2008年10月30日(木) 子供の味方(その2) 昨日の続き

生まれたばかりの赤ちゃんも何も言葉は、話しませんが、かたりかけてくれるお母さんの目をじっと見つめて一生懸命聞いているのと同じ事です。
黙っていても時が来れば必ず日本語を話すようになる。

私の幼い頃の体験談なのですが、私が何も話さない、非常におとなしい子供であったためか、周りの大人からこの子に
何を言っても通じないだろうと思われて、その頃のピアノの先生がレッスンの間中、そばで聞いている母に何やかや、
「お母さん!わかる?お母さんは理解できるわよね?」とおっしゃるのです。

お母さんが理解出来てもその子供が理解しなかったらどうしようもありません。

私は子供ながら、ピアノを弾いているのは私なのに、どうして私に言ってくださらないのかと、
内心、無視されたようなあまりいい気分がしなかったのです。

「先生、あのね、あのね.・・・」と何でも話しかけてくるそのような子供らしい子供も勿論いますが(普通の子供ならそういう子の方が多い)
私のようなおとなしい子供は、心の中で、大人の考えをしっかり持っている子供も必ずいるからです。

ただ話さないだけでそのような子供に限って自分の意見はしっかり持っている子供が多いものです。

だから私が質問した時、生徒から何の答えが返ってこなくても黙っていても、全くかまいません。
子供は大人の話をとっても真剣に聞くし、心の中ではしっかり答えようとしているというのが、自分の体験上良くわかるからです。

子供はどんどん上達する事が可能です。そんな事やるのは恥ずかしい、とか、ばかげているとか思わない素直さがあるし、
目の前にあることを一生懸命やろうとする力が元々備わっているからです。

お母様にばかり話しかけて子供はロボットのように弾いているだけだと小さい時は良くても、いずれ大きくなって成長した時に困る事になりますし、
「お母さんが聞いてくれているから、自分は聞かなくてもいいや」とか、なってしまいます。先生の話が理解出来れば更に上達出来るので、まず子供に真剣に相手の話を聞く力をもたせてやるのが一番です。

レッスン時の録音もそれに似ています。
「後で聞き返せばいいからいいや」と、どこかレッスンに集中しない状態になってしまいます。
いつも「今」集中しなくてはいけません。

ステージでのピアノ演奏も1回勝負、「今」しかありません。
録音が必要な時、それは、例えば、本番が近くなり、このテンポのままで持っていこうというような時、
又、本番が近いのにあまり良く理解出来ていないな、と、感じた時のみ必要に応じて私の方から「持っておいで」といっています。

自分に一生懸命話かけてくれる先生の事にまず、興味を持ちその先生が弾くピアノに興味を持ち、
好きになって、毎日練習する自分の事も好きになっていく。そして週に一度の私とのレッスンがその子の生活のうえで非常に重要な位置を占め
なくてはならない存在となっていく、

そういう風になっていくと、もうピアノをやめたいとは、どの子も思いません。やる気のない子にはその子供に「責任」をもたせてやればどんな子供も張り切って頑張ると思います。

私のおとなしかった子供時代、心の中でいろいろ大人のように考えていたからこそ、今、その経験が生かせると思っています。

何はともあれ、私はいつでも実際、ピアノを弾くその子供の味方だからです。その子の手の問題も、弾きにくい箇所も、悩みも、全て含めて理解できるのです。


2008年10月29日(水) 子供の味方(その1)

「ファラドド レファシシ ラドファミ ミーファ・・・・・・」
先日レッスンに来た小学2年生の女の子は、かわいらしい声で歌いながら、モーツァルトのメヌエットを弾き始めました。

彼女は3月の門下生コンサートに向けて一生懸命頑張っています。
シューマンの小練習曲もまさか声に出して歌わないだろうと思っていたらこれも「ソシレ シソレ ソドミ ドソミ・・・・」と
全部左も右も声に出して歌っていくのにはびっくり!
家での練習では良いけれど、本番のステージでは、声に出して歌わないようにね、といいました。

