平成23年5月31日(火)リハーサル

5月も終わりとなりました。季節のいい時なので、修学旅行や、キャンプなど、学校行事が多いようです。

特に私のところは、小学6年生とか中学3年生とか、学年を締めくくる生徒が多いせいかもしれません。

旅に出ている間はもちろんピアノの練習は出来ませんが、意識的にピアノから離れる事も大切な事です。
旅から帰ってくると、より集中力が高まるので、皆さんしっかり、気分転換をとりながら、いつでもフレッシュな気持ちで、ピアノに向かって下さい。

PTNAのコンクールも、もう早い子は、6月に始まります。

学校の試験も始まりますし、これからは、本番前のリハーサルをする事が大切です。
リハーサルは、家でも充分行うことが可能です。要は自分の気持ち次第。

ピアノの蓋を全開したり、譜面台をとったり、普段練習しているのとはちがう雰囲気をつくれば充分です。

録音一つするだけでも、随分と気持ちが引き締まって違ってきます。

普段は聴いていない、お父様や、お母様やご兄弟の方達の前で、お辞儀から、全て本番みたいにリハーサルしても良いですね。
又、コンクールで、着る衣装や、靴などもはいて、1日に一回は、自分で緊張する雰囲気をつくってみると良いでしょう。
その際ちょっと、ご家族の方に頼んで、集中力が欠けるようにわざと邪魔してもらうのもいいと思います。
例えば、電気をパッと消すとか、わざと、物音を立ててもらうとか・・・・・。
どんな邪魔が入っても一向に構わず、黙々と演奏を続けられる人は本物です。
何かの音がしたから気が散って演奏があやしくなるようなら、まだまだ、リハーサルは未熟だと思って良いでしょう。

そういうイメージトレーニングが出来るようになると、全く1人でもイメージすることで、充分リハーサルが行えるようになります。

別に、舞台に上がって何度も何度もしつこく弾かなくても充分家で、やれるようになります。
ある大変にご高名なピアニストの方がおっしゃっていましたが、必要以上にステージに出過ぎることは良い演奏をするためには有害になるとおっしゃっていましたが、私も同感です。

ツィメルマンも同じ事を仰っていたのを聞きました。
ショパンも生涯で、たった、50回しか、演奏会に出なかったそうですが、その気持ちは本当によくわかります。
出れば出るほど、自分の事がよくわかり、どんどん自信を失うものだからです。
それだけ、音楽に対してものすごく厳しくなっている証拠なんですが。

人前で、演奏するということは、楽天家で、能天気、結構図々しく、チャランポランでないとやっていけないようなところがありますから、あまりにステージの回数が多くなればなるほど、神経が参ってしまい、精神的に行き詰ってしまうので、自分のペースで何事もやっていくことが肝心です。

結構間違えても気にしないような人なら、構いませんが、完璧主義の人にはあまりステージが多いとかえって落ち込み度が激しくなり、自信を失う原因にもなりますので、注意が必要です。


平成23年5月24日(火)なぜかしっくりこないわけ

先週弾きあい会に参加した生徒達はそれぞれに、とても良い刺激を受けあい、随分と演奏が変わってきました。

自分が弾いている時は、弾く事に必死だけど、レッスンを客観的に聴くと、ああ、そうなんだなぁと胸に響いた生徒達も多く、又そういう意見が多かったのは、中学生以上でした。

中学2年生くらいになると、本人が理解するようになってきますね。

さてそこで、ミスもなくなったし、音の出し方もていねいだし、あらゆるところで、細やかな配慮が行き届いた演奏なのだけど、なぜか、演奏がいまいちしっくりこない、そんな演奏体験をお持ちの方は多いと思います。

その原因は大抵、テンポ感にあります。
弾きながら、しっくりくるテンポをつかむことは並大抵の事ではありません。

大抵は、ラレンタンドしようとすると、遅くなりすぎたり、アッチェレランドは早すぎたり、始めのテンポと途中のテンポがバラバラで何か統一感のない演奏になってしまう事がよくあるものです。

