成29年10月31日(火)留学時代の生活から・・・ドイツ(ミュンヘン)


←ミュンヘン国立音大のレッスン室で。ヤマハが置いてあります。




←ミュンヘン国立音大に近いUバーン(地下鉄)を出てすぐのところで。









ドイツで、驚いたことは、レストランに入って、お皿や、コップなど、シュピュールミッテル(洗剤)の入った水の中につけ置きしておいて、そのまま水で又、洗い流さず、洗剤がついたまま、フキンで、拭いている事です。ドイツでは、ごく当たり前のことで、水を出来るだけ節約するために洗い流さないのだとか。
日本の物ほど、毒性が強くないとはいえ、洗剤がついたままのお皿は、身体に悪くないのかなあ?と思いました。

ドイツの水は、硬水なので、口に含むと、水の硬さがよくわかります。オーストリアは、水道水もアルプスから流れてくる水なので、飲めますが、やはり、日本と比べると硬いので、ミネラルヴァッサー(水)を買います。

オーネコーレンゾイレ(炭酸なし)の水の方が、始めは良かったのですが、住み慣れるうちに、ミットコーレンゾイレ(炭酸あり)の方が、好きになりました。

やはり、空気が乾燥しているからだと思います。


平成29年10月29日(日)留学時代の生活から・・・ザルツブルグ


←ホーエンザルツブルグ城塞からの眺め。
雨の日や、雪の日のザルツブルグも風情があります。夏は、観光客で、込み合いますが、2月とかに行くと、寒いですが、人も少なく、静かで本当のザルツブルグに出会えます。

一番初めに、ザルツブルグを訪れた季節が2月だったのですが、お天気が悪くても、モーツァルトを想い出させる
美しい街並みに心奪われて、「私、ウィーンを卒業したら、次は、ザルツブルグで、勉強する!」と言っていたくらい、気に入った街でした。




←カラヤンが生まれた家。


ザルツブルグは、街も美しいですが、ザルツカンマーグート
が素晴らしいです。

あちこちに点在する、湖があり、山々と湖が織りなすダイナミックな自然美は、ベルヒテスガーデンと同様に、私の一番気に入っている地方です。




平成29年10月28日(土)留学時代の生活から・・・ヴァッハウ渓谷


←メルク修道院の前で。ヴィーンヴェストバーンホーフ(ウイーン西駅)から列車で1時間。




メルクから、、ヴァッハウ渓谷、ドナウ川下りの船旅が出来ます。

シュトラウスの「美しき青きドナウ」の音楽も流してくれます。



ドナウ川の船旅もいいですよ!
丁度、秋の紅葉が綺麗な季節に行きましたが、ドナウ川沿いに、可愛い家並みや、お城が見えて、15~6世紀頃の家並みの残る静かで、ロマンチックな旧市街など、見所が沢山あります。





平成29年10月27日(金)留学時代の生活から・・・建物の鍵


←ウィーン国立音大のコンツェルトザール。ここで、修士のリサイタル試験や、コンクール、クラッセンアーベント(門下生コンサート)なども、開催されます。ここの隣に、メンザ(学食)もありますよ~!

ベーゼンドルファーで弾きます。



←ベルヴェデーレ宮殿から見た、ウィーンの街並みは、とても美しいです。









オーストリアでも、ドイツでも、日本とまるきり違う点は、人が少なくて静か、という事があります。これには、いい面と悪い面が。
例えば、お手洗いに行くと、ヨーロッパの建物は古いので、鍵が、壊れている事が多く、鍵をかけてしまうと、ドアが開けられなくなったりして、閉じ込められてしまう恐れがあります。

恐いので、鍵をかけないで、トイレに入ると、誰かがパッとドアを開けて入って「オー!エントシュルディグング(あら!これは、失礼!)」と言って、ビックリ!

日本みたいに、人が沢山いれば、「助けて~ドアが開かない~」て叫べますけど、叫んでも誰も来てくれない・・・そんな恐怖に、1回襲われて以来、ヨーロッパに行った時は、鍵を閉めないで、トイレに入る、ことにしています。閉じ込められる方が恐いもの・・・(笑)


平成29年10月26日(木)留学時代の生活から・・・ベルヒテスガーデン(ドイツ)


留学時代、色々と巡った中でも、ヨーロッパの景色で、特に、心に残った場所は、ドイツのベルヒテスガーデンです。
ベルヒテスガーデンのみどころは、大自然。ドイツが誇る、景勝地です。


