平成25年8月29日(木)譜読みのときにすでに、曲想つくって

新しい曲を譜読みしていくときに大事なことを書いていきます。ゆっくり、ていねいに、音をみていくのはもちろんですが、その際に、音だけでなく、どんな指使いにするか、又、強弱、ニュアンス、曲想もつけながら、譜読みすることが大事です。

ピアノの練習は、1回1回が真剣に行わないといけません。変な習慣のまま、平気で、弾いていったりすると、なかなか、その悪い習慣を直すのは直しにくいからです。音を弾いてから、曲想を、というのは一番良くない方法ですね。まず、曲想が先にあって、ピアノで、音にしていくのが大事です。
曲想を考えないまま、音だけ弾いていると、非常に悪い習慣が身についてしまいます。

よくレッスンで、とにかく、ゴチャゴチャゴチャっと速く弾きたがる子がいます。そこ、ゆっくりていねいにひいてごらん、何の指で弾いている?と聞くと、?顔で、ゆっくり弾けない。

それは弾きにくい場所を指使い、音、共に、誤魔化したまま、練習している証拠で、まず、そういう所を徹底的に、何度も、自分の頭ですっきり整理出来るように、練習して、1回目よりは、2回目、2回目よりは3回目というように、絶対に、誤魔化さないで、きちんと弾くことを目標に、根気強く取り組むことです。

仕上げの段階では、もちろん、きちんと、整って弾いた、だけでは駄目で、今度は、自由に今まで、やってきたことを抜け出して、あたかも今、音楽が生み出された、生きた、呼吸の通った音楽でなくてはなりません。

ピアノの練習は習慣にならなくてはいけないけれど、音楽は、習慣になってしまってはいけない、のが難しいところですね。

技術の練習を繰り返していくうちに、そこばかり気になって、本来、最終目的であるはずの音楽を聴かせる、というよりは、弾きにくいところを、一生懸命練習した、自分の技術の発表、みたいな場になってしまっては、本末転倒になってしまいます。

そういえば、今日、私のマンションの近くにセブンイレブンが出来ました。本当に近く、目と鼻の先ですよ。レッスンに訪れた生徒さんも便利ですね。


平成25年8月27日(火)後期のレッスン開始

今日から、明和高校のレッスンが始まりました。

電車に乗ると、学生さん達は、皆、スマホに夢中になっているみたいですね。私は、スマホも持たないので、又、時代遅れ〜と笑われそう。

まあ、それはいいとして、最近、私の所に下さるメールが、届かなかったり、私のメールが相手に届かなかったり、色んな不都合が起きています。

私は、普段、頂いたメールには、素早く、迅速に、お返事を返信するように心がけています。私がいない場合は、すぐに、家族のものから、返信出来るようにするなど、仕事の件は勿論の事、生徒達がかけこめる救急車みたいにいつでも対応できるように、しています。が、時々、私からの返信メールが届いていないということがあるようなので、何日もたって、私からの返事がない場合は、お尋ね下さいね。


平成25年8月22日(木)確信出来れば、強く歩める道

今日で、PTNA決勝大会が全て終わりました。

私も、生徒達がこの夏も一生懸命頑張ってくれたおかげで、9回目の指導者賞を受賞させて頂きました。

皆様に、感謝すると共に、又、今後も生徒たちと共に、勉強し、私自身のピアノ演奏もさらに磨いて、日々、精進していきたいと思っています。

さて、PTNAのようなレヴェルの高いコンクールで、賞を頂いたとしても、全ての方々がピアノの道を目指しているわけではありません。

実際にピアノを続けていくという事は、口で言うのは簡単ですが、なかなか難しい道なのだなあと、周りを見渡していて、改めてそう感じます。

私自身は、なぜか、もう、3、4歳の頃、自分は、ピアノの道でやっていく、という強い信念がすでにありましたし、私の生徒の1部分の子も強くそう確信している子が何人かはいます。

