平成24年9月30(日)上手い芸を盗む

今日で、9月も終わりになりました。
9月は運動会など、学校の行事も盛りだくさんで、生徒たちも大忙しで、大変でしょうが、皆なかなかよく頑張ってくれています。

来月からは、YPFピアノフエステイバルの課題曲講座や、課題曲コンサートなどで、あちこちの楽器店にお邪魔するので、その準備をしています。
ここでは、つい最近発表になった、YPFピアノフエステイバルに出された課題曲を全て演奏します。そして、その曲をどう弾けば、予選を通過して、望み通りの結果を得られるかについて、説明します。

私が、練習する時は、自分が2人いると思って練習します。

1人は、私の演奏を批評する先生役。もう1人は、それを直す生徒役です。先生役を受け持ってくれるのは、もちろん、録音機です。近くだと、本当の音が聴こえなくなるので、ドアを閉めて外から録音したりします。聴く時は、楽譜に赤のボールペンで、ここがのめる、とか、こことここの間が歌えていない、とか、バランスが悪い、など、簡単な言葉で、具体的に、自分で、その録音を聴いて批評して、楽譜に書き込みます。そして、今度はそれを直して、もう一度、録音し直します。2回目録り直した時に、その悪い部分が直っている時が、練習していて、最高に楽しい時です。音と音の間が、きちんと、はまってきたなとか、バランスも悪くないなと思えるまで、何度でも録り直しては聴き、録り直しては、聴きの繰り返しです。正に、ピアニストは職人の世界です。

音楽は時間の芸術とよく言われますが、演奏していて、難しいなあと、私が一番感じるのは、音楽の「時間」です。
音と音の間、いわゆる「音価」の問題です。音が弾かれる瞬間や、音楽の流れは、どんなにルバートなどのアゴーギクで揺れ動いていたとしても、常に、素晴らしいテンポ感を持った指揮者がテンポを曲の間中、一貫してとれるように統一されていなければなりません。

しかし、人間の指は全てが均等ではないので、どうしても弱い薬指や小指がひっこんでしまい、それをかばうために、走ったり、のめったりしてしまうのです。
それを、綺麗な真珠のネックレスみたいに音と音の間の時間を、そろえる作業が、必要不可欠となります。こういうことばかり、私はやっているので、音の職人みたいな気分になります。

つい先日、靴職人の人の番組を見る機会がありましたが、朝から晩まで、同じ事の繰り返しで、全く私達の職業と同じだなあと共感しながら見ました。
その人は、何かわからないことがあって、弟子が尋ねてくるまで何も言わないとおっしゃっていました。それよりも、自分が靴を作っている姿を盗め、ということでしたが、その通りですね。

↓私のお気に入りのサウンド・オブ・ミュージックの映画の舞台、ザルツカンマーグート地方。何度訪れても、美しく、私の演奏のインスピレーションをかきたてられる場所です。
勿論、子供の時は、全く何も教えなければ、困ってしまうでしょうけれど、ある程度、聴く耳が出来たら、とにかく師匠がやっていることを上手に盗むというのが、一番の上達法でしょうね。それには、どんなに、小さい違いも見わけがつく耳がなければなりません。

音楽も言葉で説明するには、限度があります。アゴーギクとか、ペダルの踏み方もそうですが、どういう風に弾けば、モーツアルトらしいかとか、ベートーヴエンらしいか何ていう事は、言葉で理解するより、良い演奏を、どんどん、盗むと良いですよ。上達の早い子は、こちらが何も言わなくても、盗み方が早いです。

そのために、先生との実技レッスンというものがあるわけです。よく、大人の生徒さんから、先生は「下手の見本の物まねも、お上手ですね」、とからかわれます・・・(笑)
「先生には私が今弾いているときに頭の中で考えていた事が全てお見通しです、恐いなあ・・・・」とも言われます。そうです、レントゲン写真みたいに、弾いている人の脳の中までクリアに見えてきますから、すごくおもしろいです。

いい職人さんの相手の全てを盗めば、自分も又、いい職人になれます。

YPF参加者の、いいモデルとなれるよう、あちこちで、皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしています。