←赤いネギ坊主の聖バルトロメー僧院。ここの前に、ケーニッヒスゼー(ケーニッヒ湖)があり、遊覧船に乗れます。
遊覧船は、山や、湖の静けさを守るために、動力音が聞こえないよう設計されています。湖は、静かに透き通ったエメラルドグリーンで、その美しさは、口では、表現出来ません!ピアノの音色でなら、表現出来そうです。

途中で、船をとめて、岩壁に向かい、トランペットを吹いてくれます。「ドーファーラファー」と吹くと、周りの峰々、湖面にこだまして、うす~く、「ドーファーラファー」と返ってきます。最高にロマンチック。23歳の私が、「やまびこ」というものを初めて体験したロマンチックな場所です。
←聖バルトロメー僧院の前で。
ベルヒテスガーデンは、ほとんどザルツブルグに近い感じなのですが、
一応、オーストリアを超えて、国境を越えたドイツ側にあります。








こういう美しい景色に出会うたびに、ああ、ここで、ピアノが弾けたらなあ!こんな静かな景色を見ながら、毎日ピアノを練習出来たら、それだけで幸せだと思いました。ドイツ語で、「ホームシック」の事を「ハイムヴェー」と言います。日本語で、「ふるさと、我が家を想い出して、心が痛む、郷愁」そんなニュアンスですが、私にとって、今でも、ベルヒテスガーデンを想い出すと、
「ハイムヴェー」になるくらい、特別な場所です。


平成29年10月25日(水)生徒さん達のコンサートのお知らせ


11月3日(金・祝)16時開演、名古屋音楽大学めいおんホールで、第1回めいおんピアノコンクール入賞者記念コンサートがあります。

現在、明和高校3年生の宮脇彩永さんが、ショパンの「舟歌」を演奏致します。



来年の1月8日(月・祝)15時開演、四日市市文化会館第1ホールで、
ピアニストの小林ほなみさんが、ラフマニノフの協奏曲2番を演奏致します。


ご興味のある方は、応援に行ってあげて下さい!














平成29年10月24日(火)留学時代の生活から・・・ヴィーナリッシュ


←ウィーン中央墓地にある、シューベルトのお墓の前で。ベートーヴェンの隣で眠っています。シューベルトは、生粋のウィーンの人でしたので、ウィーンの人達からは、特に愛されている作曲家です。

ずっと夢見るような美しい旋律が、流れていき、ウィーンで聴くと、シューベルトの良さが実感出来ます。


←ブルクカペレ(王宮礼拝堂)の入口前で。
ここのミサで、ヴィーナーゼンガークナーベン(ウィーン少年合唱団)が、天使の歌声を聴かせてくれます。
シューベルトもここの団員でしたし、モーツァルトもここの首席作曲家でした。






ウィーンで話されている言語は、ドイツ語ですが、ホッホドイチュ(標準ドイツ語)と違い、ヴィーナリッシュ(ウィーンなまりのドイツ語)が話されています。
ヴィーナリッシュを初めて聞いた時は、「わあ!すごくムジカーリッシュ(音楽的)に聞こえる!」と思いました。音楽みたいに、ウネウネしていて、抑揚があり、
カチンカチンのドイツ語ではない、独特の柔らかさがあります。

挨拶も、ドイツでは、「グーテンターク(こんにちは)」が、オーストリアでは、「グリュス・ゴット」と言い、親しい者同士では、「セアヴス!」と言ったりもします。
ドイツでは、「ザーネ(生クリーム)」の事を、オーストリアでは、「シュラークオーバース」。
ドイツ語の「ヤヌアール(1月)」がオーストリアでは、「イエンナー」となり、まだ他にも、色々と、違う単語に変わります。

音楽は、言語と深く結びついていると思います。日本語は、鉛筆を口にくわえたままでも話せる平らな言語ですが、ドイツ語は、そういうわけには、いきません。
お腹にしっかり力を込めて話します。女の人は、声が一般的に、すごく低く、初めて聞くと、何だか、怒られているような声なので、慣れるまで、恐く感じます。