やはり、自分で、確信出来ると、その道に嫌でも運命的に引っ張られていくような感じで、歩み続けられます。

芸事の世界は、最後は、誰に認められるかという事よりも、自分で、自分の才能を信じる事が出来るか、全てはそこにかかっている気がします。

そう強く夢を持っている生徒達の、お手伝いが出来る事は、私にとって、一番の喜びです。


平成25年8月21日(水)ムーシケコンクールアドヴァイスレッスン

今日は、9月1日のムーシケコンクール本選に向けて、頑張っている生徒さん達のレッスンをさせて頂くために、朝早くから、四日市の第一楽器、ムーシケホールへ。

四日市はやはり、私の大切な、生まれ故郷ですので、地元のピアノを頑張っている生徒さん達のお役に立てることは、本当に嬉しいです。

以前、ムーシケコンクールの審査をさせて頂いたとき、とてもレヴェルが高くて、素晴らしいと感じましたが、今回の生徒さん達も、皆、とてもよく弾かれていました。

それに何と言っても、こんな素晴らしい響きのホールで、レッスンさせて頂けるのは、とても幸せですね。毎回、こういう所で、レッスン出来ると、生徒達の耳が、さぞ、敏感になるだろうなと思います。

今日は、主に、音色のニュアンスについて、アドヴァイスさせて頂きました。残響のないところで、音と音の間のニュアンスを聴くのは、とらえにくいと思いますが、こういうホールなら、音と音の間に歌を織り込んでいく、音と音の間にあるニュアンスを一つ一つ敏感に感じ取ることは、理解しやすいと思われます。

音を切るスタッカート一つとっても、単純にパッと、切ってしまう子が多いのですが、切った後、その次の音にいくまでどのように、音が変化するかなどについても、研究する事が大切です。

今、すぐにわからなくても、一つ一つ体験した事は、その子の身体に、脳に、神経に、蓄積されていきます。

親御さん達は、とにかく、今すぐに、わからなくてはならない!!と焦りますが、焦りは禁物です。「慌てる乞食はもらいが少ない」のことわざ通り、焦る人に限って、上達しにくいものです。

時間をとにかく、かけて、その子のペースに合わせてゆっくり、が大切。

出来なければ、何回でも、繰り返し言ってきかせるだけで良いのです。そのうちに、本人の胸に響く時が、必ず訪れます。それは、5年後かもしれないし、あるいは、10年後、いえ、もっと先かもしれませんけれど、そういう、スタンスで、ピアノ演奏は、上達していくのです。


平成25年8月16日(金)曲選び

少しずつ、来年度12回目の門下生コンサートの曲目が決まってきました。

私は、いつも、曲選びも勉強のうちの一つなので、出来るだけ、生徒本人に自由に選ばせるようにしています。あまりにも、その子のレベルに合っていない場合は、もう1度、よく考えるように、アドヴァイスするようにしていますが、大体において、自分のレヴェルよりも、かなり、難しい曲を弾きたがる傾向にありますね。

本番で、上がらず、綺麗に感動的な演奏をするには、自分のレヴェルより、ちょっと簡単だな・・・・くらいに思えて、初めて感動的な演奏が可能になります。

技術的に難しいところが多すぎると、そればかり、気になって、音楽を美しく・・・どころではなくなってしまうからです。

良くない選び方は、CDなり、ユーチューブなり、どこかで聴いたメロデイだけを聞き覚えがあって、これにする!!と即座に決めてしまうような選び方です。

上手な選び方は、まず、気にいった曲が見つかったら、まず、楽譜を用意して、初見で、一度自分の手で、ザッと弾いてみてから、決めるのが賢い選び方です。

その時に、まだ、手が小さくて弾きにくいところがあったり、ちょっと、譜読みに苦労する人は、調号が多すぎたりすると、譜読みにすごく時間がとられてしまい、大変苦労します。また、その時点では、充分なテクニックで、弾けないという事が、おおよそ、検討がつくと上手に選べます。

その人の手に充分合っていて、音楽的にも、技術的にも、完成度が高く、心のこもった演奏は、どんなに簡単な曲でも、美しい芸術的な演奏に仕上がるので、聴いて下さったお客様達を感動の渦に巻き込みます。

逆に、弾きにくいものを無理して弾いて、あっちもこっちもはずしまみれ、暗譜は不確か・・・何回も弾き直ししたりするような演奏では、どんな難曲でも、しらけてしまい、すごいなあとは思えません。

私は、生徒たち全員に、美しい、芸術的な演奏とはどのような事をいうのかが、よく理解出来るようになってくれる事をいつも願っています。
将来、音楽家になろうと思う人は勿論の事、専門家には、ならない人、趣味で、ピアノを習っている人たちも、ステージで、演奏して、人にお聞かせするということは、すごく重大な責任を負っているということをいつも忘れないで、1つ1つのステージに出演してほしいと思っています。