良いテンポ感は以外と、客観的に聴くお客さまの方がよくわかるものです。

弾いている人のテンポに合わせて聴き手も一緒に歌おうとするのですが、テンポ感が悪い演奏は、一緒に歌う事が出来ません。

指揮者のように棒を振って聴こうとすると、たちまち、そのタクトがずれてしまうので、しっくり来ない演奏になってしまうのです。

自分では、すごく心をこめて歌っているつもりが、テンポ感を無視したために聴き手にはただ単に退屈に聴こえたとか、自分ではもうノリノリで、指も最高潮に回り、すごく華やかに弾けたつもりが、聴き手にはただの騒々しい、気もそぞろな落ち着きのない音楽に聴こえていたりしますから、本当に難しいですね。

部分的に良いテンポ感がとれていても、初めから最後まで通すと、バラバラになってしまうとか・・・・・。

又弾きにくい部分があると、当然そこの箇所は、テンポ感が悪くなります。

指の弱い所、4の指や5の指のようなところで、浮き沈みが出来てしまうため、音価がきっちり取れない事も原因の一つです。

音と音の間がバランスよく、しかも生き生きとした、弾力性のあるテンポ感が取れるようになるまで、ものすごく研究が必要です。

レッスンの良さはそこにあります。
1人で練習している時にとれないテンポ感を私が取り、指揮者の代わりをするのです。
すると、何ヶ月かたつと、やっとその子自身の血の中に、はまり、あたかもその子の血肉から湧き上がってきたようなテンポ感がとれるようになってきます。


テンポ感だけは、その子の頭の中に入っていって、あ、ちょっとゆっくり、あ、そこは、段々早くとか、微妙な揺れ動きまで、コントロールすることは不可能なので、教える側もそこは随分苦労する所です。


平成23年5月19日(木)暗譜を確かにするためには

ピアノを学んでいる方達の中には、どうしても暗譜ができないとか、家では出来ていたけど、レッスンで先生の前だと緊張してとか、ステージでどうしてもわからなくなるとか色んな悩みを抱える人達は多いと思います。

←学生時代弾いたあらゆる曲の中で最も暗譜が大変だった、メシアン鳥のカタログの中からダイシャクシギ(左)と
ウエーベルン(ピアノのための変奏曲OP27)(右)





私が思うには、暗譜というのは、ピアノが弾ける人、楽譜を見てきちんと弾けているならば、自動的に暗譜する事は、誰にでも出来ると思います。

ただ、私が見ていて、個人差はあります。
10分くらいの曲を3日で覚えてしまう人もいれば、3ヶ月かかってやっと、という人もいるように、さまざまです。

あと、暗譜で弾きながら何回か間違える人の場合、多分譜面を置いていても間違えると思います。
だから、まずは譜面を見ながらでも一つも止まらないで弾く事、そのために「通し練習」を何度もやることが大切です。

暗譜が不安定な人は、この「通し練習」をあまりしていないのではないかなと思います。

弾けない所を正確に弾くように何度も弾いたり、音色をつくったり、フレーズ感を考えたりする研究や部分練習も大事なのですが、それ以上に、本番前に大事なのは、「通し練習」です。

私のレッスンでは、大抵の場合、まず、生徒達が持ってきた曲を必ず通して弾いてもらう事にしています。
心の中では、途中であそこもここも直したい部分が山のようにどの子にもあるのですが、それは、まず、我慢して、とにかく最初から、最後までを通させるのです。

そうすると、始めの方は上手く弾いていても途中から段々崩れてきてボロボロ状態になったり、集中力が欠けて次の音が全く出てこなくなったりいろいろな事が起きるのです。

そこで、そういった、「事故」を必要最小限に食い止めるために私が学生の頃からやっていて皆さんにお勧め出来る事は「避難訓練」です。

人間のする事に100%完全である事を求める事は無理ですし、又、人間には必ず失敗がつきものだという事をまず、頭に入れておかなければなりません。

避難訓練といえば、地震や、火事や、そういったものから始まって、飛行機に乗ったときもやはり、機内の非常用設備について、客室乗務員から、酸素マスクの使い方等の説明を受けることは、皆さんも何度も体験しているはずです。