平成24年9月27日(木)ペダルの踏み方


今日は、ペダルの踏み方について少し書いてみます。

ペダルは、そもそも切れやすいピアノの音をつなぐだけではなく、ピアノの音に艶を出したり、色合いを与えるため、豊かな倍音が響くためなど、画家が少しずつ少しずつ、絵具を混ぜていくように、多彩な色合いをつくるために使用します。

まだ、ペダルに慣れていない学習者の方は、大抵、足と手が同時に上がったり、下がったりしてしまいやすく、音を聴いて耳で踏むということがなかなか難しいようです。

例えば、2つにまたがる音があって、その間を、つなげるためにペダルを踏もうとすると、足が上手く上がらず、前のハーモニーが混じってしまい、結果的に、濁るといった状態になってしまいます。

又、人それぞれのタッチとの関係も非常に大きく、タッチがべたついていれば、当然、その上にペダルをのせると濁ってしまいます。

楽譜に書かれてあるペダルのまま、表面的に踏もうとしても、大抵は上手くいかないでしょう。それは、表面的に、音にペダルを外側からくっつけただけとなってしまうと、そうなります。

だから、正確に譜面にペダルの記号を書こうとすると、非常に難しい問題が起きます。足先1センチだけをパパパッと震わせたり、息をのむような踏み込みや、そーっとゆっくり踏みこんだり、あるいは、音と同時に踏んで、強い音を豊かに鳴らす・・・など、実に多彩です。

又、Aさんにはその踏み方でよくても、Bさんには、にごってしまう、そして、家で踏む時と、ホールで踏む時、ホールの場所によっても踏み方が変わってきます。

この臨機応変な、使い方が出来るまで、良い耳を育てる事、そして多くの経験が必要となりますね。

私の場合、小さい子になら、初めは、濁ってもかまわないから、とにかく踏んでごらん、と促しています。物事が上手くなるためには、まず、自分の肉体を使う事が一番大切です。特に、ピアノのような実技は。

そうやって踏んでいくうちに、何て、自分の音は汚いの?ペダルが濁り放題で、どの音も全部混じってるなあ、それを輝く湖水のようにクリアに響かせたい!!という意志が必ず湧いてくる事でしょう。

そうなれば、どんどん上手に踏んでいけるようになります。大きな子になってくると、技術面の難しさが沢山出てきますので、弾きにくいところで、ペダルをバーンとかけて技術の不足を補ってしまおうとします。そういう時は、技術的に弾きにくいところほど、クリアにはっきりと、相手にわかるように、聴かせるというのがコツです。

ペダルで、ごまかしたり、ぼかしたりすると、かえって、その面が、醜く、汚く聴こえるというのも、事実です。

←モーツアルトが結婚式をあげたウイーンのシンボル、シュテフアン寺院。








平成24年9月25日(火)絶望とは・・・・芸術に昇華出来る力

小学6年生の女の子が、ショパンの雨だれを練習しています。彼女のレッスン日記には、「家で、自分の演奏を録音してみたら、自分が思うほど、上手くはありませんでした。
そこで、絶望について考えてみたんですが、手に出ません・・・・・・」。と何とも子供らしい素直な文体で、書かれています。
特に最後の「手に出ません・・・」が可笑しくて、吹き出しそうに・・・・・(笑い)

しかし、彼女はすごくいい点をついていたと思います。
まず、自分の演奏を録音して、良くないという事が、わかるという事、そして、この曲の持つ絶望を音にしてみたいのだけど、それが手に出ない・・・という2つの点は、気づくだけでもとても素晴らしいことなのです。

雨だれは、ショパンの24のプレリュードの中に入っています。雨だれだけでも、名曲で、いい曲なんですが、24曲通してこそ、この曲の本質がつかめます。
24のプレリュードは、高校1年生の時に、24曲全部、暗譜して持っていったら(全部弾くと、40分近くかかる)、いつも、あまり褒めては下さらなかった先生から「貴女にすごく合っているなあ、それをリサイタルのプログラムにするといい」とすごく褒めて頂き、その後何度となく練習して、本番でも、何度か弾き私にとっての大切なレパートリーの1つになっています。

