2008年11月28日(金) 暗譜は意志の強さ(その2)

私がよく生徒にアドバイスする時は、「ハーモニーを良く理解する事」です。
暗譜でまごつく時は大抵、左のハーモニー、又、ハーモニーの変わり目、調整が変わる時などです。

又、1回目も2回目も似たようなフレーズが、あった時、少し形を変えて、繰り返しているような時は、
感覚だけで覚えていけるのは、曲が複雑でない小さい時だけ、
高校生ぐらいになれば、絶対、頭を使ってその少しの変化も見落とさないよう頭を使っていかなければ曲も長くなりますし、なかなか暗譜しづらくなってくると思います。

そこで、大切なのが、その曲を深く理解する事と、絶対に覚えようとする強い意志です。

最も重要なのは、やはり「強い意志」だと私は考えています。
本番で弾く曲を半年前に準備するとします。
そうしたら、半年あるからまだいいやと、ダラダラ練習する人と、
1週間後に本番で弾くと仮定して一つ一つ本当に真剣に練習してすぐ暗譜して弾こうという強い意志のある人とでは、
大いにレベルの差が生まれます。

早く暗譜してしまえば、それだけ、又、先生にお習い出来る他の曲数も沢山増えていくから、
先生にお習い出来るのは今しかない、と、学生の時、私は常にそう感じてレパートリーを沢山ふやしていきました。

自分がのんびりやっていれば、先生もそれでこの子は、精一杯なのだろうからと、レベルを下げて教えてくださいますが、
自分が高い目標を持って曲をこなしていくと先生の方も益々、それに合わせて高いレベルの事を教えてくださるし、次から次へと
新しい曲を下さるようになり、それが楽しくて必死で譜読み、暗譜をしていた事を、懐かしく思い出します。

とにかく、どの子も音楽云々より、学生の頃は、先生から又、親からほめられたいということが一番優先しているはずです。

私は学生の頃の自分のその気持ちを思い出して少しでもその子なりの意思や、努力が見られれば、見逃さず、
充分にほめる事を心がけています。

ほめられれば子供は又、嬉しくなり、頑張ろうとします。

そうやって一つ一つの積み重ねがその子を結果的に意志の強い人間にさせていくと私は信じるからです。


2008年11月27日(木) 暗譜は意志の強さ(その1)

学業の成績が優秀な学生は、結局何事に関しても暗記する事が、特別早いのではと、
思われるほど、学生達は、日々暗記することを強いられているのではと思う事が良くあります。

掛け算の九九を覚える、漢字を覚える、英語の単語を覚える、数学の公式を覚える・・・・に限らず、日々学生達は、自分の考えを
じっくり考えたり、しっかり理解するより先に何でも「丸覚え」で詰め込まれていきます。

ピアノ曲を、暗譜する事も同じでしょうか?

私は物事を、暗記する時は、必ず、何かそこに自分の興味なり、好きだという気持ちがまずあって
それに関していろいろと自分なりに考える事があって理解が深まり、自然に覚えていくというのが、一番理想的な、覚え方だと思います。

もし、何の興味も抱くことなく、ただ、意味も分からず、丸覚えしているような、暗記は、本当に理解した事になりませんから、
時がたてば、あっという間にわすれてしまうでしょう。

ピアノの暗譜も丸覚えはよくありません。


明日へ続く


2008年11月24日(月)(祭日) 沢山の曲を同時に練習する方法(その2)

私の生徒達も工夫して持ってきている子たちがいます。
私はいつも「では、来週はこの曲を練習して持っていらっしゃい」とレッスンノートに書きます。
すると、その宿題となった譜読みも暗譜も出来てしまった場合、再来週持って来る曲の譜読みを始めている子もいます。

先日レッスンに来た小学6年生の女の子は、毎週金曜日に暗譜すると決めて練習しているみたいで、練習をいろいろと工夫して楽しんでいる様子。
今週の宿題だけでなくその次の週の曲も並行してみていけば、益々レパートリーが広がります。

器が広ければ、(レパートリーの数が多ければ)コンクールでも受験でも学校の試験でも困らなくなります。
そしてそれだけ数多くこなすと自分の弾けない曲、弾きやすい曲がひと目見ただけですぐ分かるようになります。

良い意味でも悪い意味でも自分の実力はこんなものと冷静に判断できるのです。弾けない曲が多くてがっかりする事もあるでしょう。しかしそれでもかまわないのです。学生を卒業し、将来自分が人を教え始めた時、どんな曲でも自分が弾いたことがあり知っていると、適切なアドヴァイスをしてあげられます。

