2009年7月29日(水)D級第1位全国決勝大会進出おめでとう!

 生徒の皆さん、私の体調を心配して沢山のお見舞いのメールや、お手紙の数々、本当に有難うございます。
健康になるよう努めますのでお返事は1人1人書いてあげられませんが、皆さんの暖かい言葉が本当に嬉しかったです。

今日は午前中大学の試験の点数をつけに行き、午後、又、病院へ行きました。点滴を打ってもらいながら
今日のPTNAの本選の本番の生徒達の事を一心に祈っていました。

小学4年生B級優秀賞、特別賞(讀賣賞)、そして見事にD級 第1位全国決勝大会に選ばれた中学1年の生徒の快挙に
涙が出ました。

彼女は6歳の頃から毎週見ており、その頃から全くレッスンは1人で受け、並外れたその素晴らしい音楽性に
毎回心を打たれていました。
来た当時どうしてこんな小さな子がこんなにアイデアあふれた音楽をつくれるのか驚くばかりでした。

最後のレッスンでの”ハイドンとグリーグ”の素晴らしい事といったら・・・・・!!きっと上手くいくと思ったとおりの結果が出てこちらも
本当に嬉しかったです。

大体の場合、どんなに指導者が手取り足取り教えていってもどこか、リズム感、拍子感、フレーズの歌わせ方、変化のつけ方、左手の声部の聴き方、
センスある間の取り方やフレーズの取り方など、どこかに違和感が起きるのが常で、又弾くのは生徒ですから、教えるといっても音楽性だけは、絶対教えられるものではないのです。

絵を描くにしても作曲にしても教えられないのが芸術だともいえるでしょう。
しかし、彼女の場合、本当に素晴らしいと思えるのは正にその部分です。
彼女は教えられないところを自分で発見するのです。彼女は教えられる事を待っていない、自分で積極的に演奏を毎回のレッスンで工夫してきてくれます。
それが変なやり方でなくこちらが納得出来るように、とても自然に。

例えば私がそこは「今までに見たこともない美しい世界をはじめて見たという感じで弾いてごらん」の一言で、彼女の場合はガラッと音楽が変わるのです。
文字通りそこに「初めてみた美しい世界」が目の前に開いてくるのです。
こういった事は教えられませんから、全く彼女の才能に感心しています。

創意工夫あふれる音楽性の豊かさは小学1年生の来た当初からそうでした。

まだ手も身体も細いし、小さいのであせらずいつか素晴らしいピアニストになれると確信してずっと見守っているところです。
いくら才能があっても1回や2回の成功なら誰でも出来るでしょう。
しかし、音楽家を目指す人はそれを一生続け、努力し続ける精神力と忍耐力がなければどんなに才能があっても駄目になっていくのです。

彼女の誰にも真似できない素晴らしいリズム感と音楽性と、歌心、耳のよさプラスこれからも
人並外れた強い精神力と忍耐強さを持ったピアニストになってほしいです。

彼女のみならず、他の生徒の皆さんの事も毎日祈っています。

彼女に続き楽しくステージで弾いてくれることだけを心から祈っています。


2009年7月27日(月) 大嫌いな病院

ここ最近体調が悪く、今日は近くの病院へ行ってきました。
2週間ほど熱が上がったり下がったり、又、咳が止まらず今すぐ検査をということで至急検査しました。

全部であちこち5箇所も注射針を入れられて痛い・・・・・。お医者さんから「何でここまでほっといたの?これからよくなるまで
根本から治さないといけない」といわれ、毎日、点滴を打ちに通って下さい」といわれて困ったなぁ・・・。

8月初旬にはPTNAの審査で遠隔地に飛ばないといけないし、生徒達のレッスンは毎日あるし・・・。
自分のかかえている曲も練習しなくてはいけないし、一番大事な時に病気になんかなっていられないんだけどなぁ・・・・。

