平成29年9月29日(金)卒業試験


←ウィーンのシェーンブルクシュトラーセにある、シェーンブルクザールで。集大成となる、修士課程を修了するときのリハーサルを兼ねた、私だけのリサイタルをさせて頂いた時の様子。

ウィーン国立音大の卒業試験は、学士課程と修士課程の2回あります。修士を修了すると、「マギストラ デア キュンステ(芸術修士)」という称号が、オーストリア政府から授与されます。(私達の時代では、芸術分野では、最高学位だそうですが、現在は、ドクター(博士)も出来たのと事で、更に、大変な高レヴェルになっているのではないかと察します。)

学士の卒業試験では、バッハ、平均律1巻の18番、23番、モーツァルトソナタKV.576全楽章、ベートーヴェンソナタ「ワルトシュタイン」全楽章、ショパンエチュードOp.25-4,スクリャービンエチュードOp.42-5、ショパンバラード4番、ドビュッシー映像第2集、
ベルクソナタOp.1、そして、グリークの協奏曲イ短調を準備しました。

修士の修了試験では、リサイタルとなり、入場料も取って、1人だけの試験となります。バッハ、平均律2巻の11番、幻想曲とフーガイ短調、ハイドンソナタ32番全楽章、モーツアルトロンドイ短調、ベートーヴェンソナタOp.27-1全楽章、そして、Op.109全楽章、ショパンのエチュードOp.10-9、Op.25-1、
ドビュッシーアルペッジョのために、シューマンソナタ3番全楽章、ドビュッシー版画、シェーンベルクOp.33a, 33b,
武満徹「雨の樹素描Ⅱ」
スクリャービンOp.51「4つの小品」そして、モーツァルト27番、ラヴェルト長調のピアノ協奏曲が2曲です。全部通すと、4時間は、かかります。ピアノ実技試験は、4日分のリサイタルプログラムとドイツ語の修士論文を準備しなければいけません。



色んな事を同時に何でもこなせるタイプではないので、歩みは遅くとも、
私が出来る範囲での精一杯の事をいつでもベストを尽くして頑張ってきたと思います。生徒さん達を育てている現在も勿論そうです。

「1つの事を粘り強く続けていれば、自然と道は開かれていく」という事を、ピアノを始めた幼い頃から、身を持って体験し、それが、今までの
生き方の指針となっています。




平成29年9月28日(木)語学学校


←ウィーン国立音大の入学が決まると、2学期までにドイツ語の証明書を提出します。

私は、現地では、エステライヒッシュ アメリカーニッシェ ゲゼルシャフト(オーストリア/アメリカ協会)のドイツ語学校に、約5ヶ月通いました。ウィーン大学の中でやっている語学学校にも3か月ほど通いましたが、ここは、レッスン料が安い分、人数が多すぎて、あまり、ためにならないと判断して、すぐやめました。
日本では、高校1年生から、大学4年生まで、そして、卒業後、集中コースで、ゲーテインスティテュートにも通っていましたが、高校1年生の先生と大学4年の時のドイツ語の先生には、とても恵まれたと思っています。

先生方は、外務省の中でお務めされ、ケルンの大使館や、中曽根首相の専属の通訳として、又、ドイツ語の辞書をお作りになられた先生方で、ドイツに20年も住まわれて、お仕事されていたというだけに、良い面も悪い面も、現実的な、体験談として、色んなお話をして下さいました。

大学4年生の時のドイツ語の先生は、特に尊敬できる先生でした。すごく優しくて、90分間の授業の間で、ゆーっくり、ゆーっくり
物語を読んでいくのですが、たった、2行しか、訳せません。というのは、例えば、「マイネン(心に思う)」という動詞の説明だけでも、こういう意味と、こういう意味があって、と辞書が丸ごと頭の中に入っていらっしゃるような感じで、それに伴い、ゲーテの詩を暗誦して下さったり、ヘルマン・ヘッセの文章の中にこういう内容があり・・・・とどこまでもどこまでも、果てしなくドイツ語の言葉の深さが伝わってくるのです。本当にすごい!と授業のたびに思いました。
↓ウイーンでのドイツ語学学校での様子。ドナウインゼルのほとりで。パンとかチーズとか、サラミとか果物など、先生が買って来て下さり、皆で楽しくピクニックもあります。

