平成24年4月24日(火)ルンルン気分で・・・・

今日は、明和高校のレッスン。高校3年生と高校1年生です。
高校3年生の生徒達は、音楽的に、本当に大人になって私がもう何も言わなくても自分達で、しっかり勉強してきてくれるので、すごく私の負担が少なくなりました。

高校1年生の生徒も素晴らしいです。

スケール、アルペッジョ、バッハの平均律や、ハイドンのソナタ、今日は、ドビュッシーの花火も,もうほとんど暗譜して、次から次へと沢山譜読みしてきてくれて、何とも嬉しい限りです。

彼女は、試験の課題も、もう大方、暗譜していると思うし、私のストレスが大変少なくて済み、今日なんて高校から家へ帰宅する時は、嬉しくて嬉しくてもうルンルン気分でした!!

譜読みに付き合ってあげなくていい彼女は正に私にとって天使のような存在です。

来週はマズルカも持って来てくれるそうで、楽しみです。
彼女は、明和にきて、朝練をして、今日もレッスンが終わったら、ダッシュして練習室を借りて練習して帰るのだとか。

一日が今までよりずっと濃くて、充実していて、毎日がすごく楽しそう!!
そんな彼女を見ていると、私も本当に幸せです。

音楽科を目指す子は、中学3年生までの間に、沢山レパートリーを増やしていると楽ですよ。

勿論、メチャクチャな譜読みはいけませんが、より早く、よりていねいに、短期間で音楽的に仕上げられるかが、その後の高校生活をより充実出来るかにかかってきますからね。


平成24年4月19日(木)新学期も半ばに

やっと、春らしい暖かな日差しが気持ちよい季節になりました。学生の皆さんは、4月も半ばに入り、ようやく新生活に慣れて来た頃でしょうか。
新しい友達、新しい先生、新しい科目、何もかも新しく、新鮮で楽しくもあれば、何かとストレスがかかるのもこの時期でしょうから、学生さん達は本当に大変だと思います。
ある方が、人生の中で、一番苦労して、悩む時期は10代、20代だとおっしゃっていましたが、私も同感です。

私が桐朋学園の大学を卒業する時に、忘れられない言葉を贈ってくださった先生がいらっしゃるのですが、20代というのは、人生の中で、一番波乱に富み、一大行事をなしえる時代です、とおっしゃられました。
それもそのはず、たいていの人は、その時代に、学生を終え、就職、結婚、子育てなど人生においての一大行事が始まります。
留学組は、世界のあちこちへ、留学して、帰国して仕事につき始めます。

10代、20代は夢も多い代わりに、すごく刺激を求めて、いろんな事に挑戦するから、苦労も多いし、悩みも増えるのでしょうね。
しかし、一番体力もある時なので、若い学生さんには精一杯好きな事をやっていって欲しいです。

さて、PTNAを受ける子達は、もう暗譜が出来た子もおり、そういう子達は作品の理解をより深めていく時期に入りました。
暗譜をして、全ての音が手の中にはまってくるようになると、やっとここから、音楽の感情移入が可能になります。

この前、もう明日ステージでも弾いていいなぁというくらいに頑張っている子に、パントマイムの話を聞かせたり、やってみせたりしたら、すごく興味深そうに聞いてくれて、ガラリと演奏が変わってきました。
そんなレッスンは、私もとても楽しいです。

やはり、ピアノは音楽ですからね。学生さんとして正確に、きちんと暗譜もして綺麗に弾けるようになれば、その上の段階のことを教える事が出来ます。

そして、音楽の表現方法や、美しい音楽の世界を見せてあげる事は、生徒も楽しいと思うし、私もすごく幸せだからです。

平成24年4月13日(金)筋肉で音を聴く

今日は、「筋肉で音を聴く」ということについて書いてみます。
ピアノを習い始めたばかりの学習者の皆さんは、音を弾くだけでも必死なのに、そんなところまで頭がまわらない、というのが正直なところでしょう。又、かなり長い間習っていて、スラスラと弾くのは弾けても、いまいち、音楽に魂がこもらないということで、悩む人も多いと思います。
そういう場合は、ピアノを弾くのをちょっとやめて、音楽の全体像をつかみ、音楽が何を語ろうとしているのか、音楽の魂をじっくり感じる、味わうことから始めてみましょう。