点滴のベッドに横たわっている時、病院の味気ない天井を見ながら、あぁ、こうやってピアノから離れて何もせずゆっくり出来るのは、久しぶりだなぁとも
正直思いました。

私は、知る人ぞ知る、大の大の病院嫌い。だからよほど悪くない限り行きたくないのですが、父から「早く病院へ行ったほうがよい」と毎日
散々言われ続けやっと今日、重い腰を上げて病院へ行ったのでした。
元々、身体は小さい時から丈夫ではなく、喘息持ちだったせいもあり、普段からすごく気を付けてはいたのだけれど、
やはり体力がおちたかな?と感じます。

1人1人、コンクールの本選を迎える生徒達のリハーサルをする時、強く感じます。
皆大きくなって成長したなぁ本当に上手になったなぁって。

私のところへ入門してきた時、紅葉のような手をした小さな子供達がこんなに大きくなるのだから、そりゃ私も年を取るわけだ・・・(笑)
これから本番を迎える生徒達のためにも毎日点滴を打って10種類くらい山のように出された薬を飲み、早く直すよう努めます。


2009年7月22日(水) コミュニケーション

今日は大学から帰るとC級の生徒が最高点でトロフィーを頂いたそうで大喜びで電話がかかって来ました。
皆、すごいね。おめでとう!

ところでこのC級の生徒ですが、小学6年生なのにレッスン時の受け答えが何ともしっかりしていて大人と
対等に会話出来ます。
それもきちんとした敬語で”です” ”ます”をつけた話が出来るので「ふうーん!すごいなぁ!
今時にない子だなぁ」といつも感心していました。
例えば「○○ちゃん、ここはどんな風なイメージをもってひく?」と聞くと「私は・・・・」に始まり「・・・のイメージをもって弾いています」
「私は・・・という風に思います」のように。

最近、大学生を見ていても単語しか出てこない子が多いのですが、彼女の日本語力はすばらしいものがあります。
きちんと1つの文章にして話せる子です。

又、コンクールの前日は、「今まで気にしていなかったところなのですが、どのように弾いてよいものか
教えていただけたらと思いまして」と彼女から電話がかかって来ました。

「そこはね、このように弾くとよいよ」と私は答え、
「分りました。有難うございました」と電話を切る彼女、4ヶ月の間、全くレッスンは彼女1人で受けレッスン時の
録音も全くしないで本当によく努力したと思います。

本選も頑張ってほしいです。

私は自分が小学6年生の時、こんなにきちんとした日本語をそれも目上の人に対してしていなかったと思うので
つくづく感心してしまいます。

学校教育や家庭の教育で一番やらなくてはいけないのは、外国語を勉強する云々以前に母語である日本語をきちんと話せるようにする事が
何にもまして大切だなぁと改めて感じます。

日本語をきき取る力と話す力があると、私とのレッスンがスムーズに進むし、第一ピアノを弾く本人が先生と自分二人で曲を創り上げている
という事が、何にもまして楽しいはずです。
ピアノを弾くのはお母様ではありませんから、本人の自覚と自発性も生まれます。

小学6年生の彼女、このままずっとその美しい話し方を身につけていれば、どんな険しい道も自然に開かれていくだろうと思います。

ピアノが上手くなる以上に、社会に出れば、生きていく上で一番必要な事は日本語できちんとしたコミュニケーションがとれる事に尽きます。


2009年7月19日(日) 拍感について 曲によってタッチを変えるには。

PTNAの予選を通過した生徒から何人か電話があり、中には、東京から報告の電話を下さった生徒もいました。

暑いのに、遅くまで皆様お疲れ様でした。

今日は、よく私が生徒達に話す事を書きます。
拍感についてと、曲のスタイルによってタッチを変えるという事についてです。

よく一拍目がふらつき安定感がなくそのまま音だけ流れている場合、私はよく「ほら、日本語になったよ」
と、言います。
日本語はどこにもアクセントがなく同じリズムで発音されます。
例えば、「鉛筆」は「えーんーぴーつ」となり「煙草」は、「たーばーこ」と発音します。しかし、ヨーロッパの人に
それを発音してもらえば、恐らく「えんぴーつ」とか、”ぴ”のところにアクセントをつけたり、「たばーこ」の”ば”のところに
アクセントをつけたりするでしょう。

