平成24年6月29日(金)おめでたいことが続き・・・・

来月7月14日、私が勤めている明和高校の説明会、サマーコンサートがあります。現在高校3年の私の生徒2人、鈴木美穂さん、林万里歌さんがオーデイションに選ばれて、しらかわホールでソロ演奏することが、今日決定したと、生徒から電話をもらいました。学内のコンサートに出られることは、生徒たちにとっては、とても名誉あることなので、本人たちの喜びは、何にもまして変えがたい喜びだと思います。興奮した生徒の喜びの声に、私も本当に嬉しかったです。3年間の間に、あんな素晴らしいところで、弾かせていただけるだけでも、幸せでしょうね。本当に2人ともおめでとうございます。

このコンサートは、音楽高校を受験しよう、と目指している学生さんを対象にした音楽科説明会のあと、開かれるコンサートです。皆、若き才能ある音楽家の卵ばかりの素晴らしいコンサート、是非、受験される方は聴きに行って下さいね。
鈴木美穂さんはシューマンのソナタ第1番の1楽章、林万里歌さんはシューマンの幻想曲を演奏いたします。2人とも若いからこそ出せる、シューマンの情熱と、愛と憧れに満ちた素晴らしいロマンあふれる詩情豊かな演奏をしています。ご期待下さい!!


平成24年6月28日(木)自分の演奏を客観的に聴く

今週、来週と高校生たちは前期のピアノ実技試験があり、3年生は学内の試験は残すところ、あと1回となりました。

3年間の成長は目覚ましく、音楽高校に入ると、同じ音楽を目指す友達からも沢山の刺激をもらいます。私が勤めている高校は、実技試験も1人がすごく長く弾かせてもらえるし、大曲を皆、ピアニスト並みに弾く子ばかりだから、相当実力がつき、又、1人1人の本当の力がよくわかります。

譜読みが遅く、どうにかこうにか、本番にたどり着いた子、指はよく回っているし、ミスタッチも少ないのだけれど、ただ単に弾いている子、すごく、いいものがあって、感動して聴いていたのだけど、ここぞという曲の山場で、音がわからなくなって何とも惜しい、最後の最後で、集中力に欠けた子、さまざまな演奏がありました。
その中でも、ピアニスト顔負けの素晴らしい演奏も1人2人は、必ずいて、高校生で、こんなに高い音楽性を持っていたら、すごく今後が期待できるなあととても感銘を受けた演奏の子もいました。

やはりいい演奏の特徴は、自分が奏でている音楽が、耳で客観的に聴けている演奏です。弾いているのは自分なのだけど、それと同時にお客さんの立場になって聴ける人。感情移入はなくてはなりませんが、曲に埋没して冷静さを欠いてしまうと、テンポは急ぐし、音は大きくなりすぎるし、ペダルは、にごり、左の伴奏ばかりガンガン鳴り響いたり、あまり、集中出来ている演奏とはいえなくなってしまいます。

理想は、今、自分がやっていることがきちんと冷静に受け止められる演奏で、テンポ感や、音の響き具合や、バランス感覚が、耳にバランスよく届いている状態で、結果的に、お客さん側は、音楽そのものに集中できる・・・・そういう演奏です。

いい演奏を聴くと、段々とその弾き手の姿は見えなくなっていき、聴き手は音楽の世界に、はまっていけるから不思議です。それだけ、その音楽の偉大性が語られたときに初めて、人はその音楽に感動したという気持ちになれます。

しかし、まだ、演奏者本人が弾くことだけで精いっぱいだったり、何となく落ち着きなく演奏自体が雑然としていると、聴き手は音楽の世界までたどり着けないのです。音楽とは全然関係ないところで、動く手や腕や、身体の振りが気になったり、何となく集中出来なくなってしまいます。

そう考えると、全ての責任は演奏者自身にあるといえます。聴き手が、その人の演奏を聴きながら、そういえば、今日のおかずは何にしようか・・・・・そういえば、まだ、あれがあった、あれ食べよう、とか(笑い)そんな風に聴き手が聴いていると思うとせっかく一生懸命弾いているのに演奏者の心も知らず可哀そうなものですが、それが現実なのです。

しかし、本当にいい演奏ならば、絶対にそんな気持ちにはなりません。どんどんその弾き手に自分も乗り移っていくような感覚にとらわれて、ああ、何て幸せなんだろう・・・・こんな美しい時間がずっと続けばいいのに・・・・なんて気持ちにもさせてくれるのです。

