平成25年12月31日(火)今年最後のレッスン

今日は、塩浜に。お墓参りに行き、帰ってから、今年最後の生徒のレッスン。

明和高校1年生の彼女が弾いてくれたのは、難曲の、しかし、ロマンあふれる、最高に美しいシューマンのコンチェルト。彼女が弾くのを聴いていると、私もついつい自分が16歳に若返った感じになります。私もこの曲を初めて練習したのが、彼女と同じ年齢でした。まだ、その頃の私は、音楽に対して、向こう見ずで、今から思うと、この曲に対する思いをただただ、思いっきりピアノにぶつけているといった感じで弾いていたと思いますが(笑)・・・・・。

その頃の私は、シューマンのロマンや、内面を見つめすぎるくらい見つめて、狂いそうになるほどの思いは、表現できていなかったと思うのですが、彼女の弾くのを聴くと、本当に若いっていいなあ!そう思います。14歳で、恋愛してお互い自殺してしまう、ロミオとジュリエットみたいな真剣な感じかな?(笑)ロミオとジュリエットが、若くなければ、2人ともあそこまで、追い詰められなかったでしょうから。あの話も2人の純粋さに後世の人たちだれもが共感できるから、名作なのです。

年をとれば、音楽に深みがでてくるのは確かですけど、若い人は若い人の良さがあるのです。どんなに、自分が、乙女だった、あのころの純粋な気持ちになれといわれても、もうなれないし、そこまで、真剣にはなれません。大人になるにつれて、知恵がつくと、良くも悪くもあまり、自由奔放には生きられなくなってくる代わりに、心が穏やかになってきます。
けれど、彼女のように、すごく一生懸命で、物事に対し、熱くなれるのは、本当に素晴らしいことで、私もそうだったなあ・・・と懐かしく思いました。

若い時はいいなあ、とよく周りの大人がいうのを聞いて、私が学生時代はこんなに苦しいのに、何がいいもんか!早く大人になりたい!なんて反発してましたけど(笑)。若い時代は、苦しみが怒涛のように押し寄せます。けれど、その一つ一つに対して、すごく真剣に、情熱を持ってぶつかるから、若いっていいなと思うのだということが今になってよくわかります。

彼女だけでなく、他の子もそうです。若いっていうだけで、それは、それは、パワーをもらえるから、私は、若い子たちが大好きです。

あの美しすぎる、ガラス細工のようにもろい繊細なシューマンの音楽。それに対し、ものすごく激しい、情熱。

音楽をするには、とにかく、永遠に乙女の心、少年少女の心が必要不可欠なので(笑)来年も、音楽に対しては、情熱を持って、取り組んでいきたいです。今年最後のレッスン、私の大好きなシューマンのコンチェルトで、締めくくってもらい、幸せな一日でした。


平成25年12月30日(月)はるかかなたにある光輝く芸術の星を目指して

今年もあと1日となりました。明日も生徒のレッスンはありますが、大体の生徒さんのレッスンは、終わり、来年明けてからは3日から仕事始めです。

今年も又、可愛い生徒たちとともに、本当に幸せな1年を過ごすことが出来ました。皆さんに心から感謝の気持ちで一杯です。

先日、受験生たちのリハーサルをしましたが、皆、とても楽しかったようで、それぞれの思いをどの子も沢山書き綴ってきてくれました。先輩たちのお話や、私が話したベートーヴェンの話についても、非常に興味を持ってくれたようで、良かったなあと思いました。誰かの話を聞いて、あるいは演奏を聴いて、何かを考えるきっかけとなってくれたのだなあと思うと、こちらも嬉しいし、やりがいがあります。

受験生だけでなく、来年本番を迎える子も沢山いるので、どの子にも長期間かかって研究しつくしたものをどうすれば、上手く本番で弾けるのかなどを、アドヴァイスしています。