短い人生を生きたショパンの今までの回想シーンのようなメロデイから始まって、嬰ハ短調の、ここが絶望、という感じで現れるオクターブの壮絶な運命に耐えているような、メロデイが心を突き刺します。

彼女に、「○○ちゃんにとって、絶望とは何?」と聞いてみました。「病気で死んでしまうとか・・・・」。そうですね。

私は、「震災にあったり、人間の力では、又は、自分の力ではどうしようもない事が起きた時に、それを受け入れて、それでも、命があるまでは、頑張って生きていかなくてはならないし、そういう時に絶望感を感じると思う。
それも、自分の周りにいる家族や、大切な人たちに囲まれているからこそ、希望を持って頑張れるという事もあるから、自分の病気以上に、大切な人を失うと、これから、どうやって生きていくんだろうって絶望感に襲われるよね?」

そうですね。人の愛や、命ほど、かけがえのない大切なものはないんだなと強く思います。ショパンは自分の病気も辛かったでしょうけれど、自分の祖国ポーランドに帰れなかったのは、愛するお父さんやお母さん、友人、全てを失ったような虚脱感があったと思いますし、常に孤独に満ちた人生だったはずです。

小学3年生の子でエリーゼのためにを弾いている子がいます。彼女にも、ベートーヴェンの事で知っている事をお話して、と尋ねてみました。
「耳が聞こえなくなった」と一番に話してくれましたが、そうですね。彼の人生も小さい時から、困難な事ばかりで、それに立ち向かっていくような人生でした。
私が幼稚園の時に初めて、ベートーヴェンの伝記を買ってもらって読んだのですが、酒浸りのお父さんからしごかれて、すごく小さい子供なのに、疲れていても、夜中じゅうピアノを練習させられたとか、
ウイーンでせっかく認めてもらえたのに、大好きだったお母さんが病床に臥してしまい、死んでしまったシーンは、幼稚園の子供でも胸をえぐられるような悲しみで、涙なしには読めない伝記でした。

特に、お母さんが寝ていて、「ルードヴイッヒや、そうかい、それは良かったねえ、しかしね、お母さんはもうあまり長くはないんだよ。お母さんが死んでも、頑張るんだよ」と弱弱しく、ベートーヴェンの手を握り、彼が、「何をおっしゃるんです、お母様。僕はウイーンでモーツアルト先生からも認めてもらえました。さあ、元気になってお母様」というセリフは、今でも強く私の心に残っています。

しかし、ベートーヴェンがもし、普通の人と同じように耳が聴こえて、愛する女性と幸せな家庭を築き、子供にも囲まれてバラ色の人生だったとしたら?
と考えると、こんなに美しい、万人の心をとらえて離さないような魅力的な作品は生まれてこなかったのではないかと思います。

自分の欠点や不足を補うために、人間は頑張れるのだと思います。だから、必ずしも満たされた生活でなくても、絶望感から這い上がり、希望を持てれば、どんな状況でも、それを力に変えて生きている人が私は大好きです。それが、ひいては、素晴らしい芸術に昇華されると思うからです。



どんな作品も昇華される。ヴイース教会の天井画。








平成24年9月21日(金)推測する力

今日は、ソルフェージュの事について書いてみたいと思います。私が、以前日記に自宅でも練習できるパンセ・ア・ラ・ミュージックの事について書いたので、早速、自習している生徒は多いようです。

まず、音楽高校の受験で必要なのは、旋律聴音、2声、4声、あとは、新曲視唱です。私が通った、桐朋学園の高校では、それプラス楽典と、新曲視奏もありました。

桐朋学園のソルフェージュは、パリ国立高等音楽院(フランスにある世界で最高のレベルを誇っている音楽院の一つ)を上回る難しさといわれています。確かに、授業中の旋律聴音でも、4分の4とか、割り切れるものではなく、8分の5とか、8分の7とか変拍子、一体何拍子でとったらいいのかわからないような問題が次々と出されて今のは、何拍子か推測して聴きとる旋律聴音の問題などを授業の時にはやっていました。

