平成25年10月30日(水)スケール、アルペッジョ

昨日は、明和高校のスケール、アルペッジョの試験。

音楽高校、音楽大学生なら、必ず、どんな調でも、どんなカデンツでも、例えば、H−durと言われれば、サッと反射的に弾けなくてはならないのが、この、全調スケール、アルペッジョです。音高生はもちろんの事、音大生も入学したら、必ず、スケール、アルペッジョの試験がどこでもありますね。

なぜ、大事かというと、曲の中のテクニックは、ほとんどが、スケール、アルペッジョで、成り立っているからです。又、終わりのカデンツも今、自分が一体何調を弾いているか、ということが反射的に弾けるように何調のどの和音もつかめなくてはなりません。曲の中で、調性感や、ハーモニー感が理解出来ていないと、スケールのカデンツも上手く弾けない、というように、音楽の基礎力は全てがつながっています。
曲は弾けるけど、スケールは弾けないとか、アルペッジョは弾けても、曲は弾けないとかいうことはありえません。スケールが上手ければ、当然、曲も上手いというように、全てが比例するのです。

この前、大人の生徒さんから、「先生は、どうやって、このカデンツを覚えましたか?」という質問を受けました。

私の場合は、習い始めの小さいころから、ハーモニーについては、何1つ苦労しなかったので、覚えたとか、勉強したということが全くないのです。そうでなく、その当時の先生が、「音大に入ってもスケール、アルペッジョがまともに弾けない子が沢山いるから、後で、苦労しないために、今やらなきゃ駄目よ」と言われたこともあり、私は、小学1年生の時にスケール、アルペッジョ全調マスターしました。でも、シャープが2つになっても、3つになっても、4つになっても、要は、ただ、調が変わっていくだけで、これといって、難しくもなく、あっという間に弾けるようになりました。

ハーモニーに関しては、自分の好きなメロディがあると、それに、ハーモニーをくっつけて遊ぶのが、何より好きだった幼少時代、ソルフェージュも、一番好きで、得意なのが、4声体、ハーモニーでしたね。

とにかく、音が、いっぺんにまとまって沢山調和すると、非常に譜読みもしやすくなるのです。だから、1つの音だけを聴くよりも、同時に沢山まとまって音が鳴ると、全ての音の予測がつきます。だから、ソルフェージュで書きとりする時も、和声の方が簡単にとれます。楽譜に書いているのをわざわざ、読まなくても、今この音なら、次は、こんな和声がくる、次は、こんな和声が・・・・と頭の中で次から次へ予測出来るので、ハーモニーは非常におもしろいのですね。

しかし、反対に、音の数が少ない、単旋律だけ書かれてある、メロディだけですと、音程もとりにくいし、非常に読みづらい。メロディの背後に響いているハーモニーを頭で描きながら、読んでいくと、新曲視唱なども、すらすら、音程もとりやすいです。

私の頭の中には、ハーモニーを勉強して苦労して覚えた、という体験は、全くなく、初めから、すでに知っていた、という感覚でしょうか、砂糖が甘い、とか、塩が辛い、というのを、勉強しなくてもわかる、というような・・・・。

人間には、聴覚、視覚、味覚、触覚、嗅覚といった、本能的に備わっている五感、というものがありますけれど、その五感と同じで、ハーモニーは勉強するとか、覚えるものではない、ということは、私の体験から言えるかなと思います。

しかし、周りを見渡すと、ハーモニーで、苦労する人たちはとても多いので、どうやって、そういう人には、理解させて、覚えさせればよいのか、その良い指導法はないかと、本を読んだりして、研究中です。




平成25年10月26日(土)レッスン室、今だにクーラー

やっと秋らしい、季節になってきました。しかし涼しいのは、外の気温だけで、私の家は南国。マンションは気密性が非常に高く、
レッスン室はいまだにクーラーをつけ、私は、いまだに夏の半そでのいでたち。