私には、はるかかなたに、キラキラと光り輝く芸術の星が見えます。しかし、その星にたどり着くには、すごく長い年月がかかり、もしかすると、死ぬまでたどり着けないかもしれません。
しかし、芸術においての「美の完成」というものは、例え、どんなに取るに足らないような事でも、細かな修正をしていくことで、確かに「美の完成」に近づくのです。「美の完成」においては、どんなささいな問題でも重要な意味を持つのです。

ミケランジェロが誰も注意を払わないような暗い隅っこの部分まで、なぜ、そこまで、丹念に仕上げているのかとたずねられて、ミケランジェロはこう答えたといいます。
「神様がご覧になるからだ」。

私の大好きな言葉であり、そういう思いで毎日、ピアノに向きあっています。ミケランジェロの場合、絵とか彫刻などの芸術を神がご覧になるなら、私が演奏するのも、生徒たちの演奏を細かく修正していく作業も神様がお聴きになるから、だからこそ、手を抜いた作業は絶対にしたくないのです。

演奏も、音の切り方一つとっても、そこに、「美の完成」が求められます。初めてその曲を聴いた人や、全くピアノに無知な人には、それが、どう美しいのかは、すぐにはわからないかもしれません。
しかし、芸術の美がわかる人には、それが確かに、どう美しいのかがわかるのです。タッチの精度の問題や、ペダルが清潔に使われているなど、あらゆる面で、どこにも文句が言えないような美しさが芸術の世界には確実に存在します。

私にとって、一番怖くなるときは、ほとんど、演奏が完成に近い仕上がりになってきたときです。演奏は、一発勝負ですから、何年間かけて、研究しつくしたとしても、本番どんなことが起こるかなんて自分も誰も予測は出来ません。

だからこそ、毎日の日頃の、練習の仕方に私は、すべてを賭けるのです。生徒たちに対してのレッスンも、レッスンそのものに対して、私は、最善を尽くし、すべてを賭けたい。だから本番、上手くいきますように、なんてことは、祈ったりしません。練習はいい加減にしておいて、本番上手くいけばいいなんて、そんな甘い考えは、神様には、絶対に通用しないからです。

その人が、日頃どんな練習をしているか、その人が毎日をどう過ごしているかを神様はすべてお見通しです。

どんな行為も全て神様がご覧になっていると思えば、決して、どんな練習も手抜きは出来ないし、そうやって、積み重ねていった芸術は、歩みは非常にノロノロと遅くても、確実に私の憧れのはるか、
かなたにある芸術の星に一歩でも近づいていけると私は信じています。


平成25年12月25日(水)リハーサル

今日は、受験生のリハーサルに。来年の受験生だけでなく、再来年の受験生の子達にも聴いてもらって、レッスンをしたり、現在の高校生活の様子を話してもらったり、生徒たちと楽しい時間を過ごすことが出来ました。

ベートーヴェンがどんな人だったか、それを説明するときに、必ず知っておかなければならないのが、「ハイリゲンシュタットの遺書」。これを書いたのちに、あの、勇気あふれるワルトシュタインソナタを書いたのだから、すごいとしかいいようがありません。一度、死のうと決心した人間が、やはり、芸術の仕事を全うせねば、と前に立ち向かっていく姿は、ベートーヴェンの根底に流れている力強さがみなぎっています。幼少時から非常に苦労の多かった複雑な人生、飲んだくれの父であっても、家計が貧しくても、耳が全く聴こえなくなっていっても、人は、欠如している面があると、それを、他の面で補おうとします。不幸を嘆くのでなく、生きる力強さに変えていく、正にいい例だと思います。

