平成22年9月30日(木)大嫌いだった体育

秋は学校行事が多いですね。運動会、キャンプ、修学旅行、学芸会など・・・・・・・・。

つい、この前も合唱の伴奏を練習しているのでとレッスンで弾いてくれた生徒がおりました。
今の子は合唱1つとっても、すごく熱心ですね。
私の時代も勿論ありましたが、私はこの合唱の伴奏は気乗りしないまま、毎年引き受けていた想い出があります。

一番の理由は、他にやらなければならないことが沢山あったためです。、そういった練習は大抵、放課後にあり、自分のちゃんとしたピアノの練習時間をさかれてしまうこと、早く家に帰ってピアノ弾かなくちゃいけないのに、といつもやることが山のようにあって気が気でなく、正直言って、そういうものはあまり引き受けたくありませんでした。

又、演奏会やコンクール、レッスンなどピアノのことでかなり欠席日数も多く、私が抜ける事が多く、クラスの皆に迷惑をかけてしまうのがいや、というのもありましたが・・・・・・・。
しかし、それでもなお、私が顔をかくしても姿をくらましても、私に相談もなくピアノは決まって、「岩野さん、頼んだよ」と、先生から一言いわれて、あー、困ったな、と正直言って思ってしまうのが私の小学、中学時代でした。

それに比べると、今は合唱の伴奏に選ばれた、選ばれないとかで大騒動になるようで大変ですね。私は時間を拘束されるので選ばれたくない、でしたが・・・・・・。
何もかもが競争になって、学生時代はそれが辛いですね。

私がやはり、学校で一番辛い思いをしたのが、体育の授業です。
1クラス45名のクラスの中で体育の出来ない子はすごく少ないのですね。
逆上がりでも出来ない子は私ぐらい。
出来ないのを皆が見ている前で出来るまでやらされるのは本当に辛かったです。

大人になって、普段の生活で逆上がりする機会なんて1度もありませんから、それが出来なくても何も困らないのに、その時は鬼の形相で逆上がりが出来ないのはどうしてか?なーんてことで悩みました。

今、思い出すと本当にバカらしくてちょっと笑えますが・・・・・・・・。

跳び箱も、逆立ちも、バレーボールやドッチボールなどの球技なども全然ダメ。
皆が出来る簡単な事が私にはすごく難しい。
私だけが出来ない悔しさで一杯だった、小・中学時代、家に帰ると泣いて、母に訴えることがたびたびでした。

母が「お母さんも全然、体育は出来なかったよ。お父さんも苦手だし、めぐみが出来るわけないよ」。
と笑って背中をさすって慰めてくれていた事を思い出します。

屈辱感をいやというほど味わった小・中学時代、一転して桐朋の音楽高校にいったら、そこでも私は1番体育が出来ないほうでしたが、それでも、高校の3年間、全て、体育の成績は一番良いAがついたのですから、つくづく成績というものもいい加減なものだなと思っています。

何も出来ないのに、Aを出してくれる体育の先生はどう思ってAをつけて下さったのかな、と、不思議になりますが、音楽をやっていれば、当然遊んだりしていないから、体育が出来ないのは当たり前と分かって下さっていたのだろうと思います。

そんないい加減な、でも私にとってはすごく嬉しかった、その体育の成績のように、子どもの時はあんなバカらしい事で夜も眠れないほど悩んだりして、と、つくづく思います。
たいてい悩みなんていうのは、振り返るとおかしいものばかりで、本当に笑えます。

他人の悩みはすごくバカバカしく聞こえるけれど、悩みに直面している当人は真剣で、ものすごい苦しみですからね。
他人が聞けば、他愛のない事ばかりなので、あまり悩み相談も他人には出来ませんね。

しかし、後になれば、あんな事で悩んだりして・・・・とバカらしくて、笑えるものばかりですから、毎日何も悩まず、楽しく過ごすことが一番ですね。


平成22年9月23日(木)音楽から流れ出る空気や香り

先日、高校2年生の生徒がショパンのバルカローレを持ってレッスンに来ました。

この曲は私が第一回目の浜松国際コンクールを受けた際に第一次予選で弾いた懐かしい曲で、彼女が弾くたびに想い出がよみがえります。
その当時大学2年生だった私は、事前に浜松でリサイタルを開くチャンスに恵まれて、準備をすすめていました。

