平成25年6月4日(火)自分も他人も知らない窓が開かれる瞬間

先週くらいから、PTNAを受ける子達は、課題曲4曲を暗譜で通す、通し練習をしています。
曲の1部分だけ上手く弾けても、曲の頭から最後まで通した時に、上手く弾けなければ、何もなりません。

大体、D級で、15分、E・F級で15分〜20分通すとかかります。弾き終わって、皆に感想を聴くと、「ああー、疲れたーっ」と言います。

そうですね。しかし、これが、リサイタルとなれば、たった、前半の半分、あともう半分弾いて、やっと、前半のプログラム終了、そして、休憩をはさみ、あともう30分〜40分の間、後半で弾かなくてはなりません。

集中力、精神力、体力は勿論の事、何分でも弾き続けられる持久力が、大人になればなるほど、大切になってきます。

私も、毎日、この持久力の練習を必ずします。今日、上手く弾けても、明日は、明日で、集中力が欠けると、上手くいかないのですが、どんなに上手くいかなくても、何かの事故が起きた場合、こういう風に、解決しよう、と解決策も充分考えて練習します。

本番前、生徒たちによくアドバイスするのが、「避難訓練の大切さ」です。地震が来た時は、机の下にもぐる、とか、津波が来たら、どこに逃げるとか、日頃から常に、最悪の事態を考えて行動する、というように。

そうやって、毎日、通し練習を行うと、それが、習慣になってきて、どんなに、人前で緊張しても、冷静になれるのです。

私は、自分が練習する時に、どうすれば、冷静になれるのかを常に考えて練習します。もちろん、感情も、込めてはいますが、感情だけでは、上手くいかないのが、演奏というもの。理想は、どんなに激しい部分で、フォルティッシモを弾いていても、心は、常に、ピアニッシモで、冷静に、自分が何をしているかがわかる、そんな演奏です。これは、すごく難しいです。私にとって、永遠の課題でもあります。

あと、演奏者にとって、どうしても、かなえられないのが、自分の演奏をしているときの音を、他人から見て聴くようには、絶対に聴けない、という、悲しさ。

もちろん、ビデオや、録音機で、自分の演奏を、再度聴く事は出来ますが、今、自分が弾いているところを、どうやったって聴けない淋しさがあります。

心理学で、人間の心の中には、「ジョハリの窓」というのが4つあると考えられています。

「自分だけが知っていて他人は知らない窓」「他人だけが知っていて自分は知らない窓」「自分も他人も知っている窓」「自分も他人も知らない窓」確かそんな窓が心の中に4つあると、アメリカの心理学者、ジョハリさんが考えた事だと言う話だったと思いますが・・・・。

本番での演奏は正に、この心の窓の4つ全てが聴いている人に対して開かれると私は考えます。だから、すごく恐いし、勇気がいるんだと思います。

緊張も悪くはありません。緊張したときに、「自分も他人も知らない窓」が開かれるのは、素晴らしい瞬間です。演奏していると、何度もそういう瞬間に出会います。

そういう瞬間を聴いている人たちの目線で客観的に見てみたいのですが、絶対にかなわない永遠の夢です。

だから、音楽は美しいんだと思います。私にとって音楽とは、「永遠の夢」「永遠の憧れ」なのです。





平成25年5月31日(金)準備不足だけは、ないように

PTNAの予選まで、あと、わずかのレッスンとなりました。ほとんどの子はあと3回、早い子は、もうあと2回です。これからは、通し練習、リハーサル、イメージトレーニングの時期に入りました。

人前で演奏する際に、一番嫌な思いをするのが、準備不足のために上手く弾けなかった、という後味の悪い思い。自分の今のレベルで、もう思い残すことがないほど、準備がなされていれば、例え、結果が思わしくなくても、それでいい、と私自身は小さいころから考える性質です。
というよりも、そもそも自分以上のものには、なれないのだから、自分に見合った努力を精一杯して、自分の中では最高の演奏が出来るよう最善を尽くすことが最も大切と考えています。

だから、生徒たちをステージに送り出す時も、本番前1か月を切ると、○○ちゃんは、あと、何回のレッスン、とか、今日は、イメージトレーニングの時期に入ったな、とか、きちんと、メモを1人1人つけていきます。

私も、教え残したところがないよう、最善を尽くすのが好きです。しかし、譜読みや暗譜に時間が、かかってしまうと、もうそれだけで、精一杯になってしまい、音楽的な面まで、レッスン出来ないまま、ステージに上がらせる時は、すごく辛いです。

自分が演奏する際も、いい加減な演奏のままステージに出たくないので、やり残しがないな、と思えるほど、準備万端にして、人前で演奏するようにしています。

それくらい準備しても、思うようには、演奏出来ません。しかし、準備不足だけはしないようにする、が私の信条です。だから、失敗しても、悔いは残りません。むしろ、すごく準備をしたことで、自分の可能性に充分到達出来、達成感が残ります。

