平成25年9月29日(日)生徒達に会えて嬉しい1週間

ロンドン、ヒースロー空港にもピアノがありました!!弾きたくなった!

イギリスから帰国して、翌日から、明和や大学や、生徒達のレッスンで明け暮れて、時差ぼけもする暇もなく、何がなんだかわからないうちに、本当にあわただしい1週間が過ぎ去りました。

とにかく、嬉しかったのは、1人1人の生徒達に元気な姿で会えた事。ヨーロッパはとにかく遠いので、どんなに、頑張っても、2,3日で帰ってくることは出来ないから、すごく辛いです。1つは、毎日練習するピアノが、弾けない。そして、可愛い生徒達に会えない。この2つが私にとって一番辛い事。

皆、私が出発した日が、台風と重なったので、どの生徒もすごく心配してくれました。先生が無事に帰って来てくれて良かった・・・・と皆書いてくれていたけど、私も、どんなに遠い、エジンバラだろうと、ロンドンだろうと、1日として、1人1人の生徒の顔を思い出さない日はいつだってありませんよ。

お話を聞かせてほしい、という生徒も沢山いたので、又、時々アップしていきますね。

私が、行っている間、ミッドランドスクエアの音楽祭に参加した明和高校2年生の生徒の演奏を聴きに行ってくれた生徒達も何人かおり、皆、すごく喜んでいました。私も、明和高校に行って、○○お姉さんみたいに、コンサートに出たい、とか、後輩達のいい刺激に大変なったようです。

又、どの生徒も、一回レッスンが抜けたので、大丈夫かな、と心配していましたが、皆、よく練習していましたね。どの子も、しっかり、練習してあり、本当に感心しました。

↑ロンドンと言えば、ビッグ・ベン。イギリスの食事は美味しくない、っていいますけど、すごく美味しいです!!
私は普段贅沢しないので、食べ物の好き嫌いはないし、何処の国に行っても、何でも美味しく食べられます!!。


平成25年9月27日(金)イギリス その3

世界遺産になっている、バースの町では、教会の中で、少年合唱団の練習の様子も見れました。
そこで思いだしたのが、ロンドンを拠点に世界で大活躍中の日本でも人気の「リベラ」。私も大ファンで、彼らの、CD、DVDなど、全部持っていますが何回聴いても美しい。もう、他の音楽は聴きたくない、と思える時でも、彼らの歌声なら、自然に身体が受け付けてくれるから不思議です。

バースで歌っている子たちは、「リベラ」ではないけれど、美しい声で、正に天使の声、そのもの。柱から扇が広がるような形のアーチが天井を埋めつくして、その天使の声が、神様の所に吸い込まれていきそうな、そんな美しさです。

大窓には、イエス・キリストの生涯からの56の場面が描かれています。
←バースアビーの前で。この広場前では、ギターを弾いたり、歌を歌ったり、大道芸人が多い。
もともと、ヨーロッパのクラシック音楽は、常に教会音楽と結びついています。私が、よく生徒達に「ここは、キリストが最後、死刑に罰せられた時に、自分の十字架を肩に背負って、重たい足取りで、ため息をつきながら、一歩一歩登っていく感じ」とか、説明します。

特に、キリストの生涯を知らないとバッハの背景になっているものが全てそれなので、実際に見ることが一番大切ですね。本の上だけでは、そこの匂いや、空気、風土、気候そのものが、身体にしみつかないので、実地体験は非常に大切と私は考えます。

又、私は生徒達に、常に音は、神様の所に登っていく、常に、上に上に、高く、広く、のびやかな響きを感じて・・・・・・とアドヴァイスします。

天井に吸い込まれてしまいそうな、ヨーロッパの大聖堂や教会の天井を体験すると、それが、どのような響きになるのか、ヨーロッパの音とはどんなものかが、五感で感じることが出来ます。

