2008年12月29日 スタインウェイのピアノを選定

今日は、新しいピアノを選定するために朝6:30に家を出て品川にあるスタインウェイジャパンの
ショールームへ調律師さん2人と行って来ました。

同じ型のピアノ3台をひきくらべてみました。


昨夜たまたま私の恩師のケラー先生の奥様がウィーンから国際電話を下さって
「明日スタンウェイピアノを東京へ見に行きます」と、報告したばかりでした。

中古にするか、新品にするかとても迷ってご相談したら「それはめぐみさんの商売道具なのだから、勿論新品を買った方がいいわよ・・・。」
と、Keller先生の奥様からも、調律師さんからも勧められました。

一応気に入った新品のピアノを納入して頂く事に決めて帰りました。
新しいピアノは、これから私好みの音色にしていく事が出来ます。


ピアノって本当に生きているのだなぁと思います。
これからどんな色に染まって私の音色を作り上げていけるかと思うと嬉しくて夜も眠れません。

すぐには私の色にそまりません。しかし、5年、10年かけて作っていきます。生徒を育てていくのと全く同じで、
「愛情」が肝心。そうなんです。音は自分で作るものなんです。
生徒達も一つ一つ自分の音を作って自分のピアノをよりよく変えていってくださいね。
どのようにも変えられるものですから・・・。

しかし、ピアノ1台選びに行くのに大勢の方の助けを借りて素敵なピアノを選ぶ事が出来ました。
皆さん本当に有難うございました。







2008年12月27日(土) 1台のピアノレッスン

「わぁー1台のピアノになっている!!」
私のレッスン室に入ると皆、おどろきの顔です。
今まで2台あったピアノに慣れた目には、スッカラカンと映って見えるようです。
私とピアノとのお付き合いを少し話しましょう。

   まず、生まれた時からすでにあったアップライトピアノが1台。
   小学2年生で、播本先生に選んでいただいたグランドピアノが1台。
   高校に入って東京の下宿先に入れたグランドピアノが1台、
 ウィーンの留学時代のグランドピアノが1台、そして日本に帰ってきて社会人になって初めて自分で買ったピアノが今の1台です。
   今度、新しいのを入れると6台目ということになりますが、3歳から37歳までの現在まで、起きている時間は、
   殆どピアノを弾いていた私にとって、ピアノは1番の消耗品。
   私に付き合ってくれたピアノさん、長い間お疲れ様。有難う、という気持ちでさようならします。

私は車も持たないし、免許もない。若い子が欲しいと思う家具やブランドもの
        (どういうものがブランド物かさえ知らない)=エルメスをヘルメスと読んで笑われた)や、
        指輪、アクセサリーなども全く興味がありません。だから若い人との話は聞いてもチンプンカンプンで同世代の人達からは、よく笑われます。

私の持ち物はピアノだけです。
後は、何もいらないという感じ。その分音楽に没頭してきたわけですが、今度購入するピアノも私とフィーリングの合う
新しいピアノをじっくり研究して選ぶつもりです。

1台になったら、受験生のリハーサルも先日出来ましたし、ソルフェージュをしたり、又、みんなの指をじっくり見るととんでもない指使いを
使っていて恐ろしくなったり(!?)
新しい再発見もあり、1台は1台でなかなかレッスンをしやすいものだなと感じました。

今日は先日しらかわホールで演奏した生徒が写真を持ってきてくれました。皆楽しそう!!