日本女性から見ると、かなり、不愛想に感じると思います。「郷に入れば郷に従え」で、男みたいになった自分を楽しいなとも思いながら、暮らしていました。


平成29年10月21日(土)皆さん、応援して頂いて有難うございます。これからも、記憶を辿りながら、書いていきます。



生徒の皆さんに私の誕生日をお祝いして頂き、有難うございます。

卒業生の生徒さん達からも、お手紙や、メールを沢山頂きました。

私の事を想い出して下さるだけでも、有難いです。

生徒さん達から、先月から、書き始めた、留学生活のブログを楽しみにしています、と感想を頂いています。

生徒さん達の年齢層が上がってきた事と、私も46歳という年齢になり、若い学生時代の記憶がまだ残っているうちに、少しずつ、書き溜めていきたいと思いました。

幸いにも、留学時代、何100通もの手紙を母が、きちんと保管しておいてくれてあり、写真や、手紙や、毎日書いていた日記なども含めて、日本に送った手紙を見直したりして、書いています。留学時代に、母から、「自分の体験を文章化してみない事には、本当に自分が体験した事にはならないでしょ?全て、書いて、どんな小さなことでもいいから、毎日の様子を知らせてほしい」と書いている
のを今更ながら、読み返し、心配してくれていた親の気持ちが、とてもわかるようになりました。

母からの手紙、私が送った手紙、全部読み返すと、改めて、悩み多き青春時代だったな…と思います。


生徒さん達から頂いた、お手紙も全部大切に保管してあります。皆さんが、これから、どこで、どのように活躍されるかが私の楽しみでもあります。
今後も、大人になっていく生徒さん達の為にも、記憶を辿りながら、書いていきます。私の日記が、ピアノを学習している方々の気分転換になるように、皆さんのお役に立てれば幸いです。


平成29年10月20日(金)留学時代の生活から・・・(22歳~27歳)


←プラハにある、フランツ・カフカの家。
ある朝、目覚めたら、一匹のばかでかい毒虫に変わっていた・・・という男の話で始まる、有名な「変身」の小説。
高校生の時に読んで、すごく興味があった場所です。

プラハへは、ウィーンから、列車でやはり、5、6時間かかります




←プラハの聖イジー教会。

プラハもウィーンと同じく、建築物や、音楽会も素晴らしいものが沢山あります。
美しい街ですし、ウィーンとは比べ物にならない物価の安さ、食べ物も美味しいのですが、又、ここでもトラブルが・・・・。

私のポシェットから、全然気が付かないうちにお財布が丸ごと盗まれていました。たすき掛けにして、かなり気をつけていたんですが・・・・。
多分、地下鉄乗車の際と思うのですが、盗難証明書をプラハの警察に行き、作ってもらって、ウィーンに何とか戻ることが出来ました。

カフカの「変身」の小説同様、頭の中が、混乱してしまった、プラハ滞在でした。


平成29年10月19日(木)今日で、46歳になりました。引き続き、留学時代の生活から・・・(22歳~27歳)



←10月19日、今日で、46歳になりました。

今後も大好きな生徒さん達と一緒に、私なりの音楽をより深めていければ、嬉しいです。あと4歳で50歳!です。
日記も、私の若い頃の体験を書くことで、少しでも、皆さんのお役に立てれば嬉しいです。生徒の皆さんが幸せであることをいつもお祈りしています。


インスブルックのチロル地方は、スイスによく似ています。私の好きな、
アルプスの少女ハイジのイメージ。


ウィーンから行くと、列車で5時間50分くらい。

ヨーロッパは、陸続きなので、列車で簡単に、どこへでも行けます・・・と言っても、私の時代は、ヴィザの必要な場所が多く、ポーランドへ行くときに、チェコの通過ヴィザがない!とパスコントローレ(パスポート検察)でひっかかり、真夜中にウィーンの国境で、降ろされてしまいました。駅に泊めてもらったこともあります
←チロル地方のエッツタール。2月なので、相当な雪に覆われていましたが、とても綺麗なところです。
てくてく、駅まで、バスの停留所がわからず、歩いて駅まで、坂を下りていたら、「車に乗りなさい」と親切な女性の方が、駅まで、乗せて下さいました。見知らぬ土地で、知らない人の車には、乗らないように、とよく言われていましたが、あの距離をとてもではないけれど、歩ける距離ではなかったので、とても助かりました。ウィーンに比べると、田舎なので、とても人々が親切です。


平成29年10月18日(水)一足先にお祝いして頂いて


←今日は、明和高校の子達のレッスンで、明日の私の誕生日をお祝いしてくれました!暖かい心のこもったメッセージがとても嬉しかったです!
1人1人の純粋で、可愛い顔を見ていると、皆さん、よく私に長い事ついて来てくれたね・・・と色んな思いと共に、有難うの気持ちで一杯で涙が込み上げてきました。

