平成28年5月30日(月)パスカル・ドヴァイヨン先生の公開レッスン

今日は、現在、ベルリン芸大の教授でもある、パスカル・ドヴァイヨン先生が、来日されて、名古屋音楽大学で、公開レッスンがありました。

私の生徒も、受けさせて頂く機会に恵まれましたので、聴きに行きました。こんな素晴らしい機会を与えて下さった名音の先生方に生徒と共に感謝しています。


公開レッスンが行われた、めいおんホール。こんな素敵なホールで、公開レッスンを受けさせて頂けるなんて名音の学生さん達は幸せですね。


レッスン終了後、私の生徒の
演奏家コース特待生の倉橋千遥さん、
ドヴァイヨン先生と一緒に。
















平成28年5月28日(土)ドイツの音大の入試に向けて

来月、ドイツの音大の入試を受ける生徒が、最後のレッスンに。沢山の曲を次から次へと聴かせてくれました。シューマンのソナタ3番は、彼女が明和高校時代、一緒にレッスンした私と彼女との思い出の曲です。

小学生時代から見させて頂いて、彼女が、もう、そんな年齢になったなんて感慨深いものがあります。私が、一番最初に、留学先のウイーンでなく、
ドイツのミュンヘンの駅に降り立ったのが丁度、彼女と同じ年齢の5月でした。

ミュンヘンの空港から中央駅に行くまでの電車の中から見た、一面の美しい菜の花が咲き乱れる光景に、心を奪われて・・・・。5月は、ドイツの一番美しい季節です。
あれから、22年間もたつのに、あっという間でした。帰国してからは、可愛い子供達が沢山出来ました!いつでも、どこでも、ピアノがあり、ずーっと、ピアノの道を歩いています。

私の教室で学んでいる生徒さん達が、ピアノがあったから、辛い事、苦しい事を乗り越えることが出来た、と思ってもらえたら、こんなうれしい事はありません。

人生におけるさまざまな試練に遭った時に、辛い時は、ピアノに没頭することで、必ず、救われるからと生徒達には、よく話して聞かせています。救われるためには、ずーっと続けなければ、私が言いたいその意味すら理解出来ません。

ドイツに行けば、嫌でも自分が日本人なんだという事を再認識させられると思いますが、その時も、ピアノがあるから大丈夫!そう思って、元気で行ってきてほしいです。


平成28年5月26日(木)沢山の曲の練習

今日は、沢山の曲をどのように練習していけばいいか書いてみようと思います。通した時に、30分〜1時間くらいの曲を同時進行で練習していく音楽学生さんの場合です。

私が学生時代取っていた練習方法は、まず、全ての曲を1日1回は、暗譜で通します。その後、1日目が、バッハの平均律とショパンのエチュード2曲、
2日目ベートーヴェンのソナタ全楽章、3日目ロマン派の大曲、4日目近現代の大曲などを細かく研究します。更に、5日目新しい曲の譜読み、6日目レッスン前の仕上げ、そして、先生とのレッスンという感じでやっていました。

自分なりに自己診断チェックリストなるものを作り、すごく満足のいく練習が出来たら、◎、まあまあなら、△、全然ダメなら×のように、自己診断して今日の
日課を終えるというのが私の学生生活でした。

ベートーヴェンのソナタなどは、長いので、細かくやる場合は、呈示部だけとか、展開部だけとかある部分だけに絞って研究を重ねていきます。
こうやって、つまみ食い方式の練習でやっていくと、毎日違う曲を練習することが出来ます。

他にも色々なアレンジが出来ます。とりあえず、曲を沢山増やしたい人は、毎日、1ページでもいいから、新しい譜読みをしていくように心がけるといいと思います。完全に出来なくても構いません。とりあえず、次の日は、違うところを又譜読みします。

そうこうしていくうちに、目が、楽譜を読むことに慣れてきます。視覚的に、楽譜をキャッチできるようになると、今度は、楽譜が、模様か、図面のように見えてきます。目が慣れると、さっきも、あそこの部分あったな、あれと同じ模様だ!「神経衰弱」というトランプのゲーム、私の小さい頃流行したんですけど、それと同じ感覚になってきます。

勿論、1曲を練り上げて、音楽の質を常に高め続ける事は、とても大切です。と同時に、膨大なピアノ曲の世界に触れるには、同時進行で沢山曲を練習していくといいですね。そうしていくうちに、自分の音楽の器が大きくなったと感じられ、曲を沢山知っているという自信にもつながります。