それと同じように、ピアノ演奏も非常時に備えての訓練が毎日の練習に欠かせません。

もし、ここで非常事態が起こったら(音がわからなくなったら)、こちらに逃げる(何段目に飛ぶ)とか、色々シミュレーションしておかなくてはならないのです。

わからなくなっても、右手だけでもつなげるとか、記憶が戻ってくるまで、何とか、作曲をしながらでも何でもいいので、とにかく運転を止めてはいけないということです。

又、一つ一つの音を確実に弾いていくということも大事です。

本番では、かなり、神経がナーヴァスになっていますので、ちょっと音を外した際にそれがすごく気になってしまい、気が散って暗譜もわからなくなってその後の演奏がメチャクチャになってしまったということもよく聞きます。

フイギュアの選手も同じでしょうね。

一回目のジャンプが上手く飛べないと、そのことで、気が散って後は、ミスを連発、運を天に任せるだけ・・・・・みたいになってしまうと、全く演技に集中できなかったとなり何とも後味の悪い結果となってしまいます。

どんなに、非常事態が起きても冷静に対処出来るように、毎日避難訓練をされると良いと思います。

必ず落ちついて対処出来るようになります。


平成23年5月18日(水)五月晴れ

今日はとってもさわやか。
シューマンのユーゲントアルバムの中の「愛しい5月よ、又お前はやってきた」のメロデイが浮かぶような5月晴れでした。

←明和高校の近く。緑がまぶしくて気持ち良い1日でした!!


大学卒業してすぐ、ウイーンへ留学する前にミュンヘンに1ヶ月滞在しましたが、5月のミュンヘンの美しさは口では言い表せません。
空港からS−Bahnnに乗って地下から地上へ滑り込むと、それはそれは美しい菜の花畑が一面に広がります。
ドイツの緑の芝生や深緑の樅の木や森の素晴らしい美しさが5月はキラキラと輝いています。
冬が長い国なので、それだけに皆待ち焦がれている季節でもあります。

さて、全国のピアノを学んでいる方達が私の日記を楽しみにして下さっているとのこと、本当に嬉しいです。

特に最近、練習の仕方、研究の仕方を書きましたが反響が多く、皆さんのお役に立てれたことがとても嬉しいです。
益々、役に立つことをこれからも沢山書いていきますので、皆さん実践して下さいね。

そういえば、ある料理を教える方がおっしゃっていたのですが、料理が上手くなるためには、何事も先入観を持たずに純粋であること。

人の話を素直に聞ける人、そして、その料理する人と教える人が家族のような絆があることだとおっしゃっていましたが、ピアノの先生と生徒の関係とピッタリ当てはまるなあと感動しました。

私も生徒達を見ていて、すごく素直な子はどんどん上手になります。
ちょっと、不信感を抱いたり、物事を斜めに構えて見る様な感じだとやはり伸びていきません。
教える方はなるべくその子が早く、最短距離で、上達出来るよう一生懸命にその子を導いていきたい一心ですので、全面的に信頼してくれていると、益々、効率よくレッスンが行えるわけです。
お料理を教える人もその通りの事をおっしゃっていました。

私も、他人に対して全く先入観を持たない人間なので、今まで、周りからも、天然ボケと笑われるくらい、純粋で、人の話をそのまま素直に聞き入れて、人を信頼してきました。
今日そういえば、生徒から、人間関係の事で質問されて「そうね、いつも先生は、どちらかといえば、相手に譲るタイプだったよ。負けるが勝ちっていうでしょ?相手の方が誰が見てもおかしいと思えるようなことがあったときも先生のほうが折れて負けてあげる。それと、適度に相手と距離を持つ事が、何より大切ね。

その人にだって触れられたくない色んなことが誰しもあるものだから、どんなに仲が良くても全てを知ろうとしては駄目。
それと、人を許す事もすごく大切。
自分に嫌がらせするような人の事も恨んだりしないで、全て許せる人は人間がひとまわり大きい人。そんなかっこいい人になりたいでしょ?」と話したら、明るい笑顔一杯になりました。