高校生達は、17歳、18歳の青春真っ盛りの子達。私が、ウィーンの学生時代を過ごしていた時、まだ、みんな生まれていなかったんだね・・・皆さんと同じ年頃の時、又、ウィーンにいた時、自分は、ずっと音楽家としてやっていくと、固い決意を持っていたけれど、まさか、こんなに可愛い、生徒さん達に恵まれるとは、思ってもみませんでした。


皆さん、9年、10年と長い子達なので、それぞれに、想い出が、多く、皆さんと出会えた事に、感謝します。

特に、受験生達は、これから、ひとやま、ふたやま、苦しい時期を乗り越えていかなければなりませんが、陰でそっと見守って行きたいと思います。



ステキな、プレゼントも、皆さん、有難うございます。


















平成29年10月17日(火)留学時代の生活から・・・(22歳~27歳)


←ベートーヴェンが一時期住んでいた、パスクァラティハウス。


←ベートーヴェンが書いた、「ハイリゲンシュタットの遺書の家」にもこのバス
で乗って行けます。乗車するときは、手で「ドリュッケン」のボタンを押します。下車するときも、「ハルテシュテレ(停留所)」が見えてきたら、自分の手で押して、降ります。
タクシーも自動扉ではなく、自分で開け閉めして、1人で乗る場合は、運転手さんの隣の助手席に座ります。





ウィーン国立音大は、ピアノの実技レッスンの他に、和声、形式学、楽器学、音楽史、様式論、アナリーゼ、ソルフェージュ、和声学、調律学・・・などいわゆる音楽理論のような授業もあり、
その授業とピアノの試験曲が仕上がれば、いつでも卒業試験を受けることが出来ます。人によって、ベフライ(免除)が効く場合があります。
私は、クラヴィアプラクティクム(和声学、移調、初見、即興演奏など)の先生から、「貴女には、2年間も必要でないので、1年間でよろしい」と免除されました。

その授業を担当して下さった先生から、「モドゥラツィオンは、日本語で何と言いますか?」と聞かれるので、「転調です」。と答えると、先生は、「テンチョー、テンチョー」とおっしゃって、お気に入りの言葉になったようでした。


平成29年10月15日(日)留学時代の生活から・・・(22歳~27歳)


←シュタットパーク(市立公園)にある、ヴァイオリンを弾いているヨハン・シュトラウスの像の前で。

ウィンナワルツの調べが聴こえてきそう。





←プラーター遊園地。入園料は、かかりません。
日本では、ピアノの行事で年中追いまくられ、レジャーランドに縁のない私でしたが、ウィーンに行って初めて、観覧車に乗りました・・・(というと、皆さんから笑われそうです・・。)観覧車の中は、とても広くて、食べたり、飲んだり、パーティーも出来ます。てっぺんに登るとウイーンの街並みが一望出来て、素晴らしい眺めです。




ピアノのレッスンでは、この曲が、どんな形になっているかを説明して下さい、といつも曲を論理立ててアナリーゼをすることを、よくやりました。

1.どこが、呈示部、展開部、再現部か?
2.何か特別な所、見慣れないところはないか?
3.強弱、どうして、フォルテとか、ピアノとなっているのか?
4.リズム(どうしてパウゼ(休符)が書かれているか?)
5.1フレーズは、どこからどこまでか(その中のヘーエプンクト(クライマックス)はどこか?
6.全体のクライマックスはどこか、一番重さがかかる、クライマックスは?
7.アウフタクトで、始まっているか、普通に始まっているか?拍子は?
8.テーマの変奏になっていないか?
9.ハーモニーを考えて、トニカ、サブドミナント、ドミナント、協和音、不協和音、減七など。
10.調性の変化、ペダルの問題
11.どこが、メロディか、(左にメロデイーが来ているか、右にメロデイか)
12.前のフレーズと似ているか、全く違うものが来ているか、など。

練習方法は
1.初めは、全く、リズム、テンポ通り、
2.バランス、音色
3.自由に

この3つを段々とテンポにしていくこと、そして、練習の間、絶対に!機械的にならないように気をつけること、そして、「ヘーレンズィー グート ツー」
(良く聴きましょう)。以上の事は、万国共通、全てのピアノの先生が、おっしゃる事だと思います。言い方の違いはあれ、結局、先生方から、最終的に言われることは、同じなんだなと。それを何回も何回も、しつこく言われて、やっと自分のものになっていくのだと思います。


平成29年10月14日(土)留学時代の生活から・・・・(22歳~27歳)