それこそが、音楽の魔術性であり、その人が持っている、芸術性でもあります。

前者も後者も一生懸命弾いていることに変わりはないのだけど、その一生懸命はどこか違うところにあります。ただ、がむしゃらに一生懸命弾けば人を感動させられるかと言えばそういうものではない。同じ一生懸命でも自分の今やっていることで、頭がいっぱいになって他のことはもう何も考えられなくなってしまうほど、混乱していれば、もちろんいい演奏は、出来ません。しかし、そんな大変な時にも周りに気を配れて、冷静に物事を判断出来る人。常に自分中心の演奏でなくて、お客さんの立場になって客観的にどこか冷静に音楽を受け止めて聴けるようになったときに初めて、それは人の心を打つのだと思います。

しかし、若い時にそんないい演奏をしていても、20歳すぎればただの人という言葉がある通り、大人になると、全く面白くもなんともない演奏になっていく人もいます。もちろん、若い時期から才能があり、ずっと順調に伸びていく人もいます。しかし、20歳過ぎれば、皆ほぼ精神的にも大人になり、音楽的にも同じように理解できるようになります。そのときに果たして、かつて、若い時にものすごく秀でていた、技術、音楽性を上回るような演奏が出来るかというと、そんなものでもないですし、少し、学生時代は遅れているように見えてあとから、大きく伸びていく人もおり、伸び方はさまざまです。

ですから、私が生徒たちにいつも言うのです。あせってはいけない、ということを。特によく弾ける子に関しては絶対にあせらないよう親も子も一生かけて音楽に取り組むつもりであれば、その力は強く大きなものとなっていくでしょう。


平成24年6月24日(日)昨日に引き続き・・・・

今日もD級中学1年生がPTNA の予選を通過しました。夜遅くまで大変でしたね。彼女は、特に頑張っていたので、喜びもひとしお。級が高くなっていき、大人になってからが、勝負どころです。本当におめでとう!!


平成24年6月23日(土)PTNA予選通過おめでとう!!

今日は、PTNA予選があり、今日出場した私の教室の生徒たち全員が本選へ進むことが決定しました。
D級小学6年生、D級中学1年生、B級小学4年生の3人です。

これから出場する生徒たちも沢山いるので、皆さんも本番を楽しんでくださいね。

又、いつも私が生徒たちに、言うのですが、審査の結果はその人の全てではない、ということ。その時に弾いた曲目、審査してくださる先生方の好み、参加者の前後の関係、色んな要素が相まって、点数に現れますので、あまり、神経質にならないように、第一、音楽を点数で判断出来ないものですし、辛くつける先生方が多いところ、すごく甘い点が付いている場所、それぞれにあるので、あまり、振り回されて自分の演奏を見失わないようにということです。

演奏は、最終的には、個人的なものです。自分が一番美しいと思える演奏をするのが一番だと思います。


平成24年6月21日(木)勇気ある演奏

音楽高校生も大学生も、前期のピアノ実技試験が、私の教室では、PTNA の予選が目前に迫り、最後の総仕上げにとりかかっていて、生徒たちは皆よく頑張っています。
今の時期は、もう、ミスタッチもなくなったし、テンポ感も落ち着いてきた、楽譜に書いてあることは全て頭の中に入っていて、音色のニュアンスも豊かで、どこをとっても申し分ない演奏になっている人もいるでしょうし、まだまだ、ミスタッチが減らない、弾きにくいところがあるために、テンポが先急ぐ、技術的な不足が沢山あってなかなか思うように弾けない・・・そう思う人、いろいろいると思います。

長期にわたって練習していると、演奏の味が薄くなってきたりする演奏は多いので注意が必要です。何回か繰り返して弾くうちに、表現が慣れっこになってしまい、一言でいえば、感覚が麻痺するというか、炭酸が抜けたソーダのような味に変わってしまうのです。

だから、自分ではあるフレーズを歌っているつもりが、知らず知らずのうちに一本調子になっていきます。フォルテのつもりがメゾフォルテ、ピアノのつもりがメゾピアノのようになってしまうと、曲のなかの全てが、メゾフォルテかメゾピアノみたいになっていき、聴いている人は何となく、もやもやとして煮え切らないというか、中途半端な気分になってしまいます。

もちろん、演奏が破たんするほど、めちゃくちゃに、スケール大きくしてもだめですが、たいていの場合はその反対、味が薄く、のっぺらぼうのように、後に残らない演奏になってしまう子が多いようです。

