平成25年1月1日(月)新年明けましておめでとうございます

今日から、新しい年を迎えました。皆さま、本年もどうぞよろしくお願い致します。

元旦の今日は、普段と変わりなく、まず、朝起きるとすぐに、ピアノを一番に練習して、今年も今までと変わらずピアノと共に歩める日々でありますようにお祈りしました。

近所の神社に初詣に行き、今年の音高、音大受験生の生徒たちの合格祈願、そして、生徒たちが、いつも健康で幸せでありますように、元気で楽しく、私の教室に通ってこれますように、とお祈りしました。

そして、沢山のお年賀状、皆さま有難うございました。色とりどりの沢山の生徒たちの年賀状が、玄関をお花畑のように華やかにして目を楽しませてくれています。

私が、今日、一番の驚きだったことは、私の桐朋学園時代7年間共に過ごした、同級生の友人が結婚したというニュースです。

結婚したこと自体は不思議ではないのですが、彼女が結婚したという日に、私は、彼女が結婚したという夢を見たのです。
そして、旦那様のお顔も全く同じで・・・・・・。

正夢が現実になるということがあるのですね!!彼女とは、普段しょっちゅう交流があるわけではなく、ただ、夢を見た事がそのまま、写真になって送られてきたので、ちょっと、自分の霊能力!?のすごさに我ながら恐ろしくもあり、又、びっくり仰天しています。

さて、1年の初めに私は、今年1年の目標をたてます。

私がたてた目標は、

自らを灯明とすること、そして、生きる知恵を日々備えられるように努力していきたいです。

私の好きな言葉は、「天は自ら助くものを助く」ですが、スマイルズが書いた、「自助論」。最近読んだ本でとても共感しました。
人生は自分の手で切り開け、その通りです。夢多き若い人達にも是非読んで頂きたいお勧めの本です。

元日は、ウィーン・フィルニューイヤーコンサートを見れるのが楽しみ!!私がウィーン留学時代師事していた先生の息子さんもウィーンフィルで、演奏していますし、何と言ってもウィーンは私にとって、第2の故郷ですからね。ヨーロッパの中では、一番愛している街です。

又、ウィーンは、音楽の都としても、生活のしやすさ、治安の良さ、自然の素晴らしさ、どこをとっても最高の場所です。何度訪れても又、行きたくなるのが私にとってのウィーンなのです。


平成24年12月30日(日)1年を振り返って

今日で、今年1年のレッスンが終わりました。どの生徒も1年の締めくくりとして、「今年1年本当にご指導有難うございました。来年もどうぞよろしくお願い致します」と言ってくれます。何人かの生徒が私にメッセージをくれます。先生の所に来て、ピアノがすごく楽しくなった、テストなどがあって練習出来なくていった日でも、先生から元気をもらって帰って又頑張ろうという気持ちになれた、などなど・・・・。

ある生徒には、音楽と神様の結びつきについて話をしたら、早速興味を持ってくれて、キリストやブッダの話ののっている本を読んでいるとかで、彼女の知識欲はすごいものがあるなあと、感心しました。

とにかく、彼女の学ぶ意欲はすごくて、私が言った一言を全て全部消化して実行に移しているので素晴らしいです。これだけ、知識欲が豊富だと、人生豊かに過ごせますね。彼女が言うには、岩野先生は私の女神様なんだとか・・・・・。そうなれば、彼女を含めて私の生徒達は全て、私の可愛い天使達であります。

今年も1年がピアノと共にあっという間に過ぎました。生きるためにピアノを弾き、弾くために生きている・・・・そんな感じの毎日でした。

皆さんはどうでしょうか?多くの生徒さん達が、コンサートのために仕上げた1曲は、上手く弾けるようになったけれど、又、新しい曲になると、又、1から音楽を作っていかなければならない・・・・・そう感じる人は多いと思います。又、1曲を仕上げるのにこんなに時間がかかるのかということも、私の所へ来て間がない人は、驚かれると思います。

人間の進歩は大変に遅く、その歩みは何と遅々としてのろいのかとつくづく感じられる親御さんは多いと思います。しかし、親も指導者も、それを辛抱強く待ってあげることが、大切なのです。