したがって日本語はとっても平板でのっぺりした発音。音楽と言葉は密接に結びついているのです。
ヨーロッパの音楽を学んでいる生徒達は、決してピアノを弾くとき日本語を話すように弾いては、駄目ということです。
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もう一つ、バロックもクラシックもロマンも近、現代も全くタッチをかえず同じタッチで弾いている生徒をよく見かけます。
人間の性格と同じで、音楽にもそれぞれの時代のスタイル、キャラクターが必ずあります。それぞれの時代の楽器の変化によっても変わります。
柔らかい音を出したい時に、爪に近いところで指を立てて弾けば、当然柔らかい音は出ません。

逆にバロックやクラシックなどの16分音符で、指をねかせてレガート奏法のようなタッチで弾いたらフニャフニャに
なってしまい、そのスタイルにあった音は当然出るはずはありません。その他ペダルの使い方やアゴーギク、強弱のつけ方もスタイルによって変わります。

こういう音を出したいというイメージが強くあれば、多彩なタッチの変化も可能です。
同じタッチで弾いているという事は何もイメージがないという事になるでしょう!

曲げたり、ねかせたり、なでるように弾いたり無数のタッチの種類が沢山あります。
ピアノだけでなくオーケストラなど普段から沢山音楽を聴いて、多彩な音色の変化を生み出せるタッチを習得してください。


2009年7月15日(水)自分の頭で考える自習の大切さ

今日(15日)は、本当に暑い一日でした。
午前中の大学生達も「暑い、暑い」と言って大変そう。
7月の終わりまで大学は授業があり、8月の終わりから高校生は、始まりますし、夏休みはあまり
ありませんね。

私がドイツ語の先生に「ドイツの学生はいいなぁ!毎日午前中までの授業しかないそうだから」と話すと、
「あぁ、どちらがいいとも言えないわね。13歳の頃から、お昼は自分で買い物をして食事の用意を
しなきゃいけないから!学校から帰って毎日何を食べようか?ってそういう事に
頭を悩ませなくてはいけない、でも日本の学校は給食があるし、親も何でもやってくれるし、楽なんじゃない?」との事でした。

まぁ確かにそうだけど・・・。でも午後は自分の好きなように時間を使えるし、日本みたいに塾もいかなくていいし
音楽家で将来身を立てようとする人にとっては、ピアノも思う存分さらえるし、いいなぁと小学生の頃
、つくづく思っていました。

一般的にドイツやヨーロッパの学生は早い時期から独立する事を求められ、他人にもたれかからないよう何事も自分の頭で考える事を教育されます。だから勉強しなくても誰も何も言わない。それこそ、「自習」が出来ない子には最悪でしょうね。
怠けようと思えば、いくらでも怠けられる。

私は完全的に小さい頃から”自習派”でした。もちろん塾にも行った事がない。
しかし、それは、社会に出てから非常に役立っています。
私達のような自由業はなおさら、実力の世界です。学歴やコンクール歴がいくらあっても「使えない人間」は沢山います。自分の芸をどう社会に生かせるかを常に考えつづけなければダメですし使えない人間は全く相手にしてもらえない世界です。

使い物にならないとわかれば当然の事ながらすぐにお払い箱ゆき。シビアな世界です。
だから常に自分の頭で考え工夫し、勉強するという姿勢が身についていないと全く駄目になってしまうでしょう!

誰かから、何やかや、言われて、やるのでなく”今日はこうしてみよう。ああしてみよう。”と、
ものすごくアイデアに満ち溢れ、インスピレーション、イマジネーションが枯渇しないよう自分の頭で考える事を私は
常に大事にしてきました。

誰からもピアノを練習しろ、とは言われないけれども、自分から進んでどんどんやる、そういうタイプは将来、周りから縛られなくても
自由に、かつ、ものすごく、一生懸命勉強するでしょうから自由業にぴったりですね。

