平成24年11月29日(木)メロディに言葉をのせて

先日、中学3年生の生徒がレッスンに来ました。彼女は、門下生コンサートにベートーヴェンの悲愴ソナタの2楽章を準備しています。
きちんと弾いていますし、学生さんらしい、純粋で素直な演奏です。私は、「もう少し1つ1つの音に気持ちを込めて、聴き手にお話しするように語りかけてごらん」とアドヴァイスしました。

「語りかける」という言葉は、「歌って」と同様、私が生徒たちにレッスンの時、何度も使う言葉です。「語りかける」「歌う」といっても、若い学習者の皆さんにはピンとこないかと思い、昨日の生徒には、1枚のCDを聴いてもらいました。

私は、日頃から、クラシックだけでなく、いろんなジャンルの音楽を良く聴きます。又、いろんな楽器や歌などにアレンジされているのも、すごく好きで、聴くのですが、その中の1枚に歌手の平原綾香さんが藤澤ノリマサさんと歌っている悲愴の2楽章がお気に入りです。

生徒に、「加山雄三さんて知っている?じゃあ、平原綾香さんは?」どちらも、知らないとのこと。お二方とも、悲愴の2楽章を歌にされています。

聴いてもらった後、「ね、すごくおもしろいよね、それに、平原さんと藤澤さんが考えられた、歌詞も素晴らしいよね?Sailing  my  life 旅の途中 僕が生まれたわけを教えて・・・・(歌詞を読む私)
○○ちゃん、詩をつくるのは好きかな?自分でこんな風に詩をつくって、音に言葉をのせてみてごらん、そうすると、音楽を語ること、歌うこと、の意味がよーくわかるようになるよ」。

そのあと、又もう1回通して弾いてもらいました。そうしたら、まるで、曲の世界がガラっと変わったのです!!

私自身も練習の時にメロデイに言葉をのせて歌ってみたり、歌詞をつけてみたりすることをよくやります。この遊びはとっても楽しいし、ためになるので、是非皆さんもやってみることをおすすめします。

やり方はとても簡単。まずは、音楽のメロデイが何を語りかけているかを感じます。そのメロデイが輝いている感じなら、「た・い・よ・う(太陽)の・か・が・や・き」とか、苦しみを表していると思うなら、「こ・こ・ろ・が・こ・わ・れ・て(心が壊れて)」とか、とにかく、何でもいいのです。自分が感じたままにメロデイにのせていきます。それを、一つ一つの音にのせて歌っていくと、不思議なことに、1つ1つの音に気持ちが、魂がこもるようになるのです。

だから、例えば、悲愴の2楽章のあの有名なメロデイもただ、漠然と、「ドーシーミーレ、ドーミーラーシーミー・・・・」と歌っているだけでは、何も音楽が語り始めません。

クラシック音楽のメロディがポピュラー音楽にも、ジャズにも、なりうるメロデイは偉大な作品といえます。バッハの作品なんてどんなジャンルにもアレンジ出来るくらいポピュラー性を持っています。偉大なことというのは、全然難しいことではなくて、本当はすごく単純でやさしいものなのです。誰もが理解できて、大衆の心をとらえるからこそ、偉大な作品なのだと私は考えています。

そのメロデイが難しすぎて、ある特定の人にしか理解できないようなものなら、やはり、のちのちまで、沢山の人々から愛されることはないでしょう。

しかし、今の現代、もし、ベートーヴェンが生きていて、こんな風に後世の人たちが、自分の曲に歌詞をつけて歌っていたり、他の楽器、あるいは、ポピュラー風にアレンジされていたりするのを聴いたとしたら、さぞかし、びっくりするでしょうね・・・・・

偉大な作品は、誰もが口ずさめるから、名曲として残っていくのです。

中学3年生の生徒に聴いてもらったCDから、何らかのメッセージを心に残して帰ってもらっていれば、こんなに嬉しいことはありません。彼女が、門下生コンサートで、どういう彼女の世界観を語ってくれるかが今からとても楽しみです。


平成24年11月27日(火)根気強く、忍耐強く、又、自分のことも寛大に・・・

明和高校3年生の生徒が、県下ピアノ独奏コンクール高校生部門で、第1位、又、愛知県教育委員会賞を頂いたと喜びの報告がありました。
おめでとうございます。彼女は、音大受験も差し迫り、大変完成度の高い演奏をしていますし、努力の仕方も半端じゃないほど頑張る子なので、その調子で、無理をせず、受験に向かっていってほしいです。

来年3月24日の門下生コンサートのチラシの原稿を作り始めています。又、今回も名曲が目白押しで、11回目を迎えるコンサートもとても楽しいものになりそうです。生徒たちは年に1度のこのコンサートをとても楽しみにしているようです。チラシが出来上がるのを楽しみにしていてください!!

