平成26年9月22日(月)懐かしい教え子達

10月4日の私のリサイタルでは、懐かしい教え子達にも再会出来るのを本当に楽しみにしています。

その中の1人に、今、中学3年生になる男の子も来てくれます。彼を、保育園の時から、小学生の高学年になるまで、見させていただいておりました。中学受験ということで、中断してしまいましたが、すごく、無邪気で、子供らしい、快活な、可愛い子でした。

門下生コンサートの10周年の時に、わざわざ、聴きに来てくれて、「あ、めぐみ先生!!」と、声をかけてくれました。その時に、現在私の所に通ってきている男子学生とゲームをしたり、会場の端から端まで、行ったり来たり、まだ、みんな子供らしく、はしゃぎまわっていたのが懐かしいです。

今、現在来ている中学3年生の男の子達も、びっくりするくらい、大きくなって、大人しくなっているので、彼も、さぞ、大人びただろうなあと思います。
大人の生徒さんもおっしゃいます。今年の門下生コンサートで、一番びっくりしたのは、中学2年生の男子達だった、あまりの成長ぶりに驚いた、昨年までは、皆で、大はしゃぎしてたのに、すっかり大人っぽくなって・・・と。私も、そう思いますね。何か、レッスンに来るたびに、大きくなるし、声は低くなるし、女の子だとそれほど、大きな変貌ぶりはないのですが。

最近、新しい生徒さんで、小学6年生の男の子が入ってきました。本がものすごく好きだという事で、男の子にしては、よく話すので、お母様にお聞きすると、
「家では、この3倍喋ります」。雄弁家なのだとかで、こちらが何か尋ねたりすると、面白い答えがポンポン飛んできます。

しかし、このおしゃべりも、中学2年生になった途端、急に無口になってしまうかも・・・・と思っています。男の子の特徴ですね。14歳になると、突然、背が伸びて、それを境に、突然、話さなくなり、自分の殻に閉じこもってしまったみたいに、急に静かになる。

男の子の誰もがそういう感じなので、本当に見ていて面白いです。しかし、又、中学、高校を過ぎて、大学生になると、不思議と、又、ペラペラお話しするようになります。

今、現在来ている、大学生の男子学生も、中学、高校の時は、無口でしたが、今は、音楽の話や、部活の話、大学の様子や、バイトの事や、色々、心を割って話してくれます。小さい時から、見ていると、ピアノの面だけでなく、人間は、年齢によって、ほぼ、皆、同じ道を歩むように出来ているんだなあと、感じます。

男の子も女の子も、小さい時、どんなに落ち着きがなくても、ある年齢が来れば、落ち着いてくるし、どんなに、大人しい子でも、ある年齢が来たら、やはり、同じようにペラペラ喋りだすということで、何事も自然が一番だなあ、何も焦ったり、心配したりする必要は全くないのだなあとこれまでに育ててきた、
何100人もの生徒達を観察していて、つくづくそう思います。

さて、リサイタルに来てくれる彼も、あんなに、無邪気なあどけない感じの坊やでしたが、こちらが、全く分からなくなるほどの成長ぶりかなあと楽しみです。
彼も、きっと現在の門下生の皆さんを見て、びっくり仰天するでしょうね!その子だけでなく、他にも懐かしい人達に沢山出会えるので、生徒の皆さんは、とても楽しいと思います。


平成26年9月20日(土)ピアノは、イマジネーションが最も問われる楽器

ピアノは楽器の中で、一番、難しいと言われます。そこで、ピアノを弾いていて、どんな時に難しいと思うか、1人1人の生徒達に聞いてみました。
「表現方法が難しい」「歌う事が難しい」「ピアノはすぐ音が鳴ってしまうので、ただの音になりやすい」「音がすぐ消える」などなど、色々と答えてくれました。

そうですね。私も、やはり、ピアノという楽器は、イマジネーションを相当、駆使しないと、まるで、音楽にならない楽器なので、難しいのだと思います。普通のイマジネーションではなく、それは、ほとんど、魔術に近いほどの、強烈なイメージです。

速いか、遅いか、強いか、弱いか、それだけで、弾かれてしまうと、全く面白くありません。弾く人が、どうその音楽をとらえているかが、私達は、聴きたいと思っています。

喜びも、悲しみも含めて、熱烈な感情がほしいのだと、高校生達には話して聞かせています。創ることは、意識して、血を流すことなんだよ、まだ、貴女の音からは、どれほども、血が流れていない、その音に、という私の注意は、高校生くらいになると、頭の中では、理解出来るようです。