そういえば、バッハ弾きのグレン・グールドがウンウンうなりながら弾いている録音がありますが・・・。

冗談はさておき、とりあえず、私がテンポが走ったり、暗譜が出来ない時、歌い方がわからないときは、声に出して、歌ってひいてみてね、
と、以前いったことを本当に忠実に守って、その通り、弾いて来たことをとてもほめました。
実際声に出して歌って弾いてみる事で、テンポが走らなくなっていましたし、シューマンの優しい夢見るような美しい音色が出てくるようになっていました。

「この曲はどんな感じ?」とたずねると「きれいな曲」と答えます。
「そうね。とてもきれいな曲だけど、具体的にもっとこの音は、光がさし込んで暖かい感じ、とか、胸の奥が痛んで切ない感じとか
赤ちゃんをやさしく寝かせつけるような子守歌のような感じとか、イメージを沢山持つといいわね。そしてそれを音で表せるように
多くの音色の変化や音の色合いが出せるようになるといいね」と彼女に言いました。

私は生徒を教えていく時、お母様がレッスン室で聞いていらっしゃる時も、必ず、子供に何でも話しかけるようにしています。

ピアノを弾くのはお母様ではなく、その子なのですから。どんな小さい子供でも、私がかなり難しい事をいっていても
「何か意味はよくわからないけれど、先生が自分に対して一生懸命に語りかけてくれている」ということが、
その子供に伝わればそれでいいわけです。

  明日へ続く


2008年10月27日(月) 音が動く

10月も終わりに近づき、今日、大学に行く時、あー外は少し寒くなってきたなぁと感じました。
マンションは本当にいつまでも暑く、11月頃まで私は夏のスタイル、クーラーもかけてレッスンをしています。
今日、やっと日記が書けるなぁと思いながら電車の中で書いています。

私がレッスンの時、アドバイスする事の1つに「音を動かして」というのがあります。
これは要するに音楽が前へ進んでいない1箇所に立ち止まっている足踏み状態の事を言います。

ロマン派や、近、現代等の「音の洪水」状態(音符が沢山詰まっている曲)ならあまり、気になりませんが音の少ないバロックや
クラシックなど、シンプルなものほど難しいといわれるのは、それが1つの理由です。

ピアノの楽器の持つ特性ゆえに特に長い音符で、伸ばしているところなどは、弾く人が、そこをどうやって、次の音に
進ませていこうかという音の方向性を考えていないと音は死んでしまいます。

長い音符や休符などで自分の気持ちも一緒に切れてしまう、つまり、歌うのをやめてしまうわけです。

歌おうとすると不必要に身体をゆり動かしたり、腕を必要以上にくねくね動かして音楽を動かそうとする人もいます。
しかし、目をつぶって聴いてみると、全く音は歌われていない状態の演奏も多いもの。ピアノは弾くのでなく歌うものです。音に歌がなければどうしようもありません。

頭を冷静にして、じっくり自分の出す音に耳を傾ける事からはじめていくと良いと思います。
身体も腕も音楽に関係のない動きを一切やめて、音に生命を吹き込んでいくよう練習してみてください。


2008年10月20日(月)歌心をつかむには?

昨日は1日ピアノの仕事で出かけていました。
夜、帰宅すると丁度私の誕生日ということで、生徒達からカードやきれいなお花やプレゼントが届いていました。
他にもいろいろな方から祝って頂いてなんだか申し訳ないです。
皆さんの気持ちは大変有難いのですが、レッスンで上手にピアノを弾いてくれる事が私にとっては何よりのプレゼントです。

今日は大学でした。なかなか家で落ち着いて日記が書けず電車に乗る時やホームで待っている空き時間をぬって書いています。

今日は「歌心」について書きたいと思います。呼吸とも密接にむすびついています。

生徒がレッスンで弾いていて歌い方が変な時、私は「声に出して歌ってごらん」と言います。
すると殆どの生徒は、上手く歌えません。それどころか息も吸えないようです。

まず第一に家と違って緊張していて声が出ないというのもあるかと思いますが・・・。
この際大切なのは、美しい声で歌いなさいという事は、全く要求していなくて大切なのは、フレーズがどこから始まり
一番気持ちの来る頂点はどこなのか、それが少しずつフレーズの終わりに向かって緩んでいくのはどこなのかという、音の方向性を良く感じて
うたっているかどうかを聞きたいだけなのです。