どの生徒もそれぞれにとても魅力的な演奏をしています。

先日、中学1年生の生徒がブラームスのラプソデイを聴かせてくれましたが、感動しました。
私が、ブラームスの曲を弾くにあたって、伝記を読んでごらん、と話したら早速読んでくれたようで、読んだ感想もきちんとレッスン日記に一生懸命書いてくれていました。ブラームスの家庭は非常に貧しく、家計を助けるために、14歳の頃から、夜の酒場でピアノを弾いて働いていた事、そんな若い多感な時期に、人間の汚い夜の世界をいやというほど、体験しているからこそ、音楽に高尚なものを求め、深く、崇高なものを表現したかったのでは、又、大好きな母の死の悲しみを乗り越えたどりついた深い境地が表現されているドイツレクイエムを是非聴くといい、ブラームスの一番の魅力は1番から4番までの交響曲にあるから、聴いてごらん、などなど、色んな話し合いをしました。
私が、言った一言をレッスンの時に大切に自分の中に取り込んで消化させてくれたことが、本当に嬉しかったです。

彼は、幼いころから、非常に根気があって、何回同じ事を繰りかえさせても、全く嫌がりません。初め、かなりの大曲で、あちこち弾きにくいところもあったのですが、今まで弾きにくかったところが、毎回毎回、根気強く根気強く練習を重ねていくうちに、弾けるようになってきました。私が、生徒たちをレッスンしていて、「バンザーイ!」と叫びたくなるくらい嬉しいのはこんな瞬間です。

中学1年生のリストの愛の夢を弾いている子もオクターブがすごく難しくて苦労していましたが、先日は、完全に弾けるようになっていました。
彼女の演奏も、私が、「やったー!!出来た!!」と叫びたくなる瞬間でした。

彼も彼女も、門下生コンサートの曲以外にも沢山曲を弾いています。完璧にはいかなくても、バッハや、ショパンやモーツアルト、ベートーヴェン、とにかく沢山弾いています。

沢山の曲を練習することで、器が大きく広くなっていきます。門下生コンサートなど、人前で弾くものは、何カ月も何カ月も根気強く一曲を練り続け、今すぐに人前で弾かないものは、とにかくどんどん手当たり次第に譜読みをしていく。

それは、コンクールで賞を取ること以上に大切なことであり、その子が10年後どうあってほしいかをいつも考えて私は生徒たちを教えています。

よく生徒たちに話すのが、ピアノが上手くなる過程では、「根気強く、忍耐強く、そして、今日失敗して出来ないと、自分を責めたり、厳しくしすぎないで、自分自身に寛大になることよ」と話しています。
自分に厳しすぎると、なかなか出来ない自分に腹を立てて、嫌気がさしてきたりするので、自分に対しても寛大になって、明日、出来なくてもいいから又同じことを頑張ってみようという意欲がわく事がとても大切だからです。

とにかく、先急がない。先急いだところで、途中で息切れして、続かなくなったりすれば、今までの苦労が水の泡ですから、その人その人のペースでゆっくりゆっくり着実に進んでいくのが大切なのです。マイペースというのは、とても大事ですよ。これは、ピアノが上手になるうえで、一番重要なポイントです。その結果が、ブラームスの彼や、リストの彼女に現れてきており、幼いころから指導してきた結果が表れており、本当に嬉しく思っています。
彼らだけではありません。全ての生徒達の上達ぶりを書けば、紙面が足りなくなるほどですが、本当に皆上手くなったなあと感動している毎日です。

素晴らしい演奏の数々を是非、門下生コンサートで味わってみてください!