イマジネーションを豊かにするためにはどうすればいいか?私は、やはり、本を読むことがいいと思います。本は、何も映像がない分、言葉から、色々な、表情を読み取り、頭を使い、考えるからです。

私は、ピアノという楽器は、頭と心で捉えなくてはいけない楽器だとも思っています。手と指ではなく。普段から、頭を使ってよく考えている事が創造することにつながりますし、又、受験生でしたら、面接などで、聞かれた質問に自分の考えをしっかり話せることにつながっていきます。

極力、私は、1人1人の生徒達に話しかけるようにしています。皆、わりと、通り一辺の事しか答えてくれないのは、ちょっと残念に思っています。

正しい意見などもない代わりに、間違った意見なども一つもないのです。なので、恥ずかしがらずに、どんどん、自分の考えを出してほしいです。
外国語を学ぶ前に、日本語の単語を増やすことがまず、大切だとよく言われますが、私も全く同感です。日本語が、沢山話せると、外国語もそれに比例して話せるようになるからです。

ドイツ語で、「Warum?]「なぜ?」という単語がありますが、ドイツ人は、何かにつけ、理由をよく聞いてきます。これを好きといえば、なぜ好きなのか?楽しかったといえば、どうして、楽しかったのか、辛かったといえば、なぜなのか?どういう時に辛く感じたのか、すべて理由を聞かれます。

私は、わりとこの、なぜ?という質問は好きです。生徒達にも、なぜ?を連発して、1人1人の脳みそをフル回転させるように、しています。誰かと親しくなりたい場合は、どんどん、相手に興味を示して質問する事、そして、このなぜ?を連発すると、すぐ、お友達になれます。自分の事を聞かれて、嫌に思う人は誰もいないからです!

普段の生活から、与えられたままを傍観して、見ているだけになってしまうと、やはり、演奏も受け身的で、どこか、熱烈な思いが、伝わりません。
色んな言葉を駆使して、自分の考えを話すことも、音楽を生み出す事も、創造するとは、とても苦しい作業なのです。しかし、自分の身を削って、血を流し、頭と心をフル回転していけば、相手に必ず、想いが伝わると思っています。


平成26年9月16日(火)リサイタルが近づいて

来月10月4日のリサイタルが近づいてきました。

今回も、皆様からの暖かいご支援を頂き、特に、門下生の皆様には、チラシを置きにあちこちへ行って頂いたり、格別なご支援を賜りました。
皆様のご協力を心から、感謝しております。本当に有難うございました。

今回3年かけて毎日研究し続けて、一番苦労したのは、とにかく、楽器としてのピアノの音が出てしまってはいけない、ということでした。
ピアノの音そのものは、単純で、非常につまらない音です。しかし、その音が、色々な音で、描かれると、ピアノという楽器は、並ぶ者のない最高の楽器となります。

私が目指すのは、ピアノの音ではなく、人間の声のようであったり、ホルンや、トランペット、オーボエ、クラリネット、フルート、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス、ハープなどのオーケストラの楽器の音色、あるいは、更にそれが、月明かりの夜、遠くから聞こえてくる教会の鐘の音、神々しい光、朝もやに霞んで浮かび上がる田園地帯、秋の風に揺れる黄金色の小麦畑の穂、雪の降る静かな夜・・・などの、風景描写、あるいは、心理描写として、身体がねじれるくらいの辛い苦しみ、悲しみ、憂い、身も心もとけてしまうような、甘いロマンテイックな雰囲気、昔を懐かしむ音、憧れや希望に満ちた輝かしい未来、届かぬ思いを誰かに必死で叫んで訴えている感じ・・・・・などで、音楽を描きたいのです。どれだけでもイメージはわいてきますが、とにかく、「ピアノの楽器の音」だけには、ならないように、ピアノとは違う音色で、聴こえるように工夫を重ねました。

創作の「創」という字は、「きず」という意味です。私達音楽家は、日々、研究に研究を重ねるのですが、正にその行為は、毎日、傷をつけて、血を流す行為そのものです。

「血は意識して流さなければならない」とは、ある尊敬する作曲家の先生のお言葉ですが、その通りです。物を創るという事は、自分の身に傷をつけて血を流す苦しみと同じといえるでしょう。

