2008年6月29日(日) 神の心

今日は又、PTNAのD級を受けた小学6年生が1人午後1時頃、通過したと喜びの電話。又、B級の小学3年生の2人の男の子から今夜9時前、「通過しました」と
大喜びの電話がありました。B級を受けた生徒1人は、まだ私のところに来て間がないのによく頑張ってはじめて、私に電話で伝えるのに一生懸命な
様子が、とてもよく伝わり聞いている私の方が涙が出そうでした。子供は神様みたいに心が美しいし、本当に可愛いなと思います。

今日まで受けた生徒は皆、無事通過しているのですが、皆にかけてあげたい言葉は「疲れたでしょう?今日はゆっくり休んでね」、です。

私が生徒たちをステージに送り出す時、あぁ、これで充分、すべてばっちりと思える演奏に出会うことはまれですが、神経質にさせないようある程度、妥協して、
本人に自信を持たせて送り出すことにしています。

コンクールや受験のように、何人も受ける人がいてその中から選ばれて・・・という状況においては、レッスンの時、すでにピカピカ光り
輝いた演奏をしていることがとても大切です。

まぁこのくらいの演奏をしておけば大丈夫かな、ぐらいだと、絶対はいるという確信は持てません。
そつなく普通に弾いたでは、ダメなのでこんな感動的な演奏は聴いたことがないというくらい、皆の心に残る
強く印象に残る演奏にしていくのがポイントです。

私は素晴らしい演奏に出会うとその人の周りが神様の光であふれているように見える時が良くあります。
この光の輪は、別に大ピアニストでなくても、小さな子供でも勿論見えます。
弾いている人の音楽を通してその人の心に宿る美しい神に出会えると本当に嬉しくなります。

私は一人ひとりの生徒をレッスンする時、その人の心の中に必ず宿っている美しい神様の心を見ようと努めてレッスンしています。
相手に神の心を感じ、又私の中にも皆と同じ美しい神の心が宿っているのを感じる事ができるのです。
これからもその神様の暖かい光を一人一人に投げかけられるようにレッスンしていければと思っています。


2008年6月28日(土) 音楽を愛する心

今日はPTNAのD級を受けた生徒2人が予選通過したと喜びの電話がありました。

級が高くなると、予選を通過するだけでも至難の業になってきます。
受ける人も小さい頃に比べ勿論少なくなりますし、その中から通過するのはとても大変なこと。

今日の2人は大変熱心な中学2年生達です。
寝る時間もないほど忙しい2人ですが、やはり、身体もちょうどこのあたりから、大人に近づき弾きやすくなってきますし、
身体の重さや身長も伸びることによって充分、鍵盤に腕の重みをかけられるようになり、脱力もしやすくなります。
又、レッスンで注意することも頭でもしっかり、理解できてくる年齢になり、レッスンの時も「さすがお姉さん達の演奏だね」
とほめていました。
1人の子は、レッスンノートに予選を通る、通らないでなく、ステージで楽しめれば満足だということを書いていて
私の生徒としてそういう風にピアノに向かってくれている姿が、とても嬉しかったです。
彼女の音楽は、人と競争するものでなく、ただただ音楽を愛して、ピアノを弾いているというのがとてもよく伝わってきます。
音楽の本質はそこにあります。

もう1人は、今年から私のところに新しく入られた生徒さんですが、短期間の間に、私の言うことを消化してよく頑張ってくれたと思います。
何に対しても誠実に向き合う真摯な姿勢が良く演奏に表れています。

ピアノは今すぐ、上手くなることはどんな人でもありません。
何でもどんなことでも大変に時間がかかるものですし、又、かけなくては、決して上手くなりません。
特にピアノはなおさらです。
親も先生もどこまで辛抱強く忍耐強く待ってあげられるかにかかってきます。

音楽の本質とは人の心を慰めたり、元気付けたり、この世が本当に美しいと思えるように人生を彩ってくれるもの。

私は私の生徒達
が、コンクールに入っても入らなくても音楽の本質を見失わず音楽を愛する心が充分にあれば、それだけで満足です。


2008年6月23日(月) バスティン先生(その2)

バスティン先生は、よく子供を教える時に、上手な子を教えるよりもそうでない不器用な子供を教えるほうが、
ずっと自分のためになるということをおっしゃっておられました。
上手な子はどんな先生でも簡単に育てられるけど、なかなかひけない子は、一筋縄ではいかないし、
非常に手こずって手ごわい存在である。

しかし、それを面倒くさいと思うのは、並みの指導者であって本当に素晴らしい先生は、出来ない子を
ある水準まで引き上げる力があるかどうかにかかってくるということです。

