平成23年4月29日(金)マリンバコンサートの本番

今日は、東文化小劇場で、マリンバの伴奏の本番がありました。

皆さんにお知らせすると気遣って下さるので、今回は誰にも内緒でしたが、それでもネットを見て探してきて下さった生徒とお母様達がいらして下さって感謝感激!!有難うございました。

昨日、高校・大学時代の友人から、林秀光先生が亡くなられたとメールが入り、複雑な心境で、本番に出かけました。

林先生は、私が7年間過ごした、桐朋学園高校・大学時代のピアノ科の主任教授でいらして、私が国際コンクールを受ける時にも推薦状を書いていただいたり、高校の卒業演奏会に出させていただいた時にもお電話を度々下さったり、本当にお世話になったので、とても悲しいです。

お世話になった先生方が次々と亡くなられていきます。

必ず人間は死ぬのだけれど、やはり、身近にそういう話題を聞くと改めて1日1日を精一杯に生きたい、皆さんのお役に立ちたいと強く思います。

死んでしまってからではもう何も出来ませんから、やはり、生きている間に、自分を支えて下さる方達の事をもっともっと大切にして、毎日皆様のお陰で、生かして頂いている、本当に有難うと感謝してこれからも皆さんのお役に立ちたいです。

私にとって、ピアノは人生そのものです。
喜びも悲しみも辛いときも常にピアノとともにあります。

大学卒業を目前に控えていた私は、自分はこれから、どうなるんだろうと不安でいっぱいでした。
その頃のピアノの先生に悩みを打ち明けると、一言言われました。
「貴女にはピアノがある。自分で、道を開きなさい」。と。

冷たく突き放されたように感じたけれど、ピアノの世界は実力の世界。
師の一言を強く胸に抱き、命ある限りピアノを弾き、私の技術を沢山の生徒達に分け与えて、皆さんのお役に立つことが私の使命だと思っています。


平成23年4月28日(木)研究の効果

何日間か日記に研究の仕方を書いたので、ものすごく為になったと、とても反響が多かったです。

生徒達の演奏が又随分違ってきました。
こんなに効果が出るんだなあと、とても嬉しく思っています。
これからも皆さんのためになるような、もっともっと役立つ事を日記に書いていくので、是非皆さん実践していって下さい!!必ず上手くなりますよ。

研究の仕方がわかれば、もう大丈夫です。レッスンにいくたび、その成果が現れて、先生から、きっとほめられると思います。

ピアノの練習はそこが良い所ですね。良い研究をすれば、必ず、それが演奏に表れますから努力が報われます。

一度そういう達成感を知ると、又、次に新しい曲を習う時も、前と同じように応用していけばいいなという事が段々つかめてきます。
つかめてくれば、上達は早いです。

つかむまでが、人によって、5,6年でつかむ子もいれば、10年たってつかむ子もいます。

もっとかかる子もさまざまですが、随分とつかめて良くなってきたなあと思うと、ピアノに飽きてきてやめてしまったり、他の事に興味がわいてきたりする子もいます。

ピアノを続ける事はかなりの精神力がやはり必要なようです。

まずは、本人の才能、親、指導者この三者一体になって、しかもそれがとても長く協力しあって、続いていく事なのです。

この3つのどれか1つ欠けても絶対上手くいかないと、同僚の先生方は皆さんそうおっしゃられますが、私も同感です。

そう思うとつくづく自分も40年近く続いてこれて、皆さんのお陰だなあと全ての方達に感謝、感謝です。

ピアノを習っている生徒さん達の全てがすぐあきらめるという方向を見ずに、ずっとずっと、努力が報われる真実をピアノを練習していく事で、身を持って体験していってほしいなと思っています。


平成23年4月23日(土)練習(研究)の仕方

今日、レッスンをしていて、家での研究の仕方を生徒に話していて、「ところで、○○ちゃん、この曲のCDを聴いている?」と聴くと首を横にふっています。「えっ?聴いていない?聴かなきゃ駄目だよ」。と話しておきました。