生徒たちにも、この、達成感を味わってほしいです。上を見ればキリがないほど、何処の世界でも、優秀な人は、ゴマンといます。

しかし、自分のレヴェルで、最高に努力をして、頑張った、という、何ともいえない、満足感。

これを、1度、味わうと、例え、失敗に終わっても、努力することが楽しくなり、又、準備不足だけはないようにしよう、と思えると思います。それを、ずっと続けていくと、確実に、実力がつき、結果もついてくるのです。


平成25年5月30日(木)研究の仕方

小学4年生の生徒からの質問です。「いつも、自分の演奏の録音、そして、CDを聴いて聴き比べの研究は毎日します。他に、どんな研究をしたらいいでしょうか?」
大変いい研究の仕方です。自分の演奏と、沢山のCDと比較して、研究するのはすごく大切です。

彼女には、あと、音色のニュアンスを出すためにタッチの研究をするといいよ、と答えました。

名ピアニストのベートーヴェン弾きのバックハウスは、リハーサルの練習室で、同じ音ばっかりを1時間も2時間も鳴らしているので、周りは一体何をやっているのか?と不思議でたまらなかったといいます。

大ピアニストのポリーニも同じ1フレーズを100回以上、練習するとかで、やはり、自分の理想の音、理想のフレーズの歌い回しを自分のものに到達するまでには、ものすごく、研究するのです。
そこで、問題となるのが、理想の音が自分の心の中に沢山なければ、いくら、何時間練習しても無駄ということで、そのために、色々な美しい演奏を聴きなさいというのは、そのためです。

私の所に初めて来られた方は、まず、こんなに、美しい演奏に仕上がるまでには研究が必要だということに、まずびっくりされます。

ただ、毎日、自分の部屋で、機械的に指だけ回して、1週間に1度、レッスンに行って・・・・。この繰り返しでは、絶対に上手くはなりません。

あと、楽譜を良く見て研究することも大切ですね。楽譜を無視して弾いている人はものすごく多いです。
よく、ピアノ学習者の多くが、きちんと弾けているのに、おもしろくない、とか、気持ちが入っていない、どうすれば、音楽的に弾けるのか、と思う人は多いと思うのですが、私は、そうは思いません。もちろん気持ちも大事ですが、それ以前の問題で、まず、楽譜に書かれた事をきちんと読み取れていない、いい加減な演奏があまりにも多すぎると思います。

ピアノが上手くなるという事は、ある意味ですごく、シンプルで、単純な事なのです。基礎的な事がまず出来る、楽譜がきちんと読めるようになれば、自然に上手くなっていくのです。

それと、練習の仕方。いつも、生徒たちには、練習の仕方を教え、日記にもたびたび、書くので、お分かりかと思います。

勉強が苦手という子は、まず、勉強の仕方がわからない、から始まります。ピアノもそれと同じです。まず、どういうことを練習してよいかわからない、という悩みは多いですね。

そういう人たちに、まず、楽譜に書かれた事をきちんと、弾けるようになるまで、弾いてごらん、と勧めています。


平成25年5月29日(水)音楽は記憶を呼び覚ます

春もそこそこに、梅雨入りしたという感じです。学生さん達は、修学旅行や遠足などが多い季節ですね。
中学生や高校生の生徒達が、修学旅行のお土産を持ってきてくれます。

昨日は、明和高校のレッスンでしたが、高校2年生の生徒が、ショパンのエチュード「エオリアンハープ」を弾いています。

彼女に、「ジェラゾヴァ・ヴォラのショパンの生家の庭にある、小川のせせらぎや、夜明け前の木々の上で小鳥がさえずるような感じとか、思い出して弾いてごらん」と促すと、1回目に弾いた時よりも素晴らしく詩的になりました!!ショパンの美しい調べが聴こえて来たのです、今度は上手く弾こうとするのではない、彼女がショパンに対して抱いている、愛しい気持ちが・・・・。

ジェラゾヴァ・ヴォラは、ショパンの生家だから有名になっているのはもちろんですが、何も音楽家ばかりでなく、各国の外交官や、王妃なども訪れる場所だといいます。

私も、ポーランドを訪れた際、ジェラゾヴァ・ヴォラにいた時間が一番心地よく、幸福な時間を過ごせました。世界各国のあらゆる人が訪れるけれども、皆地位に関係なく、1人の人間として、幸せな時間が過ごせる場所なんだと思います。

