2009年2月26日(木) 結果が見えてくるのは5年先10年先

他の先生から変わってこられてまだ私のところで習い始めたばかりの生徒さんが目標を持つためにコンクールに挑戦される事はとてもよい事だと思います。

しかし、そのコンクールを受けるのはこれからもピアノを続けて学んでいくのか、ピアノをコンクールの結果でご両親様が辞めさせたいと思ったり
ましてピアノを弾く本人に全く意欲がなくなってしまった場合、興味があったのは「音楽」の方ではなく、コンクールで賞をもらう事だったのかなぁと思いかねません。

又、終わったばかりのコンクールの講評用紙を持ってこられて「こんな事を書かれた、
うちの子は、ちゃんと上手に弾いた、前の先生の教え方に疑問がある」みたいにおっしゃられるお母様もいらっしゃいます。それを聞くと
「そうですね。大変才能がありますよ」と言って欲しいのかなぁと思ってしまいます。

残念ながら私はそういうことに何の興味もなく、申し訳ないのですが、どの子の演奏も皆同じに私には聴こえます。
一人ひとりの演奏のレベルはそう大差ありません。特に小さい時は、なおさらです。  

これは特別な才能だと思える子と、全く、ピアノには向いていないという子も一握りですがいます。
(全く両手が一緒に動かない子の場合ピアノを習ってもストレスがかかるだけなので、そういう子には私もきちんと本当のことを話します。)
後は、殆どが皆どんぐりのせいくらべなのです。
だから努力のしがいがあるわけですが、小学校低学年ぐらいで頂いた賞に、又、仮にダメだったとしても家族全員で才能があるとかないとか一喜一憂してはいけません。

又、私のところへ来て間がない生徒が「今年は○級を受けて全国決勝大会を目指します」なんていうのを聞くと心底びっくり仰天してしまいます。
決勝大会なんて、宝くじをひきあてるくらい難しいのにそんなに気軽に考えられるという事は自分のレベルがまだ全くわかっていないんだなあ、
ピアノの世界がどんなに厳しいのか知らないのだなぁー夢があるのは良い事だけど過剰に期待がかかっていると
結果が良くない時にがっかりするだろうなぁと思ってしまいます。

普通に弾ける子が他所から変わってこられて少しずつ結果が見え始めるのは最低でも5年先、10年先の事です。

ましてや、来たばかりの子は、私の言葉を理解するだけでも大変な事だと思うし、音楽に対する考え方
そのものを今までとは全く違う方向に変えていかなくてはなりませんから最低でも5年ぐらいかかってしまうのです。

「ハイ、先生を変わったからすぐ上手になってコンクールでも良い結果が出て・・・」。という事を絶対に期待してはいけません。

そういうことがしっかり判った冷静なご両親の考えの下でピアノを習える子供は、本当に落ちついて勉強でき、意欲も持て安心できます。

充分ご家族の方も、受ける本人も、冷静に判断して賢くコンクールを受けることが出来るなら私のところに来て間がない子でも、私はいつでも気持ちよく参加させてやりたいと思っています。

コンクールを受ける生徒は興味があるのは、「コンクール」で賞をもらうことではなく、「音楽」をする事の方に、いつだって興味を
持ち続けて欲しいというのが私の全ての生徒への願いです。


2009年2月25日(水)結果が見えてくるのは5年先10年先

もう少しで2月も終わり、3月になろうとしています。
皆さんが楽しみにしている門下生コンサートも(3月21日)近づいてきました。皆とても上手に弾いています。

PTNAの課題曲もそろそろ出ます。




先日もあるお母様からご相談を受けました。
「コンクールを受けてよいものか、先生とご相談させて頂いてから決めようと思いまして・・・。
先生の毎回のレッスンが本当に素晴らしく楽しく、又、沢山の曲を見て頂けるのでコンクールを受けると、
その曲だけになってしまうので、実のところ迷っています。」と、おっしゃられます。

それはその通りです。コンクールを受ければ、勿論他の曲はストップしますし、又、それぐらい深くつっこんで課題曲を研究しなくてはなりません。自分のものにするには、
3ヶ月ぐらいでは足りない位です。