中学1年生の音楽科を目指す生徒、コンクールの曲も頑張っていますが、ベートーヴェンのソナタ等も譜読みをして
受験に向けて頑張っているそうです。
自分から進んでやる、自習することは社会に出た時大変役立ちます。
なぜかって社会に出れば、先生もいませんし誰も教えてくれる人はいません。

しかし自分が勉強しようとする欲さえあればどんな人でも師になりうるのです。


2009年7月14日(火) しっかりとレッスンの内容を理解できる生徒(その2)

よく理解する子は、自分にとって今一番最高の演奏をしようという気持ちを持ってその子にとっての
最高の演奏をしてくれようとします。

だから、1週間の間に全く歌が失われて味気ない音楽になってしまうということが余りありません。
演奏がどんどんよくなってくる子もいるかわりに、自分の家での練習の仕方が悪く、全くよくなって
いかない子もいます。

同じことを教えていても、私の言う事をすーっとそのまますんなり吸収できる子もいれば、なかなか理解出来ない子もいますし、
又、何故か取り違えてすごく難しく考えすぎている子もいます。

私にとって嬉しいのは、その子が例え出来なくても自分のよくないところ、
毎回私がレッスンのたびに注意する事を頭ではしっかり理解してくれているという事です。

しっかり理解していれば仮に、コンクールの講評でこんな事を書かれたと改めて思うはずはないからです。

仮にそれを見て、”短期間の間に直して頑張ります”、というならばもっとおかしな話です。
課題曲が出て今まで4ヶ月近くの間は、私がレッスンで繰り返し言い続けてきたことを何も真剣に直そうとしていなかったのかなぁ?と思ってしまいます。

レッスンの時注意される事と、同じことを言われているのだと真に分る生徒は、
私のレッスンを毎回真剣に受けしっかり理解して反応している生徒でしょう。

出来なくても、よいので頭の中でそういう面がしっかり分っている生徒は、

本当にこちらも教えがいがあり嬉しいし、やりがいを感じます。

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   * 本文の内容と写真は一切関係ありません。


2009年7月13日(月) しっかりレッスンの内容を理解できる生徒(その1)

私が小さい頃コンクールや演奏会の本番前になると、ピアノの先生から
「あら、全く炭酸の抜けたソーダみたいな演奏になっちゃったね」とよく言われたものでした。

炭酸の抜けたソーダとは、飲んでみれば分る、何とも美味しくないソーダの事。
その当時、こんなに練習しているのに1週間でそんなに演奏が悪くなるなんてそんなはずはない、と、
生意気にも思ったものでしたが、今、自分が生徒を指導する立場になると、あぁこういうことを先生はおっしゃっていたんだなぁ
と、身にしみて分ります。せっかくきれいに仕上がったと思っていたら又自分流に戻ってる。。。。。(がっかり・・・・)

取り立てて大きなミスをするわけでも、雑になるわけでもないのですが、
要するに音楽に対する「心」がうすくなっていく、慣れてしまい結果的に一本調子で、平坦な音楽に
なっていってしまうというわけです。

「こころ」が、失われるときいている人にすぐ伝わります。
何かピリッとしたものがない。
逆にどこをとっても本当に磨かれて全ての音のタッチのコントロールを、研究しつくした演奏は、
本当に心を打たれます。

生徒を見ていると、そんな演奏をしている時もあれば、そうじゃない時もあります。
そんな時は、この1週間は、学校の事で忙しかったのかなとか、ピアノに打ち込めなかった日が多かった、
あるいは今日はたまたま気分がのらないのかなと、生徒達の心を察し、あまりそういうことに目くじらをたてて
追い詰める事はいいません。

しかし、ここからが分かれ道なのですが、プロ根性のある子(私の言う事をよく理解している子と、
そうでない子とでは、そこが決定的に違う部分かな?という気がします。

明日へ続く


2009年7月8日(水) 公開レッスン(その2)