←ベートーヴェンプラッツ(ベートーヴェン広場)にある、ベートーヴェンの像の前で。リストやブラームスが募金して作ったそう。
近くで見ると、すごく、恐い顔をしています。不屈の人、という感じ。「運命」の音が今にも聴こえてきそうな、迫力でベートーヴェンの険しい表情が迫ってきます。

ワジェンキ公園(ワルシャワ)に行った時のショパンの哀愁を帯びた憂いある表情とは全然違います。








ブルグ公園にある、モーツァルトの像。季節の花で、ト音記号が鮮やかに彩られます。

ウィーンは、さすがに音楽の都。少し歩けば、至る所で、音楽家たちの像に出会います。










ニワトリの鳴き声は、日本語だと、「コケコッコー」と習いますが、ドイツ語だと、「キケリキー」と習います。フランス語だと、「ココロン」です。犬の鳴き声は、日本では、「ワンワン」と習いますが、ドイツ語は、「バウバウ」と教わります。
国によって、それだけ、音の聴こえ方が違うとなると、私達日本人が聴く「ドレミ」の音は、ヨーロッパの人が聴いている音とは全然違う発音の「ドレミ」の音かもなあ、なんて思ったり・・・・。
「コケコッコー」と習えば、皆、それだと思い込んでしまいますが、「思い込み」であることが多い事柄は、全部、思い込みを捨てることによって、又、そのようにも見えたり、聴こえてきたり。
それにしても、ニワトリの鳴き声が、私の耳には、どうしても、フランス人が習う、「ココロン」とは、聴こえませんが、皆さんは、どうでしょうか!?


平成29年10月13日(金)留学時代の生活から・・・・


←ムジークフェライン(楽友協会)で、マレイ・ペライアのピアノリサイタル後、感動を伝えるために、楽屋へ。
男性とは思えない、柔らかさ、弱音の美しさ、どの音もまろやかで、天使が歌っているみたいでした。メンデルスゾーンのロンド・カプリチオーソは、いまだに、忘れられない、名演奏で、私の心に残っています。

ウィーンでは、こうして、気軽に、演奏者の楽屋に入っていけます。演奏した側も、自分の演奏がどうだったか、お客様が、色々と感想を伝えに、楽屋を訪ねてくれるのは、とても嬉しいですものね!



←ウィーンフィルの本拠地、楽友協会ホールで。日本のお正月にもここから、毎年生中継で、ウィーンフィルニューイヤーコンサートが放映されているので、皆さん、おなじみの場所です。

ウィーンフィルの音は、とっても柔らかいです。






平成29年10月12日(木)留学時代の生活から・・・・


←よっこらせ!とステレオ付きの録音機を買って、運ぶ私。


←ラートハウス(市庁舎)。クリストキンドルマルクト(クリスマス市場)もここで、開かれます。













ウィーンの住居は、ベッドや、机、椅子、クローゼット、物干しざおなど、家具は、大体あらかじめ備わっています。食器などのフォーク、スプーン、お皿や、コップ、お鍋なども前住んでいた人が置いたまま引っ越していく事が多いので、それを使用できます。FAX、テレビ、録音機、炊飯器などは、全て、ウィーンの電気屋さんで買いましたが、全部、手で運んで帰るので、大変でした。あちらは、大体が、お肉とか、チーズとか、ソーセージとか、パンをのせるための平らなお皿が、ほとんどです。和食は、どちらかというと、ご飯を入れるお茶碗を始めとして、お味噌汁とか、おうどんとかを食べたい時に深いお椀が、必要になってきます。又、お箸なども、日本から持って行きます。

ウィーンの建物は、(ヨーロッパの住居のほとんどはそうだと思いますが)とても古いので、あちこち壊れます。ガスがつかない、水があふれた、お湯が出ない・・・・こういうトラブルは、日常茶飯事です。こんな時に、日本だと、サッと修理の人が来てくれて直してもらえますが、そんな手際の良さは、望めません。


日本は、お湯も水もジャージャー出ますから、当たり前と思うのですが、ヨーロッパでは、ある一定期間のお湯を使うと、それ以上のお湯は出なくなり、冷水になってしまいます。バスタブなども、水はけが非常に悪く、詰まりやすいです。

