平成22年6月29日(火) 頑張っている生徒達

先週末はPTNAの予選C級=1人 D級=1人 E級=1人 通過したと喜びの電話がありました。

E級ともなると私の所で小さい頃からピアノ一筋で熱心に励んできた生徒ですので
本人自身がどういう演奏をすれば上手くいくかをもう知っているのでとても安心です。
先々週、又、先週末と続けざまに演奏してきたにもかかわらず、とても立派な演奏が出来ていたようでした。

先週末C級に挑戦した生徒はその日はあまりにも発表が遅くなるので帰られたそうでしたが、
午後の部(Cとデュオと夜間の部)夜間の部(D、E,F,)の中から1人だけ県知事賞を頂いたそうで今日(6/29)賞状が届いたそうです。


弾き合い会でもよく弾いていましたので同年齢の生徒が誉めていたくらいでしたので、当日はそのように上手く弾けたのでしょう。
喜び一杯の様子が伝わって参りました。





今日は又、高校1年生の実技試験でした。
私の生徒達は初めての試験なのに堂々と弾いてくれてすがすがしい気分でした。

1年生はまだ学校に入って間がないので、2通りに別れた演奏をよく見かけます。

1つは弾くのに精一杯でこれまでにただピアノを弾くだけで歌う事を知らないまま来た人、

ピアノを弾くのは譜面の移しかえと考えている人、

もう1つは幼い頃から音感があり、徹底してピアノを弾くのは魂から歌う事だという事を知っている人。

フレーズの始まりやおさめ方、音の切り方、響かせ方に、音楽的センスがあり、どういう演奏が美しいのかを本能的に感じ取れる人に育っているかに分かれていると思いました。


平成22年6月25日(金) 「音を聴く」とは?

今日は高校3年生の実技試験でした。

私の生徒に限って言えば、勿論その子の能力に応じた範囲で、3年間の間に随分成長してくれた事が
とても嬉しかったです。

先日は宮古島でPTNAの審査でしたし、今週、又、来週と学生さん達の演奏を聴く機会が沢山あります。
良い演奏は一言でいって変化に富んだ演奏ですね。

結構高校生ともなると音も出てきますが単にガンガン、ガンガン大きな音で鳴らしているだけとか、沢山の声部の中でどこを聞いているのか分からないようなバランスの悪い演奏だと一本調子で平板に聴こえます。


そんな中で、音楽そのものに命が通い、自然な息吹を感じさせるアゴーギクを持った暖かい歌が聴こえる演奏に出会うとほっとしますね。
なんか、砂漠の中で水に出会えたような嬉しさです。乾いた心がスーッと潤いに満ちて
命が通い始めます。

大きな音を出すのは簡単です。何故なら、あまり「聴く」という事をしなくてもよいからです。
又、逆に弱音は、手首や腕の力が抜けていないと伸びのあるしなやかでソフトな音は出ないのですごく難しいのです。
手首が固いと、音が消えたりた蚊の鳴くような魂のこもらない音になってしまうのです。

「音を聴く」という事は鳴らした音を聞くというより、鳴らない前にひく人の心の中に美しい音、多彩な色合いのイメージが沢山あってこそ、
初めて本当に「聴く」事が、出来るんだと思います。

だからバランスよく弾いている人は音を鳴らす前によく耳を澄ましています。
音が鳴ってから聴いても、もう遅いのです。
もう出てしまっているから変えようがありません。しかし、鳴らしていない前ならその人のイメージでどうにでもなります。
だからこそ、すでに心の中に沢山美しいイメージが備わっている事が一番大切なのです。イメージがなくてただ、聴いているのは聴いたことにはなりません。


平成22年6月21日(月) 初めての沖縄

本日夕方7時前に沖縄から帰宅しました。

この日記は宮古島のホテルで書いたものですが・・・。
沖縄へ来るのは、初めてです。
宮古空港を降りると南国という感じで名古屋よりもっと蒸し暑くてびっくりしました。

青い海、白い砂浜、緑の鮮やかなこんなに豊かな自然の場所でピアノを習っている子たちは、どんな子達かなぁと、ものすごくワクワクしてPTNAの審査をして参りました。

審査の先生方と。



私は、審査終了後、他の審査員の先生方とお食事に行って、海ぶどう(何か味が数の子に似ている) ミーバイ(魚)
宮古牛のおすし、パパイヤのサラダとかヤシガニのおすしとか、沖縄ならではの、珍しいものを頂きました。

