平成25年2月27日(水)大海原を渡るのは本人

日差しは春めいてきましたが、まだまだ寒いですね。

3月24日にある、門下生コンサートも近づいてきました。先日も、今の幹事さん、新しい幹事さん達と打ち合わせに、熱田文化小劇場に行ってきました。

毎年、置いている玄関のポスター、回を重ねるごとにつぎはぎして、同じものを使用していましたが、年とともに、紙質がくたびれてきているので、今年は、11年目を迎えるし、この際なので、新しくしようと幹事さん達が張り切って、作って下さっています。

デザインも美しい素敵なのを作って下さっています。当日、来られた方は、是非、玄関のポスターにも注目して下さいね。あと、毎年、大好評の門下生たちのDVD、今は、ブルーレイが主体になっているので、それも、今年から、変更しなければならないと皆さんと決めました。そうなると、今までの機材から全て変えなくてはならないそうです。門下生の皆さんには、幹事さんからすでにご連絡が入っていると思いますが、DVDか、ブルーレイのどちらがいいか、お返事下さいね。

そして、リハーサル時間などを書いた最終連絡の紙を今日の生徒さんから、お配りします。毎週私のレッスン室に来られていない生徒さん達には、幹事さんから、来週あたり、FAXを入れて頂くようにお願いしましたので、そのうち、届くと思います。

今日も、チラシの曲目名が間違えている、と幹事さんから連絡が入りました。アラベスク第1番なのに、私のミスで、第2番になっていました。申し訳ないです。
何回も注意して見直すのですが、やはり、間違いがまだまだ出てきます。お気づきの点など、ございましたら、その都度、教えて下さいね。

さて、今や、音大受験まっさかりですが、先日は、名門の桐朋学園大学、そして、東京音大の合格発表があり、その2つとも、合格した生徒がおります。とりあえず、まだ、皆さんどこを選ぶかは、はっきりしていませんが、私も生徒もすごく喜んでいます。まだまだ、次から次へと、受験生がおり、気が抜けない毎日となっています。

先日、「小さな経営論」藤尾秀昭さん著という本を読んでいて、とても良い本でした。その中に、燕の話があって、すごく共感出来ました。

大まかな内容は、燕は、夏になるとやってきて、冬になる前にまた南の方へ、帰っていくそうです。帰る時には、日本で生まれた、子燕を連れていきます。
大海を渡るためには、子燕の間に、日本にいる間に力をつけさせなくてはなりません。力をつけさせないと、大海原を渡って行く途中で、落ちて溺れて死んでしまうそうです。親ツバメは、一所懸命励ますけれど、子燕を背負っては飛べない。自分で飛んでもらうしかない。親ツバメが出来るのは、子燕の間に大海原を超えていくだけの力をつけさせることだけなんだと。

人間もそれと全く同じで、親も先生も、皆さんを背負って、人生という大海を渡れません。皆さんが、自分で、その大海を飛んでいくだけの力をつけていかなければならないから、学ぶ時は、真剣に学ばなければいかんということだと、若い人へのメッセージで書かれてありました。

生徒たちを見ていても、私達は、一所懸命教えたり、励ます事は出来ます。けれど、実際、ピアノを弾くのは、その本人です。

どうすれば、もっと自分を向上させる事が出来るか、どうしたら、もっと自分を磨く事が出来るのか、教えられた事を、今の間に、しっかり、養分にしていかなければ、と真剣に求めてこない人間には、どうしてあげることもできない、自分の中に求めてくるものがない人間には、キリストが1千万言費やしたとしても、どうしたって伸びない、という現実です。

小学生、中学生の生徒さん達は、今、自分がやっていることは、数年後に、1人で大海原を渡らなければならないから、その時、途中で溺れて死なないために、そのために力をつけているのだ、と考えれば、ピアノの練習、勉強にも自ずと、真剣さが違ってくると思います。