限られた時間の中で、どう練習していくか。練習は、遊びだと私は思っています。今日は、こうやって遊んでみようとか、色々考えて遊ぶ。

自己診断チェックのやり方は、今度6月11日のステージリハーサルで、皆さんにご説明しようと思います。

これは、あくまでも私のやり方なので、是非、各自、自分なりの自己診断チェックリストを作ってみて下さい。生徒の皆さんからも、積極的にアイデアを出してもらえるのを楽しみにしています。


平成28年5月24日(火)本来その子が持っている演奏はどこへ行っても変わらない

大学院生のお母様から、門下生コンサートの感想を頂きました。
「どの方達も岩野先生のDNAが組み込まれた演奏だった、大学で色々な門下生コンサートを聴くけれど、岩野先生の所の門下生コンサートが一番しっくりきます」
私には、後に残していくものが、自分の子供ではないから、そういって頂けると、非常にやりがいを感じ、嬉しい気持ちで一杯です。

確かに、1人1人の生徒の演奏を聴いていると、ある部分が、私にそっくりだなと思う部分と、いいや、この子は、小さい頃からずっとこうやって弾き続けていると思える部分もあり、それも又、楽しみの1つとなっています。

私が、大学の教員試験を受けた際のことです。愛知文化講堂(現在の愛知芸術文化センター)で、中学2年生の時に、オーケストラと演奏した、モーツァルトの戴冠式の演奏を覚えていて下さった先生が、
「あの時の岩野先生の姿と重なります」と言われました。驚きでした。又、小学生の頃の私の演奏を知っている方は、今の私のリサイタルにいらして下さって、
あの頃のままだと、やはりおっしゃられます。

留学したり、色んな先生の所へ回って教えて頂いてもやはり、根本的な部分をひっくるめて、自分の演奏は、変わりません。将来、生徒達も、きっとそう思う時がくると思います。
それが、その子の個性というものであるから。私は、それを大切にしてあげたいです。そして、その子らしくあるよう、伸び伸びと解放させてあげることが自分が教えたい事を教える以上に必要な事と思っています。

お母様が自分は習っていないけれど、子供のピアノの成長を見ていくことで、自己が潤っていく、とおっしゃっておられましたが、本当にそうです。

子供の成長は、自分の大きな喜びとなって返ってくるものですね。


平成28年5月23日(月)緊張するのはとてもいいこと

門下生コンサートのDVDを皆それぞれ、楽しんでいるようです。今年からは、チャプターがつきましたので、見たいところの名前を押せば、パッと見れるのでとても便利になりました。

小学4年生の生徒が、「前は、緊張する事は悪い事だと思っていたけど、先生の所で、ピアノを習うようになって、緊張することはとても良い事なのだと
言ってくれて安心して自分の演奏が出来るようになった、又、来年の門下生コンサートが今からすごく楽しみです」と感想を書いていました。


そうですね、緊張する事もよし、辛い事もよし、悩むもよし、全て、自分の成長のためにある事と思えば、嬉しくなりますね。



平成28年5月22日(日)ドビュッシーのエチュード

高校生の生徒が、ドビュッシーのエチュード3度のためにを弾いています。

ドビュッシーのエチュードは、楽譜に一切指使いが書いていません。ドビュッシーの言葉で、「各自自分で指使いを探せ」とメッセージが残されています。

今年の毎コンは、通年よく出る、5指のためにと、オクターブのために、が出ています。そして、あまり、今まで出されていない、3度のために、も。
彼女は、「これを弾きたいです」と言って、あっという間に譜読みして、聴かせてくれました。又、すごく几帳面に全ての音に、彼女自身で、熟慮された指使いがびっしりと書き込まれており、本当に感心しました。

彼女の弾く3度のためにを聴きながら、ああ、ドビュッシーは、やはり、絵画的な和声だなあとうっとりしながら、モネやドガなどの印象派の絵画を思い浮かべて聴いていました。
音楽は、不思議です。ピアノを弾いていると、絵画が浮かぶし、絵画を見ると、自分の耳に音楽が流れる。詩を読むと、ピアノが弾きたくなり、ピアノを弾いていると、詩が読みたくなる・・・というように音楽以外の世界が目に浮かぶからです。
一つの和声を弾いていても、この音は、教会の中に足を一歩踏み入れた時の音とか、イメージが湧いてきます。フランスものは、特に、香りも漂いますね。私は、音が消えた後に残る、
フワッとした素敵な香りをかぐのが、大好きです。

音楽は、空気とか気圧で伝わるものが大きいからと生徒達には、常々話しているので、皆、色々な音の空気、気圧を感じて試行錯誤しながら、自分なりの音楽の表情を発見しているようです。

