平成25年6月29日(土)B級小学4年生PTNA予選通過
今日は、E級の中学2年生が名古屋支部賞、B級小学4年生が優秀賞で予選通過と報告がありました。
私は、どの生徒も、賞に入っても、入らなくても、みんな可愛くて、電話がかかってくると、「良く頑張ったね」とギュウッと抱きしめてあげたい気持ちになります。
通過出来た子は、もちろん嬉しいし、すごく頑張ったけど、残念ながら、通過出来なかった子は、もっともっとその子に愛情をかけて励ましてあげたい気持ちで一杯です。
生徒が、何か困っていたり、悩んでいたりしたら、一番に、そばにいてあげたいと思うし、生徒が泣けば私も泣く、生徒が笑えば、私も笑うというように、どの生徒も可愛くて可愛くてたまりません。
それは、ピアノの道がいかに厳しいかが私自身よくわかるからともいえます。泣いている子がいたらすぐ助けてあげないと、それくらい、ピアノの道は、険しく厳しいということがわかるのです。傍らに、親以外の精神面で支える人がいないと続いていかないからです。特に年齢が上がっていくと、音楽面のことだけで、支えるのではなく、精神面を支えていく事が、すごく、重要になってきます。
いつでも私は、生徒の最大の味方です。だから、安心して、これから受ける子も、のびのび弾いてほしいです。
平成25年6月24日(月)B級小学4年生、C級小学5年生PTNA予選通過
週末からPTNA審査のため、九州の大分へ。
大分県は、荒城の月を書いた、滝廉太郎が大分県の竹田というところの出身です。又、園田高弘コンクールなども開催されたり、別府では、アルゲリッチ国際音楽祭などが有名ですね。
音の泉ホールは素晴らしい響き。こんないいところで、弾かせて頂ける参加者の方々は幸せですね。皆さんの演奏も素晴らしく感動しました。
私が一生懸命、講評用紙を書いている間、愛知では、私の生徒たちも、懸命に頑張ってくれていました。
B級小学4年生優秀賞、C級小学5年生優秀賞、共に予選通過、D級中学2年生奨励賞でした。皆さん、おめでとうございます!!
ちなみに、大分県は、気候は温暖、豊かな自然と、私は飲みませんが、お酒が美味しいところです、そして、何と言っても食べ物が、本当に美味しいところです。
他の審査の先生方もおっしゃっていました。大分県って本当にいいところね、何を食べても、外れがなく本当に美味しい、と・・・・・。

平成25年6月21日(金)筋肉で音を聴く
ピアノを習っている学習者の皆さんの多くは、ピアノで歌えない、そして、音楽性がない、先生から気持が入っていないといわれるけれど、どうやったら、気持ちを音に込めれるのか、などの悩みを持つ方は大変多いと思います。
先日、大学の同僚の先生と、音楽性のない子を指導する時に、何をさせるのが一番役立つかという事を話しあったんですけど、やはり、どの先生も共通の意見でした。
それは、まず、オーケストラの音楽を聴かせる、ということ。さて、ここからが、大事なのですが、もしも、オーケストラを聴いて、あなた自身が、身体じゅうに鳥肌が立ったり、みぞおちに穴があくような感覚や、クライマックスで手を握り締めるような感覚、そして、フレーズが緩んでいく時の、自分の筋肉が弛緩するような感覚にならないとしたら、それは、まだ、本当の意味で、音楽を聴いた、とは言えません。
私はこれを、「筋肉で音を聴きなさい」と生徒達にもよく説明するのですが、非常に難しいようです。又、これが理解できれば、必ず、ピアノで、歌えるようになります。
筋肉で音を聴く、という意味が体感出来ない間は、きっと、どの先生からも、そんな音じゃない、歌っていない、それも、違う、あれも違う、違う、違う、と言われ続けることになるでしょう。
例えば、アゴーギク1つとっても、「ただ単にその部分をゆっくりするのだ」という風に表面的に理解してしまう人と、アゴーギクの取り方に、もっと、深い心の陰影を汲み取って内面を理解して音楽を聴いている人とでは、音楽の聴き方が根本的に違っています。