自分の国では、当たり前と思っていた便利さが、他国へ行くと、当たり前ではないその有難味をつくづく感じたものでした。


平成29年10月10日(火)ウィーン留学時代の生活から・・



←フンデルトヴァッサーハウス。ウィーンの芸術家が作った建物です。市営住宅になっていますが、中に入ると、床も、通路も、全て、大地のようにグニャグニャ起伏がつけられていて、面白い建物です。人間の生活は、自然と共にあり、直線を嫌ったという彼の思想です。
フンデルトヴァッサーは、日本語だと「百水」さん、という名前。ちなみにバッハは、「小川」という意味。
「メグミは、ドイツ語だとどういう意味?」と友人からよく聞かれ、「グナーデ(恵む、恵み)」だよ」。と名前の由来を聞き合って言葉遊びしたものです。

音楽も自然の一部。直線はない、と私も彼の思想に共感です。曲線を感じるしなやかな音楽は、聴いていても、自然に聴こえます。






←ザンクト・マルクス墓地。モーツァルトのお墓です
ここに埋葬されているという事ですが、正確には、不明です。あんなに美しい、天使の声を書き留めた作曲家なのに、最後は、どこに、埋葬されたかもわからないのは、ちょっと可哀想な感じがするけれど・・・・。
ここから取り出された頭蓋骨は、本物だという説もあり、話題になっている場所です。









平成29年10月9日(月・祝) 第8回ヨーロッパ国際ピアノコンクール in Japan で全国大会へ進まれる生徒さん

今日は、第8回ヨーロッパ国際ピアノコンクール in Japan の地区本選(大学B部門)を受けに行った、椙山女学園大学教育学部2年在学中の門下生、井上恵利那さんが、目出度く、全国大会に進むと、喜びの報告がありました。おめでとうございます!

←話は変わって、ウィーンにもシュライアーガッセというところに、ヤマハがあります。日本大使館が主催のコンサートで、
ラヴェルの「クープランの墓」を全曲、演奏しました。(24歳当時の私)

日本では、曲の繰り返しは、カットという事がほとんどですが、ウィーンでは、レッスンの時も、曲のリピートは、全部繰り返しなさいと言われます。繰り返した時に、聴き手を退屈させないような変化に富んだ演奏をしなさい、とよく言われました。クープランの墓は、リピートが結構あるので、その時々で、違うニュアンスを取り、違うニュアンスが取れているかどうかを心を落ち着けて全身耳にして全ての音をじっくりと聴き、ああでもない、こうでもないと苦心しながら、研究していたのを思い出します。

←シェーンブルン宮殿。この中でも、度々コンサートがあります。
春、夏の緑豊かで爽やかな時期も綺麗ですが、冬は、一面、雪に覆われて、樅の木に雪が積もり、静かで、風情があり、何度訪れても美しいです。



←シェーンブルン宮殿から、眺めた、グロリエッテ。目の前に見えていても、坂の上を登ってたどり着くのに、30分はかかります。






←グロリエッテに着くと、ウィーンの街並みが一望出来ます。











平成29年10月8日(日)ウイーン留学時代の生活(1994年~1998年)耳を研ぎ澄ませる


←シュテファン寺院。ウィーンに来たら、必ず訪れる場所です。モーツァルトの結婚式、お葬式もここでありました。



←パルラメント(国会議事堂)。











ウィーン近郊の町。温泉もあるバーデン。ベートーヴェンが「第9」交響曲を書いた家。











ウィーンでは、11月になると、午後3時半くらいから暮れ始めて、午後4時には、もう真っ暗です。朝も、8時半くらいまで、暗いので、学生も、会社員も、
暗闇の中を、通勤、通学します。気温もどんどん下がり、クリスマス前までが一番冷え込み、マイナス15度~20度まで下がります。日本では、着ないような、ボコボコのダウンなどの防寒着が、必要です。雪が降り積もるので、朝5時頃から、除雪車が来て、砂利をまいて、雪を溶かし、通学、通勤の人が転ばないよう頑丈な除雪車が、フル稼働します。

外の凍てつく寒さとは、裏腹に、そこは、さすが、冬の国。お部屋の中は、セントラルヒーティング(蛇腹の)が、常に、通っており、とても暖かく、12月でも、半そでTシャツで、過ごせたりもします。
夏も涼しくて、湿気がなく、爽やかでとても快適なのですが、近年、温暖化の影響で、夏、ウィーンに行くと、窓が開かず、クーラーもないし、すごく暑くて困ったという話を聞きます。

日照時間が、すごく少なく、いつも空はどんよりと曇り、とても淋しい季節が、11月ですが、ここからが、音楽会の出番です。暗くて淋しい、ウィーンも、ザルツブルグも、冬は、滅多に晴れることがなく、辺りは、静かで、日本の東京みたいに、騒々しくありません。とても静かだからこそ、音楽を求めるのだと思います。