ベートーヴェンの伝記に初めて触れたのは、私が幼稚園の頃です。その伝記が大好きで、何度読み返したかわかりません。私の宝物でした。

ベートーヴェンがウイーンに2週間ほど行った、17歳の時、母危篤という知らせを受けて、生まれ故郷のボンに戻ります。
今でも、覚えているセリフが次のような内容です。

「どうしたんです、お母様!」
「ルードヴィッヒや、母さんはねえ、もう長くはないんだよ。」
「何をおっしゃるんです、お母様、ウイーンに行ったら、モーツアルト先生がほめてくださいました。是非お母様も僕と一緒にウイーンに行きましょう、もうお母様にこれからは、辛い思いはさせませんからね。」といって、お母さんの弱弱しい細い手をしっかりと握りしめます。しかし、そのかいむなしく、お母さんは、息を引き取ります。

怒りっぽくて厳しい父親とちがい、優しいお母さんのことが、ベートーヴェンは大好きだったのです。

酔っ払いのお父さんからいつもいじめられているお母さん、そのお母さんを助けて、家計を少しでも楽にしてあげたいと、13歳で一家の大黒柱になったベートーヴェンです。
お母さんが布団の上に横たわっているその伝記の挿絵が今でも私の脳裏に焼き付いています。幼稚園生の私は、この場面に痛く心を奪われ、何度、涙を流したことでしょうか。今でもこの場面は、何度読み返しても、涙なしでは、読めません。

その昔、自分が親孝行したいときには、親はすでにこの世にいないというのが世の常でありました。

ベートーヴェンに限らず、葛藤があるという事は、反面、普通の人には出来ないような偉大な業績を残します。コペルニクスはパン屋の息子でしたし、ダランベールは、冬の寒い寒い凍てつくような教会で、拾われた孤児で、ガラス屋のおかみさんに育てられたといいます。みな、幼少のころの逆境にめげずに確固たる名声をつかんだ人たちであり、それを見ても
人間の優劣は、環境ではなく、その人がどれだけ、精一杯努力してきたかで決まるというのが、一目瞭然です。

その人が、並々ならぬ努力をする人間であるのならば、環境がどんなに悪くても、例え病気だろうと、何だろうと、そんなものは、すべて言いわけでしかないのだとうことを、ベートーヴェンが私達に教えてくれている気がします。

だからこそ、一番尊敬できる作曲家はと聞かれれば、おそらく、音楽家のほとんどの人がベートーヴェンと答えるのではないでしょうか。私ももちろん、一番尊敬する作曲家はベートーヴェンです。


平成25年12月19日(木)皆の前で、質問することは、自分のためだけでなく、周りの皆のためにとても役立つ

今日は、東京で、日本クラシック音楽コンクールの全国大会があり、高校の部に出場した、明和高校2年生の鈴木真琴さんが、5位に入賞しました!と喜びの電話がありました。おめでとうございます!

彼女は、つい最近あった、明和の定期演奏会で、普段とっている副科のチェロを披露。ピアノだけでなく、色んな楽器が弾けるなんて、うらやましい!又、オーケストラの中で演奏出来るなんて、明和ならではの、良さですね。

その時の、受付嬢もやったり、明和での高校生活を大満喫している様子。今度も受験生のリハーサルで、後輩たちに、いろんなお話をしてくれるそうです。是非、この機会、わからないことや、質問がある人は、彼女に色々聞いてください!又、1年生の子も来てくれます。

皆さんの大先輩でもあり、今、生活している彼女達がどんなお話を聞かせてくれるのか、私も興味津々です。

それでは、上手な質問の仕方をここで、説明しておきましょう。よく、日本では、恥ずかしがりやの方が多いのか、私も、講座を依頼されたりして、聴いて下さった皆さんに「ご質問ありませんか?」と聞くと、皆いっせいに静まり返って何も質問がないという状況になります。しかし、後からは、個人的に、私のところに来て、よく質問されます。もちろん、それは、それでうれしいのですが、質問は?と聞いた時に、皆さんがいるところで質問をして下さる方は、私もとても嬉しいし、その方は、有難い貴重な存在です。

なぜかといえば、その方が質問したことが、他の全ての人たちのためになるからです。ああ、私もそのことについて聞きたかった、と思えたり、その質問から、じゃあ、このときはどうなるのかな?とか、色々考えるきっかけを作ってもらえるからです。