要は、実力がものをいう世界なのです。
そして、実力さえあれば、恐いものなしというのが音楽の世界です。
今日は祭日なのに今から大学のレッスンがあります。試験も近いし皆上手くなったかな。。。。。。。。。


2008年11月23日(日) 沢山の曲を同時に練習する方法(その1)

今日はドイツ語の用事で1日家を空けていてレッスンは出来ませんでしたが電車を待つ間日記が書けたので良かったです。

先日、高校での学内オーディションがあり、きいた感想として、一昔前では、考えられないような難曲に挑み、しかも、
ものすごく高レベルな演奏を殆どの生徒達がしていて感心しきる事しきりでした。

皆、毎日7,8時間は、ピアノに向かっているのじゃないかなぁと感じました。
高校生ともなれば、(普通の生徒ではなく音楽科ならば、)手も身体もほぼ成人の大人並になりますから、
あらゆる曲が弾けるようにもなってきます。
そこで問われるのが、1曲だけを1年かけてやっときれいに仕上げたというのと違い、沢山の曲を
しかも、一度期に、短時間で、芸術として完成度を高め、きれいに仕上げていくといった演奏に出来る人と、出来ない人とでは、大いに差がついてきます。

 私が高校生の時、ショパンの24のプレリュード全部(40分ぐらい) ベートーヴェンの後期のソナタ31番全楽章(30分ぐらい)
ショパンのソナタ3番全楽章(30分ぐらい)アルバン・ベルクのソナタOP.1(10分ぐらい)バッハの半音階的幻想曲とフーガ(12分ぐらい)
シューマンのコンチェルトa-moll(30分ぐらい)を短期間で一度期に練習していた事がありましたが、本当に大変だった事を思い出します。

おまけに高校生ですから一般の学科やドイツ語などの試験勉強もあります。単位を落とすと留年になってしまいます。
それこそ学校へ行く以外はいつもピアノの前に座っているという生活でしたが、譜読みと同時に暗譜していくと
いうペースで毎日練習していました。が、こっちをやるとあっちがだめになり、あっちをやるとこっちがだめになるといった状態で、
良い練習方法はないかといつも考えていました。

そこで、私がよくやったのが少しずつ全部の曲を練習するという方法。
ソナタなら、呈示部と展開部だけとか、バッハならフーガだけとか少しずつ分けて練習していました。
そして残りは、又、次の日にやるという感じで自分なりに工夫していました。

今、日記を書いてる途中に小学5年生の生徒から 日本ピアノ教育連盟主催 第25回ピアノオーディションでA部門で奨励賞を頂いたと電話がかかり
大変喜んでいる様子が伝わってきました。しばらくお話をしましたので日記は、又続きを明日書く事にします。

明日へ続く


2008年11月17日(月) 受験生

今年も受験の時期が近づいて来ました。一年の経つ事の早いことといったら!

私のクラスでは、受験生のための弾き合い会等も来年早々行いますが、先日レッスンに来た中学3年生達には、
受験の際のポイントをお話しておきました。

まずはどの世界でも同じでしょうが「ミス」はない方が良いのは皆、暗黙の了解でしょう。
そして全曲をしっかり弾き通せる「集中力」も必要です。

そのうちの1曲は、上手く弾けたけれど、どこかで必ず、指がもつれるとか、音がわからなくなってしまうとか、
そういう感じだと暗譜能力がないのかなぁとか、集中力に欠ける子かな、とか、あるいは長く弾いていると手首や腕が硬くなってひけなくなるタイプだな、
脱力が出来ていないと大曲が弾けないだろうから、この先音楽高校で勉強するのはふさわしくないなと思われてしまい、可哀想だけど・・・
ふるいにかけられてしまいます。

コンクール等も勿論ですが、まずその曲がテクニック的に「弾けている」ということが第一条件。
その上で、ペダルのにごりや、(ペダルは、特に自分の音を聴いて弾いているという点において耳のよさを問われるから大切)

統一感のあるテンポも(これも自分が弾いている時にしっかりとしたテンポ感を保ちつつ、ひいていけるということは、客観的に
自分の音を聴けることにつながる)とれなくてはなりません。

その上で音色の美しさや、多彩な音色の変化などもポイントです。
その人が出した音色そのものがキラキラ瑞々しく、美しいのはそれだけでも十分魅力的に聴こえます。

皆、ほぼ、同じレベルの演奏で仕上げてくる受験では、誰が聴いても「上手い!ピカピカした演奏だなぁ!」と
感嘆できるほど仕上げておけば、受かる確率は高いでしょう。

私はよく生徒達に言うのですが、「良いものはよい・・・。」誰が聴いても文句なしに上手い演奏は、やはり、ずば抜けて上手いのです。美味しいお料理は誰が食べても美味しいと感じられる。そんな演奏が出来れば恐いものなしですね。

