平成22年7月31日(土) 指先の意識(その2)

今日で7月も最後の日がやってきました。

夏期講習を受けに行った生徒やイタリア行きの生徒達が、今週から来週にかけて戻ってきます。
どのようなお話が聞けるかとても楽しみです。

昨日の続き (指先の意識)(その2)

初心者の方はピアノはどんなに弱音でも指を下まで下ろさなくてはいけないのに音は、上がる、昇華していく、という意味がなかなか分かりづらいようです。

そこで私は生徒達によくこういいます。
「音がなると、教会の上に登っていき白い雲が浮かんでいる青い空を抜けて、それ以上高いところへ上昇していく感じなの。」

音そのものが開放感と透明感に満たされるようになれば、結果的に指先の意識も感じられると思います。

音楽は空中に浮かぶようなのですが、タッチは浮つかない事が、ポイントです。

タッチが浮つくと気のない音になってしまうからです。


平成22年7月30日(金) 指先の意識(その1)

以前にも日記に何度も書きましたが又、書きます。

指先の意識がなくて鍵盤を深く下まで下ろさないで弾くと、薄っぺらい、何ともしらけた浅はかな音が出ます。
ピアノを弾くには勿論気持ちが大切なのですが、その気持ちを、指の先まできちんと一つ一つ伝えていかなければその音楽が持っている美しさを伝える事は出来ません。

言葉でもそうです。
胸のうちで思っているだけで口に出さなければ、相手に伝わりません。

この点については、私は普段特に気をつけています。
その言葉が相手にとって嬉しく気持ちがよくなる言葉なら積極的に使うようにします。

反対に外部から聞いてきた悪口などは、(最もそのようなことを私に話す人は、周りに誰もいませんが)
私の胸に収めて絶対相手が不快に思う言葉は使いません。

聞いていて嬉しい言葉は、相手が喜ぶのは勿論何より自分の気持ちが朗らかになるからです。

ピアノの音も、美しい音と、汚い音、間が抜けた気のない音とか色々あって、毎日お話する言葉と、同じと考えています。

美しい音を出せば、自分も相手も心地よいから、練習の時は、厳重に注意深く音色を吟味しながら弾いていきます。

たいてい私の所に来て間がない生徒さんの多くは、何も考えずに第一音を弾こうとしますね。
無造作にパッと出してしまいます。

私には、いつも理想の音というのが頭の中ではっきり描かれています。
その音とは、やはり、音楽の原点である「うた」人間の声です。
それも、がなりたてて叫んでいる歌とは違って必ず背景には、ヨーロッパの教会が思い浮かびます。

その中でアカペラで歌う聖歌隊のような開放感と透明感あふれる歌声がいつも究極の理想です。


明日へ続く


平成22年7月24日(土) 夏休みの夏期講習(その2)

夏休み夏期講習を受けに行く生徒達もいます。

昨日高校生から、新しい先生とお話しするタイミングはいつがいいでしょうか?と、いう質問を受けたのですが、
それはレッスンの始まる前が一番よいですね。


生徒がくれた、暑中見舞いのカード。
涼しそう!!






そして質問があれば、具体的に紙にメモをしておくなどしてお話しする事をはっきりまとめておくとよいです。
「一体、この人は何が言いたいのだろうか?」特に初対面の先生とではチンプンカンプンになりやすいので、

「私は、今位の演奏でこの大学には入れるのか?もしこの大学に入ったらその付きたい先生がとって下さるのかどうか」等
箇条書きにしておいてはっきり聞くことです。(この件に付いては、レッスンが終わってからお聞きするとよいですね)

そして受動的にレッスンを受けに行くだけというのではなく、あくまでも能動的に目的意識を持って参加して欲しいです。
目的意識がなく、コンクールでも講習会でもただ受けに行くだけなら、ただの時間の無駄になってしまいます。

私はこれまでに数え切れないほどの生徒を教えてきましたが、意欲的な生徒は必ず伸びますね。
それも「がんばります」という言葉だけではダメ、それに伴う努力が必要です。

「不言実行」という言葉通り、言葉はなくてもレッスンの度に練習の成果が現れていればちゃんと先生には伝わります。


平成22年7月23日(金) イタリアで演奏する生徒達(その1)