私もその気持ちが良く分かります。上手な子はほっといても大丈夫、しかし、そうでない子は、私という人間を
いかに成長させようとして出会わせてくださった神様からの素晴らしい贈り物なんです。

又、その子と一緒に曲を作り上げていく過程で、音楽がより深く分かってきて今まで気づかなかったようなことさえも分かってきます。

正に人を教えるとは、自分が相手から教わるようなもの。
本当に子供の心が良く分かるやさしくて素敵なバスティン先生でしたが、まだまだ今後も子供たちに夢と希望を与え続けてほしいです。

2008年6月22日(日) バスティン先生(その1)

今日もレッスンしていたらA1級の生徒が、PTNAの予選を通過したと電話が入りました。
初めて受けた子で、喜びも大きいと思います。コンクールで一番怖いのはやはり、予選でしょう。

なんでも「初めて」何かをするという時はとても緊張するし、だからこそ、素晴らしい体験となって後々まで素敵な思い出に変わっていきます。

私も初めての素晴らしい先生との出会いは今も忘れません。
そういえば、昨日、今日の彼女が弾いている曲の中にバスティン作曲の「ジプシーカーニバル」がありますが、
バスティン先生との想い出も私にとっては、昨日のことのように思い出されます。

私が小学2年生の頃、アメリカへピティナの演奏旅行でユタ州を回った時にバスティン先生の住まわれるサンディエゴのお宅へ招かれました。
その頃の日本では、食べたこともないような、食べ物が(グラタン、ホットドッグ、スパゲティ)沢山あってびっくりしたことを覚えています。

何といっても小学2年生の時、初めてハンバーガーやスパゲティというものを知ったのが、アメリカだったのですから。
今の子では想像もつかない事でしょう。

私の演奏も聴いていただいて今は亡き中田喜直先生やPTNAの創始者、福田靖子先生がたと共に、バスティン先生のお宅で楽しい時間を過ごしたことを思い出します。

帰国してから、今度は四日市市の私の家にバスティン先生をお招きしたのです。











バスティン先生と乾杯している。     小学2年の私以前住んでいた玄関前で各先生方と
 (真ん中)                                             ( 故)福田靖子先生・バスティン先生と一緒にお食事

勿論福田先生もいらっしゃって、その時、湯山昭先生のゴーカートや、フランス人形、又、ソナチネやいろんな曲をお聞かせしてとてもほめていただいたのを思い出します。

その時の感動を色紙に書いて(英語で)私に下さったのですが、そのバスティン先生のお言葉は、今も私の宝物になっています。

明日へ続く


2008年6月21日(土) 予選通過

今日私の門下からトップバッターでPTNAのコンクールを受けたA1級、B級の2人が、予選を通過したと電話が入りました。

2人とも同じ場所だったのですが、A1級の1人の子は地元でないし、かなり遠いところなので、
「つかれていない?」と聞くと「ぜーんぜん!」と元気な声。

B級の子の1人は受けた場所が地元でしたので賞を頂いたと大喜びでした。よくがんばったね。

                                         又、今日はリハーサルをした生徒もいます。

 皆、本当に素直に私の言うことを真剣に聞いてくれたと思います。

その子が今、持っている力を精一杯出せればそれでよし!です。

今は、ほとんどの生徒がその子が本当に持っているものではなく表面的に飾りつけた音楽です。
それがじょじょにその子の血となり肉となっていってくれることを願っています。

その子の魂から出た本当の歌心が少しずつ少しずつ出てきてくれるのを、
辛抱強く待つのが私の役目と思い毎日楽しくレッスンしています。


2008年6月19日(木) 子供を信頼して

PTNAの予選が近づいてきました。
私の門下生からも何人か参加します。毎年のことながら、私は全く結果は気になりません。

なぜなら3ヶ月近く生徒達と、一緒に曲を作り上げる共同作業をしてこれた事が、一番充実して楽しい時間だからです。

結果は、出てしまえばもう終わりです。あっけない程それは、良くても悪くても泡のように消えてしまいます。
コンクール等、受けなくても、人間の努力は、一生続いていきますし、又、そうあらねばならないからです。

だから私は、結果よりも生徒との1回1回のレッスンを大切にしたい、と思っています。

本番が近づくと不安な気持ちになる生徒も(小学生ぐらいまでは親のほうが)いると思いますが、なるべく子供を不安に
させないようにすることが大切でしょう。
不必要な心配や、取り越し苦労は、親も子も疲れるだけでちっとも良くありません。

不安な気持ちを持ったままステージで弾けば、恐らくその通りになってしまいます。なので、
全くそれを前向きの方向へ持っていくようにすると、結果も自然と良い方向へ向いていくものです。
結果が悪くても「又、次がある」と思えばよいですし、良かった子は、素直に喜んで「さらに、努力を続けよう」ぐらいに
受け止めてほしいと思っています。

