平成23年6月26日(日)ロシアン・スクールイン東京

今年の夏休みもロシアン・ピアノスクールイン東京が始まります。

今日レッスンに来た中学3年生の生徒がこのテープ審査のオーディションに受かり、数少ない受講者の1人に選ばれ、私も本当に嬉しかったです。

このスクールは今年で、9回目。

全国から厳正なる審査を通過された、受講者が集うこのスクールに4年前、生徒を連れて聴きに行ったことがあります。

その時も、丁度ネルセシヤン先生がレッスンされていました。
ハイドンのソナタの50番と、ラフマニノフの楽興の時でしたが、ネルセシヤン先生がレッスンの時に弾いて下さるその音が何とも素晴らしく、その音を聴いて私が19歳の時に受けに行った、ダブリン国際コンクールの時の彼の演奏を懐かしく思い返していました。

その時、優勝した彼はまだ26歳。
ドレンスキー先生のお弟子さんでした。
彼が弾いたショパンのバルカローレ、メトネルの夕べの歌、ブラームスのソナタ3番、シューベルトの即興曲全4曲、ラフマニノフの音の絵のエチュード、どれをとっても歌に溢れた美しいフレージング、繊細な多彩な色合いに彩られたその音楽はあれから、20年経った今でも私の心に残っています。

その音が又、東京で聴ける事も本当に嬉しく思ったものですが、今年は小さい頃から育てて来ている生徒が受けられる事になったので、喜びも倍増しています。

8月13日の土曜日から、20日の土曜日まで、丁度1週間、東京のカワイ表参道で、開催されます。

選ばれた受講者達は、この間にネルセシヤン先生と、ピサレフ先生のレッスンを2回ずつ受けられ、その間他の受講者の方のレッスンや講師コンサート、受講者の演奏会など、全てを聴くことが出来ます。

他の受講者達全て、これから、国際コンクールを準備する人、リサイタルを控えている人、未来の音楽家を目指す若きピアニスト達が全国中から集まってくるスクールですので、彼女もその中で、更に、新しい発見と強い力をもらってきてくれるだろうと、とても楽しみです。

是非、皆さん聴きに行かれると良いですよ。

彼女の演奏は勿論の事、他の受講者のレッスンを聴かせて頂く事は、自分のレッスン以上に客観的に聴けて勉強になります。

1週間毎日通い続けると、相当耳が肥えると思いますので、是非彼女の応援に行ってあげて下さい。

日記を書いていたら、C級を受けた小学5年生の生徒から2回目のPTNA予選通過と喜びの報告がありました。

2回とも通過出来たので、もう早速本選の曲を研究する事が出来ますね。おめでとう!!他の生徒さん達も彼女に続いて頑張って下さいね!


平成23年6月24日(金)観察力

毎日、暑い日が続いています。
まだ、6月なのに今からこんなに蒸し暑いと、7、8月は更に猛暑になるのかなと思っています。
節電といわれていますが、やはり、蒸し暑い日本では、クーラーが使えないとダウンしてしまう人が続出するでしょうね。
ピアノの練習は肉体労働ですので暑いと大変ですが、皆さん張り切っていきましょうね!!。

さて、今日は「観察力」について書こうと思います。

先日、書道の番組をTVでやっていました。私も興味を持って見ていたのですが、ピアノと全く同じだなあとつくづく感じました。

書道はお手本を見ながら書く事=臨書と言いますが、そのお手本をどこまで、深く観察出来るかで、上達度が違ってくるという内容でした。

一つの線を書くだけにしても、ただ、まっすぐお手本を見て真似して書くのではなくて、その字の中に筋肉の盛り上がりやスピード感など書いている人の力が伝わってくるようなところまで、事細かに観察しなければならないと中国の書道の先生が仰っていました。

それを見ていて、ピアノのレッスンと共通しているなと感動しました。
楽器のレッスンというのも、大体において、先生がまず、お手本を示して見せて、それを生徒がまねをするというような作業の繰り返しだと思います。

が、そのお手本をただ、表面的にだけしか、見ていない人と、その音楽の心を感じ取って、筋肉が盛り上がってくる感覚まで、深くとらえて、観察出来る人とでは、随分上達度が違ってきます。

書道の先生が仰っていたのは、お手本を見る時に、曇りのない目で、よーく観察しなさいと言う事でした。
先入観や自分の思い込み、そういう素直でない曲がった心で、お手本を見ると、上手く書けないのだということでした。
ピアノもそうです。
お手本に素直であればあるほど、上手くなっていきます。
ちょっと違うんじゃないかとか、少しでもよこしまな心が入ると駄目だという事がよくわかります。