「このくらいなら上手く聴こえるだろう」ぐらいでは、印象に残りません。私も高校受験の時先生から良く言われたものです。
「良くも悪くもない演奏というものはどのように点をつけてよいかわからなくなるんだから!忘れられるような演奏はしちゃだめ!何人聴いた後でもピッカピカに光り輝いてなきゃ!」

受験生達には、これから約3ヶ月間、いつまでも忘れられない印象を残してくれるようなピカピカ光り輝いた演奏を目指して、前向きな気持ちで望んでいってくれれば、と思っています。


2008年11月11日(火) 若い時の苦労は買ってでもせよ(その2)

昨日の続き

それはそれで又、上の段階の厳しい新しい道が待っているわけなのですが、
私も実際体験し一つ一つ乗り越えていくたびに本当に楽しく音楽の世界は、素晴らしいと
この歳になってもつくづくそう思います。

私はピアノを一生の道にすることで失われたものも、犠牲になった事も数多くありますが、それ以上に得るものが多く
学生という若い時期を無駄に過ごさなかったという強い自信が今の私を支え、とてもさわやかな気持ちにさせてくれています。
学生の頃よく聞かされていた「若い時の苦労は買ってでもせよ」という古い世代の両親の教えが常に私の頭の中にありました。
もし私が中途半端な気持ちで学生の頃ピアノに向かっていたら、恐らく今の自分はなかったと思います。
自分でまいた種は、必ず刈り取るものだからです。
だから私はあまり「運」や「偶然」というものを信じません。

必ず物事には原因があり、それに伴って結果が出るものです。努力していると自然に運やツキにも恵まれます。
運やツキは、誰かが持ってきてくれるのではなく自分で運んでくるもの、運は自分で切り開いていくものです。


小学6年の彼女も将来学生の時はつらい事が多かったけれど先生のいっていた通りだなぁと、
後々人生を振り返ってみてその言葉を信じてきてよかったと少しでも思ってもらえれば私も嬉しいです。


2008年11月10日(月) 若い時の苦労は買ってでもせよ(その1)

昨日レッスンに来た小学6年生の女の子は、毎回のレッスンに持ってくる曲を
殆ど暗譜して持ってきます。

昨日も、12月のPTNAのコンサートの曲以外に、ハイドンのソナタ(2,3楽章)ベートーヴェンのソナタ3楽章
と暗譜して持ってきていて、ここ最近ショパンやモーツァルトやどれもこれも暗譜して持ってくるので
「あまり、根つめて、頑張り過ぎないようにね」と言っておきました。

私はたいへんうれしいけれど、彼女にとってのこれからの長いピアノ人生、疲れてしまわなければ良いがと気遣っての事
でした。

人間いつも張り詰めていたらどこかでダウンしてしまいます。
息抜きも大切です。

かくいう私も学生の頃は、いわゆる「練習の虫」でどの先生からも「あなたーちょっと つかれてるんでしょ!?
指が全然回ってないじゃないの?どこか、遊びにいってらっしゃいよ」と
度々言われたものでした。

まぁ、そうはいっても何かを人並み以上にマスターするには、それはそれで人並み以上の努力が必要なのかもしれません。

外国語を習得する際に辞書をまるごと全部覚えて暗記したという人をよくきくけれど、そこまで努力すれば
当然ペラペラに話せるでしょうし、ものになると思います。

大体普通はそこまでやろうともしないし、出来ないと思います。
努力が出来るという事は才能のうちだと私は思います。

又、学生の時に一度くらいこれ以上はもう頑張れないと思えるほど、一生懸命一つの事に取り組んでみることもいいでしょう。そうすれば
自分の本当の力も良くわかってくるし、それに伴い必ず道も開けてきます。


     明日へ続く


2008年11月8日(土) マリンバコンサートの本番

今日は、マリンバコンサートが名古屋市千種のI.M.Y ホールで開かれました。

今、リハーサルが終わり本番を待つ間、楽屋で日記を書いています。

今日弾くブラームスのピアノトリオ1番は、本来ならヴァイオリンとチェロとピアノとのアンサンブルなのですが、
マリンバとのアンサンブルというのが、とても画期的な試みです。
マリンバの音色は、とても柔らかくてまろやかで、心が癒されます。

私はブラームスでは、ピアノソロではやはり晩年に作曲されたインテルメッツォのOP.118とか119、又、ソナタ3番、
ヴァイオリンソナタの「雨の歌」などは自分が弾くのも聴くのも大好きです。