今日も、高校生の男の子が、月光の3楽章を弾いていたのですが、長袖シャツにセーターを着ているので、見るに見かねて、「暑いでしょ?クーラー入れるね」と。ベートーヴェンを弾くとこれまた、特別、暑いんですよね。それだけ、ベートーヴェンって人は、いつも、カッカカッカしてたんでしょうか(笑)

私が、中3まで、暮らした三重の家は一軒家でしたので、寒くて寒くて、9月頃からこたつを入れていましたが、マンションは、12月や、1月でも、部屋の中は暖かいのですね。暖房もほとんどいらず、真冬なのに、半そでTシャツで来る男の子もいたり・・・。


外とレッスン室の気温差が非常に激しいので、半そでを着て上から長袖をはおるとか、重ね着出来る格好で来られるといいかなと思います。


平成25年10月25日(金)「前向きな心」を常に持つ

昨日、小学3年生の子のレッスンノートに「先生から教えて頂いたことを何度も直しましたが、指がいうことをきいてくれません」。と書いてありました。
毎日の練習で、お母様と、熱心に練習に励んでいる様子が見て取れます。

そうですね。彼女に限らず、練習をしていて、そういう問題にぶつかることは、とても多いと思うので、ピアノを学んでいる皆さんに、私からのアドヴァイスです。

自分が、沢山の生徒を教えているときにもそういう問題は山積みです。弾ける、弾けないの問題よりも、むしろ、この音楽のこのフレーズには、こんなハーモニーの緊張感があって、それがゆるむと、ほっとするような感じ・・・・とか、結構、内面的な指導が多いと思うのですが、これが、伝わる子には伝わるのですが、同じ説明を何度繰り返しても伝わらない子にはどうしても伝わらない・・・・・・・・。(涙)

生徒を必死で指導していて、何で、理解できないのかな、どうやって、私の想いを伝えたらいいのだろうか、と一晩考えていたり、ということも多々あります。

こう書くと、万事が自分の思い通りにならない事ばかり、という感じがします。でも!!ここからが、大切なんですが、それ以上に私は、「前向きな心」で対処します。

思えば、この世で、自分の思い通りになっていることってほとんどないのではないかな・・・・・・。

1分間に60〜70規則的に脈を打っている心臓の鼓動を自分の力で、止めてみる事は出来ません。生まれた時に、すでに、男か女かも、どんな親のどんな環境のもとで、育てられるかも、自分では決めれません。何の職業につくかもわかりません。天職、という言葉通り、自分の意志以上に大きな力が働いているのではと思えるように、必ず、1人1人に、与えられた、天からの授かりものがあります。

自分の性格も、ある程度持って生まれたものがありますし、又、どんなに気をつけていても病気になったりというのもありますし、自分が何歳で死ぬかも、わからないし、自分のことだけでも、自分の思い通りに事は運びません。

自分の心も思い通りにいかないのに、他人の心は、なおさら、思い通りに動かすことは出来ません。子供がいうことをきかないとか、子供が親の思った通りには、なかなか育ってくれないというのも当たり前のことですし、全てを思い返すと、なーんだ、全て、思い通りにいく、という方がおかしいのだという事がわかります。

だから、そういう風に、まずは、思い通りにいかないということが、当たり前だと楽観的に、とらえていればいいのだと思います。
自分をまず追い詰めないように、ましてや、生徒達が出来ない、ということで、絶対に追い詰めないように、日々、心がけています。

そういう風に心がけていると、不思議と、「前向きな心」というのは、ピアノの練習と一緒で、毎日の積み重ねで、培われていくのですね。「前向きな心」を作ろうと努力すれば、作っていく事が出来ます。

自分が精一杯努力しても上手くいかなった時は、
「思い通りにいかなかったけど、ま、いっか(笑)」て笑い飛ばすように、私はしてます!!楽観的であることは、ピアノを弾く人に、一番大切な事です。
心配したり、不安に思ったりすることは、害こそあれ、ちっともプラスになりません。

自分が出来る範囲のことは、一生懸命最善をつくし、何事にも充分努力は、しなければいけません。
それでもどうにもならないことは、やはり、どうにもならないのです。

だからこそ、常に「前向きな心」で、対処すればいい、と私は思っています。


平成25年10月23日(水)時間を無駄にしない

先日、日本クラシック音楽コンクールの本選が、あり、明和高校2年生の生徒が、又、全国大会へ。イタリアコンコルソムジカアルテの本選に参加した中学3年生が全国大会へ。
皆さん、おめでとうございます!!