今日来た高校生の生徒とは、空手をやりました。私が「フンッ!!」と気合を込めて拳を握り空手の真似をします。生徒も真似をします。音楽の空気を引き締まったものにするには、剣道とか、空手とか、武道などの世界を知る事で、音楽の空気が持つ「気合い」が理解できるようになります。全ての体験は、どこかで必ず、つながっていきます。彼女も、色々表情を研究しているけれど、難しい、だけど、1つ1つの音をイメージを持って、表現していくことは、とても面白いと言っていました。そんな楽しみが1つずつ増えていくのが、音楽の世界です。
この道何十年というように、1つの道を究めると、全ての道は、共通しているのだなあと、実感出来るところが、ピアノを続けていて本当に素晴らしいと思える点です。

私からの贈り物として、目には見えない、美しい宝物を1人1人の生徒さん達の心に沢山持たせてあげたいです。


私が持っている、ドビュッシーのエチュードのCD。

個人的には、私にとっては、神様のような存在の内田光子さんの演奏が好きです。美しい絵画のような演奏で、音楽の空気がフンワリ、暖かく、私の好きな、ヨーロッパの音そのもの。内田さんは、ドビュッシーを録音するときに、シューベルトのソナタと迷ったといわれますが、鉛筆を倒したら、ドビュッシーの方に倒れたから、ドビュッシーのエチュードにされたそう。








平成28年5月21日(土)タランテラってタラコ!?

小学4年生の生徒がブルグミュラーのタランテラを弾いています。

「○○ちゃん、タランテラって何か知ってる?」と尋ねると、

「う〜ん・・・・何か、食べ物かなあ、タラタラしてるから、タラコかタコかイカ!!」

「違うのよ(2人共お腹を抱えて笑う)食べ物ではなくて、踊り。南イタリアの伝説で、タランチュラ(毒グモ)にかまれた人間が、この踊りを狂ったように踊ると治ったと言われる。南イタリアのタラント地方から来ているともいわれている。いずれにしても、タコがヌルヌルした足で滑ってるみたいなかんじになっちゃだめよ」

「えーっ、全然ちがう、明太子のタラコかと思ったあ!」

「じゃあ、毒グモにかまれるとチクッとしていたいでしょ?スタッカートはそんな痛みみたいにひいてみようか?」
彼女、「もう、笑え過ぎて、弾けないよ〜」

先週は、音が変わるたびに、その音色の持っている空気を感じて、顔の表情も変わるようにと言うと、「難かしすぎる〜!」「変顔になった〜!」キャッキャッ
大はしゃぎでレッスンの間中笑い転げていました。

とにかく表情豊かで、レッスンの間中、愉快な彼女です。


平成28年5月19日(木)教育実習

新緑が、目にまぶしい季節となりました。この季節になると、決まって思い出すのは、教育実習。
学生さん達も、大学4年生の子達は、教育実習があるので、来週、再来週とレッスンに来れません。
彼女達に、「いい想い出、沢山作って来てね。きっと、帰る頃は、生徒達から慕われて、泣くほど別れが辛いと思うよ。」と話すと、学生達は、え?そうかなあ?という半信半疑の顔色でしたが・・・。

かくいう私も、教育実習に行く前までは、気乗りがしませんでした。というのは、私の中にある「先生」というイメージは、声が大きい、命令口調で話す、怒鳴る、私が育った時代もあるでしょうが、とにかく、「先生」という職業は恐いイメージでした。

私の性格からして、そんな事出来るのかな?と不安で一杯でした。だからといって、急に性格を変えるわけにもいかないし、まあ、いいか、と思って、朝学活から、スタートを切りました。

朝学活は、私が、生徒に向けて、好きな事を色々と話すのですが、それまで、ザワザワと騒々しい教室が、急に静かになり、21歳だった、つたない私の話を生徒達は、一生懸命聞いてくれました。

「へえっ!怒鳴らなくても、静かに聞いてくれるんだ」これが、21歳で初めて、教壇に立った時の私の新発見でした。

そしていよいよ音楽の授業が始まりました。ここでも、それまで、生徒を教えるなんて経験はなかったので、一体どうやってすればいいかも全くわかりませんでした。

私がピアノを弾いて、生徒が歌う。普通に座らせておくと、すぐ、騒々しくなるのは了解済みでしたので、ピアノの周りに集めて歌わせると、皆、真剣に歌ってくれました。

最後、全ての先生方が、私の授業がどのようであるかを判断される試験のような事がありました。私は、他の先生と違って、物静かだし、もっと先生らしく大きな声で話しなさいとか、ビシビシ厳しくやりなさいとか、いう評価を頂くかな?と思っていました。