又、その先生がおっしゃっていた事で、人は苦しい状況にいる時に、どうすればよいのかわからないと言って悩むけれど、時間がたてば答えは自ずと見えてくる、書道も同じで、続けていく事が何より大切、続ける事で、見えてくることもある。

「1つの山も見る人の立つ場所によってさまざまな姿に見える」と言う内容のお話でした。

これもピアノの道と全く同じですね。

私が幼い頃、先生が示して下さる歌いまわしと、自分の歌いまわしがどう違うのか、さっぱりわからなくて、母と共に、ものすごく悩んだ事も数知れずあります。(母なんて、一晩寝ないで、レッスンのテープを聴いて研究した)

が、今では、何であんな簡単な事が、その時は理解出来なかったのだろうか、とその頃の自分を思い返すと、情けなく、それでも、熱心にその当時の幼い私を子ども扱いせずに、必死で教えて頂いた事を思うと先生には、感謝してもしつくせません。

一つの事を理解させるまでというのがこんなに時間がかかる事だという事を改めて生徒達を教えていて感じます。
しかし、分からなくても、熱心に教え続けなければと思います。

生徒達から、「ここはどうすれば?」と言う内容の質問をよく受けますが、「とにかく、続けていなさい、」というのが答えです。
続けていくうちに、見えてくるのです。

わからない、と言って投げ出してしまえば、その道は一生理解出来ないままになってしまうのです。
あんなに悩んだのがうそみたいと、きっと思うようになりますよ。

しかし、一生続ければの話ですが・・・・・。必ず見えてくるのが芸術の世界です。

本当に素晴らしい世界だと思っています。


平成23年6月16日(木)語りかける演奏

「想いを伝える」の続きです。

早速、生徒達に「○○ちゃんはこの曲に対してどんな想いをこめて弾いているのかな?又相手に自分の想いがどう伝わってほしいと願って弾いている?」とたずねました。

ほとんどの生徒は、「・・・・・・・・(困った顔)」。あまり、はっきりとした想いはないような感じ・・・・・・。

「テンポが走らないようにする」とか、「よく歌う」「一つ一つの音が曖昧にならないようにする」「重さをかける」など、奏法的な事柄や、「活気を持っている感じ」とか、「やんちゃな感じ」とか自分が持つイメージを答えてくれた子もいました。

イメージを持つ事はとても大切ですし、それ以前に技術がしっかりしていなければ、表現する事が不可能です。

しかし、それを今度はどうやって、相手に伝えていくかも充分考えていくといいですね。

相手に伝わるようにするには、「自己中心にならない」「相手の身になって考える」が重要なポイント。

自分の今の演奏を聴いてくれた人達が本当に心から、感動してくれるのだろうか?はっきりとした、その曲の想いを相手に伝えるように弾いているのかどうか?

演奏もそうですが、私も生徒達をレッスンする時にすごく気を使うのはその部分です。
私が教えたい事を生徒達に伝えようとする時に、自分だけわかっていて、ついつい難しいことを口走っているのでは?

相手がわかっていないのにもうわかっただろうなと思い込むとか。すごく興味ありそうに聞いている子には、どんどん新しい事を教えていけるけれど、何を言われているのか?ちんぷんかんぷん状態の子にいくら、こちらがあせってものを言っても駄目とか・・・・・。

常に生徒達の表情や、しぐさを見守りつつ、レッスンを進めていく点で、演奏の時と、まるで同じです。

ステージで、演奏している時の会場のお客さまの雰囲気もすごくよくわかります。
すごく集中して耳を傾けてくれているなあ、というのも、早く家に帰りたいと思っているような・・・・・何となく上の空の雰囲気も。

演奏する時に相手にわかりやすくお話するみたいに語りかけるように演奏できれば最高です。

そうすれば、きっと自分勝手にテンポも走っていかないと思います。
二人三脚もお互いの気持ちがあわないと、こけてしまいます。

相手の事を常に考えると良い演奏につながると思います。


平成23年6月14日(火)想いを伝える

北海道の審査を終えて名古屋に帰ると、とにかく蒸し暑い!!北海道は14度、名古屋は28度。又、この湿度の高い名古屋の暑い夏が始まるかと思うとうんざりしますが、今年も生徒達と共に乗り切っていきたいです。

さて、今日は、「想いを伝える演奏」について書こうと思います。口でいうのは簡単ですがなかなか難しいですね。
まず、想いを伝えるには、自分が一体相手に何を伝えたいのかが具体的にはっきりしていなくては、相手に伝わるわけはありませんから、まず、自分が弾く曲に関して、自分が責任を持って一番その曲を深く理解していなくてはなりません。

しかし、勉強出来ることは全てやったと思えてもまだ、想いを伝える演奏になかなかならないのは、なぜなのでしょうか?