今年最後のレッスンだった生徒達は、「今年1年本当に有難うございました。先生とのレッスンは本当に楽しかったです。
又、来年もよろしくお願いします」とくちぐちに言ってくれます。
「そうね、本当に先生も○○ちゃんとのレッスンとても楽しかったわ、よいお年を送ってくださいね」と言って皆を送り出します。

皆本当に成長しました。皆のおかげで私もとっても楽しかった!
来年も皆さんはまだまだのびますよー。
人間は、成長するようにつくられているのですから。
来年も私と一緒に音楽の奥深い世界を探検しに、美しい宝物を見つけに出かけましようね。そして心を豊かにしていって下さい。


2008年12月24日(水) ピアノが運び出されて

今日は2台ある内の1台のピアノを運び出し、調律センターへピアノを見に行ったり、調律師さんが私の部屋のサイズをはかりに来て
下さったりと、大忙しでした。

今まで2台置いていたので明日からの生徒さんはスッカラカンになっていてびっくりする事でしょう。
受験生もいることですし、なるべく早く2台めを入れるつもりですが、それまでは、1台のピアノでレッスンします。

部屋も広く使えるし、生徒の音も良く聞こえてソルフェージュもしたり、リハーサルもしやすいかな、と楽しみにしています。

又、昨日は来年3月21日の門下生コンサートの幹事さんが、とてもきれいなチラシを作ってくださいました。
私にはとてもこんなに上手に作る能力もないし、毎年の幹事さんたちが本当に上手に作ってくださるので助かります。
心から感謝をしています。
年明けから皆さんに配れると思いますが、ここで一言。
プログラムの順番を気にする生徒がいるかと思いますが、それは全く気にしないで欲しいと言っておきます。

というのは、曲目の組み合わせなどであくまでも上手い、下手で順番は決めていないからです。
何部だから、私は上手とか思わないでほしいという事。
それは聞いて下さるお客様が納得してくださる事と思いますが、どの生徒も皆、素晴らしい演奏をしています。

ゆっくりめの曲の次は少し、活気のあるものがいいなとか、お客様を退屈させないようにプログラミングして工夫してありますから
どの子の演奏も色とりどりできっと納得していただけると思います。

日記を書いていたら、今日しらかわホールで演奏した生徒のお母様からメールが入りました。
門下生の生徒達がかけつけてくれたそうで、とても嬉しかったとのこと。おめでとう!。
その演奏を門下生コンサートでは、更に磨きをかけて弾いてください。
今から本当に楽しみです。

私の生徒達の絆が深く、暖かく、仲が良いのも私の誇りで、音楽と共に生徒達は私の一番の宝物です。
美しい音楽を奏でるためには第一に「心」を育てる事から、が、私のモットーです。どんなにピアノが上手く弾けても邪な心が少しでもあると、たちまち駄目になってしまうのも音楽家です。
これからも私同様、生徒達も純粋に「音楽」と向き合ってくれる事を祈ります。


2008年12月22日(月) 不思議な音楽の力

今日で今年の大学のレッスンは冬休みに入りました。
さて、先日レッスンに来た小学6年生の生徒、本番が近いのでリハーサルをしたのですが、シューマンのアラベスクを
本当にきれいに、聴かせてくれました。

彼女も12月24日PTNAのコンサート(しらかわホール)で演奏しますが、是非皆さん聴いてあげてください。
演奏を聴いた後、何か1つでも心に残るようなものがあると本当に嬉しいものですが、そのような演奏を彼女はしていると思います。
「本番もきいて下さる人の心があったかくなるように弾いてね。」と、彼女に言いました。

私はレッスンの時によく生徒達に「この部分はどんなイメージ?」とか、「ここはどのようにひきたい?」と質問します。
すると以外と皆、「さぁ?」とか返答に困るようです。
相手に伝えるためにはまず、自分が具体的に「こう、ひきたい」「ここはこんな美しいところだから皆に伝えたい」
そのイメージがはっきりしていなくてはいけません。
自分の言いたい事が、相手にきちんと伝われば、相手もそれを受け止める事が出来ます。

日常生活においての会話と同じで音楽もその人の考えがあいまいだと相手にも?と映ってしまいます。

又、中学3年生の男の子と中学1年生の女の子にも今、弾いている曲のイメージを聞いてみました。
チャイコフスキーを弾いている彼は「なんかマイナスイオンのような森林のイメージがあって・・・。」
ショパンを弾いている女の子の方は「季節は冬で自然を思い浮かべます。」と答えてくれました。