生き生きと弾いている感じが、受け取り側によっては、ただ単に、テンポが早い、とだけ感じたり、音が、広がっている感じが、単に、大きな音にすればいいのだと受け取られたり・・・・・・・。
素晴らしい、役者さんの演技を見るのも、ものすごく、役立ちます。素晴らしい役者さんは、まつ毛を一ミリ動かしただけで、もう、その人が考えている事が見ている人にもきちんと伝わるのです。
又、笑っているから、心から喜んでいるかといえば、そうでもない時だってあるでしょう。そんな時、笑っているけど、心の中は泣いている、とか、すごく、怒っている顔で、怒鳴っているんだけど、本当は、愛情があって、その人は本当はすごく優しくて深い愛を感じた、とか。
普段は、気のきいたお世辞の一つも言えないような、無口で無愛想なお父さんが、娘を嫁がせた時に、見せた一粒の涙に、自分に対する限りない愛情を感じた、とか。
あるいは、涙ひとつとっても、悔し涙なのか、嬉し涙なのか、あるいは、別離の苦しみの涙なのかとか、ただ、感傷にひたっているだけの涙なのか、とか。
第一、涙を流しているときに、必ずしも、悲しいとは言えません。本当に人生に絶望して悲しい時は、涙なんか出ませんから、泣いているから悲しい、という事にもなりません。
音楽も長調だから楽しいとは、限りません。長調でも悲しみの心を歌っている曲は沢山あります。短調でも、楽しい気分の曲や、勇気に燃えた感じの曲もありますからね。
そう考えてみると、人間の感情は、ものすごく複雑に出来ています。同じ事を言われるにしても、Aさんから言われたら嬉しいけど、Bさんから言われると腹が立つ、とか。
だから、人を見る時も、この人は、口では、こういうけど、本当は、こうしてほしいと思っているのかなとか、すごく、繊細に敏感に感じ取らなければならないのです。
「筋肉で音を聴く」とは、人の心の陰影まで、読み取る「読心術」と同じです。人の心を読むように音を聴く時も深いところまで、感じてあげないといけないのです。
平成25年6月20日(木)聴いている人たちにメロディの美しさ届けて
今日は、「メロディの大切さ」について書きます。先日、ステージでリハーサルをした生徒たちは、以外にも自分のメロディが伸びていない、響いていないこと
に気付いたようです。
ピアノを弾く時に、メロディを響かせて、充分に歌わせる、伴奏部分は、控えて、目立たないようにする、基本中の基本ですが、これが出来ない人は、非常に多いです。従って、これが出来れば、かなりの上級者だともいえます。
一般的に、クラシック音楽が、ポピュラー音楽と違って、難しい、と感じるのは、正に、ここにあり、なのです。
クラシックは、おまけに曲も長く、メロデイをたどろうとしても、途中で、どんどん、メロデイが追えなくなってくるから、退屈だと感じる人は多く、それに比べて、ポピュラーは、メロデイがわかりやすいし、どんな人が聴いても、ああいいなあ、とメロデイの美しさに惹かれる。
だとすれば、皆が聴くのは、やはり、メロディ。音楽とは、はっきり言ってしまえば、メロディの美しさなのです。
音楽の分からない人達にも、ここが、メロデイですよ、ここがとても美しいのですよ、聴いて、聴いて、とわかりやすく、弾いてあげれば、きっと、皆、クラシックが分からないと思っている人たちも、音楽はいいものだと思えるはずです。
ピアノは、両手を使い、メロデイだけでなく、中声部から、下声部、色んな声部があって、どこを、その人が、バランス良く聴いているかによって、演奏が良くも悪くもなります。
おおむね、人は、自分が理解できることしか、聴く事が出来ないというのは、真実ですね。だから、バッハのフーガなどで、テーマの1声部だけあるところなら、聴いているけれど、それが、段々、声部が複雑になり、2声、3声、4声と複雑になるにつれ、自分の耳が、音を追えなくなってきます。
