平成25年5月1日(水)ニュアンス

今日は、大学でしたが、風が強くて寒い1日でした。

PTNAの課題が出て、約2カ月。早い子はそろそろ、暗譜で弾いています。6月15日が弾き合い会なので、その1カ月前の15日頃までには、暗譜を目標に頑張っておくとよいです。丁度、ゴールデンウイークがあるので、その間に暗譜するといいですね。学校がある時は、疲れてなかなか集中して練習出来ないと思うので、今のうちにしておくと、本番近くなって慌てなくて済み、気持ちに余裕が持てます。

さて、暗譜が出来るくらいになってから、気をつける事は、音色のニュアンスを常に考えて練習するといいですよ。

ニュアンスという言葉はフランス語からきています。もともとの意味は、1つの色のさまざまな色合い、濃淡、色調、音、匂い、味、などの微妙な差異、又、感情、表現の微妙な差異です。

ピアノを弾く場合、強弱、速度、タッチ、楽句、楽節などの微妙な差異、変化ということになりますが、弾きなれると同時に、指がよく動き出す半面、ニュアンスが失われていくという欠点も持っています。

練習に時間をかけすぎても、良くないですし、少なくても悪く、毎日の練習の仕方が悪いと、ニュアンスがなくなっていくので、注意が必要です。

何か、自分の演奏は、ニュアンスが足りないなあと感じたら、CDなど聴いて、自分の演奏と比べてみると、一目瞭然だと思います。自分の演奏だけを録音して聴いていても絶対に上手くなりません。

音楽にも、色々な解釈があり、これが絶対に正しいと言える事はないのですが、「音楽の真実」は確実にあります。

それは、美しいものを見た時に美しい、と誰しもが感動出来る心です。

汚いものを見て、誰もが汚いと感じる心。自分の出している音が、美しいのか、汚いのか、をまず判別出来る耳を肥やす事が大切です。

それは、ドの音をただ、ドと判別出来る絶対音感があるだけではだめなのです。そのドが暗いのか、明るいのか、又は、柔らかいのか、固いのか、なめらかなのか、氷みたいに冷たいのか、ポカポカと暖かいのか、又、そのドは次の音に向かう時にどんな、色合いに変化していくのかとか、そこまで、CDを聴いて、判別出来る、耳を育てていかなくてはならないのです。

味も、塩辛いか、甘いかだけでなくて、甘辛い、とか、ピリッとする唐辛子のような辛さ、わさびの辛さ、酸っぱい一つとっても、レモンの酸っぱさと、ミカンの酸っぱさ、梅干しの酸っぱさ、それぞれに、全部おいしいけれど、人間が舌で感じる味覚も際限なく、ニュアンスがあります。

音楽も人間が奏でるものだから、際限なくニュアンスが沢山豊富に作れるはずなのです。

あ、ちょっと、塩味が足りないな、とか、コショーが足りないなとかいう感じで調理していかなくてはいけません。時々、生のキャベツのまるごと、レッスンに持ってきているような演奏がありますが、そういうとき、私は、決まってこう言います。

「レストランで出されるお料理で、生のキャベツがそのまま、まるごとゴロっと出てきたら、びっくりしちゃうよね?今の○○ちゃんの演奏は、それだったよ。
それと同じで、音楽を奏でる時は、煮たり、焼いたり、茹でたり、味付けしたりして、美味しく食べてもらえるように調理しなくてはならないの。いつでも、みんなが食べて美味しいなあ、て感動する味わいがなくては駄目よ。
その調理の仕方は、これが正しいというものはないけれど、みんなが美味しいと感じられる胃袋は、誰もがみんな持ってる。だから、音を美味しく調理しなくては」。

それが、「音楽の真実」という事です。


平成25年4月26日(金)自分以外の人間にはなれない

19日の「人生何が幸いするかわからない」の日記を読んで、生徒からも、お母様からもとても反響が多かったので、もう1度振り返って書いてみようと思います。ピアノ学習者が必ず壁にぶち当たる問題点を書いていきますので、皆さんのお役に立てれば幸いです。

私が高校1年生から大学4年生まで、教えて頂いた先生が、具体的な指示は、なさらずに、私に教えない事を教えて下さったという事を書いたのは、すでに皆さんも御存じの通りです。