←一番最初に入ったクラスの終了日、カフェで、最後のクラス会。
ウイーンに住んでいた時期に、日本では、阪神大震災や、地下鉄サリン事件など、悲しいニュースも沢山あり、クラスの先生、世界各国から来ているクラスの皆が、特に、阪神大震災の時に、「メグミの家は大丈夫なのか?」とすごく心配して
下さいました。
「メグミの住んでいる、日本という国は、地震が多いそうだ」ということで、その日の授業のテーマが、地震について、皆で意見を話し合う、など、その日その日で、受講者の他の国の事もよく知る事が出来て、大変実り多い語学学校でした。


平成29年9月26日(火)1994年当時のウィーン国立音大の入試の様子


←ウィーン国立音大の入試会場、フェストザール。(ケルントナー通りのザイラーシュテッテにあります)。
左の写真は、初めてここで、クラッセンアーベント(門下生のコンサート)に出演した時の私。この時は、ドビュッシ―の映像2集を演奏。
楽典や、ソルフェージュの試験もここでありました。楽典は、「ユーバーメースィゲクヴァルテ(増4度)」などの、「インターヴァル(音程)」や、
「フェアミンデルテゼプトアッコルド(減七の和音)などの、和音と和声の種類などが主に出ました。「トーンライター(音階)」の種類や、
「ツヴァイテウムケールンク(第2転回形)を書いたりなどです。「ゲヘールビルドゥング(聴音)」もあります。




←ウィーン国立音大の入試要項。楽典、聴音、そして実技試験があります。
私が準備した、試験曲は、バッハの平均律2巻の9番、ベートーヴェン「田園」のソナタ全楽章、ショパンのエチュード「革命」
ショパンの「幻想ポロネーズ」
そして、スクリャービンのエチュードOp.42-8でした。

入試は公開で誰でも聴けます。日本流に黙ったまま試験場に入っていっては、ダメですよ~。
必ず、「グリュス・ゴット!(こんにちは!)」と試験官の先生方に声をかけます。「ヴィー ハイセン ズィー?(お名前は?)」と聞かれますから、名前を言うと、「ヴォッヘア コンメン ズィー(どこの国から来ましたか?)」と聞かれます。

「ヴァン ズィント ズィー ゲヴォーレン?(生年月日を教えて下さい)これは、一番大事な質問です。

入試の時点で、22歳を過ぎていないかどうかを確認されます。(年齢制限は、私達の時代は、22歳を過ぎると、減点されていくという噂が流れていましたが、本当のところは、わかりません。)

色んな国から来ている人達の演奏が聴けて、実に面白い入試です。

1994年9月26日が、私の入試本番の日でした。23年前の今日です。懐かしいです。あれから23年もたったので、入試の様子も大幅に変わっていると思います。


平成29年9月24日(日)ウィーンのスーパー


←23年前の、ウィーンのスーパー「ホーファー」で、食料品の買い物をしている私。お料理は昔から好きで、友人から、コンサートの帰りなど、外食しようよ、と誘われても、自炊するのが好きでした。ウィーンには、「ビラ」とか、「ホーファー」とか、「ツィールプンクト」「シュパール」などのスーパーがあります。

