平成22年4月27日(火) ピアノの「弾き方」ではなく心を見て
4月も終わりに近づき学生さん達にとって嬉しいゴールデンウィークが近づいてきますね。
PTNAの弾き合い会も近いですし、まだ、あまり仕上がっていない人は、このゴールデンウィーク中にしっかり出来ると思います。
時々何回レッスンを受けても弾き方がわからないという学習者の悩みを耳にします。
人にもよりますが、私の考えでは、ひき方が分からないというのは、理屈にとらわれすぎているからだという感じがします。
弾き方が分からないというよりは、その音楽が持つ「心」、「魂」が、見えていないのだと思います。
音楽を聴いて自分の心がゆれるという意味が、どうしても分からない人は、魂をこめて音楽をする人の演奏に沢山触れる事をお勧めします。
別にピアノの演奏でなくてもかまいません。魂がこもっているものなら何でもよいのです・・・・・。
音楽は歌が原点なので、魂をこめて歌っている人のライブなんかを聴くのもよいですね。
オペラが難しいならJ−POPでも何でも。
しかしその時共通して言えるのはいわゆる美声というよりは、歌の心を感じながら、歌っている歌手を聴いてください。
私は両親が常に歌うのが好きで歌番組が大好きだったので今でもクラシックだけでなく色々な歌を聴きます。私は中学生の時「安全地帯」の玉置さんの大ファンで友人と一緒によく歌って夢中になっていました。私はたまたまピアノを弾きますけれど、本当に歌が大好きです。
歌い手さんでも、単に声そのものは美しいのに、そこに心がこもっていない歌い方や、声自体がいわゆる美声でなくとも、ものすごく魂がこもっている歌い方の違いが1目で分かります。
ピアノもそう。指をどのくらい下げるかとか、腕をどれくらい上げるかとかは、素晴らしい演奏の結果、たまたまそうなったというだけ。
先に「弾き方」をどうするかと、理屈から始まると、大変です。理屈から見ようとすれば、いつまでたっても決して音楽の歌心はつかめません。
人を好きになるのも理屈なんてないでしょう?
この人の優しいところがとか、悪口を言わないところがとか、色々理由はつけられると思いますが、最終的には、なぜその人を好きなのかは、誰も説明は出来ません。
そこがその人の、「心」の部分であり、「魂」の部分なんです。
その人の「心」が見えたとき、本当にその人はより魅力的に輝きます。
ピアノをどうして弾いていいかわからないという人は、もしかしたらあまり音楽が好きじゃないのかも知れません。
だからなかなか「心」がつかめない。好きだと、見えてくるし、又その心を見ようと努力します。その間に、弾き方なんていうのは自然につかめてくるものです。
平成22年4月22日(木) 弾けていないところを放っておかない
私が生徒達をレッスンしていてよく注意する事は、「弾けていないところをそのままにしていてはいけない」という事です。
ピアノを上手に弾くには、さまざまなテクニックを使えなければなりません。
最も難しいテクニックはやはり、トリル、そして、モーツァルトや、ハイドン等の古典派に多い16分音符、それがうやむやにならないように粒がそろったタッチにする事やオクターブや跳躍など、弾くだけでも精一杯というところがかなり多いはずです。ペダルのテクニックもとても大切です。
私が自分の体験からいえることは、ここは練習によって可能なもの、と、何ヶ月、何年経ってもどんなにがむしゃらに練習しても可能でないもの、
そのどちらかにわかれます。
私はそれらを譜面を見たとき、すぐに判断する事ができます。
私が生徒達を見ていて、練習によって可能なところは、とことん、そこを、取り出して練習するように、何回も何回も根気強く繰り返させます。
弾けていないところをいい加減にしておけば、何ヶ月経ってもそこは弾けるようにはなりません。
そこだけは、自然に放っていては、いけないところなのです。。
鉄の意志を持って弾けるように持って行くのです。
これは、なかなか勇気と根気が要る作業です。