先日、ロンドンでご活躍の帽子デザイナーの方が後輩たちに授業をする番組を見ましたが、「出る杭になれ!」という話を小学生たちに話されていました。私も同感です。出る杭は打たれるものですが、打たれたっていいのです。特に芸術を目指す人は、打たれたほうがいい。もちろん、誤解されないように言っておきますが、他人に迷惑行為をするとか、そんな意味じゃありませんよ。他人には、優しく、寛大で、倫理観、道徳観をきちんと持っていて、世の中のルールをきちんと守り、相手を尊重し、わがまま自己中ではない、考え方は、もっとも大切です。私がここでいう、出る杭というのは、ほかの人が考えつかないアイデアを出すということだと思うのです。とても、前向きで建設的なアイデアです。

特に、同じ民族で、同じ言語の集まりで成り立っている日本では、風変りな人は、からかわれます。ちょっと、人と違うことをしたり、視点が違ったりすると、「変わってる、ハハハハ・・・・・」て笑われたりしますけど、そんなことでうろたえてはいけませんよ。そう言って笑うほうも、同じくらい変わり者なのですから、皆同じです。

人間って皆、本来は風変りで変わっています。なぜかと言えば、相手は自分とは違う意見、考えを持っているから、自分以外はみんな変わっているように感じるだけなのです。はっきり言ってしまえば、自分以外の人間は全て変わり者に見えるものなのです。全ての人が変わっているわけだから自分も相手も変わっているのだから、同じこと。皆、変わっているからおもしろい。演奏もそうです。40人がどんなに素晴らしい演奏でも、同じ素晴らしい弾き方を40人全員がしたら、もう退屈で退屈で聴いていられません。人と違うから、貴重な演奏になるのです。

例えば、40人の学級で、自分以外の39名全員が皆ピンクの帽子を選んだのに、自分だけ黄色を選ぶ、ということが勇気ある行動なのです。それ自体は他人に迷惑をかけるわけでも、なんでもないのですが、もし、そういう子がいたとしたら、その子はまちがいなく、笑われて出る杭となって皆から打たれるでしょうけれど、
自分は、黄色が好きと思っていれば、相手に合わせる必要はありません。

演奏もそれと同じです。いい演奏なら、どんどん取り入れて自分の養分にしていくことが大切ですが、たまに、自分よりもずっと変な演奏をまねてというか、人のがよく聴こえるのか、「その他大勢」みたいな演奏が多いのはすごくもったいないことです。

どれもこれも似たかよったかの演奏が多い中、自分は、こう弾くんだという味の濃い、確信に満ちた演奏で第1音を始めてくれると、審査するほうは、
「おおー!!よくぞ、やってくれた、勇気ある演奏に乾杯!!」(笑い)
それくらい、嬉しくてたまらなくなるのですよ。

そういう意味で、人とは違う演奏をしたい、そう願うなら、まず、人が選んだものと同じものを欲しがるとか、同じような演奏で甘んじるとかでは、いけませんよ。
何事も自分の考えを出すことは勇気が必要です。人から、からかわれても、変なことをいわれても、出る杭になって打たれろ!!出る杭になっちゃえ!!それが、若い学生さんたちへのメッセージです。


平成24年6月17日(日)何を優先するかで、将来が決まる

夏休みもあと1カ月後に迫り、学生さんたちは学校のテスト勉強に追われている人が多いと思います。
先々週に中学生の生徒がテスト週間なので、レッスンをお休みしたいのですが、と言った生徒がおりました。
「1日中、机の前で勉強出来る?」と聞いたら、「いいえ」。「なら、一日のうちの1,2時間位、時間がとれない事はないはずだから、いらっしゃい」と言ったようなことでした。
彼女に限らず、「テストがあるから練習できない」そう言って休む子が増えるのが、中学生時代ですね。

自分の考えを押し付けるつもりは全くないのですが、私自身は、テストがあるからを、理由にレッスンを休んだ事は、学生時代、1度もありません。

勿論、今まで教えて来た私の生徒達も、音楽高校へ行こう、将来何らかの形で、音楽に関わる仕事がしたい、そう考えている子なら、テストがあるからを理由に休んだりするような生徒は1人もいませんでした。

やはり、人間は、何もかもは出来ないはずです。そこで、大切なのが、その人が考えている優先順位だと思うのです。
ピアノを第一に考えていれば、1週間にたった1度のレッスンを休むと2週間分の遅れが出ると考えている子なら、何がなんでも、レッスンに行かなければ、と思うはずです。