初見が苦手で、ザッと見るのは出来ない、どういう仕上がりになるかがわからない人には、私が、決めるようにしています。今の所、皆さん、レヴェルに合ったものを上手に選んできていますね。


平成25年8月13日(火)ミッドランドスクエア音楽祭













私の生徒で、現在、明和高校音楽科2年生の鈴木真琴さんが、
9月21日(土)
ミッドランドスクエア音楽祭に出演します。

ソロで、シューマン=リスト「献呈」、そして、明和高校音楽科同級生の方と連弾もします。(ブラームスのハンガリー舞曲、1番、5番)

興味のある方は、是非聴きに行ってあげて下さい。無料です。

今日、真琴さんがチラシを持ってきてくれました。右の方を見て懐かしい顔を見てびっくり。

天野あさ子さんも、明和高校で教えた、私の教え子です。

私が教えた子たちが、あちこちで活躍してくれるのを見るのは、本当に幸せです。


平成25年8月12日(月)PTNAの審査を終えて

先週末はPTNAの審査で、豊中のゆやホールへ。とにかく暑かったです。大阪は何回も来ているのに、駅が、非常にわかりにくいです。

新大阪と大阪ってどうちがうのかな、大阪と梅田は又違う場所にあるのかな?阪急宝塚線は又、梅田とは離れていてかなり歩くのですが、
何回来ても??状態の私。外国人の人が観光に来たら難しいだろうなあなんて考えながら・・・・。

今回、初めて、デュオの審査をさせて頂いたのですが、レヴェルの高いのにびっくり。皆さん、素晴らしくて、2日間、感動しながら聴かせて頂きました。

私が留守の間、生徒達も頑張ってくれていました。D級中学1年生優秀賞、あしながおじさん賞、D級中学2年生優秀賞、そして、B級小学3年生優秀賞、B級小学4年生優秀賞と本選も皆さん、よく頑張りました。おめでとうございます。そして、長い間お疲れさまでした!又、1つ成長して、心に残る体験が出来ましたね。

PTNAが終わっても、まだ、秋にコンクールを受ける人、そして、あしながコンサートに出演する人、音楽高校受験生の入試、それから、門下生全員が出演する、楽しい門下生コンサート・・・・・次から次へとピアノに関わっていると、あっという間に時が過ぎますね。忙しいけれど、私にとっては、可愛い生徒達と共に過ごす時間はとても楽しく、幸せです。

門下生コンサートの曲もだいぶ皆さん決まってきました。年齢が上がってくると、色んな曲が弾けるようになり、来年の門下生コンサートも大曲ぞろい、名曲ぞろいで、とてもおもしろくなりそう!!皆さん、ご期待下さい!!


平成25年8月8日(木)魂の叫び、音楽に変えて

TNAの本選も終わりに近づいてきました。今日は、E級を受けに行った、中学2年生が奨励賞、中学1年生が優秀賞と喜びの報告がありました。

高い級になってからの賞は、弾きこなすだけでも大変なので、本当によく頑張ったと言ってあげたいです。

どの生徒も1人1人結果が良くても悪くても皆、子供自身がきちんと報告をしてくれます。私は、電話の向こうで言葉には出来ない1人1人の生徒の心情が痛いほどよく伝わってきます。

私は、生徒たちに、ここで、どう、踏ん張れるかで、その先の人生が変わってくるんだよ、ということを声を大にして言いたいです。

生きていると、必ず、届かぬ想い、叶わぬ願いというものにぶち当たります。それはすごく切ないものです。声をあらん限りにして叫んでも、情熱を持って心に思ってみても、どんなに願っても思いは決して届かないということがあるというのは、誰でも経験があると思います。

主に、人間関係、そして、思い通りにならない人生のあらゆる場面でそういった切ない思いに胸がもぎとられそうに苦しむことは多いです。私自身もそういった経験はものすごく多く、私が皆さんにそういう時にどう対処すればよいか、をアドヴァイス出来るとすれば、「努力することを止めない、あきらめない」に限ると思います。だから、私は悩めば、悩むほど、ピアノを練習します。悩んだら、ピアノを弾け!!これに尽きます。

結果が良くて、その勢いで、その先も気分よく努力出来るということなら、どんな人間だってやれることです。しかし、結果が悪くても、その先を踏ん張ってあきらめず、努力を続けられる人は、そうそういるものではありません。そうそういる人間ではない事を目指せば、絶対に特別な人間になれます。