その時丁度、海外からいらして下さった先生の公開レッスンを受けさせて頂いたのですが、その先生から注意されたことを、自分では、直したつもりで、普段のレッスンに向かったのです。
先生は、私の演奏を終わりまで聞いて、「前の方が良かったなあ・・・あなたらしくて・・・」とおっしゃられました。私としては、かなり直していったつもりでしたので、内心ちょっとムッとして、「○○先生からそう言われて演奏を変えました」。と、事もあろうに、普段教えて下さる先生に対して、絶対に口にしてはいけない失礼で、反抗的な言葉を口にしてしまったのです。今から考えると、何と、自分が未熟者で、大バカ者だったかとつくづく反省させられます。

その先生は、私の反抗的な態度を察してか、穏やかに淡々と、そして私を諭すようにお話されました。

「ボクの友人のピアニストなんだけどさ、コンクール受ける前にもっと演奏を良くしたいと思って、10人の先生の所に行ってレッスン受けたんだって。そしたら、10人が10人とも違う事を言われるので、最後には、どうしていいか全くわからなくなって、結局一番最初に自分が弾いていた通りに弾いたら、そのコンクールで、優勝したんだってさ」。

この言葉は、いまだに、私の心の中にしっかりと根強く残っています。

例えば、ピアノを弾く奏法一つとっても、ありとあらゆる種類があります。ある人は、指を曲げて弾く、ある人は、指を伸ばして弾く、腕の重みを載せる、指先で弾く、固くしろ、柔らかくしろ、・・・・・その他、ここにあげれば、きりがありません。

どのみち、結果的に出てくる音のニュアンスが豊かで、多彩で、歌に富み、テンポ感も良く、リズム感も良く、しなやかで、メリハリに富んでいれば、いいのですが、どこか、その人のものでない、「うわべだけの音楽」が出てきた時に、そういうややこしい事が生じます。

10人の名教師といわれる先生がいたら、10人とも、違う、アプローチの仕方で、音楽の「真実」を教える事になります。

この時に、やはり、まだ、音楽に対して、未熟者だと、10人の先生の言われる音楽の「真実」を理解出来ずに、「うわべだけ」直そうとしてしまいます。すると、そういった問題が生じ、先生側も、生徒も、非常にレッスンがすすめにくくなっていってしまいます。そうやって、反抗することで、先生も気分を害されるし、生徒もいらつくし、お互いにいいことが1つもありません。

そういう自分の体験から、私は、生徒たちには、ある程度、「音楽の真実」を伝えたら、自由にさせてやり、「あなたがあなたらしくあることが一番貴重だ」ということを必ず伝えます。

高校・大学の時の先生もきっとそれを伝えたかったのでしょうね・・・・。今なら、その言葉の意味がよくわかります。離れてみてわかる親の有難さでしょうか。ルビンシュタインも「一番好きなのは、私の演奏で、2番目に・・・・」とよくおっしゃっていたそうだけど、それもよくわかります。


誰かが、人はどうして生きているのか、ということを考えたのだけど、自分の人生をしっかり生ききるために生きているのではなかろうか、ということを書かれていて、なるほどなあと大変共感しました。

自分にしか出来ない奏法、音色、音楽づくり、・・・他の人にはない、オリジナリテイが発揮された時に初めて、その演奏が人から
魅力あるものとして映り、愛すべき対象となっていきます。

1人1人の顔や体格が違う通り、どんなに、色々な人から教えを頂いても、自分以外の人間にはなれません。

自分の演奏が一番好き、生徒たちが、そう感じてくれるようになるまで、指導していくのが、私の役目かなと思っています。
しかし、絶対に誤解してほしくないのが、自分の演奏が一番上手い、ではないですので、(ピアノが上手い、才能のある人は星の数ほどいる)いつでも謙虚に、そして自分が弾くピアノに愛情を持っていって下さい。


平成25年4月23日(火)新1年生

今日は、明和のレッスンに。暖かい春が来たかなと思ったら、又、寒くなり・・・・ウイーンで生活していたころを思い出します。
とにかく、1日の気温の温度差が激しく、1日の間に、ダウンジャケットを着たり、長袖のセーターを着たかと思うと、一転して、半そでTシャツ、ノースリーブの人もいたり、もうとにかくメチャクチャ。
そんな季節感がないのは、ヨーロッパだけと思っていましたが、日本も最近季節感がなくなりましたね。
そのかわり、涼しい気持ちの良いさわやかなヨーロッパの夏が年々温暖化で、暑くなり、アジアっぽくなっているとか。
さて、今年入学したばかりの、明和高校新1年生です。
←ピカピカの制服が目にまぶしい!!