生徒達もですが、私も・・・。私が生徒の指になって弾くわけでないので何とも、もどかしく感じます。その点、書道だと生徒の手を持って見本をかいてあげられるからいいなあ・・・・・・・・。
ゆっくり取り出して弾かせてみると、まず指使いがグチャグチャ、弾くたびに違う指使いを使って弾いている証拠です。
面倒だと思っても後から直す事を思えば、初めにきちんと指使いを決めてさらった方がずっと、効率がよいのです。
なかなか上達しない子は、ここでつまずいている子が多い。
だからこちらから見ると、なかなか曲にならない子は、練習の仕方が非常に悪いのです。
何故指使いをきちんとしていないといけないかというと、不自然な歌い方になったり、又、本番で間違う一番の原因になってしまうからです。
本番で必ず間違う子は、まず指使いが、はっきりしていないのが原因と思ってよいでしょう。
そしてレッスンの時ゆっくり弾けていないところを取り出させようとすると、必ずクシャクシャと、ごまかして先へいこうと急ぎます。
ゆっくりでも弾けないところが早く弾けるはずがありません。
そうやってかなり、忍耐強く練習したとしても私とのレッスンでたった10分ぐらいで出来てしまいます。
なぜ5分10分ぐらいで出来てしまうところを、放っておくのでしょうか?
とに角ピアノの練習に近道は何もありません。
「あわてるこじきはもらいが少ない」のことわざ通りです。
急いで出来る事は、何もなく「弾けていないところを放っておかない」は、ピアノの上達への一番の近道。
徹底して弾けるまで、同じところを何度でも弾いてください。
ピアノの練習には皆さんの想像以上に鉄の意志がいるものなのです。
平成22年4月20日(火) レッスンの成果が変わってくる楽しみ
昨日は、暖かいポカポカ陽気と、思ったら、今日は一転して雨、
ヨーロッパ行きの帰りの飛行機が一部運航再開となり、良かったですね。
しかし、火山の方が、おさまっているわけではなく、完全に安全とも言えませんから、引き続き心配です。
ヨーロッパは音楽留学生も多いですし、ビジネスで行ったり帰ったりする方も多いでしょうから、自分の国に帰れないというのはさぞ大変だろうと、
本当に身にしみてよくわかります。
日本とヨーロッパが近くなったとはいえ、やはり海を越えて雲の上を12時間飛ぶわけですから遠いです。
明和高校生の子も夏にイタリアで演奏するので今日、その説明をするために早めに学校に行ったら、新1年生は、眼科検診でレッスン開始が遅いとの事。
生徒を待つ間日記を書いています。
今年の新1年生は、とても優秀、試験曲も、もう暗譜して仕上がりに近い状態で弾いています。
レッスンの1回ごとに変化が見られ研究の成果が見える演奏は今日はどのように弾いて来てくれるかな?と、
プレゼントを待つようなワクワクした気持ちになります。
こういう調子で学校でのレッスンを1回1回大切にしてくれると、3年間の間にものすごく伸びていくでしょう。この先とても楽しみです。

春になりましたね。
お花がきれいです。
平成22年4月18日(日) 実体験の大切さ
最近暖かくなったり、寒くなったり、なかなか春という感じがしません。
アイスランドの火山爆発も心配です。
殆どのヨーロッパ方面の空港が、閉鎖されていると聞きましたが、私の生徒の何名かが、イタリアコンコルソの
入賞者として夏休み、イタリアで演奏する事になっているので、7月までには火山が沈下してくれる事を祈ります。
世界遺産にもなっているステキなところで弾かせて頂けるそうで、音楽の本場イタリアの空気を思う存分味わって人生の1ページを飾る思い出として沢山想い出を作ってきてほしいです。
そのような体験は、確実にピアノ演奏に対する意識をさらに強くし、モチベーションを上げる素晴らしい体験となって身につきます。
私が小学2年生の頃、学校を2週間休んで、アメリカへPTNAの入賞者の参加者達と、(故)福田靖子先生、(故)中田喜直先生が、演奏旅行に連れて行って
下さいましたが、アメリカで演奏させていただいた事が、今思えば原点となっています。
その中には、今現在ピアニストの若林顕さんもいらっしゃいました。
