平成24年3月29日(木)音楽の勉強

門下生コンサートも終わり、卒業生達も無事に見送る事ができ、生徒達は気持ちも新たに、PTNAの曲づくり、音楽高校、音大受験の曲づくり、又、新しいレパートリーを拡大していく生徒、それぞれに、ピアノを楽しんでいます。

先日来た生徒が門下生コンサートの時に、先輩達の受験インタビューを聞いて、音楽高校を目指すには、ピアノだけ弾いていても駄目なんだなあというのがよくわかった、頑張らなければと書いていました。

そうですね。ピアノ演奏には、特にソルフエージュ力は欠かせません。

ソルフエージュにしても楽典にしてもピアノの練習にしても、現在はCDとか色々な教材が出版されているので家で自習する事も出来ます。
、その気になれば、勉強法はいくらでもあると思います。

幼いときから、童謡でもクラシックでも家で音楽を流していると、音楽の勉強をするといったのではなく、自然に耳が作られてくる(音楽的に歌としてとらえられる)のではないかと思います。

先日、小学5年生のお母様が、○○が一生懸命ピアノを頑張っているのを見ると、朝早くから働くのも一向に苦にならないとおっしゃっておられました。
どの子もそのようにあるといいなぁと、他のお母様方は思われるかと思いますが、段々とやっているうちに楽しさが分かってきてやる気が出てくる子供もいます。

今回の門下生の演奏を聴いて自分の子供は、遅れているのではないかとか、よそのお子様と比較して落ち込んだり又は、まぁまぁ今の調子だと大丈夫そうだと満足されたお母様方もきっといらっしゃる事と思います。
子供の成長は早く伸びる子と少しずつ少しずつ成長する子供さんがいらっしゃるので余り焦らない事です。
じっくり見守ってあげ励ましてあげるようになさるとよいと思います。

自分の子供の演奏は、どの親も辛口で批評されるように思いますね。

子供はお母様がピアノを聴いて楽しんでいると思えば、きっと頑張りますよ。
やれることなら、子供は怠けたりはしません。もともと、子供時代は夢も多いし、親も応援するし、すごく努力できるものです。


平成24年3月25日(日)大きく羽ばたいて・・・・・

先日の門下生コンサートから、数日たち、皆さんから、感想のお手紙やメールなど沢山頂きました。どの人からも暖かい感想をお寄せいただいて、皆さんが私と同じ気持ちになって、泣いたり、笑ったりしてくださったんだなあと、思うと今までの苦労が吹っ飛びます。

中学2年生の生徒が、あと10年後というと、自分が24歳になってしまうから、先生に表彰される時がこない、淋しい、先輩方みたいに小さい頃に先生に出会っていればと悔やまれてならないと切々とつづられた感想もありました。

卒業生の一人、中学3年生の生徒は、今日が最後のレッスンでした。先生のためにとショパンの別れの曲を弾いて聴かせてくれました。
心のこもった演奏をどうも有難う。次に来た高校3年生の生徒もそれを聴いていてもらい泣き。生徒と共に良く笑って、一杯泣いた3月でした。
皆さん、私を愛してくださって本当に有難うございます。

今回の感想ですごく嬉しかったのが、今大学に行っている生徒から、今になって先生が何回も言ってくださった意味がよくわかるようになってきたと言ってくれたことです。

それは、どの人も辿る道のような気がします。あれほど、先生からいやというほど、教えて頂いたことが、習っていたときには、理解できなかったのに、先生を離れると理解出来てくるとは、皮肉なもので、離れてみてわかる親の有難さと同じです。
その時初めて、又、人間としても一皮むけるというか、脱皮できるんだと思います。生きている間に、何回か人と別れ、出会いを通して、成長していけると思います。

卒業生の皆さん、今まで本当に有難うございました!!
私はいつも1人1人の生徒達の心の中に住んでいますからね。大きく羽ばたいていってください。


平成24年3月20日(火・祝)10周年記念門下生コンサート

門下生コンサートが終了しました。長時間聴いて下さった方々、本当に有難うございました。
ずっと生徒達の演奏をホールの隅で、石のように固まって聴いていたのですが、もう、心臓がバクバクして飛び出るかと思うくらい緊張しました。