ウィーンは、酪農の国なので、チーズや、バターなどの乳製品、チョコレートや、ケーキなどのお菓子もすごく美味しいです。
マクドナルドの、ソフトクリームとか、アイスを食べたら、日本の乳製品の味が、いかに薄いかが実感出来ます。チーズは、色んな種類のものが豊富にあり、私が、ウイーンに住んで、一番好きになった食べ物は、チーズです。パンも、黒パンや、ライムギのパンとか、色々な穀物を混ぜた、酸っぱいパンとか、どれも全部美味しいです。ドイツ料理や、オーストリアの料理は、全部好きですが、4年間食べ続けるとさすがに、日本食が恋しくなり、梅干しとか、海苔とか、お漬物など、日本から、送ってもらっていました。甘いのも、チョコレートとか、ケーキの甘さはいや!日本の和菓子が食べたい、となってきます。たまに、日本から、羊羹送ってもらったから一緒に食べようよ、とか、私が持っている昆布の佃煮とか分け合って食べたり、日本食を送ってくれたという友人が誘ってくれると、もう感激!留学生は、皆、日本食に飢えていました。

←左側、私の住んでいた、ウィーンのマンションのすぐ前に「ビラ」があり、よく通いました。9年前に再び訪れた時も、変わらず、ありました。

一番よく通った、「ホーファー」は、なくなっており、同じ場所に「リンドル」が出来ていましたが、
ユーロになってからも、安いスーパーでした。

恐らく、日本の東京のように家賃から、物価から全てが何もかも高い国はないと思います。ヨーロッパで高いなあと思う国は、スイスですね。

オーストリアも、ドイツも、食料品などの生活必需品は、とても安いので、有難かったです。
ただし、今の時代は、私の過ごした、留学時代とは違い、日本人の留学生も多くなり、きっと値上がりしているだろうと思います。


平成29年9月23日(土)留学時代の家さがし


←ウィーンに住み始めて間もない頃。ホールヴェークガッセ(3区)ベルヴェデーレ宮殿のすぐ近くに家を見つけました。しかし、私が、
ジャンジャカジャンジャカ練習するので、苦情が来て、追い出されました・・・・。

あまりに恐くて、警察も3回ほど呼んで、来てもらいました。






←そして、音が、十分出せるアインジドラーガッセ(5区)にお引越し。バスで、10分くらい乗れば、ウイーンの中心地、カールスプラッツに出れます。オペラ座、ケルントナー通り、楽友協会ホール、コンツェルトハウス、国会議事堂、市庁舎など、見どころが全てある場所です。ウィーン国立音大のピアノ科のレッスン室もコンツェルトハウスの隣にあります。名古屋で言えば、「栄」みたいなところ。

ウイーンに住んでいる間、4回ほど、お引越ししました。一番、大きなお荷物が、「ピアノ」。ピアノをトラックの後ろに裸のまま!積んで、
(日本みたいに丁寧に布でおくるみしない、そのまんまです。そのピアノを入れたトラックの荷物載せの所に私も一緒に乗って引っ越すのですが、トラックが、ガタガタ揺れるたびに、ピアノが倒れて、下敷きになるのではないかとヒヤヒヤしながら、のお引越しでした)。

私の家は、1か月5700シリング(57000円)、ピアノは、1か月2200シリング(2万2000円)で、借りていました。

1つのお部屋を、3人くらいで、分け合って住む、「ヴォーンゲマインシャフト」をしている留学生も多いです。
探し方は、大学内の、掲示版に貼られてあるもの、新聞広告を見て、その家主に電話をする、などです。「ミットベヴォーナリン(同居人)求む!」とか、紙に書いて、貼ってもらったりします。お部屋を分け合うと、安いですが、誰が掃除をするかとか、冷蔵庫も共同になるので、それはそれで、色々とケンカの元になったりもするようですが、
友人と上手くやっていける人なら、楽しい共同生活となる事でしょう。

ピアノが弾ける家を探すのが、どの留学生もまず、ひと苦労するところだと思います。


平成29年9月22日(金)ビザ(査証)


←ウィーン時代の私のビザ。(査証)。(滞在許可証)

旅行目的で、6か月以内なら、オーストリアは、ビザがいりませんが、留学のように長期に渡る滞在は、ビザが必要です。

ビザ申請用紙、パスポート、写真、入学許可証、学生証、成績証明書、戸籍抄本、住民登録届け出書、収入印紙
銀行の通帳、健康保険証、などなど。自分の身分が確認できるものなら、全て、原本とコピーがいります。


