2008年9月29日(月) ペダルの使い方

ピアノを習う人にとって、指の技術を養うのと共にペダルの使い方も常に研究していかなければならない
テーマの一つといえるでしょう。

私が初めてペダルを踏み始めたのは、5歳の幼稚園の時、先生から踏みなさいとか、誰からも言われない前に、
自分がペダルを踏んだらもっときれいな響きがつくれるのにと思い、勝手に踏み始めました。
ブルグミュラーの「天使の声」です。
子供ながら、ペダルを上手く使えば天使の響きになると考えたなんて本能的に人間は、みな、
天使の声を知っているんだなぁと今になると不思議に思うのですが。

その後、何十年とペダルにはお世話になってきました。
ペダルは耳で踏んでいくものですが、その曲を弾く場所によっても踏み方をかえなくてはなりませんし楽器によっても始終、変化させる事が出来ないといけません。

家で弾くのもホールで弾くのも同じ使い方をしていれば、当然、ホールでは濁ってしまいます。
そこで一番問われてくるのが、弾く人の「耳」。貴女の耳が一番の先生よ、と恩師の(故)田中希代子先生はよく私に語られたものでした。
常にハーモニーが変われば清潔に踏み換えなければいけませんし、スタッカートになっているところで、
家では少しペダルが欲しいようなところでもホールによっては、全く使わないことで、最高の響きを得られる事もあります。

一番良くない踏み方は技術の不足を補うため、ごまかすために踏むペダルです。
これは殆どの生徒がやっていますが、緊張したりミスをごまかすために踏むペダルは最悪の結果となってしまうのです。
フレーズの終わり、始まりの間で何か、もやもやっといい加減に踏むと私は注意します。

「そこペダルなしでゆっくり弾いてごらん」と。すると大抵は、どうやってゆっくり弾くのかしら?というかんじで、音を初めて読むみたいに
まごまごしています。

よく生徒達にいうのですが、ヨーロッパの生徒との違いは、響きに対する敏感な感覚だと思います。大変静かな環境で、もちろん駆け込み乗車などありえない国で、のんびりと育つ彼らは
幼い頃から教会にお祈りに行き賛美歌や、グレゴリオ聖歌などを歌い、オルガニストの弾く通奏低音を聴いて
育っているので、元々ハーモニー感をもっています。

響きは、すべて天井画のある上へ昇っていきそれがフレスコ画の中の天使とともに何ともいえないまろやかな、やわらかい、
やさしい響きが溶け合うのです。

何とも言葉では言い表せないような「調和」こそ正に天使のハーモニーです。

そのようなところでピアノを弾けばペダルなんて殆ど全く必要ないですし、むしろ、濁りきったごちゃまぜの
音を聴けば、嫌悪感を覚えるようになると思います。

又ドイツでもオーストリアでも、スーパー、 レストラン、 デパートなどどこへ行っても何の音楽もかかっていません。

本当に悲しいくらいシーンと静まり返っています。聞こえるのは、人々の歩く靴の音だけです。
私は、スーパーでもレストランでもどうしてこんなに日本はがちゃがちゃ常に音楽が流れていて誰もうるさいと思わないのかなぁと不思議になります。

あまり騒々しいと買い物も出来ませんし、食欲もうせてしまいます。常に耳を敏感にさせるため普段の生活は自分がなるべく静かな場所に身をおけるように気をつけています。
音楽家にとって一番大切なのは、静かな環境です。
騒々しいところからは、じっくり音を聴くどころか響きに対する敏感さは、まるきり育たないと思うからです。


2008年9月28日(日) バッハの解釈(その2)

私のところに大きくなってから変わってきた生徒さんですと、高校生になってもショパンはワルツ1曲しか弾いていないとか、モーツァルトやハイドン、ベートーヴェンなど古典派の作品は
1曲も弾いたことがないとかいう生徒もいます。音楽を専門にする人なら一番勉強しなくてはならない、古典派を弾いたことがないなんて信じられないような話です。ピアノをそこまで続けてきて一体今まで何をやっていたのかと不思議になります。
そのような感じですと将来行き詰るのは目に見えています。