そうすると、その人の頭の中はぐちゃぐちゃで、もつれた糸みたいにからまってどこを相手に聞かせていいのか、てんでわからなくなってしまう・・・・その結果、聴いた人は、その音楽が、どういうメロデイなのかとらえきれず、やはり、音楽はわからない、となってしまうのです。
相手にいい音楽だと思ってもらうには、まず、自分がその音楽に対して、充分に熟知しており、良く理解出来ている事が、何よりも大切なのです。
相手に伝えたい事がはっきりしていれば、きちんと、相手に伝わり、受け止めてもらえます。
ピアノは、弾いている人の頭の中身が、その人の演奏を聴くと、レントゲン写真みたいに、全て、サーッと、透き通って見えてくるからすごく面白いです。
あ、今、この子は、ここを聴いているな、あるいは、何も聴いていなく、頭の中は上の空、学校で何か嫌な事があったのかしら、・・・・などなど。
言葉でなくとも、弾いている人の、心も読めてしまうのが、ピアノ演奏です。
これは、上手く伝われば、こんなに素晴らしいこともないけれど、ある意味ですごく恐ろしいと思いませんか?相手に心が全て見通されてしまうのですから。
だとすれば、演奏するということは、すごく責任重大なことだと私自身は考えています。だから、軽い気持ちでは、人前で弾けない。自分の考えが相手に全部伝わってしまうということだから、一歩間違うと、聴いた人が、音楽が好きにも嫌いにもなるということになってしまうからです。
平成25年6月18日(火)皆、刺激を受けたようで
先日の弾き合い会に参加した生徒たちがそれぞれに、感想を書いてきてくれます。皆、大変刺激になったようで、本当に良かったなあと思っています。
どの子も、やはり、いい演奏には、皆同じ思いを抱いたようです。
いい演奏とは、まず、技術面での完成度が高い。いい加減な場所がなく、音抜けや、ミスタッチがなく、弾き直したり、暗譜が不確かになったりしない事が、一番大切ですね。
そのうえで、音が輝いている事、そして、音が窒息したみたいに、どこかで、止まったりしないで、どこまでもどこまでも、伸びていく、美しい音、固くなく、そうかといって、フニャフニャの音でなく、一本、凛とした、背筋をまっすぐ伸ばしたような、粒立ちの美しい音。
大きな音で、無理やり、力むのではなくて、ボールを遠くまで、スコーンと投げるような、音の出し方を、研究した人もいました。
他の人にして下さっている先生の注意を私にレッスンして頂いているつもりで、受け止めました、という感想もありました。他の人にしているときの注意を無駄にせず、一瞬一瞬を大切に受け止めて、望んでくれたようで、本当に素晴らしいと思いました。
平成25年6月15日(土)弾き合い会
今日は、南文化小劇場で、生徒たちの弾き合い会。
B級、C級、D級、E級、F級、そして、明和高生の試験リハーサルと、午前、午後、皆さん、お疲れ様でした。





又、参加していなくても、わざわざ、聴きに来て下さった方もいて、嬉しかったです。皆さん勉強熱心ですね。明日、レッスンの子も沢山いるので、疲れないようにして、今日は、ゆっくり休んで下さいね。
平成25年6月14日(金)弾き合い会、明日に・・・・・
PTNA参加者、そして、明和高生の試験曲リハーサルを兼ねた弾き合い会が明日に迫りました。
朝9時半から始めますが、門下生の方で、聴きに来たい人は、是非いらして下さい。
小さい級の子も大きい級の子も、4曲通して弾いてもらおうと思っています。とにかく、何が一番長いかというと、やはり、ベートーヴェン。
実際は再現部でカットになったりしますが、音楽科受験準備の子もいますので、出来るだけ最後まで弾かせてあげたいと思っています。