銀行の通帳には、口座に約200万くらいの資金が常にあるかどうかをコピーされます。

オーストリアに行けば、日本人である私は、外国人です。緊急事態に陥った場合、外国人の世話まで、出来ないということで、銀行口座の残高を厳しくチェックされるのだと思います。


ビザを取得するときも、早朝に出かけていき、番号札を取って、お昼まで待たされたかと思うと、
12時がきたから、もう受け付けません、目の前で「ゲシュロッセン(締め切り)」の札がおりてしまい、ガーン・・・・。

成績証明書1つだけ足りなかっただけなんですが、許してもらえません。又、出直してきなさい!です。
今度は、ウイーン国立音大の事務に成績証明を出してもらいに行こうと思っても、又、それは、明日の早朝から・・・・といった具合で、ビザ1つ取得するにも、スムーズに運びません。ヨーロッパでは、並ぶこと、待たされることに慣れることです。

「時間外の仕事はしません!私の仕事以外の事はしません!」という割り切ったお国柄なのです。合理的ではありますが、何となく冷たさを感じてしまうのも確かです。日本と違い、そういうところは、情け容赦ないので、つくづく、外国の地で生活するのは、大変だと感じたものです。


平成29年9月21日(木)住民登録


←ウィーンに住み始めたら、まずしなくてはならないことは、「住民登録(メルデツェッテル)」です。

大家さんのサインをもらって、近くの役場へ行きます。留学生がやらなければいけない一番嫌な事の
一つに、役場行きがあげられると思います。書類、書類、書類の山をそろえて持って行きます。役場の人は、恐いし、日本の人のように親切に優しく誰もが丁寧に教えてくれるという事がないからです。日本のように即、対応してくれる国は、多分どこへ行ってもないんじゃないかと思います。

←又、ウィーン国立音大の学生として、入学が決まれば、「健康保険(クランケンフェアジッヒャルング」に入る事も、義務付けられます。

私の記憶では、ウィーンからかなり、離れた郊外に
保険会社が、あり、朝5時起きで、バスに乗って頑張って行ったのに、書類が一つ足りないというだけで、もう一回出直してきなさい、と言われて、ショック・・・・。何度、保険会社に足を運んだかわかりません。

ちなみに、もし、留学しているときに、病気になったら、日本のようにすぐに病院には行けません。

突然、お腹が痛くなった友人のために、救急車を呼んだこともあります。しかし、待てど暮らせど、4時間くらい待って、やっと救急車がきてくれました。ここでも、日本のような迅速な対応を期待していたら、多分イライラすることだらけになると思います。
そもそも、病気になってから、病院に行くのではなく、普通のマンションの一室に、お医者さんがいて(なぜか、白衣を着ていない)、健康な時にそのお医者さんとお話して、普段の自分の生活習慣を見て頂くというのが、ヨーロッパの人の考え方のようです。その普段の家庭医から病院を紹介してもらうシステムになっており、
日本のように、「カゼひいた、じゃ、病院に」というわけにはいかないので、すごくややこしいです。一般的な血液検査なども、病院ではなく、「ラボア」(日本語で訳せば、実験室)に行きます。

薬局の事は、「アポテーケ」と言って、蛇のマークがついているところにありますが、医師の処方箋がないと薬も買えません。


平成29年9月19日(火)学費


←ウィーン国立音大の授業料は、1年間で、8万円かかります。(夏学期ゾンマーゼメスターに4000シリング、冬学期ヴィンターゼメスターに4000シリングで、日本円にすると、1年間で8万円くらいです)。