努力する事と、忍耐強い事、そして、根気がある事、この3つがあれば、どんな分野でも成功しますし、逆に言うとその3つが出来ない人は、いくら才能に恵まれても成功する事はありえません。

私は、生徒たちを教える立場になってもっともっと、忍耐強くありなさいと神様が私に対して言って下さっているように感じます。今は出来なくても、そのうち出来る、分かる時が来るということを、日々確信しながら、生徒たちに根気強く接するように心がけています。

そうやって、神様の姿に近づいていくのが、人間の修行だと考えているからです。

とにかく、どの生徒たちもこの1年間で、又上手になりました。その成果が、3月の門下生コンサートで、披露されるのが楽しみです。


平成24年12月27日(木)ドイツ語でレッスン!?

今日は、明和高校3年生の2人が、日本クラシック音楽コンクールの全国大会で、3位になったと喜びの報告がありました。一人は、今、音大受験の冬期講習を受けている最中にあった本番で、大変だったと思いますが、良く頑張りましたね。おまけに、4月、5月頃オーケストラとコンチェルトをやらなければならないと、大慌てで、話しています。モーツァルト、ショパン、シューマン、グリーグ、ベートーヴェン、ラヴェル、ラフマニノフ、チャイコフスキー、ありとあらゆるコンチェルトがありますから、そういう機会が来た時、パッと持ち出せるように、学生時代にしっかりレパートリーをつくっておくといいですよ。

久しぶりに、名古屋に帰省した、音高生、音大生が連日、懐かしい顔を見せてレッスンに訪れています。皆、とても元気そう。卒業した誰もがその後、元気に、楽しくやってくれているのは、本当に嬉しいものです。

私自身も、音楽高校、音楽大学を経てきているので、いかに、音楽の学校自体が充実していて楽しいところかということが、よくわかります。
特に、高校1年生と大学1年生は、楽しいものです。学校生活があまりにも自由で楽しかったぶん、大学4年卒業と同時に、「さあ、さて、これから音大出たけれど、何をすればよいのか?」と、多くの人が、思い悩む時期を乗り越えていかなければなりません。

私が音楽高校を見ていて感じるのは、普通の高校に比べて、すごく、個性を尊重してくれて自由があるといったところに魅力があると思います。とにかく、音楽を専攻している人たちは、自由を求めていて、束縛されるのをすごく嫌う傾向があるので、皆が同じことを目指している音楽高校ほど、楽しいものはありません。話題も共通の話題で、盛り上がれるし、お友達もいい人ばかりです。

だから、その中で、何年間も過ごすと実に居心地がよくなってしまうのは、確か。だから、その間に、世間の事がわからなくなっていったりして、社会に放り出されると、途端に何をしていいか分からなくなってしまう人が多いと思うので、学生の時から、社会に目を向けておくことも、大切ですね。

先日来た大学1年生の子は、ドイツ語学校に行き始めたとかで、「先生に何時の日かレッスンの時、ドイツ語でして頂けるように頑張りたいです!!」と、目を輝かせて話してくれました。そうやって、大学1年から将来の事を考えていく事はとてもいい事ですね。

ドイツ語でレッスンしてほしい人は、喜んでしますよ。(笑)小学6年生の子にもお祝いの言葉をドイツ語で書いてあげたら、すごく喜んでいました。

好きな人の言う言葉なら、何でも覚えて帰れるというのは、私自身が体験してきているので、ピアノレッスンと同時にドイツ語も興味ある人には、話してあげます。そして、色々覚えて帰って下さい!


平成24年12月25日(火)小さな積み重ねが完璧な美へ近づいていく

先日、ベーテンコンクールの全国大会があり、明和高校3年生の生徒が、第3位を頂きました。おめでとうございます。受験生の皆さんは、音高、音大受験に向けて、この冬は、お正月どころではありませんね。

ピアノを一生懸命やる人、音楽家に将来なろうと考える人にとっては、休みなど、永遠にずっとありません。私も学生の時は、12月31日のおおみそかだろうと、お正月だろうと、関係なくレッスンに通っていました。(笑)

「先生のお時間のある時ならいつでもいいですので、おおみそかもお正月もレッスン、お願いします!!」とにかく、先生に頼み込んで、ピアノ一筋、情熱にあふれた学生時代でした。