私の得意分野は、小さい時から、ハーモニー(4声)です。4声体をとるコツは、初めにバスをとります。そして、ソプラノ、をとります。この外枠がとれれば、あとは、自分で作曲してしまえば簡単です!テノールとか、アルトなんて、聞きにくかったら、作曲してしまえばいいのです。
ソプラノだけしかどうしても聴こえないという人は、ソプラノに合う音を作ってしまえばいいのです。そうすれば、簡単にバスもテノールもアルトも聴こえてきますよ。出来ない、出来ないと思う人は、きっと、すごくややこしく、難しく考えすぎている感じなのではないかなと思います。ちょっと、違う視点から、物事を見ていけば、あれっと言うほど、全く苦労することなく、簡単にとれます。

又、暗記することもおすすめです。旋律聴音や、2声などもそうなんですが、今、鳴ってきた音を必死で書きとめるのではなくて、鉛筆を動かさないで、まずは2小節でも4小節でも覚えられるだけ、覚えていくといいですよ。そしてから、頭の中で鳴ってくる音を書きとめるのです。

そう、聴音というのは、ある程度、自分で推測、予測しながら書いていくのがコツなんです。

考えてみれば、外国語もそうです。1つ1つの全ての単語は理解できなくても、その文章の前後の関係などから、又は、相手の表情を読み取りながら、大体こういう事が、言いたいんじゃないかなということが、理解出来ればいいのです。

子供を一生懸命育てるお母さんなら、きっと、子供がまだ、話が出来なくても、今日は、元気がないなとか、こういう事が言いたいのじゃないかなと子供の全てが読み取れるはずです。

それは、それだけ、その子供に朝から晩まで向き合って深く関わっているからです。だから、ピアノなら、ピアノとの関わり合いがいかに深いかで、推測する力、予測する力は自然に身についていくのです。



←モーツァルトも演奏したウイーンのシェーンブルン宮殿。何度となく訪れる場所だからこそ、来るたびに心の眼が開かれて理解出来てくることが沢山あります。
若い時と違って、年をとる事は、真実が少しずつ少しずつクリアに見えるようになってくるから、いい事なんですね。そう思います。



心配はいりません。ソルフエージュも深い関わり合いを持てば、すごく簡単ですので、是非、あきらめずに、何度でも練習しましょう。



平成24年9月18日(火)ワルシャワショパンアカデミーの夏期セミナーに参加した高校1年生のお土産話

実は、私が丁度、ドイツ・オーストリアに研修に行っていたころ、明和高校1年生の鈴木真琴さんも、ヨーロッパに行っていました。
場所は、彼女が、小さい頃から憧れていた、ショパンの生まれた国、ポーランドです。彼女が私の所へ来た当初、まだ5歳でしたが、その頃から、ショパンが大好きで、大きくなったら、ポーランドに留学したい、と常々夢を語ってくれていました。

明和高校に入学して、初めての夏休みを長年の夢だった、ポーランドへ1人で、ついに、行く事が出来ました。ワルシャワ音楽院で、レッスンを受け、最後は、演奏会にも出させていただき、実に実り多い、ポーランドでの滞在の様子を、今日、学校のレッスンで、眼を輝かせて話して聞かせてくれました。

ヨーロッパは、日本と比べると、何もかもが安いので、彼女の大好きな楽譜を沢山購入したそうです。「もう、ショパンのエチュードなんて、3冊目ですー!!」
と興奮しきって、エキエル版を見せてくれました。そうですね。パデレフスキにコルトー、エキエル版と、同じ曲でも、いろんな楽譜の研究が大切ですからね。

私も、同じ楽譜が5冊ぐらいありますよ。特にバッハは色んな楽譜の解釈が参考になりますからね。沢山見て研究することが、大切です。

でも、帰りに楽譜を買いすぎて、機内持ち込みの手荷物にしたから、腕が筋肉痛!!とか言ってましたけれど。でも、とにかく、彼女はしっかりしています。時差ボケもないし、ポーランドから帰って翌日も学校にちゃんと行きましたよ!と、もう元気、元気。若いっていいなあ。それに、彼女の良さは、どこへ行っても物おじしない、度胸があって、勇気が人一倍あるってところです。音楽やっていくには、そういう何事も前向きで楽天的な性格が何より大切ですからね。