これが、仮にまだ、譜読みもおぼつかず、両手で弾けないとかそんな感じなら、テスト中は時間がないでしょうから、休んでもよいと思います。
または、身体の具合が悪い場合は、すっきりして弾いた方がいいですから、休むなとは言いません。

休んではいけないのは、コンクールを受ける子、受験生、ピアノを一番に優先しなくてはならない子たちです。

コンクールを受ける子や、受験生の子は、もう暗譜するくらい弾けているわけですから、1週間くらいピアノに全く手を触れなくても弾けるようじゃなければ、とてもじゃないけれど、音楽の道は難しいですよ。

練習していないから、休むという子なら、なおさらレッスンが必要です。私との1時間だけでもピアノに触れる時間を持たなければいけません。

又、練習していないからと言って、私が見る限り、ものすごく下手になったとか、上手くなったとかそう変わるものではありません。
それより、レッスンが2週間空くと下手になっている演奏の方が圧倒的に多いです。

休むという子はレッスンというものをどのように考えているかはわかりませんが、普段自分の使い慣れたピアノを触っているだけではだめなのです。先生のところで、弾きなれない違うピアノに触れることは大事です。臨機応変に、いろんな種類の多彩な音色を出せるもととなるからです。又、私はよく生徒たちが弾いているときにオーケストラの伴奏みたいにハーモニーをまとめながら弾いてあげるんですが、これは、自分一人の練習では絶対出来ません。ハーモニーが聴けるとその耳で自分の音楽を大きくまとめることが、出来ます。そして、何といっても、本番が近い子に大切なのは、テンポ感。のめったり、もたれて間延びしたりする子が多いので、それを指揮者の役割をする役目の人がいなくては、自分勝手なテンポで恐らく弾くと思います。それが、レッスンの大きな成果なのです。

又、先生の言葉が理解出来るようにする、ピアノを弾くだけでなくもっとも大切なことです。(言われることが理解出来てくると上達します。2週間も空くと先生が何をしゃべっているのかも、ちんぷんかんぷんになっていきます)、又、とくに本番の近い子は、先生の前で曲を通すだけで、立派な、リハーサルにもなるのです。コンクールを受ける子なら、私としては、もう思い残すことはないというくらいレッスンをしてステージに上ってほしいと思っています。はっきりいってしまえば、通るか通らないかなんて、それ自体は将来に結び付くものではないから、結果はどうでもいい。そうでなく、コンクールを受けることで、自分の練習も私とのレッスンも、もう思い残すことがないほど、力を出し切ったという思いが強ければ、どんな結果に終わっても、全く後悔するようなことはないと思うのです。そして、どんな大変な時にも、レッスンに通ったということが、自分の大きな自信になってその力が、音楽を目指そうという揺るぎない強みになってくるのです。

一週間に一度、たった1時間がとれないわけは絶対ないはず。

自分が音楽を目指そう、そう思う子なら、何を自分は優先しているのかを考えて下さい。貴女が大切に優先してきたことで、将来が決まるのです。中途半端にしてはいけません。それが貴女が将来生きていく上で、他人とは違う大きな自信につながります。


平成24年6月16日(土)嬉しかった生徒の演奏

今日は、以前弾き合い会で、みんなと一緒に勉強した成果が大きく表れた中学生の生徒がおり、すごくうれしく思いました。
今までの彼女とは別人のような演奏っぷり。弾いている間中、うつむいて恥ずかしそうにモソモソと弾いていた感じが打って変って、頭をあげ、胸を張り、堂々と立派に演奏してくれました。

「うわー!別人みたいになったね!」とほめました。何より素晴らしかったのは、彼女が心から音楽を感じて弾いてくれたので、すごくこちらの魂に伝わってきました。
いい演奏になると、聴いているほうは、鳥肌が立ってきて、ドキドキ感が増します。もっと聴いていたい・・・・そんな魂のこもった力強い演奏です。

又、もう1つ感心したのは、自分よりも年下の子の演奏、同級生の演奏が本当に素晴らしいと思った、自分も真似したいといって、この2週間ですごく研究を重ねていたことでした。ライバルの演奏を褒めることのできる彼女の寛大な心の広さ、素直で、謙虚な姿勢が、すごく嬉しかったです。

彼女はきっと、自分を変えようと本気で考えてくれたのだと思います。今のままでは、だめだ、大きく変わりたい、そう思って、勇気を持って一歩を踏み出すと、人は大きく変化できます。そのとき初めて成長できるのです。