バルカローレは、ショパンの作品の中で最も美しく、私の好きな曲の1つですが、トリルや3度、6度などの重音やオクターブ、和音も多く、それでいて、なめらかにやわらかく、非常に弾きにくい曲としても知られています。又ショパンの晩年の作品として音楽的に寂寥感漂う雰囲気を出さなければならず、そういう面でも難曲です。


「弾きにくい部分は、練習によって、なるべく弾けるようにするにはどうするかを考えるのも大切だけど、そればかりに気をとられて大切なこのショパンの美しさを損なわないようにしないとね」。
と話して先日訪れたポーランドのお話をして聞かせました。

ショパンが生まれたジェラゾヴァ・ヴォラの村の様子、ワルシャワ旧市街の戦災の話、最後はパリで亡くなったけど、いつでも魂はポーランドにあり、祖国のことを忘れなかったのではないかしら?・・・・・・・・などなど。
ポーランド語を話すときの彼は生き生きして生き返ったようになった、というエピソードも残っています。母国語は誰にとっても本当に大切です。
←ショパンが15歳のとき、日曜日のミサでパイプオルガンを弾いていたヴィズィテク教会。

  ワルシャワの旧市街の中でも唯一戦火を逃れたそう。






「自分の国にいたくてもいられなかったショパンの気持ちを考えてごらん、最後、異国の土地でだれにも見守られず過ごさなければならなかったショパンの気持ちを考えると本当に辛いよね。音が消えていく時にショパンの複雑な気持ちが沢山詰まってる。言葉では表現できないニュアンスが・・・・・・。ピアノの音が決してふくらまないところを最大限生かして作曲しているのがショパンだけど音が消えていくときや、1つのフレーズが終わり、次のフレーズをはじめる前の間の取り方や、休符の1つ1つに、ジェラゾヴァ・ヴォラ村の風や、闇や、光、空の色を感じながら弾いてみるの」。
うーん、言葉で表現するのは本当に難しい!!

私がワルシャワ滞在中泊まったノヴォテル・ワルシャワ・ツェントルム。
ワルシャワの街並みは近代化された大都会に生まれ変わり、びっくり。
今、ショパンが生きていたら、驚くでしょうね。
エレベーターもカードをはさまないと動かないような最新式で乗るたびにまごまごしていました。
近代化された今のワルシャワならショパンの音楽は生まれなかったかも・・・・・・・・。

ドイツの方へ行くと下の方に分厚い雲がもやっていて、灰色の雲がなんともいえない空の色になっているのだけど、正にブラームスの音楽が流れていると思うし、1つの音を作る時に、そういう世界を体験しているのとしていないのとでは音作りも全く変わってきます。
弾けないところは毎日努力が必要ですが、それ以上にその音楽から、流れ出る空気や香りを感じとることはそれ以上に大切です。案外、弾きにくいところはそうすることで気にならなくなったりもするからです。高校生になり、より上手くなりたいという意欲が出てきた彼女なりのバルカローレ、深みを増して演奏できることを願っています。


平成22年9月20日(月)ペダルの使い方

先日、小学1年生の生徒が「ペダルはふんだことがないので、使い方を教えて下さい」。とレッスンノートに書いてありました。

音を弾いて少し遅れて踏み、次の音がきたらすぐあげて又すぐ踏む、という基本を一応説明しました。

ペダルを踏む時に手と足が一緒になってしまう人を多く見かけます。
手が上がっても、足は踏んだまま、足が上がった時に、手はキイを押さえている、という逆の動きが身体の中になかなかしみこみにくいようです。

私がペダルを使い始めたのは、5歳の幼稚園の時。

初めて受けたPTNAのA級の課題曲に矢代秋雄さん作曲の「おすまし」という曲や、シューマンのユーゲントアルバムの中の「メロディ」などにペダルを使うところが沢山ありました。