結果が良くても悪くても、今後も努力し続けるという点において全く同じだからです。

終わりがこないD級の課題「Longing」みたいなものです。

これは口では言うのはとても簡単ですが、実際本当にそれを全うできる人はとても少ないと思います。
人間、同じことをあきらめずにずっと努力し続けるということのほうがコンクールで賞をとることよりはるかに難しく、いかに困難であるかということを生徒達も身をもって良く知っておいてほしいと思います。

特にピアノの練習は、バレエダンサーの練習と同じく並外れた精神力と意志の強さがないと、なかなかできるものではないからです。
そういった厳しさが私たちの世界にはありますから私はいつも生徒1人1人にはなるべく優しく暖かく接してあげたいと思うのです。

私はいつもどんな時でも子供の味方だし、子供の力を信頼していますから、不必要な心配は全くしません。
結果が良くても悪くても子供たちをこれまでと同じ様に愛することには、全く変わりがないからです。


2008年6月16日(月) 音づくり

私は毎日、自分で練習する時にピアノの音が消えていく余韻をじっくり聞きながら練習します。

ピアノの音は1音「ポーン」と鳴らすと次の音がこない限り絶対膨らむことなく、減衰していきます。
恐らくこの減衰していく響きの美しさをもっとも良く生かしたのが、ショパンでしょう。

私は、この消えていくしかない、はかない運命のピアノの音が何よりも好きなのです・・・・・・・。。
ピアノの音は、シャボン玉みたいにも見えます。シャボン玉は、作ってもすぐ消えていくからです。
又、雪が天から降ってきて地面に落ちては消えていくようにも聞こえます。

雨のしずくがポトンポトンと落ちていくみたいにピアノの音は鳴ったときが一番強くそのあとは下に沈んでいきます。
美しいと思った瞬間消えてしまうのです。
音を聞く時、私は全身でその音を受け止めようとします。
この音は、雨が降る前のどこか重苦しい湿った音、雨が上ったあとの空気がさわやかなカラッとした音、又、雷の音、
夜鳴く虫の声、雪が積もったあとのあたり一面物音1つ聞こえない静けさ、のような雰囲気を表す音もあれば、
音には色も香りもあります。

1つ1つのハーモニーをゆっくり、ピアノで押してみるとあたり一面花の香りがします。又、海や潮風の香りもします。
まだまだ書きつくせないほどいろんな種類の香りがありますが、そういった香りをハーモニーの響きから吸い込むことも出来るのです。

こういったことはぼんやりしてひいていれば、何1つ色合いも香りも情景も喜怒哀楽も全く出てきません。

短時間の練習でも指を機械的にチャラチャラ、チャラチャラ動かすより、ずっとはるかに効果が上ります。

作曲者が書き残してくれた1音1音は血と涙の結晶。私たちも生みの苦しみをもって、それに応えなくては、ならないと思うのです。
思うような色合いや香りが立ち上ってくるまで1つ1つの音に心をこめて聴いて積極的に自分から音を作っていくことが大切なのだよと生徒たちには伝えています。


2008年6月9日(月) 練習の仕方

今日は大学です。大学も高校もあと数回で試験が始まります。

そこで今日は、本番前の練習の仕方について書きます。

譜を読んで暗譜をして一通り弾けるようになると、よく「もう何もすることがない」「練習の仕方がわからない」という声を聞きます。
果たして本当に何もすることがないのでしようか?
いえいえ、そんなことは、きっとないはずです。MDに録音して聞いてみれば、あっちもこっちもミスがある。左手などがちっともきけていない。
テンポも悪い。楽譜に書かれてある強弱なども本当に守って弾いているのか、など、まだまだやらなければならないことが山ほど
あるはずです。

音楽家を目指す人であれば、食事やお風呂以外は、ピアノを弾いているというのが普通でしょう。
弾いている間に脱力やタッチのコントロールなど歌い方を含めて自分で解決出来るようになってくるものです。

サッカーなどでも出来るだけ沢山ボールに触れるのが大切なのと同じように沢山ピアノに触れて弾いているということが大切なのです。

私の学生の頃は、睡眠時間を削って1日中練習しまくる「さらい魔」でしたが、その頃膨大なレパートリーを譜読みして練習したために、
この曲はここがひきにくいとか、現在、生徒を教えるときにすべて分かります。

学生の頃の私は、「何事もバカバカしいと思わず死に物狂いで真剣になれるのは、学生の頃しかない」という両親の教えが
常に私の頭の中にありました。
自分の出来る限りのことを全力で打ち込んでいくと、必ず、自分なりの素晴らしい練習方法が見つかります。