先達てレッスンに来た中学3年生の生徒ですが、バッハの平均律のフーガは、1巻も2巻も殆ど弾き終わっています。
「今後はプレリュードも増やして行こうね」といいました。
ショパンのエチュードも殆ど弾き終えましたし、ベートーヴェンのソナタ、ハイドンやモーツァルトなどの古典派作品も
毎回新しい曲を持ってきて1回ごとにあげていくペースです。

ただ譜読みするだけではなく、どれだけ丁寧に楽譜に忠実にひいて短期間で見てこれるかが、大切なポイントです。
めちゃくちゃな譜読みなら弾いた事にはなりませんから、あげる事も出来ません。
しかし将来、音楽家になろうと思っている人ならそのくらいは常識といえるでしょう。

何しろ、ピアノ曲は、数え切れないほど、沢山ありますから。
しかし、こういう厳しさを、すべての学生に要求する事は出来ないという事も私は充分分かっています。
そういう厳しさを押し付けたところで、人それぞれの能力があるのであせらせても譜読みは早くならないということもわかるからです。

そのような生徒には、その子のペースに合わせゆっくりとこちらも歩み寄っていかなければなりません。
きっとその子自身は、自分では、一生懸命やっていると思っているはずだからです。
遅い子にはペースをあわせてあげる、そこが個人レッスンのよさでもあり、又、分かりにくい部分でしょう。

私は、これまでにも何人もの生徒を見てきましたし、今も何人もの生徒が相手なので、1人1人の
レベルがはっきり判りますが、1人1人の生徒自身は、自分がどのくらい遅れているのかは、わかりにくいと思います。

何はともあれ、あらゆる曲を知り弾いていく事が上達の秘訣です。

2008年9月27日(金) バッハの解釈(その1)

今日は、校訂版の使い方について書こうと思います。

本来ならば、音楽を専門に学んでいこうと考える生徒ならばどんな楽譜でも原典版を使用する事が、
私達音楽家の常識となっています。

私のところでは、バッハであれば、平均律を弾きはじめる頃から、全く何も書かれていない原典版を使わせています。
小学生ぐらいの小さな子供にとって、いきなり何も書いていない楽譜を見てアーティキュレーションや強弱など、自分で考えてきなさいというのは
無理な話です。
しかし、中学生になり平均律をひき始めてもこちらが何も言わないと、まっ白な楽譜を見て本当に「何もない」音楽でひいてくる子がいますが、これはあまり感心できません。

又、高校大学になってもよほど才能と音楽性にあふれている一握りの生徒以外は、自分でアーティキュレーションを作ったりするのは、
不可能な人がほとんどだと思います。

そこで私は、バッハならバルトーク版や、ムゲリーニ版、春秋社版などをまず、原典版に書き写してそのとおり弾いて来てごらんと
指示を出しています。

皆、とても真面目にきちんと写してきます。
そこまでは大変良いのですが、写してきただけで、その通り弾いていない生徒がほとんど。

しかし、まずは、写譜する作業からはじめなくてはなりません。
そうやって書き写し、何曲も弾いて知っていくと自分でアーティキュレーションが作れるようになってきます。

私の過去を話しますと、まず、バッハでも何でもある程度音楽として通用した演奏でレッスンに持っていかなければ、
教えて頂けない、という厳しさでしたので、
かなり小さい頃から、私が学校に行っている間に、母が、
三重の家(当時その地に居住していた)から、名古屋の楽譜売り場までしょっちゅう電車に飛び乗って、
そこら中の校訂版を買い集めてきて2人で、書き写したり、研究してレッスンに持って行っていました。

そのようにして弾いていかなければレッスンに持っていった時バッハだけにかかりきっているわけにいかないですし、
特に音楽高校生ともなれば、1回持っていったらハイ次の曲という感覚で曲を仕上げていけるようでなければ、
とてもじゃないけれど、ついていけなくなると思います。