又、私個人の思い出としては、生徒達によく話すので、生徒たちは知っていると思いますが、ウィーンの学生だった頃、ポリーニの演奏会がムジークフェライン(ウィーン楽友協会ホール)であり、聴きに行った時の事。
アンコールにこの、エオリアン・ハープを弾いてくれたのですが、弾き始めた途端、雷がなり、夕立がザーッと降ってきました。

ポリーニの演奏は、外の雨風をしのぐため、洞窟の中で、演奏している優雅な笛の音、そのものでした。その日は、暑く、雨なんて降ってもいなかったのに、
「エオリアン・ハープ」が始まった途端に、雷がゴロゴロゴロ・・・・・。何とも忘れられない心に残る演奏でした。

コンクール、受験の課題として、ショパンエチュードをミスもなく完璧に弾ける演奏者はゴマンといます。けれど、聴き手は、そういう演奏が聴きたいわけではなく、今だかつてない演奏に触れて、新しい感動を味わいたいと皆そう願うはず。

不思議なのは、風景や景色を思い出してから、そのあとに音楽を思い出すということは、皆さん、まず、ないと思います。音楽を聴くと、その時代にさかのぼって風景、景色なり、自分のその時の心情全てを思い出す事が出来るから、そういう意味でも音楽は素晴らしいです。

エオリアン・ハープを聴くと思いだす、ポリーニの素晴らしい演奏。20代の若い私が、ポリーニの演奏会の時着ていった、Tシャツ、ボロボロの穴のあいたジーンズ、夕立が来る前の、蒸し暑い、熱気に包まれた立見席・・・・。
そんな全てが若い20代の青春時代へ記憶を呼び覚ましてくれます。

彼女の演奏を聴いた誰かが、そんな気持ちになって聴いてくれると嬉しいですね!


平成25年5月24日(金)門下生コンサートのDVDとBDが出来あがりました。

長らくお待たせしていた門下生コンサートのDVDとBDが出来あがりました。

今日の生徒さんからお渡し出来ます。

現在の生徒さんは、レッスンの時にお渡し出来ますが、私の家に近い方は、なるべく取りに来て頂けると助かります。

11回目を区切りに、今までは、バラの花でしたけど、パッケージも変わりましたよー!!落ち着いた大人の雰囲気で素敵です。

小さい子も大きい方たちも、皆さん、素敵な演奏ですよ!!楽しみにしていて下さい。


平成25年5月22日(水)おもしろかった宝くじ

今日は、大学で、その後、私のスタインウェイの調律。最近になって、ようやく音が少し鳴ってきたかなという感じです。まだまだ、いいピアノに仕上がるまでに10年、20年はかかりそうですが。ピアノは、不思議と、弾く人の音に変化していきます。

生徒たちがレッスンで弾くヤマハの方も、誰誰さんが弾いているって、目をつぶっていても、すぐわかりますよ。レッスン後にその人が弾いた後で、弾くと、しばらくは、その最後の人の音のままになっています。

つくづくピアノは生き物なんだなあ、と。だから、誰かが弾いた後のピアノはすごく弾きにくい。自分の音になっていないから。

昨日、中学2年生の男の子のレッスンがありました。弾いてくれたのは、プーランクのノヴェレッテ。ノヴェレッテはもともと、小説という意味があります。

彼に、「普段どんな本を読むの?」と聞くと、「あまり、本は読まないけど、推理小説とか・・・遭難した人を助けるお話しとか・・・」と言います。

「じゃ、この曲にふさわしい小説を書くとしたら、どんな小説にする?」と聞くと、しばらく考えて、「宝くじが当たったから喜んでいる感じ」というので、(笑)
「ここの、モールの部分はどうする?」と聞くと、「そこは、ああ、今のは、夢だったなあ・・・という感じ」
「え?じゃあ、全ては全部夢で、あーあ、夢が砕け散ったって感じ?わあ、可哀そうな物語!!」

2人で、爆笑でした。

しかし、中学生でも、夢と現実は違うと、シビアに感じているのだなと感心しましたし、それに、宝くじというのが、やはり、男の子が考えることだなあと、すごく興味深かったです。

私は、この曲のイメージを、「何か、この曲には、明るい未来とか、希望があると思う。未来は、決して、明るいばかりではなく、不安もすごく伴うけれど、それでも、明るい感じはあるよね。例えば、それまでの、自分の殻を抜け出して、恋愛小説なら、お互いが、別れて、新しいそれぞれの道を歩き始めたとかね、
自分を取り囲んでいた殻から抜け出して、臆病な生まれたての赤ちゃんみたいな、ナイーブな心になっているけど、夢を持って明るい未来に希望を持つ感じかな、
もともと、フランスものだから、すごくオシャレな感じや、現実的なかんじではない、繊細な、夢みたいな感じが出るといいね」。