子供の時は、曲も短く、あっという間に終わりますので、その子の持っている本当の実力が判断出来ませんが、大きくなれば、曲も長くなり、何分間でも持ちこたえられるだけの、力が要求されるようになります。
まず、技術的な面において。弾いていくうちに、バランスを崩し、あそこも、ここも、音を外すことのないよう、まず、一番にここをクリアしなければなりません。
コンクールというものは、まず、技術的な面で、ふるいにかけられます。
そのうえで、音楽的な面を。音の美しさはもちろんのこと、テンポが走ったり、間延びしたり、どこか、その人のものでない、アゴーギクの不自然さが目立つと、その人本来の音楽ではない、と疑われます。
よく、きちんと弾いて、ミスも全くしなかったのに、結果が出ない、という人たちは、音が悪い、もしくは、このアゴーギクの不自然さを審査する側に見抜かれているといっていいでしょう。
アゴーギクの不自然さ、テンポ感の悪い演奏は、先生に教わった通りに弾いたつもりでも、どこか、つじつまの合わない部分が出てくるのです。本人が、そのつじつまの合わない部分を頭できちんと理解出来るように、そして、実際出来るように根気強く指導していくのは、本当に至難の業です。
面白い事に、女の子の場合は比較的、何とか、教えられた事をきちんと直すという意味で、真面目な演奏が多いです。しかし、男の子の場合は、こうは、いきません。
男の子の脳と女の子の脳とでは、全く違い、性差があるということを以前本でも読みました。実際そうなので、つくづく、面白いなあと、何年たっても教えることに、興味がつきません。
男の子の場合、先生の話を聞いていない(笑)という脳の違いがあるということで、いい意味でも、悪い意味でも、先生のコピーのような演奏には、こちらが、どう頑張ってもなりません。だから、こちらは、黙ってその子のやることを見ている・・・・それで、特別に変なところだけを、大まかに指導する、といった点で、女の子に対するレッスンとは、全く違います。
男の子の場合、良く言えば、その子のテンポ感なり、歌い方なり、自分流に弾いているという事で、どこかから持って来たようなくっつけたような演奏ではないということにもなります。
又、絶対コンクールで、賞をとってやるぞ、のような力んだ演奏もないのが男の子の演奏ですね。あくまで、マイペース。これは、あちこちで審査していても、見受けられる特徴です。
では、皆さん、明日、楽しんで下さいね!!
平成25年6月11日(火)ドイツの風を運んでくれた、生徒の演奏
私の首が痛くなったおかげで(?)たまには、生徒たちに、スタインウェイで、弾いてもらうといいなあ、なんて思っています。自分以外の人が弾いてくれると、より客観的にスタインウェイの音が聴こえて楽しいです。
しかし、どの子も、やはり、重くて、コントロールしづらそうです。普段から、指1本1本に神経が行き届くように弾いていれば、本番どんなピアノに当たっても大丈夫ですよ。
「ここは、やたら、音がガンガン響いてうるさいな」とか、「音がモコモコして、全然響かないなあ」とか、感じる時は、大抵の場合、演奏者に原因があります。
上手い演奏者は、がなるようなら、控え目に弾くし、響かないようなら響くように弾くことが出来ます。
私の所で、ヤマハで、弾かせていた時は、それなりに音も伸びて、歌われていたけど、スタインウエイになったとたんに、全く、音も出なくなり、歌えなくなり、しまいには、音までわからなくなったり・・・・・。そんな状態だと、本番もそんな風になってしまう可能性が高いなあ、と感じます。
いずれにしても、ピアノに助けられて弾くのは駄目で、自分から、良い音を作り出そう、生み出そうとする、1本1本の指への神経への働きがすごく、細やかでないと、どんなピアノにも負けてしまいますね。
特に、スタインウェイは、自分がいい加減に弾いている場所や、聴いてない場所が、もろに出る、恐い楽器です。上手くコントロールしないとすごく下手くそに聴こえる楽器でもあります。