明和高校3年まで、私の教室の門下生であり、現在、愛知県立芸術大学音楽学部ピアノコース3年在学中の佐藤愛さんが、
12月18日(水)18:00開場18:30開演
名古屋市中村文化小劇場で、ピアノ名曲コンサートに出演します。このコンサートは、県芸のピアノ科で成績優秀な学生たちが選ばれたコンサートで、彼女は、モーツァルトのソナタ第17番KV570全楽章を演奏します。

中学2年生で、出会った彼女ももう、来年は大学4年生です。私が、ウィーンから帰国して15年、何100人もの生徒達を送り出してきましたが、月日のたつことの何と早い事でしょうか。

自分が、大学を卒業したのもついこの前、みたいな気が自分ではしていますが、確実に時は過ぎ、人生約80年とすると、あと半分もないなあ、という感じだなあと。

若いころも、とにかく、時間を無駄にしないことに気を配って生活してきましたが、今は、さらに、時間を無駄にしたくない気持ちが強いです。

この時間があれば、ピアノの曲のレパートリーが一曲増える、とか、私の好きなドイツ語の新しい単語の1つでも覚えよう、とか・・・・・・。

学ぶ、ということは、本当に楽しいですね。私の誕生日に、父が、私の好きなブレッツェルをプレゼントしてくれたのですが、その紙袋に沢山ドイツ語で、色んなことが書いてありました。私が、高校1年生で、ドイツ語を学びたての頃は、恐らく辞書を引かなくては全く、ちんぷんかんぷんだった事でしょう。しかし、今では、辞書を引かなくても、その文章の内容がわかります。学び続けているのだから、当たり前の事かもしれないのですが、そういった小さい事に喜びを持てるというのが、人間の幸せだと私は思うのです。「あ、これわかる!!」というようなささやかな楽しみ!!

あと、たまに、PTNAのコンクールの講評用紙で、ドイツ語で、書いて下さる審査の先生がいらっしゃいますが、それを読んで、何が書いてあるのかを生徒にアドヴァイス出来ますし、そんな時に、ピアノだけでなく、外国語なども長く続けているという事は本当にいいことだなあ、と実感します。

ピアノ演奏もそうだと思うのです。勉強すればするほど、音楽の中身がわかってきて、自分が、いかにこれまで、何も考えて、わかって弾いていなかった事に気づく事も多いです。

幸い、私の所の教室の生徒は皆、ピアノ嫌いにならず、とても楽しく長く続けてくれる生徒さんが多いのは、嬉しい限りです。
子供だけでなく、レッスンを見学していらっしゃるお母様も、子供と一緒に世界が広がるから、とても楽しいのだと思います。

子供が色んな曲を弾いてくれるようになると、その曲が好きになって、その曲がどこの国で生まれたのか、又、それを作った人は、どんな人で、何語を話していて、どんなものを食べていたのか・・・・・などなど、次から次へ興味がわいてきます。

そして、その曲を作った人が住んでいた国に行ってみたい、とか思うようになり、それには、英語なり、ドイツ語なり、フランス語なり、ヨーロッパで通用する言葉を身につけたい、という気持ちに自然となってきますね。

何事も学び始めて、3日坊主は絶対いけませんね。毎日、続けること、これにつきます。そうしないと、人生の楽しみ、物事を理解出来る幸せにつながっていかないからです。

学ぶと世界が広がります。自分の心が又、一つ、大きく、広くなれます。それが、本当の学びだと思いますし、人生は短いので、時間を無駄にしないで生きるというのは、そういうことなのです。