と話しました。どんなイメージでも、全てOK。それが、音楽の良さです。

彼は、部活もなくなり、自分の進みたい音楽の道へ、一生懸命努力しているようです。

少しずつ、少しずつ、彼なりに、成長している様子が見られ、本当に子供の成長は楽しいです。


平成25年5月21日(火)音は心と直結

先日、ようやく門下生コンサートのDVDとBDのサンプルが送られてきました。私と幹事さんとで、出演者の名前や曲目の字が間違えていないかなど、チェックして、業者さんは、これから最終段階の仕上げにかかって下さると思います。皆さん、しばらくお待ちくださいね。出来たら、又、日記で、お知らせします。

PTNAの弾き合い会、6月15日も近づいてきました。PTNAを受けない人も、現在、門下生の方で、聴きたい人は、是非いらして下さい。
自分が普段レッスンの時、注意されていて、気付かないことが、案外、お友達の演奏を聴く事で、客観的にわかることは多いですよ。

今、生徒たちは、全ての曲の暗譜をして、心と直結した音がでているかどうかを研究中です。

ピアノはある意味、一番身体から遠く、心と直結しにくい楽器だと思うのです。「一心同体」という言葉がありますけど、なかなかそうなるまでには、相当な年月を要するでしょう。

歌の人は、自分の声、フルートやクラリネットなども、口に当てて演奏します。又、ヴァイオリンなどは、顎に当てて、チェロなども楽器を抱きかかえるようにして演奏します。

ピアノ以外のオーケストラで演奏されるほとんどの楽器は、自分の手で持って、演奏出来るのに、ピアノは、持ち上げる事すら、不可能です。
でも、皮肉なことに音を鳴らすのは、誰でも可能で、猫が踏んづけても、簡単に音は鳴るのです!

そこに、問題が浮上するのです。別に、弾く人が神経を入れなくても、思いを込めなくても、ピアノという楽器は、簡単に音が鳴る・・・・・・。

指先のほんのちょっとした、神経の一つ一つに、非常に細やかに、自分の意志が伝達していかないと、それは、さっきの猫があるいても同じ音、のように、意味のない音となって出てきます。

ピアノは、すごく怖い楽器です。弾いている人が一言もしゃべらなくても、弾く人が考えている頭の中身が全て、聴いている人には、わかってしまうからです。だから、何となく、演奏するという行為は、自分を全て相手にさらけ出す、丸裸になっているような気分になりますね。

心と音が直結した時も又、聴いている人には、ちゃんと伝わります。打鍵のスピード、音色のコントロール、そういったものが全て、自分の意志で、指先に、細やかに伝わった時に、初めて、その演奏者の心を受け取る事が出来、聴いている人が感動します。

ついつい、指がでちゃった!!にならないように、どの声部もどの和声も、音型も、全てに神経が行き届き、コントロールされていくよう、皆、必死で、頑張っているようです。


平成25年5月17日(金)どんなCDがおすすめかな・・・・

小学4年生の生徒からの質問です。

「モーツァルトとベートーヴェンのピアノソナタのCD全集を買おうと思いますが、先生のおすすめのピアニストさんを教えて下さい」。

いいですね。まだ、実際に弾いていなくても、ピアノを専門にしていく人なら、必ず勉強しなければならないのが、モーツァルト、ベート-ヴェンのソナタなので、しょっちゅうCDを聴いて弾く前に知っておくとすんなり、弾けるようになりますよ。

モーツァルト弾きと言えば、昔の演奏家の方なら、イングリット・ヘブラーさん、クララ・ハスキルさん、今の方なら、マリア・ジョアオ・ピリスさん、そして内田光子さんなどです。

ベートーヴェンは、ウィルヘルム・ケンプさんとか、エミール・ギレリスさんとか、私が個人的にやはり尊敬しているのは、ウラディミール・アシュケナージさんですね。

演奏には、いわゆる、正統派と個性派とあり、アシュケナージさんは、正統派の解釈をされるので、コンクールや、受験など、学んでいる音楽学生さんには、一番お手本にして間違いない演奏ですね。聴いていて安心出来ます。

個性派はいわゆる、バッハの解釈で、天才的なグレン・グールド。どんなに声部が複雑になっても全ての声部が全部独立して聴こえるというスゴ技は、誰にも真似できませんが、まだ、音楽とは何かということが、全くわからない学生さんにはお勧めできません。

音楽というものが良く分からない人が、このまま、バッハのテンポなり、アーテイキュレーションなり、真似して弾いたら、コンクールなど、即落とされますね。

アシュケナージ、ホロヴィッツ、ソフロニツキー、ウラデイミール・トロップ、そのお弟子さんに当たる、イリーナ・メジューエワ、エフゲニー・キーシン・・・など、私が好きな演奏家は、なぜか全てロシア人です。