毎日暑い日が続いています。
こんなに暑いとつくづく涼しい夏のヨーロッパへ出かけたくなりますが、ヨーロッパの方もある都市では36℃を記録する猛暑日になっているとか。

ところで私の生徒達も来週から小学4年生、中学2年生、高校1年生の3人がイタリアへ出発します。


私がウィーン留学時代に訪れた
1998年の頃のイタリア・ミラノドゥオーモの前で。
懐かしいな・・・・・・・・・・・。









イタリアの国際フェスティバルに日本代表としてピアノを演奏するためですが、日本では味わえない、あのヨーロッパの空間を感じられる音の響きと、熱気あふれる聴衆達を前にして自由にのびのびと最高の演奏を届けてきてください。
中学2年生の子も高校1年生の子も帰国後は休む間もなくPTNAの本選に突入ですので、くれぐれも身体に気をつけて
無事に帰ってきてくださいね。

高校1年生の生徒は、学校の試験曲やPTNAの課題曲、イタリアで演奏する曲の練習など、あわただしかったでしょうが、
1つ1つ、目の前にある事をこなして立派なものです。

彼女のレッスンノートにはコンクールの様子がつづられ、”イタリアから帰れば今、これを練習していますので一段落したらレッスンをお願いします”と
書いてありました。

彼女の素晴らしいところはその計画性です。

学校の試験は何日だからそれまでに完璧に弾かなければいけない、コンクールも、イタリアで弾く曲も準備が素晴らしく、ぎりぎりにならないとやらない
タイプと違い、本当に練習の仕方が上手いので感心します。
そうしてきてくれると、1から10まで手とり足とりしなくてすみますし、教える方もものすごく要領よく、レッスンできて喜びもひとしおです。

高校1年生にして自立心の強さといったら目を見張るものがあり、イタリアから帰国すれば、又、格段に1回りも2回りも大きくたくましくなってきてくれるだろうなぁと楽しみにしています。

イタリアに行く3人は最高の演奏をしています。

きっと現地のイタリア人の心をつかむ演奏をして来てくれると思います。イタリアで演奏した、音の響きや、空気を存分に持ち帰ってPTNAの本選に望んでください。

明日へ続く


平成22年7月19日(月)祭日 PTNAの予選に参加した生徒達

PTNAの予選に参加した私の生徒達は今日が最終日でした。 

今日は  F級=1名  C級=1名  B級=2名 予選通過しました。
皆さんおめでとう! そしておつかれさま。

皆子ども1人1人から電話が入ります。
中には私と電話で話すのがはじめてという生徒も段々となれて「○○です。受かりました。有難うございました。」
という言葉を言えるようになってきています。

ピアノを学ぶ以外にも言葉づかいやマナーまで私の生徒たちは本当に素晴らしいと、それを私は誇りに思っています。
私の生徒達はその全てが私の子供です。

本当に可愛いです。沢山の子ども達に囲まれて幸せです。


平成22年7月18日(日) 幸せになれる音楽の大きな力

今日もPTNA予選の本番で  F級(1名)(F級はお昼過ぎに電話がありましたが) C級(2名) 通過の電話が夜、遅くにありました。
明日、学校がお休みだから良いけれど、本当にこの暑い時期に遅くまで生徒さんや保護者の方々ご苦労さまでした。

明日で門下の生徒さん達の予選は終わりです。
予選最終日も皆さん、頑張って下さい。

夏休みが近づくと、新しく入ってこられる生徒さんが次々と体験レッスンにいらっしゃるので私の方はまだまだ夏休み気分にはなれません。

しかし、新しく入りたいといって体験レッスンを受けられる生徒さんとお母様が私のレッスンを聴いて目をキラキラ輝かせて喜び一杯に感動して帰って下さるのを見ると、疲れも吹き飛びます。

音楽って本当に人を幸せにする力があるんだなぁと改めて感じます。

私の所に来てすごく長く通っている生徒も、まだ新しい子も、体験レッスンを受けた子も、レッスン終了後は本当にいい顔をしています。

先日入られた小学3年生の子なんて、子どもさん自ら、どうしても私のところに通いたい、と熱い願いを訴えてくれるので、私のほうが、びっくりしました。
ものすごく、根気の要るレッスンなのに、こんな小さな子どもでも何か真っ直ぐな素晴らしい音楽の神秘さに心ひかれるんだなぁ、と感動してしまいました。