私の学生時代はあまり、私の生徒達には大きな声でいえないし、そうすること(学校を休んでまで)が絶対良いとは限りませんが、学校よりも小さい頃から、
外の世界を見せる事の方が大切と考えていた、母には本当に感謝しています。
小さい頃から日本でも海外でも私を、色んなところに連れて行ってくれて、行く先々でピアノを演奏し、世界がどのように厳しく、又、いろいろな
ものの考え方があるという事を実体験で教えてくれました。
そしてどこの国へ行っても日本ほど安全で、安心して他人を信用でき、水も有り余るほど豊かに使えて、便利で過ごしやすい国はないという事も身を持って体験できました。
外から眺めた日本という国が本当に素晴らしく、又こんな恵まれた国で生活出来ていることを、私は日々感謝しています。
唯一、日本のマイナス面は便利すぎ、恵まれすぎ、という点でしょうかね。
イタリアで演奏する生徒達も帰国して一段と成長して帰ってきてくれると思います。
きっと、ピアノ演奏に変化がもたらされるに違いありません。

アメリカ・ジーナバックアワー国際コンクールが開かれた場所、
ソルトレイクシティのブリガムヤング大学で演奏する7歳の私。
今の子のように足台もなく、足がブランブラン。
アメリカ、ブリガムヤング大学のポール・ポレイ先生のお宅に招かれて演奏している私。髪の毛はいつも長くしていてこうやって、たいていは2つくくり。
平成22年4月13日(火) 曲数が多くなれば
今日は明和高校が始まって初めての1年生のレッスンでした。
今までずっと、自宅レッスンでしたが高校生からは、学校でのレッスンになり新鮮味があって彼女達にとっては嬉しい事でしょう。
さて、6月5日にPTNAの弾き合い会が予定されているので今、1人1人の時間配分を決めるために全員の課題曲を弾いてみたのですが、
E、F級になると、さすがに長いと感じました。
B、C、D級との間に大きな開きがありますね。
今日の高校生達にもレッスンの時お話しましたが高校生になって今までと大きく違う点は、譜読みと、暗譜を素早く出来るようにしていくことです。
曲数が多くなれば勿論レッスンで今までの小さい頃の様に、1つの曲に長い時間かかりきれないからです。
短期間で譜読みと暗譜を完全にし、音楽的に素早く曲を会得できるようにしていかなくてはなりません。
そのペースが速くつかめるかどうかにかかってくるのが高校生、そして、E,F級を受ける人達でしょう。
そしてこのぐらいの時期になれば、もはや、先生のレッスンだけを待っているようでは、当然取り残されてしまいます。
CDを沢山聴いたり、本を読んだり、自分の演奏をしょっちゅう録音してどこも不自然な歌い方になっていないか
毎日研究する事で自分の意志がはっきり出てくるはずです。それをレッスンで披露するといった感じにしていかなくてはなりません。
今日の2人の高校生達も1人は朝、5時くらいにおきて、学校で早朝練習を毎日しているそうです。
もう1人は相当研究しているらしく、ラフマニノフを立派に聴かせてくれました。前回のレッスンよりも自分なりに工夫して研究した形跡が見られると、とても嬉しくなります。工夫して研究すると必ず聴くほうに伝わりますね。
頑張りすぎても続かないので2人とも身体に気をつけて頑張ってほしいです。
平成22年4月8日(木) 音の色合いは人の心と同じ
この前、小学5年生の生徒がレッスンノートに「先生のピアノの音は、柔らかくて薄いピンクのような色がします」。
と、書いてあり、子供の感性は鋭いなと、感心してしまいました。
普段から私の好きな色は白や、ピンクなので、やはり、音もそうなるのかなぁと感じています。
目には見えない色なんですが、確かに音には色があります。

1人1人生徒の音を聴いていてもそれぞれ色があり、皆違っていて面白いです。
水のようにキラキラ清らかな透き通った音、金色みたいに華やかでゴージャスな音、とぐろを巻くような、どす黒い感じの音、
白黒のようなモノトーンの色、セピア色みたいな懐かしい感じのする音、まだまだ沢山あります。