今まで、育てた、受験生達を見ていると、小さい時から、育てた、子燕が、大きくなって、大海原を自分の力で、必死で渡っているように感じます。

巣立っていく、子ツバメたちを見送るのは、淋しさもありますが、私にとっては、最高に幸福な瞬間でもあるのです。

ところで、今日、PTNAの要項が届きました。今日の生徒さんからお渡し出来ます。


平成25年2月19日(火)人の教えに素直に耳を傾ける彼女のすごさ

明和高校の推薦入試が始まっています。今年も、例年通り、大人気のようで、受験者は、多いようですが、皆さん頑張って下さいね。

先日は、東京の音大を受験中の生徒から電話がかかりました。彼女の場合、何もかも1人で、行わなければならないので、
「ホテルの手配や、ピアノの練習室の手配など、どうなの?」と聞くと、「はい、大丈夫です。ホテルもちゃんととりましたし、練習スタジオも予約しました。それ以外は大学で、弾かせてもらえます」。と着々とこなしているようでした。2週間近くたった一人のホテル住まいで、あちこち受験するわけで、何かと大変だと思いますが、周囲の心配をよそに、受験を楽しんでいるようで、ほっとしました。

確かに、周りに協力者が沢山いた方が、頑張れるように思いがちですが、私は、9年間彼女をいつも見ていて、そうでない事も沢山あると、感じています。

子供は、母親の気持ちを敏感に察知します。それは、もう恐ろしいほどです。例えば、何か新しい事を始めたり、したりするとき、母親が、ちょっとでも、不安な事を口走ったり、「大丈夫なの?」と神経質になりすぎると、子供も一緒になって心配になってしまいます。母親の心は、すぐ子供に移ります。言葉を話さなくても、母親が不安そうにしているとその顔色を見て、その子供も不安になるというような。

しかし、彼女の場合、そういう、心配事を話す相手がいないというのは、心細くもあるでしょうが、逆に不安の種を撒かれる材料もないので、かえって、自分1人で思う通りに、のびのびと自分の人生を謳歌しているという感じです。それが結果的に、素晴らしいピアノ演奏に結び付いていくだろうと思われます。ピアノ演奏は実技なので、恐がっていては、実力が発揮できません。今現在、たくましく、こんなに立派に成長した彼女の姿を見たら、受験の結果はどうであれ、天国のお母様も何とお喜びになられる事かと思います。

私は、生徒たちに言葉がけをする時に、絶対にマイナス面のことを言ったり、不安にさせたり、神経質にさせるようなことのないよう、常に気をつけています。

母親は、ついつい、自分の子供の事となると、可愛さあまり、どうしても、必要以上に、その子の将来を心配したり、本当に、ちゃんとやれるのか、などと余計な心配をしがちです。

しかし、心配とか、不安というのは、出来るだけ持たないほうが、実力を発揮する点では、ずっと上手くいくのは、真実です。私は、彼女を小学4年生から高校3年生の今まで、ずっと見てきましたが、本当に手のかからない子でした。彼女の口から、悩みや愚痴、泣きごとを言っているのを私は、一回として聞いたことはありませんでした。もちろん、人知れずそれなりの、不安や、苦しみはあったとは思うのですが、私達大人に心配をかけまいと精一杯明るく気丈に振舞ってくれ、それが、私達大人から見てもすごいなと感心させられる事が多々ありました。


今週帰って、又、すぐ、再度東京へ、受験に行きますが、彼女くらい、人生を強く生きていれば、もう何も恐いものはありません。

これまでの9年間彼女は、私の言う事全てに対して、すごく、忠実で、すごく、素直でした。私が、「こうするといいよ」といった事は、全て言う事を聞いて、そのまま、まっすぐ素直に従ってくれるので、迷いも全くなく、変な方向へいく心配も皆無でした。

私の好きな松下幸之助さんが、部下たちに「教えてもらう時は、とにかく素直になりましょう」ということをいつも、おっしゃっていたと聞いていますが、いい言葉ですね。私も同感です。

