2009年6月28日(日) 目に見えない部分

今日又、PTNAのF級1人、C級1人 予選通過したと喜びの電話がありました。皆さん遅くまでご苦労様でしたね。結果がよくても悪くても私は全ての生徒達に一番に「本当によく頑張った。お疲れ様でしたね。」の言葉をかけてあげたいです。

コンクールを受けている子も受けていない子も私が審査に行っている間、毎日コツコツと練習していた様子で本当に嬉しかったです。

私には、生徒達が1週間どのように生活していたかが手に取るように分ります。
コンクールの結果や、他人の批評に振り回されず、常に冷静に心穏やかにして音楽と向き合って欲しい、
これこそが、私の生徒達への一番の願いです。

自分対音楽_。これしか最終的に残るものはありません。
私は生きていくうえで全ての人達が自分の味方になってほしい、とか自分の意見に賛成してほしい、という事を考えた事は今までにありません。
そういう面は非常に幼いときからクールな面を持ち、友達だって本当に好きな友達が一人いれば充分だという考えの人間です。

皆一人一人性格も違うのだし、深いところまでわかりあうなんて所詮無理な話です。
演奏もそう。私の演奏が本当に好きだといってくれる人が一人でもいたらその人のために演奏しようと思い、誰も彼も私の演奏が好きでなくても一向にかまいません。

そんな他人が自分の演奏をどう思うかなんて事よりそんな暇があったら音楽の研究をしたほうが、人生ずっと有意義な時間を過ごせますものね。
音楽家は身も心も完全に自由になれて初めて美しい音楽の世界を見ることが出来るんです。
そういえば「目に見えない部分」の話を私はよく生徒達にします。

上手な役者さんなら「私、今、悲しんでいます」なんて口で言わなくても見る人に悲しい場面だということが分るように伝えるでしょう!
目つき、話し方、声の口調、身体の動き、全てが一体化して「悲しい」が表現できてこそ、本当の役者です。

音楽家もそんな音を出さなくてはいけません。
それは目には見えません。
しかし人間には、心があります。
感じる人には、それが感じられるので心の目で何でも見ようとするのです。

私の生徒達もそれを一番にわかる人になって欲しい。音楽の持つ心も、目には見えないけれど、聴く人が聞けばちゃんと伝わるのです。
目に見えていない部分を大切にすると人は輝くのです。
不思議です。


2009年6月27日(土) アイデア(その2)


今日は又、D級二人、B級一人予選通過した、と喜びの電話がありました。おめでとう!!
皆よく頑張っていますね。

昨日の続きですが、私がレッスンしていてかなり大きくなった生徒達によく話すのは、”自分自身で解釈できるようにしっかり勉強しておきなさい”、という事です。

ということは一番に自分自身がその曲に対して深く勉強していなければならないという事です。
そうすれば、いろいろなCDを聴いても”あ、何かおかしいな?変だな、”という事に気づいてきます。

又、いろいろな人の批評にも振り回されなくなるでしょう。
しかし、勉強していないと自分でもよく分らないし、周りの人の意見に流されるだけとなってしまいます。

しかし大人でも誉められると嬉しいものですね。子供はなおさらです。
私のグシャグシャのドイツ語の筆跡を見てドイツ人の先生が手放しでほめて下さったように
私はピアノも1人1人の良い点、個性的な点、その子にしか出来ない個人的な部分を含めて積極的に誉めて育てる方針をとっています。

皆と同じなら、この世に存在しても意味がない、要は、何を批評されても大丈夫なようにしっかり勉強しておく事と、
その上で、自分は何をしたいのかを考えながらしっかりとした自分を持って毎日の練習に励んで下さい。


2009年6月26日(金) アイデア(その1)

PTNAの予選で賞を頂いたD級の中学1年生がトロフィーと賞状を持ってレッスン室に現れました。
立派なトロフィーを頂いて嬉しそう。本当に良かったね。 おめでとう!!

これから受ける人達もステージを楽しんでくださいね。

ところで先日ドイツ人の先生とちょっとした議論をしました。
「日本の学生はどうして何もアイデアがないのか?」という点についてです。
又、演奏に関しても教えられた事はやるけれども解釈面に関して自分はどうしたいいのかということが全く分らないとおっしゃっていました。

私もそれは同感です。
子供の時ならまだしも16、17歳ぐらいの大人になってまで何をして良いかわからないというのは本当に困ります。
「日本だけの特徴だ」とおっしゃっていらっしゃいましたが、私は「大学生などを教えていてもよく感じます。」
と、その先生に話したのですが・・・。

ところで私の書いたドイツ語の筆跡をその先生が見て「あなたの書き方は非常に芸術的で個性的だ、他の日本人の書き方と違う」
と、ものすごく誉められ驚いてしまいました。

私は筆記体は上手くかけないし、恐らく日本の他の人から見たら何というメチャクチャなアルファベットかと、大笑いされると思っていたので、
フーン、文化が違ってドイツ人から見ると、私のドイツ語の筆跡は芸術的で美しい、そんな風に映るのかと、ただただびっくりしてしまいました。