それまでにも、ペダルを踏むとそれまでになかった色合いのある夢のような響きに心を奪われてペダルを踏んで遊んでばかりいました。

毎晩寝る時に母がつけてくれた、シューマンのユーゲントアルバムのレコードが幼稚園の時の一番のお気に入りでした。

夜、真っ暗闇の中で、ステレオの赤いランプや黄緑色の光が幻のように浮かび、レコードの音だけが、静かに響きます。
みんな眠ってしまったけど、私だけが、最後まで聴いてしまわないと落ちついて眠れなかったのをよく覚えています。
何だか、1人ぼっちで暗くて淋しい、でも未知の世界に初めて足を踏み入れるときのようなワクワクする、そんな時間でした。

必ず、「メロディ」から始まるのですが、その後の「兵士の行進」や「はなうた」「コラール」など、今までに聴いたことのないような静かで、まろやかなロマンあふれる世界に5歳の私はすっかり夢中になってしまいました。

それが、シューマンの音楽との初めての出会いです。

シューマンの音楽の持つ懐かしくて優しく、暖かい感じや、生きていくうえでの辛さや哀しみなど、何かすごく孤独な気持ちになるのだけど、今思えばそういうところに惹かれたのでしょうね。

そして、「メロディ」の静かに賛美歌を歌うような響きが出ているのは、なぜなんだろう、その響きに近づきたいと思いペダルを踏み始めたのがきっかけです。

親からも、先生からも「踏み方」というのはまるで教わらず、独学で、自分勝手に踏み始めました。

とにかく、レコードと同じ響きがほしい、と強く願ってペダルをいじくりまわして、メチャクチャでも何でも踏んでいたら、自然にわかるようになるものです。

私の体験からいって、一番良いのは、今の子なら、CDの良いのを沢山聴いて、その響きをまねしてみたいと思う事、そこから、ペダルを踏んでいくのが1番手っ取り早く、上手に踏んでいけるコツだと思います。

「はい、そこ踏んで、はい、上げてーあっ、にごったーさっとあげてー」といちいち口で説明しなければならない踏み方は1番効率が悪くなかなか上達しません。

そういう踏み方は、本人の頭の中ではどんな響きがにごっているか、にごっていないか聴き取れていない、又こんな響きにしたいというイメージ不足から起きることなのです。
ただ、言われるままに機械的に足を下げたり上げたりするだけになってしまうのが1番よくありません。


ペダルの踏み方は大まかなことはある程度教わる事はできますが、ピアノを演奏する場所によっても踏み方は変わるのです。

教えてもらったとおりに踏んでも、その時々で臨機応変に変えなくてはなりません。

ゆっくり練習の時と早いテンポ練習の時とでも全く違います。
音を全て吸われてしまうような部屋なら、ペダルがすごくほしいと思いますし、ヨーロッパの教会の中のように、どの音も残響の余韻が美しく素晴らしいところなら、全くペダルなんて必要なかったりもします。

そこで、いつでも頼りになるのが、そういう響きを区別できるように育っている、素晴らしい自分の耳になってくるのです。

「よく耳で聴きながら、自分のイメージを頼りに踏んでいる」というやり方が一番良いのです。

私は小さい頃ものすごく沢山のレコードを買って聴かせてもらっていましたが、それがやはり良かったんだなぁ、と体験上思っています。

ペダル1つとっても、音楽をやるのにソルフェージュ力、良い「耳」が育っているかどうかが1番の決め手となるのが、充分おわかり頂けたと思います。


平成22年9月16日(木) 悩みは自分自身の甘えからくるもの(その2)

それまで夢を見ていたような感じから、より現実に向き合う時が来たという事で、自分の事をしっかり見つめなくてはならない大人の入り口に立った、という事でもあるのですが、生徒たち1人1人を小さい頃からずっと見ていると、身体だけでなく心も成長しているのが手に取るように分かります。

悩むという事は、他の事が一切手につかなくなる状態です。
ピアノの練習がしたくない時、上手く行かない時、つい人間は怠けるという方向に進んでいきます。
そういう自分が嫌になって又、悩み、貴重な時間を無駄に過ごしてしまいます。

そこで一生懸命ピアノを習っている皆さんへ私からのアドバイスです。
悩みそうだと思えば、とにかくまず、ピアノに向かって弾いてみると解決します。

ここもあそこも弾きにくいところが際限なくあっても、とにかく弾き続けるのです。
悩みは自分の甘えた心から出ると思えば、いつでもそんなに悩まず、前に向かって進んでいけます。