これが海ぶどう


青い空に青い海、日頃ビルの多いところに住んでいる私は、良い空気を吸って心の保養になりました。ホールも勿体ないくらい立派でした。
宮古島のPTNAのスタッフの方々本当にお世話になりました。有難うございました。

沖縄は既に梅雨が明けて蝉がなき、ガンガン強い日差しでしたが、今日名古屋に着いたらまだ、涼しいなぁと思った印象が強かったです。

私の生徒達もその間、頑張ってくれたようです。

B級=1人 C級=1人 D級= 検定優秀賞、E級=2人 F級=1人  三重音楽コンクール中学生の部1人 高校生の部2人 全て19日、20日の一番早い本番を迎えた全ての参加者全員予選通過できたと、母からメールですぐ連絡が入りました。

又、来週の(土)(日)からは、まだ続々と私の生徒達がPTNAの本番を待っています。

次に続く生徒達も頑張りましょうね。


平成22年6月17日(木)今この時を大切に

先日高校生の生徒が、ノートに「先生が受験前に言って下さった全身全霊で弾きなさいという言葉を心のお守りとして演奏したい」と書いていました。

彼女の素晴らしいところは、レッスンの度に演奏が変わってくるところです。

それも良い方向へ。毎回毎回どんどん良くなってきます。

レッスンを理解していなかったり、練習の仕方や要領が上手くつかめないと、なかなか演奏が変わってよくなったね、となりませんが、彼女はレッスンの時によく理解するのだ、と思います。

レッスン時の反応が良いと家での練習も上手くやっているだろうなあと思えます。

音の間違い、アーティキュレーション等の基礎的なこと以外でも、「そこは気持ちを盛り上げてもっとクレッシェンド・・・・・・・」と注意してもずっと、一本調子で弾いているとか、「そこはもっと静かにひくところよ」と言ってもずっとフォルテのまま弾いていたり・・・・・そんなやりとりがレッスンの間中、とうとう最後まで直せなかったとなると、恐らく家での練習もずっとそうやって練習するだろうなあ、と思います。

1人1人の能力の差はもちろんありますが、人の話を上手に聞けるとやはりスムーズにいきますね。

彼女だけでなく、レッスン時、即座に反応している生徒に共通して言えることは、私の話をまっすぐそのまま受け取ってくれているという感じがします。

という事は、勝手に自分の思い込みで考えたり、勘違い、物事を違う風に解釈してしまうという事がありません。

そうではなく、その瞬間を大切にしている、先の事を心配したり昔の事を思い煩ったりするのでなく、今を大事にしているという感じです。

今、この時を大切にすれば、集中力が冴えてきて、すぐ、人の話を理解出来るという感じになるんだ、と思います。

勿論、彼女の場合は自分1人が頼りだから、自分がしっかり、先生の話を聞かなければ、誰も助けてはくれない、という意識が特別強いということがあるでしょう。

彼女の演奏を聴くと、昔の古きよき時代の演奏スタイルが浮かんできます。
決して相手に押し付けるような演奏でなくて簡素でそれでいて暖かい歌がある演奏。

誰からも何物にも邪魔されず、混乱のない彼女のすっきりした頭の中には私の言葉がスーッとそのまま彼女の心に届いている。
そんな思いで、彼女の演奏を聴いたのでした。


平成22年6月14日(月) 弾き合い会の成果

PTNAの予選が始まっています。

この前、弾き合い会を終え、その後レッスンに来た生徒達の上達ぶりにはおどろきです。

小学4年生の子といい、中学2年生の子といい、今まで音も半分ぐらいしか出ていなかったのに、倍ぐらい豊かな音、そして歌おうとする気持ち、ガラッと変わってきて本当に嬉しいです。

やはりグループでやる弾き合い会は、本当に素晴らしい成果を生み出しますね。

私がどれだけ個人の耳にうるさいほど言ってもわからないことが、同級生、そして、同じ級を受ける友達の演奏を聴くと、全く違う演奏になって変わってきます。

特に「同級生」の存在は人一倍大きな力を生み出します。

これではいけないと初めてそこで生徒自身、(小さい子の場合お母様も)本気になるのだと思います。
それまでは、私と1対1、のレッスンでどこか甘えた気持ちで弾いている。
しかし、弾き合い会を行うと、生徒自身の顔つきが違ってきます。