自分のソロリサイタルよりも緊張します。

最後、卒業生達をお見送りする表彰式では、しっかり読まなければいけなかったのに、やっぱり、複雑な思いで、胸が一杯になってしまい、冷静になれず、取り乱してしまい、申し訳なかったです。
相当混乱していたと見えて、新しい生徒さんのご紹介をする時に、1人し忘れるわ、来年の門下生コンサートの予定も話し忘れるわ、頭が混乱てしまい、つくづく反省しています。どんな時も冷静にならないといけませんね

人生に別れはつきもの。それと同時に素晴らしい出会いも待っています。当日私がどんなに取り乱しても、別れをきちんと生徒達に示してあげることで、心の中にけじめをつけて、前に向いて羽ばたいていってほしいと考えました。入学式、卒業式、結婚式、人生の最後の卒業式(お葬式)など、全て、式をとりおこなうことで、心が整理され、勇気をもって前に進んでいけるものなのです。

今、私は、大切に大切に餌をあげて、可愛がってきたかごの中の鳥を1匹ずつ、大空へ羽ばたかせたようなそんな気分でいます。私にとって、淋しくもありますが、最も嬉しい最高の瞬間です。
卒業生達の演奏は、私がもう充分に教えてきましたし、独り立ちしてやっていけるとそう確信出来た演奏でした。

私は、生徒達皆が、人生の中で輝ける瞬間をつくってあげたいといつも考えています。
一人一人、登る山は違っていいし、誰か他の人が登った山に登りたいと思わずに自分が登れる山を目指せばよいと私自身は思っています。
隣の人が登った山に、自分は登れない、同じような景色が見れない、そう思った時点で、自分の人生を輝けなくしてしまうもとになってしまいます。

自分だけが目指す山。それを、登りきって他の人には、見れないような美しい景色を眺めることは、自分の心を満たし、達成感をもてるもととなります。山を登っていく途中で、もう、だめだ、登れない、そうおもった時に、昨日の私の言葉を思い出して、自分だけの山を登りきってほしいです。

来年は、3月24日(日)熱田文化小劇場で、第11回の門下生コンサートを開催予定です。


平成24年3月16日(金)門下生達の卒業式

いよいよ、10周年記念門下生コンサートが(3月20日(火・祝)午後2時開演、熱田文化小劇場)近づいてきました。
今日、プログラムも送られてきました。

レッスン日記や、今までの写真など、準備が整い、あとは、門下生達の本番の演奏を待つばかり・・・。

門下生として長かった、7年、8年、9年、10年目になる子は、けじめとして、終演後、私からの、ささやかな表彰をするつもりです。

賞状の内容は、1人1人の想い出となってもらえるようにすごく考えました。長い歴史の中には、1人1人に対する沢山の気持ちがあり、それを短く、簡潔に、文章にするのは、なかなか難しいものがありました。又、それを当日読むのは、胸が一杯になって、しっかり読んであげられるかどうか、ちょっと不安(涙)・・・・。私が読まないといけないけれど、誰か他の人に読んで頂きたいなあ・・・・・・・。

又、彼女、彼ら達が、これまで、どんな気持ちで長年レッスンに通ってきていたのか、その様子も、インタビューして聞いてみたいと思っています。

新しい生徒さんたちもご紹介します。当日は、長丁場ですが、ロビーに展示する門下生達の日記や私の日記、そして門下生達の写真など、沢山展示してありますので、演奏の他にもごゆっくりお楽しみいただけると思います。

あと、残りわずかなので、門下生コンサートに出演する皆さんは、体調管理を充分しておいてくださいね。

そして、3月20日、元気一杯の笑顔で、お客さまをお迎えしましょう!!

