5月8日(母に送った本番前の絵ハガキ)

「クロード・モネの特別展を見に、ベルヴェデーレ宮殿へ行って来ました。
私は、今度どこの部屋で弾くのかしらと思いながら・・・・。
モネの絵は、近くで見ていると何が描かれているのかよくわかりませんが、遠くから眺めるとぼんやり景色が浮かび上がってきて、本当に美しく、
ドビュッシーの音楽が聴こえてくるようでした。
絵でも、演奏でも、描いた人や、演奏する人が、どれだけ精魂かたむけているかどうかが大事なのであって、上手い、下手は全く関係ないと思いました。モネも毎日毎日が絵を1日描く生活だっただろうと思うと、私の仲間のような気がしました。
私もピアノで、モネの様に自分だけの世界を描いてみたいと思いました。そしてこんな美しいところで、王子様とお姫様が出てくるような美しいヨーロッパの宮殿で演奏できるなんて本当に嬉しいです。お父さん、お母さんにも見せたいと思いました。本物のモネ100点も並んでるのですよ」。

←ベルヴェデーレ宮殿でモネのコンサート終演後、共演させて頂いた台湾の子と一緒に。









平成29年11月9日(木)留学時代の生活から・・・ドイツ語圏に留学したかったきっかけは、ハイジ


←両親へ送った絵葉書き。

ウィーン、1996年12月23日
この葉書きのようにステキなハイジの世界、インスブルック、チロルのエッツタールへ行って来ました。私の大好きな教会、木組みのおうち、大自然の山(アルプス)、氷河、もみの木、全く小さい頃憧れたハイジの世界を現実に見る事が出来てものすごく嬉しいです。雪景色もすてきでした。良いクリスマス、新年を迎えて下さい。

航空便の事を「ミット ルフトポスト」と言います。

私が、ドイツ語圏に留学したいと思った、そもそものきっかけは、3、4歳の頃、テレビのアニメで夢中になって見ていた、アルプスの少女ハイジ。ハイジを取り巻くすべてに心を奪われました。風景の美しさと、人の心に呼びかける、ハイジのまっすぐで、清らかな優しい心情、そして、アニメの中で流れている歌と、美しい音楽にとりわけ惹かれました。
ハイジの中で聴こえてくるメロデイを耳から取り、ピアノで弾いてみて、左手もメロディに合う伴奏をつけていくと、綺麗な、ハーモニーになる、という事を知ったのも丁度、この当時です。


ウィーンでも、日本のアニメと全く同じハイジが流れていました。内容も、画像も全く、日本のアニメをそのままドイツ語にしてあるものが流れていましたが、
題名だけは、「ハイディ」。音楽だけは、日本のものと違いました。音楽は、日本のものの方が美しいです。内容を知っていながら、ドイツ語で見ると、ああ、こういう時は、こういうんだな、とか、学校のドイツ語だけでは、学べない、語学の勉強にもなるので、毎日、見ていました。

この体験からいっても、子供が、初めに目にするもの、耳にしたものは、とても大切だと思います。ハイジの住んでいるヨーロッパへ行ってみたい、ハイジが
食べている、チーズとか、黒パンとか、白パンとかが食べてみたい、もみの木とか、教会とか、木組みの家とか、見たい、アルプスが見たい、そういった、内面から湧き起る思いを引き出してくれたわけですから。
子供達は、親が考えている以上に、自分の進むべき道をちゃんと知っていて、その道をまっすぐ歩んでいきます。

ドイツ人の子が、日本語を学びたいと思ったきっかけは、やはり、日本のアニメや、漫画だったという事もよく聞きます。
知りたい、見てみたい、そう思った時、初めて人は、本当に、行動することが出来て、学べるのだと思います。誰しも、興味のない事を人に教え込むことは出来ませんが、子供達の心に、そういった、「情熱の灯」をつけてあげられれば嬉しいな、と思っています。