音楽ですから、間違いというのは1つもありません。その人の感じるままでよいのです。
一番よくないのは、「何も感じない」ということ、弾く人が何もなければ、勿論聴きてにも何も伝わりません。

良い演奏を聴くと本当に心に残ります。
その人の生活や、人生観が変わってしまうくらい音楽の力は大きいのです。

私達は、この不思議な大きな音楽の力に、ただただ屈服するしかありません。
「音楽」が私達に語りかけてくれる「何か」は神様からの大きなあふれ出る「愛」ともいえるでしょう。
「愛」も言葉や目には、「形」としてはみえません。

しかし、愛する人の心の中には見ることが出来ます。「音楽」もそれと同じ。聴こうとする人には、聴こえるし、
音楽を心から感じる事の出来る人には、相手からの音楽の「心」をそのまま受け取る事も出来るのです。


2008年12月21日(日) 音楽と向き合うピュアな心(その2)

先生は何型ですか?の質問に「何型に見える?」と、私の方が逆に尋ねると、「O型かな?」と言います。
「私はAB型よ」と笑って答えました。

中学生になると、このような質問が出てきます。
又、こういった質問がわくようになると、それに伴って「音楽」も一段と、輝きを増すようになるのです。

彼女は私の門下に入ってやっと1年経ったばかりですが、本当に人間的にも音楽的にも1回りも2回りも大きく成長したと思います。

私はレッスンであれこれ教える以前に、その子自身のものの考え方や、個性を尊重し、受け入れてあげる事から始めます。
それは一番にまずその子の心を開かせるため、そうすれば、心が開いて初めて、良い音楽を一緒に作っていく事が可能です。
無理やり自分の考えを押し付けるよりも、ずっと自然に1人1人持っている力を伸ばす事が出来るからです。

どの子も全く純粋に音楽と向き合っているー。それが私のほこりです。
それは、私が留学して帰ってきて教え始めた頃から全く変わる事はありません。

昨日は、その後に中学3年生の受験生が来ましたが、受験が近づいてきたなぁと思わせるような演奏をしていました。
最後まで気を抜かないで、受験の日に最高の演奏が出来る事を祈ります。

昨日もう1人来た中学2年生は12月24日に名古屋のしらかわホールで、PTNAの演奏会に出演するのでリハーサルを教室でしました。

仕上げまでに時間はかかりましたが、ベートーヴェンのソナタ10番を弾きます。
彼女の魅力は、とても音がよいことです。
澄んだ音は、聞いている人を魅了します。お時間のある方は、聞いてあげてください。

よくあの人の音が良いとか、悪いとか、批評されると、思いますが、皆さんその違いが、わかりますか?
皆の演奏を聞く時にあそこをはずした、ここを間違えたではなく、キラッと会場に伝わる音か?も注意して聞いてみましょう。

彼女は、もう少し心を開いてくれるともっと音楽が、生きてくるのに・・・。と、いつも思います。

私の生徒達の心が美しく輝き、ピュアな心のままで、音楽と向き合っている事が、本当に嬉しいです。


2008年12月20日(土) 音楽と向きあうピュアな心(その1)

今年も後、10日ばかりとなり、大学や高校も休みが近づいて来ました。
おととい、忙しいピアノレッスンの合間をぬって続けているドイツ語の検定試験(独検)の合格通知が届き、
嬉しかった事といったら、学生のような気持ちで合格通知を受け取りました。
ピアノと同じで、語学の学習も毎日の積み重ねが大切だということを改めて実感できました。
これからも時間のある限り忘れないよう、勉強していこうと思います。

今日は、つい先達てPTNAのステップを受けた小学6年生の生徒がレッスンに来ました。
彼女は、もしかすると、今、私が教えている中で一番小さい時から見ている生徒になると思います。