平成25年10月21日(月)卒業生達の喜びの報告

私の教室から巣立った生徒で、現在、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校2年生として、勉学中の
川地咲由里さんが、全日本学生音楽コンクール東京大会の本選、
高校の部第3位、全国大会に進めると喜びの報告がありました。

又、つい先日は、現在、東京音楽大学ピアノ演奏家コース2年在学中の小林ほなみさんが、みえ音楽コンクールの大学生の部で第1位、三重県知事賞を頂いたということで、門下生達が、教室を卒業しても、あちこちで、大活躍してくれていることをとても嬉しく思っています。


お2人とも、本当におめでとうございます!!彼女達は、休みになると、いつも元気に私のレッスン室を訪れて、成長した演奏を聴かせてくれています。

今日も、東京音楽大学ピアノ演奏家コース2年在学中の生徒から、休みのたびに先生のところに行けると思うと、今からわくわくする、とカードが届きました。

彼女は、今、メトネルのソナタ第1番、ラフマニノフのコンチェルト2番を弾いているという事で、今度も11月の連休中に帰省して、レッスンで聴かせてもらえるのを楽しみにしています。

来年の3月21日の門下生コンサートで、彼女たちの演奏、楽しみにしていて下さい!!素敵な曲目ばかりが並んでいますよ!

←又、今日も、玄関前が生徒の皆さんのお手紙やカードで、一段と賑やかに・・・・・・。
皆さん、どうも有難う!!







平成25年10月20日(日)11月16日の課題曲コンサート

11月16日土曜日開演14:00〜(開場13:30〜)YPF課題曲コンサートに行きたいのですが、と、生徒のお母様からお問い合わせがありましたので、日記にものせておきますね。

場所は、第一楽器四日市店の4Fにある、ムーシケホールです。2014年度のチャレンジ部門、A、B、C、D部門YPFピアノフェスティバルの課題曲を全て演奏します。

もちろん、私のソロリサイタルのようにズラズラ物も言わずに弾いていくばかりでなく、コンクールで気をつける点や、こんなところが、弾きにくいので、どうしたらいいかとか、お話しながら、弾いていきたいと思っています。

YPFを受ける方々のためのコンサートですが、どなたでもお越しください。名古屋から四日市は、ちょっと遠いですが、もちろん、生徒の皆さんも大歓迎です。
四日市は、やはり、私の故郷なので、四日市で、ピアノを学んでいる皆さんにもお会いできるのをとても楽しみにしています。


平成25年10月19日(土)誕生日、皆さんどうも有難う!!

今日は、私の42回目の誕生日でした。
生徒達が気を使って、先週から、早々と、プレゼントをくれたり、明和高校の生徒達が、私がレッスン室から出てくるのを待ち構えて、心のこもったカードやすごく可愛いブランケットをプレゼントしてくれました。
今日は、朝から綺麗なお花やカードが届いたり、又、今年も生徒の皆さんが気を使って下さり、こんなに多くの方々にお祝いして頂き、感激!!本当に嬉しいです!!有難うございます。

←プレゼントの中には、私の好きなドイツのパン、プレッツェルも。美味しい!!え?誰からのプレゼントかって?
父です(笑)





1人1人からの、心のこもったメッセージを読ませて頂いて、本当に暖かい気持ちになりました。

振り返ると、私がウィーンの音大を修了して、帰国したと同時に、生徒を教え始めて、まる15年がたちますが、その間、私が、生徒を励ましてきたというよりは、私の方が、生徒から励まされてここまで、歩んでこれたという感じがします。

皆さんから頂いた、カードやお手紙、プレゼントなど、どんな小さなものでも、生徒達からのものは、私の一番の宝物なので、全て、大切に保管してあります。読み返してみると、とても懐かしくて、その子の明るい笑顔が全て私の脳裏によみがえってきます。小学生だった子は中学生に・・・高校生に・・・大学生に・・・・と成長の証が見て取れます。たまに、私と写った写真をカードに貼ってくれる子がいるのですが、「わー、赤ちゃんみたい!!かわいい!!こんなに小さかったんだ・・・・・」と懐かしくなりました。
↓こうやってきちんと整理して大切にとってある生徒達のお手紙。約5キロありました。
両手で持っても、重い!!



