「学生時代しか、素晴らしいレッスンを受ける事の出来る貴重な機会はないのよ、又、人から教われる時間というのは、若い時しかないのよ」というのが、親の口癖で、常にその言葉を肝に銘じて、学生時代を送ってきました。

振り返ると本当に親の言うとおりでしたので、若い時を無駄に過ごすことなく、素晴らしい師に巡り会えて、本当に良かったなあと感謝しています。

大体、学生を卒業すると、周りは、何も言ってくれなくなります。その演奏が、悪かろうと良かろうと。自分で判断出来なければ駄目だということです。

レッスンを受けれるのは、長い人生の中のほんの数年の事なので、一杯一杯ピアノを練習して、先生から吸収出来る事は全部盗んでやろう!!という我ながらすごい意気込みでしたね!

しかし、今から思うと、先生も休まれたかったでしょうに、わがままな私の要求によく答えて下さったと感謝するばかりです。

昨日は、しらかわホールで、PTNAの演奏会があり、門下の生徒の何人かが、聴きに行って下さって有難うございました。
とても素晴らしかったと何人かメールを下さり、演奏した生徒たちはとても喜んだと思います。自分が弾く時だけ楽しむのでなく、他のお友達の演奏も聴く良い聴衆であることは、音楽を学んでいく上で、欠かせない事なので、聴きに行って下さった生徒たちも大変勉強になった事と思います。

私の所に通っている生徒たちは、皆よくわかっていると思いますが、ピアノ演奏の仕上がりに終わりは、ありません。これで、この曲は仕上がった、などと思ったら、大間違いです。

その間違いは、音を間違えずに、完璧に弾けた、そういうことではありません。芸術としての、「美」に一歩でも近づくことが出来たのかどうかが、大事な点です。

私は、自分が幼かった頃、良い師に巡り会えた事で、今の自分があると思っています。私がついた先生は、たとえ私が6歳の子供でも、情け容赦なく、完璧な美の追求を私に求められました。その頃、私のレッスンを周りで見ていた、大人たちは、何もそんな小さな子供にあそこまで、徹底させなくても、と思ったといいます。

確かに、細かい音のニュアンス、歌い方のちがい、など、こまごました問題など、どうでもいいじゃない、と思う人は多いと思います。しかし、そのような小さな細かな事、他人に分からないような事が沢山積み重なって「美」は完成します。

彫刻家のミケランジェロも同じことを言っています。「つまり、美の完成にとっては、どんなにささいな問題でも重要な意味を持つ」と。

私の師は正にその習慣を6歳の私に徹底して下さったと思います。おかげで、6歳から身についているその習慣がそっくりそのまま、私の生徒たちに吹き込まれている感じですね。

ヨーロッパでは、職人がものを作るときに同じ技を同じように伝授していきますが、正に同じですね。

私が、ピアノ演奏に限らず、素晴らしい絵画や彫刻に感動する時は、必ずと言っていいほど、その人の人生の背後にあるものに思いをはせます。


ここまでの作品に仕上がったのは、どれだけの時間とお金がかかったことでしょう。それを支える、家族の協力は並大抵のものではないし、それ以上に本人の努力は、並大抵のものではないはずと、とすごく、共感できます。

芸術家として他に秀でようと思えば、気が向こうと向くまいと、一心不乱になって創作に打ちこみます。それは、もう楽しみの域を超えて苦行と言ってもよいでしょう。

私もそういう生活を幼いころからずっと送ってきているので、一芸に秀でている人達の苦労がとてもよくわかるのです。自分の音にも40年分の培ってきたものがその一つ一つに込められていると思うと、全ての音が慈しみの気持ちで一杯になるのです。


平成24年12月21日(金)クリスマスプレゼント

クリスマスも近づき、学生の皆さんは、冬休みに入り、ほっとしていると思います。

クリスマスはもともと、イエス・キリストの誕生を祝い、又、キリストの誕生について思いをめぐらす静かな祝祭です。

ヨーロッパでは、クリスマス時期は、お店も閉まってしまうし、街全体が、シーンと静まり返ります。ただでさえ、静かで、暗いヨーロッパが、クリスマスはもっともっと静かになります。けれど、ろうそくの灯りが暖かく感じられ、家の前には、本物の樅の木が雪で真白に覆われて、何ともいえないほど、美しい季節です。これこそが、ホワイトクリスマスです。