2回目駄目なら、3回目挑戦する、3回目駄目なら、4回目、何回でも挑戦して、ずっと駄目でも挑戦していく間に必ず、上手くなっていきます。

そして、何回でも思い通りにならない切ない想いを嫌というほど知ると、そこではじめて、音楽の心がわかってくるのです。

人生が思い通りにいかない、それを魂の叫びに変えているのが音楽、歌の心だということがわかってくると、作曲家の心が自分の心と同じように寄り添えるようになります。

私が体験した、小さいころからの数々の苦しみは、現在、音楽というものに形を変えています。生徒たちにも、一つ一つ人生の痛みを経験して音楽の心を知っていってもらいたいです。

そして、どんなに上手くいかない時でも前向きに努力をし続けることで、必ず、道が開けていくことを体験者として、生徒達に言っておきたいと思います。


平成25年8月6日(火)音に幅を持たせる

私が、いつもレッスンで生徒たちにアドヴァイスする、「音に幅を持たせる」ということについて、書いてみようと思います。

よく、私達は、ああ、あの人は、人間的に幅のある人だ、とか、言ったりします。一つのことを語るのに、次から次へとそれに伴った、話題や背景が出てきて、物事を1つの面からだけでなく、多方面から見る事の出来る、文字通り、幅広い、器の大きい人間の事です。

音も、それと同じで、自分の知っている範囲の「音」だけではだめなのです。いつも弾いている自分の音、同じ楽器で、しかもピアノの音でしか、イメージ出来ない、となれば、当然、単調な音しか出ません。オーケストラの楽器ならどんな音、とか、時代に合った音づくりというものもありますし、この音楽の時代背景にある雰囲気とか、センスみたいなものもあります。

又、心が豊かになるような本を読んだり、絵を見たり、詩を読むだけでも、随分と心の世界は広がります。

私は、活字中毒で、本が大好き人間ですが、随分前に、久石譲さんの書かれた、「感動をつくれますか」という本を読みましたけど、すごく共感した部分がありました。

久石さんがオケを指揮するときに、「どうして日本人がやるとこうなるのかなあ」と思う事があるということです。中国や、韓国のオケとやると、大らかで、実に大陸的なのびやかな音を出すといいます。

日本のオケが演奏するとピッタリと合って上手いのだけれど、どこか、こじんまりとして、そつのない感じになってしまうと言います。この「そつのなさ」は一体何なのか。おもしろくない。私もよく考えます。

初めは、すごく、皆ぴったりと合うのだけど、その先の伸びがないと。ある海外からの指揮者がスタート地点では、バッチリなので、「すばらしい」とほめていたが、帰るときには、もう2度と日本には来たくない、と怒って帰っていったといいます。その先にある、音楽で何を伝えたいのかがよくわからない演奏になってしまうのでしょうね。

日本人的な演奏とは、一言でいうと、「そつのない感じ」に尽きると思います。うまさというより、音楽で何を一体伝えたいのか?ここの部分をいつも考えていないと、いくら、コンクールで、沢山賞を取っていても、将来伸びなくなっていきます。


まず、音に幅を持たせるには、音に広がりが生まれなくてはなりません。よく、脇や上腕を身体にぴったりくっつけて弾いてしまう人がいますが、これでは、絶対に、広がりは生まれません。まず、腕は、大空を飛ぶ鳥の羽みたいに、自由に広がって、羽ばたけるようにいつでも、伸びやかでなくてはならないのです。

私が、若いころ、大人の生徒さんに、そのことをアドヴァイスした時に、

「そんなこと言ったってね、先生、腕を身体から離したり、手を鍵盤から離したりすると、もうこわくて、次の音が何の音かわからくなるんですよ(笑)音を弾くだけで精いっぱいなんだから」

と言われ、そうかと納得しました。結局伸びやかで、大らかな音楽、固くない音楽がつくれるという事は、技術的にも、音楽的にも、余裕のゆとりがあってこそ、生み出せる事なんだなあと思ったような事でした。


平成25年8月4日(日)PTNA C級5年生 全国決勝大会へ

今日は、PTNAのC級を受けに行った小学5年生から、全国決勝大会に出場すると喜びの電話がありました。

彼女は、他に、名古屋支部特別賞、あしながおじさん賞を受賞しました。本当におめでとうございます!!

PTNAの本選も、もうあとわずかとなってきましたが、まだ、受ける人は、精一杯最後まで悔いのないよう最善を尽くして下さい。