私がアイルランドで開かれたダブリン国際コンクールに出場した際に、同じ、コンペティターで、今は立派なピアニストでもあり、モスクワ音楽院の先生としても、
ご活躍のパーヴェル・ネルセシアンの弾いたブラームスのソナタ3番は、その当時、大学2年生だった若い私の心に
とても響き、今だに忘れられない印象を残してくれています。

私が桐朋学園大学の大学1年生の終わりに音楽理論の和声の授業を担当して下さった、
今は亡き作曲科の平吉毅州先生が、「ブラームスはあんなに若くしてあのようなソナタの世界をつくりあげた、君らも音楽のそういった
世界の素晴らしさをわかるようにしっかり勉強しなさい」
と最後におっしゃった言葉が、今になって見るととてもよく理解する事が出来ます。

音楽とは、湖に沈む夕日や月明かりの晩や、冬の冷たい空気にキラキラ輝く星空のようなもの、
そしてそれを見たときその風を身体に感じる心が音楽、言葉を超えたところから音楽は始まります。今日のブラームスもそれはそれはブラームスの魅力がいたるところに詰まっている名曲です。

本番、ブラームスの暖かい歌がそのまま聴いて下さる方々の心のすみずみまでしみ入るように演奏します。

最後になりましたが、今日聴きにいらして下さった生徒さんや、保護者の方々誠に有難うございました。


2008年11月3日(月) 再来年音楽高校受験の中学2年生

11月に入りました。
昨日、再来年音楽科を受験する中学2年生の生徒が「芸文図書館で音楽高校の入試に出る
ソルフェージュの課題を調べてきました」といって五線紙に全部写してきて書いたものを見せてくれました。

又、先週は「ピアノの練習時間が取れないので塾をやめようかと思うのですが、どうでしょうか?」という相談を受けたところでした。
彼女は、小学6年生の卒業式を目前に控えた弱冠12歳のときにお母様がなくなられたのですが、その後も1人で
泣き言一つ言わず本当に良く頑張ってきたと思います。

他人には計り知れないつらさや悲しみがあったと思うのですがしっかりと乗り越えて再来年、お母様も希望されていた音楽高校を受験する予定です。
もうそんな年になるんだなぁと胸がいっぱいになります。

彼女は1人っ子だし、お父様がお仕事から帰られる時間が遅い時もたびたびあります。
そのような時、学校から帰ってお父様が帰っていらっしゃるまでの夜の間、特に日が早く暮れる秋から冬にかけては、
1人ぼっちでピアノを練習するのは、さぞ心細く淋しいだろうにな、と察します。


弱冠14歳で、受験の事も普通ならば、全て母親が調べてきたりするのが一般的でしょうが、彼女は今から着々と自分で情報を集め準備を進めている様子です。今からこんなに自立していたらどんなつらい事も彼女なら前向きにたくましく乗り越えていくでしょう。

私も指導している側として、彼女のよき相談相手にといつも気にかけていますが、何しろ頭が良く大変しっかりした子で、甘えた言葉や、
愚痴一つ言ってきません。

いつも「甘えた事は、言ってられないのだ、私がしっかりしなければ」と2本の足でしっかりと大地を踏みしめて前を向いて生きているといった感じでつくづく感心してしまいます。

来年の門下生コンサートで彼女は、ショパンの「別れの曲」が弾きたいといってきて今一生懸命練習していますが、昨日も素敵に弾いてくれました。
お母様がいなくても本人の心構えしだいでこんなに立派に成長していけるんだなぁ!さぞ、天国のお母様が彼女の前向きな姿勢を見て喜んでいらっしゃるだろうなぁ、又、応援して彼女が1人でもたくましく力強く生きていけるようにパワーを与えて下さっているのだろうと思います。

今日も彼女が受験のために写してきたという楽譜を見ながら何だかわけもなく涙があふれてきました。
学校から帰り家事もして塾にも行きバッハなどは、ちゃんと校訂版を写してきて「決してテストがあったから書き写す時間がありませんでした」などと言わないのです。

多感な年頃だし、ピアノ以外にもいろいろな悩み事や相談事、自分の話を聞いてもらいたい事や、悲しくてつらい事も泣きたい事もお母様に慰めてもらいたい事も沢山あるだろうにそのような事は微塵も見せず、けなげに頑張る彼女が何ともいとおしくてなりません。

お母様の念願だった音楽家になる事が一番の供養になると思いますし、とりあえず音楽科受験に向けて上手くいくよう心から声援を送ってあげたいと思います。

私は彼女の精神的な心の支えとなり、全力をあげて後押しする事位しか出来ませんが、この調子で今後も前向きに強く生きていって欲しいと願っています。