平成25年4月19日(金)人生何が幸いするかわからない

つい最近、「あなたがピアノを教えるべき11の理由」という本を買って読んでいたら、どの先生のお話も大変共感することが多くあり、自分の学生時代を振り返って考えさせられる事が沢山ありました。

以前、日記にも書いた事がありますが、私は、小学1年生から中学3年生までは、文字通り、手取り足とり、ものすごく細かくて厳しい、今の子供たちが受けた事もないような、厳しいレッスンを受け続けてきました。だから、その当時の私の演奏を聴いて、先生から、「上手ね」と誉めて頂く事は、まずありませんでした。いつでも、自分が、ピアノを上手く弾いているなどというおこがましい事を思った事は、小さい時から今まで1度もありません。今でも、ものすごく、ストイックで自分に厳しいところは、その頃の先生から教育された賜物でしょう。

そうして、高校生になると、今度は、一転しました。普段、ステージで、指揮者、ピアニストとして、主に演奏活動中心の先生に御指導頂いたのですが、これまた、今まで、私がスパルタ的に受けてきた教育と全く違い、全くの放任主義。すごく、いい演奏をすると、「ああ、いいねえ!」と一言。演奏が、悪いと、「・・・・・・・・」無言。

演奏をした後に、何もおっしゃって頂けないほど、恐いものはありません。中3までの厳しいレッスンには、何ともなかった私なのですが、高校1年生の時の、この先生の黙って何もおっしゃらないというレッスンほど、身にこたえたものはありません。

私としては、今までの先生がして下さったように、この音は、このくらい、弱い音から初めて、そして、徐々に強くしていって、ここからは、こんな風に歌って・・・とか、具体的な助言を求めているのに、どうして??もう毎回のレッスンがとまどう事ばかり。これでは、レッスンを受ける意味がない・・・と絶望感に打ちひしがれるばかりでした。

しかし、です。この先生の存在が、それまでの私を別人のように大きく変えて頂いたのは、言うまでもありません。その結果は、その時すぐには、現れませんでしたが、10年後、20年後、時が経てばたつほど、現在の自分があるのは、中3までに受けた、その稀にみる厳しいレッスンと、反対に、「いいね」と無言しか語らないそういう珍しいレッスンを受けた結果だと本当に感謝し、生徒を教えながら、つくづくこの両方のバランスが大切だと感じるからです。

その珍しいレッスンをされる先生は、いちいち「教えない」事を私に「教えて」下さっていたのです。それまで、ただ、先生のことを忠実に聞いていれば、すごく、綺麗に曲が仕上がっていましたが、私には、高校1年生で、自分に何が足りなかったのかが分かりました。それは、中学3年生まで「考えること」をしてきていなかったのです。

それからというもの、私は自力で立ち上がり、どうすれば、上手くなれるのか、ピアノの演奏技術の本を何冊も読みあさり、何枚もCDを聴いたり、譜面の研究をしたり、演奏会に行き色々なコンサートの音楽を聴いたり、自分の奏法も演奏法も、ありとあらゆる面から、必死で、自分で、創造し、感じ、考えることをしだしたのです。

その先生は、ここをああして、こうして、というコメントは、何一つされないので、私は毎回、リサイタルを開けるほどの量をレッスンの時持っていって、先生にお聞かせする、という感じでした。先生が、感動すれば、私の勉強法は、間違っていない、ということに確信を持ち、逆に、先生を黙らせてしまった時は、どうしてそうなってしまったのか、私の魂が充分に音に込もっていなかったのだ、それで、黙られたのだ、ということも、高校、大学と7年もつけば、わかってきます。

私が、先日読んだこの本で、もっとも共感した部分は次の通りです。「教わって身につくことは少ない。身についた学力や、技術の多くは自習によって獲得したものである。その力こそ、その人間の未来を切り拓く」。という言葉は真実です。