練習というと、何時間もピアノの前に座って指を動かすのが練習というのではなく、もし、4時間練習するなら、その中で、2時間はCD を聴いたり、自分の演奏を録音したりして、両方を何回も聞き比べたりしなくては演奏が良くはなりません。

私とのレッスンは週に1度。あとの6日間は、子供ならお母様と、大きくなっていたら自分1人で研究の時間を沢山作っているかどうかが、上達へのポイントになってきます。

CDの聴き方なんですが、ボーッと聴いているだけではだめで、楽譜をきちんと見ながら、音の出し方から、フレーズ感、楽節の取り方、拍感など、全てを耳にして聴いて楽譜に書き込みます。

自分のフレーズ感や、拍感のとり方とどう違うのか、アゴーギクの取り方の違い、を集中して聴き、又自分もそれに近づけるように弾いてみて又録音してみます。

真似できるところだけ、真似するというのは、とても不自然に聴こえてしまうので、真似ではなく参考にするという事が大切です。

始めはきっと、何か、自分の拍感はモッタリして、重苦しいなとか、すべって、のめっていくなとか、全て録音すると不自然な部分が到るところに丸裸に聴こえてくるはずです。

録音機はピアノを弾く人の必需品です。私も何度今までに買い換えたか数え切れません。

料理の世界でも、一流のシェフは弟子達にこれとこれを調味料にして入れなさい、と具体的に教えないそうです。

シェフが作ったフライパンについたソースを味見してその味を覚えて何がこのソースに入っているのかを自分の頭で考えなさいという事なのですが、ピアノの音作り、音楽作りもそれによく似ています。

CDを聴いていてこんな音がほしいと強く思えば、一体自分のタッチはどのようにコントロールすれば、それに近い音が出るのか、又、気持ちがくるところで、自分のは知らん顔して弾いているなあとか違いが次から次へと出てきます。

どうして、CDの演奏者のは、こちらの胸がわくわくするように生き生きして聴こえるのはどうしてなんだろう?リズム感やテンポ感、拍子感の良さから、生み出されているのかなあ?とか、沢山疑問が生まれてきてとても楽しいのが研究です。

私が見る限り、なかなか、演奏が良くならない子は、やはり、練習というより、研究の時間をとっていない人が多く見受けられます。

常に、良い演奏だなと感じたら、自分もそれに近づく努力をしてみると、確実に上手くなってきますよ。

何時間も何時間も指を回しているだけの練習は時間の無駄になってしまいます。
集中して、頭をよく使い、全身耳にして、昨日より今日、明日よりあさって、という風に自分の高い理想、美意識を持って研究し続けて曲を練り続けていく事が大切です。


平成23年4月22日(金)音を聴くとは?

来週29日の金曜日にマリンバコンサートの本番があるので、合わせにこれから、マリンバの先生のお宅へ伺うので、それまでに日記が書ければ良いなあ・・・・・・・・・。

今日は、音を聴くとはどういうことかについて書こうと思います。

ピアノを習っている学習者のほとんどの方達はピアノの先生から、音をよく聴きなさい、歌いなさい、といわれると思います。
耳が聴こえる人なら、誰だって音が鳴るのを、ただ、漠然と聴いている事は出来ます。
しかし、ここで言う「聴く」はちょっと違います。
自分が出した音は本当に一つ一つに神経がくまなく行き渡り、イメージしている音が出せているのかどうか注意深く確かめながら弾いていくことを「聴く」といいます。

又、「聴きなさい」とか、「歌いなさい」とか言われると今度はその部分だけ遅くなってしまったりすることがよくあると思います。

自分がとっているテンポも同時に聴けていなくてはいけないのです。
しかもそのテンポは常にメトロノームのような機械的なテンポではなく人間の心臓の鼓動が聞こえてくるような生き生きとした、弾力性に富んだテンポ感を保ち続けなくてはなりません。

おまけに、ピアノの楽器ときたら、低音がガンガン響きやすく、右手の本来主役であるべき、メロディが薄くなって埋もれてしまいやすいので、常にバランスはどうなのかもずっと聴き続けなくてはいけません。
あと、強弱の見方。以外と強弱をつけることは難しいのです。
一般的にフォルテの音は出しやすくピアノの音は出にくいといわれています。
初めから終わりまで全部フォルテで弾くことはとてもやさしいのです。