火事場の馬鹿力って言葉があります。自分が普段は持てないような重いものでもいざという時に運べたりすることです。火事が起きて、自分が死ぬというぎりぎりの瀬戸際に立たされた時に、自分には思いがけない力があったのを知る、というように。

自分を大きく変えるのは、すごく勇気がいることだと思います。嬉しかったのは、彼女が、勇気を持ってその一歩を踏み出してくれたことがすごくうれしかったです。

1回その音楽を表現するコツをつかむと、あとはどんどん、ピアノで音楽の素晴らしさをみんなと共有したい、という気持ちが強くなって、表現することが楽しくなってきます。そして、ピアノでは、すごく自分を自由に表現できるという風になってきます。

私が生徒たちすべてを指導していて、やはり、一番指導しにくく、難しいなあと思えるのは、弾いている人自身が音楽を感じる、歌心を持ってくれることです。

歌には心があり、その心をつかめる人とつかめない人がいます。私が、いくら、歌を感じなさい、音楽を感じて弾きなさい、といっても、弾く人自身が感じなければどうしようもありません。

音が半音上がったり下がったりしただけでも、心は揺れ動くのです。その違いはどんな感じかといえば、誰かと握手をすること1つとってみても、相手によって心の揺れが違うようなことと同じです。

すごく久しぶりに再会できた人とする喜びの握手、たびたび出会う人との握手、あるいは、もう2度と会えない人とするさようならの握手、全て、心が変化すると思うのです。

こんにちは、というあいさつ一つとっても、声を発することで、お互いの心が通い合います。店員さんがかけてくれるようなただの社交辞令のあいさつか、その人のことを思って話しているかどうかもすぐにわかるように、音楽も、目に見えない心のコミュニケーションが演奏者と聴き手の間に相互に行われていなければならないのです。

音楽を通り一変の「こんにちは」ととらえるか、あなたに会えて嬉しい、感謝している、という気持ちのこもった「こんにちは」、にきこえるようにするかは全て演奏者にかかっています。

むすっとしておもしろくなさそうな感じの悪い、決まり文句を唱えているだけの店員さんのあいさつみたいにならないように、歌心をもって、音楽を感じて弾いてください。その心は必ずどんなに
冷めた心の持ち主の心にも温かく届くはずですよ。お買いものに行ってもレジを打ってくれる人がすごくウキウキ楽しそうに働いている人を見かけたら、私は、迷わずそこに並びます。心のこもったいらしゃいませ、ができる人なら、恐らくどんな仕事も心をこめてやってくれるに違いありませんから、それくらい、心がこもる、こもらない、は大切なことなのです。

心のこもった「いらっしゃいませ」は、ピアノを演奏する人の努めです。

すごく、変化した彼女の演奏、本番もきっと、自信を持って弾くと思います。もう別人になったからです。ピアノを習っている人もそうでない人も自分を変えようと勇気を持って実行することで、必ず変われるのを信じてください。


平成24年6月13日(水)正しく楽譜を読んでその通りに弾くことの大切さ

今日は、最も大切なことについて書きます。ピアノレッスンの際、学習者が最低限、家で自習してこなければならないことは、

1.正しい音を弾くこと
2.指使いを守ること
3.楽譜に書かれたアーティキュレーションを守ること(特にハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、などの古典派)
4.正しいリズムをとり、一定のテンポで弾くこと
5.音の長さ、休符の長さを守り、音価をきちんととること
などです。

譜読みのコツは、鍵盤を見ないようにして、どんな時も楽譜を目で追いながら弾いていかなければなりません。音を覚えこんでからでないと弾けないというのは、小さい曲ならなんとかなっても、大きくなって複雑な曲を弾こうとすると苦労するもとになるので、小さい時から譜面を見ながらピアノが弾けるように訓練していくことが大切です。

正しい音で弾いていくということは、すごく基礎的なことです。たまに、「この音で合ってます?」と聞かれたりするんですけど、そういう質問をされると、本当にびっくりします。自分の弾いた音が、正しいか正しくないか、聞こえなかったら、家で練習していても、間違えたままで練習するんだろうなあ、と・・・・・。指使いは、一つ一つ丁寧に見ていけばいいと思うのですが、大体指使いの滅茶苦茶な子は、面倒くさがり屋が多いようです。
そういう子に限ってゆっくり取り出して弾かせようとすると、とにかく先へ急いでごまかそうとします。(笑)あわてる乞食はもらいが少ない、という言葉通り、ごまかして弾いてもだめですよー。すぐに化けの皮がはがれます。こちらは、絶対に生徒達がごまかさないように見張っていますから、もう、一小節一小節が、壮絶バトルですが、どんなことがあっても私はいい加減にしません。指使いも違う、音も違う、音価も違うとなれば、楽譜を読んでいないこととと同じだからです。