が、私の予想はまるで違いました。校長先生が、「貴女の授業は、生徒達が、すごく静かになり、生徒達が真剣に授業を受けていた様子が伝わってきてそれは素晴らしかった」。

驚きでした。私に一番不向きだと思っていたことが、他人の目には、全く違う風に見えていたことも、びっくりしました。

教育実習から帰る前は、生徒達が、1人1人、私に手紙を書いてくれて、室長さんが、私に渡してくれました。

「岩野先生との音楽の授業はすごく楽しかった。明日から、先生がいなくなると思うと淋しい」どの生徒もそう書いてくれていました。最後は、涙、涙でした。

何か、全然先生らしくない先生(今も実はそう自分では思っている)なのに、校長先生がかけて下さった言葉が本当に嬉しく、ほめるという事は、人間の固定観念を打ち破り、大きな勇気をもらえるんだなあと、強く感じた出来事でした。それも、自分が長所と思っている所ではなく、短所だと思っている所を、他人からほめられるとすごく嬉しいものだという事も、知りました。

今、生徒達を教えていて常に思う事は、怒鳴らなくても、生徒は真剣に聞くし、厳しく言わなくても、皆、心の中に、自分が進むべき道をちゃんと知っています。
教えるというよりは、常に新しい自分自身を発見するよう導くことで、生徒自身が答えを出すようになってきます。それを、あせらず、じっくり待つことが本当に
大切だと思っています。



平成28年5月15日(日)音楽する歓び

学生時代によく読んでいた、小澤征爾さんと武満徹さんの対談集「音楽」新潮社をもう1度見直してみたくなり、一気に読み上げました。やはり、何回読んでも面白い。
若い、音楽学生さん達に是非、読んで頂きたい本です。

武満さん「弦楽器でも、弓や身体をいっぱい使って弾きまくるよね.。歓びが満ち溢れている。音楽家がつまらなさそうにいやいや弾いているのを見ると、音楽をやめた方がいいんじゃないかと思うんだよ。ピツィカートなんかでも、もっと大きくはじいたっていいじゃないか。もっと身体を使ったっていいじゃないか。あれじゃ、いい音もでないし、演奏しているご本人だって面白くないだろうしね・・・・」などなど、本当に共感出来るところが一杯。

子供達が、音の感情を知る事は、結局、自分の感情を表現する事にもつながると思い、生徒の皆さんに、色々な顔の表情を研究してもらっています。
今日レッスンに来た、大学生が、どこで、音楽の表情、音程を感じているか、尋ねてみたら、「まゆげ!」眉間にしわを寄せた!さすが、大学生。サッと答えてくれました。

私は、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が大好きです。みどりさんの演奏を見ていると、自然に涙が溢れます。

それこそ、顔の表情も素晴らしいし、全身で、音楽を表現されていると思います。だからこそ、音にも底力があって、どこまでも深い深いチャイコフスキーの
音楽に吸い込まれていきそうです。

ピアノで、どう歌わせるのか、表現に行きづまったら、是非、他の分野の楽器や、バレエの表情豊かな、ダンサーの表情、指揮者の表情を見て研究するといいですね。他の芸術を知る事で、ピアノ演奏も器が大きくなっていきます。

ヴァイオリニストなら、五嶋みどりさんは、正に、日本の宝のような方ですけど、庄司紗矢香さんの表情も、すごく好きです。音楽的ですね。
何度見ても涙が溢れるような音楽を感じて弾いていらっしゃると思います。

バレエのダンサーなら、ウラデイーミル・マラーホフ、指揮者なら、小澤征爾さんの表情が、大好きです。


ピアノの練習ももちろん大事ですが、1つ1つの音に込める思いがどうありたいのか、今度、本番を迎える子達ばかり集めて、6月11日にステージリハーサルをするのですが、生徒の皆さんと一緒に音楽で表現するとは?どういうことか、考えてみたいと思います。特に、皆、成長してきましたので、弾くことに関しては、各自が、自分で取り組まなければならない事だと思うので、その上の段階の話になってきます。音楽の歓びを表現するには、又、音楽を感じると、顔の表情から、全身がどのように変化していくかについても、一緒に考えてみたいと思っています。

1回、コツを覚えれば、全てに応用できますから、是非、生徒の皆さんの積極的な、表現、どうやって、表現すれば、自分の思い描いている音楽になるのか、を皆さんで研究していきます。
とても楽しみです。


平成28年5月14日(土)門下生コンサートのDVDとBDが出来上がりました!