先日中学生の男の子で「歌うのは好き?」と聞くと「いや、あまり歌った事ありません」と言います。
小学生や中学生ぐらいの生徒達も学校の音楽の授業で歌うという事をしていないようで歌心が育たないのはここに少し問題ありかな?と思いました。

私の両親は学校でも歌う機会が頻繁にあったという事でよく歌っていたと言います。
今でも歌が何より好きでしょっちゅう、うたったり、テレビの歌番組をつけて見ています。

上手なピアノ演奏に歌心があるように歌手でも歌心のある歌手と美しい声で歌っているだけの歌手とでは、はっきり違いがあります。

先日「私にはどういう演奏が上手というのかよくわかりません」と言う生徒の疑問に対し「上手い役者の演技と下手な役者の演技
の違いはわかる?」と聞きましたら「わかります」と言います。
ピアノ演奏もそれと全く同じなのです。上手い役者は演技に「気持ち」と「心」がありすべての演技が自然でわざとらしくない。知らず知らずのうちにその役者の演技に引き込まれていき、見ているこちらもその役者と一緒に泣いたり笑ったり出来るのです。下手な役者はどこか不自然で「心」がよそにいってしまうので見ている方はいまいちそのストーリーにのめりこめません。
ピアノを弾く人が音楽の中身を「?」状態と思っていたら聴く人も「?」になってしまいます。歌心をつかむには実際声に出して歌うという事を
習慣付けてください。

学校の合唱の伴奏に選ばれて弾く子なら、ピアノだけ弾くのでなく、歌の方を一番歌ってみなければなりませんし、歌詞の意味が理解出来ていなければ勿論上手く弾けません。

音楽はまず歌から。歌を歌えば音楽がすべて私達に答えを出してくれます。ちっとも難しく考える必要はありません。なぜなら
誰だって歌心は歌ってみれば理解できる事だからです。本当です。


2008年10月12日(日) ピアノはまず歌から

生徒を教えていると、あぁ、上手くなってきたなぁ、と格別な思いを抱く事があります。
性格と同じで伸び方も人それぞれ。ずーっと平行線をたどりながら目に見えない速度で伸びていく生徒、
又、女の子だと一番成長期に差しかかる小学5年から6年に変わっていくその時期にものすごく
伸びたなぁと思える子、さまざまです。

昨日レッスンに来た小学5年生の女の子の事です。
モーツァルトのソナタ KV.310のa-mollの3楽章をとても丁寧に素敵に聴かせてくれました。

彼女を私は小学1年生の終わり頃から見てきましたが、今では、楽譜に書かれてあること、アーティキュレーションの仕方
などもよく身についてとても丁寧な音楽作りが、出来るようになってきました。

彼女は1年生の頃から元々私がひくとき、自分も一緒に身体を動かして音楽にのってくる、歌心のある音楽性のある子でしたが、
モーツァルトのソナタは、大ピアニストが弾いてもどれをとっても難曲ですが、この年齢で、これだけ歌って弾ければ、
たいしたものだと思いました。

彼女は毎週30分のレッスンですが、着実に力をつけてきているのが手に取るようにわかり、私のいっていることが身についてきているなあと
昨日は、本当に嬉しくなりました。日頃の練習もとても真面目にやる子です。
今から音楽高校で頑張っている彼女の姿が想像できてなんだかとても楽しみです。

今日も最近入ってきた新しい生徒さんで、小学4年生の女の子ですがドビュッシーをとても上手にひいてくれました。
彼女は来た時から譜読みも早いし、音楽を感じ取る力を内に秘めているので、今後、もっともっと伸びていくと確信できます。反応も早く、しっかりしていて4年生とは思えません。

又、中学1年生の女の子も私のところに来て今度初めて門下生コンサートに参加しますが、私がいったことを1つ1つ理解し、
次の時には直してひくという感じで着実に伸びてきています。

彼女はスケールにきちんと指使いを書いてその通りひく、など、何でもない事を本当に真摯に受けとめてくれる子で、エレクトーン
からピアノに変わったばかりで本人は大変でしょうが、内在する音楽の力は充分あると思っています。