ステップアドバイザーの先生方からも大変嬉しいお言葉を沢山頂き年明けのPTNAのあしながコンサートや、
岡崎のコンサートに向けてとても強い自信につながった事でしょう。

6年前の彼女が私のところに初めてお母様に連れてこられた日の事を思い出します。
お下げ髪で椅子の上にチョコンと座り、私がクッキーを彼女にあげると、その小さなもみじのような手で
本当に美味しそうに食べていた姿が昨日の事のように思い出されます。
又、補助ペダルを使っている彼女がお人形さんみたいに可愛かった事など・・・。

私はどの生徒達にも「今日、明日出来なくてもいいの。1つの事を本当に学んでいく事は、長い長い時間がかかるものなの。絶対あせってはだめよ。」と、
常に言い続けてきました。
彼女にもそのように言い続けて来ましたが、私の言葉を信じて、着実に力をつけてくれていると思います。

彼女は小学6年生でありながら、大変譜読みも暗譜も早いし、年明けの受験生の弾き合い会を聞きに来る時に
自分の勉強になるからと、全ての受験生達の曲を弾いてみて弾き合い会に望むそうです。

「平均律の楽譜は何版を買えばよいですか?」と私に質問していました。弾き合い会の時はきっと
楽譜を見ながら勉強する事でしょう。

又、今日は中学2年生の生徒が素晴らしい演奏でラフマニノフ、と、プロコフィエフを聞かせてくれました。
又、自分はB型なのだけど ・・・。   

そこからは 明日へ続く


2008年12月15日(月) ソルフェージュ

ピアノを学ぶ人にとって必ずやらなければならない事の1つに「ソルフェージュ」があります。
私のところに来ている生徒達も来年受験の生徒が何人かいるのでピアノレッスンの合間にメロディ聴音、
二声、四声、新曲視唱、等をやってもらいました。

又、来年の受験生だけでなく、来年中学3年生になる生徒(音楽高校受験生)の数名にも取らせて見ました。
皆、さまざまでした。

全て出来た子、♯や♭等調号が付くとまごつく子、リズムに弱い子、四声体のバス、テノール、アルトなどの
下声部、中声部が取れない子など、さまざまです。

昨日中学3年生と同じ問題で取らせて見た中学2年生の生徒は、勿論良く取れて、音符の配置や、
縦と縦がきれいにそろった実に見やすい譜面として整っていました。

彼女、いわく「縦と縦をきっちりそろえて書かなくてはいけません、特に1拍目はきちんとそろえて書くように、と、ソルフェージュの先生から言われます。」と言っていました。
グループでやっている子だけど、彼女はすごく先生のおっしゃる事を、真面目に聞けるのだなぁと、
感心して「○○ちゃん、すごく、きれいに書けるのね」と、ほめたのでした。

受験生の中にも1人満点で取れていた生徒がいましたが、彼女もきれいに整っていて感心しました。

私は、幼い頃から四声体をとるのが大好きでした。

今の私は普段時間がないのでピアノレッスンだけしかしていませんが、このようにやってみると、その子のあらゆる面から、
知る事が出来本当に良かったと思います。

ピアノとソルフェージュとは、非常に深い関係があり、その子の事が、良く判るので今後も、音楽高校、音楽大学を目指す
生徒には、レッスンの合間に取らせていきたいと思っています。

聴音が良く出来るようになるためには、譜面からまず弾いてみる事、
音楽的なことを参考にするには、名演奏家のCD等聴くことも大切ですが、
まずは、音符の長さや休符など、楽譜に書かれていることを、その通りに弾く事です。

そしてアンサンブルにも耳を傾けると、音を聴き分ける能力がついていくでしょう。拍やリズムをきっちりとれるにはCDの聴き覚えではなく、譜面から1と2と3と4と、という風に、自分の口で正確に拍をとることによってテンポ感が身につきます。ピアノを弾きながらソルフェージュの練習も出来るのです。
小学生の低学年生は、書けなくても、音を当ててみる訓練を養っていくと段々と身についていくでしょう。