私は、どの生徒にもコンクールの参加は強制しません。
受けてみたい、そういう気がある時は受けさせて、もう、こりごりだと思う子に無理に進めたりは、しません。

このお母様にも「子供が受けたいというのであれば、受けさせて良いと思いますが特に級の低い段階では、
まだ、その結果がよくても悪くても、本物ではないのでそこのところを冷静に受け止められる気持ちさえあれば、大丈夫ですよ。

大人になり曲が難しくなってきた時に、本当にその人の力が結果として現れてきますが、まだA1級や、B級位では、 賞に入ったとしても
それは、本人の力ではない事も多く、指導者と、お母様のお点のようなものですね」と私が話すと、
お母様は「本当にそう思います。」と1つ1つ私の意見に納得して聞いて下さっていました。

このお母様は、子供さんがまだ小学3年生と小さいけれど、とても冷静に受け止めて下さっているなぁと私はとても嬉しくなりました。


明日へ続く


2009年2月20日(金) 結果が全てではない

今朝、音楽科の推薦入試の合否発表があり、受かった生徒達2人から大喜びの電話がありました。
喜びあり、涙ありの何日間かで、皆辛かったでしょうが、本当にお疲れ様でした。
そしておめでとう!

私の生徒達だけでなくほかの受験生の皆さんも、又、もう一度受けられるチャンスはありますから、
決して諦めないで最後まで最善を尽くしてください。

私の中学3年生の頃が思い出されます。
自分で今思い返してみても後にも先にもあんなに緊張して頭の中が真っ白になって弾いた事はありません。
それぐらい恐怖で手は最初から最後までブルブルブルブル震えていたし、音はうわずり、自分でもどうしようもなかった事を覚えています。
もう当然駄目と思い弾いた後、すぐ先生に電話をすると、慰められるどころか「なに!?(鬼の形相だ・・・・)上がったなんてそんなのだめじゃない!(カンカンに怒ってる!!!)
普段上手く弾けていても本番上手く弾けなかったらどうしようもないでしょ!!」
といつもの事ですが、雷を落とされてしまいました。
勿論その恐い声で悲しみも吹き飛んでしまいましたが・・・。
結果は合格だったんですが、自分でも何かおかしくなる位上がって、勝手に恐怖を作りだしてしまい、今思い出しても笑えます。

私自身の学生時代は泣き言ひとつ言わせてもらえない非常に厳しいスパルタ教育を受けてきましたが、(その当時は、皆、それが当たり前だった)そのことは私の生徒達の中で知っている子も多いと思います。

しかし、だからかもしれませんが、その体験が私の場合反面教師になっているというか、指導する側になった私は自分が育ったように、生徒を育てたくはありません。

受験は、ただでさえ誰もが苦しい辛い時期。
思い通りに結果が良かった子もそうでない子も私はどの子にも等しく「本当に長い間ごくろうさま、よくがんばったね」と
いうねぎらいの言葉を真っ先にかけてあげたい。なぜかといえば、その結果が人生の全てではないからです。
長い人生の中で本当に小さな小さな出来事に過ぎません。
人生は何が幸いするか、本当にわからないものなのです。
あの時ダメだったけれどあそこに行かなかったからこそ、今こうして自分が本当に満足できる道を歩いている、そう思えることこそ、一番幸せであり、成功です。

受験生を持つ全国のお母様お父様はうちの子を、隣の子や、その他の子と比べるのでなく自分の子のレベルを良く知り、
どんなに小さなことでもその子が努力している事に(結果でなく)充分な満足をしているのだと、子供に伝えてあげてください。

私は結果がどうであれ、何事も最善を尽くす人間は素晴らしいと思っています。

これは実際の話なんですが、ある人があと余命3ヶ月のガン宣告をされました。その人はもうすぐ死ぬのは自分でわかっているし、誰もが知っています。
しかし、その人は、意識がある限り、フランス語を話せるようになりたいと最後まで、フランス語の勉強をしているというのです。
命がまだ、続くのなら、フランスにもいけるし、フランス語で話す機会もあるでしょう。
しかし、この人には、命すらないのです。
そして死ぬというのがわかっていてもそれでも勉強して努力して最後まで自分を生かそうと努めるのです。立派だとは思いませんか?
それを無駄だと思うか、そうでなく人間の生き方として本当に立派だと感じられるかの違いだと思うのです。