私は、今までに、そうしてきた事で、損をしたことも、他人から悪くされるような事も一度もありませんでした。
そのお陰で、ピアノの先生方も厳しく本当に熱心に力を傾けて下さったんだと信じています。

今、私は、生徒達を教える逆の立場に変わりましたが、今度は生徒達一人一人を信頼しています。
生徒達はどの子も本当に可愛く、私と生徒達一人一人の心と私の心は家族のような絆で結ばれています。

どの世界も結局は人と人とのつながりです。
生徒達には、ピアノを美しく弾くだけでなく、人を信頼する美しい心を持ち、いつまでも、純粋で、人の話が素直に聞ける心でピアノを練習していってもらいたいです。

そうすれば、必ず道が開かれてきますよ。


平成23年5月17日(火)集中力

高校生の生徒が、ベルクのソナタを持ってきました。

はるか、遠い昔だけれど、私も彼女と同じ年頃に一生懸命勉強し、大好きな曲なので、その後もレパートリーの一つになり、ウィーンの卒業試験でも弾いた、とても想い出深い曲の一つでもあります。

ベルクは何と言っても、ウェーベルンやシェーンベルクと並ぶ、ウィーンが誇る新ウィーン楽派の1人なので、ウィーン国立音大を卒業する人は必ずレパートリーとして持っていなくてはなりません。

生徒達が成長して大きくなってくれると、私が学生の頃練習した曲を又、再び聴かせてもらえる事は、とても嬉しく、又あれから、20年以上もたった若い頃の自分とは違う新たな発見があり、今日も何ていい曲なんだろうと思いながら聴いていました。

彼女の楽譜を見せてもらってびっくり!!私達の時代の楽譜は音符も小さく指示記号も細かくて見にくかったのですが、今の楽譜は音符もはっきりしていて、とっても見やすい!!
高校生の時の書き込みだらけの私の楽譜
←高校生の時の書き込みだらけの私の楽譜

←ベルクのソナタの表紙





印刷技術も20年以上たつと改良されるんですね。うらやましい限りです。

この曲は指示記号がものすごく多く、常に揺れているような感じと、夢遊病みたいなところとか、花がこれから開くような柔らかさとか、暗い森の中で、子供が道に迷って泣いているような声とか、ものすごくドラマチックなところが私の気に入っているところです。

ドラマの中の1人1人の声を出せるように、モーツァルトのように劇的な作曲家であるということ、彼の言いたいことは全て楽譜に書き込まれているからということを何度もウィーン時代の恩師は仰っておられました。

ピアノソナタもいい曲ですが、ヴァイオリンコンツェルトも素晴らしい曲です。

どれも、何か出口の見えないような感じが現実的でもあり、高校生の私は、今まで弾いて来た曲のハーモニーと違い、譜読みがおもしろく、夢中になりました。

ウェーベルンは一つの音にこめられている表情がものすごくあって、すごく暗譜しにくいけれど、ベルクは覚えやすいと思います。

大きくなれば、音の出し方や、基礎的な楽譜の読みは出来てくるので、どれだけ長く、又一時に沢山の曲を仕上げられるかどうか、それを、長時間弾き続けても集中力が保てるように暗譜の完成度の高さを保てるかどうかが高校生以降は勝負になってきます。

彼女の粘り強い意志の力で、これからも頑張っていってほしいです。


平成23年5月15日(日)弾きあい会

今日は、南文化小劇場で、PTNAを受ける人達の弾きあい会がありました。
お世話して下さった幹事さんの暖かいお心遣いのもと、お天気にも恵まれて生徒達と共にとても楽しい1日が過ごせました。
D級、G級、A1級、そして、C級を受ける生徒達が演奏してくれました。

特にG級は、リサイタルの前半を聴いているような感覚でした。長時間のプログラムをこなさなくてはならない集中力が必要不可欠で、肉体的、精神的にものすごく大変です。しかし、高校生は人生の中でも一番体力もあり、筋肉も一番強く、指も一番回りやすく頑張りがきく時。そういう時代はなかなかないと思って頑張っていってほしいです。