当日は、門下生一同、心よりお待ち申し上げております。






平成24年3月9日(金)新曲を見る時は

今日は、新しい曲を弾いていくときに、大事なポイントを書いてみます。
曲選びの段階では、ザーッと大まかに見ていいのですが、いつまでもそういう状態が続く人は要注意。

ザーッと鼻歌交じりに、ただ、チャラチャラと気軽に遊び弾きしている時は、確かにすごく楽しいと思います。
しかし、いつまでもそういう雑な譜読みの仕方で、勉強を続けていくと、将来的に、あの音楽の得も言われぬ美しい世界を見たり、聴いたり、知っていくことは出来ないままで、終わってしまいます。

おおむね、初めてのレッスンで、私がほとんどの生徒達に注意しなければならないことは、正しい音で弾いていない、指使いが違う、拍がきちんと取れない、音の長さ、休符の長さがメチャクチャ、バロックや古典派などは、アーティキュレーションが命なのですが、つなげたまま弾く、とか、基礎的なことが、なかなか出来ず、理解させることにとても苦労します。

特に、指使いの問題は、小さい頃はめちゃくちゃでも何とかなるでしょう。しかし、曲が複雑に入り乱れてくると、変な指使いばかり使っていては、曲が弾けなくなってきますので、小さい時から、何としてでもきちんと見させる習慣を徹底しなくてはなりません。

又、拍がとれないという子も非常に多く、譜読みの段階で、まずは、弾かないで、楽譜を見ながら、1と2と3と、と口で数えながら、音を頭の中で内唱(心の中で歌う)してから、ピアノに向かって音を出してみると良いと思います。

かなり大きくなってからも、拍がきちんととれない人は非常に多く見受けられます。要するに、この問題は、ソルフェージュ力に比例するのですが、音を出す事だけに気をとられていて、拍を聞き取れていないわけです。私が、おすすめする方法は、3拍子なら、1小節の中で、3本の線を縦に引っ張って書きます。その1拍分がテンポの中できちんとはまるように、根気強く頭の中で歌ってみてから、弾くと、拍の取り方がわかると思います。

そして、指使い。なぜ、指使いを正しくしておかないと、良くないかといえば、まずは、暗譜が不確かになり、まず、本番で例外なく間違えるもととなります。ですから、コンクールなど、大事な本番というときにいい結果が出ないのも、このタイプ。

あと、困るのは、指使いがいい加減ですと、音楽的にならないという、大事なポイントがあります。飛び出た音を出してはいけないところや、やわらかく歌うような場所で、それぞれの各指が大切な役割を担っているのです。
指使いをいい加減にするということは、音楽自体を歌わなくさせ、それぞれの音をいい加減に考えている事と同じことに。

一つ一つの各指に神経が行き届いてこそ、初めてピアノを歌わせる事が可能になり、丁寧に曲が仕上がるのです。各指に神経が行き届くということは、暗譜も確かに出来る条件の一つです。

私が考えるには、ステージで、あがって間違えたとか、よく言う人はいますが、違うと思っています。
普段の練習で、その部分が完全に把握出来ていないから、いざというときに、間違えるわけです。だから、よく理解出来ていれば、あがるとか、緊張する事は、まずないはずです。
ちょっと、自分の中で、理解出来ていない、曖昧になっている、そういういい加減さが、ステージではすぐに丸裸になって出てしまいます。
どの音も全て、きちんと把握できていれば、本番で、恐くなったり、緊張する事など、ありえません。

本番であがらないためにはどうするかと対策を練るよりも、普段の勉強の仕方で本番の演奏が決まってくるのです。原因が必ずあり、結果は、その通り現れて出てくるのがピアノ演奏です。

だから、普段のいい加減でない練習が、どれだけ大切かは、よくおわかり頂けたかと思います。
普段の練習はおろそかにしておいて、本番だけ上手く弾こうと思っても、そんな上手い話は、ありえないのです。


平成24年3月5日(月)相手に考えさせる事こそ本当の教育

昨日は、ヤマハのアドバイスレッスンで、東山に行ってきました。その中には、数年後に、明和高校を希望している子や、以前小さい時に見た子が、もう中学生になっていてすごく上手になっていたり、懐かしい再会が沢山ありました。