ヨーロッパの音楽に毎日接している我々にとって、イエス・キリストの事や、聖書の事、讃美歌など、は切っても切れないほど深い結びつきがあるので、ピアノを学んでいる人は、是非聖書を読んでみる事をおすすめします。

バッハは勿論の事、モーツアルト、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス・・・・・・全ての西洋音楽が教会と密接な関係があり、マリア様とキリスト様の話から来ている事が良く分かると思います。

何人かの生徒が、子供用の旧約聖書や新約聖書などを買ってもらって読んでいるようです。

私は、歌の中では、讃美歌がとても好きなのですが、夜寝る前に必ず歌ってから眠るのが日課になっています。どんな歌よりも心が安らぎ、いやな事が全て洗い流されるからです。

讃美歌を歌う事は、ハーモニーを学ぶのにもすごく役立ちます。簡単に弾けるものばかりなので、初見練習やソルフェージュのハーモニーが苦手という人には特に、おすすめです。

クリスマスを迎えると同時に、今、東京の音大に行っている子や音高生、そして、京都の方に行っている音大生の子も皆、帰省してレッスンにやってきます。

私も、東京に下宿していた音高生、音大生の頃、休みに入ると、すぐ、静かな三重の実家に帰りたくてたまりませんでした。東京のせわしない満員電車や、人混みが私には、最後まで合わなかったと思います。

だから、東京から、ウィーンに行った時は、本当に落ち着いて、心の底から音楽に打ち込む事が出来ました。音楽家は静かな環境が何にもまして大切なのです。そうでないと、耳を良く澄まして聴くといった、音楽にとって一番大事な事が出来なくなってしまうからです。その点で、画家とよく似ています。

私のところを卒業した生徒たちが何カ月ぶりに又、帰ってきて、皆さんの成長ぶりを聴かせてもらえるのが、私にとっての最高のクリスマスプレゼントです。


平成24年12月16日(日)1人1人の生徒の成長が楽しみ

来年3月24日にある門下生コンサートのチラシを見て、「わあ、卒業したお姉さん達も帰ってきて演奏して下さるのですね」と生徒のお母様が嬉しそうにおっしゃっていました。皆さん、卒業した生徒さんがどうなっているのか、とても楽しみにしている様子です。
私も、教室から、一応送り出した卒業生とはいっても、その後どうなったかなと気になるので、1年に1度の門下生コンサートに顔を出して、演奏してくれるのは、とても嬉しいです。

昨日は、つい最近音楽科受験を決めた中学3年生の生徒が、とてもいい演奏になってきて、すごく嬉しい日でした。断を下すということは、こんなに吹っ切れて、頑張れるものなんだなあ、と思いました。迷っているときは、時間も無駄に過ごすばかり。とにかく、成功するか、しないか、を考えずに、どちらかに迷わず決めるということは、大切な事です。


生徒の中には、ピアノを沢山弾くと勉強もどんどん暗記力がついてきて、成績がぐんぐん上がったとのこと。羨ましい限りですね(笑)
普通、ピアノばかり弾いていて、勉強の成績が落ちたとかは、よく聞きますが、ピアノを沢山弾けば弾くほど、成績も良くなるなんて・・・・・・。

でも、確かにそうかもしれませんね。彼女は、塾も全く行っていませんが家で、進研ゼミで勉強しているそうです。

又、今日は、8歳のお誕生日を迎えた生徒が、「今日の日が、先生とピアノレッスンで始められてうれしい」と書いていました。今年は、ピアノを一生懸命頑張りたいそうです。

何か1つに目的を絞って、自分の得意分野をどんどん伸ばしていくと、結果的に、それが人並み以上に抜きんでた分野になります。それがどんな分野であれ、社会に出た時にその人がいなくては困るといったなくてはならない存在、スペシャリストになれるのは、素晴らしいことですからね。