どの演奏家も共通して、多彩なニュアンスに彩られ、空が広いというか、大地が広く、スケール豊かで、素晴らしいです。

ピアニストもですけど、バレエの世界も、フイギュアの世界もとにかく、ロシアの教育はすごいと聞きますからね。そこから生み出されてくる音はやはり独特のものがありますね。

フランス人は、サンソン・フランソワとかも好きですけど、個性派でしょうね。しかし、多彩なニュアンス、音楽に麻薬的な魅力があり、私が、好きなピアニストの1人です。

多彩なニュアンスが分かりにくいと言う人は、ホロヴィッツの音を聴くといいですよ。素晴らしいです。



平成25年5月16日(木)筋肉はつくられる

今日、レッスンの時、大人の生徒さんが「先生の手は、ものすごい筋肉ですね」とびっくりして言われました。昨日書いたように、私の手は、生まれつき筋肉があったわけではなく、むしろ、まったくなくて、ほにゃほにゃでした。今でも、ふかふかの柔らかい手ですが、筋肉は、やはり、ピアノを弾く事で、つくられてきましたね。
どうすれば、筋肉がついてくるかをお教えします。まず、親指、人差し指、中指、薬指、小指一つ一つの動きを意識します。その意識というのは、何処から来るかと言えば、やはり、今から弾く音の色合いをどうしたいかで、一つ一つの指先に対する意識が持てるようになるのです。

よく、バレエの先生が、子供たちにおなかを引っ込めて、とか、注意すると思うのですが、まず、幼い子供の場合はおなかを引っ込める、という事自体が理解しにくいのです。

それと似たような筋肉を使う事が、ピアノのタッチにもいえるのです。「軽い音で弾きなさい」と言われたら、脱力していた場合にかなりの重さになる手をすごく軽くしなければそういう音は出ません。軽くする時に、やはり、筋肉がダランと伸びた状態だと、当然、出てくる音は、ぼてぼてして、重たい音になってしまいます。

だから、「軽い音で弾きなさい」とか、「悲しい音で」とか、「生き生きと弾きなさい」とか、言葉で注意しても、あまり効果はありません。

悲しい音で、というと、ただ、その子の心の中だけで悲しい事を思い浮かべているだけか、あるいは、悲しい顔をして弾くか、そのどちらかで、音色自体は、以前として、悲しい音にはならないのが普通です。

そこで、ここの場所の悲しい音は、このくらいのタッチで、ここの筋肉を意識して・・・とか、かなり、具体的な、説明というよりは、鍵盤をつかむ「触感」を教えていかなければ、なかなか、理解しにくいでしょう。

私は、全て、生徒たちに、自ら弾いて示して見せる事で、ほとんどの子は理解できるようになりますが、それも難しいと言う場合は、先程の、このくらいの筋肉を使って、重さは何グラム・・・・など、細かい注意が合わせて必要になります。

そうやって、音色を変えるには、筋肉の使い方が全て違うのだと意識できるようになったとき、初めて、白魚のような手ではなく、ごつごつした、筋肉の美しい手がつくられて、ピアノを弾くのにふさわしい手になっていくのです。


だから、ピアノが上手くなろうとする場合、書物を読んだりしているだけでは駄目で、いかに、実際、先生がその生徒の手を取って教えていくレッスンというのが、いかに大切かがよくお分かり頂けるかと思います。


平成25年5月15日(水)上がる、下がる、遠い、近い

先日、ニュアンスのことを日記に書いたら、多くの生徒たちがそれについていろんな思いを書いて来てくれたので、引き続き書いてみようと思います。
よく、ヨーロッパに行った日本人の音楽留学生がレッスンの時注意されることがあるのですが、それは、「指練習みたいだね」とか、「機械的だね」とかいう言葉。

なぜ、指練習のようになってしまうのでしょうか。1つには、上がる、下がるなどの、高低感、又、音の遠い、近いを表す遠近感、そして、ハーモニーを感じる時に大事な、広さ感と、狭さ感、まだ他にも色々ありますが、そういった要素が、全て同じ場所で弾かれてしまうと、平板に聴こえてしまうのです。

又、もう1つは、日本の住居に問題があり、響かない空間のために、より大きく出そうとしすぎて、平板になる傾向があります。

大概において、音を出す、というのは、ある程度、訓練されれば、誰でも鳴るようになりますが、遠い音は出しにくいのが一般的です。遠い音は、表面的に言えば、小さくなっていく、弱くなっていく音です。従って、無駄な力を抜かないと、遠い音は出せません。

そして、ここで、よく質問されるのが、無駄な力ってどこのこと?と思う人は多いですね。お豆腐を壊さないように指先には力を入れている、でも、全てに力をこめてしまうと、グニャっとつぶれてしまいます。つぶれないように指先がお豆腐を握っている、そんな感覚です。