ハノンの指練習みたいに何も頭を使わなくて良いからです。
しかし、ピアノやピアニッシモはそういうわけにはいきません。
しかも、そのピアノの音は蚊の鳴くようなやせっぽちの音ではなくて、ふくよかで、どこまでも伸びるような優しいピアニッシモを出そうとする事はとても技術がいることなのです。

又、豊かで、伸びやかなフォルテを出す時は意外に力はかかりません。
というのは、脱力がとても必要であり、力が抜けていると、固くなく締め付けたようなフォルテになりません。
しかし、脱力といってもどこもかしこもブランブランでは話になりません。
指先や手の平は鉄のように頑丈でがっしり構えています。
けれども、手首や腕や肘、上腕などはとてもリラックスしています。

フォルテ一つとっても音の種類は際限なくあります。
今自分が出しているフォルテの音は今の情景にふさわしいフォルテが響いているのかな・・・・・・?
ピアノの練習はこんな感じで、自分がこれから出そうとする音をイメージして、出しては確かめ、出しては確かめ、その繰り返しです。
タッチも指の先やお腹、骨に近い所など、自分のこれだ!と思う音が出るまで、色んな場所で弾いては聴き、弾いては聴き、それを注意深く練習します。

真剣にやれば30分くらいしか、一どきには出来ません。

だから1日の間で、休み休み、小分けにして集中して練習する事が大切です。
指というより耳がものすごく神経を使いますから、とても疲れます。
学生の頃、先生から私が弾いた演奏が、良くない、と、注意を受けたら、自分の出す音全てに神経が行き届いていないのだな、聴いていないということだな、と感じて研究して悩みに悩みぬいて研究を重ねた後は必ず先生から、「わあ、上手くなったね」とほめられるのがとても嬉しかったことを昨日の事のように思い出します。

心を落ち着けて自分の出す音にじっくり耳を傾ける事がとても大切です。


平成23年4月21日(木)声部の違い

4月も半ばを過ぎたというのに、今年はいつまでも寒いですね。

新学期が始まり新しい生活に慣れた人も多いと思います。

私は、まだ、大学生の生徒達の名前と顔が一致しません。

さて、先日ポリフォニーの事について書きましたが、今日はそれを具体的にどのように練習すればよいかを書いてみます。

複数の声部を持っていることがポリフォニーですが、そのどれもが全てお団子状態に固まってしまい、声部が入り混じってグチャグチャになってしまっては、ポリフォニックに聴いていないということになってしまいます。

私は生徒達に各声部の弾き分け練習を毎日やらせています。
又、上声と下声を弾いて真ん中を歌ってみるとよくわかるのですが、他の声部につられてしまいよく歌えないことが多いです。

それがすんなり出来るようになれば、きっとどの声部も耳に聴こえてくるようになります。

私が高校生の頃は、五線紙に1声部ずつ書き写してスコアみたいに見れるよう書いてみる事を先生から勧められました。

子ども達に説明する時は3匹のワンちゃんで説明すると子ども達は喜びます。
「えさを夢中で食べているワンちゃん、おもちゃであそぶワンちゃん、お昼ねしているワンちゃん、その3匹の面倒を同時に見なくてはいけないの。ちょっと目を離した隙に逃げてしまってはいけない。自分の視野の中にいつでも入れておいていつだって面倒が見れている状態にしていなくてはならないのよ」。と言います。

テーマを主に響かせるという事ばかりに頭がいってしまい、他の2声はどうなったのかしらという聴き方ではいけません。
主役も大事だけど、脇役はもっと大事、上手に脇役が弾けていると主役は更に輝きを増すのです。

1人1人人間の持つ声の質が違うように、表さなければいけませんし、それをもちろん、楽器の違いで表現する事も出来ます。

又、バッハなどは、小指を押さえておいて中声部を弾くとか、中声部をおいたままで、上声部を切るとか、沢山アーティキュレーションも守らなければいけないことが山のようにあります。