生徒の成長は本当に素晴らしく、1人1人が宝物のように思えます。


平成24年12月14日(金)何十年か後に理解出来る作曲家の気持ち

エリーゼのために」を弾いている小学3年生の生徒が、自分で歌詞を考えて書いて来てくれました。

内容は、「テレーゼに会いたい、会いたい、だけどお母さんが許してくれない・・・・・」といった切ない内容です。すごく上手に書けていました。

感心したのは、調性が明るくなったり、暗くなったりするところで、「だけど・・・・・」とか、その前の文章を否定するように作られているところです。

又、「エリーゼのために」は、ベートーヴェンが、今度こそ最後にしようと考えていた、プロポーズの最後の女性がテレーゼさんだったという話が残っていますね。

一番最後に左の連打で、ずっと打ちならしていく大変にドラマチックな部分がありますけど、その部分で、「僕にとって、音楽が一番、だけど、テレーゼの方が、やっぱり、大事なんだ・・・・」と幼い彼女が、考えてくれた歌詞は、ここを一層悲劇的なものにしていて、感心しました。

人間が生きていく上で、「愛」が何よりも大切、と、歌っている彼女の詩には、ベートーヴェンが最後まで求め続けた第九シンフォニーにもある、「人類愛」「兄弟愛」のテーマが正に取り上げられていて、やはり子供の力はすごいなあ、神の力を感じた次第です。

あと、小学2年生の生徒が、学校で、「音楽」という詩を書いたそうで、ノートに書いて来てくれました。

音楽は、オコレルものだ、私の遊ぶ時間を奪うから、音楽は、ツライものだ、指が動かないときがあるから、音楽はステキなものだ、私をステージで輝かしてくれる、などなど、色んな内容の「音楽」から受け取る、彼女の思いがまっすぐに、こめられてあり、そのどれもが、そうだ、そうだ、全くその通りだ、と誰もが、共感出来る内容です。

色んな意味の「音楽」がまだ、幼い彼女の心の中で渦巻いているのでしょう。しかし、最後に、音楽はすてきなものだ、私の心を豊かにしてくれる、といった内容でしめくくってあったのは、小学2年生とは思えないほどの、素晴らしい詩で、私は、「学校で褒められたでしょう?詩人にもなれるね!」と言ったようなことでした。

メロデイに歌詞をつけて歌うとなぜ、歌えるようになるかといえば、そこに、「歌の心」がこめられるからです。

小学3年の彼女も、「会いたい」と歌う事で、テレーゼさんに実際会った事がなくても、自分の大切な人を思ってそのメロデイを歌う事でしょう。

ただ単に、「ミレミレミシレドラー、ドミラシー、ミソシドー・・・・」と歌うよりも、「テレーゼに会いたいー、会いたいー、会いたいー・・・・」と歌った方が、
より気持ちがこもるはずです。

自分の気持ちが相手に上手く伝わらない、又は、伝わったとしても、成就しなかったり、嫌われたりして、つくづく、世の中は、自分の思い通りには、いかないというのは、生きている人間なら誰しも感じるはずです。しかし、思い通りにいかなくても、仮に物事が成就しなくても、努力していく大切さを音楽が教えてくれるのです。

私が音楽をしていて一番好きなのはその部分です。その作品を、弾く事で、私もベートーヴェンの気持ちに寄り添えるということ。

それは、どんな慰めの言葉よりも、暖かくて、励ます力が、音楽には、あるのです。

他にも何人かの生徒が色々と、曲に言葉をのせてくれているようですが、その音楽から受け取った、作曲家の気持ちに寄り添える素晴らしさを味わってもらえれば、とても嬉しいです。

その意味が理解できるようになったときに、将来音楽の専門家にならなくても、ピアノが弾けていて良かったな、習っていて良かったなと実感出来ます。それは、今すぐではありません。10年後、20年後、その子が、大人になって、人生の機微を感じだしたときに、きっと音楽の心がその子の心に寄り添う時がきっと訪れるからです。