振り返ると、この世に生を受けて、42年間、一日として、周りの方々に支えられない日はありませんでした。いつも、私の周りにいる方々から生きる力を頂いて、ここまで、生きてこれたなあとお世話になっている全ての方々に心から感謝しています。


平成25年10月13日(日)全国大会へ

日本クラシック音楽コンクールの高校生の部の本選が、今日はあり、明和高校2年生の生徒が、「全国大会に行きます!!」と喜びの電話報告をしてくれました。年齢が上がってからの、全国大会行きは、どんなコンクールであっても、至難の業。本当におめでとうございました。

つい先日もミッドランドスクエア音楽祭で、シューマンの「献呈」そして、ブラームスの連弾で、素晴らしい演奏を披露してくれた彼女。その時の曲目と、今日のコンクールの曲ももちろん、違います。

そのうえ!!来週の火曜日の明和レッスンでは、2台ピアノの曲持って行きます!!といって、お友達と聴かせてくれるそうで、すごく楽しみです。
この2台ピアノの曲、譜面を見せてもらっていますが、音が複雑で、すごく大変なんですよ。

その他、ベートーヴェンのワルトシュタイン全楽章、バッハ、ラフマニノフは門下生コンサートで弾く曲、ショパンエチュード、シューマン、ファンタジー、
今日弾いたのは、グラナドス・・・・・よくまあ、これだけの曲を同時に出てくるわ出てくるわ、いつも、ささっと譜読みして、曲想をつかむのが早いのが何よりも彼女の強みです。

恐らく、時間があれば、きっといつもピアノに向かっていると思うし、だからこそ、本番も安心して弾けるのでしょうね。

又、彼女の最大の強みは、本番、緊張しないこと!!明和を受験した時も、全く緊張しなかったというから、ただものではありません!!羨ましい限りです。

そういう彼女とのつきあいは明和を卒業するまでですと、何と、12年間!!に及びます。若さあふれるエネルギーに、こちらも、レッスンのたびに、元気を沢山もらっています。


平成25年10月10日(木)勉強とピアノの両立

私の教室では、中学生以上の生徒がほとんどですが、どの子も勉強とピアノの両立が大変なようです。

中学生という時期は、恐らく、人生の中で一番、忙しく、大変な時期ともいえます。数年後には、恐らく、人生で一番、大変な高校受験が待ち構えているということもあり、ここで、自分の生きる道筋がほぼ決まってくるといっても過言ではないでしょう。

よく、中学生の生徒達から、他のみんなは、どのように勉強とピアノを両立しているのでしょうか?という質問を受けます。

私が今の中学生達を見ていて、すごくうらやましいのは、試験に出る問題が初めから決まっているそうなので、それだと、勉強しがいがあっていいですね。
私達の頃は、当日何が出るかさっぱりわからない、しっかり、理解出来ていなければ、まるで、点数がとれないように大変でしたから、今の子の方が、努力のしがいは、確かにあると思います。

私は・・・・といえば、若い人たちに自慢できるような中学生では、全くありませんでした。けれど、振り返ると、親から勉強しなさい、ときつく叱られた経験はなぜか一度もありませんでしたね。
私の親の世代は、「芸は身を助く」という世代でしたので、あれやこれや、手を広げるよりも、とにかく、まずは、1つの事に集中して、1つの事を究めなさい、1つの事を究めると、それを基点として、必ず、他の分野にも通じていき、結果的に、豊かな人生を送れるというのが、昔の人の考えだったと思います。

今は、選択肢が多すぎて、一体自分は何が、好きなのか、何をやりたいのか、それどころか、何に向いているのかさえも、判断できなくなっているように、複雑化しているように見受けられます。