先日、パントマイムの番組をやっていたので、見たのですが、やはり、ピアノ演奏とまるで同じだなあ、とすごく共感出来ました。
パントマイムは要するに、「無言劇」というわけですが、言葉がなく、歌詞もありません。しかし、人間の喜怒哀楽、感情表現が言葉がなくても見ている人に充分伝わるように表現するという点で、ピアノを演奏することに、とても似ています。そういう点で、ピアノを勉強する人に是非沢山見ていただきたい世界です。

バレエを習う人も踊りのステップと同時にマイムの訓練もすごく受けます。バレエも同じく言葉がなく、肉体で、表現しなければならないからです。
又、ピアノ演奏と同じくらいの音楽性が必要です。筋肉で、音楽を感じ取れる人なら、指先の表情も、身体の動きも
それに伴った、動きがとれるからです。だから、素晴らしいダンサーは、音楽家と同じ高い音楽性の持ち主であるのは当然といえます。
筋肉で音を感じ取れないと、ちょっとした、音程の違いや、調性の変化などをボーっと見過ごしてしまい、要するに一本調子の単調な踊りになってしまいます。

先日やっていた、パントマイムも言葉がないけれど、全部、そこにセリフをイメージできる、状況がすぐ理解できる、そんな素晴らしいマイムでした。マイムの先生がおっしゃるには、「動きが止まったところでは、特にセリフがイメージできるように」ということを何度もお話されていましたが、ピアノ演奏も同じ。長い音符、休符、そんなところにすごく魂がこもっていなくてはいけません。

まずは、他人の演奏を聴いてみて、自分の筋肉が敏感に感じられるようになれば、きっと自分が演奏しても、ああ、こういうことなんだということがよくわかると思います。ただし、魂のこもったピアノ演奏、魂のこもった踊り、魂のこもったパントマイム、魂のこもった役者のお芝居、
そういうものに沢山触れなくてはなりませんが・・・・。

魂を感じられるようになれば、きっと絵を見たり、彫刻を見たりしても、きっと、筋肉が燃え立つのを体感できるようになるはずです。
魂は、すなわち、その人が持っている「生きている」という原動力なのです。魂がこもっていないものは全て、死んだも同然。
自分の命(魂)を見ている人、聴いている人に注ぎ込んでいくと、聴いている人、見ている人は、すごく嬉しくなるのです。


平成24年4月12日(木)とにかくあせらないで

昨日は大学の新学期のオリエンテーションがあり、クラス分けなどしました。
どこに行ってもホヤホヤの新1年生ばかりを見るにつけて、新学期が始まったなぁという感じ。

私のところに来られる生徒さんも新しい生徒さんのお問い合わせがあり新年度だなぁと感じるこのごろです。

新しい生徒さんの多くは、とにかく私の所に来てすぐ上達したい、という思いが強く、とにかくあせります。
まず、私が生徒達に指導してきた今までの経験から言って、音の長さ一つとっても、「それ、長いよ」と注意しても、次の週も又、同じ長さで弾いてくるという子がほとんどです。

しかし、それを半年くらい言い続ければ、やっと、音の長さが直る、それくらいに考えていた方がいいかも・・・・・。
それも1ヶ所だけではありませんから、1ページにつき何箇所もそういうところがあれば、それは大変です。
しかし、これをどう粘り強く接してあげられるかで、変わってきますから、とにかく、忍耐強く、粘り強く、子供に向き合うことが大切です。

私の所に来て、3、4年たつと、親御さんも、本人もそんなにあせる事はないのだということが、身にしみてわかってこられるようです。

今は、世の中がすごいスピードで動いているので、そんな感覚で、ピアノの道を歩もうとする人には、ちょっと、生き残れない世界かもしれません。
ピアノの道は、果てしなく長く、時間がかかり、しかも、のろのろ、のろのろ、亀のようなスローな動きで、歩んでいくことが大切なのです。

あまりにも若くして、花が咲けば、自然に散るのも早い、そんな世界でもあります。

ですので、とにかく、ピアノの道を真剣に歩もうとするならば、とにかく親も子もあせらない、それに尽きると思います。


平成24年4月10日(火) 新年度始業式

今日からほやほやの新高校1年生
        
今日から明和高校が始まりました。

今年、新しく高校1年生に入ってきた生徒は、6歳から(厳密に言うと幼稚園の頃から)見て来た子ですので、感慨深いものがありました。

私には、子供がいませんが、自分の子供でなくても、こんなに可愛いと思えるから、さぞや、親御さん達はわが子が高校入学、大学入学など節目、節目で、感激されるのが、よくわかります。
      →明和高校前の桜