ヨーロッパだと、周りと違う事がよしとされる文化ですが、日本は昔と比べだいぶ変わってきたように見えますが、それでもまだまだ周りからいろいろと
いわれることを非常に気にして自分のアイデアはなにもなく、周りと同じ行動をとるように見受けられます。
お互いの国でよい面、悪い面と勿論ありますが、・・・。

明日へ続く


2009年6月22日(月) 飛行機で恐い思いをしたこと

審査を終え、今、中部国際空港に向かう帰りの飛行機の中でこの日記を書いています。

天候が悪く、気流が悪いため飛行機はずっと揺れっぱなしです。

年に何度かお世話になる飛行機ですごく恐い思いをしたのは今まで3回、
1回目は、小学2年生の時のアメリカ演奏旅行の際、ラスベガスのグランドキャニオンの遊覧飛行、
セスナ機に乗った際ゆれにゆれ、

2回目は、小学5年生の時、PTNAの演奏会で高知県へ招かれた時、昔あったYS−11のプロペラ機でおまけに嵐、本当に恐い思いをしたのを覚えています。

3回目は天気のせいではなく、私がウィーン留学中一時帰国した際、乗客の1人が自分の飲んでいる
アルコールに火をつけ私の付近の席の機内はたちまちワーッと火が燃え広がり近くにいた男性の「もえてる!!」の一声で
スチュワーデスさんや皆さんで毛布や消火器で火を消しました。
燃え広がったらどんな事になったやら・・。想像しただけでも恐ろしいです。


音楽家は旅が多いので何かと色んな出来事に遭遇します。ピアノの演奏と一緒ですね、本番何がおこるかわからないのは。。。。。。

さて私が名古屋にいない間、生徒達もしっかり頑張ってくれました。

まず、D級1位を頂いた生徒、みえコンクールの中学生部門の予選通過、
B級2人優秀賞今まで受けた子は全てPTNAの予選通過です。
まだまだ後に続く参加者が沢山います。

飛行機が大空へ大きく羽ばたいていく時のような勇気を持って演奏してください。
離陸する時のあのものすごい勢いで堂々とステージに上ってください。

明日からは又早速、最終仕上げの生徒の演奏、どんなに上手くなったか楽しみです。
それにしても今日まで気温13度のところにいたので名古屋の蒸し暑いのにびっくりです。


2009年6月17日(水) 生徒達の最近の様子

このところ何かと忙しく高校生は実技試験が間近に迫っていますし又、PTNAの予選を受ける生徒達は
あちらこちらへ受けに行くので、皆、仕上げのレッスンで忙しくしています。

秋には学校コンサートの依頼も受けていますので、、自分のソロ演奏の曲も決めて練習しなければいけません。

又、大学で企画されるコンサートの予定が12月にありフルートの伴奏をする予定でその練習もあります。

でもいろいろな曲を知っていく事は、今までの自分より更に器が広くなり楽しいものです。人間はいつまでも死ぬまで学生であり続けるのですね。

今週末は審査もあり、なかなか日記も更新出来なくて申し訳ないのですが、沢山沢山私の器を大きくして生徒達に更に
還元できたらいいなぁといつも思っています。

学生が学校へ行っている間に私も時間を有効に使って常に勉強していきたいと思っております。学ぶことは本当に楽しい、そう思いませんか?


2009年6月13日(土) 拍感

今日、PTNAの予選を受けに行ったトップバッターのD級の生徒が予選を通過したと、
喜びの電話がありました。

今日を皮切りとして次から次へと参加していくほかの生徒さんたちもあまり賞にはこだわらず、
のびのび弾いてきてください。

さて、今日は拍感について少し書きます。
拍感とは、人間の体内にある心臓のようなものです。

心臓はそとからでは見えませんが、心臓が動かなければ人間は生きていません。
それと同じで、音楽にも生きている脈動が必ずあり、それが拍感につながります。4/4拍子なら強、弱、強、弱
4/3拍子なら、強、弱、弱のように実際生徒に指揮をやらせてみます。

そしてピアノを弾かせると全く逆の動きになってしまう生徒も・・・。

そもそもピアノは、指を下におろす為、それが拍感を分りにくくする原因の1つでもあるのですが、
指を下に下ろしても上に行く音ということが理解しづらいようです。

生き生きと生命の鼓動が聞こえる音楽は聞いていて気持ちよいものがあります。
取り違えて、身体や腕ばかり振り回したり、あるいは、強、弱、強、弱を単に音の強さや弱さと取り違えて弾いていたり・・・。

大きくなってから拍感を身につけようとしてもなかなか身に付かず、小さい時に比較的単純な曲から拍感にそった音楽の動きを身につけさせることが肝心です。

音の数が増えてくるとなおさら身体が覚えてくれなくなります。
自分がオーケストラを指揮しているようなつもりで演奏すると良いですね。


2009年6月6日(土) 音の強さは、自分の感動の強さ(その2)