それを実際にやるかやらないかはあなた次第。
しかし是非やってみてください。
確実に上達します。


2008年6月7日(土) 弾き合い会


今日は南文化小劇場で本番を控えている生徒達のひきあい会を行いました。

午前中から夕方まで、ソロに連弾に生徒達とともにとても楽しい1日が過ごせました。
普段家で弾くのとちがいステージ上の響きをじっくり聞きながら弾いていくということ、
他の友達の演奏にも耳を傾けることで、
自分の演奏にも耳を澄ます事が、出来るようになるものです。

何人かの生徒達もききに来ていましたが、自分が弾かない時は、ハラハラしなくてすむので、より客観的にきけたのでは、と思います。

弾き合い会の終わりには、本番前の練習の仕方、特に1ヶ月前、前の日、当日はどのように練習するかについても話しました。
今日ステージで味わったドキドキ感を身体が覚えているはずなので、それをいかしてイメージトレーニングしてほしいです。
又、精神的なものが演奏に与える影響は非常に大きいので、どんなときも冷静に客観的に自分の音の響きや、
ペダル、テンポ、バランスなど聞けるように耳を育てていってほしいと思います。
又、今日のような弾き合い会は、ピアノを弾くだけでなく1人1人の生徒の人生の想い出作りになってほしいと願っています。

私もケラー先生のところでよく弾き合い会で弾いたり又、みんなで先生の演奏を聞くために門下生同志で集まっていました。
本当に楽しくて、今思い出してもそれが私の人生を彩って本当に心豊かなものにしてくれ、精神的な心のよりどころとなっています。

ピアノを弾くことは、人生を彩ることー。
私はそう思います。ピアノを習わなければ分からないさまざまなことをピアノはすべて教えてくれるからです。


2008年6月4日(水) 音楽を良く聴かせて

6月に入り、梅雨の季節に入りました。
ジメジメとして気分がめいりそう、と思われる方もいらっしゃるでしょう。

皆と一緒に外で遊ぶのが大嫌いだった私の子供時代、家の中で、ピアノを弾いている1日が一番幸せだったことを思い出します。

ところで私はどの生徒にも30種類ぐらいの音の色あいを出せるようにと小さいときからタッチのコントロールや脱力をとことん教え込みますが、
それを完全に理解できている生徒は、本当に少ないと思います。

どんなに小さくても私がひくのを聴いたり私の言葉から判断してサッとつかめる子もいます。
しかし、かなり大きくなってもさっぱりという子には、本当に苦労します。

その中でも気持ちを指先に伝えることを、理解してもらうのはとても難しいです。
イメージする音を出すために自然に無駄な力が抜けていき、だけれども、歌心が指先までしっかり届いていて
音がシャンと背筋を伸ばしてまっすぐ立っているような・・・。
そんな音を出すコツです。

脱力はこんな音がほしいとイメージするところから始まります。
そうすれば自然にぬける様になります。
その人にどれだけ音楽を感じる感性が育っているかで、タッチのコントロールも、脱力もうまくいくものです。
ですのでこれから子供にピアノを習わせたいと思われる方は、おなかの中にいるときから音楽を聴かせておかれると随分変わってくると思います。

私も母のおなかの中にいた時、母が弾く簡単なメロディや歌などよく聴いていました。
昔から父も母も歌が大好きで歌番組をいつも見ていますし、私が小さい頃からソルフェージュ等ハーモニーには全く苦労しなかったのはそのお陰と思っています。

ピアノの音に初めて触れた時、全く初めてという気がせず、何か古くから知っている故郷のようにとても懐かしい響きのするピアノの音を私は他のどんな遊びよりも一番気にいりました。
ピアノは何といっても旋律だけでなく、ハーモニーまで同時にならせるのですもの。他の楽器ではこういうわけにはいきません。
小さい頃に一番私の心をときめかせたのはハーモニーでした。ハーモニーという言葉を知ったのは後年随分時がたってからでした。

さて、よく全く見知らぬ方から、ピアノに関してのお問い合わせなどメールを下さる方がいらっしゃって、興味を持ってくださるのは大変
ありがたいのですが、その時、お名前や年齢、ご住所など何も書いていらっしゃらない方がいます。

メールというのは目と目を合わせて話が出来ないためそういう方にはお返事を差し上げられません。

本当に真剣に情熱を持たれて私のところにいらっしゃりたいと思っている方でしたら、必ず、年齢や習われるお子様の
お名前や自己紹介をはっきりと書いてお問い合わせをして下さるようお願いします。

さて先週随分成長してきた中学2年生の生徒に「上手くなったね」というと、つい最近、防音室にしたとの事、思う存分ピアノを練習できるようで
あぁ、やはり、練習がものをいうなぁと感じたものです。