自分の頭で考える事が幼少期から習慣づき自習の力が備わっている人は、大人になってから、苦境に立たされるようなことがあっても、自分で勉強し、世の中で役立つための努力を積み重ね、苦難を乗り越えていける、とありましたが、正に、その通りですね。

その時は、教えられない事で、死にもの狂いでしたが、あの時、もし、高校生になってもまだ、手取り足とり状態のレッスンが続いていたら、恐らく今の自分はなかったと思います。

具体的に教えて頂かない事で、自分の頭でものすごく考える事が出来ました。

何も指示を出して頂けない先生からは、感動出来ない演奏を私が提供した時に先生から得られるものは、ただの無言だということで、その時、プロとしての厳しいピアニストとしての心構えと、又、自分が演奏するだけでなく、人を指導していく立場になっても、あの時、あれだけのレパートリーを自分で勉強したからこそ、生徒たちを指導出来るようになった、と思えるからです。

人生何が幸いするかわかりませんね。どんな人からも必ず素晴らしい教えがあるものです。


平成25年4月16日(火)若いエネルギッシュな2人

今日から、明和でのレッスンも始まりました。今年新しく入ってきた1年生も、大張りきりでやってきました。
ショパンのエチュードOP.10−4、10−5、10−12を暗譜で弾き、10−10も練習しているとか・・・・そして、ハイドンのソナタ全楽章、バッハの平均律、シューマンのファンタジー・・・・などなど。高校1年生にしては、相当な曲の数々。他、マリンバや声楽の子の伴奏もするとかで、ものすごいエネルギッシュな子です。4月から、好調な滑り出しですが、あまり、頑張りすぎて、息切れしないように励んでいってほしいです。楽譜と私用の楽譜を持ってきてくれるから、
その子のカバンを持たせてもらうと、「うう!重たいー!」持てないくらい重い!!こんな重い荷物を毎日持って通ったら、相当、腕力、指の力もつきますね。
2年生の子も、1年先輩になったので、益々、充実した高校生活を送っているようです。副科でとっている、チェロも演奏会に出してもらえるそうで相当な腕前なんでしょうね。

教えていても、小学1年から6年までは、一番、長く感じますが、中学生に入ると、パーっと高校入試に向けて、突入。高校生はもっと早く、あっという間に、大学受験の日がやってきます。

若い彼女たちを見ていると、本当に、エネルギッシュで、素晴らしいと感じています。


平成25年4月13日(土)マリンバコンサート

今日は、マリンバのコンサートの本番でした。
終演後、沢山の生徒たちが駆けつけてくれました。みんな、どうも有り難う!!
演奏後、生徒たちに会うのが、私は一番嬉しいです。明日も、1日レッスンなので、早く寝て体力ためなくては!

全員、私の可愛い可愛い子供たち!!
           ↓
サラサーテのバスクを弾いてます















綺麗なお花やプレゼントどうもありがとう!


平成25年4月10日(水)新学期が始まって

今週から、明和高校も椙山も始まりました。講師の先生方との会議や、新しい先生、生徒との顔合わせ、オリエンテーション、毎年、少しずつ変化していくので、慣れるまで先生も生徒も大変です。生徒の方もやっと慣れたかなと思うと、もう1年たって、あっという間に卒業、という感じですね。

門下生コンサートの写真が届きました。写真屋さんから、生徒の皆さんへ、
「毎年、生徒さんの素晴らしい演奏にシャッターを切るのを忘れるほど、聴き入ってしまいます、岩野先生の生徒さんは皆さん、フォルテの時も音が繊細に響くので、小さなシャッター音でも会場の空気感を壊してしまいそうで、苦労します」というコメントを頂きました。

明日の生徒さんからお配りできます。DVD、ブルーレイは今しばらくお待ちくださいね。例年は、いつも5月末頃〜6月初旬あたりでしたね。

それから、今日、明和にレントゲン撮影に行った時に矢場町の駅で見たのですが、4月21日(日曜日)、大津通りはお昼の12:00〜18:00まで、車両通行止めになるそうですので、日曜日のレッスンの生徒さんは、公共交通機関でいらした方がいいかなと思いました。