そういう厳しさを、ほんのひとにぎりの生徒には小さい頃から要求する事が出来ます。

しかし殆どの生徒は、高校生ぐらいになりやっと自分のそれまで弾いてきた曲数があまりにも少ないという事にようやく気づくようです。

どうしてそんなに少ない曲しかやってこれなかったといえば譜読みに時間がかかりすぎていたり、
又、そういった生徒がコンクールばかり受け続けて来た結果そうなるのではないかとも思っています。

明日へ続く


2008年9月24日(水) 後期の授業が始まって

先週から高校のレッスンが始まりましたが、今日から大学が始まりました。
半期に一度、学生が変わるので、こちらも名前と顔を覚えるのに必死です。
名前と顔を覚えた頃、もう終業式となってしまいます。
短い間ではあっても出来るだけ早く1人1人の学生の心をよく理解しようと努めています。
又、ピアノに対してより一層、好きになって練習する意欲がわくようになってもらえることが第一です。

今日は後期初回のレッスンでしたので一通り、自己紹介を終えた後、私は、
「皆さん、私に何か質問はありませんか?」と学生に尋ねました。
「先生は、結婚していますか?」(ある1人の学生)
「いいえ、していません。 独身ですよ」(笑)(私)
「えー!? うそー!!」(学生達)(どよめきの声)
私は笑って「しているように見えるかな?」学生達はキャッキャッと大はしゃぎです。

初回の授業で、先生に質問ある?と聞くと大抵はこの質問が出ます。その次は「じゃぁ ご予定はいつですか?ずっとしないつもりですか?」ときます。みんなおもしろいなあ。

私達の学生の頃もそうでしたけれど、先生に対しての興味といえば昔も今の学生も、時代が変わっても変わらないんだなぁと
微笑ましい限りです。

大学生を見ていると、本当にまだまだ可愛い子供みたいです。

話は変わって昨日小学2年生の女の子がレッスンに来た時レッスンノートに「今日、宝物を持ってこよう、という授業があって、
ピアノの先生からお土産にもらったドイツやオーストリアのハガキを持っていって皆に見せてあげました」と書いてあり、
「○○ちゃん、みんな なんていってた?」と聞くと
くまちゃん、かわいいね といってくれた」とにっこり。

子供も学生も皆、音楽を愛する人は、とても純粋でよい子ばかりです。
その子供たちが将来、素晴らしい音楽家になるか、幸せな結婚をして家庭を築いていくか、あるいは全く違う道をとっていくか、
それは誰にも分かりません。性格も人それぞれなら、幸せを感じる分野も人それぞれあるでしょう。
しかし、人生においての幸せとは、その人が、何をしている時により強く生きている事を実感でき、幸せを感じるかが、大切なポイントだと思います。

私は幸運にも幼い頃からなりたくてたまらなかった音楽家の道を選ぶ事が出来、仕事を始め、より多くの人と喜びをわかちあえる事をとても嬉しく思いその事を心から感謝して生きる毎日です。

私と出会うすべての周りの人が嬉しかったと思ってもらえるよう、今後も大好きなピアノの道をこれまでと変わらず歩み続け、生徒達が幸せになれるよう、努めてまいります。


2008年9月18日(木) 練習すると「練習の仕方」がわかる。

今日は今までにも何度か書いた練習について書きます。

ピアノの上達の一番のポイントは、練習ですが、家でどうやって練習してよいのか分からないという人がいます。
それが、楽譜に書かれてある事をすべて守り、音楽的に不自然なところがないというところまで、研究し尽くした子がそれ以上のことを求めて
そういう質問をするならともかく、私から見れば、大抵そんな子に限って指使いは、メチャクチャ、音は、間違いだらけ、アーティキュレーションは
勿論の事、強弱や音の長さなど(休符の時手を置いたままにしてのばしていたり)これで練習してきたの?と思えるような練習をしています。

そこで答えは簡単。楽譜に書いてある事がひとつ残らずきちんと再現できるまで練習をする。というだけです。
私のところで年月が経っている生徒は「楽譜に忠実に」という私の言葉を、うるさいほど聞かされたと思いますが・・・・。