今年の門下生コンサートのDVD,BDが出来上がりました。今日の生徒さんから、お配りしています。


毎年、生徒の皆さんは、すごく楽しみにしています。

旅の楽しみは、行く前の計画と、旅から、帰って来て、又、写真を見たりしながら、仲間たちと感想を言い合うのが楽しいものですけど、
私にとって、1年に1度の門下生コンサートは、そんな感じです。

私にとって、生徒を育てていくのは、ピアノを見ているだけでなくて、
1人1人の生徒達と過ごした、熱い時間と懐かしい思いが込められています。

愛情をかけた分だけ、生徒1人1人から、返ってくるエネルギーはとても大きいです。育ってくると、無条件に嬉しくなり、自分の分身のように思えます。
私の音楽に対する思いを1人1人の生徒さん達が受け継いでいってくれる喜びは、計り知れません。特に私には、子供がいませんので、
1人1人の生徒さん達は、自分の子供のように愛おしいです。音を出すときに自分の音を慈しむように、1人1人の生徒さん達を慈しむ。私の宝物です。


平成28年5月12日(木)表現力

よく、日本人の演奏は、表現力に欠けると言われます。私が、学生時代、それを痛切に感じたのは、19歳の春、アイルランドのダブリン国際コンクールで、他の参加者たちの演奏を目の当たりにしたとき。
国際コンクールというものは、世界中から、参加者が集まるので、選ばれた人だけしか、受けに行くことは出来ません。目もくらむような、おびただしい、書類の数々を全て英文に訳したり、あらゆる書類審査や、ピアノの先生の推薦状が頂けて初めて、受けに行くことが出来ます。

その中で、曲の中に、ウェーベルンのピアノのための変奏曲Op.27を先生のお勧めで、長大なプログラムの中に入れることにしました。

初めその曲を聴いた時、私には、どうしてもそれが、音楽と思えませんでした。私は、ショパンとかスクリャービンとかラフマニノフとか、すごく歌が感じられる
作品が好きだったから。メシアンはお経みたいに聴こえるし、ウェーベルンは、調律している音、点々の音、どこまでいっても???の世界でした。

まだ、同じ現代曲でも、やはり、武満作品の方が、好きになれた。
しかし、1ページずつ、根気強く暗譜して、色んな音源を聴いたり、本を読んだりして、私なりに、深めていったつもりでした。
その時に、同じ参加者の中に丁度、アイルランドの女の子が、私と同じウエーベルンを演奏しました。
その演奏を聴いた時に、「へえっ!こんな面白い音楽だったのか!」腰を抜かすくらい、驚きました!1つ1つの音に全部表情があって、おまけに、その女の子が弾いている顔を見ているだけでも楽しかった!これぞ、パフォーマーだな、そうだよね、私達は、表現者なんだから、面白くない音楽をつまらなさそうな顔して弾いていたら、聴いている人は、何にも面白くないよね〜なんて自分で妙に納得しながら、自分が弾いたウエーベルンと、そのアイルランドの女の子の表現力の違いに圧倒されながら、聴いたのでした。

今なら、どうそれを表現すればいいかが、わかるのに、その当時ウエーベルンを弾いたのは、やはり、19歳の若い私でありました。

他の参加者たちも、日本のコンクールでは、絶対に味わえないような、独創的なバッハとか、色んな、演奏があって、ああ、音楽って、もっと自由なんだなあとつくづく感じたのが19歳の春でした。

バッハなどでも、日本では考えられないような、遅いテンポで、ものすごくゆっくり弾いたり、でもそれが、決して、間延びしている感じではなく、とにかく、そこには、音楽する歓びが満ち溢れていて、歌われていて、解釈は、こうであるべき、というような雰囲気が全くなかったのが、日本のコンクールとの違いだなあとつくづく感じました。

その後、ウイーンに留学したことによって、更に、世界中の人々の音楽を聴くことが出来ました。何でも、固定観念は捨てて、音楽家は、特に、自由人でないとと思っています。武満さんも、自由であることが、音楽家には一番必要だとおっしゃっていますが、同感です。

それまでの、固定観念を打ち破り、自分が独創的なものを持って、その音楽を表現していく。何度も演奏された曲だけど、「へえっ!」という風に新鮮なアイデアがわくためには、私自身が、日々、新鮮な気持ちを持ってレッスンしないといけない。そうやって、生徒達を驚かすのが好きです(笑)


平成28年5月10日(火)ラフマニノフ

私が、2011年の時のリサイタルの折に演奏させて頂いた、ラフマニノフの「ここは素晴らしいところ」。私のYou Tubeを聴いて下さった方から、
楽譜名を教えてほしいとのメールを頂きました。