彼女は6歳の頃から、毎週毎週休みもせず、1時間のレッスンを受け続けてきた私の家でのレッスンが、これからは、学校のレッスンになっていきますが、又、気持ちも新たに励むことでしょう。レッスン室に入ってきた彼女は満面の笑み。身体も精神面でも、もう立派な大人なんですが、私の中では、いつまでも、「6歳の可愛い○○ちゃん」という感じです。

今年3年生になった生徒達は大学受験生ですが、さすがに、レッスンがなくても自分で、曲を仕上げられるようになってきて、嬉しい限りです。
彼女達も、入学したての頃は、1週間に1度は必ずレッスンがないとすごく不安がっていましたが、何も心配しなくても子は自然に育つものですね。
本人達が、音楽高校に入れば、さまざまな面から刺激を受けますので、こちらがやいやい言わなくても本人達が少しずつ理解するようになってきます。
3年生になった今は、学校行事などで、時々レッスンが抜けても、音楽づくりとはどういう事かがだいぶつかめてきている様子で、少しずつ、手が離れて、彼女達に任せられるようになってきました。
こうなれば、出来るだけ彼女達の自由にさせてやり、そして、その子が一番上手くいく方法を見出して、不安定になりがちな精神面での支えになってあげるのが私の役目かなと思っています。


平成24年4月4日(火)古いものを残すこだわり

4月に入りました。新しい出会いの季節でもあり、学生の皆さんはわくわく、ドキドキ胸をふくらませていることでしょう。
新しいことは、何でも刺激的だし、楽しいもの。しかし、それを持続し続けるのは、とても大変です。ピアノを習い始めて、自分の気分が向いたときだけ、弾くという感じでは、絶対に上手くは、なれないのもピアノです。
習慣になってくると良いですね。今日は、どこか、遊びに行ってすごく疲れたんだけど、5分でも10分でも必ず少しはピアノに触れる、というのが大切です。
1日全くピアノに触れない日はない、というようにしていけば、きっと何年かたつともうピアノはなくてはならない存在のようになっていくでしょう。

つい先日、ドイツのものづくりの職人さんたちを集めた番組をテレビで見ていたら、私達音楽家がやっていることと同じだなあとつくづく共感しました。
木彫りの職人さんが全く人の目に入らないようなところでもすごくこだわって、昔の建物のまま残すために、何年もかけて同じことをやっています。もともと、ヨーロッパでは、古いものを残す、伝統を伝えていく、ということをすごく大切にしているところが、私の職人気質に合い、大好きなところでもありますが、ピアノ演奏も同じです。

音の長さ一つとっても、それが、たとえ、少し長めでも、短めでも、全くピアノの世界を知らない人にとっては、どうでもいいじゃないか、と
思う人は多いと思います。しかし、私にとっては、すごく重要。ちょっと長くても、短くても、音楽の世界観が変わってしまいますから、自分の練習も、ものすごくこだわります。もちろん、生徒達にも。大抵の生徒達は、全く初めての曲は、上手く弾けていると思い込んで、意気揚々と持ってきます。しかし、楽しく弾けている間はそこまで。伝統を守らないスタイルはただの自分流、になってしまいます。モーツアルトの時代のアーテイキュレーションはこんな感じとか、バッハのときのペダルはこれくらい、とかその時代の伝統を守って、演奏していかなければなりません。

自分勝手に弾いてくる子だと、1からやり直しで、気が短い子だと、ピアノってもっと楽しいものかと思ったけど、綺麗に弾こうとすると、何やかや色んなしきたりがあって、面倒くさいなあ、もっと気楽に弾いていたいなあと思う子もいると思います。

しかし、私は、たとえ、趣味であろうと、専門家になろうとしている子であろうと、まるきり、レッスンの内容は変わりません。
音楽に忠実であろうとする誠実な音楽家の方なら、誰でもそういうこだわりを強く持っていらっしゃるはずです。
だから、趣味の子でも、音楽の質をそこらへんでいいか、みたいな妥協をするなんてことは私には考えられません。演奏にこだわりが強くあれば、演奏に説得力も生まれてくるのです。自分の演奏に強いこだわりがないと、自信のない弱々しい演奏になってしまいます。

一つ一つの音に対するこだわり、ペダルの使い方のこだわり、アゴーギクに対するこだわり、そういう風に突き詰めていくと、クラシックの伝統を引き継ぎながらも、自分なりの新しいものが生み出されてきます。
決して、古いままではなく、今、正に自分の手によって、新しいものが創造されてくるのです。

ただ、ピアノを弾くだけでなく、毎日こだわりをもって、楽しく練習していってほしいです。