又、ピアノという楽器は、唯一、ビブラートがきかない、大変に純粋で、美しい響きだと私は思います。

教会の中で歌う、リベラの少年合唱団のような、天使の声に近い楽器がピアノです。

私は、楽器の中で、一番、純粋で、天国の音が生み出せるピアノの響きが一番好き。だから、私は小さい時から、ピアノの響きそのものに、とりこになったのだと思います。

私が、今回、行った中で、とても気に入ったのは、リヴァプールの大聖堂でした。イギリス国内で最大のパイプオルガンがあり、その大きさには圧倒されました。

リヴァプールはビートルズの生まれ故郷ということで、有名です。世界遺産にもなり、どこもかしこもビートルズ一色のような町でしたが、ロックの中に、アメリカの音楽とは違う、ヨーロッパの音楽が入っているということで、イエスタデイなどは、世界中の人々に受け入れられたのだなあと納得出来ました。

ロンドンは古くて新しい街です。常に新しいものを生み出そうとするエネルギーにあふれ、若者にとっては、刺激的な街だろうなと感じました。

















↑バースアビーの教会。パイプオルガン。ピアノもありました。よくコンサートが開かれます。右は、少年合唱団が天使の声で歌っているところ。




平成25年9月26日(木)イギリス その2

メトネルの曲には、曲の冒頭によく、詩の一節が出てきます。レールモントフ、プーシキン、チュッチェフなどのロマン派詩人を好んでいたそうですが、私が今、研究しているメトネルの曲の冒頭に、シェイクスピアの戯曲「リア王」の一節が出てきます。

王が城を締め出され、絶望の中で、叫ぶセリフ「吹け、風よ、頬を砕くほどに」という内容なのですが、これに私は、とても心惹かれました。

それまでにも、シェイクスピアのロミオとジュリエットや、テンペストなど、作曲家がシェイクスピアを題材にして音楽になっているものは、大変多く
シェイクスピアというその人物像にも迫りたいと強く思いました。今回、シェイクスピアの生まれた家、ストラトフォード・アポン・エイボンも訪れる事が出来ました。劇的な物語が多いシェイクスピアの作品とは裏腹に、こじんまりとした、静かで落ち着いた町でした。

ヨーロッパは、どこでも、旧市街と新市街に分かれ、旧市街のほとんどに、お城、や宮殿、教会、大聖堂などがあります。イギリスもやはり、お城が多く、ロンドンでは、ウィンザー城を訪れましたが、テンペストの中に出てくるお城や、私の練習しているメトネルの曲の中に現れるお城のようなイメージが沢山私の心の中に湧いてきて、旅行中、何度も、ああ、早くピアノが弾きたい!!と思いました。
画家なら、すぐ、画用紙に、デッサンしたくなるでしょうし、音楽家なら、今見ている風景を自分の楽器で音に表わしたくなるのは当然といえるでしょう。
←シェイクスピアの生家










←ウィンザー城


次回に続く




平成25年9月25日(水)イギリスから帰国して

おととい、イギリスから帰国しました。今回の研修は、私の中でずっと暖めているテーマがあり、それを実際に目で確かめるための旅でした。

1つは、私が長年研究材料としているメトネルが、ロシアを離れ、56歳から亡くなるまで、ロンドンに移住したということ、牧歌ソナタという大変に美しい作品がありますが、それがどのような景色から生み出されたのか、今回の旅で、確かめる事が出来ました。

ショパン、モーツアルト、リスト、ウエーバー、メンデルスゾーン、ヴェルデイ、ベルリオーズ、ワーグナー、サン=サーンス、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、シベリウスなど、この地を踏んだ音楽家は意外なほど多いです。

ショパンは晩年、スコットランドに滞在したといいますが、永遠と続く、雄大な景色を見て、孤独をかみしめたショパンの気持ちがすごく理解出来ます。

又、現在では、ロンドンを本拠とする一流管弦楽団は世界で最も多く、世界でも有数の音楽都市といえるでしょう。

しかし、今回の旅は、初日から、トラブル続きで大変でした。普段なら、私の家から、40分ほどで行けてしまう中部国際空港ですが、出発日がよりにもよって、大型台風の影響で、朝6時34分発のミュースカイが常滑までしか行かず・・・・。そこで、足止めをくらい、実際に空港に着いたのが、11時頃。5時間もかかって、空港に到着。10時30分発のフィンエアーが、14時50分発に遅延して、その日は、ランカスターまで、行けるはずが、ヘルシンキで、泊ることに。
翌日、ヘルシンキから、ロンドンのヒースロー空港まで、飛び、そこから又、乗り換えて、マンチェスターへ。
マンチェスターから、スコットランドのエジンバラにバスで、5、6時間かけてやっとエジンバラ到着。2日間の間は、飛行機とバスばっかりでした。
又、ヘルシンキとロンドンの間には、2時間の時差があるので、到着するたびに、時計の針を変え、日本時間から、ヘルシンキの時間、そしてロンドンの時間と、変わり、何ともややこしい・・・・・。