平成29年11月7日(火)留学時代の生活から・・・プラハ(チェコ)旅先から送る絵葉書


←チェコのプラハから、日本にいる両親に当てた
アンズィッヒツカルテ(絵葉書)。



旅先から送ると、そこの場所の切手やスタンプも違うから、後で想い出せて楽しいので、どこかへ行くたびに必ず、送っていました。


「1997年3月26日私達は、今日憧れのプラハにきています。
「北のローマ」といわれるだけあって、もう言葉に出来ないくらい美しすぎる町です。このハガキの橋が、有名な、カレル橋。その下を流れているのが、交響詩モルダウ、スメタナの曲の川です。ちゃんと地下鉄にも乗れました。なんと30円ですよ~。
チェスキーブディヨヴィツェからプラハまで3時間近くボヘミア地方をバスに乗ってきたけどたった270円。プラハは大都会です。町全体がもう博物館のようです。フランツ・カフカの家も見ました。全部の建物が大きすぎて大迫力です。本当に素晴らしい!」



←チェスキーブディヨヴィツエの駅のホームで。
ウィーンを見慣れた目には、淋しい雰囲気。20年たった今は、東ヨーロッパといえども、随分変わっていると思います。










平成29年11月5日(日)第19回ショパン国際ピアノコンクール in ASIA

今日は、第19回ショパン国際ピアノコンクール in ASIAの名古屋地区大会があり、参加された、明和高校2年生の生徒さんが、高校生部門で、銀賞を頂いて全国大会へ進むと喜びの報告がありました。おめでとうございます!

さて、話は変わり、来年3月25日(日)14時開演、天白文化小劇場で、第16回門下生達のコンサートがあります。

今、幹事さん達が、チラシ作成の準備を進めて下さっています。
この1年で、見事に成長された、生徒の皆さんの演奏を是非沢山の方に聴いて頂きたいです!今回も名曲揃いです。楽しみにしていてください!

私の留学時代の日記も、沢山の方々に面白いと興味を持って読んで頂き、有難うございます。まだまだ、書き尽くせぬ想い出が沢山残っていますので、何年かかって書いても終わりが来ませんが、出来るだけ、時間を見つけて書いていきます!20何年も昔の話なので、今の世代の子達には、あまり、参考にならないかもしれませんが・・・・。

先日、「先生の留学日記を読んで、私もウィーンに行きたい!と思いました。絶対ウィーンに行きたいからピアノ頑張ります!よろしくお願いします!」と言っている生徒さんも多いです。

私の留学日記を読んでいて、一番行きたいと思ったところが、ウィーンなんだとか。行きたい場所は、人それぞれですが、何らかの形で、子供達の胸に私の
日記が、「考えるきっかけ」を生み出してくれていると思うと、とても嬉しいです!


平成29年11月3日(金・祝)生徒さん達のコンサートのお知らせ


←11月15日(水)開演13:30、中村文化小劇場、「名画で読み解く音楽紀行」で、既にピアニストとしてご活躍されている、
守矢花梨さんが演奏されます。

ソロでは、シェーンベルクの3つの小品Op.11-1、ショパン「革命」や、歌の伴奏をされます。絵画を見ながら、解説もあり、ご自分で、こういった企画を1年に1回はされるそうです。素晴らしいですね!



←11月19日(日)開演14:00、岡崎市シビックセンターコンサートホール、ピティナピアノコンペテイション入賞者コンサート第13回「はじめのいっぽ」で、小学4年生の島琴雪さんが、
シューマン「子供の情景」より「見知らぬ国々と人々」と、カバレフスキーソナチネハ長調Op.13-1第1楽章を演奏致します。


ご興味のある方は、是非、応援に行ってあげて下さい!







平成29年11月2日(木)留学時代の生活から・・・インスブルック(オーストリア)


←チロル地方のエッツタールの中心地、ゼルデンで。ロープウェイで、ガイスラッヒャーコーゲルの山頂から、エッツタールアルプスの全景が一望できます。



←インスブルックの駅からすぐのところにある、凱旋門の前で。

フランスのパリにある凱旋門よりもずっと小さいです。










←ウィーンの自宅で練習している私。どこの国へ行っても、昔も、今も、ず~っとピアノの前の生活だけは、変わっていません。

ヨーロッパは、空気がとても乾燥している上に、水も硬いので、シャンプーすると髪の毛は、パサパサ、ザイフェ(石鹸)で、手を洗うと手もガザガサになります。
あまりにも手が荒れて、クラヴィアプラクティクム(ピアノ実習)のレッスンの先生から、「あら、その手は、一体どうしたんですか?お皿洗いのアルバイトでもしてるの?」と聞かれました。

日本の梅雨のジメジメもうっとうしいけれど、適度な湿度は、人間の身体にとてもいいのだと思います。日本人が一番長生きするのは、暖かい気候や、湿度があるからこそと思われます。