質問がないということは、あまり、そのことに対して、積極的でなかったり、準備不足といった感じで、受け身的な印象を受けます。そこで、大事なのは、あらかじめ、質問したい項目を箇条書きにしておいて、質問出来る状況になった時に、質問するのが、いいですね。

これは、私も学生時代、わからなかったことなんですが、現場で働き、人前で、お話する機会が沢山出来てから、質問することの大切さを身にしみて感じています。

よく、私が学生時代、先生方がおっしゃっていたことがありました、「授業中、お友達と影でこそこそしゃべって聞きあうのはいけません、たいていお友達同志の噂話は間違っていることがほとんどです。
本当の事を知りたかったら、先生に直接尋ねるか、皆さんの前で、質問してください!」

その通りなんです、わからないことは、直接先生に尋ねる、それか、皆がいる前で、先生に質問する、ことは、自分だけでなく、他の人達のためにもなることだったんだなあとわかってからは、
私も、今では、どんな馬鹿みたいだと思える質問でも、堂々と、皆の前で、質問出来るようになりました。

プロの方は、どんなに変だと思える質問でもすごく丁寧に教えて下さいます。私も、かなり前に、生徒の親御さんから、「2分音符というのは、音が高いところにあるものを2分音符というのでしょうか?」
という質問を受けたことがあります。でも私は、真剣に、その方に、説明しました。

それとか、ピアノを弾いていて、その手をあげるときに、何センチ高く上げればいいでしょうか?とか、聞く方もいます。でも、そのどれもに、私は、誠実に真剣に答えてきました。

質問は、教えている側からすると、こちらも、えっ、そんな質問もあるんだ!と全く違う視点からものを見ている人にもわかりやすく説明するには、どうすればよいかを考えるきっかけにもなるので、私のためにもなって、お互いがいいのです。

質問というのは、ボーっと受け身的に、聞いているだけでは、絶対に出てこないので、あらかじめ、準備、予習がいるということです。質問したり、されたり、そういうことも、受験の時の面接で大きなポイントになるので、そういうことを含めて、積極的に受験生の皆さんは聞いて、質問して、メモして、帰ってくださいね。



平成25年12月14日(土)門下生コンサートのチラシが出来ました!!

昨日、パソコンをやっている間に私のホームページの写真が全部出てこなくなってしまい、皆様にご迷惑をおかけしております。

又、先ほどはあまりにもネット上でUPしているホームページが変なので
ホームページを作って下さった先生に教えて頂き修正し直して、日記部分は上手くいきほっとしております。

多くの方のお力添えでホームページを掲載できることを本当に感謝しております。


ところで、皆さん、お待ちかねの、3月21日の門下生コンサートのチラシが出来上がりました。先日、幹事さんがわざわざ、600部の重たいチラシを、私の家に持って来てくださいました。とてもきれいに作って頂き、毎年、お引き受け下さる幹事さん達には本当に感謝しております。私がこういうことが出来ないので、毎年の事ながら、とても助かります。

今日の生徒さん達からお配りしていますので、皆さん、沢山の方々に聴いて頂けるようお声をかけてくださいね。


平成25年12月13日(金)新しいパソコン

今日は、今までのWindowsXPから、Windows8に変えるために設定をして頂くため、日ごろお世話になっている方に来ていただきました。

何しろ、私に旦那さんはいないし、男手がないので、こういうことをお聞きできる人がいないと仕事柄、たちまちやっていけないので、有難いです。

メールを送る場所は?日記を書くときは?写真を取り込むときは?何だか、よくわかっている人から見ると馬鹿な質問ばっかりしているなあと情けなく思いながら・・・・・・。

初めて使う新しいパソコンで、日記を書いてみました。

当分は、慣れるまで、相当??状態の私です。(笑)