よく、手首、腕の力を抜いて、と注意すると、肝心の指先に全く力が入らなくなってしまい、指先は他人の指みたいに、ふにゃふにゃしてしまうと言う人は多いでしょう。

自分はそういうつもりで、弾いていないけど、録音したのを聴くと、どれもこれも、同じ音に聴こえてしまうという場合は、まず、音の遠近感とか、音に実際上がる、とか下がるとか、書き込むとより、具体的に、タッチのコントロールが出来るようになります。

私は、小さいころから、指が弱く、高校の時の先生から、「貴女は、響きが柔らかいから、ヨーロッパに行くといい」とよく言われました。私が、ドイツに行きたいと言うと、「貴女には、フランスが似合っている、貴女の響きはフランスだ」とよく言われたものです。
幸い、どの先生からも、音が固いとか指練習のようだと言われた事はありません。

もう1つは、小さい時から中学3年まで、住んでいた三重の家のピアノのお部屋がものすごく広く、ホールみたいな音がしていたこと、そこから、眺める、御在所岳の山並みが美しく、ラヴェルとか、ドビュッシーとか弾きながら、夕焼けを見たりしていた、その環境もすごく良かったなと思います。

響きがあるお部屋だと、上がる音、下がる音、遠い、近いが判別出来る耳が育ちます。



平成25年5月10日(金)ちょっとしたけんか

今年のPTNAのB級の課題曲に、林光さん作曲「ちょっとしたけんか」が出ています。この曲を生徒たちが弾くたびに私の幼い時代を思い出して懐かしくなります。

私が受けたその当時、PTNAはA2級やA1級などがなく、今のB級くらいのレベルがA級という感じでひっくるめられていたのですが、A級で参加した、小学1年生の夏のことです。東京である全国決勝大会で、バッハの「ポロネーズ」や、シューマンの「兵士の行進」等の他に、この「ちょっとしたけんか」を弾きました。
結果は、銀賞。この結果に、幼かった私は、ものすごく腹を立てました。

今から思えば、全国決勝大会に行けるだけでも、宝くじを引き当てるくらい、素晴らしい事で、喜ぶべき事です。
ましてや、銀賞まで頂いて、何で、腹を立てたのか想像もつきません。

私が、小さい時に、自分なりに考えた、「ちょっとしたけんか」のイメージは、こうでした。その頃の幼い時に感じたけんかというものは、大声で怒鳴ったり、泣きわめいたり、物を投げたり、荒っぽいイメージがあったので、6歳の私は、自分が、あらん限りのエネルギーを出して、アクセントのところなど、すごく攻撃的な、いかにもけんかが見えるような演奏をしたのです。

その時、金賞を受賞された私よりも年上のお姉さんが、このちょっとしたけんかを弾いているのを聴いた時に、大きな驚きを覚えました。私と全く違って、1つ1つが何と柔らかく、アクセントなどにも、一つ一つに表情があり、今でいう、ニュアンスにあふれた演奏だったのです。全ての音に歌があり、母は、その違いがよくわかったと話します。

自分が自信満々で弾いた、6歳の時の全国決勝大会。自分では、金賞と信じて疑わなかった、今から考えれば、周りが何も見えていない、謙虚さのひとかけらもないような、何ともおバカな私でした。
結果は、銀賞ということで、いかに、自分勝手に、思いのままピアノを弾いているかがよくわかったので、母は、このままでは、いけないと、思ったそうです。

その後、ドイツから留学帰りの素晴らしい先生にご指導して頂く事になりました。私が小学1年生という年齢にもかかわらず、幼い私にヨーロッパの音を教えて下さった先生でした。初めてのレッスンの時私の母は、「そうだったのか、ピアノを演奏するとは、こういうことなのか、ピアノで歌うとはこういう事なのか」と、その感激は、今でも忘れる事が出来ないといいます。大変感動したそうです。

自分勝手に弾いている演奏がそのままいいと思っていたら、とんでもなく、小さい時こそ、やはり、
特に、海のものとも、山のものともつかないような幼い時期には特に、その子供を謙虚にさせるためにも、最高のものを見せて、聴かせて、いかなければいけませんね。

私は、そういう点で、幼い時から、周りが、最高の教育を与えて下さったと感謝するばかりです。だから、私の生徒たちにも、最高のものを提供しています。

そこから、最高のものだと感じ取れる耳が生まれてくるので、すごく、子供時代は大切だと自分の体験から、身をもっていえるのです。


平成25年5月7日(火)学生達に自ら考える時間を持たせたい

今日は、明和高校のレッスン。高校生だけでなく、小学生も、中学生も、やはり、休みがあると、ピアノをしっかり練習しているようで、嬉しいです。
日本ももっと、まとまった休みが沢山あると、もっと、もっと、芸術面、文化的な面が伸びるのに、とつくづく思います。
昔から、ドイツの小学生などは、午前中だけで、お昼から、もう家に帰れるから、学校が大嫌いだった私などは、うらやましいなあと、思っていましたが、ここ最近、ドイツ人の学力低下が目立って、午後も学校を始めるとか、議論になっているそうですね。