しかし、神経が隅々まで、行き届いていれば、素晴らしく、1人メンデルスゾーンを弾いている子が、何とも、ドイツの深い森を思わせるような、哲学的な詩情豊かな演奏を聴かせてくれた時は、スタインウエイで聴くと、深みがあって、音色に味わいがあり、感動しました。
スタインウェイの本場ドイツ・ハンブルクの港から、品川のスタインウェイの工場まで船に乗って運ばれてきた私のスタインウェイですが、彼女が弾いているメンデルスゾーンにドイツの風を感じる事ができました。
どの音も、おろそかな音が一つもなく、一つ一つの音に、職人の魂が込められる・・・・そんな音をスタインウェイで、出せたのは、日頃から、彼女の音楽づくりが非常に丁寧であるということ、又、耳がとても良いからでしょう。
15日は、弾き合い会ですが、皆、級が高くなってきたので、時間が許す限り、4曲通して弾いてもらおうと思っています。従って、あまり、私がコメントする時間はないと思いますが、皆が4曲弾く間、客観的に音を聴く、響きをコントロールするとは、神経が行き届いた演奏とはどのようなものかをお友達の演奏を通して、わかっていってもらいたいと思っています。
平成25年6月9日(日)G級予選通過
早速始まった、PTNAの予選。トップバッターは、G級を受けた明和高校2年生です。無事通過して、大喜び。
彼女は、いつも、全く緊張しないで、弾き終わった後、楽しかったー、と言っています。全然緊張しないなんて、本当にすごいです。
彼女の譜読みの早さは、子供の時から、超一流ですが、それに加えて、本番に強いのが、彼女の強み。しかし、本番に強いと言っても、日頃の並々ならぬ努力がすごいわけで、だから、本番前は、もう、早く弾きたくて、嬉しくて、わくわくする、そんな子です。
思えば、6歳の頃からずっと、そんな感じだったなあ・・・・彼女と過ごした、10年の歳月はあっという間でしたが、今や、私達の仲は、空気のようになって、夫婦ではありませんけど(笑)、チンと言えばカンとなる・・・私が何を言いたいかも、彼女には、わかるし、又、彼女が何をしたいかも、私には全てわかるそんな関係です。
来週は、弾き合い会があり、これに続いて、本番を迎える子が続きます。私も審査がありますし、先輩の彼女に続いて、皆頑張ってほしいです。
平成25年6月7日(金)手ごわいスタインウェイ
昨日から、いつも生徒たちには右のヤマハを使ってもらっていましたが、左側のスタインウェイで、弾いてもらっています。
理由は、私の首が又、痛くなってきたから。生徒たちをレッスンするときは、いつも、生徒たちの方、右側を向くので、職業病ですね。やはり、土日など、8時間も右を向いて同じ姿勢でレッスンしていると、痛みが蓄積されるのですね。以前もそういう風になって以来、明和高校の子達のレッスンでは、左側で弾いてもらっていたのですが・・・・・・。
本当は、お客さんから見た側の、右側を、生徒たちに見せるのが一番良いのですが・・・・。
生徒たちは、スタインウェイが弾ける!!と大喜びですが・・・・。弾くと、重くて重くて、音がほとんど出ない・・・・。エッチラ、オッチラ音を出すのに、必死という感じで、とまどっています。
「本番、そういう重くて、自分のコントロールが効かないようなピアノに当たっても、音が響くように、タッチの研究を普段からしておくといいよ」と皆には言っていますが、スタインウェイとは、すごく手ごわい楽器なのです。
かなり、強靭なタッチの持ち主でないと、音が全く響いてくれません。だけど、コントロールすることを知っていれば、木のぬくもりのする、何とも暖かい深みのある音が出て、ビロードのような、なめらかな歌が出てきます。
本番でも第1音を弾いた時に、あ、これは、響いていない!!ということに気づくと、今までに弾いているタッチから全く変えて、タッチのコントロールをします。