平成24年11月22日(木)生きた音

今日は、ピアノを弾く時のタッチについて書いてみましょう。
ピアノの鍵盤をポーンと鳴らすと音が出ます。問題はここから。鳴っただけで、次の音まで気持ちを保てずすぐに、ゆるめてしまうと、音が縦割りに直線的になってしまいます。

特に、長い音符や休符のときに1つ1つ切れてフレーズが短くなってしまうのも、それが原因です。

まず、ピアノを歌いにくくしている原因の1つが指を下げて音を出すために、音が下に向かいやすいという事があるでしょう。

他の楽器は、全て音が横に流れます。音楽の原点である、歌を始め、フルートなどの管楽器、バイオリンやチェロなども垂直には、弾けません。
音楽は横に流れなければならないのに、指は縦に下ろして弾かなければならない事が、ピアノの音を歌いにくくしている最大の要因でしょう。

私は、生徒たちに、いつも言います。
「たまたま、ピアノの音は指から出すけれど、音楽を感じていれば、それがどこから出ていてもかまわないのよ。足からでも目からでも」。

この感覚がわかるようになれば、しめたもの。足もちゃんと音楽を感じ取れば、今、必要なペダルの踏み方もわかってきます。

内側に音楽の魂がこもっていれば、それを1本1本の指先に伝えていけるので、脱力も簡単です。

難しいと感じる時は、まだ、外側から音楽を貼りつけようとしているときです。

あと意外と、1つ1つの音をもみ込むという基礎的なことがなされていない場合も多いです。私が、5歳の時にお習いした先生はいつも、私の肩に1つ1つ指を下ろして、「ピアノの音はね、こうやって、鍵盤の底まで、グーッともみ込んで綺麗な音を出すのよ」。と教えて下さったことを思い出しました。
そうやってして頂いているとき、私は、くすぐったくてたまらなかったのですが、私もよく生徒たちの肩にそうやってします。
なんか、つぼ押しとか、指圧マッサージを受けているみたいな感じ・・・・・。そうやって、ピアノの底まで、深く深くもみこんでいくと、やっと皆さんが目指している、綺麗な音が出始めます。

「磨かれた音」という言葉がありますが、正に、音を汚い部分を削って削って、ピカピカに磨き上げられた状態にしていくと、やっと輝いた音が出ます。

大抵は、まだ、いい音が出ないうちに次の音をあわてて弾こうとすると、綺麗な音が出ません。そこで、音を伸ばす時に、皆さんがどれだけ、その音楽に対するイメージがあるかどうかで、その音を生かしもし、殺しもするのです。

死んだ音は、相手の心に全く響きません。しかし、生きた音は、必ず強い説得力を持ち、聴き手の心の扉を開けてくれるのです。

しかし、こういった事は、書いたものを見てもわかりにくいと思います。そこで、ピアノレッスンに通って、体験しながら、身体が覚えていかなくてはならないのです。


平成24年11月16日(金)12年後の私は?

小学6年生の生徒がレッスンノートに「学校で、12年後の私はどうなっているか作品をつくりました。先生は、何をつくりましたか?」と書いてありました。
私は、彼女に、「小学校時代の図工で先生がつくったもので、まともな作品なんて何もないの」と大笑い。

そうです。私がつくるものといえば、どれもこれも、おかしなものばかり。白鳥をつくったつもりが、「ネッシー(恐竜)」になるし、人間をつくったつもりが、「機関銃」に。(笑い)
それもこれも、全ては、ピアノ以外に興味が持てず、図工で何か良い作品を作ろうとすると、丁寧に、時間をかけて取り組まねばならず、その時間がとられるのはもったいない、と思ったのが一番の原因です。私が作った、世にも珍しい「恐竜」と「機関銃」は我が家では笑い話として語り継がれております。
いくら、時間がないといっても、こんな変てこなものは、作れといわれても作れないよ、と家族からは、冷やかされています。

しかし、12年後の私を作品にするって素敵ですね。今はいい授業が沢山あっていいなあ。私達の時は、もちろんそんなものはありませんでした。
彼女に、何を作ったの?と尋ねると、もちろん、ピアノを弾いている私、を作ったということでした。

小学6年生が12年後というと、もう大学を卒業して24歳になっていますね。早いものです。私が、小学6年生の時に12年後の私をイメージすることはおろか、何も先の事を考えた事は全くありませんでした。