あの人の言っている事は、違うんじゃないかと、へそ曲がりだったり、何かにつけ、反抗心を持っていたり、人の話をまっすぐきけなかったりすると、成長が遅れると私は思います。

いいことを教えてあげようとしてもすぐ、斜めの目線で、人の話の腰を折ったり、反抗的な人は、他人からの協力が得られません。人間は、1人では、生きていけないからこそ、他人からの協力が必要ですし、又、愛にあふれた、暖かい人生を送りたいと、誰もが願うと思います。

彼女は、もうすでに、小学4年生で、初めて私の所に来た当初から、人から教えてもらう時は素直でなければ上達しない、ということが良く分かっていました。それも、今は亡きお母様の素晴らしい人格を引き継いだのだと思いますが、東京で新生活を始めても、立派に一人暮らしをこなすと思います。


平成25年2月13日(水)指練習のようにならないで

今年も受験シーズンがやってきました。私の生徒たちも、音大・音高受験生達が今、必死で、頑張っています。私の学生時代、思い返してみると、思い出したくないくらい、受験は嫌なものです。それも、高校受験がやはり一番嫌なものでしょうか。

門下生コンサートも来月3月24日に迫り、幹事さん達も一生懸命協力してお手伝いして下さり、感謝しています。新しい幹事さん達が今年のPTNAの弾き合い会のホールをおさえて下さったので、又、挑戦しようと思う人たちは、是非ご参加下さい。6月15日(土)です。支部長の先生から、今年も要項をお取りしておきますね、とお電話を頂きましたので、要項が届き次第、参加される皆さんにお配りしますので、皆さん、楽しみにしていて下さいね。

さて、門下生コンサートも近いので、生徒たちに自分の録音したものと、CDを聴き比べてどのような違いがあるか感想を言ってもらっています。
その中で、「自分の演奏はどれもこれも同じ音に聴こえる」というものがもっとも多い感想でした。

そうですね。どれもこれも同じ、というのは、要するに、「一本調子で変化がない音楽」ということですね。大きい音なら、大きい音ばっかり、静かな曲なら、ずっと
ただ単に弱いだけ・・・・のように。

よく私が生徒たちに言うのが、「指練習にならないで」というもの。特に弾き込まれてくると、技術は安定してきても、歌が、なくなっていき、「指練習」になりやすいのが、ピアノという楽器です。

ピアノから歌う事を失くすと、単なる打楽器になってしまいます。そこで、「歌う」ということが、大きな課題になってきます。「歌う」ためには、どんなに早いパッセージにも、音の高低感や、音程感、♯からナチュラルに変わっても、敏感に音色の変化を感じ取る耳と、それに直結したタッチの鋭敏なコントロールが必要になってきます。

指の、どの面をキイに触れると、柔らかくてマシュマロみたいな音が出るのかとか、どこに力が加わると、深みのある音になるのかとか、肘のこの辺を抜いた時に音色がスーッと抜けて、ニュアンスが生まれる、など、さまざまな、音色の変化のためには、歌うこと、そして、音が本当に歌っているのかを聴くことが、必要不可欠です。

又、すごく難しいのが、音の遠近感。メロデイが響いているつもりが、メロデイを取り囲む他の声部も一緒に大きくなってしまっていたり、小さく弾こうとすると、メロデイも一緒に蚊の泣くような小さな音になってしまって、痩せた伸びない音になってしまったり・・・・・。

私が、そこで、よく説明するのが、どこの声部にスポットライトが当たるか考えてごらん、と言います。メロデイは勿論、主役。他の声部は脇役。脇役は、目立ちすぎることなく、かといって、いなくていいのではなく、主役をより魅力的に引き立てるためになくてはならないとても大事な存在です。

ただ、今スポットライトを浴びて歌っているのは誰なのか、その時に、舞台の端の方で、陰の声で、歌うのは誰なのか、はっきり自分で理解しておかないと、登場人物全てが、大声を張り上げて歌うようなことになってしまうと、単調で、平板で、つまらなく聴こえてしまいます。

