平成23年9月30日(木)リサイタル前の心境

昨日、大学の授業に行ったら、同僚の先生から、「リサイタル前の心境ってどんな感じなんですか?」と聞かれました。
これは、一言では言い表せない複雑な心境です。

毎日毎日、同じ曲を研究していく上で、私がいつも心がけてきたことは、「心」を失わないようにするという事でした。
というのは、ピアノの練習は言ってみれば、来る日も来る日も同じことの繰り返しです。
それは、技術の完成がなければ、音楽にならないために、何度も何度も同じことを反復するという事なのです。

しかし、反復する間に、自分がどんなに美しいと思っていたフレーズでも、やはり、色あせてくる時が必ず来ます。
すごく、悲しい事なんですが・・・・・。しかし、それを、変わらぬ「愛」でもって、作品に向き合い続ける事が大事だと私は思っています。

何かの本に書いてありましたけれど、すごく好きなものに対しての感情は、それは本当の「愛」とは呼ばない、嫌いなものに対して、何とか好きになろうとしてあらゆる努力を試みるその行為そのものが本当の「愛」だとありましたけれど、なるほどなあ、人間関係と同じで、ピアノもそうかもなあと。

勿論、私はピアノが嫌いな訳ではありませんけれど、ここまでピアノ一筋で来た人生だと、好きなのか、嫌いなのか、もう全く区別がつかなくなっています。
私にはなくてはならない「空気」みたいなもの。
一般的に、音楽は楽しみ、趣味のためにやっているのが一番幸せだとよく言われますが、その通りかも・・・・・。
私みたいに音楽が職業になってしまっていると、音楽は私の命を支えるためにあり、生きなければならないから、ピアノを弾かなければならない、といった方が良いかもしれません。

だから、とてもじゃないけれど、音楽は「好き」だけではやっていけません。

そこに、好きも嫌いも血も涙も汗も混じった、すごく深い「愛情」が必要になってきます。

ある役者さんもおっしゃっていましたけれど、すごく悲しいシーンがあって、涙を流さなければならないシーンも2,3回なら感情移入出来て涙も出るけれど、何十回も撮りなおしをさせられたら、感情も冷めてしまって、もう涙も出なくなる、と・・・・。わかる気がします。

しかし、見て下さる、聴いて下さるお客さん達は、初めてその演技なり、演奏なりに触れる訳で、その方達がはじめてその感情に触れる時に、私達が飽き飽きして自分達の仕事をしてしまったら、お客さんはがっかりする結果になってしまいます。

なので、私は鮮やかな感情を常に維持出来るように努めています。

まず、私が音に対して毎日求めたのは、「視・聴・嗅・味・触」の人間が持っている五感を一つ一つ呼び起こす事から始まりました。

情景一つとっても、靄がかかっている感じ、とかキラキラ太陽が輝いている感じ、目がチカチカするような輝きとか、暗闇の中の音とかあらゆる情景が思い浮かびます。
では、それを触った時の触感もフワフワした感じ、ざらざらしている、雪を触った時の冷たいけどさらさらしている感じとか、暖かい感じとか。
あと、音には香りもありますね。

弾き終わった後で残る、香水のような香り、タバコの煙みたいなのもあるし、おひさまの匂い、朝露にぬれた芝生や森の匂いなどもあります。

私はあちこち旅をしたら、必ずそこの国の空気を胸いっぱいに吸い込むのが好きです。

ウィーン留学中に訪れた真冬のチロル地方を旅していた時の事です。
もう辺りは夜の暗闇で、灯りも、ともっていないのに、雪を頂く山の峰峰が青白くぼおっと、浮かび上がるその険しく荘厳な、静かで何ともいえない姿に崇高さを感じました。
これは、例えばの話で、もっともっと私には、これまでに沢山の数え切れない、素敵な想い出、辛い想い出があります。
その時、目にした風景だけでなく、自分の感情はどのように変化していったか、あらゆる体験が私の音に含まれていきます。

私があさって演奏する曲も毎日、あらゆる、五感を総動員して研究を続けてきました。
本番はその五感だけではなく、第六感が働きます。
それは、私の力ではなく、皆様のお力をお借りしたいと思っています。

何千回となく繰り返したフレーズが、お客さまのお力で、全く知らなかった、私の中にある感情を呼び起こしてくれると思っています。
何回弾いても難しい。
しかし、私は飽くことなくそれをやり続けようと思います。なぜってそれが、愛する事だからです。