音楽とは、すごく原始的なものだと思います。特に、科学や、政治など、急速に世の中がスピード化されてくればくるほど、人間は、何か、暖かいものを本能的に求める。そういった意味で、すごく音楽家の果たす役割は大きいと感じます。

音楽が、そういった暖かいものを引き戻してくれて、人間が人間らしいと感じられる原点に返れる唯一の職業が音楽家だと思います。

それと同時に、音楽を聴くと、そのどれもが、沈黙と深い悲しみに包まれている事も感じることが出来ます。

ラフマニノフの「ここは素晴らしいところ」。私の演奏は、1人歩きして、どこかの顔を見たこともない方の心に届いたのかなあと思うと、何だか心が温まる。
いい曲だと思ったら、すぐ、意見交換出来る、インターネットの力は、便利だし、すごいと思います。

この曲は、ラフマニノフの歌曲になっている曲ですが、言葉では言い表せない魅力が確かにありますね。1人1人が心の奥深くに持っている、
素晴らしい場所があります。それは、非常に個人的なものであり、風景とかで、単純に、くくれるものではありません。それだけではなく、1人1人の心に感じる、素晴らしいところ、であります。

だからこそ、音楽は、1人1人にとってどうあるかが一番大切なのであり、個人的なものだとつくづくそう感じます。だから、音楽をやっている人に競争する人はいません。競争している演奏、愛の感じられない演奏は、聴いていて、又、すぐこれも伝わります。

結局、音に対する慈しみ方、音楽に対する愛がどれだけあるかによって、音楽は最高のものにもなり、最低のものにも、なり下がるのだと思います。

私は、どんな演奏でもよく歌われた、心のこもった、愛にあふれた音楽なら、素晴らしいと思っています。

書いていて思い出したのですが、小学6年から通っている、大学4年生の男子学生が、ラフマニノフのコンチェルト2番を弾いています。彼が、「岩野先生から一番教えて頂いたのは、
音楽は競争ではない、音楽をどれだけ深く愛しているかにかかっている、という事をすごく教えて頂いた」といつかコメントをもらいましたが、正にその通りですね。

少しづつですが、彼なりに、マイペースで、段々ラフマニノフの音が出てくるようになってきました。この分だと、素晴らしく弾けるようになるよ、大学のオーケストラと共演させてもらったら?なんて話をしたばかり。どんな演奏でも、音楽の心が大学生くらいになると少しづつ見えてくるようです。


平成28年5月8日(日)スクリャービンの魅力

高校生の生徒がスクリャービンのエチュードOp.42−5をレッスンに持ってきました。
今年の毎コンの課題曲の1つになっています。

ラフマニノフ、スクリャービン、キュイ、チャイコフスキー、リャ−ドフ、メトネルなどなど、元々、ロシアものの作品が大好きな私にとっては、自分が弾くのも教えていてもすごく楽しい。

スクリャービンの魅力は、麻薬的な魅力があると思います。といっても麻薬の事は知りません。(笑)が、多分そんな感じなんじゃないかなあと思います。

得も言われぬあのハーモニーの麻薬的な美しさに高校生時代はまり、大学へ行っても、ウィーンへ行っても、リサイタルでもいつでもスクリャービンは私の
愛する作曲家の1人。

スクリャービンは、結構、左手が動く曲が多い。というのは、彼が、ジストニアだったという事もあり、右手が上手く動かなかったために、左手のための曲もありますし、実際、このエチュードも、ソナタなどでも、左手が激しく動きます。

初期の方の作品はやはり、ショパンに影響されていて、24のプレリュードもショパンに影響されて書かれていますが、スクリャービンの24のプレリュードは
最も私が愛すべき作品の1つ。

スクリャービンは、ピアノを演奏する際は、音が、上に上に飛んでいくように、とよく言ったそうですが、そんな感じがありますね。
それと、エクスタシーな空気が必要不可欠です。私の感じるスクリャービンは色で言えば、どす黒いワインレッドみたいな色。炎がメラメラ燃えているような感じ。それで、もうこんな気持ちのいい居場所はないんじゃないか、っていう、聴いていても、弾いていても、原始的な音楽の歓びを感じる。

ソナタの3番の3楽章などは、星が歌っているみたいにキラキラ輝いているんですが、それでもやはり、一種の暗さがある。

Op42-8のエチュードも天国的な美しさが短い瞬間にフワッ、フワッと出てくる。もうそういう美しさに触れると、私は、いてもたってもいられなくなるんです!
全身がしびれるような感覚!たまりません!スクリャービンは、1日中弾いていても、飽きない魅力があります。