想いを伝えても、相手に拒否されたらどうしよう?想いを伝えようとして、失敗したら?などの恐怖感が先に立つから、なかなか思いきった演奏が出来ないという人は多いと思います。

確かに自分の想いを伝えるのは勇気のいる事ではありますね。しかし、前向きに考えれば、自分と同じ考えの人間はこの世で、誰1人いないわけだから、自分の全てが相手に受け入れられなくてもかまわない、と私自身は思っています。
それと、もし、何か思い切った事をして、恥ずかしい思いをしたり、たとえ、失敗に終わったとしても、自分を成長させるために得るものはあって、失うものは何もないというのが私の信条です。だから、勇気を持ち続けたほうが断然いいに決まっています。

相手の悩みや相手が苦しんでいる事に関して、自分の悩みとはちがうと感じてしまうことは(相手の悩みは悩みのうちに入らない、自分の悩みが一番重大だ)そう感じる人がほとんどのはずです。
しかし、その反面で、自分の気持ちが相手に届かないことで、もどかしい気持ちや辛い気持ち、悲しく孤独な気持ちになることも、誰もが知っています。

このように、ある場面では、お互いの想いが共通していることもあるのです。
私が音楽に求めている領域はここの部分です。必ず勇気を持って伝えようとすれば、伝わる部分が人間には本能的にあるのです。音楽はそれがまっすぐ伝わるから素晴らしいです。例え自分の演奏が受け入れられなくても、まず、勇気を持って、その第一歩を始めてみなくては、その一歩で、自分が伝えたい事を伝えようとしなければ、成功も失敗も何もありません。

要はやはり、その伝え方だと思うのです。相手の心を動かすものはやはり、情熱。どんなに拒否され続けてもどうしても、自分が相手に伝えたい、その強い情熱があれば、絶対にとは言い切れませんが、伝わっていくのは真実です。私のリサイタルを聴いて下さった方がどうしても私のところで、ピアノを習いたいとだいぶ前に頼まれたのですが、そのときたまたま、時間的余裕がなくお断りし続けて、それでも3年間のあいだ、待っていて下さった生徒さんがいらっしゃいます。私も始めは、無理だといい続けていたのが、段々その方の情熱に心を動かされてしまい、今では私の所で、本当に熱心にピアノを学ばれている生徒さんがいらっしゃいます。

このように、ピアノ演奏でも、伝えたい気持ちがものすごく大きいと必ず伝わります。指揮者の佐渡裕さんがおっしゃっていましたけれど、「欲しい音のためやったら、団員の前で裸になってもええ」。と。
いい言葉です。それくらい、自分を捨てて想いを伝えられる勇気を持つ事が大切だと思っています。


平成23年6月9日教えられない領域

明日から、3日間仕事で、名古屋を離れます。

生徒達もPTNAの予選が近づき、早い子は、来週始まります。他の子たちも、もうせいぜいやって、あと2,3回で、本番を迎えますね。

私は生徒達に本番までに、あと1ヶ月を切ると「あと、3回のレッスンだよ」と伝えます。
本番前の1ヶ月前は、今ここで、本番で弾いてもいいように、もう充分に仕上がっていなくてはなりません。
本番で上手く演奏できるコツは、準備期間をいかに計画的に練習出来るかにかかっています。

本番が終わって、もっと、練習しておけばよかった、と後悔するタイプの人はこの、本番までにどのくらい練習していなければならないかがよく分かっていない人に多いようです。
だから、こういうタイプの子には、私があと、何回だよと声がけすると、大慌てで頑張ったりしだすので、自分のレッスンノートに本番の日にちから逆算して、本番まで、あと何日、とかメモしておくと良いですね。

予選の曲が近いのに本選の曲ばかり練習しているとか、あるいは、全く本選の曲に手をかけていなくて、いざ、本選にいったら、それから、大慌てで、練習を始めるとか・・・・・。何れにしても行き当たりバッタリな練習の仕方は本番で、絶対上手く弾けるわけがありません。