日本も、土曜日も学校を始めるとか何とか言ってますけど・・・・・・。私は反対。もちろん、私の親の時代は、土曜日も、会社は休みでなかったし、私達も、小、中、高とずっと、土曜日も授業はありましたが、それで、学力が高くなるとは思えません。それより、もっと、1人1人の長所が生かせて、それを最大限に伸ばせるような教育をしてあげた方が、本人のためにも、世の中のためにもなっていいと思います。

そして、何と言っても、もっと、一人ひとりの学生が、自分は、将来何をしていくのか、人のために役立つために、何が自分には、出来るのか、そのために何を勉強するのか、社会に出て自分の身についた事を役立てるようにするには、どうすればいいのか、とか、考える時間、かんがえるだけでなく、実行する時間もないと、結局、将来、何も出来なくなってしまうと思うからです。

自分で考え、自分から、行動を起こし、実行する力。それは、いくら、学校に生徒たちを長時間つなぎとめても、育まれていかないと思います。

私の共感する「自助論」の本にもそのことが、詳しく書かれています。周りから沢山与えられても、自らが学ぼうとしなければ、何も学べない、果実が目の前にあっても、実際にそれをもぎ取る人は本当に少ないということです。

周りが何でも与えすぎると、もう、自分から何も出来なくなっていく弱い人間を生み出すことになります。

そのために、休みがあると、学生1人1人が自分と向き合う時間が持てるようになって、断然、ピアノも上手くなってくるというのが、本当によくわかる、ゴールデンウイークでした。


平成25年5月3日(金)1%の人にしか出来ない忍耐を持つ

学4年生の生徒からの質問です。「先生みたいに、美しく弾きたいです。タッチの他に気をつける事はありますか?」と書いてありました。
私は、「良い演奏家のCDやコンサートを沢山聴くといいよ。そして、さまざまな曲を弾いていくうちに、少しずつわかってくるよ」。と答えました。
・・・・するうちに、というところが、すごく大切ですね。あせらない事です。

又、大人の生徒さんで、いつまでも、ミスタッチが減らず、困っている、という相談を受けました。私は、「まず、その曲を暗譜してみてはいかがですか?するとミスタッチが減りますよ」。とお答えしました。

ピアノを練習していく間には、次から次へと悩みが浮上してきますね。出来ない自分に腹が立ったり、理想とは違う自分の演奏にもどかしさを感じていらいらすることが多いと思います。

大体において、何でも早く目的地にたどり着きたいと、はやる気持ちが多いようですが、早く、早くと思っても無理なのがピアノの道です。

そこで、私からの提案です。私も、小さいころから、実践していますから、おすすめです。

「あせらない」「いらいらしない」「根気強く何度も繰り返す」これさえあれば、大抵の物事は、上手くやっていけます。自分では、小さいころから、かなり、忍耐強い方だとそれだけは自信があったのですが、生徒たちを教えるようになって、さらに、もっともっと忍耐強くなければならない、と生徒たちが、私に毎日、教えてくれている気がします。

私が生徒達を教えていて、例えば、「その音は飛び出すと歌って聴こえないから、飛び出してはいけないよ」とアドヴァイスしたとします。しかし、実際、これを言ってすぐ直してくれるような生徒は、ほとんどいません。1時間のレッスンの間中そればかり、繰り返しても、まだ、飛び出して弾いています。

普通、3、4回注意してそこが直らないと、「何べん言ったらわかるの!!そこ、さっきも言ったでしょ!!」といらいらして、声を荒げて、それから、どんどん、エスカレートしていって、大変な騒ぎになっていくでしょう。

私は、怒る代わりに、1時間中同じことを繰り返させます。来週は直ってくるかな?と楽しみにして聴くと、まだ、直っていません。又、同じ事の繰り返しです。

そして、来週もまた、同じ事が・・・・・。こういう状態で、3か月くらいたつと、少しだけ、変化がみられるかな?くらいです。半年すると、又少し、1年たつとちょっとマシになったかな?くらいです。

私は、昔から、皆と同じ事をするのが嫌いな性格で、普通の人なら、大抵こういう場合、投げ出すだろうな、と思える時に、そこを一つ踏ん張ると、成長できるということを割に幼いころから、学んでいた気がします。しかし、それも、ピアノの道を歩むうちにもともと根気強かった性格がさらにピアノによって、増した事は確かだと思います。