10月1日土曜日、電気文化会館ザ・コンサートホール5時開演です。皆さんとお会い出来るのをとても楽しみにしています。


平成23年9月23日(金)私の財産

台風が過ぎ去って、やっと秋の爽やかな風を感じられるようになりました。

この時期にいつも懐かしく思い出すのが、ウィーン国立音大の入試を受験するために初めてウィーンの地を訪れた17年前の9月21日。

その年の5月にドイツ、ミュンヘンの郊外アイヒェナウに1ヶ月間滞在していたので、ウイーンも似たような感じかなと思っていましたが、
ウィーンの第一印象は、とにかく暗く、寂しいという印象でした。

慣れれば何ともないのですが、暗い理由は日本と違って、建物の中の電気がどこもかしこも暗く、天候も11月からは、とても寒く、雪が降ってどんよりとした曇りの日が多く、明るい日差しが滅多に見られない、スーパー、どこのお店も年がら年中、日本みたいにガチャガチャ音楽が流れたり、うるさいアナウンスが全くない、とにかくシーーンと静まり返った、とはこの言葉通りの国でした。

おまけに日本と全く違うのは、人口が少ないということ。ウィーンに住んでみて、ここがなぜ、「音楽の都」と昔から言われた理由が本当に納得出来ました。

音楽をやるのにすごく大切なのは、とにかく静かな場所。
静まり返った、暗い、寂しいところでは、自然に音楽が欲しい、と人は強く欲するものなのです。

人によっては、ガヤガヤとにぎやかな所が好きという人も多いでしょうが、私は全くその逆。とにかく静かな所が大好きです。

ウイーンは11月からは、午後の3時半には、もう暮れて、4時にはもう真っ暗になります。

長い夜をどう過ごすのかといえば、それからが、コンサートやオペラ、バレエなどを見に行ったり、楽しみが沢山あります。

お部屋の中でする事の代表格がピアノでしょうね。

私はつくづくピアノに向いていたなあと自分で本当にそう思います。
小さい頃から、外が大嫌いで、家の中にいて、静かにピアノを弾いているのが好きだったから、キャラクターにとても合っていたなあと。

ウィーンは静か過ぎるほどでしたが、今ではあの静けさが本当に懐かしい。

ピアノの音がじっくり、味わい深く心に沁みこむような世界を若い時期に4年間も体験出来、本当に良かったなあと思っています。

それが、私にとっての最も大きな財産です。


平成23年9月20日(火)2度と戻りたくない学生時代

今日は、久しぶりの明和でした。レッスンが終わると、ひどい大雨。服も、髪の毛もビショビショになって、プールに入ったみたいにずぶぬれで、帰ってきました。

まだ、私はここ中心地からどこへ行くにも便利なところなので、いいですが、生徒達は遠隔地から来ている子がほとんどなので、夕方からの、プライベートレッスンの子達も無事に来れるかしらと心配・・・・・・。

今年は震災被害、原発事故、土砂災害・・・・次から次へと災害が起こって何かと不安な毎日ですね。
その中で学生さん達は行事も多く、体育祭や文化祭なども沢山あるようです。

明和の生徒達もやっと、行事が済んだと思えば、今度は定期考査など、息つく暇もないほど、盛りだくさんで大変です。

この前、母と話をしていて、「もし、もう1回小学生、中学生時代に戻れといわれても、あんな大変な時代、もう2回としてやり直したくないわね」。と私が言うと、母も同じ意見。

特に私達を育ててくれた若い時期に戻って子育てをもう一回してくれといわれてももう出来ないわ、と言っていました。

そんなものでしょうね。若い時代はいいなぁとよくいわれますが、私はそうは思わない。
特に学生時代は、楽しかったことより、辛かった思い出がほとんどです。
年が若ければ若いほど、大変だし、辛い事も多いと思います。

ただ、父がよく言うのは若い時は、何がいいかといえば、体力があるから、いくらでも身体がいうことをきいてくれる、しかし、年をとると、体力が衰えるから、情けないという事をよく言っています。

私の学生時代は、今から思えば、とんでもない無理をしての毎日、身体を痛めつけてきたような苦しい学生時代を過ごしましたが、やはり、それは、若いからやることが出来たのだなぁと思います。