さて、20日の門下生コンサートがいよいよ迫ってきました。母に手伝ってもらって賞状作りや、写真貼りなどてんやわんやの大忙しです。
やはり、長く通っている子達の写真は沢山あるのですが、新しい子が全くなかったりして、レッスンの時にとらせてもらっています。

”今日までの門下生たちのあゆみ” との題で皆さんの写真も展示します。楽しみにしていてください。
何といっても10周年ですからね。10年という年数は短いようで、すごく時がたったという感じもします。特に子供たちを見ていますと、小学4年生の子供が10年たてば、20歳になって、もう成人するのですから、すごいものです。

子供たちが成長すると同時に、10年後の私は50代ですし、両親は○○代(笑)、今、高校生、大学生になった子はもう立派な社会人として世の中のために仕事をしているだろうなあと考えます。

だから、私にとっては、何事も1回1回が、とても大切ですし、生徒達も、もうそんな時は2回として来ないわけで、一人一人の心に残るような想い出を作ってあげたいです。
来年のホールとりも幹事さんを始め、何人かのお母様方が協力してお手伝いして下さり、皆さんに感謝の気持ちで一杯です。

さて、PTNAの課題曲もほとんどの生徒は、これが弾きたい、と選曲して、持ってきました。その子のレベルにあまりにもかけ離れたような曲を弾きたがった場合は、アドバイスしますが、出来るだけ本人の頭で考えさせるようにしています。しかし、やはり、自分の事はよくわかっていて、上手に選んできて素晴らしいですよ。
小学校低学年の子なら仕方ないかもしれませんが、もう中学生にもなっていれば、考えようとすれば、考えられるはずですので、大まかに私がアドバイスする程度にとどめています。

先日、あるパイロットの人が部下を教育する時に、全てにおいて口出しせず、本人の頭で考えさせるということが、すごく大切、
すべてを教える事が必ずしもいい教育とはいえない、相手に考えさせることこそ、本当の教育なのだという内容の話をされていて、ピアノのレッスンとまるで同じだなあと思いました。

特に、最近は世の中が忙しく、複雑に混乱しすぎて、子供たちが自分の頭で、じっくり考えるゆとりが全くないように思います。勉強、塾、ピアノだけに限らずそれ以外の習い事でも周りから押し付けられるものが多すぎますね。

選択肢があまりにも多すぎて、広範囲になりすぎると、興味を持って何でも学べるかといったらそうでもないと私は考えます。

なぜって、どんなに色々な事がやれたとしても、1日は24時間と昔から決まっているからです。その中で、眠らないわけにはいかないし、人が活動できる時間は限られています。

学生の頃から、自分はこうしたい、何がしたい、そういうことを自分の頭で考える習慣をつけていないと、困るのが学校を卒業してからだと思います。いい大学は出たけれど一体自分は何をこれからしたらいいのかわからない、では、今まで勉強してきた事が生かせず水の泡になってしまいます。

自分が学生時代学んできた事が、卒業してから充分生かせるためにも、日頃から、自分の頭で、よく考えて行動する、その中で、失敗しても、何度でもあきらめずに挑戦する精神を養う事こそが本当に本人のためになる教育といえるのだなあと実感しています。

失敗した経験をもとに、じっくり本人自身が考えていくことで、少しずつ人は成長するものだからです。


平成24年3月1日(木)自分が選択した道は後悔しない

高校入試や大学入試などで、追われているうちに3月に入りました。

PTNAの課題も受けたいと意思のある生徒には、曲の説明をし終わって、皆あれやこれやと曲選びをしているようです。
これだけ沢山ある課題の中から、自分が一番落ち着いて上手く弾けそうだと思えるものを選ぶのは、特に初めての生徒さんにはなかなか難しいと思いますが、曲選びも勉強のうちの一つですからね。
じっくり考えて一番自分に向いているものを選ぶと良いですよ。
その時に沢山曲を譜読みすると、譜読みの力もつきますから、一石二鳥です。
この時の譜読みは、全体をザーッと見通す、という譜読みでいいのです。