ただ、ピアニストにはなって、生徒も教えて、職業音楽家として、自立出来るだろうということだけは、かなり、幼いころから、強く信じて疑いませんでした。きっと彼女もそう思っているに違いありません。強く自分を信じていると不思議なもので、必ずそのようになります。

しかし、中学を卒業後、東京に行き、音楽高校、音楽大学へ進み、その後高校から頑張って勉強していた、ドイツ語を使えるミュンヘンにまず行ってみて、その後ウイーンに4年も住むとは思ってもみませんでした。卒業後、三重に帰ってきて、一番働くのが難しいといわれていた、自分の出身地ではない、愛知県を拠点に、仕事を始められるなんて夢にも思いませんでした。又、自分が演奏するだけでなく、何といっても私の人生を、彩り豊かにしてくれたことは、可愛い生徒たちとの出会いが非常に大きいです。

きっと親が子供を持った時に味わえる何ともいえない幸福感が「人を育てる」ということなんでしょうね。人を育てるとまず自分がこんなに豊かな気持ちになるなんて思ってもみませんでした!

さて、12年後の私はどうなっているのかな、と、ふと、考えました。今まで通り、3歳からこれまでに一度としてやめたいと思った事のない大好きなピアノの道をこれからもどこまでもどこまでも歩き続けているでしょうね。

大きな夢などはもちろん持っていませんので、とにかく、私を応援して下さる方達が幸せで、健康で、ピアノさえ、弾けていればそれだけで、大満足です!!


平成24年11月13日(火)クリスマスプレゼントに

めっきり冷え込んできました。

今日、小学6年生の生徒がPTNA中京地区本選入賞者記念演奏会のチラシとチケットを持ってきてくれました。

12月24日にしらかわホールであります。

私の生徒では、第1部に小学6年生の山田ありあさんがショパンの雨だれ、第2部に小学6年生の岩田玲奈さんがベートーヴェンのソナタOp.49−2ト長調全楽章を演奏いたします。お時間のある方は是非応援に行ってあげて下さい。

先日書いた、あしながコンサート同様、チケットが欲しい方はレッスンの時にお申し出くださいね。

12月24日はクリスマスイブです。2人とも、素晴らしい演奏をしています。

2人の演奏が聴きに来て下さった方達の心に素敵なクリスマスプレゼントとなって頂ければこんなに嬉しい事はありません。


平成24年11月11日(日)YPF課題曲コンサート

今日は、勝川駅にほど近いサカエ楽器店のホールで、2013年度YPFピアノフェステイバルの課題曲コンサートがあり、演奏、そして解説もさせて頂きました。
朝早くから、先週に引き続き、ホールは、60名近いお客様で満員に。ピアノ指導者の方々、お母様方、大変熱心にメモをとられたり、可愛い生徒さん達も一生懸命聴いて下さってとても嬉しかったです。お世話して頂いた、スタッフの皆さん、ご参加下さった皆さん、雨の降る中、本当に有難うございました。

今回出ている課題曲の中で私には思い出の1曲があります。それは、A部門の課題の中田喜直先生作曲の「ひとりぽっち」です。PTNAのコンクール入賞者達が演奏するジーナ・バックアワー国際コンクールエキシビションコンサートで演奏するため、私は小学2年生の6月、2週間学校を休み、アメリカのソルト・レイク・シテイに渡りました。その際、(故)福田靖子先生(PTNA創立者)を始め、
(故)中田喜直先生、武田宏子先生が、同行して下さり、私達ヤングピアニスト達のお世話をして下さいました。

ブリガムヤング大学で、私が”ひとりぽっち”を弾いた時、思い入れたっぷりに歌って弾きましたら、中田先生は「素朴にたんたんと、終わりもリタルダンドをしないで」とアドヴァイスを下さったのです。

子供が、自ら、そんな風に、ねちゃねちゃとまわりくどいルバートをかけながら歌うのは、おかしい、子供なら本来そのような歌い方はしないはずだというのが先生のお考えであったというのが、今なら良く理解出来ます。
ひとりぽっちの曲は、個人的にもすごく好きな曲で、発表会でも弾かせて頂きましたけど、「めぐみちゃんに良く似合っている。ひとりぽっちの雰囲気がすごく出ていたよ」。と周りの大人から褒められて、ああ、やはり、演奏というのは、いやでもその人のキャラクターが出てしまうのだなあと感じた次第でした。