又、マンチェスターに到着するなり、同じ飛行機に乗った方9名の荷物が出てこないロストバゲージに遭い、これまた、大騒ぎに。

ロンドンのヒースローはとにかく世界でも一番大きな空港なので、よく荷物がなくなるということは、聞いていましたが・・・。
私のウイーン留学時代の友人が、モスクワのアエロフロートに乗った時に、やはり、スーツケースの中身を盗まれたとか、スーツケースの事故は色々聞きますね。なので、念には念を入れて、チェックするようにしていますが、ロストバゲージは防ぎようがありません。

入国審査がうるさい、チェックが厳しく、広すぎてわかりづらい、など、悪名高きヒースロー空港と呼ばれていますが、私も、手荷物検査で、ひっかかり、
それも、私自身が!!。靴は脱がされるは、身体のすみずみまで、触られるわ、ちょっと失礼しちゃいましたね!!何も、悪いものなんて持っていないのに。
テロがあって以来、大変に厳しいチェックをするようですね。フランクフルトもパリのシャルルドゴール空港も広くて、チェックが厳しかったですが、ここまで、厳しいのは、ヒースローが初めてでした。

その点、ヘルシンキの空港は、こじんまりとしてて、とても狭くわかりやすいですね。以前、ポーランドのワルシャワへ行った時、ヘルシンキで、乗り継ぎましたが、それ以来、お気に入りの空港です。

今回、リヴァプールの大聖堂も行きましたが、世界最大というだけあって、ものすごく大きく、こんなところでピアノの音を出せば、どんな人でも柔らかいフワフワの天使の音が出るだろうなあと、想像出来ました。

←丘の上にそびえたつスコットランドのエジンバラ城。メンデルスゾーンは、ここを訪れて、交響曲第3番のスコットランドの楽想を得たといいます。
とにかく、寒く、気温は9度。私はダウンジャケットにマフラーしています。蒸し暑い名古屋じゃ考えられません!!


次回へ続く


平成25年9月12日(木)どうすれば歌えるか、の答えはない、年月をかけることでしか身につかない

ピアノを習い始めて、一番多い質問が、「どうすれば、歌えるようになりますか」という質問。又、「どうすれば、綺麗な音が出ますか?」そして、「何回弾いてもまちがえるのですが、どうすればきちんと弾けるようになるでしょうか?」という質問。

「初めての曲を譜読みして、曲想を作るにはどうすればよいか、又、いつになれば、曲想が自分の力でつくれるようになりますか?」という質問。

この手の質問は、すごく難しいですね。なぜなら、一応、答えを言っても、「ふんふん、わかった、じゃあ、今日からわかった!!」なんていう単純なものではないからです。

その点では、言葉をマスターするのと同じかなと思えます。日本人に生まれた人なら、日本語は、どうすれば、話せるようになるでしょうか?などと聞く人はいないと思います。

ましてや、小学1,2年生の子に向かって、大人と同じように、流暢にペラペラとよどみなく話さなければいけません、などと教育する人もいません。

いつも、日本語に囲まれて、毎日話していれば、誰でも話せるようになります。いい音楽を常に耳にし、その音楽に近づけるよう、毎日努力していれば、知らない間に、歌うということも、綺麗な音も、間違えるという問題も、なくなりますね。

そして、曲想が自分で作れるようになるには、かなりの、曲数をこなさなければいけません。コンクールや演奏会などで、何か1曲だけ、綺麗に仕上げたとしても、又、新しい曲になれば、又、どうしてよいかわからない、応用が効かない、となります。

歌えるようになるには、オーケストラをよく聞くとよい、あるいは、上手な歌手の演奏を聴くのが良いとよく言われます。しかし、1、2回聴いただけでは、もちろん、わかるはずもありません。そういう生活を10年ないしは、20年続けて、何となく、こんな感じ・・・・というのが、わかるようになるものなのです。