新しく入られたり、途中で、変わってこられる生徒さんのほとんどは楽譜どおりに弾いていない事が多いようです。
又、音の間違いが、多いのも気になる点の1つです。
CDを買ってもらって聞いているはずなのに、自分が違う音を弾いているのにそれに気づかないというのは、
耳が悪いのか、真剣にきいていないのかな?と思ったりします。

私の幼い頃を思い出せば、たまにレコードを聴いて自分と違っているとすぐ気づいて直してレッスンに持っていっていたのでレッスンのとき、
音間違いを指摘されるような事はほとんどありませんでした。

「練習をどうやってするのですか?」と言う質問には、手を動かして実際ひくことよりも何かすぐ知識や理論で、解決しようというニュアンスがくみ取れます。

泳ぐ時に、実際に水の中に入ってバタバタさせるよりも先にどうやって泳ぐのかと、
理論史を読んだところできっと泳げるようになりません。
泳げるようになるまでには、何度も水を飲み込んだり、おぼれそうになりながら泳ぐ事を覚えたはず。

語学の学習も同じです。どうやって話せるようになるのかを考えるのでなく、実際に話してみる事が先決。
ピアノも実技ですから、手を動かして練習するのがまず第一。

そこで私の大好きな言葉が、ドイツ語のことわざにあります。
Es ist noch kein Meister vom Himmel gefallen. (生まれながらの名人はいない)
(エス イスト ノッホ カイン マイスター フォム ヒンメル ゲファレン)

Ubung macht den Meister. (名人も練習次第)
(ユーブング マッハト デン マイスター)

ピアノは練習する事によって練習の仕方がわかります。
さぁ、楽しんで、練習してください!
私も毎日練習する事で日々練習の仕方を発見しています。

何でも物事をきわめればきわめるほど、もっともっと知りたくなり面白くてたまらなくなりますよ


2008年9月12日(金) 最近のレッスンから

9月も半ばというのに今日は、とても蒸し暑い1日でした。
ヨーロッパの何が一番好きかと聞かれれば、やはり夏のしのぎやすさだと私は答えます。
冬はマイナス20度ぐらいになり寒いけれど夏は冷蔵庫の中に入っているようにスーとひんやりして湿度がなく本当にすごしやすく
ホテルなども全くクーラー等どこにも付いていませんが涼しいのがヨーロッパです。
夜なんて10度くらいに下がりますから長袖の毛糸のセーターを着て寝ていたよと言うと皆びっくりしますが・・・。(聞いただけでも日本だと汗がでてきそうですね。)

さて、今日は、日本のそんな蒸し暑さを吹き飛ばしてくれる小学6年生の女の子のレッスンがありました。
彼女は今、全日本学生音楽コンクール(毎コン)の本選に向けて必死で頑張っています。

私が小学5年生の頃受けてそれから何十年とたちましたが、当時から毎コンは、長い歴史があり、日本でもっともレベルが高く権威あるコンクールとして
有名でした。当時から音楽家になる人が、必ず通るべき登竜門として入賞者は、続々と昔から素晴らしい音楽家を輩出しています。
予選を通過するだけでも至難の業と言うのは昔からよく言われており、大変厳しいコンクールだと言えるでしょう。

しかし彼女が毎回のレッスンにおいてとても熱心にピアノを練習する事や、とても早く曲が仕上がる事、そして何よりも歌心があり素晴らしい音楽性の持ち主でもあるので
「自分が上手だと思っても上には上がいると○○ちゃんの耳で確かめておいで」と以前から彼女に「毎コン、今年は受けようね。」と強く勧めていました。
彼女は元々非常に天性の歌心があり、彼女の素晴らしさは、大変創造力にあふれ、即興性豊かだと言う事です。
又、フレーズの作り方は、感嘆すべきものがあります。