しかし、それをクリア出来るか、出来ないかで、長期にわたってピアノが続くか、続かないかになってきます。

とにかく、親も子も根気強くないとだめですね。上記のことをやっている間に嫌気がさしてきて、ピアノをやめる人は多いと思います。ここをクリアさせられるように、私は、絶対に見逃さず徹底させています。将来音楽家を目指していても目指していなくてもみんな上手にピアノが弾けるようになりたい、と思うのは同じだと思うのです。上手に弾けるようになるためには、上記のことが家でしっかり、ごまかさずにやれなくては、趣味でも、楽しめないと思うからです。

その完璧主義ともいえる楽譜の読みを徹底することを一回きちんと押さえておくと、今度はいい加減に弾くことがものすごく気持ち悪くなるはずです。毎日の練習に付き合うお母様もごまかして弾くことを絶対にしないようにいつも暖かくそばについて見守っていくことが大切ですね。子供だけにまかせておくと、だめですので、必ずそばにつく、それが大切です。

ピアノの練習は、まずは、本人の根気、お母様の根気です。そのどちらかが欠けてももう続かなくなってしまうのです。



平成24年6月11日(月)ピアノを習う人はピアノ以外にもいろんなことが学べて楽しい


先日、弾き合い会に参加した中学3年生の生徒に「先日は、お疲れ様でしたね」と声をかけると、「はい、お疲れ様でした」とオウム返しの返事(笑)が返ってきましたので、「そういう場合は、有難うございました、と答えるのが常識ですよ」。とアドヴァイスしました。続いて、又、中学2年生の生徒もレッスンノートに「先生、お疲れ様でした」と書いてあったので、その子にも同じことを注意しました。

中学生ならまだしも、大学生になっても最近の子は日本語の使い方を知らないということが問題となっており、私達が気がついたらそのつど注意してあげるようにと他の先生方からも注意を受けます。

おつかれさまでしたという言葉は、先生が生徒たちに一生懸命弾いていましたね、よく頑張ったね、というねぎらいの言葉がけであり、それに対し、生徒たちは、有難うございました、と先生にお礼を言うということであって、大人なら誰しも知っている常識中の常識。

以前もこのことは、日記に書いたことがあるのですが、ピアノを習うということは、ピアノの技術や表現方法だけを学ぶだけでなく、言葉づかいや、マナー、作法、ひいては心構えや生き方まで学べる素晴らしい世界だなあと思っています。

言葉はその気持ちがあってもなくても小さい頃から自動的に言えるように育てていくことは大切ですね。外国語でも、そういう風に習います。

例えば、ドイツ語で、Wie geht es Ihnen?(ごきげんいかがですか)ときかれたら、必ず、Danke,gut.Und Ihnen?(どうも有難う、調子はいいです。あなたはどうですか?)と聞き返すのが常識というように。又、親しい相手にはduで呼び合うのに対し、目上の人や初対面の人にはSieで話しかけなくてはなりません。

もし、目下の者が目上の人に対して、duで呼びかけたりしたら、何て失礼な常識知らずな人、と思われてしまう通りに、外国語にも目上の人に対する言葉と目下の者に対する言葉づかいは使い分けられるように教育されています。

あと、よく話題になるのが、言葉づかいだけでなく相手先を訪問する際の履物に関してです。

今はやりのサンダルやミュールとか、冬ならブーツなど、相手の家を訪問する際に履いていくと失礼になる履物です。
なぜ失礼になるかといえば、相手の玄関先で、ブーツなど履いていくとジッパーを下したりあげたりモタモタすることで、時間がかかり、相手に時間をとらせてしまうからです。
これは、教育実習などに行こうとする大学生たちにしょっちゅう先生方が注意する内容です。
しかし、こういうことは仮に親や先生がうるさく言わなくても本人が時間がかかり、相手に迷惑がかかると思えば、そういう気持ちに自然となると思います。

私も、小さい頃からピアノの先生の所へ伺う時は、絶対サンダルやブーツなどはいて行ったことはありません。
先生が必ず見送って下さるのですが、玄関先でモタモタと時間がかかると先生も嫌だろうなと思ったからです。