しかし、それだって、算数の計算みたいに、答えがはっきり決まっているわけではないので、常に曖昧模糊としているものです。

英語などの、外国語を母国語でない、私達がペラペラと流暢に話せているという実感はどんなに勉強しても、恐らくいつまでたっても来ないと思います。なぜなら、英語を話す人が周りにいて常にしゃべるという環境に置かれていないからです。

しかし、必要に迫られ、何年も英語を話さなければならない生活が身についた時に初めて、それが、話せるようになった、ということになるのと同じように、ピアノも、気が遠くなるほど、長年かかって、音楽の節回し、がようやく身につく気がしますね。

昨日も書いた、幻想即興曲の出だしのハーモニーの緊張感とは、何とやら、という感じでいた私も、知らず知らずのうちに、身に付きましたね。
理解出来ないという悩みを忘れたころ、理解出来るようになっているのが不思議な世界ですね。

きっと、日本語がぺらぺらしゃべれるようになったなあ、というのと同じくらいのペースで、物事はゆっくりゆっくり、しゃべれるようになっていくものなのですね。

私は、物事の成就は、体験の量、練習した膨大な曲数、ピアノならピアノでそのものに関わり合った、長い時間、年月で、決まると思っています。
一生懸命毎日ピアノに触れていることで、自然に言葉と同じように何年か後には、理解出来るようになるものなのです。


平成25年9月11日(水)心の内面を教えるのはとても難しい

ピアノを弾く皆さんが、自分で出来る勉強法の一つとして、自分の演奏を録音して客観的に聴く勉強は常にすると思います。それと同じような事で、私も自分の演奏研究の他に、生徒達を教えている指導法も自分で研究するために、生徒達のレッスンの様子を時々録画して勉強します。

昨日も、中学2年生の男子生徒のレッスンを録画させてもらい、後で振り返って見てみました。

その中で、しょっちゅう私が、使っている言葉がいくつかありました。

歌が入っていない、心からきていない、深みがない、音を聴き続ける、1つ1つ身体でテンポを取るのでなく、1フレーズを歌いきるまで、気持ちを保ち続ける、真に迫った演奏、顔の表情などでした。

これは、全部、心の内面の事柄を表わす言葉です。彼にだけでなく、ほとんどの生徒にこの手の注意をするのですが、一番こういう事柄が、指導しにくく、
又、相手にも伝わりにくく、どうすれば、生徒自身が、理解出来るかなあと常に、伝え方を研究しています。

私が小学4年生の時、ショパンの幻想即興曲を発表会で弾いた時の事です。始めの出だし、ソーからドーに来るまで、気持ちを保って、と何回も注意されるのですが、その意味が当時の私には、どうしてもわからなかったのです。自分では、ありったけの気持ちを込めて、ソーからドーまで、気をゆるめないで、一生懸命弾いているつもりでした。何回弾いても、「違う!!違う!!」「何で、わからないの!!」

段々と怒りの声がエスカレートしてきて、私も、一生懸命やっているのに、と、こちらも反抗心がムラムラ湧いてきて、お互いケンカみたいになってしまった日の事を懐かしく思いだします。家に帰ってから、泣き叫んで、親に訴え・・・・。子供が理解できない時に、大人が必死になって怒っても、子供の気持ちを傷つけるだけなのですね。

当時の私のレッスンを見ていた、他の生徒のお母様が、かなり後になってその様子を話して下さいました。
「小学4年生の子にそこまで、要求しなくても・・・・・・ドミナントからトニカにいく気持ちが違う、違うってそんなことどうだっていいじゃないのねえ!とつくづく思ったわよ」と大笑いされ、その初めの出だしだけで、私の母も、先生も、鬼みたいになって、深刻になって・・・・(笑)ちょっと笑えます。

しかし、何で、あんな簡単な事がその当時は、理解できなかったのでしょうか。そして、先生がイライラされるのも当然だ、私がなかなか理解しなかったのだから、と今では、何とも先生に対して、申し訳なく、そして、情けなく思うばかりなのですが・・・。

ただ、先生としては、幼い私にとても期待して下さり、小学4年生という年齢を考えずに、必死になって下さったんだなあと、嬉しく思い、又感謝もしているのですが、自分が先生になってからは、やはり、必死になるだけでなく、一番に生徒の身になって考える、ということを、念頭に置くようにしています。