昔、私の生徒だった子が大学を卒業して、ピアノを教え始めている、毎日がすごく充実していると聞くととても嬉しいです。

彼女にも聞いてみました。「学生時代より社会に出て働く方がずっと楽しいでしょ?」と聞くと、「ハイ!!もちろんです」。と、元気良く返って来ました。

皆そうなのですね。年を重ねれば重ねるほど、生きやすくなっていくのですね。


平成23年9月15日(木)以外と気付かないわが子の成長

ピアノを習っている多くの幼い子供さん達は補助ペダルやフィットペダル等、地面に足が届くまで、使われている方が多いと思います。

足が地面に届くようになってからも、まだ、使っている人も多く、私のところの生徒達も今までに何人もそういう人がいました。

「○○ちゃん、もう足届くんじゃあなあい?」と聞いてフィットペダルを外すと「あっ、ついた!!」と本人もお母様方も「あら、いつの間にか大きくなって」とびっくりされる方が多いです。

以外に我が子の成長が見えないのが、一番近くにいる親御さんかもしれませんので、私とのレッスンで今までに何人かそうやって、ペダルをはずしてきました。

足が完全に浮いている状態なら仕方がありませんが、出来るだけ、こういった、補助ペダル、フイットペダル、アシストペダルなど、付属品は使わない方がずっと良いのです。

ちょっと浮く程度なら、椅子を少し低めにしたり、少し高めの靴をはいてみたりして、出来るだけ外させると良いでしょう。

ペダルは足の敏感な神経を使うので、出来るだけ本当のペダルに足を触れて使われるとペダルの踏み方も上手になります。

あとピアノを弾く時の姿勢や、指の形、椅子の高さなどに非常にこだわる人もいますが、余程おかしな姿勢をとっていない限り、あまり気にしなくてもよいと思います。

必要以上に背中を丸めて猫背のようになって弾いているとか、ピアノから近すぎたり遠すぎたり、椅子が高すぎて上から見下ろしているような格好で弾いているとか、低すぎて力が入りにくそう・・・・とか、例をあげればきりがありませんが。

皆さんもご存知の通り、グレン・グールドなんて、椅子を一番低くして手を見上げるような格好で弾いていたり、ホロヴィッツでも指は全部平らに伸ばしっぱなし。それでも何ともいえない美しい音が出ています。要は、耳で聴こえてくる音が美しければどんな格好で弾こうと構わないわけで、私はこの点については、本人の自由にさせています。

私が注意する時は、美しい音が奏でられていない時。結果的におかしな指使いで弾いているとか、どこか、不自然な姿勢やタッチを使っていたりする時に注意します。
私自身の体験からいっても、いろんな先生方から、「このように弾いてごらんなさい」。と注意されたとしても、それは、その先生にとってやりやすかったという事であり、それを自分がまねしても結局は自分が弾きやすい方法で弾く事になるというのがわかるからです。

生徒達1人1人が自分に一番ピッタリくる方法、その子が一番上手に弾ける方法を見つけ出して常に最善の努力を1人1人にしていくことが私の役目と思っています。


平成23年9月13日(火)リサイタルが近づいて

10月1日(土)電気文化会館ザ・コンサートホール5時開演の私のリサイタルが間近に迫ってきました。

 毎日、生徒達のレッスンの傍ら、研究を続けていますが、まだまだ自分の演奏に納得がいきません。
一生ピアノを練習する間は、こうして常に何かが欠けている、そんな気持ちと共に歩み続けるのは覚悟しているのですが・・・・・。
 しかし、何かが欠けている、そういう気持ちになるのは、音楽を聴くとそういう気持ちになるといった方がよいかもしれません。
なぜかといえば、人間の感情がすぐ消えるという事とつながっている気がするからです。
どんなに美しい音楽を奏でていても、一時たつと、その感情は消えます。

 このまま時間が止まればいいのに・・・・と思えるような素晴らしい演奏に出会えても、又、その感情はどこかへ消えてしまいます。
だから、いつも欠けた気持ちになる。

ところで、先日、小学6年生の生徒が今回の私のリサイタルの曲を勉強したいと思って、全部CDを買ってもらい聴いた、といっていました。

 ロマンティックな曲ばかりで、今から楽しみ、と言ってくれているのですが、最近の子ども達は進んでいますね。
私なんて、小学6年生の時、自分の恩師がリサイタルで弾く曲を行く前に勉強しておこう、なんて気持ちはおろか、当日もボーっとして(笑い)聴いていた様な気がしますからすごい生徒だなあ!と感心してしまいました!