←その他、生徒会費として、165シリング。日本円で1650円くらい。


ドイツの音大の授業料は政府が払うので無料です。



私が住んだ時期は、オーストリアシリングでしたので、10シリングなら100円、という風に、1つマルをつけ足せば、OKなので、換算するのにとても楽でした。

今は、ユーロですし、ウィーンも、ドイツも、変わってきていると思います。






平成29年9月18日(月・祝)名古屋の「敬老パス」みたいなウィーンの学割定期券



←ウィーン国立音大時代の私の定期券。学割4か月乗り放題で、たった600円。
ウィーン市内のバス、地下鉄、市電、平日は午後13時から終電まで、何回でも乗車出来ます。(日・祝は、どの時間帯でも乗り放題)。

写真を貼って使います。(当時の私の髪、長い。ウィーンは、夏は涼しく、冬は、寒いので、どれだけ伸ばしてもうっとうしくない)。



これを持っていないと、無賃乗車とみなされ、即、下車させられる上に、かなり高額な罰金を取られます。知らない土地で、降ろされたら、帰ることも出来ません!

「ファールシャイン、ビッテ!(切符拝見!)」と抜き打ちで、地下鉄、バス、市電、私服の警官が、いきなり、現れます。突然だから、恐いですよ~。

まだ、私が、ウィーンの市電に乗り慣れていない時に、なぜか、方向を間違えて、どんどん、郊外に行ってしまい、辺りは暗くなるし、景色が、まるきり違ってきて、どうしよう!とハラハラしたことを覚えています。そんなときも、何回降りても乗っても、この定期券さえあれば、交通費がかかりません。

名古屋の、「敬老パス」みたいです!


平成29年9月17日(日)花のワルツ

大人の生徒さんが、チャイコフスキーの「花のワルツ」を弾いています。バレエは見るのも、バレエ音楽を聴くのも大好きです。日本では、小さい頃、友達が出た発表会しか、見る機会がなく、初めて、ウィーン国立歌劇場で、そこの専属のダンサー、マラーホフの踊りを見た時は、身体中がしびれて、何て美しい世界がこの世に存在するのだろうと、思いました。

ピアノで、「歌う」という事が、表面的には、理解していたものの、心の底からは、掴めていなかった23歳の若い私に、ピアノではない他の芸術の美しい世界を知る事で、心から、歌う、という事が、どういうことかが、よくわかりました。

生徒さんが、「花のワルツ」を弾いている時、私の心は、又、ウィーンに飛んでいきそうに嬉しくなりました。
←1994年12月23日のウィーン国立歌劇場のプログラム。「くるみ割り人形」の中で、「花のワルツ」は踊られます。
その生徒さんに、是非、本物の舞台を見ることを勧めて、オーケストラも一緒に聴いてもらいました。
ここは、ホルン、ここは、弦楽器、ここは、ハープ・・・・
ここから、バレリーナ達が踊り始める・・・・そういったことが、頭の中で、イメージ出来ているのと、ただ、ピアノの音、でしか、聴こえてこない音とでは、まるきり違ってきます。

その人が考えている事や、イメージしている事が、全て、透き通って見えてくるのも、ピアノの面白さです。


←ウィーン国立音楽大学の私の学生証。これを持って、演奏会場へ行けば、学割がききます。

立ち見なら、200円~300円。コンサートでも、真ん前の中央に座っても1000円くらい。ウィーンフィルも500円で聴けます。
日本では、考えられない安さなので、気軽に行けて、恰好もTシャツにジーパン姿で、平気です。















私の日記は、これから、留学を考えている方や、音楽の道を目指す方、ピアノ学習者の皆さんに出来るだけ、役に立つ情報をどんどん書いていきます。
ピアノにまつわるものは、小さい頃から、現在まで、全て保存してありますので、皆さんのお役に立てれば幸いです。(とはいっても、オーストリアや、ドイツの情報は、私が、住んでいた頃1994年~1998年の昔の時代なので、色々と変わってきていると思いますが、私のいた頃はこうだったという事実を書いていきます・・・)。


平成29年9月15日(金)打ち合わせ

午前中は、名音大に、秋学期のレッスン打ち合わせ。今年、20歳になる学生さん達が多く、成人式の準備をしたとか、夏休みの生活の様子など、皆さん休み明けで嬉しそうに話してくれました。来週から、早速レッスン開始なので、1人1人のレッスンの時間帯を決めたり・・・。夏休みの間に、学内の様子がガラッと変わっており、レッスン室のカギはどこ?出勤簿はどこ?学務課の場所が変わっていて、あせりました・・・。

午後からは、明和。つい最近、文化祭が終ったばかりで、文化祭の様子を色々と話して聞かせてくれました。楽しそう!