99%の人が、ああ、もういやだ、頑張れない、とあきらめてしまうところを自分も同じようにあきらめる、というのでは、やはり、人並みのことしか出来ないと思うのです。

だから、生徒たちを教える時も、普通の教え方を私はしたくないのです。1%の人にしか出来ないレッスンをしたいから、すごく、根気がいります。

でも、私が忍耐強くあれば、必ず生徒は上手くなる、が私の信条です。だからといって、生徒たちを甘やかすのではなくて、レッスンの時に怒らないで、教えるというだけで、人間として、正しい行いをしていない場合は、私は、すごく、厳しく叱ります。

私が、幸運にも叱らなければならないような人は今までに稀ですが、たまにいる事はいます。そういう時は、すごく情けないです。どうして、私がここまで言わなければ、わかってもらえないのか、そういうことも含めて、人の心が敏感に察知出来るようになると、音楽も必ず磨かれていきます。

何はともあれ、ピアノを学ぶことは、ピアノを美しく綺麗に弾くだけでなく、人生を強く生きていく上で一番大切な、忍耐強さを身につける事が出来るから素晴らしいのです。


平成25年5月1日(水)ニュアンス

今日は、大学でしたが、風が強くて寒い1日でした。

PTNAの課題が出て、約2カ月。早い子はそろそろ、暗譜で弾いています。6月15日が弾き合い会なので、その1カ月前の15日頃までには、暗譜を目標に頑張っておくとよいです。丁度、ゴールデンウイークがあるので、その間に暗譜するといいですね。学校がある時は、疲れてなかなか集中して練習出来ないと思うので、今のうちにしておくと、本番近くなって慌てなくて済み、気持ちに余裕が持てます。

さて、暗譜が出来るくらいになってから、気をつける事は、音色のニュアンスを常に考えて練習するといいですよ。

ニュアンスという言葉はフランス語からきています。もともとの意味は、1つの色のさまざまな色合い、濃淡、色調、音、匂い、味、などの微妙な差異、又、感情、表現の微妙な差異です。

ピアノを弾く場合、強弱、速度、タッチ、楽句、楽節などの微妙な差異、変化ということになりますが、弾きなれると同時に、指がよく動き出す半面、ニュアンスが失われていくという欠点も持っています。

練習に時間をかけすぎても、良くないですし、少なくても悪く、毎日の練習の仕方が悪いと、ニュアンスがなくなっていくので、注意が必要です。

何か、自分の演奏は、ニュアンスが足りないなあと感じたら、CDなど聴いて、自分の演奏と比べてみると、一目瞭然だと思います。自分の演奏だけを録音して聴いていても絶対に上手くなりません。

音楽にも、色々な解釈があり、これが絶対に正しいと言える事はないのですが、「音楽の真実」は確実にあります。

それは、美しいものを見た時に美しい、と誰しもが感動出来る心です。

汚いものを見て、誰もが汚いと感じる心。自分の出している音が、美しいのか、汚いのか、をまず判別出来る耳を肥やす事が大切です。

それは、ドの音をただ、ドと判別出来る絶対音感があるだけではだめなのです。そのドが暗いのか、明るいのか、又は、柔らかいのか、固いのか、なめらかなのか、氷みたいに冷たいのか、ポカポカと暖かいのか、又、そのドは次の音に向かう時にどんな、色合いに変化していくのかとか、そこまで、CDを聴いて、判別出来る、耳を育てていかなくてはならないのです。

味も、塩辛いか、甘いかだけでなくて、甘辛い、とか、ピリッとする唐辛子のような辛さ、わさびの辛さ、酸っぱい一つとっても、レモンの酸っぱさと、ミカンの酸っぱさ、梅干しの酸っぱさ、それぞれに、全部おいしいけれど、人間が舌で感じる味覚も際限なく、ニュアンスがあります。

音楽も人間が奏でるものだから、際限なくニュアンスが沢山豊富に作れるはずなのです。

あ、ちょっと、塩味が足りないな、とか、コショーが足りないなとかいう感じで調理していかなくてはいけません。時々、生のキャベツのまるごと、レッスンに持ってきているような演奏がありますが、そういうとき、私は、決まってこう言います。

「レストランで出されるお料理で、生のキャベツがそのまま、まるごとゴロっと出てきたら、びっくりしちゃうよね?今の○○ちゃんの演奏は、それだったよ。
それと同じで、音楽を奏でる時は、煮たり、焼いたり、茹でたり、味付けしたりして、美味しく食べてもらえるように調理しなくてはならないの。いつでも、みんなが食べて美味しいなあ、て感動する味わいがなくては駄目よ。
その調理の仕方は、これが正しいというものはないけれど、みんなが美味しいと感じられる胃袋は、誰もがみんな持ってる。だから、音を美味しく調理しなくては」。

それが、「音楽の真実」という事です。