私も生徒達には、どの子にも最後まで最善を尽くします。
そうする事で、人生は結果ではなく何に関しても最善を尽くし後悔をしないこと、そして、本当の幸せは、自分にあった生き方を一つ一つ見つけていく事が一番大切なのだという事をわかっていって欲しいからです。


2009年2月14日(土) 受験生

先週と今週、何人かの生徒からヴァレンタインのチョコを頂きました。
私も学生時代を思い出し、一番大切な人は、もちろんピアノの先生!!でしたから差し上げていたなぁと、懐かしく思い出しました。

来週目前に受験の実技試験を控えている中学3年生達のレッスンは、今日が最終でした。
思えば、本当に長期間文句も言わずよく頑張ってついてきてくれたと、思います。

1人1人のレッスンに付き合いながら、私は1人1人に心の中でありがとう、ありがとう、 と繰り返していました。

中学生という時期はよく反抗期といわれ、自分に対しても世間に対してもやたら自我が強まり反発したい時、といわれます。

しかし、私のところの中学生は1人もそういう生徒がいません。
小学生と違い、中学生になると良い事も悪い事も自分の事を良く知ってほしい、そういう時期になります。
出来る限り生徒の事を良く知り、ちょっとした変化も見逃さず、話をきいてあげる事が何より大切な時期でもあります。

まして受験生はただでさえ、精神的にも不安定になっているはずです。
しかし、私の中学3年生の時と比べると皆、何と素直で可愛らしく良い子ばかりなんでしょう!感動してしまいます。

1人の受験生が、「先生は緊張した時にどうしますか?」とたずねます。

私は、笑って「そうね。昔はおまじないしたり、ありとあらゆる方法を試したけど、どれも全く効き目はないからもう何もしないってある時、そう思った。
それが大人になった証拠だったかもしれない、緊張を無理に取り除くのではなくそういう自分を受け入れる。そして緊張を楽しむ。
人生を上手に乗り切っていける人は、結局何事もこだわらず楽観的に受け入れる事が出来る人だと思う。

何か気に入らない事が、あったり、自分の思うようにいかないことに反発し続けこだわっているのでなく、
さらりと受け流せるようになる事は人間的にもはるかに上だし立派ね。そして自分の今の力を隠したり良く見せようとせず素直な気持ちでそのまま出す、それだけ」と答えました。

そして又、こうも付け加えました。
「視野を狭くしちゃあ駄目ね。人生何が幸いするかわからないものよ。自分に一番似合う、素敵な道がどんな人にも開かれているはず。
その学校に入らなくてもその時はもっと違う幸せがあったと思いなさい。
結局人間ってなんだかんだいいながら、自分の好きな道を歩いていくものよ」とも。

私も神様が今も、もっともっといろんな人に音楽のよさを伝えなさい。貴女の体験を沢山の人に分け与えてあげなさいと
おっしゃっておられるようにあってなりません。

だから私は、お祈りするみたいにピアノに向かいます。私にとってピアノの仕事をすることは祈りと同じなんです!

どんな職業でも誰かのために働いている人の姿は、私にとっては、やさしい神様の姿と重なります。

正に、生徒を見ていると神を感じます。光やオーラだって見えるのです!!その時につくづく感じます。
天職なんだなぁ・・・。と
天から頂いた職業を大切に感謝し、受験生達が私に沢山の教えをたずさえて持ってきてくれた事に対しても感謝しつつ落ち着いて弾いてくれる事を祈っています。


2009年2月10日(火) 緊張

昨日、大学生の生徒達がしきりに「緊張する。緊張する。」と言って指も手もガチガチになっていました。
緊張しないようにするには、どうすればよいのかなと思う生徒も多いと思います。