平成25年12月12日(木)大人の入り口にさしかかると、一人になる時間が大切 

今年もあとわずかとなりました。
受験生のリハーサルや、年が明ければ、コンクールの審査、明和の試験の審査、大学の試験、受験本番、それが終わると、皆さんお待ちかねの門下生コンサートが待っています。

お陰さまで、12回目を迎え、生徒達が皆、すくすくと成長して、どの生徒も本当に上手くなって嬉しい限りです。

今回が初めての参加の新しいフレッシュな生徒さんもいますし、大人の生徒さん達も参加されます。又、私の所へ来たばかりの頃は、まだまだ、愛らしい、お嬢ちゃん、お坊ちゃんだった子達がいつの間にか、もう立派な、美しい娘さん、さわやかな青年、といった感じで、長いお付き合いになる生徒さん達の成長には、感無量です。

そして、私の教室から、いったん卒業したけれど、名古屋に帰省するたびにレッスンに来て、成長した演奏を聴かせてくれる、門下生の皆さんの大先輩達も、皆、演奏して下さいます。1年に一度、門下生全員が集まれる機会は、なかなかないので、私は勿論のこと、皆とても楽しみにしているようです。

しかし、つくづく子供達の成長は、早いなあと思います。特に、成長が目覚ましいのが、中学2年生以降ですね。第一、身体が、女子も男子も、ものすごく大きくなるから
それに伴って、手もすごく大きくなります。

どの子も、中学生になると、1人で、レッスンを受けられるようになるので、特別心もしっかりしてきますね。中1の頃から、滋賀県の方から電車で一人で通う女の子は、ピアノは勿論のこと、考え方もすごくしっかりしてきました。お母様が、ピアノだけでなく、人間的な成長をさせていただいたのは、本当に先生のお陰と言って下さったことばが本当に嬉しい限りです。

又、最近、自転車で、レッスンに通ってくる男の子がいるのですが、先週より、又、手がしっかり大きくなってきたな、とか、声が変わったなとか、顔つきが変わってきた、とか、来るたびに成長してくるので、もうびっくりします。

1人で通うようになると、その成長は目覚ましいものがあります。車で通うよりも、自転車の方が、体力を使うから、いい運動にもなり、おなかもすくし、沢山食べるようになる。運動を沢山して、沢山食べれば、身体がしっかり丈夫になって、手もがっちりしてピアノも弾きやすくなります。

先日も、「先生と手の大きさ比べてみようよ」と言って手を合わせたら、断然彼の手の方が大きく、「ほら!こんなに立派な手をしているんだから、気持ちがこもれば、もっと豊かでドラマチックな表現が出来るはず」と話したようなことでした。彼も、1年前と比べたら、ピアノも一気に大曲が弾けるようになり、その成長ぶりは、見張るものがあります。

私も子供時代を振り返ると、親に連れられてレッスンに通っていたころは、何となく、親任せというか、自分の頭で深く洞察することがなかったように思います。

レッスンに通うまでに電車に乗っている道中、あるいは、帰り道、一人だと、誰とも話をしないので、その時に、自分と向き合う時間、自分のことを深く考えられる時間が持てるようになります。

今日、先生からこんなことを言われた、どうして、先生は自分にあんな話をして下さったのかな、あるいは、自分が、もっと素直になって、心を開いて、先生に、こう話せば先生からもっと色んなアドヴァイスを受けられたのではないか、とか、音楽って何だろう、とか、自分にとって、音楽を志すとはどういうことなのか、将来自分はどういう道を歩むのか、などなど、悩んだり、色んな想いが、一人になるとふつふつと湧いてくるからです。

その時に人は、身体だけでなく、魂と心が又一つ、上の段階へ、ステップアップしていくのだと思います。そのステップアップを繰り返して、一歩一歩、一人前の大人に成長していくようになっていますね。

そういう風に悩んだり、考える時間が増えだすと、大人への入り口にさしかかった頃。生徒達は、私に何でも心を開いて、レッスンノートに書いてきてくれます。親には、言えないようなことも・・・・・。