指導する側とすれば、なんでもないことを真剣に受け止めてピアノに向かってくれる生徒のレッスンは、こちらも時間のたつのを忘れるほど熱がこもります。

その中学1年生の彼女はどんなに小さい事でも、いい加減にせず、本当にひたむきに取り組みます。
彼女を見ていると、きっと、私のところだけで真面目なのでなく誰も見ていないところで例えば、家でも、
お掃除をきちんとしたり、学校でも皆が、嫌がったりするような事も、率先して一生懸命取り組む姿が想像されます。

伸びていく子は、目に見えないところでの努力がすごいので彼女はとても物静かで、控えめな子ですが、こちらにちゃんと伝わります。
彼女に16分音符の弾きにくそうなところがあったので声に出して歌ってみてから弾くといいよ、と先週勧めていました。

彼女のレッスンノートには、家に帰って早速そうやって何度も歌ってみてから練習してみました。
そうしたら弾けるようになりました。と書いてありました。

今日とてもきれいに弾けていたのでその努力に対しほめたのですが、レッスンを1つ1つ消化して彼女の血や肉にしてくれていると思うと本当に教えがいがあります。

ピアノを始めたのが遅くても譜読みが早く、歌心と音楽性があれば、何も心配ありません。

後はピアノの楽器を扱うのになれていけばよいからです。
ピアノはあくまでも楽器です。
内在する「音楽を感じ取る力」と「歌心」があることこそ一番大切なことなのです。


2008年10月6日(月) 演奏は聴く人の心を不快にも幸せにもさせる

10月に入りました。生徒達は運動会の季節です。

音楽高校生は、もう後期の試験課題が発表されその練習で必死です。

又、私のところで来年開催する3月の門下生コンサートの曲目もほぼ、皆、決定しました。
私のところへ入られて、まだ、日が浅い生徒さんは、どれくらい1つの曲を、掘り下げれば、人前で弾いてもよいのかという意識を、
このコンサートをきっかけに知ることが出来ます。

大抵の生徒は、チャラチャラ弾いてもう弾けた、と言ってステージに上ろうとします。
誰もいないところで弾く時ならば、それでも楽しみのためにかまいませんが、聴く人が1人でもいるのなら、
そんないい加減な考えでは、聴く人に対して大変失礼になります。

聴く人に、より幸せに気持ちよくなってもらえてこそ、初めてその曲はきれいに演奏できたといえるのです。

自分のレベルも知らないで、弾けもしないのに人より難しい曲を弾こうとか、そんなプライドや自己満足のために、ステージに上るならまだまだ、その人は
音楽の世界を、全く分かっていません。難しい曲を弾いていてもピアノと格闘しているだけで音楽の世界に到達していないそんな演奏では誰も感動しませんし、ちっともすごいなとも思われないのが普通です。ピアノの向こう側にあるのが音楽の世界ですから、弾くので精一杯な曲を選ぶと音楽の世界にいけないのです。従って
自分がステージで楽しめればよい、そういう考えは聴く人の身になっていない非常に自己中心的な考え方だといえるでしょう。

人前でひく演奏は、相手がいて始めて成り立つもの。
相手への心配りが、何より大切です。

私はよく生徒達に言います。
「誰かの演奏を聴いていて、あっちも、こっちも音は、はずしまみれ、ペダルは濁り放題、テンポはメチャクチャ、
聞こえてくるのは変化のないガンガン強い音か、全く歌っていない音の羅列・・・。
そのような演奏を長々と聴かされるとどのような気持ちになる?

もういや、じょうだんじゃない、私達を馬鹿にして・・・。とすごく嫌な気分になって腹立たしくなってくるよね?
でも逆にその人なりにものすごく、長い期間をかけて心をこめて、丁寧に、丁寧に練習した成果が見られる演奏をしているのを聴くと、
なんだか、とっても心が温かくなって私達のために本当に有難うって心から感謝の気持ちでいっぱいになるわね。

そんな風に、いい加減な演奏は、聴いている人をとても不愉快な腹立たしい気持ちにもさせるし、
心のこもった丁寧な演奏は、聴いている人から感謝される。だから自分のためだけにひいてはダメよ。
他人を幸せな気持ちにさせられなければ、自分も結局は幸せになれないのだからね」と・・・。

殆どの生徒はもう暗譜も良く出来て本当に素晴らしい演奏をしてくれています。

1年経った成長の成果が、又、又、来年3月21日に聴かせてもらえると思うと、今から楽しみでならない今日この頃です。