小学2年生の私は、周りの大人から、「そんなに静かにしていて大丈夫?」と心配されるほど、大人しい子供でした。騒いでいる同い年の子供を見るとどうして、あんな風に騒げるのかな?と小さい頃周りの子供を見て不思議でなりませんでした。自分も子供なのに、おかしな話ですけど、周りからはすでに大人のような子供で、不気味だったはず。しかし、私にとれば、そのキャラクターそのものを出せば、この”ひとりぽっち”の曲が自然と生きてくるはずだったのです。

小さいころ、私がピアニストになろうと思った一つのきっかけとして、ピアニストなら、話をしなくてもいいからという理由がありました。ピアノを演奏していれば、誰とも話さなくていい、と勝手に思い込んでいたのです。人と話をするのは、すごく骨が折れるし、言葉によって傷ついたり、傷つかせたりして、つくづく人と話をするのは嫌だと小さい頃は思いこんでいました。しかし、音楽の道は、そんな私に、救いの手を差し伸べてくれました。自分も相手も心が傷つかず、本当に優しくて暖かい、と思えました。誤解される事なくまっすぐ相手に伝わるところが、私の一番気にいった世界だったのです。

しかし、大人になり、ピアニストでも話をしなくては、生きていけないという事に気づき、必要に迫られて、大学で講義をしたり、このような講座を頼まれたりする間に、何とか、人とお話出来るようになりましたが、とにかく、幼いころの私を受け持って下さった、保育園の先生、幼稚園の先生、小学校の先生が今の私を見たら、どこの人?って腰を抜かして卒倒するでしょうね・・・・・・・・。(笑い)「めぐみちゃんがしゃべってる・・・・・」て。

そういう事も含めて、すごく子供の気持ちをわかっていらしたのも中田先生でした。その先生の子供を思うその気持ちそのものが、このひとりぽっちには良く表れていると思います。

生きている事の切なさに身をもむような感覚は、大人だけでなくどんなに小さい子供にも備わっている感覚だからです。少なくとも私には小さいころ強くその感覚がありました。

私のような子供時代のなかった大人のような不気味な子供、反対に活発で子供らしい天真爛漫な子ども、どんな子供もそれぞれに本当に個性豊かです。そんな子供が感じるままに、ピアノを演奏させるのが私は一番だと思っています。では、皆さん、本番も頑張って下さいね。



平成24年11月8日(木)ピアノと友達になれば、必ず脱力は可能に・・・・

朝、晩は寒くなり、冬の気温に近づいてきました。この時期になると、風邪引きさんが増えてきますので、お身体には充分気をつけて下さい。

今日は、ピアノを弾いているときの身体の状態について書いてみます。ピアノを弾いているときに脱力が大切なのは、すでにおわかりだと思います。

つい先日の課題曲コンサートの際、ピアノの先生方から、「弾いているときに口を開けたまま弾く子、肩が上がったまま弾いている子にはどう指導すれば?」とご質問を受けました。私は、昔から、生徒たちの姿勢や、肩、指の形などは、あまりうるさく注意しません。というのは、やはり、どんな弾き方をしているにせよ、そうやって弾いているという事は、その子が、そういう姿勢をとらないと、弾きにくいから、必然的にそうなっている場合が多いからです。

それよりも、音を聴いて、それが、固い音になっていたり、ニュアンスのない音だったりしたときに、必要ならば、姿勢のことも注意しなくてはならないこともあります。

大抵は、力が入ってしまうのは、その分野に関して、まだお友達になりきれていないということが多分にあるでしょう。。ピアノだけでなく、肉体を使う実技、バレエダンサー、フイギュアスケート、他、あらゆる方面で、力が抜けているだけでなく、必要なところにはしっかり力が入る、その力の加減が上手いと素晴らしい実技になりますね。