私のところは玄関がセキュリテイーになっており、来客者の姿が全て映し出されるシステムになっているのですが、ここでも、挨拶は欠かせません。
みんなすごく元気よく挨拶してくれる子がほとんどですが、たまに、ぼーっと突っ立っているだけの親子を見ると、とても心配になります。
あれ、元気ないな、どうしたのかな、と。挨拶も基本的なことですけど、マナーの一つですね。
こちらが、「どうぞ、」と言ったら、「こんにちは」、なり、「お願いします」なり、何か答えるという事は大切なことです。挨拶をしないとか、声をかけないとか言う事は、恥ずかしがり屋さんに多く、本人たちに全く悪気はないのは、こちらも100も承知ですが・・・・・。

仮に、あの人知らない人だなと思っても、挨拶されて嬉しくない人間はいません。積極的に声をかけることは、チャンスに恵まれることにつながるのです。

今まで書いてきた事は、全て大人になった時に、社会に出たらピアノを弾く事以上に大切なことです。本当は小さい時に家庭で、親が教育することですが、親の言うことは聞かないという方も多いので、私もピアノ以外に気付いた事はそのつど注意していこうと思います。
又、注意してくれる存在は本当に有難い存在。人はどうでもいい相手に対しては、親身になって言葉づかいや、マナーなど注意したりしませんからね。又、大人になって常識知らずのままだと、あの人常識知らずだなあと思われるだけで誰も注意してくれません。私も、学生の時頂いた先生や親の注意は本当に有難かったと今でも大きな愛をつくづく感じ、感謝する毎日です。

ピアノを専門にしていく子は、そういう事も備わった誰からも愛される素敵な音楽家に、又、ピアノは趣味の子も社会に出た時に皆から愛される魅力ある素敵な女性、男性に成長していって下さい。


平成24年6月7日(木)最後に頼りになるのは、自分の耳

先日弾き合い会をやったおかげで、生徒たちの音がガラッと変わってきました。ホールでの響きを聴いて、自分の音楽はまだまだ、萎縮して全然伸び伸びと歌えていない、相手に伝わる演奏ではない、自分の世界、ひとりよがりで弾いていたんだなあという事に気づいてくれた生徒たちが沢山おり、やはり効果抜群でした。

小さい子でも、耳のいい音感に優れている子は特に、目に見えて成果が上がりますね。

あと、2、3回の私とのレッスンで、本番を迎える子が殆だと思いますが、身体全体で体感したホールの響き、ホールでのペダルの使い方、ホールでのタッチ、全てにおいて、身体にしみこんだものが流れていってしまわないように、今後は、イメージトレーニングをやっていくと良いですね。

ピアノ演奏は学科の勉強とは違い、家で準備した事を同じように本番でやるという事はやってはいけませんし、又やれません。
演奏というのは、その場限りのものであり、いってみれば、今、生きているこの瞬間に、音楽が流れるものであって、2回として同じ演奏は出来ないのが普通です。そのお客さんの雰囲気によっても、お天気によっても、演奏は変化してしまうものです。勿論、自分の気分によっても。

しかし、本番自分の気分が最悪でも、演奏は最高のレベルにあげるために、私は生徒たちに普段から、意識して、高レベルの演奏をしておかなくてはならないといつも言うのはその理由からです。普段120点くらいに弾いておけば、本番80点くらいは出ます。しかし、普段が50点くらいなのであれば、本番は2,30点くらいしか出ないのが普通だと思います。そんな感じですと、後悔が残るだけになってしまうので、普段の練習がいかに重要かがよくわかると思います。

それと同時に演奏というものは、今すぐここで、食べてしまわなければならない、生ものと一緒で、すごく、新鮮で、生き生きした食べ物と同じようでなくてはなりません。添加物だらけの何カ月も置いておける加工食品は、身体にも毒ですし、おいしくありませんが、ピアノ演奏も絶対加工食品になってしまってはいけないのです。

ペダルの使い方1つとっても、準備していた事は、それぞれのホールによって、変わってきますし、音の出し方一つとっても、ホールによっても、ピアノによっても全部変わります。

そこで、やはり、演奏者自身が自分が置かれた環境(それぞれのホール)で、いかに、一番いい響きで相手に音楽を提供出来るかが、最後の決め手となります。

今、自分が弾いている音は、モヤモヤせず、後ろの席まで、届いているか、ペダルが濁っていないか、などが、弾き始めた瞬間、さっと耳で、判断しながら弾いていく能力が必要不可欠となってきます。どれだけ、臨機応変な対応が出来るか、にかかっています。