帰ってから自宅でレッスン。又、今日、私からの返信メールが届いていなくて曲がさらえなかった生徒さんがおり、申し訳なかったです。届いているとばかり思っていましたので、御免なさいね。私は、必ず頂いたメールには、早急に、返信するように心がけていますので、何かこれは、おかしいなと思われたら、すぐ、お知らせ下さると有難いです。


平成29年9月13日(水)うっとりするような音楽

9月も、もう半ばを過ぎ、来年出演される生徒さん達の門下生コンサートの曲が、ほぼ決定しました。

新しい生徒さん、現在の生徒さん、OBの生徒さんの方達が、色んな曲を弾いて下さいます。

リサイタルでも、一挙に40曲も、聴くことは不可能ですし、全員の演奏がブルーレイになって仕上がってくるのも、とても楽しみです。

曲は、ショパンがやはり、一番多く、次いで、ベートーヴェン、ドビュッシー、ラヴェル・・・・などなど。バロックから古典派、ロマン派、近・現代、ロシア物、フランス物、邦人作品、何でもありで、美しい音楽が、勢揃い。皆さん、楽しみにしていてください!
私の個人的な好みとして、抒情的で、繊細な美しい作品が好みだからか?生徒さん達も、小さい頃から、ガンガン弾きまくる作品より、うっとりするような歌える音楽が好みのようです。

私の生徒さん達の演奏を聴いた方達から、「先生の弾き方にそっくりだ」とよく言われます。

私にとって、この言葉ほど、嬉しい言葉はありません。(生徒達が可愛いので、親バカ全開、お許しください(笑))


平成29年9月9日(土)メトネル

メトネルは、私の好きな作曲家のうちの1人です。私が好きだという事もあり、生徒達も好んでよく弾いています。

私の好きなメトネル作品は、ほとんど、これまでのリサイタルで取り上げてきましたが、一番好きな曲は、「夕べの歌」です。

今日、高校生の生徒が、その曲を持ってきました。私のYouTubeを見て、メトネルを初めて知り、メトネルの作品について、とても興味を示してくれた様子で、メトネルについて、沢山調べたい、との事でした。

「夕べの歌」ですが、原語は、「カンツォーナ・セレナータ」です。「もともと、セレナーデは、夕べに恋人の窓の下で歌い奏でる夜の歌。言葉では、言えない
想いが、音楽だから、その気持ちを十分込めて弾くといいね」。という話をしました。

他にも、メトネルは、ロシアのショパンといわれるくらい、ピアノ曲を沢山書いていて、そのどれもが、ロマンチックで美しいです。
ロシア物なので、ラフマニノフや、スクリャービン、チャイコフスキー、リャードフ、などに似ていますが、やはり、メトネルは、メトネル独特のロシアの香りがします。

音楽は、そこが面白いなと思います。ハーモニー1つとっても、ショパンの香り、ドビュッシーの香り、ラヴェルの香り・・・・それぞれの、色や、香りがあり、
同じ、ドミソでも、ベートーヴェンのドミソとショパンのドミソの色は全然違います。

ソの音1つとってもC-durのソと、g-mollのソの弾き方(聴き方)では、随分、タッチも想いも変わります。

音には、沢山の色があります。沢山の色があり、変化に富んだ演奏は、誰が聴いても、感動します。メトネルの作品は、プリズムのように、1つ1つの和声を重ね合わせていくと、沢山の色合いが生まれてくるので、そこが私の一番気に入っているところです。