音は、全ての音が大事に丁寧に弾かれなくてはなりませんが、全ての音が同じ大きさで、響いてしまってはいけません。そういう音は、どんなに、一音一音きちんと弾けたとしても、歌にはならず、指練習になってしまうので、注意が必要です。

譜読みして技術が安定するまでは、細部にわたって型にはまっていますが、本番近くなれば、その型をいったん、バアッと抜け出すことが大事です。かごの中で飼われていた鳥がかごから放されて、大空を自由に大きく羽ばたいていかねば、音楽の世界にたどり着けないのです。

全体を大きく見渡してみて、こことここが大事、ここが聞かせどころ、ここが、この曲の一番の山、ここがフレーズの終わり、など、大まかなポイントを見極めて、多彩な表情を沢山作りだしていって下さい。そして、決して、指の体操のようにならないよう研究を重ねていきましょう。


平成25年2月7日(木)目にするだけでも違ってくる

先日、ピアノ練習法を時間で配分する事について書きました。そういう風に練習すると、時間がすぐたって、すごく集中力が上がったと皆さんに大変好評でした。

それについて、小学6年生の生徒の1人が、「どれも全て、中途半端な感じがして、先生から言われた事をすぐ反応出来ないのは残念な気がします。けれど、次のレッスンの時に沢山曲を見ている事で、余裕を持って、レッスンに臨めるので、それもいいかなあと、思っています。しばらく、このやり方でやってみます」。
と感想を綴っていました。

その通りですね。特に女の子の場合、どの子も私にすごく、気を使ってくれます。こんな、中途半端な状態で、先生に見せるのは、申し訳ない・・・・・と。

私は、その気持ちは、有難く、とても嬉しいです。しかし、私は、その子の将来を思うと、コンクールや、コンサートや、本番で弾く曲以外、時間がある時は、出来るだけ沢山のレパートリーを増やすようにした方がいいと考えています。そうでないと、1年間に弾いた曲はコンクールの課題曲と、コンサートの曲だけ、では、指で、数えるほどにしかならないからです。

生徒たちには、私が6曲ほど、宿題を出したら、仮に1曲1曲は、完全でなくてもいいので、必ず持ってくるように勧めます。右手だけでも、左手だけでも、楽譜を1週間の間に「見た」というだけでも、すでに、充分練習したうちに入るのです。必ずしも、指を動かしていなくては、練習したとはいえない、ということはありません。

学校の授業もいってみれば、それに等しい気がします。算数の授業で、クラス全員の1人1人が理解できるまで、授業をするとなったら、1日中算数ばっかり、やっていなくては、なりません。しかし、時間によって、一限目は国語、二限目は算数、三限目は・・・・・という風に、時間によって配分されています。
その中で、もちろん、一時間の間に、頭の中に入り、スムーズに次へ進んでいく子もいるでしょう。しかし、なかなか、理解できず、わからないまま、先へ、先へ、授業だけは、どんどん進んでいき、その間に、分からない事が、積み重なって、気がついたら、全く、手の施しようがない、という風になっていく子も沢山いるはずです。段々分からない事が積み重なっていくと、その科目に苦手意識が芽生えるようになってしまうのです。

私が、学生時代を思い返すと、よく出来る子というのは、授業を始める時にすでに、その分野についての、下地(予習)があり、そのうえで、授業を聞いて、なおさら、先生の話がおもしろく聞けるというような子でした。もうその段階で、授業は、復習になっている感じです。しかし、先生が「今日は、教科書の何ページをやります。そこには、・・・・・」とか、話して下さっているときに、「はい、何ページね」と言って、さっと、教科書を開く子と、「え?今、先生何て言った?何ページ開けるの?」と、となりのお友達のやっていることを、必死で、見ながら、教科書を開く子とでは、もうすでにこの段階で、遅れていくわけなのです。