ピアノレッスンは普段マンツーマンで行われるので、生徒本人は、みんなもこんな感じでレッスンを受けているんだろうと思う子が多いと思います。
しかし、それは全く違う。私が1人1人のレベルに合わせて歩み寄ります。

又そうしてあげなければ、生徒がじきに辛くなってしまう。
出来ないことをやれというのは、酷なことです。

又努力不足で出来ないのか、努力しても出来ないことなのかも、見れば、一目瞭然です。

しかし、生徒達にとって相手になっているのは私だけ。

それに引き換え、私は、日々実に多くの生徒達を見ますからどうしても遅れていたり、反応が遅い、という子には、出来るだけ皆と同じレベルに引き上げてあげたいと思うのです。

それは私の口からいうよりも同級生の演奏を聴けばすぐ分かるので、本人自身が気付く事が一番です。

ピアノでも勉強でもどんな事でも、「自分が立ち上がる」事で初めて成長して、よりよい生き方が出来ます。

その子が本気になりさえすれば、演奏が変わるのです。
早く上達する子はどこか人任せでないですね。
そういう生徒達は全て「自分に責任を持ち、意識している」のが特徴です。

自分をよりよく変えていく勇気をいつも持ち続けて欲しいなと思います。
そういった点で今年の弾き合い会は実り多い成果でした。


平成22年6月10日(木) 幸せをみんなに・・・・

今日、大人の生徒さんがいらしてレッスンの時「この前、マンドリンの演奏会があって、音楽が変わったね、と友人から言われて本当に嬉しかった、岩野先生のお陰です・・・・・・・」と生き生きして話されました。

ピアノだけでなくマンドリンも演奏される生徒さんですが、ピアノを習っている事で、マンドリンの演奏が変わったという事です。

そうですね。音楽の原点は私がいつも言うように「うた」。「うた」がなければ音楽とはいえません。

たまたま、私が弾く楽器はピアノでしたが、別にどんな楽器でも、「うた」である事に変わりはありませんから、「うた」が感じられるものなら、どんな音楽でも素晴らしいのです。

そして、その生徒さんは、「岩野先生から、歌う時と同じようにピアノを弾くとき呼吸をしながら、音楽に生命を吹き込んでいく・・・・・・という事を本当によく教えて頂いた」とおっしゃっていましたが、考えてみれば、その生徒さんとは、10年以上もの長いお付き合いになるのだなあ、その間その方の身体の中に少しずつしみこんでいかれている事が本当に嬉しかったです。

又先日は、小学5年生の生徒がとても上手に学校で作文を書いていて、私に見せてくれました。

内容は、「私は今、ピアノを頑張っています。夢は今習っているピアノの先生みたいに、人を感動させられるピアニストになりたい」というような文章でしたが、とても素直な子どもらしい心がよくあらわれた作文でした。

彼女は普段私とのレッスンで何をどのように注意されたか、そして、それに対して自分はどのように感じたかなど、細かくレッスンノートに書きとめて毎日、新しい発見をしているようです。

そんな風にレッスンを受けている子は、見違えるように演奏がかわってきますね。

彼女は私が弾いている時に、私が届けようとしている「歌心」を感じようとして、集中して全身耳にして聴いているのが、手にとるようによくわかります。

彼女が、合唱団に入って歌っている事も、きっとその歌心を感じ取るのに良い助けになっている事でしょう。

大人の生徒さんも小学5年生の女の子も音楽が始まれば、理屈も言葉もいりません。感じるものは皆同じです。

ピアノを弾いていて、「歌いたい!!」そんな気持ちになってくれることが、一番大切です。

又、そうならなければ、決して歌えるようにはなりません。

それには、自分がその音楽に感動する心を持っていなければ、相手に伝える事は、出来ません。

飲む気のない馬に水を飲ませるようなもので、気のない人には決して音楽のよさも伝わらないのです。

彼女達が私の弾くのを聴いてその心を感じ取れたなら、上達間違いなしです。
見ようとする人、聴こうとする人には、必ず自分の心に真っ直ぐ語りかけてくるのが、音楽だからです。

そうやって、彼女達だけでなく、他の子達も私の音楽で、幸せになっていくのを見るのは、やりがいを感じられてこの上もなく、嬉しいですね。

年齢は全く関係なく、通じる人にはちゃんと伝わります。

小学5年生の生徒はまだまだ、先がありますから、今のその感動する気持ちを失わないで、毎日、夢に向かってピアノをさらい続けてほしいです。


平成22年6月5日(土)PTNAの弾き合い会

今日は、朝から、南文化小劇場で弾き合い会でした。

参加した、生徒さん達、保護者の皆様方、又、勉強にかけつけてくれた生徒さん達、有難うございました。
お互いの音楽を聴きあい、とても楽しい、充実した1日となりました。