昨日の彼を教えている自分を客観視して、自分の幼い頃がオーバーラップしてきました。恐らく、彼も、その年齢で、理解出来る精一杯の気持ちを入れて弾いてくれていると思うし、一生懸命私の注意に応えようと歩み寄ってくれるのがよくわかります。

いつも、盛り上がりが足りないけど、先週より、随分盛り上がって弾けるようになったら、その点を見逃さず、素早く誉めて、「よく努力したね」と頭をなでたり
して、相手の努力をまず、一番に受け止めるようにしています。

顔の表情についても、これも、小さい時から、私自身、かなり、うるさく先生から注意されたことの一つです。

「心から歌うと、眉間にしわが寄る、眉毛が上に伸びたり、休符を感じて、眉毛がパッと上がったり、暗い表情は、眉をひそめたり・・・・」
もちろん、顔の表情と共に音色も変化していなければ駄目です。音色が変われば、自然と顔の表情も変わるはず・・・・。

ベートーヴェンの悲愴を弾いているのですが、彼の顔つきが優しくて、今一つ、運命に向かって闘う、とか、厳しい、とか辛いとか、「不屈の人、ベートーヴェン」といった、表情が読み取れず、顔の表情についても何度か、やってもらいました。

ピアノ演奏を教えるという事は、何か、俳優養成所みたいだなあ、とつくづく思ったり・・・・(笑)

しかし、昨日、随分、彼なりに、努力の跡が見られ、演奏にだいぶ盛り上がりが出てきて、すごく嬉しかったです。

こちらの気持ちばかりが、先行してしまわないように、どの子にもその年齢で、理解出来る範囲をよく見極めて、歩み寄りの精神がレッスンでは必要不可欠だなあと、感じたような事でした。


平成25年9月6日(金)うわべだけの音楽はよくない

やっと、猛暑も終わり、少しずつ秋の訪れを感じます。私は、今、秋、冬に向けて依頼された、弾かなくてはいけない楽譜が、ドサーッと送られてきて、猛練習の毎日を送っています。
夢の中にまで、バッハのイタリアコンチェルトが出てきて、いざ、本番!!というのに、ステージ用のドレスはない、何にも用意出来ていない、だけど、本番の時間が過ぎている・・・・・わあ、どうしよう!!という所で、目が覚めて、全身汗だく。しかし、こういう夢をしょっちゅう見ます。完全に職業病のトラウマですね。(笑)

さて、生徒達も、今、ほとんどの子が新しい曲を譜読みしている最中ですが、もう研究し始めている子もいるようです。数人のCDを沢山聴いたりして、
研究するのはとても良い事ですね。他人の演奏を聴くと、自分の演奏も客観的にとらえられるようになります。上手い人の演奏をまねすることは、一番大事なことです。しかし、その時に最も大事な事があるのですが、表面だけ聴いてまねをしない、ということです。

遅い感じになっているとか、早くなっているとか、クレッシェンドしている、dim.しているなどの、音楽的なものは、その人の本当の心から出ていれば、聴いていておかしくないのですが、CDを聴いて、あっ、ここは速くしてる、ここはゆっくりしてる、とか、そうやって単純に聴いてそこだけまねしてしまうと、まねだということがすぐばれてしまうのです。
要するに、うわべだけの、音楽になってしまってはいけません。

その人の心から出ている音楽ならば、テンポが多少ゆっくりでも、早くても、違和感を感じませんが、まねをしたテンポというのも、すぐばれます。

よく私は、生徒達に、早いところにくると、途端に歌がなくなって、一直線になってしまうと、「あっ、高速道路!!」と注意します。

高速道路は、周りの景色も何も見えず、切れ目なし、で、一直線に進むからです。どんなに、早くても、高速道路になってしまってはいけません。

逆に、ゆっくりの部分が出てきて、なかなか、前に進んで行かない時、「牛、牛になってる」と注意します。

私も、小さいころ、よく、先生から注意されました。湯山昭さんのゴーカート、みたいな曲がどうも、自分に不似合いだったようで、
「ブタの行進、ブタの行進!!」て笑われましたね(笑)