その証拠に、運動能力ゼロの私は、ボール一つとっても上手く投げる事が出来ません。どうやったら、あんなに遠いところまで投げる事が出来るのか、上手に投げている人を見ると不思議でなりません。しかし、きっと私達ピアニストがピアノを弾く時、自然に力を抜いたり入れたりしているのと同じなんだろうなというのはよくわかります。なんといっても、野球選手だって、プロになった人なら、それこそ、ボールに触れている時間が1日のほとんどでしょうから、初め力が入っていても、それが段々と手慣れてくるのは当然です。したがって、私達ピアニストも3歳の頃からそれこそ、例えば、私なら40年近く、一日のほとんどをピアノに触れてすごしているわけですから、鍵盤なんか見なくても指が自然にいってくれるし、もうピアノが私か、私がピアノかわからないくらい溶け合っている状態になっています。そうなってくると、力が抜けてきますよ。

だから、肩が上がっている子に対して、肩を下げなさいと注意したところで、それは、1年や2年で、解決する問題ではありませんね。
何10年か、ピアノと共に過ごしてきて、ありとあらゆる曲を弾き、レパートリーが沢山出来た結果、自然に力が抜けて来て、肩も上がらなくなってきた、となるわけです。

脱力が出来るのは、ピアノと完全に一体化されて、お友達になれたときです。脱力をしなさい、ではなく、とにかくピアノに触れてお友達になりなさい、そうすれば、ピアノを弾きながら、力を抜くというのは、どういうことかが、身をもって体験できますよ、と生徒たちにはそうお話しています。

今週11日日曜日は朝10時から、春日井のサカエ楽器店さんで、又、YPF課題曲コンサートがあります。脱力の仕方について、レガート奏法についてもお話しようと思っています。春日井方面からは、昔から、私のところに通っている生徒さんも多く、なじみ深い場所です。YPFに参加される方も、そうでない方も、指導者の皆さん、生徒さん方にお会いできるのをとても楽しみにしています。







平成24年11月4日(日)YPF課題曲コンサート

今日は、朝早く家を出て、犬山口駅前の真和楽器店のホールで、YPF課題曲コンサートの演奏に出かけました。
幼児部門、A、B、C、D部門の課題曲を全て演奏して、その間に、アドヴァイスをはさんで、時々私の幼少の頃のことなども交えてお話させていただきました。ピアノを習っている生徒さん、指導者の方々、80名近くのご参加があり、熱気ムンムンでした。

ドレスは本当に消耗品。私は、演奏すると、全エネルギーを注ぎこむので、プールに入ったみたいに、汗びっしょりになってしまい、普通に洗えないので、数回着てもう駄目になってしまうことがほとんどです。

休日で、朝が早いのにもかかわらず、皆さん一生懸命メモをとられたり、うなずかれたりしながら、大変熱心に聴いて下さいました。中学3年生の音楽高校受験生の生徒さんもお父様、お母様、3人で、聴きに見えて、終演後、訪ねてきてくださりとても嬉しかったです。

終演後、熱心なピアノの先生方から、ショパンのワルツのペダルはどのように踏めばよいか、とか、ドビュッシーのアーテイキュレーションなど、楽譜によってちがうけど、どうしたらよいか、又、コンクールの曲を練習している間、他の曲が滞ってしまい、何も練習出来なくなるけれど、どうしたらよいのか、中学生の難しい時期になると、反抗する子に対し、どう向き合って指導すれば?などなど、皆さん、真剣なまなざしで、お尋ねにいらっしゃいます。

それぞれに、皆さん試行錯誤されて生徒さんと向き合われているかと思います。私がいつも心がけているのは、その子のことをすごく思っても、真剣になりすぎて、問題点を大ごとにしないことが大切かと思われます。真剣になりすぎていいことは何一つありません。私の所に通っている中学生達は皆、すごく素直で、いい子ばかりです。

しかし、万が一、もし、仮に反抗的な生徒が来た場合は、私は、しばらくその生徒のしたいようにさせます。もちろん、言うべきことは言って、あとは、本人に任せます。意外と反抗する子には責任を持たせてやると、一生懸命やりだすと思います。昔なら、中学生でも、働いて家計を助ける子供がほとんどでした。ブラームスだって、中学2年生くらいで、ハンブルクの夜の歓楽街で、深夜ずっとピアノを酒飲みのために演奏して、家計を助けたのです。
反抗する子は、もう働かせればいいのです。人のために何かしたい、そうやって叫び声をあげているのが、反抗期の子供なんですから、勉強させるより、人のために働くことをさせたほうがいい。何かの役割が人間には必要です。親からいいなりになるだけの自分はいや。自分が他人に役だっている、それが感じられないから、反抗するのです。だから、反抗は甘えているのと同じ。