今日も、ポーランドから帰ったばかりで、新しい曲を譜読みするのは大変だったと思うのですが、いろいろ、弾いてくれました!彼女が5、6歳の頃から、ヨーロッパで勉強したいなら、どんどん譜読みして、レッスンの時は暗譜じゃないと、ついていけないよ、という話を、常々していたのですが、彼女が日々、それをよく守って、今日まで精進してきてくれたなあと思うとすごく嬉しいです。教える側としては、私の教えを一途に信頼して、忠実についてきてくれるのは、何にもまして、私の喜びです。しかも、彼女は、私の所で大変長く、何10年と、よく、挫折もせずに、頑張っているなあと、感心しています。

その話を、後輩たちに聞かせてあげたら、早速中学3年生の生徒で、見違えるように、頑張りだした子がいます。いい影響はどこまでもどこまでも続くのですね。

それにしても、ポーランドから帰ってきた彼女、又、一回りもふたまわりも、大きく成長して帰って来てくれた事が何よりです。いつまでも、私の中では、5歳の紅葉の手のような、可愛い真琴ちゃん、なのですが・・・・・・。感無量です。


平成24年9月15日(土)私がウイーンで住んでいたマンション

                       生徒の皆さんが、オーストリアの写真を楽しみにしているとの事なので、写真を入れておきます。

←これが、ウイーンで私が住んでいたマンション。


留学する事が決まると、まず一番に住居探しをしなくてはなりません。
新聞広告、大学の掲示・・・・などで、探します。

おまけに、ピアノを置ける、弾いてもよい、というお部屋を見つけるのは、至難の業です。
日本でも、家探しなどした事のない私は、それだけで、大変でした。

住民登録や、電話線を引いたり・・・・・。しかも、そういう交渉を全部ドイツ語で、やれなくてはなりません。
ピアノの事は何も不安がなかったけれど、生活面で、苦労しました・・・・・・。

テレビや、炊飯器を買って一生懸命、1人で、お店から必死で手に持って帰ったのも、今となれば、いい思い出です。


平成24年9月12日(水)実力をつけさせる事を一番に考えて

まだまだ、昼間は蒸し暑いですが、朝、晩は、だいぶ凌ぎやすくなってきました。
さて、私の所に入門されて新しい生徒さん達から受ける質問の多い事柄を書いてみようと思います。
新しい生徒さん達は、まだ、レパートリーもどれほどもなく、曲の作り方もまるで、わかっていません。
それなのに、親御さんが子どもを、焦らせるのか、いきなり、コンクールを受けたいのですが、と言って来られる方が沢山いらっしゃいます。
毎回、その件で、新しい方達に同じ説明を繰り返すので、一度日記にも書いておこうと思います。

又、一つのコンクールが終わったかと思うと、又、その次のコンクールを受けると言って、年がら年じゅう受けたがったりするのも、新しい生徒さんの特徴ですね。
そういう子は、大抵、小学6年生になっていても、バッハのインヴェンションはおろか、シンフォニアもろくに弾けません。
チェルニーだって、30番も終えられないまま、大きくなって、いきなり、音楽を専門にして行きたいといって、ショパンのエチュードを弾かされる羽目に陥ります。
その時に!!本人も親も泣くはめに陥るのです!!コンクールばかりやってきて、1年に指で、数える程しか、レパートリーがない、今まで何をしてきたのか・・・・と。
その時悩むのでは、遅いのです!

私としては、出来るだけ、その子がいい道をたどっていけるように、回り道をしないように、と
自分の体験から、又、何百人と教えてきた私の生徒たちの様子を見ていて、体験上、一番いい事を教えてあげたいからなのです。

お母様が、音楽家だったりすると、すごくこの点を理解して頂けます。
音楽の世界がどういうことかをよくわかっているからです。
しかし、全く音楽の世界に無知な方はどうしても、目先のことに目がいって、焦る傾向にあるので、これが私の一番困る事です。私の所へきて、楽譜もろくに読めない子が、まだ、半年にもならない時に、○○のコンクールを受けてみたいのですが、と言われると、もうお手上げ状態です。

