平成24年7月24日(火)ゆっくり時間をかけて遊ぶ

週末はPTNAの審査でした。私たち審査員にとっても、最終の審査でしたが、生徒たちも最終の予選を終えました。
F級中学3年生、D級小学6年生、中学1年生2人、中学2年生1人、A1級小学2年生、B級小学3年生2人、の8名全員がめでたく本選へ向かいます。皆さん、おめでとうございました。

B級を受けた子のお母様からメールで、「通過出来ても出来なくてもとてもいい体験をさせていただきました。先生にはいつも温かく指導して頂き、本当に感謝しています」とお礼のメールを頂きましたが、この言葉は本当に嬉しい言葉でした。そんな風に、1回1回の結果に目くじらをたてるのでなく、長い目で、温かく見守る姿勢こそが、長いピアノの道には一番必要なことであるからです。それが理解できる、待てるお母様は賢いです。そんなお母様の下でなら、子どもも安心して、学ぶことが出来ます。

何か、期間限定みたいに、何年生までに、これこれをやってしまわなければならないとか、この曲を何年生では弾けていなくてはならないとか、そんな感じで目先のことばかりで、親御さんが焦ってしまうと、子どもは落ち着いて基礎を固めていけません。人はそれぞれ、伸び方が違い、早く伸びても、大人になるに従って、それきり、伸びなくなってしまったり、又は、ちょっと、不器用そうに見えた子が、投げ出さずコツコツと真面目に練習を続けて、伸び続けていく子もいてさまざまなのです。

今の世の中、何でも「早い」ということが奨励されているのは、子どもたちにとって、非常に悪い教え方だと私自身は考えています。それより遅くていいから、一生続けなさい、と教えることの方が大切。

先日審査しながら気になったのは、上手いか下手かということよりも、子どもたちの表情が死んでいたことでした。何か周りからやらされている感じが強く、本当に、音楽って楽しい、と思いながら弾いている子は、ほとんどいませんでした。

日々の学校行事や、習いごと、宿題、特に中学生以降は、塾通いなど、子どもたちの気の休まる間が一つもないような気がして、それは、仕方のないこととはいえ、心豊かに、音を慈しんで、耳を研ぎ澄ます時間は、恐らくないだろうなあと感じました。

私の生徒たちに、よく「駆け込み乗車はおやめ下さい!!ピー!」という人工的な、後ろから追い立てられているような、気ぜわしい演奏になってはだめよ」、と注意します。現代的で機械的なコンピューターや、ゲームの音は聴きたくありません。

音楽の中で聴きたいのは、その人から醸し出される温かみや静寂。一人森の中に佇んで、自然界の音、風のそよぎや、小鳥の鳴き声、雨の音などにじっと心静かに耳を傾けている、そういう柔らかさのある音楽が人の心を癒します。

その子供にある程度の音楽的素養があり、力があるという幼い子には、何でも早くやってしまえることがいいのではない、どんなに時間がかかっても、じっくり養分を蓄えていく時間の方が大切ということを常々私は、皆さんにお話ししています。

嬉しい事に共感して下さる方は多く、有難いなあと皆さんに本当に感謝しています。急いで何かをやるのは、音楽を作るという行為と正反対だからです。
ゆっくり、熟成させた、時間がすごくかかっているワインの味は、演奏同様、深くて香り高く味わい深くおいしいのです。

本選もそのうち始まりますが、とにかく楽しんでもらいたいです。私がウイーンで勉強していた時、門下生同士、レッスンの前とか、本番の時とか、ピアノを弾く時はいつも、”Viel Spass!フィール シュパース!”(楽しんでね)と声を掛け合っていて、その名残りからか、生徒たちにもそういいます。
皆すごく喜びます。

日本語は「ピアノを弾く」ですけど、ドイツ語だと「ピアノで遊ぶ」、(シュピーレン)するのです。

音楽には、遊び心がすごく必要なのです。





平成24年7月16日(月・祝)F級中学3年生、D級中学2年生、C級小学6年生予選通過、おめでとう!!

昨日に引き続き、今日も又、F級中学3年生、D級中学2年生、C級小学6年生の3名がPTNAの予選を通過しました。おめでとうございます!!