レッスンの時私が一言彼女に何かいうとします。すると、それが幾通りもの変化を見せて弾いてくれます。
たとえば、そこの音は、「光を当てて」と言うと本当に光があたったように返してきます。
「一を聞いて十を知る」とは正にこの事をいうのだと思います。
とにかく反応が素早い。そして毎回絶対同じ演奏をしないで、沢山変化を見せてくれます。
私は彼女にいつも言います。
「音楽はしょっちゅう変わるところが素晴らしいの。一つの考えに固執してしまうのでなく、即興演奏みたいに今日はこんな風に弾いてみようとか、明日はあんなふうにとか、幾通りもの弾き方をとにかく試してみて」と。

フレーズの作り方や、ダイナミックの変化や音色の変化など、彼女の場合、レッスンのたび変化させて弾いてくれます。
それが非常に面白い。その変えていく作業が普通は全く変わらないか、変な風に自分流になっていく可能性が高いのですが、彼女の場合は、常に新鮮なフレーズの作り方をしてくるので毎回驚きと発見に満ちています。

私は毎回、彼女のあふれ出る音楽性を崩さないよう、ハンドルを右に切りすぎたら少しまっすぐしてあげるという感じで毎回のレッスンはレッスンというより楽しい共同作業のインスピレーションの出し合いのような感じです。

彼女が将来、身体も手ももっと大きくなって私の大好きなモーツァルトのピアノコンチェルトやショパンのコンチェルトをオーケストラをバックに演奏してくれる日がきっと来るだろうと楽しみにしています。
彼女のように素晴らしい音楽性があっても宝は磨き続けてこそピカピカ光ります。
周りに影響されずあせらないで黙々と一人で地道な練習をするところも彼女の長所ですが、
神様から頂いた、持って生まれた音楽の歌心に感謝して日々、地道にピアノの道をこれからも歩んでい
って欲しいと願っています。


2008年9月10日(水) 夢を追うための楽しい努力

私がヨーロッパの研修から帰ってきて皆のレッスンノートを見ると、ほとんどの生徒が私も将来、ヨーロッパに行ってみたい、
と夢を書いていて、幼い頃の私を思い出しほほえましい限りです。

私は何故か、かなり小さい頃から、ヨーロッパの中のそれもドイツに、非常に憧れがありました。
答えはいたって簡単。音楽の本場だという事も、勿論ですが、子供の頃本当に好きだったグリム童話の世界
中世のお城やメルヘンチックな木組みの家などが大好きだったから、と言うと、皆から笑われるのですが、
しかし、そういったちょっとしたきっかけは夢となって実際かなえられるものですから子供の夢は馬鹿にしてはいけません。

そしてもうひとつ私が小さい頃はまっていたのが「アルプスの少女ハイジ」。これはスイスですが、スイスも勿論ドイツ語が公用圏であります。
ドイツ語はドイツでは勿論、オーストリア、ルクセンブルグやスイス、ポーランド、ハンガリーやプラハなども広く通じる言葉ですので、第二外国語はドイツ語を勉強して、
絶対、ドイツ語圏に留学しようと決めていました。

私の留学先は音楽の都、ウィーンです。ウィーンの方では「ヴィーナリッシュ」といって同じドイツ語でも大阪弁のように
なまりがあって初めは、流れるような感じで音楽的な言葉だなぁと思いました。

実際留学生の頃、ドイツやオーストリアに来て見て、赤い屋根の街道や、白亜の古城や絵画のように美しくてのどかな田園風景、
中世へタイムスリップした世界を目の当たりにした時は、本当に感動しました。

私が幼い頃よく見た、童話やハイジの世界そのままだなぁと。今回訪れたドイツのミッテンヴァルトでは、ヴァイオリンを作るところで有名ですが、美しいフレスコ画がどの家にも
描かれ、一度行ったら忘れられない印象を残してくれる素敵な街でしたし、どこをとっても美しさにあふれており、
このような美しい景色や街道からは、美しい音楽や詩、絵画や彫刻等の、素晴らしい芸術が生まれるはずと訪れるたびに納得します。

ドイツやオーストリアの芸術を沢山自分の身に収めて帰ってきたばかりですが、又、何度でも行き本場の音楽に触れたいと思っています。
そのために、ドイツ語を忘れないよう、ピアノの練習と同じように毎日勉強しています。
ピアノと同じで難しくても根気強く続ける事が大切だからです。
なかなか、ドイツ語は奥が深く、勉強すればするほど、難しくなってくるように思えるのが音楽と同じ。でもとても楽しい!!