皆さんに気持ちよく幸せになってもらうのが私の仕事です。

食べ物の栄養があっても心が満たされなければ生きていくのが辛くなる。

しかし、心が満たされると精神が生き生きして充実感が持てるようになります。
私はそんな生徒達の生き生きした笑顔を見るのが大好きです。

皆さん今後も一緒に気持ちよくなってください!素晴らしい音楽の世界へ行きましょう。


平成22年7月13日(火) どこかで現れる本人のもの

今週末でPTNAの予選も全員終了します。

本選はさらに大変です。
予選を通過した粒ぞろいの演奏がさらに一握りの数に絞られます。

粒ぞろいの演奏が次から次と繰り広げられるその中で1人か2人ピカッと光る演奏に出会えると審査していても本当に嬉しくなってしまいます。
ピカッと光る演奏はどこをとっても不自然な箇所がない演奏です。
それは、曲の中でリタルランドしたり、少しアッチェレランドしたりする、アゴーギクのとり方や、間のとり方等に本人のものが
顕著に現れてきます。

いくら指導者が、念入りに教え込んだとしても、間の取り方や、アゴーギクを教え込むのには、限界があるからです。
弾く本人が、まず、弾き手のテンポ感の中で、生きたアゴーギクを使えなければどうしてもそこで不自然な部分が出てしまい、そんなところで教えられたものか、本人の持っているものかがよく分かってしまいます。

「アーちょっと待って、そこ走らないで・・・タメてーはい、ドンドン先へー」なんてステージの上で一緒にくっついていてやってあげられませんからね。(笑い)

だから、ピアノを弾くということは生きた素晴らしいテンポ感を持つ指揮者と同じだなとつくづく感じます。

自分で弾きながらオーケストラを指揮しているような客観的な自分がそこにいなくてはなりません。
又、フレーズの歌わせ方も、差がつくもとです。

1フレーズをずっと気持ちを続かせて歌って欲しいのに後もう一歩というところで何故か弾き手の気持ちがしぼんでしまったりすると、
それと共に聴き手は一緒に歌えなくなってしまうのでそんな演奏は、やはり、まだ音楽が未熟だということになります。

ピカ一の演奏は、なんといっても本人の高い音楽性の表れなのです。
特に級が高くなれば、本人の力がものすごく大きいですね。

どこもかしこも「あぁ、そこストップ!ちょっと待ってーはい、早くして」なんて一部始終やれませんから・・・・・・・。

本選に向けて不自然ではない音楽作り、誰もが文句なしに納得できる自然な音楽作りを目指してください。


平成22年7月11日(日) 最後の最後までやり遂げる力が大切

PTNAの予選も終わりに近づきました。

昨日、今日と本選へ進出を決めた生徒達から次々と電話が入りました。

B級=1人 C級=3人 D級=1人 F級=1人

その中のC級の生徒は、名古屋支部賞を頂いて、大喜びです。良かったですね。おめでとう!!

通過した生徒達は、私とのレッスンで、ここまで掘り下げないとダメなのかと思っていると思います。
私は生徒達を教える時にここまでぐらいでいいだろう、という風にいい加減にしません。

もしかすると、子ども達にそこまで高レベルの事は必要ないのかもしれません。
しかし、その子の力が本番で50ぐらいしか出せないと思えば、100に引き上げておく。
又、100なら、150、という風にするのが私の方針です。

エレベーターも5人乗りと書いてあっても大抵は10人乗っても大丈夫なように作られているのではないかと思います。
それと同じ様に絶対確実というレベルに引き上げていくのです。

そして結果を確実に出させてあげたい。その子自身が、達成感と喜びを知って欲しいのです。

それは、私にとっても根気がいるし、すごく大変です。

子ども達も私とのレッスンは、すごく疲れるし、大変だと思っているでしょう。

しかし、不思議と皆どの子も真剣に聞いてくれます。
有難いです。今の世の中で、こんなにも真剣に向き合ってくれている生徒達は、私の宝です。


平成22年7月4日(日) (その2) 苦しみから逃げないで

今日もまた、PTNAに参加した生徒達から、次々と喜びの電話がありました。

F級=2人   D級=1人  C級=1人 予選通過です。夜遅くまで本当にご苦労様でした。よく頑張りましたね。

昨日の続きから
これをやるとどうなるか、失敗するかな?とか考えて前にも進めなくなっている状態は一番バカらしい生き方ですね。
そんな風にゴチャゴチャ頭の中で色々考えたり悩んだりしているのは時間を無駄にするだけです。