ピアノを演奏するということは、聴いている人に自分の魂を洗いざらいさらけだすということ。心がまず開かれなければ、いい音楽は出来ません。そして、自分をさらけ出す勇気が持てなければ、他人を感動させられるような演奏は出来ないのです。

私自身、生徒達と向き合う時は、とにかく、正直に、誠実に、そして、心を出来るだけ、開くように接することを心がけています。こちらの心を最大限開いて、生徒達の心を調子のいい時も悪い時もまるごと受けとめられるように常にしています。

そんな生徒達の1人1人の成長を目の当たりにしていく時間は私にとって、最高に素晴らしい時間です。そんな素敵な時間を生徒達と過ごせて毎日が本当に幸せです。


平成25年12月6日(金)感情をこめるとは?

12月に入ったというのに、日差しが春みたいに明るくて暖かい日が続いています。

今日は、演奏に感情を込める、について書いてみます。

指もそこそこ動いて、何となく弾いてはいるのだけど、なぜか、気持ちがこもらないと悩む人は多いですね。

私が生徒達を見ていてよく思うのは、気持ちがこもらない一番の原因は、弾く事で精一杯の状態がまず一つ。
2番目は、その曲に対するイメージ不足。3番目は、イメージはあっても、それをどう表現していいのか、その方法がわからない。この3つです。

どう表現するかという方法は、いわゆるテクニックであり、このテクニックを以外に知らない人は多いです。

まず、クレッシェンドする時、ディミヌエンドする時、音色を変える時、フレーズの終わりをおさめる時、弱い音でも緊張感に満ちて張りつめた音を出す時、
ドラマティックな表現をする時、のびやかな音を出す時、音を切る時・・・・・・まだ、他にも際限なくありとあらゆるテクニックがピアノ演奏には、あるのです。

大体は私が弾いて示して見せると、何となく表面的ではありますが、理解するようです。が、なかなか、理解出来ない場合も沢山あります。理解出来ない場合は、一言で言うと、「筋肉で音を感じて聴いていない」ということがあげられます。

まず、緊張感に満ちると、人間の筋肉がどう変化するのかを知らなくてはなりません。何か、恐ろしい事が起ころうとしている曲の中で、そんな時に、身体の力が、だらーんとリラックスして、家で、のんびりくつろいでいるような状態で、緊張感に満ちた部分を弾く事は出来ません。

曲が、すごく甘いロマンテイックなムードを語っているのに、シラーっとして冷めた感じで、弾いていれば、何も甘い語りかけには聴こえないでしょう。

あと、ベートーヴェンなどのドラマテイックなフォルテイッシモや、スフォルツアンドなどが出てくる時に、身体ごと、「それーっ!!」「エイヤーっ!!」て感じで(笑)鼻息荒く、勢いをつけて弾けない人も沢山います。

大体、そういう風にシラーっとして弾く人を見ていると、全然呼吸が乱れていない。「これを弾いていると身体が削れる思いがする」と書いてきた生徒がおりましたが、それが、本当に真剣に演奏しているということですね。真剣に演奏していると、絶対、マラソン選手みたいに、呼吸がハアハアして、すごく息が荒くなります。

いい演奏をするためには、身体が削れるんです、ボロボロになるほど・・・・。

私の音を筋肉で聴いていない、そう思える子には、どこに、力が加わるのか、指先から手の平から、腕、肘、肩、背中全ての身体の筋肉に触れて、身体ごと持っていってやらねば、いけません。といっても、それが又、その子の心から出ていなければ、私がいくら、身体を押したり、つかんだりしても表面的にすぎない演奏になってしまうのですが・・・。

しかし、どんなにシラーッとして弾いていても、その子の心の中はそんな感情ではないと思うのです。ただ、その感情の出し方、テクニックを知らないだけ。
そのテクニックは本人が理解できるまでには、長い長い年月がかかりますが、そのテクニックが一度つかめれば、確実に演奏がレヴェルアップします。