私が、4日に演奏する偉大なる作曲家たち、ショパン、スクリャービン、キュイ、チャイコフスキー、メトネルもきっと、1音の音に込める思いに相当、血を流したと思います。

だからこそ、そんな風に血を流して作曲家達が書いてくれた作品の一音一音に対して、いい加減に扱ってはならないのです。その生みの苦しみが、私は、作曲家ではありませんが、音楽を通して私の心に伝わってきます。

私も、ピアノの音ではなく、音楽の本質を伝えるために、幾度となく、血を流しました。

私は、後世の人々のために沢山の血を流してくれた、作曲家の心を多大なる愛で持って、共感することが出来ます。その愛が相手に伝わった時に初めて、その演奏は、音楽の本質をつかむと考えています。


平成26年9月7日(日)昨日に引き続き・・・


今日も、全日本学生音楽コンクールの高校生部門を受けに行った、明和高校2年生の生徒が、予選を通過したと喜びの電話がありました。おめでとうございます!!
彼女のように、努力する人を私は見たことがありません。ピアノだけではなく、レッスンノートが又、すごいのです。毎日、何ページも何ページも、レッスンの様子、自分の練習の様子、学校の事、ピアノの事、そして私に対する熱い思いが毎日、綴られ、それは、まさしく、ラブレターそのもの。

とても嬉しいのですが、彼女が、ピアノを練習しすぎて、身体をこわさねばいいが、こんなに毎日毎日、私に対してラブレターを送ってくれるレッスンノートを書きすぎて、腕や手が腱鞘炎になるのではないかと私の方が心配しています。

私も、学生時代は、自分のピアノの先生の存在は、恋人以上の存在でしたからね。頭の中は、一日中ピアノの先生への熱い思いで一杯だった高校生の頃を思い出し、何か、私の若い頃を彼女の姿に重ね合わせて、つくづく若いっていいなあ・・・・・こんなに真剣に情熱を持てるのだから、と懐かしいです。

とにかく彼女が明和高校に入ってからの成長は、目を見張るものがあります。しかし、彼女の努力を見れば、誰しも納得するでしょう。
何かを達成するためには、とにかく、あらゆる面倒くさい事があります。身体を使う事、頭を使う事、全エネルギーをそれに打ち込むことがどれだけ大変かは、努力を嫌というほどした人しかわからないと思います。しかし、こういったあらゆる事を嫌がらずに体当たりでぶつかっていくから、努力を嫌がらずに、面倒くさがらずに
精進する人は、必ず成功するのです。
レッスンで彼女が私に投げかける質問に私は、沢山答えていきます。それは、ピアノだけでなく、あらゆる人生の生き方についての事です。宗教についても話し合います。そして、私も真剣になって、彼女の熱い思いに精一杯応えます。
実に、それは、素晴らしい時間なのです。彼女は、これからも成功した全ての人と同じく、努力をするでしょう。失敗しても、どんなにいいことが向いてこなくても必ず、努力した分の結果があらわれるように人生は出来ています。自分が与えた分だけしか、見返りもないというのが人生での法則だからです。


平成26年9月6日(土)ピアノの道一筋で


今日は、全日本学生音楽コンクール(通称毎コン)の中学生部門を受けに行った中学2年生の生徒が、見事予選通過しました。昨日、レッスンに来て、実に歌に満ちた、音楽に溢れた演奏を聴かせてくれたので、その通り弾いてくれれば、上手くいくと思いましたが、何といっても日本で一番難関のコンクールですからね。
本当によく頑張りました。おめでとうございます!!

来月10月4日(土)午後7時開演(電気文化会館ザ・コンサートホール)で私の9回目のリサイタルを開催します。
今回のリサイタルを通して、又、色々な方と再会出来るのがとても嬉しいです。先日は、私が明和に勤め始めて第1号のピアノ科の生徒だった子が、
「今、丁度2人目を授かっていて、丁度、先生のリサイタルの時は、生まれていると思います・・・」という子や、「11月に結婚します」という子もいたり、かれこれ、
15,6年も前の生徒だから、当然と言えば、当然なんだけど、時の移り変わりを身に染みて感じます。

赤ちゃんが生まれたばかりの生徒は、親子室で聴きたいと言ってくれる人もいて、懐かしい人に出会えるのが何より楽しみです。

門下生コンサートに出演してくれている子達は、皆、東京からわざわざ、来て下さいます。

普段、なかなか、昔の生徒達の近況を聞けないので、こうやって、リサイタルをすることにより、昔の生徒達とお話する機会も出来て、いいなあと思いました。

一番初めに教えた高校生なんて、私と10くらいしか年が離れていなくて、お友達みたいな感覚でしたが、今や、どんどん生徒達との年齢が離れていき(笑)つくづく
時が経つのは、早いなあと感じます。

例えば、今教えている中学3年生の子達ですと、私が、ウィーンから戻って明和高校に勤め始めた時にオギャーって生まれた子達なんですから、そう思うとなんか
面白い!!