小学1,2年くらいだと、まだ、手の筋肉がフニャフニャして、音をシャッといさぎよく切る、音のキレがまだ、やりにくいのですね。

今幼い生徒達を見ていれば、よくわかるので、大きくなれば自然に出来る事なので、そんなに焦ることなかったと今になれば、思うのですが、それでも、先生も親も何か鬼みたいに真剣になってやっきとなっていましたね。

しかし、この、ゴーカート、アメリカで、演奏させて頂いたんですけど、すごく皆に喜んで頂いて、幼い私は、「ブタの行進、ってさんざん笑われたけど、アメリカ人の人は、こんなに喜んでくれるんだなあ!!」と感動。

だから、今、私が子供達を教える時は、その子に似合わない事をさせないで、その子が、今、理解できることをやらせる、というのがとても大切だと感じています。

年齢によって、理解出来る事はそれぞれ、違い、理解できないものを弾いても、ただ単に弾いた、うわべだけの音楽になるのは、不自然と考えるからです。


平成25年9月3日(火)心ある演奏

新学期が始まりましたね。私の生徒達も、皆それぞれにいい夏休みだったようです。
中学1年生の子は、ユニヴァーサルスタジオにお友達と行った、絶叫系の乗り物が大好きで、ジェットコースターには全部乗った、先生は好きですか?と質門されたので、
「先生は臆病だから、そんな絶叫系の乗り物は全くだめなの、○○ちゃんは勇気があるのね、いいなあ!!」とお話したような事でした。
私が、高校2年生の時。友人が、スペースマウンテンに乗ろうというのに、私が乗らないというので、その友人は何と!1人ぼっちで乗って私は下で待っていた、という、後々まで語り継がれている笑い話があるのですが。(笑)

私の友人には、絶叫系が大好きという子が多いんですけど、なぜか、生徒にも好きだという子が多いなあ・・・・。私だけかな、駄目なのは・・・・・。(笑)
私が、学生の時、友人に「ピアノをステージで弾くのと、そういう絶叫系乗り物に乗るのとでは、どちらが、恐い?」と尋ねると、「そんなの決まってるじゃない、ピアノを人前で弾く方が恐いに決まってる!!ステージに立った途端に、足がブルブルしてすくむもん、ジェットコースターなら、乗ってる間、私なんか、眠ってる!」
人それぞれ、恐怖の対象は違うものだなあ!!

さて、先日、中学1年生の子がショパンの幻想即興曲を素晴らしい演奏で聴かせてくれました。その前の週のレッスンの時、良く弾いては、いるのだけど、
音楽にいまひとつ、物足りなさがあり、音楽はただきちんと弾くだけではなくて、音楽で何を伝えたいのかが重要だということを、アドヴァイスしたようなことでした。

彼女いわく、「先生が私のために、息まで切らして教えて下さっていると思うと、泣けてきた・・・・・」

私の思いはしっかり彼女に伝わり、以前とは比べ物にならないほど、別人のような演奏になって聴かせてくれました。最後の部分なんて、すごく盛り上がって、私こそ、感動して号泣しそうでした。

生徒達を教えていて、すごく嬉しいのは、こんな時です。彼女みたいに、しっかり、私の熱い思いを受け止めて、別人のように演奏が変わる時は、本当に嬉しいですけど、もちろん、生徒達全てに上手くいくことばかりではありません。私が、何回同じ事を言っても、なかなか変わらない場合ももちろんあります。

しかし、あきらめませんよ。
その場合は、どうすれば、私の気持ちが、この子の気持ちに届くのだろうか・・・・と私自身が、まず、考えます。

演奏に、生命を吹き込む、火をつける、ことが大切と常に、生徒達には、言いますが、どうしても、演奏が、何か、シラーっとなってしまって、熱がこもらない演奏をする子の場合、口で言うだけではだめなので、背中を押したり、肩をたたいたり、指先にどういう風に熱がこもっていくのか、血液の流れが腕から、手のひらに向かって行き、そのときの呼吸は・・・などなど、いろんなアプローチをしていきます。本当は、気持から、きてほしいのだけど、どうしても、気持ちが入らない子には、肉体から、感じとってもらうしかないと、思っています。

握手一つとってみても、軽くささっと、すませるものであったり、すごく、ギューッと強く握り返すものであったり、気持ちの強さは、ちゃんと、言葉でなくても、
表す事が出来ます。

私の「心」がその子に届けば、必ず「心」ある演奏をしてくれるようになります。