平成25年4月5日(金)春らしくなって

今日で、マリンバの招待券全てなくなりました。有難うございました。


又、3日の日には、昨年度の幹事さん、今年の幹事さん、と先日の門下生コンサートの反省会をしました。色々な意見も出て、皆さんで集まると、色々といいアイデアが出て良かったなあと思っています。













平成25年4月4日(木)音楽の仕事って、色々ある

昨日は、マリンバの先生宅で最後のリハーサル。あと、招待券(無料)が2枚のみとなりました。欲しい方は、お申し出下さい。

私が、マリンバの伴奏をさせていただく曲目は、復興支援ソングの「花は咲く」、ウエーバーの「舞踏への勧誘」、サラサーテ「バスク奇想曲」、チャイコフスキーの「ヴァイオリンコンチェルト」の3楽章、そして、アンコールがハチャトリアンの「剣の舞」、を演奏します。

その間に、マリンバだけの演奏で、ドビュッシーのアラベスク第1番などもありますので、へえ、マリンバだとこんな響きになるのだなあ、とか、意外な発見があっておもしろいですよ。

日時は、4月13日(土)東文化小劇場、開演はPM:6:00〜(私が主に演奏するのは、2部です。PM:7:00以降)です。
音楽で身を立てようとしている人たちのために、音楽で仕事をする時にこういう仕事もあるんだなあ、と感じて頂ければ嬉しいです。


平成25年4月1日(月)ランチタイム名曲コンサート

今日は、早乙女フーバー陽子さんのヴァイオリンを聴きに、宗次ホールへ。日本に帰国してからは、生徒たちのレッスンで忙しく、なかなか演奏会に出かけることも出来なくなってしまいましたが、今日はどうしても、何としてでも行きたいコンサートでした。
陽子さんは、私のウィーン時代の恩人です。私がもし、男性なら、陽子さんみたいな人と結婚したい、そう願うでしょう。この言葉で、陽子さんを知らない人でも、陽子さんという方が、どれほど素敵な女性かが分かるかと思います。

陽子さんとの出会いは、私が留学前に東京のゲーテ・インスティトゥートのドイツ語集中コースで勉強していたころです。それから、誰も頼る人のいなかった私に突如として、女神さまのように私の前に現れたのが陽子さんであり、ウイーンでの生活を何度支えて頂いたか感謝しきれないほどです。

人間には、一生を通じてあの時、あの方との出会いがなければ、今の私はない、そう思える出会いが確実に存在します。そういう感謝の念は、10年、20年、時がたてばたつほど、深くなっていきます。だから、ちょっとでも自分の事を助けて頂いた方の恩は、一生忘れてはいけないのです。

瀬戸内寂聴さんがそういう人は観音さまだとおっしゃっているのを聴いた事がありますが、そういう出会いは、そんなに沢山あるわけでもありません。

私の体験からは、もうこれ以上自分だけでは頑張れないような窮地に立たされた時に、自力で、前を向いて歩いていくと、必ず、そんな不思議な観音さまとの出会いがありました。しかし、これもすごく不思議なんですが、上手くいっている時は、そんな人と出会えず、もうどうしようもない、苦しくて世の中全てが灰色に見える時にそういう出会いがあるので、正に人とのご縁は、神様がお与え下さるものです。だから、どんなに苦しい時も絶望しなくていいというのが、体験上よくわかります。

今日、陽子さんが演奏されたのは、主にウイーンからの音楽の香りが一杯味わえるプログラムで本当に感動しました。シュトラウスのワルツなどを聴くと、もう私の心は、第2の故郷のウイーンに羽が生えて飛んでいってしまいます。久々に、ウィーンのさわやかな風を胸一杯吸い込む事が出来ました。

陽子さんは、素晴らしいヴァイオリニストであることはもちろんの事、オーストリア人の旦那様、大学生になる可愛いお嬢さんとウイーンに住まわれて約20年になります。やがて、日本で暮らしていた時より、ウイーンの生活の方が長くなると思いますが、健康に気をつけて、又、素晴らしいヴァイオリンを聴かせてほしいです。
←20年ぶりに陽子さんのヴァイオリンが聴けました。ああ、幸せ!!
中央は陽子さん、右はピアニストの方