通訳とは、ただ、その先生の言葉を単純に訳すだけでなく、その先生が、その演奏法について
何を言わんとするかを読み取る力がものすごく要求される世界です。

そうですね。ここにもやはり目には見えない部分、相手の心の中を敏感にキャッチして気を配ってあげるやさしい深い思いやりが必要。
音楽と一緒です。

数限りない公開レッスンを受け、その時、数多くの方たちにお世話になりました。
今は、自分が受ける側ではなくこれまで自分にして頂いたことをそっくりそのまま社会に恩返しできる時が来て本当に幸せです。
人間生きていて人のためになれない事ほど辛く悲しいものはありませんものね。

自分を育ててくれた親や恩になった先生方達の事は一生死ぬまで忘れてはいけません。

今こうして私があるのは、周りの方達の沢山の愛情と恩を頂いたからこそです。私が今あるのは皆さんのおかげ・・・・・・・・。私の周りの人全てに感謝して生きる毎日です。


2009年7月7日(火) 公開レッスン

今年もまた昨日明和高校での公開レッスンがありました。

ザルツブルグのモーツァルテウム音楽院教授のイムレ・ローマン先生、5年前にもいらしていただき、再び私はドイツ語の通訳を
務めさせて頂くことになり、お目にかかれて本当に嬉しかったです。

モーツァルトのクワルテットKV.478
サンサーンスの「死の舞踏」
ベートーヴェンのソナタ18番と出演した生徒達は本当によく勉強して上手に弾いてくれたと思います。
音楽科の高校生全員・参観希望の保護者、一部の先生方の前での通訳はある面でとても緊張がありましたが、
モーツアルトやサンサーンス等は聴いているうちに暗譜してしまいました。
夜休んでからもその曲がず〜っと頭から離れず鳴っていました。

私が初めて公開レッスンなるもの、海外来日教授の先生のレッスンを受けたのは、6歳の小学1年生の時、
世界的に御高名なベラ・シキ教授が、播本先生のお宅でレッスンをして下さる事になり
今は亡き、ピティナの創始者でいらした福田靖子先生が「素晴らしい先生がいらっしゃるから」と
その時住んでいた私の三重県の家まで来てくださり私を播本先生のお宅に連れて行って下さいました。

その時ドイツ語の通訳をして下さったのが播本先生でした。
レッスンを受けさせて頂いた曲はチェルニー30番の7番とディアベリのソナチネOP.151の全楽章・バッハのメヌエットでした。
6歳といえば、まだ日本語、母国語ですら理解できない年頃、チンプンカンプンでしたが、

それを皮切りに小学2年生の時は、ジェームス・バスティン先生(バスティンメソードの創始者)がやはり三重の家まで
来てくださり私の演奏をレッスンして頂きました。
その時弾いた曲はモーツァルトのソナタKV545でした。
大変誉めて下さった思い出が懐かしいです。
私の体験から小さい時に誉められると益々意欲を持ちますから、私も生徒達に出来る限り誉めて育てる事をモットーにしています。

中学生の時もその当時東京までいつも通っていた御木本澄子先生のフィンガートレーニングのレッスンの折に
何度か御木本先生のお宅でハイドシェック先生とか、ヘルヴィッヒ先生、海外の教授のレッスンを受けさせていただきました。


音楽高校に入ってからもありとあらゆる先生の公開レッスンを受けさせていたただく機会があり、最終的に
ウィーンに留学するまでに至り、何人の来日教授の先生方にお世話になったか計り知れません。

その時とっても心強かったのが通訳者の先生方です。

自分が通訳する時は、いつも何故か、小学1年の時、播本先生が通訳してくださった想い出がよみがえります。

明日へ続く


2009年7月6日(月) 7月に入って(その3)


私は昔、あんなに悩んだのがうそみたいです。
柔らかいのが幸いして腱鞘炎になることも全くないですし、何時間練習しても手首や腕や指のどこも痛くなったことが、今までに
一度もない事も感謝すべきなんだなぁと思えるようになりました。