C級では、アゴーギクや、テンポ感を身体でつかんでもらうために、生徒の一人がワルツ・レントを弾き、他の子たちはステージに上がらせて皆で手をつないで、踊ってもらいました。
皆照れてしまって、全然踊りにならないどころか、足も手もガチガチになってた!!普段から、ピアノに向かうだけでなくて、自分の弾いている音楽を踊りでも表現してみてほしいなと思いました。メチャクチャでもいいんです。
型から入ろうとせずに、自分の感じるままに音楽から感じ取れる緊張感や気分の高まりなど、手や足を一杯使って表現してみて下さいね。

見知らぬもの同士では、手をつなぐだけでも抵抗して恥ずかしいみたい。もともと、日本では、誰かとペアでワルツを踊るなんて習慣がありませんけれど、私が住んでいた、ウィーンは、老いも若きも子供達も皆何かといえば、すぐ踊りたがります。TANZSCUHLE(舞踊学校)で踊る授業が小学生の頃からあって、ひととおり、メヌエット、サラバンド、ワルツ、など、さまざまな種類の踊りを教わります。私も見学に行ったけれど、こんな踊りを小さい頃から、踊っている習慣があるのとないのとでは、表現力も違ってくるなあと強く感じました。

しかし、そういう子が又、ピアノが弾けるかといえば、話は別ですが・・・・・。

もともと、ピアノというよりは、踊りの方がより、人間の本能的な部分なので、ピアノが弾けない子でも、とらえやすいはずなのです。

先日、テレビで、アメリカで耳の全く聴こえない人達がものすごく強いリズム感で、音楽に合わせて、切れ味よく踊りを踊っていました。本当に感動しました。

音が聴こえなくても、振動でボールなどを胸に当ててそのリズムをつかむそうなんですが、音楽が聴こえるから、リズム感が出てくるのではなくて、元々、人間が血の中に持っているものをそのまま、吐き出している感じで見ていて本当にすがすがしかったです。

もしかすると、逆に耳が聴こえると耳から入ってくることだけに頼ったり、あるいは、目が見えると目から見える情報だけ見ていて、他人の奥深い、微妙で、精彩豊かな心の中をつかもうとしなかったり、かえって鈍感になってしまうのかもしれません。

今日レッスンしたことは私が伝えたい事のほんの一部でしたが、皆さんの心の中にある、耳や目で消化し、自分の血肉に入り込んでいくまで、毎日、訓練し続けて下さい。
一度、自分の血に入ったものはどんなことがあっても揺るぎません。
特に芸の世界では、踊りにしろ、ピアノにしろ、自分の血になるまで、小さい頃からの本当に厳しい訓練が、それも、ものすごく長く続きます。

しかし、音楽家は最高の職業です、と、ドミンゴさんがおっしゃっていましたが、私もつくづく、そう思います。

音楽以外の何もかもが犠牲になり、家族も1人の音楽家を生み出そうとするならその人のために全てが振り回されてしまう、そういう世界です。

私も、今までにどれだけの人に迷惑をかけ、犠牲になっていただいたか計り知れません。その人達の事を思うと心が痛みます。
しかし、それを私は音楽で返さなければならないという強い使命感を持っています。
約40年近く、音楽ばかりやっているので、もう今から他の事をしろと言われても、私にはもう何も出来なくなってしまっています。

生きることと音楽する事の境目がもう見えなくなっているのです。

これまで私を育てて下さった全ての皆さんにまず一番に感謝しなくてはなりません。
音楽家は本当に素晴らしい職業、心からそう思います。人の心や魂に直接触れることの出来る本当に美しい世界です。