小説とか本を買う前に、どんな内容かな?とあらすじが書いてある所を見るでしょう?あれです。
曲の細部まで、見なくても、何となくその曲の全体の感じがつかめれば、曲選びも自分で出来るようになれば、納得のいく曲選びが出来ます。

さて、今日も又、よく私が質問を受ける内容の一つについて考えてみたいと思います。
コンクールへの参加はした方が良いのかどうか、という質問、必ずといっていいほど、皆さんから質問されます。

私の考えで言えば、良くも悪くも考え方次第、という事になるのではないかなと思っています。

コンクールで、結果ばかり気にして、いい結果が出ないからと、それによって、もうピアノが嫌いになるのなら、受けない方がよいに決まっています。

しかし、幸せを感じる基準は人それぞれで違うように、どんな事も前向きに考えられる性格の持ち主や、たとえよい結果が出なくても、ピアノが好きで、落ち込まず、努力を惜しまないような子なら、コンクールを受けても、精神的なダメージはないと思うので、積極的に取り組ませて問題ないと思います。

私が考えるコンクールの問題点は、コンクールをやる時は、いい結果を出そうとするなら、何といっても、他の参加者に比べて、弾き込んでいる、その曲に関して研究しつくしている、という事が、第一条件になります。チョロチョロっと弾いて適当に暗譜した、そんな感じで、コンクールに参加しても、受かるわけはありません。うわべだけの演奏はすぐ見抜かれてしまいます。
となれば、当然、コンクールの期間はコンクールの曲だけ練習するということになってしまいます。

もともと、譜読みの早い子ならそんなに問題ないのですが、すごく時間のかかる子ですと、1年間に練習した曲はコンクールの課題曲だけ、という感じになってしまいます。もちろん、譜読みが早く出来て、音楽的にもいう事なし、くらいに仕上がれば、コンクール以外の曲も練習していけます。

しかし、実際は、弾くのは弾いても、なかなか芸術的、音楽的に仕上げられない子がほとんどです。ですから、そんな子には、そんな演奏じゃ、受けても入らないよ、駄目なんだよ、と自覚させるようにします。ものすごく時間をかけてじっくり研究しなければいけません。賞を取りたい、そう願うなら、すごく丁寧に仕上げて、もうどこをつつかれても大丈夫というようにしておかなくては、本番で上手くひけるはずがないのです。又、そうやって、一つ一つ魂を込めて作り続けたその人独自の音は、丹念な研究によって初めて人を感動させられるような演奏が可能になるのです。

又、ピアノを習っていて、その間コンクールの曲しか一生懸命練習しないとか、コンクール以外では、新しい譜面を読むことを非常に嫌がるような子は注意が必要だと思っています。

又、いくら、才能があり、コンクールが好きだからと言って、1年の間に5つも6つも受け続けて、全てをコンクールで費やしてしまうような事も、その子の将来をつぶしてしまう可能性が高いと私自身は考えます。
特に子供の年齢が幼ければ幼いほど、なおさら注意してあげる必要があります。

しかし、ここでも賛否両論あると思います。
小さい頃から、ずーっとコンクールで、切磋琢磨し続けて、上手く伸びていく子もいますし、かなり才能があると思えた生徒がコンクールで、思うような結果を出せずそれきり、ピアノも嫌いになってしまい、やめてしまった子など、さまざまですので、私がとやかく口をはさむつもりはありません。

又、小さい時は身体が小さくて、思うような音がだせず、あまり結果が出せなかった子でも、あきらめずに努力をし続けるうちに大きくなってから、コンクールの結果もどんどん出せるようになってきた子とか、さまざまで、ひとくくりに出来ません。

やはり、最終的には、自分が、(子供の頃は親の考えになってしまうでしょうから、よく子供の事を見際めてあげることが大切)その時その時で、納得のいく選択をしていくのがベストだと思います。あらゆる場面で、選択を迫られる時、どうすればよいのか、人は悩むと思うのですが、自分が選択した道なら、きっと後悔は残らないと思うのです。たとえ、それがいい結果にならなくても。