自分のよさは、絶対に誰が何といおうと守るべきものでしょう。
その上で付け加えていく(勉強していく)のが大切ですね。

努力しても出来ないかもしれません。いえ、私の体験上、自分が持っていないものを加える事は、はっきりいって出来ません。
しかし、頭で理解する事は出来るし、それを社会に出た時、他の人達のために役立て、助けてあげることが出来ます。私は関節がフニャフニャの子の気持ちを心から理解する事が出来ますし、逆にかたくてどうしても柔らかい音を出せない人ならそういう自分と同じ悩みを抱える生徒の気持ちがよくわかる立派な先生になれると思います。

どんなケースであれ、人のためになれるのです。
悩みはあればある程よい、それだけ人の気持ちの細かいところまで敏感に察する事の出来る立派な人間に育つからです。


2009年7月5日(日) 7月に入って(その2)

私は生徒達にも常に言います。”自分が自分である事をまず大切にして欲しい”と、
私は自分が全く、脱力や、レガート奏法の事で指摘もされた事が一度もなかったので
今まで気にしなかったけれど生徒達を見ていて
柔らかい音を出すとか、腕の重みをかけて脱力するという事がこれほどまでに難しいのかと
悩む生徒達がとても多い事に驚きました。

時代によっても音楽作りの流行というのは絶対あると思います。
昔々、まだ今ほどピアノが盛んではない頃、いかに早く指が回り、大きい音で派手に弾くかというのが
盛んだった時代があります。

しかし、現代の忙しい日常を生活する私達は音楽に唯一、やさしさ、温かみを求めています。
ドラマでも、ものすごく純粋な純愛ものがはやる時代というのは、それだけ世の中が汚れているから
そういう汚れのないものを求めたがる傾向にあると考えます。

音楽もきっとそうなんでしょうね。だから、特に今の時代、柔らかなものを求めているのでしょう。

私にとって長年の課題であった、硬質な音を出すという事も今では全く悩みのうちに入らなくなっています。
それどころか、自分でいうのも変ですが自分のこの猫みたいなフニャフニャの手から出てくる柔らかさはとても気に入っています。
なぜかと言えば誰にも出せない音が出るから。生徒一人一人もそう思って親からもらった自分の持ち物を一番大切にしてほしいです。

今日レッスンをしていたらF級一人D級二人予選を通過したと大喜びの電話がありました。







明日へ続く



2009年7月4日(土) 7月に入って

今日はPTNAB級2人、予選通過したと喜びの電話がありました。

7月に入り、学生達も夏休みが近づいて何となく気分がウキウキすることでしょう。
今日は私の生徒たちを含め、全国各地で、脱力の問題で悩む人達へアドバイスしたいと思います。

まず私の場合についてお話しすると、小さい頃から今まで、脱力やレガート奏法で悩んだ事は
一度もありません。
それどころか、柔らかすぎて、私のピアノの先生からは、「軟体動物」だの「クラゲ」だの言われてからかわれていました。

私の現在の職場の同僚の先生方からも私の手を触ってみてといって触ってもらうと
「うゎ、なに これ?ネコみたい〜フワフワの手〜」とびっくりされるし、
私の悩みはといえば、張りのある硬い音がどうしても出ないことが幼い頃からの悩みでした。

指は典型的な、まむし指で、関節は弱く、私の周りを見ても、生徒達を見てもこんな柔らかい手は今だに見たことがありません。実に不思議な手です。

それで小さい頃は、もっとパリッとした明るくて活動的な元気な曲が弾きたいのに私にはいつも持ち味のレガートが
上手く生かせる滑らかで詩的で叙情的な、一言でいえば
女性らしい優しい感じの曲ばかり与えられて内心反発していた時期を思い出します。

そういう思いが変わったのは、高校1年生の時、音楽高校に入って高校の先生が「あなたの音を聴くと気持ちが和む。
やさしい柔らかい流れるような音楽作りが貴女の魅力だ。僕は貴女の音が大好きだ。
自分の魅力を嫌ってはいけない、常にこれが”岩野めぐみです”という音を出すんだ」と励ましてくださったのです。

それからです。親からもらった指の質は変えられないけれど、柔らかいからこそ自分の演奏を気に入ってくださる人もいる、それなら徹底して自分の魅力を更に磨いて大切にしていこうと決心したのは・・・。

明日へ続く