生徒達が私のこの言葉を強く信じて、たとえ、辛くても厳しくてもどんな事があっても、音楽を捨てないで、生きていってほしいなと思っています。




















平成23年5月8日(日)音を鳴らすことに気をとられない


生徒達が家に帰ってからも練習出来るように、研究の仕方を皆さんに教えています。

どの子も私と一緒にやった研究を実践してくれているようで、新しい生徒さん達も勉強の仕方がわかり、随分上手くなってきました。

今日も小学6年生の子で、レッスンで、私が言ったことを全て消化して、くるたびによくなってくるので、本当に嬉しかったです。

レッスンで、言われた事を理解できるようになるということが上達へのポイントです。

彼女に4曲課題曲を先週は通して弾いてもらったところ、ちょっと、集中力が欠けたので、どうすれば、集中力が欠けないかを話して聞かせたのです。

すると、今日は1週間実践してくれたようで、バッチリでした。

自分の演奏の録音と他の人の演奏の録音の違いを聞き比べることも毎日実践しているようです。

ピアノ演奏も自分の演奏だけ、とか、誰か1人だけの演奏を聴き続けるとか、固執されてしまうのは良くありません。

自分の心は海のように、広い広い世界なのです。

自分の弾いている同じ曲を色んな角度から見つめて研究する事は最終的に自分の演奏が客観的にとらえられる事につながるので、沢山聴いて耳を肥やすことが何より大切と教えています。

又、大体において、ピアノの音は、心静かに「聴く」というよりも、音をガチャガチャ「鳴らす」ということに目的がおかれてしまいやすいので、注意が必要です。

フォルテが4つぐらいあったとしても、訳もわからず、ガンガン鳴らすのではなくて、やはりそこには、ステージの一番後ろの客席から聞いているような、冷静な自分がいなくてはなりません。

人間の耳はよく見ると後ろの方についています。

前方で聴かないで頭の後ろで音を聴くんだよ、と私がよく生徒達に言うのですが、皆さん実践してくれていますね。

レッスンのときに、私の話している意味がわかってくれると、どんどんよくなっていきます。

なかなか直らない時は、理解出来ていない証拠なので、家に帰ってからも直せないということになってしまいます。
なるべく、レッスンのときに、理解して覚えて帰れると良いですね。


平成23年5月5日(木)頭の中も整理しておくこと

今日は子供の日。ゴールデンウイークも終わりに近づき学生さん達は、最後のお休みを充分楽しんでいると思います。

ところで、15日に行う弾きあい会では、自分の演奏はもちろん、他の人達の演奏も聴いて勉強出来る良い機会です。
レッスンしていてよく思うことは、弾いている生徒達は弾く事に精一杯で、なかなか、客観的に自分の演奏をとらえにくいものですが、聴いていらっしゃるお母様のほうが先生の注意が理解しやすいものです。

という事は、頭が混乱していると、注意が冷静に聞けず直せないということにつながります。

最近はお父様がレッスンのとき聴いて下さる方も増えました。

私の時代では、考えられない事で、今のお父さんは子供と友達感覚で、仲良くていいなあ、とうらやましい限りです。

私など、普段父親が見ていないことが多かったので、うるさい、あっち行って!!みたいな感じでしたが・・・・・。(子供から相手にされない可哀相なお父さんという感じ)。

時代がそうだったのでしょうが、何となくお父さんというと、こわーいイメージで、緊張を強いられるようなそういう古い世代で私達は育ちましたからね。

そういえば、私のレッスンを見ていて、「ピアノって本当に体力いりますね、肉体労働ですね!!」とびっくりされているお父様も。
「そうなんです。トラック1台分引っ張る力がいるんです。」だから、とにかく、おなかがすいて食べているか弾いているかのどっちかだね、と笑われます。

弾きあい会では、弾くだけでなく、普段のレッスンでよく使う言葉についても、皆さんと復習してみたいと思っています。

例えば、アーティキュレーション、ルバート、アゴーギク、フレーズ感、テンポ感、ハーモニー感、音楽の緊張と解決、拍感、調性感、音の方向性、などなど・・・・・。

又、バロック、クラシック、ロマン、近・現代の4つのスタイルを踏まえて、どういう音質で弾くのか、タッチはどのようにするのか、ペダルの踏み方はどうするのかなども具体的に説明できるよう、皆さんに質問しますので、言葉で、説明できるよう復習しておいて下さいね。