私が思うには、やはり、時間を無駄遣いすることが一番まずいのではないかと考えています。

学校のテスト勉強といっても、机の前に座っているだけで、ちっとも、問題が解けない、問題文の意味がわからず、一向に、はかどらない、3時間机の前に座ったけど、結局何も、覚えたものもない、こんな感じの勉強なら,疲れるだけで、何の身にもなりません。
集中出来ないのなら、集中出来る事を一身になって、脇目もくれず、身も心もそれに捧げた方が、自分の将来のためにもなります。

とにかく、何でも嫌々ながらやるのは、時間の無駄だということで、私の場合、好きな事は、ピアノを弾く事と、本を読む事と、日記を書いたり、文を書いたりすることでしたので、好きな事ばかりに熱中していて、勉強なんて、ほとんど、しませんでしたよ(笑)

いわゆる、その時だけ、丸覚えした詰め込み方式の勉強なんて、何のためにもならないと思っています。そうではなくて、私は、何事も、理解しようとする
「心」が大切なのではと思っています。

誰かと関係を結ぶ時にも、その相手に興味を持ち、その人のことを良く知ろうとすれば、自然と、理解出来るようになります。

物事を学ぶ時には、まず、ここがポイントかなと思います。例えば、私の学生時代の場合、ピアノが好きというよりも、それ以上にピアノを教えて下さる先生のことが、好きでした。その先生の事が好きだと思えると、その先生の話をよくきくようになるし、わからないことも、その先生が話す言葉を何とか理解しようと努めていく、そこが基点となり、その先生にほめてもらいたい、そういう気持ちが大きくなると、練習にも熱が入っていき、結果として、上手くなる・・・
こんな感じで、人は、学べるのだと思います。

よく、大人になって、数学者になった人の話とか、社会科の先生になったとかいう人の話を聞くと、やはり、数学を教えてくれた先生の事がすごく好きで、そこから、数学が好きになったとか、聞きますね。

ピアノ好きにさせるのも、ピアノ嫌いにさせるのも、先生次第と思うと、私も、責任の大きさをすごく感じます。

生徒はどう思っているかわかりませんが、私は、とにかく、1人1人の生徒を自分の子供のように愛している事に変わりはありません。生徒が弾くピアノは、どんな巨匠が弾く演奏よりも、それは、私にとっては、愛しいものなのです。

自分の経歴よりも、生徒の事を愛せる、そんな風に、ピアノを弾いてきたお陰で、豊かに人生が広がっていくことが出来たのも、やりたい事があれば、やりたい事をやるために、他の事は全部手放して、身軽になれ、そう教えてくれた、両親のおかげだとつくづく感謝しています。

ピアノを弾いてきたおかげで、英語もドイツ語も興味を持って勉強出来ます。
又、ヨーロッパの文化を知ることも出来、建築物や、歴史にも興味が出てきます。
外国語も、自分の言いたい事を伝えたい、そう強く願うと、初めて話せるようになっていくのです。
それが、本当の丸覚え詰め込み式勉強でなく、本当の勉強です。











平成25年10月8日(火)失敗多ければ多いほどいい

先日、私が桐朋の高校、音大時代の学長先生であり、又、個人的には、室内楽などで、教えを受けた、三善晃先生が天国に召されました。
三善先生は、何か、神様のようなオーラを放ち、凡人が、近づいていくには、あまりにも存在が大きすぎて、文字通り、雲の上のお方、といったイメージ。

室内楽のレッスンで、三善先生のお宅をご訪問すると、レッスン室には、新聞紙より大きいくらいのスコアが置いてあり、そこに、何とも細かい小さな音符がぎっしり埋めつくされて、その前で、三善先生が、煙草に火をつけて、黙って座っていらっしゃいました。その姿を目にしただけで、私達は震えあがり、何かとんでもないものを見たような、恐ろしい雰囲気が漂っている感じがしたことを思い出します。

こう書くと、余程恐い先生なのかと思われるかもしれませんが、絶対に、三善先生は決して、怒鳴ったり、怒ったりしませんし、すごく、人間的にも暖かい先生。レッスンでも、物腰は柔らかく、優しい口調で、教えて下さるのですが、とにかく、私達学生は、三善先生の偉大さに、恐れをなしていたのでしょうね。