しかし、時は、変わっても唯一変わらないのが、私の、ピアノに対する情熱と、生徒達への深い愛。どんなに時は、変わり、周りが変わっても、私の道は3歳から
どんな時もピアノと共にありました。1度だって、迷ったり、横道にそれたり、浮気心がおきたりなどということは、とんでもない話です。40年以上、その道一筋できましたが、これからもずっとピアノの道一筋でやっていくのが楽しみです。


平成26年9月1日(月)音楽的な演奏とは

先日、ある生徒から、「音楽的な演奏とは、そもそもどういうことを意味するのかわかりません」。という大変素晴らしい質問が飛び出したので、私の生徒達には勿論の事、ピアノを学んでいる全国の学生さん方にも、参考になると思うので、一緒に考えていきたいと思います。

私が、考えている、音楽的の反対は、機械的ということです。機械という言葉からは、早い、冷たい、無表情、完璧、柔らかみがない、揺らぎがない、ゆらめきがない、
まだ、他にも色々イメージが浮かびます。

反対に、音楽的とは、人間らしい、暖かい、優しい、慈しみがある、表情が豊か、愛が感じられる、時に、絶望的であったり、苦しみがあったり、
大きな喜びがあったり、喜怒哀楽が感じられ、常に一定でない人間らしい心の激しい揺れ動きが感じられるイメージが私の中ではあります。風景も、もともと、すごく音楽的。ヨーロッパには、至る所に背の高いポプラ並木があります。横に広がるポプラもありますが、ポプラは、ほんの少しの風がそよいでも、揺らぐのです。その風のそよぎは、正に、音楽的。

私の音高・音大時代のピアノの先生は、「音楽は、一言で言えば、愛とお酒だ」といつもおっしゃってましたね。確かに、そのとおり。

この意味が、言葉上だけでなく、自分の人生体験と共に、少しずつ、理解できるようになるのが、高校生くらいからでしょうね。しかし、そうは、いっても、
音楽に、愛とお酒をどう吹き込むのか、それが難しくて、皆、悩むのだと思いますが・・・・・。

演奏は、やはり、その人となりが、必ずどこかで現れるものだとは思います。普段から、すごく、ユーモラスで、面白いことばっかり言ってこちらを笑わせてくれるような人は、やはり、非常に演奏も面白味があります。

緊張して、固まっている子は、やはり、固まった演奏、振る舞いが雑な人は、雑な演奏、礼儀正しくて、きちんとしている人は、何かの儀式みたいな音楽に聴こえたり、何となくよそよそしく、なかなか心を開いてくれない人は、演奏にもどこか、心を閉ざしている雰囲気があります。

普段から、明るくて、陰の部分を感じない人は、色気のない、さっぱりした音楽ですし、怒りっぽい人は、ケンカみたいに聴こえたり、人懐っこい人は、親しみのある親和力が豊かな音楽であったり・・・・とその人そのものを表しているので、実に面白いところ。

しかし、たまに、全く逆、という場合も勿論あります。私が、他人の演奏を聴いていて、すごく感動するときは、やはりそんな時かなと思います。

普段は、全く、ちゃらんぽらんで、荒っぽく、細かい事を考えていなさそうな人が、すごく、丁寧に、完璧主義の演奏をしたり、逆に、普段は、優しくて、おしとやかなイメージからは想像もつかないほどの情熱的な演奏で、人々をアッと驚かせたり。

私は、自分の考えている相手に対するイメージを根本からくつがえしてくるような演奏が好きですね。他人を驚かせるのは楽しいですからね。人間には、数限りない、性格が隠れています。外交的に見えて、実は、非常に、繊細で、大人しくて、すごく細やかな人であったり、逆に、内向的に見えて、ものすごく、大胆、情熱的で冒険心、勇気に満ち溢れている人も沢山いますから、一概に、この人は・・・・・という性格です、と決められません。色んな自分がいて当たり前です。

音楽は、そういう意味で、自分であり、自分でないものを全て表現出来るから楽しいのだと思います。音楽によって、自分を知り、今まで、知らなかったようなびっくりする自分に「愛とお酒」が加われば、音楽的とは、どういうことかが、わかると思います。