生徒達の中には、こういう言葉をきちんと頭で整理しておけるように、レッスンノートに詳しく書きとめて整理している子もいます。

皆さんが大きくなれば、自分が人を教え始めるときが必ずきます。
その時に、自分の考えを頭できちんと整理して、他の人に言葉でも説明してあげられるようにしておく事はとても役に立ちます。

自分の頭の中がしっかり整理されていないと、なかなか他人に伝えにくいものですから、こういう事も含めて皆さんとの活発な意見交換をしながら勉強していきましょう。
とても楽しみです。


平成23年5月2日(火)音を聴き続ける難しさ

5月に入り、ピティナの弾きあい会も来週に迫ってきました。

皆、大体譜読み、暗譜は終えたので、今は、研究の段階に入っています。

研究といっても、ピアノの前で、ただ単に自分の音だけを聴いて練習している人と、常にいろんな演奏から、刺激を受けて良い所をとりいれながら、不自然にならないよう自分のものに消化していく研究をしている人とでは、格段に差がついてきます。

普段学校があるときは、学校に行くだけでも疲れて、研究どころではないと思いますので、このゴールデンウィークをしっかり活用して研究の時間を沢山とると良いですね。

それから、音源を聴く時は、出来るだけパソコンではなく、CDを買って聴き、楽譜と鉛筆を用意して、ノートにメモをとりながら聴きます。

ただ、ボーッと漠然と聴いているのは時間の無駄です。そうではなく、
自分とCDの演奏者の「違い」を見つけてもらうことから始めます。

音質は?フレーズ感は?音の方向性は?テンポ感は?拍感は?バランスは?と何項目かにわけて、自分とCDの演奏との「違い」を見つけるのです。

アゴーギクの取り方で、いいなと思える演奏に出会ったら、そのCDと合わせて弾いてみるのも良いでしょう。

この際まねになると心配と思う人もいると思いますが、その点はあまり心配しなくて良いと思います。

というのは、どんなに、あの人のように弾きたいと願ったところで、所詮他人のまねは出来ないのが普通だからです。

まねというのは、良い所はまねしにくく、悪いまねはしやすいというのも本当です。

なぜか、真似しやすい所というのは、その人の良い所というよりは、変なクセみたいなところだけが、耳に残りやすく、それをまねしてしまうと、何ともおかしな演奏になってしまうので、注意が必要です。

まねになってはいけませんが、しかし、色んな人の自分が弾いている同じ曲を聴いて勉強する事は必要不可欠です。

自分の演奏だけに浸っていると、埋没してしまって、客観的に音楽をとらえれなくなってしまうからです。

素晴らしい演奏に出会うと、レッスンでいつも注意を受ける本当の意味が胸にストンと落ちるようになってくると思います。

例えば、「音を聴き続けて」といつも注意される人なら、腕や手首や、身体などをくねくね動かしすぎたり、頭がふらついて、音が冷静に聴けていないことが多いと思います。

良い演奏はもちろん皆同じ演奏ではありません。

しかし、これを私は山の登山に例えて生徒達にお話します。
皆、目指している山の頂上は同じなんだけど、登り方が違うだけ(演奏なら解釈の違い)、近道で行く人もいれば、でこぼこを通って、時間をかけて、ゆっくり登っていく人もいます。

けれど、頂上に登り詰めた時の美しい景色は誰が見ても、美しいと感動出来るのです。
その時の達成感、気持ちよさ、すがすがしさは誰もが同じように感じることが出来ます。

良い演奏もそれと同じで、それぞれ、演奏のアゴーギクの取り方や、フレーズ感は人それぞれであっても、やはり、素晴らしい演奏には、そのどれもが共通する感動をもたらしてくれるものだとお話します。

それをつかむために、毎日CDの演奏や、いろんな人の演奏と自分の違いを聴き比べることはとても大切です。
客観的に音を聴けるもととなるので、そういう研究に費やす時間は、指の練習以上に時間をかけなければなりません。