平成29年9月8日(金)「充実感」があると幸せ

今から18年前、ウイーンから帰国したばかりの私が、明和高校で一番初めに見させて頂いた、昔の教え子から、何年かぶりにお手紙が届きました。

今月、9月30日に宗次ホールでランチタイムコンサート(明和を巣立った音楽家シリーズVol.19)に出演される、伊藤彩恵さんです。

愛知県芸を卒業後、すぐ結婚されて、今、小学1年生と3歳になる2人のお嬢さんの子育てをされながら、小学校の音楽の先生、自宅でピアノ教室もしているとの事です。

彼女が、「学生の頃は、至らない生徒で、自分の不甲斐なさを痛感するばかりでしたが、今、ようやく、岩野先生から、教えて頂いたことが、身に沁みてわかるようになりました」。と、ありました。そんなことは全くなく、学業、ピアノ共に大変優秀な生徒さんでした。

彼女の他にも、中学の音楽の先生になり、担任を持っている子や、段々と、社会に出て、人のためになっている教え子たちが、1人、又1人と増えていくに従い、嬉しく思っています。

音高、音大を出たからと言って、必ずしも、音楽の道ではなく、一般企業に就職が決まり、毎日充実感を感じながら、勤めている子もいます。

その子は、会社のイベント会場にピアノが置かれるそうなので、又、弾く機会があると思うと嬉しいと言っています。

社会人になって、何がその人を一番、幸せにするかといえば、自分が人のために役立っている、他人に貢献していると思えることで、充実感が生まれて幸せになれるのだと思います。

そういった意味で、子供は、親に貢献していますし、親も子供に貢献しています。
私も、ピアノの道を歩き続けて、生徒さん達に、自分の体験を示していく、貢献する喜びを持ち、自分が出来る範囲の事で、最大限、手を尽くしています。それ以上に、生徒さん1人1人から支えられている事を日々実感しています。


平成29年9月7日(木)ラのシャープ、食べるアイス!?



小学2年生の男の子が、バッハのメヌエットを弾いています。大人の生徒さんに話すような、
「メヌエットとは、17世紀の中頃、ルイ14世によって宮廷に取り入れられ、上流階級の愛する踊りとなって…云々」などという話を始めたら、聞いてない、聞いてない(笑)
当然です。


以前も、宮廷がどのようなものか、上流階級とは、どんな仕草をするのか、から始まって、一緒に踊ろうとすると、

「あ、ボク、知ってるよ、フラダンス~」と言って、フラダンスか、よくわからない踊りを踊り始めたり、まあ、とにかく賑やかな事!

優雅に、フレーズの終わりを投げ捨てないように、丁寧に優しく弾きましょう、というと、わざと、ぶっきらぼうに弾いたり・・どこから、こんなにエネルギーが湧いてくるのかと感心するくらい、すごいパワーです。

今日、女の子によく見せる絵本で、お城の中の様子、メヌエットを踊っている様子を説明したら、興味津々の様子でした。飛び出す絵本は、男の子も楽しいみたいです。

ドイツ音名を覚えさせるときも、「Ais」を気に入って、どれを鳴らしても、「アイス」「アイス」というので、「じゃ、どんな味のアイスが好きなの?」と聞くと、
「ボクの手作りアイス~おいしいよ~」、そんな会話になっていく。「ここのタイは・・・」というと、「えっ、タイ、魚の?」私の音楽用語1つ1つが全部食べ物に結び付く(笑)