仮にタッチが弱くても内面から出ている音楽性豊かな演奏は、少しも音楽がやせて聞こえません。

要は音の強さ云々より音楽にあふれた内面から湧き上がっておこる演奏をする事なのです。
そうすればとても広がりのある豊かな音楽にも聞こえるからです。

私が聴く限りヨーロッパの子達は、そんなに強い音を出しません。それどころか、逆にものすごく弱く、柔らかくまろやかで、特に弱音はとても美しく、空間をまわって響いているという感じ。
日本人の子の方が音の大きさだけで言えばすごく大きく弾けます。練習もすごく真面目にするし、コンクールとなれば弱々しいと音負けしてしまうから小さい時からそういうクセもつきます。又、住居が響かないせいもあり、とにかく必死で音を強く出そうとする、そうすると結果的にただ、がなり立てているだけだったり、硬いたたきつけた音になったり、
どの音も同じで多彩なニュアンス、色合いに乏しい演奏になってしまいます。

仮にあまり音が出なくてもすごくハーモニーの変化を感じていたり、アゴーギクをたっぷりとれて、
幅広い大きなフレーズを保てると、タッチの弱さは、全く気になりません。

役者さんが何かの役をやっていて1つのセリフに悲しい気持ちをこめてと台本に書いてあるとします。
そこで悲しい顔を作るのではなく、そこで悲しい気持ちになれば、自然にそういう表情が生まれます。

音楽も全く同じ、まずは気持ち、感じること。

6月4日(木)、中学1年の生徒がこの前の弾き合い会の感想をレッスンノートに1人1人書いていて、ある同級生の演奏に
「何か心を動かされる演奏だった」と、大変感動した様子が書かれていました。
心を動かされる演奏は、理屈抜きで誰しも文句なしに感じられると思います。

まず、自分が他人の演奏を沢山聴いて感動する事。
そして、どうしてその人の演奏は、自分の心を強く揺り動かしたのかを、深く研究する事から始まります。

感動する演奏はきっと、演奏者の心も強い感動に満たされているはず。
自分が感じていれば、相手にちゃんと伝わるのです。
自分が感じないのに相手に伝わるはずはありません。

タッチの強さは、自分の感動の強さからくるもの。音の大きさではありません。


2009年6月5日(金) 音の強さは、自分の感動の強さ(その1)

ピアノを習っている生徒さんの中では、タッチが弱く、なかなかしっかりした音が出ないという悩みを
持つ人が多いと思います。

原因の1つとしては、肉体的なものからくる場合。元々、指の関節が弱く手のひらが狭く薄い、又手が開きにくい事から音が出にくいというケース、

もう1つは、音がよく分っていない、又、音楽性に乏しく、そのため指に気持ちを伝えるということが理解
出来ずにいるケース。

ここでは、後者のケースについて取り上げようと思います。
よく私が、私のクラスに入られたばかりの新しい生徒さんに「そこの音もっとしっかり」と注意すると、
何も考えずただ大きい音、あるいは、ただ小さい音を鳴らそうとします。

これは、音楽を感じることをせずに、表面的にしかピアノを弾いていない生徒さんに多く、そういう弾き方が習慣になってしまうと、いつまでたってもしっかりした手を作る事が出来ません。そういう生徒さんは、内面から音を出すということがなかなか分りづらいようです。
又、強拍の時と弱拍、あるいは裏拍を弾く際も、全て、手首や腕の力の入れ方、抜き方は、違ってきますし、
上向きの音と、下向きの音でも、力の入れ具合が変わります。

それが、音楽を感じて弾けると、自然にそのように、筋肉や、神経細胞が、一体化しますが、
弾く前に、指はしっかり、手首は力を抜いてというところから始まると
全く違う動きになるばかりで、結果的になかなか音楽がまとまってきません。そういう生徒さんは結果論として”タッチが弱い”傾向にあります。

明日へ続く


2009年6月3日(水) 同級生の演奏で刺激を受ける生徒達

6月に入りました。先日弾き合い会に参加した生徒達は、同じ友達の演奏を聴いて随分
刺激を受けたようです。

毎回のレッスンで何度同じ事を言っても演奏に変化なしの生徒達がたった1回、ホールで弾き合いしただけでガラッと
演奏がかわってくるなんて正にこれこそ「弾き合い効果」ですね。



私も普段レッスンでしょっちゅう弾いて示すのですが、それより何より強い薬になるのが
「同級生」の演奏、私が弾くより「同級生」の演奏が一番刺激になるようです。同級生の影響力はすごいものがありますね。

今日は大学生達も来週発表会なのでリハーサルをしました。
皆、「緊張する」「緊張する」というので「腹式呼吸をしてみましょう」と言って皆でおなかに手を当てて
息を吸ったり吐いたり、そんな事をやっていました。

そうですね。小学生でも中学生でも、何回人前で弾いても、こればかりは一生慣れるということはありえませんね。
それどころか、上達すればするほどピアノを弾く事が難しく感じ、又緊張も強くなっていくのが成長した証です。
もし自分が昔に比べ緊張するようになってきたと感じる人は、自分の成長を喜んでください。

緊張はどのみち誰もがするものと思ってかかり、要は、緊張はしても普段と同じ力が出せるということが大切ですね。