大学を卒業する時に、三善先生が謝恩会で、私達に下さった、はなむけのお言葉で、印象に残った言葉があります。

それは、「もし、あなたがたが、この先生は、心から尊敬できるなあと思える人がいたら、きっと、その先生は、誰よりも、失敗ばかりしているはずです。
失敗の数が多ければ多いほど、周りから尊敬される人になっていくからです。是非皆さんも沢山失敗を重ねて、そういう人になって下さい」。

又、こんなこともおっしゃられました。

「あなたがたは、これから、色々な場面で、こちらの道に進むべきか、あちらの道に進むべきか、そういう選択を迫られる事が人生において沢山出てくると思います。その時に、自分にとって、簡単な道を選ぶべきではありません。例えば、山に登る時にロープウエーに乗って、すぐ頂上を目指せば、楽に決まっています。そうではなく、自分の足で、どんなに苦しくても、時間がかかっても、回り道をしても、大変な思いをしてたどり着くのが、成功する道です」。
とおっしゃられた時、本当にそうだと心から、共感しました。

そして、その時思いました。失敗の数が人以上に多い、いつも、苦しい道をあえて選んできた、その人生は、正に、私達桐朋生皆が尊敬する、俗世間を離れた神様のような存在、三善先生そのものだったのでは、と・・・・・・。

ご冥福をお祈りします。


平成25年10月2日(水)若いときは、誰しも苦しむ

先日、第5回コンコルソムジカアルテに参加した、中学3年生の生徒が、予選を通過して、本選に進めると喜びの報告がありました。おめでとうございます!
本選も頑張って下さいね。

今日からは、大学の授業も本格始動開始。後期は一コマ90分で、4人レッスン出来るとあって、学生たちも大喜び。
「キャー、先生の前で弾くと緊張するー!!」と、キャッキャッと大はしゃぎの女子大生たち。本当に、可愛いです。大体が19歳という年齢だと思うのですがお箸が転がっても可笑しい時代。何を言っても笑ってばかりで、本当に明るい。自分が、大学生の時は、こんな感じじゃなかったなあ・・・と、ふと20数年前を振り返り・・・・。

自分の大学時代を振り返ると、もっと生意気で、先生に対して、なついていくタイプではなかったから、可愛げがなかったかもしれない、この子達みたいに可愛げがあったら、もっと先生から可愛がられたのにな・・・・(笑)もったいないことをした、なんて、自分の生徒達を見ていて、たびたび思う事があります。私にとって、学生時代は暗黒の時代。思春期、青春時代というのは、一般的に誰しも、悩みが多く、常に、自分自身との葛藤の中で、もがいて、苦しみ、よく、大人たちは若いっていいなあってその頃言ってましたけど、私は、断然そう思いません!!その考えは、今も昔も変わりません!

青春時代というのは、人生の中では一番暗く、悩み多い時期だと私は思います。まだ、自分が、何者になるかもつかめていない、これから自分は一体どうしていけばいいのか・・・・、自分に対する夢が大きいだけに、失望することも多し。

人間年を重ねれば重ねるほど、幸せになれるんだなあとつくづく思います。まず、等身大の自分というものがよくわかるようになってくるから、そんなに、実現もしないような大きな夢は描かないようになりますからね。自分がやれる範囲の現実主義の中で、いかに、自分のささやかな力で、近くにいる人たちのお役に立つ事が出来るか、周りの人たちを幸せにしてあげられるかが、生きていく上では、一番大切なんだということがわかってきますから。

若いことでいいのは、怒涛のように吹き荒れる嵐のような、悩み、苦しみの時代でも、パワー全開で、病気にならないってことでしょうか・・・・。それだけ、体力があるという感じ。

私の所に来ている子も中学生が大変に多いので、若さ全開!!パワーに満ち溢れています。夏休みが明けると、身体も精神も、成長するっていいますけど、どんどん大きくなるし、生徒達のエネルギーに、沢山力をもらっています!!大人を励ましてくれるという点で、やはり、若い子は頼もし
い!!