日本もウィーンもそれぞれに良さがありますが、音楽家の目から見て、ウィーンを好きな理由は、スーパーとか、お店の至る所で、音楽が、流れていないところです。一般の方には、理解出来ないかもしれませんが、私達は、音楽を職業としていて、毎日、耳を酷使します。そうすると、リラックス出来るのは、音が、聴こえてこない静かな場所なのです。


平成29年10月5日(木)ウィーンの楽聖達が眠る中央墓地


←ウィーンの中央墓地。音楽の都ウィーンで活躍した、音楽家達がここに眠っています。ここに来ると、とても心が落ちつきました。

ブラームスのお墓の前で。ブラームスが、頭を抱え込んで、悩んだ顔をしている・・・・あの美しい小品集や、ヴァイオリンソナタ、ピアノコンチェルトの第2番の初めの出だしとか、蘇ります。





←ベートーヴェンのお墓の前で。。ベートーヴェンが住んだ家は、ウィーンに数多く点在しています。

散歩して、楽想を練った、ベートーヴェンの散歩道を歩いたり、ハイリゲンシュタットの遺書の家に行ってみたり、お墓に来て、お参りしたり、全身でベートーヴェンの魂を感じようとしてみるけれど、本当に難しい。後期のソナタの28番以降からは、天国的な美しさで大好きですが・・・辛かったでしょうね。

難しいけれど、音楽家にとって、一番尊敬できる作曲家です。









私の目から見た、ヨーロッパと日本の違いは、男と女の区別がない感じというのが、あげられます。女が男みたいな感じです。
スーパーのレジの店員さんも、美容師さんも皆、椅子にどっかり座って仕事します。

日本みたいに、1つ1つ、買い物かごに入れてくれたり、袋に入れてくれたりしません。全部、この国では、自分がやらなければならないので、お客様に対するサービスは、日本は世界一だと思います。

日本に久しぶりに帰ってきたとき、スーパーで、立ってレジを打って、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げてくれるのを久々に見た時は、感動して、「ああ、これが、日本という国の素晴らしさだ」とつくづく身に沁みて自分の国の良さを感じました。



平成29年10月4日(水)ウィーンでの生活のあれこれ・・・(1994年~1998年の私のウイーン留学時代)


←Dr.シュテファニーデス教授のクラヴィアプラクティクム(ピアノ実習)の授業で。

ブラームスの歌曲の伴奏などの初見や、ハーモニー、曲の中の分析など。そして、先生が、テーマを差し出して弾いて下さったら、すぐに、即興で、弾いてみる・・・などなど。初見、ハーモニーの授業は、音楽高校生の時から、一番好きな授業の一つでした。




↓左側ウィーン国立オペラ座のバルコニーで。

←好きが高じて、ウィーン大学でやっているバレエの授業にも通っていました。右側が、スツィルメイ先生。ショパンのノクターンとか、美しい音楽に合わせて身体を動かすので、音楽と呼吸の取り方が、身体の底から理解出来ました。
1つの事を究めると、狭い世界しか知らないように感じますが、全ては、何もかも、ピアノに結び付いていき、外国語から、美術から、文学、宗教、文化、思想、歴史、建築物・・・結果的に、幅広い世界を堪能出来る所が、面白いと思いました。

私の熱意が伝わっていたのか、スツィルメイ先生から、「私の講習会に参加してもらえませんか?」と誘われましたが、「日本に完全帰国するので・・・」と断ると、すごく残念がって下さいました。バレエだけでなく、ピアノ以外の友人も出来るので、ドイツ語の勉強にもなり、とても楽しい授業でした。


音大でのレッスンや、授業、ドイツ語学校、お買い物、お料理など全部済ませて、夜は、オペラや、バレエ、コンサートに通う毎日でした。


←ウィーン大学のバレエの授業の証明書。スポーツインスティテュートといって、他にも色んなスポーツをやっています。

他にも、「ユードー(柔道の事)」「カラテ(空手)」など、世界各国の人達から親しまれていますね。







平成29年10月3日(火)しっかりといつも褒めて下さったのが、大きな自信につながった


←ウィーン国立音大のピアノ科のレッスン室の前で、23歳の私。私の師匠、ローラント・ケラー教授のお部屋は、206号室でした。
先生は、とてもお優しく、怒ったところを一度も見たことがなく、いつもニコニコされていました。初めてのレッスンの時に、「レッスンは、必ず、アウスヴェンディッヒ(暗譜)でね」。とお約束しました。1週目にベートーヴェンのソナタ13番全楽章を見て頂いたら、次の週は、シューマンのダヴィッド同盟舞曲集全曲、次の週は、ラヴェルのクープランの墓全曲、といった具合で毎週、暗譜して新しい曲を持っていきました。