2008年12月12日(金)最近のレッスン生の様子から。(その4)

そうする事でまずは自分が気持ちよく1日が過ごせるからです。
私の周りにいる皆さんから暖かい愛情を受け取りその愛を又、若い世代に伝えていく
そうする事で、彼らもきっとそういう風に行動しようとすると思うからです。

この世の中を生きやすくも、生きにくくもするのは、まず自分の行動から・・・と、常に反省しながら、毎日暖かい心で、
ピアノと付きあい感謝の気持ちを忘れずに人々に接していきたいです。

私の次の世代を担っていく若い世代がいざというときに信頼できる人がこの世の中に
いるという事を実感出来る事ほど心強いものはありません。

私も昔、心から信頼できる人を求めていました。
特に中学生ぐらいの多感な年頃ではなおさら。

中学生ぐらいになるとその子の気持ちを充分に汲み取り、かつ自由に羽ばたかせてやる事が大切。
おかげでコンサートを控えている中学2年生達もじぶんの殻を脱ぎ始め、実にいい音楽を奏でてくれています。

私の周りは現在、生徒も同僚も、心から信頼できてピアノだけでなく
人間的にも素晴らしい方達ばかりに囲まれています。


昨日連弾のコンクールで東京へ全国大会に出場する大人の方が見えました。
彼女達とも相当長いお付き合いですが2人とも普段はピアノを教えたり、ご自分の演奏活動も頑張っていらっしゃりすごいな、と感心します。
彼女達のように大人になってもまだピアノへの情熱を失わないという事は本当に素晴らしい事です。
長い期間かけて研究してきたファリャのスペイン舞曲も彼女達の血となり肉となってきています。
ここからが楽しいんです。ひとつひとつここはどういう風に歌わせるか、とか色合いはどうしようかとか自分の持っているイメージをああでもない、こうでもないと研究していく作業が
ピアノの練習の一番楽しいところだと思います。
大人の方はそれがよくわかっています。

今後もみんなその調子で音楽を愛していってほしいです。

2008年12月11日(木) 最近のレッスン生の様子から。(その3)

私は子供達の一番のお気に入りは、てっきりゲームとか、お人形さんとか言うかなと思っていたのですが、以外でした。
やはり「物」じゃ心は本当に満たされないというのがよく分かる場面でした。

特に小学3年生ぐらいの男の子なんて、遊びたいさかりでしょうに、と、思いますが・・・。
しかしゲームなどは一時の楽しみのようなもので、いずれすぐに飽きて面白くなくなっていくと思うのです。
どうしてかと言えばそこには暖かい人間の愛が感じられないからです。会話がなく、一方通行のものや、
「愛」が感じられないものにはどんなにおもしろいものでもやがて全て飽きてしまうのです。
それは子供達が一番よくわかっているところ。

先日小学4年生の生徒は、レッスンノートに「先生のところへ来て今までの3倍の量をこなすようになって沢山の曲がさらえて嬉しい」と
書いていました。

他の方達からも「先生のおかげで本当に毎日楽しくピアノの日々を送る事が出来ました」と保護者の方からたびたびお手紙を頂いています。
そういって頂けるとそれだけで報われた気持ちになります。
こちらの方こそ皆さん、私を愛して下さって有難うございます。

1日の終わりに必ず私は「今日の自分」を振り返る事にしています。
今日1日出会う人全てに優しい言葉をかけてあげられたか、暖かい気持ちで人に接する事が出来たかどうか等です。

何故そうしなければいけないかといえば・・・。この続きは明日へ


2008年12月10日(水) 最近のレッスン生の様子から。(その2)

「今日は先生にもたれかかってピアノを弾いた。
抱っこされているみたいで恥ずかしかった。
先生は暖かくふんわりしていた。やさしい、いいにおいがした。
先生は、いつもいろんなことを教えてくださるので私もそれに、こたえたい。」