Op.42のエチュードは、1番から8番までありますが、音楽家を目指す人なら、国際コンクールの課題にも必ず含まれますし、誰でも1度は勉強すると思います。
ロシアものだから、濃厚な感じの歌心が欲しいですし、とにかく、和音を一杯につかんだり、オクターブや、ダイナミックな表現が大切です。技術的には、脱力が十分出来ることと、腕の重みを利用して、響きに任せながら弾ける感覚が大切ですね。

スクリャービンの繊細な所も、そして、何より好きなのは!初めは、理性的に盛り上げていき、最後の土壇場に来たら、全精神と肉体をぶつけていく盛り上がりがあるところが私は、大好きなんです。

そこで、バランスを失うと、演奏が、崩れ去るので、いかに、理性的に、盛り上げていって、すごい力でワァーっと盛り上げていけるかどうかがポイント。
学生の頃も、今も大好きなスクリャービン。きっと生徒達もその魅力に取りつかれると思います!



平成28年5月7日(土)音に豊かな表情を込めて


2人で仲良く連弾の小学1年生のお兄さんと3歳の弟さん。

毎週、レッスンのたびに、弾いている途中でいきなり、「めぐみせんせい〜!こうえんいってきた!ちょうちょがね〜こうやってひらひら〜ってとんで・・・」と3歳の弟さんの方が話し出すと、お兄さんが怒る!


てんやわんやの大騒ぎでしたが、今日は、レッスン室に入るなり、真剣な面持ち。
ピアノに座るや否やきれいに弾きだした、びっくりしたあ〜!

「上手に弾けたねえ!2人共一杯練習したのねえ!何時間練習したの?」

「うん、3回した!」(笑)

音楽には、色んな表情があります。初めの音を出す前に、もう、その人が何が言いたいかわかるような表情が見えてこなければいけないという話をしながら、色んな顔の表情をお兄さんの方にやってもらいました。
さすが、子供!笑ってる、怒ってる、泣いてる、あっかんべーしてる、この他にも、まだ、何十種類と
色んな表情をしてこちらを笑わせてくれました。

自分が出したい音は、どんな表情なのか説明するときに、よくやってもらうんですが、表情が豊かな演奏は、本当に見ていても聴いていても楽しい!









平成28年5月5日(木)奏心会フレッシュコンサート

今日は、オーディション合格者による奏心会フレッシュコンサートがあり、私の生徒の中学1年生の清水陽菜さんと、明和高校音楽科2年生の宮脇彩永さんが
出演させて頂いたので、聴きに行きました。
2人共、大変に心のこもった素晴らしい演奏を聴かせてくれました。2人が、私のために書いてくれたプログラムの言葉も本当に嬉しくて、涙が出そうでした。
素敵な演奏を2人共、本当に有難う!2人共、感性が大変に豊かな子達なので、益々素敵なピアニストになられますように・・・・・・。

中学1年生の清水陽菜さん。この年齢で、失恋した男性の嘆きを十分に表現出来ました。届かぬ思いがどんなに辛いか、心の痛みを音にのせるとは・・・・年齢が幼くてもこちらの話がちゃんと伝わる子です。











明和高校音楽科2年生の宮脇彩永さん。今日は、メンデルスゾーンのスコットランドソナタをとてもメランコリックに、大人っぽい美しさで情感たっぷりに歌い上げました。毎回、レッスンで持ってくる仕上がり、レパートリーの広さ、音楽に対する熱心さにこちらも頭が下がります。











門下の子達も応援に来て下さいました!皆さんにお会いできてとても嬉しかったです!
どうも有り難うございました!












平成28年5月4日(水)武満徹の世界

帰省中の大学院生が、武満徹の雨の樹素描Uとリストのコンツェルト2番をレッスンで聴かせてくれました。

私にとっての武満作品との出会いは、大学1年生の終わり。先生がアイルランドの国際コンクールに連れていって下さるという事で、その時にダブリンで弾かせて頂いたのが、閉じた眼。
その頃の私には、よくわかっていなかったと思うのですが、「あなたのタケミツは素晴らしい」だのなんだの熱狂的に言われて、ほっぺたにチューされる(笑)ヨーロッパの人は、日本人の
作曲家がそんなに好きなんだなあと、改めて思いました。ちなみに、国際コンクールというものは、曲目の量が多いです。私が、アイルランドに準備して持って行った曲は、
バッハ平均律2巻の20番、ショパンのエチュードOp.10-4,Op.25-10 ノクターン9番、ウェーベルン変奏曲、武満徹閉じた眼、モーツァルトソナタ14番全楽章、ベートーヴェンワルトシュタインソナタ全楽章、ショパン24のプレリュード全曲、アイルランドの作曲家の作品、そして、シューマンのコンツェルトでした。