単語を説明するのに、私も、汗をかきかき、でも、楽しくやっています。


平成29年9月5日(火)その人なりの創意工夫

バッハの平均律Ⅰ巻18番のフーガをレッスンしていて、疑問点が出てきたので、再度調べてみました。このフーガを閉じる最後の和音についてです。

自分の体験では、この曲を中学3年生の時にPTNAのG級の全国決勝大会の際、演奏し、又、ウィーンでも演奏した機会がありましたが、当然のごとく、長調の和音で閉じていました。私が、学生時代買って研究した、バッハ平均律の研究1、矢代秋雄先生と小林仁先生の対談の本を久しぶりに読み返してみると、小林先生は、短調で閉じるのが正しいそうですよ、矢代先生は、そうはいうものの、長調で終わりたいとおっしゃっています。これは、色々な説があり、マチマチだということですが、こういう疑問点は、音楽を作っていく上で、沢山あります。そんな時は、一体誰の意見を信じてよいのか?一生懸命学んでいる人達なら、誰しもぶつかる事でしょう。これは、何も音楽に限らず、人の生き方に、これが良くてあれが悪い、といった、決めつけた「正解」というものがない通り、最終的には、自分の感性に頼るしかなく、色々試行錯誤したうえで、自分が判断しなくてはならない事と思いますが、私は、やはり、ここは、長調で閉じたいです。

特にバッハの音楽は、最終的には、どんなに悲劇的であったとしても、どこか救われていく部分があるような気がするからです。
リヒテルや、シフなども短調のまま終わっています。が、どちらが正しいかどうかは、バッハに聞いてみないとわかりません。

知性派のブレンデルが、「音楽は、まず、感性から入り、知性的な要素が加わり、最後にもう一度感性に立ち戻る」とおっしゃっている言葉に私も共感します。

チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」の最後も、悲劇のまま終わっている脚本と、終わりを救われた形でとらえている脚本と、2通りある舞台を見たことがありますが、どちらも、いいなあと私は感じました。

良いと思ってやっている事に実は、不幸が潜み、どうしようもない悩み事の裏に実は、大きな幸せがあったり・・・・。「禍福はあざなえる縄の如し」です。
良い事と悪い事は、丁度、表と裏と一体になっているようなものだから、バッハの最後の音も、「H」で、暗いまま終わってもいいと思うし、「His」で、雲に隠れた太陽のように慰めの光を見出すという見方も出来ます。

バッハが生きていて、直接尋ねることが出来れば、わかるかもしれませんが、そういうバッハも、案外、「長調で終わっても短調で終わっても音楽として意味をなしていれば、どっちでもいいよ」と言ってくれるかもしれません。(笑)

これは、音楽を研究していく上で、あげたほんの一例ですが、あらゆる点で、色んな角度から、深く作品を理解していくことは、とても楽しい作業です。しかし、最終的には、人間が作ったものであり、人間が受け取るということで、感性に訴えかけなければ何もならないわけで、
色んな疑問を持つことにより、その人なりの創意工夫を生み出していくに従って、作品もより深まり、生きてくると思います。


平成29年9月3日(日)生徒さん達のお幸せをお祈りして


先日、開催された、佐藤愛さんのコンサート。私が、伺えず、門下生の子が応援に行って下さいました。素晴らしかった様子で、
コンサートのご盛会、おめでとうございます!

愛さんは、コンサートの前に、挨拶に来て下さいました。その時、色々とお話出来ましたが、愛さんは、あともう1年、パリで勉強を続けるとの事です。パリの中心地、芸術家が住める住居に住まわせてもらえているとの事で良かったですね。

留学して、何が一番大変かと言えば、家探し・・・・。ヨーロッパの人達は、音にうるさいので、土、日は弾いたらダメとか、ピアノを弾けるお部屋を探すのは、ひと苦労です。

私の所で学ばれた生徒さん達が、この先、どんな風になっていくのだろう・・・・・と生徒の皆さんのお幸せを祈っています。


平成29年9月2日(土)演奏も変わる

以前に比べて、だいぶ涼しくなり、過ごしやすくなってきました。

夏休みが明けて、生徒さん達は、楽しそうに、レッスンに通って来ています。半年ぶりに来た生徒さんが、急に大人びていてびっくりしました。

子供だけではなく、大人も、毎日、気がついていないだけで、変わっていきます。

演奏も、日々、変わっていきます。