子供らしい素直な感情が、現れていて私も本当に感動しました。
彼女はまだ、私のところでようやく1年経ったばかりですが、着実に上手になって来ています。

人の心を汲み取る力のある子は特に芸術面において素晴らしい才能を発揮します。大人も子供も関係ありません。

日曜日は、今度、あしながコンサートで、連弾を弾く女の子と男の子が来ました。
サウンド・オブ・ミュージックの「ドレミ」と「私のお気に入り」を本当に楽しく弾いています。

私は映画の中で何が一番好きかと聞かれればトップに上げたいのが、「サウンド・オブ・ミュージック」です。
落ち込んで泣きたい時も必ずどんな人も幸せに嬉しくなれる映画ですから。

「サウンド・オブ・ミュージュック」の背景になっているザルツブルグも私の大好きな町の1つです。
ウィーンからも近いザルツブルグは、留学中何度か行きましたが今年の夏、又、訪れてみて、益々とりこになるような素晴らしい町でした。

何度でも行きたくなる不思議な街のザルツブルグを背景に又、それを上回る美しい音楽が
次から次へと流れるのがこの映画をもっとも魅力的にしているといえるでしょう。
ザルツブルグを有名にさせたのも何もクラシックファンだけでなくこのサウンド・オブ・ミュージックのファンがこの町を訪れるからです。

連弾で彼女達が「ドレミ」や「私のお気に入り」を弾いてくれると私の愛してやまないザルツブルグの町並み、ザルツカンマーグートの湖、
山へヒューっと気持ちが飛んで行ってしまいます。

彼女達が弾く時に呼吸をとっていないのでこの曲は歌詞もついていますし、「歌ってごらん」と言ったら2人で実に楽しそうに大きな声で歌ってくれました。

「2人とも何がお気にいりかな?」と聞くと、男の子は、即座に「ほら、やっぱりアレじゃん!ピアノ!」と答えます。
女の子の方もやはり「音楽」のようでまだ2人とも小学3,4年ですが、そんな風に「音楽」を愛してくれているのだなぁと
本当に嬉しいなと思いました。

   明日へ続く


2008年12月9日(火)最近のレッスン生の様子から。(その1)

早いものでもう今年も終わりに近づいてきました。
この1年を振り返ると私は、これまでと同じようにピアノ一色の生活でしたが、素晴らしい生徒達に囲まれて本当に楽しく幸せな毎日だった事、
夏には留学から帰って10年ぶりに仕事の合間をぬってヨーロッパを訪れる事が出来、
第2の故郷ともいえるウィーンで恩師と出会い自分の内面を充分見つめる事が出来ました。
毎日何事もなくピアノの練習が出来るのはみんなのおかげと感謝する毎日です。

さて、最近のレッスン室を覗いて見ましょう。
生徒達は、今1人1人 PTNAのコンサートやステップ、3月21日の門下生コンサートなど、それぞれの目標に向かって張り切っています。

その中でもやはり一番大変なのは音楽高校受験の子達でしょう。
これまでにないエネルギーを費やして頑張っているはずです。
ピアノに、ソルフェージュに、学科に、と見ているこちらの方が可哀想な位です。

人生の節目節目で他にも生きていくうえで避けられない大変な事は、沢山あるはずなのにそれでもやはり高校受験は辛い。私の経験上からいってもそうでした。
特にピアノは勉強と違い一発勝負ですから練習の時上手く弾けていたのに、というのは、まるきり言い訳となってしまいます。
例えどんなに自分を見失うほど本番で緊張していても、上手く弾けなくてはいけません。

私も通ってきた道を振り返るとよくもあんな恐いところで弾いてきたなぁ、と思います。
15歳という若さで、どんな事にも体力的、精神的に耐えられるそういう年齢だからこそ、やれるのだなぁと、つくづく感心してしまいます。
昔の私を思い出し、必死で頑張っている彼女達をあと数ヶ月間精神的に暖かく支えていきたいと思っています。