だから、その意味がわからないまでにやめてしまったりしてはいけないと、私が常々言うのは、そういう理由からなのです。


平成24年12月11日(火)任せても大丈夫なのが、高校生

今日は、明和でしたが、寒かったです。高校生達は、よく頑張っていて、高校3年生の受験生も、もう明日本番を迎えても大丈夫というくらい、完璧に近い演奏をしています。

高校1年生の子は、メトネルを弾いていますが、暗譜で持ってきました。メトネルはすごく複雑なんですが、高校1年で良く頑張ったと思います。素晴らしいですよ。

彼女達を見ていると、ああ、さすがは音楽高校生だなあと感じます。もう充分、自分で曲選びも出来るようになりますし、自分の長所が生かせる曲とか、又、本番で弾く為には、これくらいの練習量が必要、こんな曖昧な弾き方では、コンクールも受かるはずがないとか、自分で判断出来るようになってくれるので、本当に嬉しいです。

本で、高校生は子育てのクライマックスだと書かれているのを読んだ事がありますが、正にその通りです。小学生、特に低学年までは、まだ、大人の話を理解することが出来ないし、身体も小さくて、しょっちゅう病気になったりします。出来ない事が多く、育てる方も手がかかり、子供もストレスが一番かかる時期です。

ですが、高学年になると、少しずつ、出来る事が多くなり、身体も丈夫になってほっと出来る頃です。しかし、ほっとするのもつかの間、中学生という人生で一番難しい時期にさしかかると、それはそれで大変です。

今度は、あらゆることが、出来るようになりますが、ある人には、簡単に出来て、自分には出来ない、などと、他人との違いが見えてくる時期です。自意識が高まり、物事を反抗的にとらえたりして、親を一番てこずらせる時期ともいえるでしょう。身体だけは大人なみになるので、病院に連れて行ったりしなくていいぶん、他の面での悩みが増えます。

それを上手く通り越すと、高校生になり、この時点では、将来何をすべきか、大体の事がおおよそ、決定づけられる時期となります。自分の長所、短所を見極める事が出来るようになり、冷静に、他人との違いがとらえられるようになります。

そうなってくれば、もう親の言う事もきかなくなります。親が、こうした方がいいんじゃない?と言ったとしても、もう自分の出来る事、出来ない事が、判断できる年齢だからです。自分で決める、いや、自分で決めたい、そうなってくれます。とても喜ばしいことです。

だから、この年齢の子には、自分の好きにさせるのが一番と思っています。その子に任せていても、ちゃんとやってくる、そういう意味で、高校生は素晴らしいです。

さて、門下生コンサートのチラシも出来上がりました。とても素敵に作って下さり、幹事さん達が、一生懸命お手伝いして下さるので、毎年、とても感謝しています。

今日のプライヴェートレッスンの生徒からお配りしています。皆さん、沢山お客様をお呼びして下さいね!


平成24年12月5日(水)生徒達に全ての愛情を注ぐ事が出来るのが自分の強み

レッスンの時、歌詞を考えてきてごらん、とお話したら、早速、何人かの生徒が考えてきてくれました。
小学6年生の生徒は、そうやって、メロデイに言葉をつけると、すごく歌いやすくなったようで、曲がとても生きてきました。又、小学2年生の生徒も、作文として、書いて来てくれました。子供の感性は、素晴らしく、小学6年生の子には、思わず、「その詩、先生にくれる?ほしいなー」と言ったら、恥ずかしそうにしていましたが、「さしあげます」。と言ってプレゼントしてくれました。

ピアノのレッスンは、ただ、ピアノの技術だけを教わるだけでなく、全てを学べる人生道場みたいなものです。

ピアノを習うことは、ピアノの曲をただ、弾くだけではありません。私は、レッスン中、生徒たちに、色んなお話もします。
興味がありそうな子には、ヨーロッパの文化や習慣、イエス・キリスト様や、マリア様のお話、聖書、教会の中の音の響きをピアノで再現するには、又、ヨーロッパの絵画、バレエ、オペラ、詩、物語、表現者としての在り方、又、音楽家として生きていくには、などなど、生徒たちが、将来、私の所でピアノを習っていて本当に良かったなあと思ってもらえるような心の面でのレッスンを提供しています。

そういった話は、今、すぐ理解出来る人もいますし、何十年か後に分かるという人もいます。

正に、ピアノだけでなくて、全ての人格を作り上げると言っても過言ではありません。
なので、例えば、生徒のレッスンノートの漢字が違っているなと気付いたら、ちょっと、書き直してあげる、又、ドイツ語で、コメントを書いてあげたりもします。そうすることで、ヨーロッパの言語にも興味を持ってくれると思うからです。