いつも、弾き終わると、必ず、「ブラヴォー!」とか「ゼーアシェーン!!(とても美しい)」とか、私の良いところをまず、一番に見つけてしっかりと誉めて下さいます。先生から褒められることが、どれだけ、私の自信につながっていったか計り知れません。実技のピアノの先生から、教えて頂くことは、ピアノだけではありません。人として、まずどのように生きていけばいいのかを導いて下さる、一生の恩師であります。その当時、学生の私にとって、親と同じか、あるいは、それ以上の大きな存在であり、ピアノを教えて下さる師匠であると共に、人生をどう切り開いていけば良いかを常に見本となって示して下さいました。

←3区にある、コンツェルトハウスの隣に面した、ウィーン国立音大の正面玄関。色々な所に分散していて、ピアノ科のレッスンはここで受けます。








←ウィーン国立オペラ座前で。22歳の私。9月23日ですが、赤いカシミヤのセーターに黒いジャンパーを着てやはり、日本と違い、寒い国です。音大の入試の5日前に、初めて、ウィーンに入りました。最初の印象は、「お部屋が暗い!」どこもかしこも、暗い。
日本の蛍光灯の光に慣れた目には、ろうそくの灯りがぽわーんとついているような、白熱灯は、こんなに暗いと、更に、目が悪くなるんじゃないかと思ったくらいでした。

それも、まあ、じきに慣れて、ドイツ人の人達は、こういう状態を「ゲミュートリッヒ」居心地の良い雰囲気、ということで、とても好きなんだとか。確かに、音楽をやるには、眠くなるくらいの灯りの方が、リラックスムードになれますね・・・・。



平成29年10月2日(月)ベルヴェデーレ宮殿の中でのコンサート


←ウィーンのベルヴェデーレ宮殿。1996年5月21日の事です。

ウィーン国立音大の学生は、主任教授の推薦により、色々な場所で、演奏させてもらえます。

私が、出させて頂いたのは、ベルヴェデーレ宮殿の中に展示されたモネの絵画を見た後に、ドビュッシー、ラヴェル、フォーレ、メシアン
などのフランス音楽を演奏する、
「フランス音楽の夕べ」です。




←宮殿の中。クロード・モネの絵画を見た後に、私達音楽学生の演奏を聴いて下さるウィーンのお客様達。

私のソロでは、ドビュッシーの映像第2集、前奏曲集の中から、沈める寺、ミンストレルを演奏。








←連弾では、ドビュッシーの「小組曲」を全部演奏。
プリモが私で、セカンドが、台湾の子。本番前、一緒にプローベ(リハーサル)している様子。











←モネの絵。ヨーロッパでは、絵画を見た後に、コンサートを聴くといった催しが結構あります。
とっても素敵な催しだと思います。ウィーンでは、大きなホールというより、教会とか、こういった、宮殿、お城の中のコンサートが多いです。客席数もそんなに多くはないですが、
聴いて下さる方々の反応を身近に感じられて、弾いている人の体温が感じられるような、暖かさがとても好きです。

今でも、ピアノを弾く時は、いつも、その頃味わっていた、あの音の感覚が、私の身体の深い所から、流れてくる感じがします。





↑聴きに来てくれた、同じ門下のイスラエルの友人と一緒に。24歳の私。ちなみに、ウィーンには、沢山、ドレスショップもあります。日本より安くて、デザインも、とてもシンプルです。


平成29年10月1日(日)ブルグミュラーコンクール

今日は、ブルグミュラーコンクールの地区大会が、熱田文化小劇場であり、小学5年生の男子生徒が、小学5,6年生のB部門優秀賞で、地区大会通過で、ファイナルに進むと喜びの報告がありました。
おめでとうございます!

彼は、ブルグミュラーが好きで、毎週、楽譜を見ると、色んな色を使って、音のイメージを言葉にしたり、彼の想いが、沢山書かれています。
ピアノが好きになったのも、ブルグミュラーのおかげなんだそうです。

ピアノが大好きで、ずっと弾いているとの事です。どの生徒さんの事も、その子にとって、一番幸せな道を歩んでいけるよう、生徒の皆さんの幸福をいつもお祈りしています。