昨年、ポーランドへ行き、ジェラゾヴァ・ヴォラのショパンの生家を訪れた際に、「アウシュビッツ強制収容所」にも立ち寄る事が出来ました。
あの劣悪な環境の中で、「愛」と「美」と「希望」を失わなかった人達は、最後まで生き残れたと聞きました。

今回のプログラムは、そのどれもに、「愛」と「美」と「希望」が全て詰まっていると思っています。

今回は4年ぶりのリサイタルとなり、初めてのソロリサイタルデビューから15周年がたちますが、その間、いつも「音楽に対して自分の魂をさらけ出すこと」の挑戦と、「音楽は人の心にどのようにして生まれ、消えていくのか」が常に自分にとっての課題でした。

演奏も1回1回が実験なので、答えはいつも見つからないけれど、自分が進むべき方向に進んでいるという信念は年を重ねるたびに強くなってきています。

聴いて下さる方達が「生きることをもっと好きになるように」「感情をもっと激しくさせるように」演奏していくことが、私にとっての永遠の課題です。

皆さん、お忙しいとは思いますが、是非聴きにいらして下さいね。


平成23年9月8日(木)音のお掃除

ピアノ学習者の皆さんが、一番身につけるとよいものといえば、読譜力だと私は思います。
ピアノ曲は他の楽器の人に比べ、数限りなく曲があり、そのどれもを生きている間に弾きこなすことはとても大変です。

しかし、主な曲くらいは、弾いてみたいと誰しも思うでしょうし、趣味の方でも、読譜力があるに越した事はありません。

以前にも書きましたが、ピアノはある程度弾けなければ、趣味にもなれない楽器です。

幼い子供のときから、譜面を読むことを嫌がってしまうと、練習になりませんから、出来れば小学2年生までくらいに譜読みの力をつけるようにと私は皆さんに勧めています。

譜読みのコツは弾きながら絶対、鍵盤を見ないことが鉄則。
よく、譜面を見ては、鍵盤を見てという風に、上を見たり、下を見たり、視線がうろちょろ、うろちょろする子がいますが、これは、出来るだけ幼いときにこのクセをとると良いでしょう。

まだ、音の数が少ない時なら、それでも何とかなると思いますが、ある程度大きくなってきて、音が複雑になってきたら、それこそ、大変です。
鍵盤を見たり、譜面を見たりしている間に、一体、今どこを弾いてるの?の状態になってしまいます。

もう一つは、比較的耳が良くて知っている曲を何となくなら弾けても、最後の詰めがなぜか、甘いという人達も多く見かけます。

そういう子のレッスンをしていると、始めから最後まで、弾くたびに音は違い、指使いもメチャクチャ、全部始めからお掃除やり直しと言う感じです。
気まぐれで、ピアノを弾くので、きちんと正確に弾けたという達成感が残らず、全てやりっぱなしとなるのは、よくありません。

私は、生徒達とのピアノのレッスンはほとんど、音のお掃除だと思うことがよくあります。
そうでない、こちらのインスピレーションを刺激してくれる演奏を聴かせてくれる生徒達も沢山いますが・・・・しかし、やはり、音のお掃除がほとんどです。

生徒の1人1人が自分自身で、お掃除が出来るようになると、私はさらに、もっとそれ以上の音楽的レベルの高いレッスンが出来るので、効率よくレッスンを受けられると良いと思います。

それから、譜読みのことで、思い出したのですが、譜読みの早い人というのは、譜面から得る情報が一度にパーッと視界に入る人達です。

一度に得られるメモリーが普通の人の何倍も早いのです。

語学の得意な人はまず、辞書を引くスピードが信じられないほど早いです。

しかも、どこにその単語がのっているか、スペルをいちいち見なくて引けてしまいます。
それと同じだと思います。
それは、まず好きというところから、始まるかなと私は思います。

早くこの曲が弾きたい、グチャグチャではなく完全に。
そう、強く願う事で、早く見れると思います。
情熱があると気持ちがついてくる。練習量も増える、だから、さらに譜読みのスピードが上がっていく・・・。

それが一番肝心かなと思っています。