今度又、ドイツやオーストリアを訪れたら、こんな事もしてみよう、あんな事もしてみようと、又、夢がどんどん膨らんで来ました。
だからドイツ語の学習もちっとも苦になりません。

なんでもそうですが、すべては、興味から始まってそれが、大好きになり情熱が生まれ、勉強しているという苦しみが、遊びに変わっていきます。

それが本当の学習なんだと思います。
私の生徒達も、私のところでピアノを学び、好きになってそれがいつしかなくてはならない存在となっていく。
そんな風にして夢を追いかけるだけでなくそのための楽しい努力を、毎日、積み重ねていって小さい頃の夢を1つ1つかなえていって欲しいと思っています。


2008年9月4日(木) プレゼント

レッスンが始まり、来た生徒1人1人にヨーロッパで買ってきた心ばかりのお土産を渡すと、皆とても喜んでくれます。
何しろ生徒の数が多いので、ただでさえ、荷物がパンパンなので、軽いものでと考えてはがきにしました。

今日来た小学5年生の生徒の1人に渡すと、「私も先生へプレゼントです」と言って渡してくれました。
レッスンが終わって中をあけてみると私の大好きなピンクとワイン色の素敵なカシミヤのストールが2枚入っていました。
丁度、こんなストールが欲しくてたまらなかったので、本当に嬉しかったです。
普段余り買い物にもいけませんし、私好みの色が良く分かってくださったなぁと驚きました。

そういえば、彼女が以前、ピンクのアクリルタワシを手編みで編んでバレンタインの時、私にくれたことがあります。

今回ヨーロッパへ行く時私のソフトキャリーが他の人と間違えられないように目印に紐でアクリルタワシをくくりつけていきました。
今日、彼女にその事を話そうと思っていたら、レッスンに夢中になってその話をするのをすっかり忘れてしまいました。

空港のターンテーブルに荷物が運ばれてきた時、「あ、○○ちゃんのタワシ!」と目印になってとても役立ちました。

そういえば、レッスンノートに今日が彼女の誕生日だと書いていました。
おめでとう!11歳かな?

皆休みの間にすっかり大きく成長して本当に嬉しいです。


2008年9月2日(火) 9月になって

9月に入りました。学生は夏休みを終え、学校が始まり、又、あわただしい生活となったでしょう。

私の頭ものんびりしたヨーロッパから帰って少しずつ時差ぼけが直り、忙しい日本モードに切り替わりつつあります。
慣れというのは、恐ろしいもので日本で郵便局に入ろうとすると”グリュス・ゴット”(こんにちは)といいそうになり、
おつりをもらう時”ダンケ・シェーン”ドアを開けて帰るとき”アウフ・ヴィーダーゼーン”(さようなら)を
思わず言いそうになり自分ながらおかしくなります。

ドイツやオーストリアのあの湿度のない涼しくひんやりした、澄み切った空気、美しい風景にホームシックにかかりそうになりながら・・・。

さぁ今日から張り切ってレッスン再開です。
新しく入られた生徒さんや、久しぶりの生徒に再会して本当に嬉しかったです。

私は留学から帰って仕事を始め10年間、わき目も振らず、まっしぐらに、ピアノの道を進んできましたが、あっという間でした。
今後の10年もこれまで以上にすぐたってしまう気がします。

今、小学6年生の生徒をたとえるなら10年後は恐らく20歳を過ぎ成人式を向かえ大学を卒業しているんだなぁと思うと、
なんだか複雑な気持ちになります。

人の一生は長いようで本当に短く美しい出来事が多すぎて私に与えられた1日1日を、宝物のように、
大切にしたいといつも思っています。
そのため、1人1人の生徒との時間もとても大切にしたいのです。

世は無常・・・。常に移り変わります。今まわりにいる人も3年後、5年後・・・。時がたてば、全く移り変わってしまうのですから・・・。

今、このとき、この瞬間を生きるのが私のモットーです。