何を今しなければいけないかを冷静に判断できるとよいですね。

私は、今までに自分には乗り越えられないような大きなことが、前に立ちはだかったら、いつでも失敗したっていいや、それが今の自分の実力なんだからと思って生きてきました。
そして思い切ってハードルを飛び越えると意外と飛び越えられて、なんだ、何ともないや、という感じになるものです。

一番よくないのは、目の前のハードルを飛び越えようか飛び越えまいか迷っている状態。心が定まらない状態はいずれにしても良い結果は生まれません。

何でも結果ばかり気にしていたら何も出来ません。
前に進めなくて怖がっている人には、私はこういいます。
「やってみて失敗するか、しないか、自分の目で確かめてみたら?」と。
失敗したって、しなくたって、それがあなたの人生には何の影響も与えない事なんだよってことを知ってほしいのです。

失敗する事に関しては、何も問題はありませんが、そこで努力をやめてしまう事が、一番その人の生き方に大きな影響を与えてしまうのだよと。

松下幸之助さんの言葉で大好きな言葉があります。
「道を開くためには、まず歩まなければなりません。心を定めて一生懸命歩んでいかないといけないのです。
それがその先、遠い道のように思えても休まず、歩む道からは必ず新たな道が開けてきます。
深い喜びも生まれてきます」。

本当です。
私も体験していますからよく分かっています。

若い人達には、どんな苦しみものりこえられる人になってほしいです。


平成22年7月3日(土)(その1) 苦しみから逃げないで

7月に入りました。

学生さん達にとって嬉しい夏休みが始まります。

期末テストや、実技試験、コンクールや学生さん達もストレスまみれですね。

今日もPTNAに参加した生徒達から、次々と喜びの電話がありました。F級=2人、E級=1人、B級=1人予選通過です。
皆、雨で蒸し暑い中よく頑張りましたね。遠くまで受けに行っているので、身体をこわさないで今日はゆっくり休んでください。

私が学生さん達にいっておきたい事は、試験の結果や、コンクールの結果に一喜一憂するなということです。

私が今の学生さん達を見ていて少し可哀相に思うのは、何でも一番じゃないと幸せになれないと思い込んでいるところかなという気がします。

つい先日も、他のピアノの先生方とお話していて「それはきっと今、何でも欲しいものがすぐ手に入る時代になったのが一番の原因じゃない?」と、話したような事でした。

親も子どもが欲しい、こうしたいと言えばそういう願いは全て殆どかなえてあげられる豊かな時代になったし、子どもの数も少ないから子どものわがままを何でも聞いてあげられます。

しかし、勉強で一番、ピアノで一番は決してお金で買えないし、ものすごく努力しても、手に入るものではありません。
そうすると自分の思い通りにいかないことは全て、イヤになって努力する事を投げ出してしまいます。

私はそういう考えで、もし、ずっといたとすると、一生その人達は幸せになれないと思います。
一番だった人でも他のどこかへ行けば一番とは限りません。

第一、この世に一番なんてあるはずがないからです。
人は本当の意味で誰でも一番にはなれません。
そうではなくて、常に自分のレベルを冷静に見極め、その範囲で目標を持ち、充実感を感じている事が幸せにつながるポイントだと思います。

コンクールでも結果ではなくて、自分の定めた目標に向かって休む事なく毎日コツコツ練習する事に喜びを感じている。
たとえ自分の思い通りにいかなくても、願いがかなわなくても、
今自分がやらなくてはならない事にただ、坦々と文句も言わず歩み続けている、そういう気持ちでいると本当に心から喜びを感じ、幸せな気持ちになれます。

幸せな気持ちになるだけでなく、どんどん素晴らしい道が開かれてくるので不思議です・・・・・・・・・・・・・。

明日へ続く