私の体験上いえる事は、そういう解決法は、残念ながらありません。
なぜなら人間は、緊張するのが普通だからです。

中学3年生の生徒にも話したのですが、解決法として出来る事は自分が緊張しているという現実をありまのままに、受け入れる事。
自分がこんなに緊張しているという事は自分の精神が弱いからかもしれない。
何とか克服しなくては、などと絶対自分の気持ちに抵抗しては、いけません。

どんな人間でも緊張するのが、普通の事なので自分が弱いからでもなんでもない。
自分の弱さを充分受け入れてどんなにあがっても上手に弾けるようにしておくという事だけが、普段やれる事でしょう。

ただ私が思うに練習の時、完璧に弾けていたら本番でも大丈夫、絶対上手くいきます
しかし練習の時、不確かなところがあれば、勿論本番でもその通りの演奏になってしまいます。

要するにその人の実力が本番では、最も発揮されるといえるのです。

従ってどんな時でも自分の実力以上の事は、望めないのだと思います。
自分を必要以上に良く見せようとせず、ありのままの自分を素直に受け入れ、又、周りの人にもありのままの自分を見てもらう。
そうする事が、一番緊張を少しでも軽くする方法といえるでしょう。


2009年2月9日(月) 別れ

今日は大学の最後の試験がありました。

今日で4年間勤めさせて頂いたこの大学は私が忙しくなってきたので終わりにさせて頂いたのですが、
同僚の先輩が私を送るパーティーを開いてくださるというので試験後、同僚の先生方と近くの喫茶店に立ち寄りました。

私は見送られるのは何だか卒業式みたいでどうも苦手なのですが・・・。

小学6年生の子は中学生へ、中学3年生は高校生へ高校生は大学生へとそれぞれ別れがあり
又、新しい出会いがあります。

人間て別れるために出会うのだなぁ!いずれは、どんな人とでも別れなくてはいけないのだから

私と出会う全ての人達が、私に出会って人生が変わり幸せになってほしいと毎日願いながら
人と接しています。















2009年2月8日(日) YPFの審査

今日は午前中1人だけレッスンをした後、すぐにYPFピアノフェスティバルの審査で桑名へ出かけました。

今日来た中学2年生の生徒に2007年度の音楽科のソルフェージュの過去の問題をとってもらいました。
元々良く取れる生徒でしたが、かなり難しいものも和声、2声、旋律聴音、3つとも満点、ばっちりです。

そしてすごいのは、彼女の書き方が素早くしかも、とても綺麗に丁寧に書かれている事。
ソルフェージュは、いかに素早く丁寧に縦と縦がきっちり合うかが、ポイントですが、彼女の譜面は本当の楽譜のようです。

「すごいね。○○ちゃん」と言って大きな花丸をあげました。
今年の4月からは中学3年生になり受験生なのでピアノもその調子で頑張ってほしいです。

今日審査に伺った所は、桑名の北勢堂楽器さんでした。
終了後、講評を話しますが、皆さん、一生懸命うなずきながら私の話を聞いて下さり、アットホームな雰囲気で
とても楽しく審査できました。

私がみる限り私の生徒も含めてどんな子供も音楽は好きだと思うのです。
ただ音楽の心を指先に伝えていくという事を理解しにくいように思います。

そしてこれは身体の中身の事だから、非常に教えにくいところでもあります。

歌は自分の声で、ピアノは、たまたま指先を使って弾きますが、それは手先だけでは本当にピアノを弾いている事にはなりません。
感情と筋肉は常に一体化しています。
怒ると身体中が緊張し、硬くなり、幸せな時は身体がリラックスしているはず。
眠たい時は全部の筋肉が緩んで、このような時は練習などしても無駄なだけ。

ピアノを弾くという事で自分の身体や感情も注意深く知る事が出来ます。
正に音楽するという事は生きている生命そのものなのです。


そういえば、私が出かけている間に今年受験生の1人が沢山受ける音楽高校の中の1つに合格した、と喜びの電話があったそうです。おめでとう。良かったね。
昨日彼女はとてもはっきりした声で3分間スピーチを披露してくれました。内容は素晴らしいものでこちらが感激してしまいました。
正に青春そのものといったすがすがしさでつくづく若いっていいなあと、思いました。
何事においても真剣になれる素晴らしい時期です。