良い結果を出そうと思うなら、それなりの充分な準備期間というものが必要不可欠なのです。

それも、個人差がありますから、自分はすごく時間がかかるタイプだと思えば、並み以上の準備期間をみなくてはなりませんし、早く仕上がっても、すぐ崩れるタイプなら、それ以上練習しすぎても、さらに悪い演奏になっていくから、他の曲をさらうとか・・・・・・。
自分のことをよく知る事が大切ですね。

みんな、とても上手になってきましたので、もうここからは、先生の領域では、ないよ、と、何人かの生徒達には伝えました。

「もう、ここからは、○○ちゃんの魅力がどう伝わるかがポイント。あの子の演奏は心に残ったなあ、心に沁みたなあ、もう一回聴きたい、そう思って頂けるような演奏をするには、どうすればよいか、よく考えてみるとよいよ」。と話しておきました。

自分の魅力は何なのか?そう聞かれると、以外と難しいかもしれませんね。

自分では、イヤだと思っていることが、他人から見るとそこがその人の魅力だったりもします。
自分の魅力がわからない人は身近にいる人に尋ねるとよいかもしれません。

又、すごくドキドキしているときに、初めて出てくる自分の魅力もありますから、そこの部分は教えられない領域です。

そして、この教えられない領域部分がすごく豊かだと、必ず相手に伝わる演奏になっていきますよ。

皆さん、自分の魅力を紙に一杯書き出してそれをピカピカに輝かせる努力をしていって下さいね!!


平成23年6月4日(土)出会いと別れ

インターネットはすごい力だなあと、つくづく思います。

私の日記を見てくださる全国のピアノ学習者の皆さん、本当に有難うございます。いつも楽しみにしていると言われるので、益々書く意欲がわきます。

先日も北海道の方から、音楽大学受験をするので、レッスンを受けたいと連絡を頂き、そんな遠いところから、愛知県まで、飛行機に乗ってまで、すごいなあと熱心さに頭が下がるばかり・・・・・・。

さて、今日は全国のピアノを習っている方達に皆さん共通のピアノの先生との出会いと別れのマナーについて書いてみようと思います。

世の中がこんな風にインターネットを通じて、誰とでもコミュニケーションがとれることは、本当に便利な世の中になりました。
しかし、私はこの便利さが、反対に人と人との関係を薄くさせている原因にもなっている気がします。

私は、人と人が出会うのは、偶然ではないというのを信じています。
必ず、何か目に見えない縁というものがあり、お互いに必要な存在であるという事は確かです。
しかし、その縁もどちらか一方だけが必死に頑張っているようなバランスの悪い関係になっているとしたら、折角の縁も台無しになってしまい切れてしまいます。

そんな風に切れてしまう縁はもともとお互いにとってふさわしくない出会いだったともいえますが、しかし、努力によっては、続いていく事もあります。
1度会った縁は大切にしたい、私はそう考えています。

別れの場面も私にとっては、出会い以上に大切です。

1人1人の生徒を自分の子供のように愛し、その時間を共に過ごした、格別の思い出が沢山詰まっています。

私の生活はほとんど、生徒達のために時間をさいているといっても過言ではありません。

たまに、別れの時は、メールだけ、とか、手紙だけとかで、もうピアノをやめますとか言われるとびっくりしてしまいます。

人と人が出会う事だけでも奇跡的なことなので、別れはもっと劇的です。

生きていく間には必ず、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学などの卒業式、あるいは、結婚式、人生の終わりでは、お葬式など必ず締めくくりというものがあります。

私はこういう締めくくりは結構バカに出来ないものだと思っています。
その時々で、お世話になった先生方、もしくは、友人との別れなどその時は辛くてもこういう、締めくくりをきちんとやると、前に向かって勇気を持って生きやすいのです。
だから、もし、別れる時には、やはり、きちんと締めくくりをしてあげたいと私は考えています。

親御さんにはあまり関係ないかもしれません。
しかし、子ども達には未来があります。
いつ、どこで、私と出会うかもしれません。

しかも音楽の世界は全ての先生達とみんなつながっており、将来音楽上の事で、一緒に仕事をしたりすることもあるかもしれません。

その時、又、さわやかに再会出来るよう、締めくくりは出会い以上にとても大切です。
別れは、出会い以上に人生の中の一番ドラマティックな場面であり、劇的な瞬間なのだという事を子ども達には充分体験させてあげる事が大切です。