自分の身体は、自分で守れ、とよく言われますけど、よくわかります。首が痛くならない前に、私が、右に座ったり、左に座ったり、色々、変えて、コントロールしていかなければいけませんね。
ピアノを私自身が何時間弾いても、どこも痛くはならないので、やはり、ピアノを弾くのはとても、いい肉体労働なんでしょうね。全身くまなく使っているということで。しかし、右なら右、とか左なら左とかに固まった姿勢が悪いようです。
ピアニストとは、身一つでやっていかなければならない大変な職業です。身体を守るのもピアニストにとって能力のうちの一つですから、痛くならない前に気をつけます。
平成25年6月4日(火)自分も他人も知らない窓が開かれる瞬間
先週くらいから、PTNAを受ける子達は、課題曲4曲を暗譜で通す、通し練習をしています。
曲の1部分だけ上手く弾けても、曲の頭から最後まで通した時に、上手く弾けなければ、何もなりません。
大体、D級で、15分、E・F級で15分〜20分通すとかかります。弾き終わって、皆に感想を聴くと、「ああー、疲れたーっ」と言います。
そうですね。しかし、これが、リサイタルとなれば、たった、前半の半分、あともう半分弾いて、やっと、前半のプログラム終了、そして、休憩をはさみ、あともう30分〜40分の間、後半で弾かなくてはなりません。
集中力、精神力、体力は勿論の事、何分でも弾き続けられる持久力が、大人になればなるほど、大切になってきます。
私も、毎日、この持久力の練習を必ずします。今日、上手く弾けても、明日は、明日で、集中力が欠けると、上手くいかないのですが、どんなに上手くいかなくても、何かの事故が起きた場合、こういう風に、解決しよう、と解決策も充分考えて練習します。
本番前、生徒たちによくアドバイスするのが、「避難訓練の大切さ」です。地震が来た時は、机の下にもぐる、とか、津波が来たら、どこに逃げるとか、日頃から常に、最悪の事態を考えて行動する、というように。
そうやって、毎日、通し練習を行うと、それが、習慣になってきて、どんなに、人前で緊張しても、冷静になれるのです。
私は、自分が練習する時に、どうすれば、冷静になれるのかを常に考えて練習します。もちろん、感情も、込めてはいますが、感情だけでは、上手くいかないのが、演奏というもの。理想は、どんなに激しい部分で、フォルティッシモを弾いていても、心は、常に、ピアニッシモで、冷静に、自分が何をしているかがわかる、そんな演奏です。これは、すごく難しいです。私にとって、永遠の課題でもあります。
あと、演奏者にとって、どうしても、かなえられないのが、自分の演奏をしているときの音を、他人から見て聴くようには、絶対に聴けない、という、悲しさ。
もちろん、ビデオや、録音機で、自分の演奏を、再度聴く事は出来ますが、今、自分が弾いているところを、どうやったって聴けない淋しさがあります。
心理学で、人間の心の中には、「ジョハリの窓」というのが4つあると考えられています。
「自分だけが知っていて他人は知らない窓」「他人だけが知っていて自分は知らない窓」「自分も他人も知っている窓」「自分も他人も知らない窓」確かそんな窓が心の中に4つあると、アメリカの心理学者が考えた事だと言う話だったと思いますが・・・・。
本番での演奏は正に、この心の窓の4つ全てが聴いている人に対して開かれると私は考えます。だから、すごく恐いし、勇気がいるんだと思います。
緊張も悪くはありません。緊張したときに、「自分も他人も知らない窓」が開かれるのは、素晴らしい瞬間です。演奏していると、何度もそういう瞬間に出会います。
そういう瞬間を聴いている人たちの目線で客観的に見てみたいのですが、絶対にかなわない永遠の夢です。
だから、音楽は美しいんだと思います。私にとって音楽とは、「永遠の夢」「永遠の憧れ」なのです。