そういう人達は1つの曲を仕上げて、賞をとるためには、ものすごく時間がかかり、その間、他の曲はなにも出来なくなるという事を全くわかっていません。

音楽高校生、音楽大学生で、ある程度、もう本人の音楽が固まってくる時期なら、コンクールは、たびたび受けてもいいと思いますが、特に幼い時に受けるコンクールは注意が必要です。

音楽家という職業がどんなに、地味で、華やかなものではないという事を、生徒の皆さん、親御さんには、是非とも知って頂きたいと思います。

かの有名なヴァイオリニストの五嶋みどりさんも、「私は、練習するのが一番好き」と聞きました。
ステージで弾くよりも、日頃の練習に邁進する事が一番楽しいと思えてこそ、初めて、音楽の道の第一歩を踏み始める事が出来ます。

私が尊敬していつも持ち歩いている本があります。
アンデル・フオルデス著の「ピアノへの道」という本なのですが、ピアニストの方が書かれた本で、私の敬愛するピアニストの方もこの本が大好きでいつも持ち歩くとおっしゃっていました。ここには、今、私が述べたような事柄が書かれています。興味のある方は是非読んでみてください。

幼い時のあまりにも多い公開演奏は、多くの弊害をもたらすということも、書かれていますが、音楽に無知でない方々なら、恐らく皆、納得されると思います。

ピアノの道は、決して華やかなものではなく、実力だけがものをいう世界なのだ、という事を、日頃から生徒の皆さんは肝に銘じておくといいと思います。


平成24年9月7日(金)山のような楽譜を前にして

ドイツ、オーストリア研修から帰ってきて、時差ぼけもなくならないうちに、次々と、秋から冬にかけての講座やコンサートの依頼が舞い込み、山のような楽譜を前にして、その準備に追われています。

↓ザルツブルクにあるモーツアルテウム音楽院。ウイーン国立音楽大学と同じく、世界中からよりすぐられた、優秀な音楽学生が学んでいます。

ピアニストには休みがありません、休みがあるとすれば、ピアノを弾いているときが休みなんですよ、とあるピアニストの方がおっしゃっていましたが、実際その通りです。生徒たちのレッスンの合間に、自分の練習をして、新しい譜読みは次々として、本番を迎えて・・・・と目が回りそうです。

しかし、私の演奏や話しを楽しみにして下さっている方たちのためにも、毎日、曲の内部まで突っ込んで探求しています。ピアニストという職業は、一生、学生みたいなんですよ。次から次へと、新しく学ぶ曲が山のようにあり、大変ですが、いつまでも、興味が尽きない、素晴らしい世界です。

←世界遺産になっているハルシュタット。マーラーやクリムトに愛された街です。ザルツカンマーグートを訪れるのは、3回目ですが、来るたびに大きなインスピレーションをもらえます。
私がヨーロッパに行っている間、生徒は生徒で、レッスンが久しぶりだったので、「先生にお会いすることをすごく楽しみにしている、今日はレッスンがなかったから、がっかりだ」という内容の日記が多く、私が、普段かなり、根詰めたレッスンをするのに、生徒たちが、私とのレッスンを心待ちにしてくれて、ああ、よかったなあ、と思います。

「ああ、今日は、ピアノのレッスン・・・何か憂鬱・・・・・・」なんて気持ちになられたら、せっかくの音楽が台無しになってしまいますからね。私も生徒たちとのレッスンは何より大好きですよ!!1人1人の生徒は本当に可愛く、私の子供みたいに思っています!!

私を応援して下さる方々に日々、感謝の気持ちで一杯です。


平成24年9月5日(水)門下生コンサートの曲目選び

昨日から、明和も始まりました。
来年の3月24日の門下生コンサートのプログラムの原稿を今、必死で考えていますが、ほとんどの生徒は曲目が決まりました。ザーッと見渡すと、ベートーヴェンのソナタの何と多いこと!!生徒たちのほとんどが、中学生以上を占めている事もあり、なんだか、ベートーヴェンソナタ全曲演奏会みたいになりそうです。

例年通り、人数も大変多く、さらに、生徒たちの年齢がどんどん上がってきているので、どうしても1人1人の持ち時間が長くなってしまいますが、可能な限り、演奏時間は、出来るだけ5分以内で、おさまるように選んでもらえると、助かります。