そうやって一切暗い事を考えずに弾き続けていると弾けなくても頭の中でより素晴らしい音楽の世界が見えるようになって、気が付くと知らない間に一段高いレベルへと成長して行けるんですよ。
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先日、今年のPTNAのE級で銅賞を頂いた中学2年生の生徒がコンクールのDVDをもってきてくれたので、早速見ました。
動画ではシューベルトだけですが、他の3曲も全部聴けました。シューベルトも名演奏ですが、
バッハ、ハイドン、プーランクも言葉では言い表せないほどの美しさで演奏しています。
中学2年生で、こんなに芸術的な演奏が出来るなんて本当に素晴らしいし、他の生徒さんにも是非沢山の方に聴いて頂きたいなぁとつくづく思いました。
興味のある方は見せて頂くといいですね。
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ジェラゾヴァ・ヴォラのショパンの生家の裏庭で。
ショパンの背中が憂愁を語ります。
どの表情も悩み多そうな顔しているなあ。
大きな業績を残した人は人並み以上に苦労が多いですね・・・・・・。異国の地で亡くなるのは本当に辛かったでしょうね。
最後の時くらいは、故郷のポーランドに戻ってきたかっただろうと思うと心が痛みます。
周りに一面の自然が広がり、鳥の鳴き声しか聴こえない静かな場所で、近くには美しい川も流れています。
何時間でもここで過ごしたいと思えるほど、落ちつける広大な庭が広がっています。


平成22年9月15日(水)悩みは自分自身の甘えからくるもの(その1)

明和のレッスンを終えて外へ出ると少し薄暗くなっていて少しずつ日が短くなって秋に近付いてきたなあと感じました。

毎日、生徒達のピアノレッスンをしているとその年齢年齢で悩みはつきないなぁ!、という事がよくわかります。

小学校低学年ぐらいは、まだ足が届かないし、手も小さくて思うように音が出ない、指先に意識といわれても音を出すことで精一杯です。

高学年になれば、大きくなってだいぶ楽になっているはずなのに曲が少しずつ難しくなってきます。
その年齢までに音楽性の部分が抜け落ちたまま練習を続けていると、指だけ回している感じになっていたり・・・・・・・・。

中学生になれば、勉強とピアノの両立で忙しく、練習時間も思うようにとれない。

高校生になればなったで、今まで弾いてきた曲とは全く違い、まずきちんと弾くことだけでも相当な時間を要し、時間をかけても弾けない部分が、ここもあそこも際限なく出てきて手に負えそうもない・・・・・・・・。そういう時代ですね。

高校生にもなれば自分に責任を持つようになってきますので、こんなに弾けないのにいつまでもこんな事をしていていいのだろうか?

自分は本当にピアノに向いているのか?などと疑問が次から次とわいてきて、自分に自信がなくなっていく時期でもありますね。

ジェラゾヴァ・ヴォラのショパンの生家の窓にはショパンの自筆で、「別れの曲」のメロディが描かれていました。

窓の外は、清涼な空気と美しい自然が・・・・・・・。ショパンの音楽そのもの。





         明日へ続く


平成22年9月13日(月) 目に見えない世界を見えるようにするのが音楽(その2)

昨日の続きから

楽譜にはごくごくわずかな情報しか書かれていません。
しかし、聴こうとする人にはわかるのです。

音楽の持つ「心」が又、見えるのです。

私が、例えば、ここは神様が近づいてくるみたいに・・・。というと、どんな小さな子どもでもわかるのですね。

神様なんてどこにいるのか、見たこともないのだけれど、確実にそこに神様が現れたようなそういう音を出しますね。
ここはお祈りしている感じ・・・。とか、天国の中で、天使が歌っているみたいにとか、言葉ではなくて、演奏によって
そういう情景を聴き手に見えるように見せてあげること、見えない世界を見えるようにすること、それが大切です。

そこまで到達させた音楽の世界に仕上げるのでものすごく細かいレッスンが必要になって来ます。

初めて 出演される生徒さん達は、1曲を仕上げるには、これほど大変な事なのか、血と涙と汗の結晶なんだなぁという事が、
きっと身にしみて判ってくれるだろうと思っています。