悩んでいるときは、せいぜい、その悩みは、1年か、長くても3年くらいなんですけど、すごく長く感じます。しかし、一生その事で悩むかのように真剣に考えすぎてはいけないということです。

中学生の時反抗的だったとしても、10年たてば、全く違う人間になっていますよ。逆に小さい時すごく素直でいい子でも、大人になったら、急に変わってしまったとかもよくある話ですし、私の周りにもたくさんいます。学生の時は、全然練習してこなくて、どちらかといえば、反逆児タイプだった子が、今は、ピアノの先生で、1人1人にすごくおもいやりがあり、面倒見のよい先生になっていたり・・・・・。

だから、この子はこういう子、とか決めつけてはいけませんね。いつでも、生徒と向き合う時は、必要なのが、「母の心」でいなくてはならないことだと私は考えています。
お母さんは、自分の子供なら、どんなに言う事をきかなくても、やはり味方になり、かばってあげると思うのです。

どんなに言う事をきかない子がいたとしても、それで、けんかになったとしても根底に「母の愛」さえあれば、きっと乗り越えられます。だから、真剣になりすぎないよう、黙って見守る事が大切かなと思います。

真和楽器店のスタッフの皆さま、お世話になりありがとうございました。又、今日参加された、可愛い生徒さん達も本番を楽しんでくださいね。又お会いできることを楽しみに・・・・。今日、上手く弾けなくても明日は上手く弾けますよ。人間って、毎日変わるんですから・・・・。そうやって前向きに練習していって下さいね。





平成24年11月2日(金)音楽はその時の記憶がよみがえる素敵な世界

来年の1月12日、13日にPTNAのあしながコンサートがしらかわホールで開催されます。昨日生徒が、プログラムとチケットを持ってきてくれました。
門下生の中から、12日はB級の小学4年生、玉置渚さんがモーツアルトのソナタKV.545の第1楽章、そして、13日の方は、D級の中学1年生、堤万里子さんがリストの「愛の夢」を演奏致します。2人ともとてもよく頑張っています。お時間のある方は、是非応援に行ってあげて下さい。

昨日、大人の生徒さんがレッスンに見えて、「ホワイト・クリスマス」を演奏してくれましたよ。クリスマスも、もう近い今の時期にぴったりですね。
ホワイト・クリスマスは、いろんなヴァージョンの楽譜が売り出されていますけど、この生徒さんが弾かれているヴァージョンが一番素敵で、私も初見で弾きながら、うっとり。
ジャズ・バラードにアレンジしてありました。夜のバーで、恋人たちに弾いてあげたい、そんなロマンチックなアレンジでしたよ。

私のホワイト・クリスマスの思い出は、ウイーンから、完全帰国したばかりの三重の実家で。お庭にある、樅の木に似た枝に、イルミネーションをつけて、お部屋の中を暗くして、ろうそくをつけて両親に今までの感謝の気持ちを込めて、私が沢山、お料理してごちそうしました。
その時、ムードを出すためにホワイト・クリスマスを流したなあ・・・・。学生の時は、私がピアノのことで、住む場所を転々としていたために、小さいころから家族がバラバラだったから、ああ、これで、やっと、一緒になれるって、今までで一番嬉しい、ホワイト・クリスマスだったなあ・・・・・・・。振り返ると、28年目にして初めて家族と一緒に過ごせたホワイト・クリスマスでした。

現在の私は、家族と一緒に過ごせなかった28年間の埋め合わせをしているような感じで、家族と一緒に住める幸せを日々かみしめています。

音楽は、すごく不思議。その曲を聴くと、その時の風景、その時のごちそうの匂い、その部屋の雰囲気、何もかもさーっと脳裏によみがえってきます。
記憶を呼び戻せる素敵な世界ですね。

ホワイト・クリスマスを弾いている生徒さんは、誰かの記憶が呼びもどされるよう、そんな美しい余韻を描いてほしいと思っています。

あさって4日(日曜日)は朝10時から、真和楽器さんでYPF課題曲コンサートをするために、犬山にお邪魔します。
ピアノの先生方、その生徒さんが参加されるそうなので、どんな生徒さんにお会い出来るのか、とても楽しみです。