パイロットもそうらしいです。操縦しながら、天気もどんどん変わるから、すごく上手なパイロットは、先を見通して、雲の空気を読むそうで、その空気を読めるパイロットが飛行機を操縦すると、乱気流があっても、あまり、大きく揺れなくてすむらしい。ピアノ演奏もそうなんです。お客さんの空気、ホールの響き、空間が読めると、確実にそれは素晴らしい演奏となるでしょう。

本番は、私がそばにいて、左の伴奏が大きいよ、バランス悪いよ、ペダルが濁るよ、とか、音が、萎縮して全然伸びていないよとか、注意してあげることは勿論できないので、最後の頼りは、自分の耳なのです。

練習も勿論必要ですが、それ以上に、自分の演奏を客観的に弾きながら、とらえる事のできるいい耳はそれ以上に必要です。
普段から、聴く事を沢山して、さらに、本番に向けて励んでいってほしいです。


平成24年6月3日(日)弾きあい会

今日は、中川文化小劇場で毎年恒例のPTNA弾きあい会を行いました。PTNA に参加する人は全員、参加しない人も聴きに来て頂いてありがとうございました。
そして、皆さん、お疲れさまでした。

みんな一生懸命、その子なりに努力の成果が見られて、大変に充実した1日を過ごせてよかったと思います。

←  全て終了して、今日弾いてくれた生徒たち、聞きに来てくれた生徒、そして新しく入られた生徒達と










今日、みんなに話した主なことは、A, B, C級あたりまでなら、その子本人の音楽性がなくても先生から教えられた通りに、表面的にベターっとのりづけして、ミスなく完璧に弾けば何とか受かっていくけれど、D級以降、E,F級と級が高くなるにつれて、それだけでは、すまされなくなってくるというのが、問題点といえるでしょう。

年齢があがってくるとどれだけ、その子が音楽面も技術面も高いレベルになっているか、ある一定のハードルを乗り越えられるかにかかっています。

そういう点では、ピアノだけでなく、勉強も同じことだと思うのです。
普通の子なら、ある一定のところまで先生、親、つきっきりになって死に物狂いになってその子につきあえば、ある程度のところまでは何とかなっていくものです。

が、中学2年生くらいになると、周りが、いくら、やいの、やいの、とけしかけても、もう相手は、自己が確立しつつある年齢であり、こちらの思う通りには絶対に動いてはくれません。
そう思うと、小さい時はすごく手がかかったけれど、まだ、素直に言う事を聞いてくれてよかったなあと思う親御さんは多いはず。
大きくなると、親が思うように育ってはくれないのが、子供であり、何歳になっても悩みはつきないという人は多いでしょう。

しかし、本人自身もすごく、葛藤している時期なので、しばらくは、目をつぶって子供の好きなようにさせるというのが、中学生以降は大切でしょうね。

私もこれまでに何人もの中学生、高校生を見てきましたが、本人の自我が芽生えて来たなと思ったら、体験上、真剣にならない、ムキにならない、深刻にならない、これをモットーにして生徒と向き合ってきました。
真剣になりすぎて、いい事は、何一つないんです。
しかし、誤解しないでほしいのですが、真剣に教えるのをやめるという事とは違います。
相手が反抗してきた態度に対し、いちいちムキになって反応しない、という事です。

一生懸命相手に向き合うのだけど、相手がプリプリ怒っている感じなら、「ふんふん、そうね、そうね」と、まずは、受け入れてやり、それから、「先生はこう弾くのが好きだけど、○○ちゃんがそのやり方が好きならそれで、やってごらん」。という風に。

私も、親御さんもこうした方が良いよ、という事を体験上知っているので、なるべく近道をさせてやりたいと思って忠告する言葉も中学生以降になると、世の中全てに反抗しているような感じになっています。
そんな時に何を言ってもそれは、無駄で、それを真剣にならない、というわけです。

ただ、私が今までに生徒たちを見ている限り、なんでも素直に受け入れられる性格の方が、すんなり、道が進めるというのは、絶対ありますね。
素直でよく言うことを聞く子だと、まず、親も先生もすごく応援してくれるでしょうから。
相手が自分の味方になってくれる事は、自分が生きていく上ですごく生きやすくなるのです。

又、演奏上では、大きくなると、恥ずかしいという心も大きくなるので、鍵盤ばかり見つめて目が点になって弾いている子が多いので、もっと自由にのびのびと弾いてほしいということも、お話しました。
もっと歌ってごらんなさい。それが、あなたのやりたかったことですよ、という言葉を今日弾いてくれた皆さんに残しておきます。