バッハを聴けば、その人の力がわかるので、とても大切です。


平成23年4月17日(日)知識と実践が伴ってこそ

5月15日に弾きあい会に参加する生徒達は4曲とも、もう暗譜で弾いている子が殆どになってきました。

新しい生徒さん達も、ものすごく張り切っていて嬉しく思っています。

私がよくレッスン中使う言葉について、生徒達が理解して自分の言葉で、説明出来るかどうかたずねて見ることがあります。

まず、ポリフォニーという言葉。
それは、バッハのフーガのような複数の声部を持つ音楽のことを意味します。

多声音楽という事になりますが、結構説明できた人達は少なかったです。
私がレッスンで教えたら、毎回復唱させて、説明させてみる事をしなければ、いけないのだなあ、わかっているようで、本当にはわかっていないわけだから、何度もピアノの練習と同じで繰り返して言わせるようにしてみなければ確実に身につかないのだなあ、と改めて強く感じました。

教える方は何度ももう言ってあるから、あまりにもしつこく言うのはうるさいと思うだろうなと思っているのですが、やはり、うるさいほどしつこく言ってやっと少し理解してくれるのが、学習の道のりなんだなあとつくづく感じます。

どの子ども達を見ていても学習するという事はなかなか身につかない恐ろしく時間がかかる事なのだという事がわかり、私を育てて下さった、両親を始め、ピアノの先生、学校の先生には感謝してもし尽くせません。

私達は、幼い頃から、他人に迷惑をかけないように生きなさい、と教わった人が多いと思います。
私もその一人です。しかし、ある方がおっしゃっておられたのは、「では、あなたは誰にも迷惑をかけないで、今まで生きてこられましたか?」とある人に質問したそうです。

すると、「はい」とは言えない。だから、沢山周りに迷惑をかけながら、育つのが人間なのだから、反対に他人からかけられる迷惑も嫌がってはいけない、喜んで受けなければならないと諭したそうです。そうだなあとつくづく思いました。

ポリフォニー以外も、アゴーギク、ルバート、などもよく使う言葉なので、しっかり、自分の頭で理解しておくと良いです。

又、今回バロック、クラシック、ロマン、近・現代の4つのスタイルの違いについても説明してみて、と言うとこれは、どの子も結構理解出来ているようでした。

しかし、それは、実際演奏をする時にどのような響きになるのか、アゴーギクはどのようにとるのか、ペダルの使い方は、タッチはどのようになるか実践出来ないと、知っていても何もならないということになってしまいます。

知識は実践が伴って応用がきいて、初めて意味を持ちます。

外国語の習得と同じで、一つ一つの単語の意味はわかっても、実際相手が何をいわんとしているのかが理解でき、相手とコミュニケーションがとれるまで、話せなければ、意味がないのと同じことです。

知識があっても実践できるとは限らない。知識と実践が伴うようにレッスンしていきたいです。


平成23年4月12日(火)新学期が始まって

4月が始まって、もう10日間も過ぎました。

新学期が始まり、新しい生徒さんが入ってきたり、卒業して大学へ進学したり、社会人として、もう立派に就職活動を始めている生徒達からのお便りなどを見ると、さすがに春が来たなあという感じです。

今日は明和高校で、高校2年生達のレッスンがありました。本当に良く頑張っています。

PTNAの弾きあい会が5月15日にあり、それまでに暗譜をするという事を目標に全員頑張っています。
例年に比べて、時期が早いので、ちょっと、可哀相な気もしていますが、なるべく早く曲を仕上げるという事もとても大切な事ですので、出来るだけ頑張ってみて下さい。