弾く人にとっては、5分でも、聴いて下さるお客様にとっては、何時間も聴いて頂くわけです。そういうことを考えると、1人の持ち時間があまりにも長いのは、退屈されてしまいますので、自分のことだけを考えるのでなく、門下生全員で作り上げる一つのコンサートにしていきましょう。

←真中の黄色い建物がザルツブルクのモーツアルトの生家。
本当は、こちらが正面玄関。








平成24年9月3日(月)ドイツ・オーストリア研修(その3)

中学1年生の生徒からの質問です。譜読みをすると、肩がこるのですがどうすればよいでしょうか、という質問。彼女は、譜読みが大変早いので、相当根詰めて毎日やっているのだろうとは思っていましたが、あまりにも一生懸命やりすぎると、身体をこわすよ、と言っておきました。

肩がこるのは、同じ姿勢をずっと続けることに原因があります。「先生もね、譜読みじゃなくても、ヨーロッパへ行く時は、飛行機の狭い窮屈な座席に、12時間半、ずっと座ったままでしょ?そうすると、譜読みじゃなくてもすごく肩がこる。そんな時は、アリナミンEXを良く飲むよ(笑)」。

「だから、時間を決めて譜読みするといいわね。30分やったら、外に出ていって、身体をほぐすとか、全身を動かす体操をするといいよ」。

と話しました。

ザルツブルクにあるカラヤンの生家には指揮をする銅像が。

彼女の他にもこの夏休みは、10時間さらったとか、皆良く頑張っていますが、身体をこわしては元も子もないので、適度に気分転換を計りながら
ピアノを楽しんでくださいね。そうしないと、長いピアノ人生、燃え尽きてしまいますよ。いい音楽をするためには、身体も心もゆったりと休むことがとても大切なんですよ。










さて、今回のヨーロッパ研修で、感じた事を振り返ってみたいと思います。私が、先日の日記で若い時の目線とは違った目線で見たヨーロッパ・・・・ということを書きました。その事についてです。

私が初めて、ヨーロッパの地を踏んだのは、19歳の時、ピアノの先生が連れて行って下さった、アイルランドのダブリン国際コンクールに参加した時でした。
私達のように書類審査を通過出来た参加者は、コンクールの間中、ホームステイさせて頂けるのですが、日本とは違った、さわやかな空気、美しい街並み、美味しい料理、全てが夢のような世界でした。その体験が忘れられず、留学するならヨーロッパだ、と固く心に誓っていました。

その時から、又、数年後、大学を卒業してすぐ、22歳でミュンヘンに渡り、1か月滞在します。そこで、初めて見た、ミュンヘンの景色はいまだに忘れられません。ドイツが一番美しい季節である5月のミュンヘンの景色は、周り一面、緑に覆われ、鮮やかな黄色い菜の花が咲きみだれ、それは、まるで、自分が小さいころいつも読んでいた、グリムやアンデルセン、アルプスの少女ハイジのイメージとまるで、同じでした。実際にこんな美しい場所があったんだと感動したものです。

初めの頃は、やはり、なにもかもがめずらしく、毎日美しい芸術、美術、音楽会に触れるたびに胸をときめかせていました。又、時々郊外に足を延ばせば、日本とは全く違う私の大好きな、丸い小窓の赤い屋根の家、玉ねぎ形の教会、美しい樅の木を見る事が出来ます。クリスマス時期になれば、まっ白い雪に覆われた本物の堂々とした樅の木にオレンジ色の灯がポツンポツンとともり、各家庭からほの暗く見える、ろうそくの明かりなど、どれもこれも、わあー素敵、日本のガチャガチャした騒々しい雰囲気と違って、静かで、ピアノを弾くのに落ち着くなあ・・・・といつも感動していました。


典型的な私の大好きなドイツのイメージ
私のヨーロッパに対する熱い気持ちは、若いころの恋愛に良く似ていたと思います。悪いところも全部良く見えて、全てが、いいように解釈してしまう力。
若い時は、何も知らないからこそ、がむしゃらに頑張れるんだと思います。

今でも、自分の第2の故郷であるオーストリアのことは大好きです。しかし、この年になれば、若い時の「恋は盲目」という感覚とは何かが違います。私自身がヨーロッパをより、シビアに、冷静に、見るようになってきました。だから、いいところだけでなく、不便だなと思えるところも沢山出てくる。