ここまでくれば、もうすでに、2回目の予選を終えた子も、まだ、あともう一回予選を控えている子など、さまざまですが、今後はどれだけ、本選の曲が仕上がっているかがものをいいます。予選の曲ばかりになってしまって、本選の曲は十分に研究出来ていない、曲が練れていない人は、ちょっと大変ですね。そう思って、本選ばかりをやっても、予選が駄目になってしまったとか・・・・。全ての曲をまんべんなく研究、練習出来ていくことも実力のうちの一つになってきます。

演奏者は限られた時間内で、どれだけ早く、楽譜を読み解き、曲を自分の血となり、肉となり、自分のものにしていけるかが決め手になっていきます。

仕事もそうです。いくらていねいで、いい仕事をするといっても、時間がかかりすぎるようでは、周りから求められません。

だから、私が生徒たち全員に常々言うのは、
譜読みが早いということは、もうすでに、第一の条件をクリアしています。もういって見ればそこからすでにコンクールは始まっているのです。
課題曲を選択するときにすでに・・・・・・・・。

譜読みが早い、他の人より早く曲の研究が始められる、暗譜も早ければ、人より先に余裕が生まれ、あとは、イメージトレーニングなどしてゆったり本番を迎えることができるからです。

1人1人のコンクールの良い結果も嬉しくないことはありませんが、私としては、生徒1人一人がコンクールの結果に一喜一憂するよりも、着実に力をつけていって、本物の実力をつけてくれることが一番嬉しいです。

生徒たちに、本当の実力をつけさせること、将来先生がいなくても、自分自身で音楽を研究出来るように自立させること、大人になったとき、人に頼ることなく、自分で学び続けるという姿勢を習慣化させられるように、生徒たちを導いていければ、といつも考えています。


平成24年7月15日(日)頑張っている生徒たち

今日も、PTNAの予選があり、D級3名(小学6年生1人、中学1年生2人)が本選へ出場することに決まりました。皆さん遅くまで本当に御苦労さまです。

又、今春から東京音大の演奏家コースに進学した元門下生がG級に予選通過した、先生のお陰で、私の人生は変わった、と感謝のメールを頂き、本当に嬉しかったです。
巣立った子たちが、そうやって、先生のお陰で、人生が変わったと言ってくれることが、私の最高の喜びです。

今週は私も審査に行きますし、まだまだ次々と本番を迎える子が沢山で、私も体力勝負です。

私がダウンしてしまうと、いい音楽を提供出来なくなってしまうので、常に力を蓄えるようにすごく身体には気を使っています。

やがてくる8月も忙しく、夏休みは当分できませんが、みんなと励んでいきたいです。


平成24年7月12日(木)「緊張したから弾けない」「もっと練習します」は、禁句

先日大学で来週の試験のリハーサルを行いました。弾き終わったあと、学生1人1人に感想を述べてもらうと、
「緊張して上手く弾けませんでした。もっと練習します」。ということを言う学生がかなり多かったので、私は「緊張する」ということに関して学生達にお話しました。

私自身は学生の頃から弾き終わった後、こういった弁解じみたことをいうのが、もともと大嫌いな性質で、自分の演奏終了後、この言葉を口にしたことは、恐らく幼い頃から、今までに、一度もありません。

私の考えでは、緊張して弾けない、というのは、まず、考えられないということです。そういう風にいう人たちにたずねたいのが、「では、緊張していなければ、あなたは、普段から完璧にきちんと弾けていましたか?」ということです。恐らく弾けていないはず。あちこち外したり、わからなくなったり、ちょこちょこ細かいミスをしていたはずです。

したがって、もともと、弾けていなかった自分の能力のなさが本番で明らかになっただけのこと。自分の能力は、その程度のものなのだと謙虚に受け止めなければならないのです。上手く弾けなかったのは、何も本番で、緊張したせいではない、ということなのです。それがあなたのレベル、(私自身も本番で上手く弾けないときは、普段から恐い箇所だったから当然と考え、そんな言い訳は通用しないと思って決して口にしません。)だから、自分の弾けないのを緊張のせいにしてはいけないのです。もともと完璧に弾けて、どこも恐い部分がなければ、そんなに緊張することはないはず。
だから、緊張のせいでなくて、自分の力が足りないというのが正直な言い方。

緊張はどんな人でもします。しかし、力のある人なら、緊張しても、手が震えても、完璧に弾けるものなのです。なので、緊張して弾けないのは、その人の精神や心が弱いせいでも、本番に弱いからでも、舞台慣れしていないからでも何でもなく、普段から、弾けていなかった場所が、本番で又、弾けなかっただけのこと。とても単純です。

さらに、上手く弾けなかった本番の後で、「もっと練習します」、なんて言葉は私なら全く想像もつきません!!なぜなら、本番前にいやというほど練習して本番にのぞむはずなのに、終わってから、「もっと練習します」、なんて一体どういうことだろう?と思うからです。今までなぜ、何も努力していないの?後で後悔するなら、普段からしっかり努力しなさい!!という感じ。