教科書もしょっちゅう、見たりしていると、あ、あのページにのっていた、とか、絵とか、写真だけでも記憶して事前に知っているというのが、授業についていくコツだと思います。

ピアノのレッスンも同じで、仮に、弾けていなくても、バッハの平均律のT巻の三番のフーガと言えば、「ああ、知ってる、こういうのでしょ?」とイントロだけでも知っている子と、全く、知らない子とでは、大きく差がついていくので、楽譜を目で、追うだけでもしていくといいですよ。

人間は、視覚から入ってくる情報がほとんどです。普段から、いい絵を目にしていると、絵のセンスが養われますし、お習字などもそうです。家にあった、壁掛けに美しい字が描かれて、それを毎日見ていたら、自然に美しい字とは、こういうものか、とわかってくるのです。

どれもこれも、曲を完璧にすることは、不可能ですので、本番で弾く曲以外は、ざっと目を通すくらいに考えて、ピアノの練習を楽しんで下さいね。


平成25年2月1日(金)音楽学生たちに事務、経営の仕方を教えるべき

新年も明けてつかの間、もう2月に入りました。いつものことながら、この時期は、自営業の皆さんにとっては、ものすごく忙しく、大変な時期です。私のような音楽家も自営業なので、それはそれは他人が想像する以上に大変です。なぜかと言えば、音楽家は基本的に全く、音楽に関わること以外、無知に等しい人種が多いのであります。(笑)

従って、事務能力ゼロに等しい私に代わり、何十年も前から共同経営者のパートナーがお手伝いをして下さっていますが、いずれは、私が全て自分でやらなくてはならないことだと思いつつ、すぐパートナーにお任せに・・・・。

今日も、そのパートナーが、「きゃー、せっかく、所得税の確定申告は出来あがったのに、今まで、入力したのがバックアップを取っていなかったのでソフトが起動しなくなってしまった。と、もう半泣き状態です・・・・・・。早速、普段毎日お世話になっている青色申告会の方に長時間かけて復元して頂いたら途中まで復元できたそうでした。 やれやれ・・・・・。
又、その続きを入力していましたが、苦労してパートナーが打ちこんだ確定申告が、途中からからやり直しです。ああ、ピアノ弾くよりずっと難しい・・・・・・。

それはともかくとして、音楽を専門とする、学生たちにそういった授業を今後は、音楽高校、音楽大学で、とりあげるべきだと思っています。特に音大は音楽のことばかり授業にするのでなく、実際音楽家になり、生計を立てていくようになると、こういう風に経営していかなくてはならない、という、経営の仕方も是非学生たちに教えておくべきですね。

実際社会に出た時に音楽家として必要なことを音大で、教えるべきなのです。音大生たちに、ショパンのエチュードばっかり弾かせていないで(笑い)、(現実問題、ほとんどの音大生は、社会に出てから、ショパンのエチュードを弾く機会はない)そういった事よりも、少しくらい、税金のお話や、経営学もたたきこんでおかないと、音大出たはいいけれど、音楽を使って、何をしていいかわからないと、右往左往する卒業生は少なくないと思えるからです。

私達が学生の時もそんな経営の授業は全くありませんでした。今から思えば、私を含めて他の友人たちも、年がら年じゅうピアノばかり弾いていて、授業は音楽の授業ばかりで、そんな現実とはかけ離れたような夢を見ているような事ばかりでしたが、実際問題、音楽家もそんな事ではいけませんね。

しかも、私の所は、代々ごくごく普通の一般的な、サラリーマン家庭であり、自営業を営んだ事はありません。従って、家族に誰も経営の仕方を知っているものはいませんので、なおの事、大変でした。サラリーマンと違い、こんなに音楽家という職種は経営がややこしいとは、思いもよりませんでした。

私がもし、音大の授業に取り入れてほしいものをあげるとすれば、「音楽の仕事の経営術」と題して、学生の皆さんに私達の苦労を話して聞かせたいと思います。