その時から数年後、ウィーンの修士を出る際にもう1度、武満作品に取り組んだのが、ピアノ曲だけでなく、オーケストラの作品から、色々な文献を調べまくる作業に追われた、ドイツ語での修士論文。武満さんの本や、CD、ありとあらゆる武満徹と名の付いた本、CDは全て買い集めて、日本にいる親が資料を
ウィーンに送ってくれていました。

航空便より少し、安めのSAL便だの、船便だの、ありとあらゆる、文献、CD、資料が、海を渡り、飛行機、あるいは、船で、送られてきた。今なら、スマホやパソ
コンなどで何でも調べれる実に便利のいい世の中になったと思うのですが、ドイツ語で、修士論文を書いて合格出来て、初めて今度は、4時間分のリサイタルプログラムをこなして、めでたく、修士を卒業できるといった仕組みになっています。ピアノの演奏だけでなく、ドイツ語で72ページにもわたる修士論文を書き上げる作業は、教授が協力して下さるとはいえ、外国人である私にとっては、非常に骨が折れました。

しかし、その時に、じっくり武満さんの書いた本を読むことによって、武満さんが欲しかった音が私なりに見えた気がします。

武満さんは、音が鳴るとこだまする音が私にかえってくるときに私はそこにいない、そういう状態が理想なのだとおっしゃっています。

武満さんの音楽を聴くと、耳が澄まされる。嫌でも聴こうと耳が自然にそうなるのです。尺八や、琵琶、色々な日本の楽器を取り入れて、西洋と結びつけた
ノヴェンバーステップスが代表作品なので、今日の彼女にも少し聞いてもらいました。

彼女と同じくらいの若い青春時代に研究しつくした、武満作品。音楽はわかりやすい。けれど、武満さんの文章は非常に難しい。どんな人間も本当の所は誰もわからない、だからそれでいいんだと思います。

私の大好きな武満作品を生徒達が、弾いてくれてとても嬉しいです。


平成28年5月2日(月)私が出会う方は、全てが観音様

今日は、名古屋音楽大学。

人と人との縁は、本当に不思議なものだなあとつくづく感じている今日この頃。人と人と出会うのは、偶然ではなくて、必然と言われますが私も同感です。

必ず、その人が必要とする人が現れるし、その人を待っている人が必ず現れるというのは本当ですね。私が、生徒によく言うのが、必ず、どこかで誰かが見ている人がいるから、いつでも努力を続けなさい、例え、失敗続きで、上手くいっていないような時でも、とにかく、地道に努力を続けている事。そして、これをお願いね、と頼まれたときに、さっと自分が用意出来ているような自分になる事が大切と話しています。

私もこれまでに、次から次へと、必ず手を差し伸べて下さる方が現れてそういう方は、観音さまなのだ、と思っています。自分は、自分の実力以上に遥かに周りの方々に助けられていると私自身は思います。私にとっての観音様は、私をここまで育てて下さった先生方は勿論の事、同じ職場で教えて頂く素晴らしい先生方にいつも囲まれています。

又、生徒1人1人は、私にとって色々な事を教えてくれる観音様ですし、今、出会えている生徒も、これから待っている生徒も全てが観音様なんだと思います。
名音大では、公開レッスンや、色々なコンサート、オーケストラと共演したりする機会も、あります。
こんな素晴らしい環境でレッスンさせて頂けて、本当に有難いです。


平成28年5月1日(日)本当の実力をつけること

今日から、5月。連休があるとはいっても、生徒達は、PTNAに毎コン、コンサート、どの子達も色々抱えていて、休日返上で皆、燃えに燃えています。

もう高校生くらいになると、1時間くらいのリサイタル分こなせるような体力も、持久力も、集中力もついてくるので、少々の事では、へこたれず、精一杯頑張れる時期ですね。

曲目選びも、皆、上手に出来るようになってきました。私は、私の曲の好みがあって、私には弾きやすくても、生徒には弾きにくいという場合もありますし、その逆もありです。だから、自分が一番弾きやすいと思えるものを選ぶのが大切と生徒達には、任せています。そのためには、自分である程度、チャラチャラっと弾いてみていける初見能力がなくては、自分で選ぶことすら出来ない。譜読みし始めたはいいけど、曲が仕上がらないまま、本番に突入!なんてことのないように、本当の中味のある実力をつけていかなければならないわけです。

中味がなければ、何れ、どこかで、すぐ、壁にぶつかるときがきますが、中身があれば、例え、コンクールなどで、いい結果がでなくても全く心配することはありません。