又、ピアノを習っている学習者の皆さんがすごく、不安に思う事は、やはり将来の事だと思います。

音楽大学を出て、一体何の仕事があるのだろうか、大学4年生くらいになると、どんな人でも必ず1度は不安が頭をもたげる現実が訪れます。

しかし、音楽の仕事というのは、やり方によっては、いくらでもあります。音楽教室の先生、ソルフエージュやリトミック、小、中、高の音楽の先生、幼稚園の先生、ウエデイング奏者、バレエピアニスト、オペラのコレペテイトゥール、合唱団のピアニスト、ミュージカルなどの伴奏ピアニスト、もともと、どんな楽器でも、まず、ピアノを伴奏に使いますから、一番需要の多い世界でもあります。

ウイーン国立音楽大学の中で、私が通っていたのは、演奏家コースで、いわゆるコンサートピアニストになるためのピアニスト科ですが、私の隣に住んでいた人は、ペダゴジカル科といって、教育学で留学されていましたから、音大といっても、ピアノを習っているからピアノしか進路がないというわけではありません。ピアノ科だけが全てではないのです。教会音楽(ヨーロッパには、沢山ある)、チェンバロなどの古楽器(手が小さい人が方向転換したり)、さまざまです。音楽を理論でとらえたい人、歴史を学びたい人には、音楽学や、楽理科など、ありとあらゆる、方面が音大には、用意されています。

バレエピアニストやミュージカルピアニストは作曲の能力が強く求められます。しかし、そのいずれもが、ピアノがまず基礎であるので、ピアノを必ず習っていなくては、方向転換出来ません。

全て、私の場合、現場を知っているので、生徒たちにも私の体験を年齢にそってお話をする事が出来ます。

中学3年生の受験生が「先生は、私の質問にいつも、すぐ、何でも答えて下さるから嬉しい」という内容で、レッスンノートに書いてくれていましたが、私は、
どの子も自分の子供のように責任を持って教えています。特に、人生で一番大事な時期である中学生のお子様達を沢山預かっていますから、大変な預かり物をしている気持ちで生徒と真剣に向き合っています。

幸いにも私が、独身であるということ、そして、子供がいないということで、私の持っている愛情の全てを、生徒たちに捧げる事が出来、そして、全人生を音楽にささげる事が出来るのが自分の一番の強みだと思っています。

ピアノ人生以外の生き方をするなんて、そんなことは幼いころから、今までに1度も考えたこともありませんが、私がもし、仮に結婚していて、自分に子供がいたとしたら、恐らく、ここまで、全ての情熱を生徒たちに傾けるエネルギーは、持てなかったと思います。

あちこちにエネルギーを分散出来る立派な人もいると思いますが、私は、昔から、自分が不得手な事には、時間を全く割きたくないタイプ。それよりも、自分の強みを1つに絞ってとことん、全力で、集中して物事に取り組みたいタイプです。

自分をよく見極めて、一番自分が幸せと思える環境を作り出すこと、そして、自分にとって一番納得のいく生き方をするのが、最高の幸せと感じています。

だから、ピアノに限らず全ての面で、生徒たちにも、とにかく、自分が納得できる人生を送ってほしい、そう思っています。子供を愛する親なら、どの親もそれを一番に願うはずだからです。

私自身は、今後も自分が、音楽以外のことに時間をさくなんてとても考えられません。これからも、1人1人の生徒たちに充分な愛情をかけて、音楽の面だけでなく、心が豊かで立派な人格を持った素晴らしい生徒たちを情熱を持って、育てていきたいです。


平成24年12月1日(土)必ず努力は実る

12月に入り、今年も終わりに近づいてきました。私の教室の生徒は、中学生が多いので、どの生徒もやっと期末テストが終わったーとホッとしている子が多いみたいです。

さて、練習している時に、腕が痛くなったり、手が痛くなったりするのですが、という質問を受ける事はすごく多いので、日記にも書いてみようと思います。

まず、痛くなるという人は、手の広がりが狭い、というのが、一番にあげられます。しかし、手は、必ずしも大きければ弾きやすいというものでもありません。

大きければ、ラフマニノフとか、スクリアビンなどのロシアものは弾きやすいでしょう。しかし、スカルラッテイなどのバロック、モーツアルトやハイドン等の古典派は、指が長すぎると、タッチがグラグラして、安定感が悪く非常に弾きにくいものです。