又、「この子は本番に弱く何度もステージに立たなければ、舞台慣れしないので、何度も何度も舞台へ立たせて緊張を克服させる」とか、そういうことをおっしゃる親御さんがよくいらっしゃいますが、それも、全く、関係ないと私自身は、考えています。はっきり言って立てば立つほど、恐さをさらに倍増させる原因の一つにもなります。舞台に立つことがあまり好きではない嫌がる子に、無理に舞台に立たせていると、なおさら、逆効果になり、どんどん、自信を無くさせる原因になっていきます。

はっきり言って、舞台というものは、立てば立つほど、緊張するものなのです。そして自信がなくなっていくものなのです。自信がつくのでなく、自分の弱さをはっきり確認できるようになって、どんどん謙虚になっていきます。それは、リヒテルやホロヴィッツなどの巨匠クラスの大ピアニストを見ていてもわかりますし、プロになればなるほど、恐さが倍増することからみてもよく理解出来ます。彼らは、数え切れないほどのステージで弾いているわけだから、緊張しなくなると思っていたら、とんでもない話です。プロであればあるほど、演奏に対して責任感が強いほど緊張も、ものすごくするのです。
ある大変に有名なベテランの俳優さんも舞台に立てば立つほど恐くなる、何十年たっても慣れないとおっしゃっていましたが、それは同感です。

しかし、ただの人が緊張した、というのと、ベテランの緊張したというニュアンスは、ちょっと違います。ただの人がもし、緊張したら、自分の力がないうえに、さらに演奏が悪くなり、どうしてよいかわからなくなるような状態になるのに反し、ベテランなら、ものすごく緊張しても、普段の80パーセントくらいの力は出せるということなのです。

演奏する人なら、「緊張したから弾けない」、という言葉と、「もっと練習します」、という言葉は禁句です。その両方が当たり前のことであり、「自分の能力のなさ」と、「普段の努力不足」をみんなに平然と公言していることになるからです。

本番終了後は、「自分では本番までに、血のにじむような努力を重ねてきましたが、やはり、自分の能力が足らず、上手く弾けませんでした、しかし、普段も弾けていないのだから上手く弾けなくて当然です」というのが、正直で、すがすがしく、どんな先生からも可愛がってもらえる学生さんです。

だから、私自身にとっても、幼いころから、今でも、この2つは、絶対に言ってはいけない禁句の一つになっているのです。


平成24年7月10日(火)音楽の中に静寂を感じる

ピアノを習っている皆さんは、先生から、「歌いなさい」、という言葉と、「耳を澄まして、音を客観的に聴きなさい」、という言葉をいやというほど、叩き込まれていると思います。
この2つがクリア出来れば、勿論プロの域に達しているわけですが、今日は、皆さんに音の中の静寂について書いてみようと思います。

曲の中にどんなに大きなフオルテイッシモがあったとしても、心は、常に静寂を保ち、その静寂を一貫して曲の間中、保っていなければなりません。
大きな音で、ガンガン弾けば、いいのではなくて、大きな音は、空間を隅々までのびやかに満たす、という風にイメージしなくてはなりません。

静寂イコール耳を澄ますということになると思いますが、特に本番、人前で弾く時などは、頭にカーッと血がのぼって興奮しまくって弾いてしまい、自分の音が冷静に聴けなかった・・・・という人は多いと思います。当然、そんなときの演奏はよくありません。テンポは乱れるわ、音は外すわ、ペダルは濁るわ、そんな演奏は、やたらに音だけガンガン響き渡り、音楽の世界からはかけ離れて、何かオリンピックに出る競争みたいな演奏になってしまいます。

理想は、弾いている人は冷静に音と向き合っているのだけど、聴いている人が興奮してくれるという演奏です。

演奏者が自分の演奏にうっとりとしていたり、感極まって弾いていても聴き手がその分感動して聴いてくれているのかどうかです。

レッスンの時、私が音を聴いて歌いなさいというと、やたらに身体をくねらしたり、腕を振り回したりしだす子は多いです。そんなことをしても、全く音のニュアンスは変わっていないよ・・・・と注意すると、さらに焦ってどうしてよいかわからなくなり、もっと身体の動きが激しくなったり、揺さぶったり・・・・

やはり、ピアノは、初めに音ありきです。音自体が語り、ニュアンスが豊富にあり、どんな強い音でも根底には、静寂が一貫してなくてはならないものなのです。

人は音楽に騒がしいものを聴きたいとは思わないと思います。たまに、ストレス発散で大音量のガチャガチャ音楽がすきな若い人もいますけど、ああいうのは、音楽とはいいません。全然音楽の美しさをわからない人たちです。いつか、レストランに入った時あまりにうるさいので、音楽を止めて下さい、とお願いしたこともあります。スーパーに流れている音楽とかああいうのを一斉にやめたら、もっと日本の子どもたちは音に敏感になれるのになあと残念に思います。