自分の持てる力全てを出し切る事、最善を尽くすという事が大事ですので、最善を尽くしてもどうしても間に合わないという場合は仕方がありません。

しかし、ここ1ヶ月は地震の事で振り回された気がします。

東海地震は一体いつ来るのだろうか・・・・・・。東海にもあのような大地震が起こったら、それこそ日本沈没です。

助ける人もいなくなってしまう・・・・・・・。本当に不安です。

毎日毎日を一生懸命生きること、そして、最善を尽くす事、それしかありませんが、何だか落ちつきません。
毎日を普通に暮らしている事が何か奇跡のように思える日々です。


平成23年4月4日(月)ピアノのレッスンはものすごく大きな力

4月になり、学生さん達は入学式や始業式で、新しい生活に胸をふくらませている事と思います。
PTNAの弾き合い会が5月15日にあるので、早い子は、もう4曲とも暗譜でスラスラと弾いてくる子も出てきて、門下生コンサートが終わったばかりなのによく頑張っているなあと感心しています。

そういえば、門下生コンサートを聴きに来て下さった外部の方達から、ピアノも美しい演奏だけれども、皆さんがとても優しくて心も綺麗なのだという事がよくわかった、と生徒達を誉めてくださる方が多く本当に嬉しく思っています。

ピアノだけでなく、心も学べるのが、ピアノレッスンの素晴らしいところです。

会社に入る若い人達が、社会人になってから、わざわざ、マナーを教育されるという事をよく聞きます。

ピアノのレッスンを受けている人は、小さい頃から、社会人になった時にどこに出ても恥ずかしくない立派なマナーを身につけた大人になれるので、一石二鳥だなあ、とつくづく感じました。

ピアノのレッスンは衣・食・住のうちに入らないことなので、一般的にそういうものは、必要ないと思われる方々も多いかと思います。
が、私はものすごく大きな力になれると信じています。

1対1で、その子の持っている性格をまるごと受け入れてもらえて、手取り足取り教育してもらえる世界なんて、ピアノレッスン以外では、あまり見かけません。

レッスンでやりとりされる、先生と生徒との会話、演奏に対する心構え・・・・全ての面で、その子の人格をガラッと大きく変えてしまうほどの影響力があり、常に新しい自分を発見できてすごく強い力がもらえます。

躾「しつけ」という字は身のこなしが美しいと書きますが、身体を使って何かをする事は、どんどん自分を大きく変えていく事でもあります。

身のこなしを美しく変えていくと、全て人生も変わるのです。

だから、躾は、幼い頃からしっかり教育されると、自然に身に着きますね。
マナーが美しい事は、相手が喜んでくれるもととなるので、自分1人だけでは生きれないからこそ、ものすごく大切です。

私のクラスの全ての生徒達がとても礼儀正しいこと、もう一つは、普通先生が同じだと、皆均一化された、同じ演奏になってしまうのをよく聴くけれど、皆1人1人が個性豊かで、演奏が全く違いますね、と驚かれます。

生徒達1人1人をクローン化しない事は、私の方針でもあり、出来上がった演奏は、全員、音色も弾き方も解釈も皆違います。

その子独自が、ピアノを弾きたい!!ピアノで歌いたい!!そういう強い気持ちが自分から湧き上がってくる事が一番大切です。

私は、私らしくあるのが一番自然だから、生徒達1人1人もその子らしくあるのが一番自然なはずです。

無理に違う方向へ、引っ張っていかない事が大切で、その子が進みたいと思っている方向へ、一緒にくっ付いていって泳いであげる感じかな、と思っています。

時々、全く違う方向に進もうとした時は急いで追いかけていって、こっちだよーと背中を押してあげる。
それまでは、多少ずれていても、私は後ろからその子が一生懸命足をバタつかせながら泳いでいるのを、遠くから見ています。
時々溺れそうになったり、水を飲み込んだりしても気にしません。

しかし、完全に溺れてしまって、見えなくなってしまったら、さっと泳いでいって助ける・・・・・。その繰り返しです。

何に関しても、その子が進みたい方向へ、まっすぐ、自然に成長させるのが良いと思っています。

そうやって、自然に逆らわないで、流れる水の方向へ泳いでいけば、何も難しいことはないからです。
自然を勝手に操ることは出来ません。

人間も自然の一部だから、人の心は、なおさら勝手に動かす事は出来ません。
物事が悪い方向へ行く時は必ずどこかで、その子に合っていない不自然な無理な事をしている証拠だと私は考えるからです。