何故か平板に聴こえるピアノ演奏は、音の色合いが少ないからともいえます。
私がよく生徒達にいう事は、弾く時の力加減が、ずっと同じだと勿論音の色合いは、変わらない。
その力加減はその人の感じる心で変わるのよ、と言います。ものすごく緊迫感のある場所と、どこか哀愁のこもった場所。
それもそこをとびっきりやさしく弾きたいと願う事で張り詰めた音とは全く違う色合いが生まれます。
しかし、何も感じていなければ、色合いは変わりません。
又、音と音の間(音程感覚)を感じる心もとても大切ですね。
大体においてピアノは横から横、指でおせばすぐ音が鳴ってしまうので音から音の間の「心」を見失いがちです。
1つの音だけならただの音でそれ自体にはあまり意味がありません。
しかし、2つ目の音にバトンタッチした瞬間、音そのものよりも、音と音の間に歌が生まれます。
そこに目に見えない心、色合いが隠されています。

そしてこの色は、見ようとする人には、必ず見えるのです。
小学5年生の女の子には見えたのでしょうね。私とのレッスンを一つも聞き漏らさないように、と真剣に受けている証拠です。
そんな気持ちでレッスンを受けてくれると、とても嬉しいです。
それは、人の「心」と同じ、目には見えなくても見ようとする人には子供でもきちんと通じるものなのです。
長々と音の色合いや、音などについて書きましたが、まず、その曲をスラスラ弾ける状態にならなければ、
歌う「心」や、色合い、そこまで、とても到達出来ないといった事になりますね。
だから、小さい時の簡単な曲の時に音の色合いや、歌って弾くようにする事をまず会得する事が、とても大切なのです。
平成22年4月7日(水) 学校が始まって
今日から明和高校も大学も始まりました。小学、中学の皆さんもきっと新学期が始まりフレッシュな気分で張り切っていることでしょうね。
昨日の暑いくらいのぽかぽか陽気と違い、一転して寒い一日でした。
折角の桜も散ってしまいそう。
思えば人より長い学生期間を過ごし、ウィーンから帰国した私は、あぁ、もう学生なんてうんざり、早く社会に出て人のために仕事が
したい、そんな気持ちでした。明和高校音楽科が私にとって生徒を教える仕事を始めた第一歩の場所。
あれから11年が経ちましたが、今も新入生を迎えるときのドキドキ感は、変わっていません。
新しく入学した1年生はやはり、一番楽しく嬉しそうです。
これから、どんな毎日を過ごすのかな、毎日好きな音楽の事が学べるなんて最高!そう感じているはず。
2年生も1年先輩となって嬉しそう。3年生はやはり、大人になり落ちついてきますね。
何も知らない時というのは、期待や希望で精一杯です。
しかし、成長するにつれ、知らなければならない現実が少しずつ見えてきます。
一つ一つ現実を知る事が大人になるという事でしょう。
何も知らない時は、向こう見ずで、メチャクチャな事もするけれど、その時が一番、情熱にあふれて頑張りがきく年頃です。
「今」頑張らなければ将来はない。それくらいのハングリー精神を持って学んでください。
一番体力もあり、嫌な事も全て跳ね返せる力がある年頃です。ムダに過ごさず、音楽高校生として頑張って下さい。
高校の打ち合わせが終わってから今日から椙山学園も新学期が始まり、打ち合わせに出られなかったので、明和が終わってすぐ椙山学園へ
かけつけ、書類を一式頂いて帰りました。
どこの学校も綺麗な桜が咲き、あぁ!新学期だなぁと、フレッシュな生徒達との出会いが沢山あり、あらためていいなぁとこちらまでやる気満々といった気分でした。
明和高校の新1年生の生徒。ここで、毎週レッスンを受けられます。
喜び一杯、希望にあふれて嬉しそう。音楽家を目指す
素晴らしい先輩達が沢山ここで学んだと思うと感激ですね。
明和高校の玄関前。桜が満開。今日の寒さで散ってしまいそう。
椙山学園大学の教育学部の玄関前。4年前に出来たばかりなので、とてもきれいな校舎です。ピアノもお部屋もピカピカですよ。
可愛い大学生が、今日もはしゃいでいます。
平成22年4月4日(日)音を聴くって?