終わり


平成22年9月12日(日) 目に見えない世界を見えるようにするのが音楽(その1)

9月に入って少し涼しくなった時もあったのに又、今日は暑さがぶり返したようです。

殆どの生徒達は、平成23年3月19日の門下生コンサートの曲が決定して少しずつ曲を研究しているところです。

新しい生徒さん達は、まだステージの本番を迎えるまでにどのくらい準備期間が必要かが、よく分からないと思うので大体の流れを説明しています。

大体個人差はありますが、3ヶ月ぐらいで殆どの生徒は暗譜そしてステージで弾いても変でないくらいに弾けるようになります。しかし、それはただ弾いたというだけ。内面的にはまだまだ研究が必要です。

クラシックの音楽というのは規則が実に沢山あって音符の長さはこのくらいとか、アーティキュレーションは、どのようにつけるか、
から始まって16分音符や、トリルなど、細かい弾きにくい部分を違和感なく完璧にひけるようになるまでには相当長い時間がかかります。


その他、ペダルも濁らないように、一つ一つバランスをとりながら弾いていかなければなりませんし、多分新しい生徒さんなら、5分ぐらいの曲を3ヶ月一杯は、絶対にかかりますね。その時点では、やっと技術のみ何とか弾いたというだけですね。さらに音楽的にはまだまだ時間をかけなくてはなりません。

私がいつも日記に書いているように、譜面のとおり弾いた、暗譜した、ハイ、本番では、弾いたうちに入りません。
美しい芸術の世界には達していないという事です。譜面のとおり弾くだけでも大変な事ですが、弾くだけなら誰でも弾けます。
そうでなくて私が、生徒達に求めるのは「音楽」。

明日へ続く

ショパンの心臓が眠るワルシャワの聖十字架教会のイエスさま。あちこちの教会に描かれているイエスさまとマリアさまの絵を見るのが大好きです。音のイメージもふくらみます。


平成22年9月5日(日) ムーシケコンクール審査で四日市市へ

昨日、今日とムーシケコンクールの審査のため四日市市へ行きました。

四日市市は、私が中学3年まで過ごしたふるさとですが、今は、コンクールの審査や、アドバイスレッスン等
お仕事でしか行けなくなってしまい、どんな風に変わっているかワクワクして出かけて行きました。

それにしてもこの暑さは、一体いつまで続くのでしょうか?
つい先日行ったポーランドなど、もう最高気温が16℃とかなのに。
日本がこのまま毎年気温が上がり続けたら、住めなくなって皆、ヨーロッパに移住しないといけないなんて時代が来なければいいなぁと、
願っています。

さて、この暑い中、今年も沢山のムーシケコンクールの参加者の皆さんが、頑張ってくれたと思います。
今年で第22回目のコンクールですが、大変長い間続き、今も尚参加者が増えて昨日は客席も満席、大盛況で熱気あふれていました。

以前に比べ指導者の方々が、本当によく教えて下さっていて素晴らしく、あまり変な演奏を聴かなくなったね、と、他の先生方はおっしゃっていました。又このコンクールのよさは、大変長くステージで演奏させて頂けるということ。他のコンクールならソナタを弾けば絶対再現部でカットされるようなところも、全部弾かせてもらえますから、力がつきますね。

以前私の生徒で幼い頃このコンクールに参加させた生徒がおり、「覚えているわ」と、皆さんおっしゃって下さいました。

コンクールのように沢山の参加者の中でも本当に心に残る演奏はいつまでも私達の胸に残りますね。

四日市市や、桑名、鈴鹿の方々の参加者が多いですが、鳥羽や、尾鷲からいらっしゃった参加者のかたも見えました。

私が2日間、家をあけている間に今年の全日本学生音楽コンクールに参加した門下生の小学6年生の生徒と、高校2年生の生徒が予選を通過したとよろこびのTELがありました。

やはり学生音コンは、全国の中で、最も難しくハイレベルなコンクールなので大変だったと思います。
よく頑張りましたね。

何かと慌しい毎日ですが、様々な人達との出会いが楽しみです。
四日市市の第一楽器のスタッフの皆さん、大変親切にして頂き有難うございました。