ヨーロッパに行くとどこにもスーパーにも店内にも音楽がかかっていないので、静かな環境でお買い物でき、すごく落ち着いてお買い物できます。

日本は便利で、素晴らしい国だけど、外に出た途端に、騒々しく、どこにもここにもうるさい音楽が流れていて、(しかも音楽ではないようなガチャガチャ騒音)それを何とかしてほしいです。
日本に住んでいるお店屋さんの皆さんはそういうお店の中の流れている音楽がうるさいと感じないのでしょうか?
私は、やはり、音楽に静かなものを求めたいです。その音楽が仮にどんなに激しいものを語っていたとしても。

素晴らしい芸術に出会うと、心が穏やかに、静かになれます。音楽に限らず、絵画でも。もし、それを聴いたとき、見た時、心をかき乱すようなものなら、本当の芸術とはいえないと私自身は思っています。

平成24年7月8日(日)予選通過の生徒たち

今日も昨日に引き続き、生徒たちから、次々に喜びの電話がありました。

D級の中学1年生が「通過しました!」と連絡が入り、その次に、小学2年生のA1級の生徒から。「先生のおかげで、先生の・・・・・」と何度も何度も小さな声で一生懸命話してくれた様子が何とも可愛らしい限りです。

その後、B級小学3年生1人、B級小学4年生1人、そして、最後に、E級の生徒が優秀賞の他に、成績優秀者に贈られる新名古屋支部賞を代表して受賞したとのことで、今日も最高に盛り上がりました。

皆さん、素晴らしいです。おめでとうございます!!又、まだまだ、引き続き受ける子も楽しんで、弾いてきて下さいね。そして、受けて良かった、素敵な思い出になったなあと思えるステージにしていって下さいね。

私にとっては、生徒たち全てが何とも愛おしく可愛くてたまりません。愛情の深さは、コンクールに入っても、入らなくても、全く関係ありません。

どの生徒も、平等に全員、私の大事な大事な宝物です!!そう思える私は、本当に幸せ者です!!


平成24年7月7日(土)C級小学6年生2人、D級小学6年生、中学1年生2人本選へ

今日は、又PTNAの予選がありました。C級の予選を通過した小学6年生の生徒から1番に喜びの電話をもらいました。続いて、D級中学1年生2人、同じくD級小学6年生の1人が、次々と「通過しました!!」と携帯を回して、みんなニコニコ嬉しそう!!皆さん、おめでとうございます!!

私の教室では、本番直前になると、前、後ろに来た子と、ちょっとした、プチリハーサルをします。今の時期は、まさにそれを行っています。そうすれば、生徒同士お友達にもなれますし、自分1人だけで頑張っているのでなくて、みんなと頑張れていると思うと、心強いですし、勇気がわいてきますから、とてもいい事です。
それを行うと、生徒たちの演奏がガラッと変わり、効果てきめんです。私がいろいろと言うよりも、子ども同士で、弾き合う事をさせた方が、ずっとずっと上手くなるのでは、というくらいにすごく効果があがりますね。生徒同士でも、一方が先生役になってあげたり、生徒役になったり・・・・犬のしつけ教室でも、言うことをきかないワンちゃんに教育係のワンちゃんが仲間に入ると、すぐ、きちんとした行動を覚えるワンちゃんみたい(笑い)
では、明日もさらに続き、頑張ってください。結果がわかったら、すぐ電話で連絡入れて下さいね。日記にのせたりいろいろ準備がありますので・・・・・・。
又、その後、小学6年生の生徒からもC級通過したと連絡がありました。ほっとしました。今日受けた子も全て通過しました。


平成24年7月1日(日)E級中学2年生、本選へ

7月になりました。今日も又、PTNA の予選で遠隔地に出かけた生徒、E級中学2年生から予選を通過したと喜びの電話をもらいました。昨日レッスンに来て、ちょっと、心配そうでしたので、喜びはさぞ大きかったことと思います。中学生は、人生の中で、一番苦しく辛い時期。塾に勉強に沢山の葛藤があったと思いますが、よく頑張りました。本当におめでとうございます。

今日、小学6年生の生徒が、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女は、弾けば弾くほど、この曲の良さがわかるようになってきて、コンクールに出ることによって、それを感じられるようになっただけでも、良かった、と書いている子がいて、とてもうれしく思いました。
ピアノの道は一生かかる長い長い道のりです。コンクールの結果にとらわれることなく、彼女のように、受けることによって、眠っていた自分の内面に又、1つ大きく美しい花が咲いた、音楽の美しい世界の扉が1つ開いた、ああ、幸せだなあ・・・・そんな風に生徒たちが感じてくれれば、私としては、こんなに嬉しいことはありません。