門下生コンサートもひと段落して、ピティナを受ける子は課題曲を必死に練習しています。
早い子はもう4曲全て暗譜して弾いている子もいます。
又、コンクールは受けないで地に足を着けてじっくりピアノを練習していきたい、皆がコンクールをやっている間に沢山レパートリーを増やしておこう、と堅実にピアノの道を歩んでいる子もいます。
どちらも熱心な事に変わりはなく素晴らしいと思います。
そこで、今日は私がよくレッスンの際に生徒達はイヤというほど聞かされる言葉、音を聴くことについて書きます。
まず、「音を聴いて」、と言えば、初心者の方なら心の中で誰もが反発すると思います。
あと、「歌って」と言う言葉。
「音を聴くって当たり前じゃない、私は耳が聞こえるのだから、もちろん、聴いてるわよ」。
「歌って、て私こんなに歌っているじゃあないの?」そう感じる人が多いのでは?
音をよく聴くことと、歌う事は共通しています。
よく聴けば歌う事につながるし、歌えば、よく音を聴いている事につながります。
あとよくあるのが、聴いて、とうながすと、音を強く出す、と取り違えている例もよく見かけます。
出すのと聴くのとでは大違い。
私がよく生徒達に言うのが、誰もいないはずのお部屋に誰かいる気配がする、泥棒かな、お化けかな?そんな時ものすごく耳を澄ますでしょう?
全身耳にするという感覚。それくらい耳を研ぎ澄ましてきかなくてはいけないのです。
それも自分の聞きやすい声部だけ聴いていてはだめで、メロディも伴奏もポリフォニーなら、テーマだけでなく、
対旋律などあらゆる声部を聴かなくてはなりません。
おまけにペダルがにごっていないかどうかも・・・・・。
客観的に音が聴けると格段に上手くなります。
自分が練習している曲は良い演奏家のCDを必ず何枚か聴く事も必要不可欠ですね。
耳が育てば自分の音も良いのか悪いのか判断できますよ。
少し中心地から離れますが、名古屋の港文化小劇場も
広くて綺麗な会場ですね。
平成22年4月1日(木) 4月新しい生徒との出会いの季節
今日は新年度4月からの明和高校のスケジュールの配布物が届きました。前年度以上に忙しくなりそうです。
プライベートレッスンの方も新しいフレッシュな生徒さんが沢山入ってきました。
新しく入られた生徒さんは、とにかく今すぐ、大きな変化を求めがちですが、どの生徒にも「今すぐ出来なくていいわよ。」
「毎日それに気をつけてさらってね。」と、言います。
寝だめ、食べだめ、が出来ないのと同じことですね
今日沢山寝たから明日は寝なくていいかというとそうではない。沢山今日食べたから3日は食べなくていいやという事もありません。
3日目には、絶対おなかがすきます。どんなに沢山食べても眠っても又翌日も同じことをします。ピアノの練習も今日出来ても明日も同じことをします。
毎日しなくてはならない事、それは生きる事と同じです。
それがピアノの練習だと思って毎日楽しんで練習してください。