こじんまりした手でも、2と3の間、3と4の間とか、水かきが充分に柔らかく広がれば、痛くならないので、自分が出来る一番の訓練としていいのが、常に水かきを開く努力をする事があげられます。

私があちこちで、セミナーなどの講師で呼ばれた時に、皆さんに伝授している事をここでも書きます。

昔、NHKの教育テレビで、「ピアノのおけいこ」という番組があり、ピアノのことで必死だった私と母は、毎週その番組を楽しみに見ていました。

その時、ピアニストの宮沢明子さんが、「手が小さいとピアノを弾く上で致命傷になる」とおっしゃっていました。そういった話をされる時も、常に、ご自分の手をとにかく、伸ばして伸ばして訓練されていました。

それを聴きつけて、4,5歳の頃から、お風呂に入った時は、私の水かきを使い終わったレモンの皮で、伸ばす、昼寝から起きた時に伸ばす、朝起きたらすぐに伸ばす、というのを、毎日毎日、母が、マッサージしてくれていました。かなり大きくなるまで、(中学3年生までくらい)、年がら年じゅう、私の手の水かきを痛いくらいに引っ張ってばかりいましたね。ピアニストになるためには、ピアノの練習だけでなく、ピアノを弾いていない時の努力も大切だと信じていたからでしょう。

そのおかげもあってか、私の手は、それほど、大きくはありませんが、広がりは、充分あり、左手は10度、右手も10度届き、ラフマニノフやスクリアビンなどの大曲も、全く苦労せずに、弾けてこれたので、これは、つくづく母の努力のたまものと思って感謝しています。

伸ばす時に、なぜレモンの皮がいいかといえば、ぬるぬるして、引っ張る時に、痛くないからです。それと、我が家では、お風呂からあがるときに、浴槽の壁でバレリーナが足を開脚するみたいに、1と2の間、2と3の間、3と4の間、4と5の間、最後に1と5の間、10回ずつのばしてからでないと上がれないというルールがあって、もう暑くてのぼせて出たいけれど、ピアノが上手になるためには何が何でもやらねば、私自身も、その一心で、水かきを開く訓練を毎日していました。

ちょっと手の広がりが悪いなとか、私の所に幼くして入門してきた子には、この訓練をやるように必ず勧めています。又、中学生、高校生以上でも訓練すれば、伸びてきます。その代わり必死で毎日続けなければ効果はありません。その点もピアノの上達によく似ています。

自分の手の広がりが、1ミリでも伸びてくると、それだけでも随分と余裕が生まれます。余裕が生まれるという事は、無駄な力が抜けてくる、つまり、脱力が可能になるのです。

余裕が持てるようになると、腕は痛みません。その証拠に、私は、ピアノを弾いていて手や腕が痛くなった事が今までに全くないのです。

私の手を初めて触った人は、あまりにも柔らかいので、誰もがびっくりします。同僚の先生方も、「何ー?きもちわるいー、ぐにゃぐにゃして猫の手みたい」とか、私の恩師は、私の手を「クラゲ」だの、「軟体動物」だの、いろんな言葉で冷やかされてきました。でも、ピアニストである自分の手の柔らかいのは結果的に良かったなと思いますし、今では、他の人にはない強みがそこにあると思い、母が作ってくれた、かけがえのない宝物と思って大切にしています。

長所は短所にもなり、短所は長所にもなりうるのです。自分が短所だと思って、嫌っている部分が実は、大きな強みなのです。

何でも、良い方向へ良い方向へ、持っていこうと努力すれば必ず、結果が表れてくるのは、ピアノ演奏と同じですね。

努力を楽しんでください。そして、ピアノを練習するだけでなく、ピアノを弾いていない時にも、常に手を伸ばすとか、重たい荷物を持つなどして、自分の手を積極的に動かすことをおすすめします。肉体は自分でつくっていくものなのです。

1年たてば、大きく広がっていますよ。保証します。