又受験のためのリハーサルにPTNAのステップに参加した生徒達も頑張りましたね。もうあと少しの辛抱です。
皆さんそして、全国の受験生の皆さんも頑張ってくださいね。


2009年2月3日(火)言葉の持つ力(その2)

いつかバスに乗っていた時、「オレさぁー メシくってさー」と大きな声が聞こえるので
ぎょっとして振り向いたら何と若い大学生ぐらいの女性でした。
本人は男に生まれたかったのでしょうか?それともそういう言葉を使うことで何かかっこよいと感違い
しているのかなとも思いました。

そのような言葉使いを毎日、もし使っているとしたら、恐らく自分の身を滅ぼしていき、とんでもない
汚れた人生を送る事は目に見えています。汚い言葉使いは一番に自分を傷つける行為になるからです。

誰もそのような汚い話し方には、かっこ悪いから見向きもしないし、そこには、女らしさのかけらも見受けられません。
私はこの世で人間が生きる意味というのは、自分の力を最大限活用し、生かしきって他の人に奉仕する事だと常に思っています。

女に生まれたなら男とは違う女らしさを持って生きることがすでに他の人に奉仕している事につながります。

言葉が持つ力はものすごく大きいと、私は信じています。
私が高校・大学と過ごした7年間言葉遣いのとてもきれいな先生がいらして私達のような年齢もずっと違う生徒に敬語を使って話してくださるのです。
私はそれまでは、三重に住んでいましたので学校でも、そのような敬語で話して
頂ける目上の方がいらっしゃらなかったので、その時、何か自分が良い方向へ運命が変わっていくように強く感じました。

たかが、言葉と侮ってはいけません。

前向きな言葉を使えば、運もどんどん開けてきますし、やさしい暖かい言葉を他人にかければ、自分も他人から優しく暖かく愛されます。相手を尊重すれば自分も尊重されます。正に相手は自分を映し出す鏡なのです。
一度きりの人生ですもの、私は思う存分自分の力を生かしきり、沢山の人を愛したいと思っています。

ピアノを弾いて来たおかげで今までにも素晴らしい方々との出会いが沢山ありました。
素晴らしい先生方、素晴らしい生徒達、今後もどのような素敵な方達に出会えるのかと思うと、毎日が楽しみです。


2009年2月2日(月) 言葉の持つ力(その1)

今日は大学、日記が書けると思うと嬉しいです。

昨日小学6年生の生徒が、レッスン室に入るなり、「お忙しいところを時間をずらして頂いてありがとうございました。」
そして続いて中学2年生の生徒もそのように、自分の言葉で伝えてくれました。

最近特に思うのですが、私のところで5,6年ぐらい習い始めてからたつ生徒の
話し方には、ピアノと同様、大変な成長ぶりが感じられ嬉しい限りです。

生徒達は、どんなに小さくても大人顔負けといった受け答えをすると思います。

ピアノだけでなく、そういったところまで品格が備わってきて本当に素晴らしいです。

私はよく、まだ音楽の本質がわかっていない生徒達に音の切り方、一つとってもピアノで弾くだけでなく
言葉で話してみて伝えます。

例えば「わぁ、きれいな夕焼け。という言葉があるとするよね?すると(感情をこめて)「わぁ・・・・きれいな夕焼け!」というのと
(無愛想に)わ、きれいな夕焼け」というのとどちらが感じよく聞こえる?」というようにです。

「○○ちゃんの今の弾き方はいかにもめんどくさそうな、投げやりな音の切り方だったわね」と言うと良くわかるようです。
そういったことを割合小さい小学生の低学年の頃から習慣付けていくと、大きくなっても自然に音楽で自分を表現できるようになってきます。

ピアノの技術だけを学んでいくのでなく、話し方など含めて全般に感性が磨かれてきた時、初めて美しい
ピアノ演奏が出来ると私は思います。