伝わる演奏というのは、どういう演奏かな?という質問を皆に問いかけてみて、そこから、一人一人、人間の身体は常に発動機のように、中で火が燃えている、そのエネルギーを聴いている人に与えてあげなきゃね、そして、自分からそのエネルギーを出さないと、聴いている人はエネルギーをもらえない、だから、感動しない、という事を話しました。

人間はその人の命(魂)に触れることが出来た時、感動をもらえます。

そして、沢山の命をもらわないと、生きていけないのも、人間です。

F級、E級の人達は、さすがに、その意味が分かる人もいたようで、大きくうなずいている生徒もおり、手ごたえを感じました。
まだまだ、その意味が分からない人達ももちろんいると思います。

皆さんには、ピアノでもっともっと、遊んでほしいと、思います。弾きなれて、ピアノを弾き出すと水を得た魚のように、のびのび呼吸を始める音楽は聴いていて、とても気持ちが良いですね。
本番は今日の感覚を忘れずに、ホールの響きをよく聴きながら、弾いて来てくださいね。


平成22年6月3日(木)子育ての山場を迎えるとき 

6月に入りました。
先日は高校の保護者会や大学の試験などがあり、皆さんとお話できて良かったです。
保護者の方がたは、子供はいくつになっても悩みがつきないと思われる方が多いと思います。

思い起こせば、赤ちゃんの時、1人で服も着られない時や、ご飯も1人で食べれない時は何とか早く1人で服を着たり食べたり出来るようになってほしい、と思い、幼稚園へ行けばもうすでに競争の世界が始まり、学校へ行けば成績が気になり、かといって、人間関係も上手くとって、人から愛される子になってほしい、そうこうしている間に義務教育を終え、大人に近づいたころには、もう親のいう事なんか聞かなくなって自分の子供が何を考えているかもよくわからなくなっている・・・・・・・・。

それなら、いっそ何も出来ない子供の頃、親のいう事をそのまま素直に受け入れてくれている時の方が、どんなに扱いやすかったか・・・・なんてこともあるでしょう。

私は子育ての山場を迎えるのが高校生を持つ親御さんだと思います。

20歳を過ぎれば、一応親の責任は果たしたということになります。

高校生は16、17、18歳というゴール寸前の子育てのクライマックス。

子育てで、最もおもしろく美しく輝かしくて華々しい時なんです。
しかし、それには苦痛を伴います。子供も親も。

音楽もクライマックスを迎えるときは、体力的にも精神的にも、ものすごく疲れるんです。息も切れます。

山場を迎えるということは、逆に言えば、それだけ、険しい道を歩むわけですから、悩みの集大成がこの時期にあるといっても、過言ではありません。

自分の子供といっても、もう、自分の子供ではありません。

1人の全く違う人間が完成されていきます。

私は、生徒達を見ていると、1人として同じ人間はいないと強く感じます。

お互いの違いを受け入れて相手を許せるようになれば、どんな人間関係もスムーズにいくように思います。

自分の思うとおりに行かない事に、腹を立てて、抵抗ばかりしていると、何もかも上手く行きません。

気に入らない事があれば、まず、「受け入れる」そして、あとは、サラリと「受け流す」。

私は毎日、1つ1つの事に感謝しています。

今こうやって、日記を書いていますが、鉛筆。
作ってくれた人に「ありがとう」、紙に書いていくのだけど、この紙を作ってくれた人にも「ありがとう」。

ご飯を食べる時は、田植えから始まって汗水たらしてお米を作ってくれた人に「ありがとう」。

生徒達がくれば、私を元気付けてくれて「ありがとう」。
そのお母様やお父様にはこんな、可愛い子供達を生んでくれて「ありがとう」。

こうして感謝しながら、生きていくと、いかに自分が周りの沢山の人達が支えてくれるからこそ、生きていけるんだなあ、本当にあり難いなあ、とつくづく感じます。

嫌なことなど、感謝の気持ちがあれば、心が澄み渡り、すぐ忘れてしまいます。

毎日頂いている沢山の数え切れないほどの「いのち」。

その沢山の「いのち」を頂いているからこそ、私は自分の出来る事で、最大限自分を生かして一生懸命他の人達のために働きたいと思います。