メールのやりとりは便利になっても、人間関係は絶対にカジュアルなものであってはいけないのだというのが、私の考えです。

それが、ひいては、1人1人を尊重すること、命の大切さ、重さを感じることにつながるからです。


平成23年6月2日(木)自分の感じ方を大切に

暖かい春の日差しもあまり感じないまま、あるときは真夏日になったかと思ったら、梅雨入りをして、寒いくらいの気温になったり、何だか、ヨーロッパみたいに、日本も季節感がなくなってしまったかのようです。

ヨーロッパでは、夏でも寒いときはダウンを着ている人もいれば半そでを着ている人、セーターを着ている人、メチャクチャです。

日本だと、衣替えになったら、学生はみんな一斉に半そでに切り替わりますが、寒いと思ったら、衣替えなんて関係なしに服を着て自分の体調管理に気をつけてくださいね。

みんなが一斉に、同じことをするという点は日本の特徴かもしれません。
だからこそ、世界中で、一番治安がよく、まとまりのある社会を築く事が出来て素晴らしい国なのですが、芸術の分野では、それが、時にマイナスになり、飛びぬけた才能が出にくい、みんなどんぐりの背比べでしょ?と私のピアノの先生方がよくおっしゃられていました。

私もあちこち、今までに国際コンクールや、自分の母校のウィーン国立音大での学生達の演奏など、世界中の人達の演奏を聴くにつれ、先生方がいわれた意味が本当によくわかります。

ウィーン国立音大の入試は、日本と違い公開なのですが、世界各国から、受験にきた学生達の演奏を聴く事が出来ます。
私も自分の受験の時間以外は全て聴いていたんですが、特に国が違うとこうも違うのかと思い知らされるのは、バッハ。

その演奏が良いかどうかは別として、心の底から、感動出来るバッハを聴かせてくれるのです。
歌そのものといった感じ。

やはり、教会で、普段から、賛美歌を歌ったり、お祈りしたりする習慣のあるヨーロッパの国々の人のバッハは祈りに満ちていて、教会の中では、どういう風に響くのかがもうすでに、彼らの血肉に刻まれているようなそんな感じ。

そして、それらをすごくゆっくりと静かに弾いていきます。
日本のコンクールや受験などで、あんな遅いテンポで、弱い音で、のんびり弾いていたら、恐らく落とされるだろうなあ・・・・と思えるような演奏ばかりです。
日本の学生達のバッハは全体にテンポが早く、どの音も均一に大きな音で、バッハのこの曲はこういう解釈で、弾かなければ落とされる・・・・みたいなある種のきまりみたいな弾き方が身についてしまっています。

幼い頃から受け続けたコンクールでこうでなければならないと固められてしまったバッハの演奏で、どの学生も同じような演奏になってしまうのも一つの原因かと思われますが。

しかし、日本人が一番達者に上手く弾けるのは、ショパンのエチュードでしょう。
これは、それこそ、試験やコンクールのお陰もあるかもしれません。
音楽高校生、音大生は寝ても覚めてもショパンのエチュードのテクニックの練習に明け暮れますから、例え、他の曲があまり感動しないような演奏でも、ショパンのエチュードはバリッと弾きますから、一挙に点数が上がるのです。

ヨーロッパの学生達がバッハをあんな風に味わい深く、歌そのもので聴かせてくれても、ショパンのエチュードになると、途端にテクニックがなくボロボロ音は外しまくりで、結局落とされてしまい、可哀相だなあとつくづく思ったものでした。

クラシックの場合、スタイルから、外れすぎても困りますが、反対にこうでなければならないと一つの解釈に固執してしまうのはよくありません。

私がブラームスの間奏曲Op.118の2をウィーンで勉強した時に、それまで、この曲を日本で練習していた時、私はこの曲は秋の夕暮れだと思い込んでいました。

しかし、私の恩師は、これを春の暖かい日差しだといわれたのです。
どちらも良いイメージだと思いますが、人間の感覚として、秋は冬の寒さに近づく感じで淋しくもの悲しい感じがするけれど、春の日差しだと何となく幸せな前向きな色合いになるなあと感じました。

私もよく生徒達にこの曲はどんなイメージを持っているかな?と尋ねます。なるべく私の意見は言いません。
生徒独自のイメージを聞きたいからです。
先に私が言ってしまうと、先入観を持って弾いてしまうからです。

音楽に対して先入観は持たなければ持たないほど、クリエイティブな演奏に仕上がります。

みんな一斉に衣替えみたいな演奏でなく、私は寒いから、長袖を着ると言った主張を音楽上では常に表現していってほしいなと思っています