一番は公衆トイレ。トイレに入るたびにヨーロッパではお金を入れなくては入れません。日本のように清潔ではなく、トイレは、日本が最高です。又、水。レストランで入るたびに水は出てこないから、必ず飲み物を頼まなくてはならない。水道水が飲めないから、いつも水を持ち歩くのも不便と言えば不便です。
ヨーロッパの景色も美しいことは美しいですが、中部空港が近づき飛行機の中から、何とも美しい富士山が良く見えました。そして、着陸寸前に迫る、海。そうです。日本は海に囲まれた、素晴らしい国です。海に囲まれた国だからこそ、水も、制限なく、飲めたり、毎日、熱いお湯の出るお風呂にも入れるのです。

私は生徒たちに良く言っています。日本がどんなに素晴らしい国かどうかは外国に出てみるとよくわかる、と。若い時はどんなに不便でも体力があるし、それこそ、「恋は盲目」の魂を持っているから、頑張れるんだと思います。

ずっと変わらない心というのはないのだなあ、私自身も変わらないようでいて、確実に心が成長している、日々移り変わって同じ気持ちであり続けるという事は不可能なのだなあと感じる事の出来た今回の研修でした。

自分も周りもどんどん変わっていく。しかし、ピアノだけは、変わらず私のそばにある。それが、本当の愛であり、天職なんだなあと、再認識した8日間でありました。


平成24年9月1日(土)ドイツ・オーストリア研修(その2)

今日から、気持ちも新たに早速プライヴェート・レッスンが始まりました。皆、レッスンの間隔が空いていたけれど、さぼらずに良く頑張っていて、とても嬉しく思いました。門下生コンサートの曲目も、ちゃんと決めてきた子も多く、着々と、計画を立てて張り切っている様子です。

さて、今回のヨーロッパでは、2回目の再訪となったノイシュヴァンシュタイン城の場内も心に残りました。留学中に訪れた時は、雨で全身ずぶぬれ、肝心のノイシュバンシュタイン城は霧がかかって、ほとんど全景が見えず、みんなが騒ぐほど美しいお城という印象を持ちませんでした。

しかし、年を重ねるに従って、ルードヴイッヒ2世の事に興味がわいてきた事と、今回は、場内に描かれている、ワーグナーのオペラの世界が見たくて、行ってきました。「ニーベルングの指輪」や、「パルジファル」などが描かれており、室内装飾にワーグナーのオペラの世界を見ることが出来ます。

ワーグナーのオペラの世界が描かれているノイシュヴァンシュタイン城。ここは、室内撮影禁止です。こんな風に全景見えるときなんて滅多にありません!!運が良かった。

この城を建てたバイエルン王のルードヴイッヒ2世は、ワーグナーを熱愛していたといいます。こんな美しいお城を建てたまま、41歳で、湖で、水死体となって発見されたのは、自殺なのか、殺されたのか、益々、こちらの興味をかきたてられます。このお城とともに、メルヘン王と呼ばれるのは、そういう亡くなり方をしたからでもあるでしょう。

又この近くに、世界遺産となっている、ヴィース教会も見る事が出来ました。

←キリストが涙を流した像がある世界遺産のヴイース教会の外観は以外にシンプル

郊外の草原にポツンとたたずむ教会ですが、この中の室内の装飾がロココ様式の最高傑作で、心を打たれました。
ここのキリスト像が涙を流すという奇跡で、有名になっています。
ここのロココ様式の室内装飾を見ると、スカルラッテイなどが本当に美しく弾けそうだなあと、イマジネーションが沢山わいてきました。
いかにも、その場所にふさわしい、装飾音がふんだんにちりばめられており、美しく鳴り響きどこまでも優しい香り高い特徴を持った音楽がロココ音楽と呼ばれますが、家でピアノを弾いているだけでなく、こういうロココ様式の装飾を普段から毎日実際に目にしていると、スカルラッテイなど上手に弾けるだろうなあと思いながら見ていました。


←ロココ様式の最高傑作、世界遺産のヴイース教会の室内