又、先日来た小学2年生のレッスンノートから。
この続きは又、明日の日記で


2008年12月2日(火) 身体は楽器(その2)

胸をえぐられるような悲しみを味わった人なら誰でも理解できると思いますが、
悲しみを感じた「魂」が激しく揺れ動いて人間は、泣いたり、又は、嬉しくてたまらない時もうワクワクして
どこかへ走りよっていきたい!そんな風だと「魂」が喜んで全身が何ともいえない幸福感で満たされます。

それらは、全て内側から出てくる「音楽」なのです。
又、「表現しようとするとはずしそうでこわいのですが」と中学2年生の彼女は言います。
その気持ちもよく分かります。

フィギュアだっていくら身体が歌っていても「すってんころりん」の連続だったら目も当てられませんものね。
特に技術的によく弾けている子、能力のある子には、私も更に高いレベルを要求するかもしれません。
でもそれは自分は先生から見込まれている証拠なのだと解釈してほしいと思っています。
「そこまで弾けているのだから内側からエネルギーが満ち溢れ出したら
どんなに素晴らしくなるだろうに」とその子を引き上げてあげたい一身でアドバイスします。

彼女には「あまり失敗する事を恐れず自分の殻を打ち破っていくといいよ」。と言っておきました。
物事が上達するには失敗を沢山しないとだめなんです。失敗しないように、失敗しないように、と初めから恐れていては大きく成長出来ません。

私はこの年になっても何回でも失敗しますがそれによって落ち込んだりしませんし、失敗を決して恐れていません。
彼女の様に若ければなおさら何回失敗しても全然平気です。
失敗を繰り返すうちに自分の身体が感動してその音楽と一体化して震えだすようになります。

彼女達にそういう強い激しい感情が生まれてくるまで私はあせらず辛抱強く生徒達を見守っていくつもりです。


そして私を離れた時に、きっと生徒達の誰もが「身体が楽器」だという事の本当の意味が弾けなくても胸にストンと、
落ちる日が来るようになると思います。


2008年12月1日(月) 身体は楽器(その1)

今日は12月に入り1年はあっという間でもう師走になりました。

先日、小学2年生の女の子がレッスンノートに「先生が身体は、楽器とおっしゃった言葉が、心に残っています」と、書いていました。
私は生徒達によく「音楽を聴くとどうして人間の心が揺さぶられるのだと思う?それは、人間の身体が、楽器だからよ」と言います。

良い音楽を聴くと、それに伴って自分の身体(楽器)が共鳴します。
一緒に身体が振動して歌い始めるのです。
又、「ピアノの楽器は鳴らせて、弾けていても、自分の身体の内面から出てきた音で弾けなければ「本当に」「真から」歌っていると言えないんだよ」とも
アドバイスします。

よくcresc(クレッシェンド)をする際に、それは「本当のクレッシェンドじゃないよ」と注意します。
音を段々強くしていく事は、「音量を強く」するのではなく、貴女の持っているエネルギーを内側から外側へワァーッと押し出す、
押し広げていく、そういった感情の「うねり」みたいなのが、出ていなければそれは本当のクレッシェンド、ではないという事。

又、先日来た中学2年生の生徒はフィギュアスケートにとても興味を持っているようなので「フィギュアはクルクル飛んだり回転する事以上にとても大切なポイントがあるの、それは身体が歌を奏でているかどうかという事、そうやって見ると上手な選手は、身体が歌っているわね、でもそうでない選手は、身体が歌っていない、
その区別はわかる?」と聴くと「わかります」と答えます。

ピアノを弾くのも同じ事。フィギュアもそうですが、バレエもそうです。
悲しみの場面なのに、いまいち踊る人の「心」が伝わってこないのは、背中が、指先が、身体から、涙がこぼれ落ちていないからです。

明日へ続く