2008年3月27日(金) 音楽の本当の力があれば大丈夫

もう3月も終わりに近づき、4月に入ろうとしています。
学生達は、新しい学年に変わる事で、何かとストレスを感じる季節でしょう。

それにしても、先日あった門下生コンサートの写真を見ると、小さかった生徒達が、皆、大きくなって大人ばかりが
写っているなぁという印象になってきました。

年齢があがってくれば私の教える事も少しずつ理解できるようになってきて嬉しい限りですが、
生徒達はその反面、大体、自分がどのくらいのレベルなのかという事をはっきり知らなければいけなくなる、
厳しい現実に向き合ってもらわなくてはならない事も確かです。

大体この子は、将来何らかの形で音楽を職業に出来る、又音楽の本当の力があると思える子は、かなり小さいときに、すでに私とのレッスン時の反応ですぐ分かります。
本当の力とは、初見力、暗譜力,レッスンノートに書いてある内容(レッスンを理解している子は書く事が違う)、読譜の速さ、曲を会得する素早さ、
そして私が、「ここから弾いてみて」といった時にモタモタせずその音からサッと反応して出てこれる生徒、又、
レッスンの合間に和音を取らせたり、何調かをたずねた時にさっと間違いなく答えられる子です。総合的に見てピアノ演奏だけでなく力がある子はどれも良く出来ます。

これは年齢に全く関係ありません。
音感のある子は、小学1年であろうとどのような和音でも聞いて答えられるし、曲の途中からでもサッと出て来れます。

こういうことは、将来音楽家を目指している人ならば、習わなくても本来備わっていなくてはならない音楽の才能であり、基礎力なのです。
基礎力が全くなくて長期間かけて1曲だけを先生から根掘り葉掘り指導されてとても綺麗に仕上げたとしても、これは本当の力とはいえません。
数学で言えば応用問題のようなもの。
問題文が変わると、とたんに分からなくなるのは、全く分かっていない証拠。

子供の頃は、親も子供も夢を見ていたくて、現実を知ろうとなかなかしません。
特に親は、自分の子の事は客観的に冷静に見れず、その子の音楽的能力を知っているようで意外と知らないものです。

先生から、この高校、大学しか貴女は無理だよといわれたら悔しいけれどそういうことだと受け入れなくてはいけないし、
又、逆に自分の力はないし、音楽も嫌いなんだけど、先生が勧めてくれる場合は、自分の才能に感謝しなくてはならないという事です。

夢も勿論大きく持って欲しいけれどはっきりと正直に真実を伝えていく事もその子の幸せを考えればとても大切な事だと思います。


2008年3月23日(日) 門下生コンサート

今年も、6回目の門下生コンサートが無事に終わりました。
皆、よく頑張って弾いてくれたと思います。
幹事さんには、本当によくしていただき、心から感謝しています。

受験生の事や門下生コンサートの準備、自分自身の勉強に日々追われてここ何日間は、眠れない毎日が、
続いていますが、何とか気力で、持ち越しています。
そんな時、幹事さんが、暖かいメッセージを、私に下さったのが、本当に嬉しくてその言葉を胸に今日も朝から
張り切っています。

生徒が弾く時、私は、自分のリサイタル以上に緊張します。
生徒がいつも弾きにくいところ、苦手な場所、不安なところ全て、私には、弾いている時の生徒の心情が全て分かるので困ったものです。

読心術ではないですが、ピアノを弾く生徒の心が何もかも読めてしまいます。
コンサート終了後、見知らぬ方から、「今まで、色々な発表会を見てきましたが、これほど、素晴らしい
発表会はなかった本当に感動しました。」とお声をかけて頂きました。
是非うちの子供を見て頂きたいのですが」とおっしゃられると、本当に胸が痛みます。

手間ひまかけて、大切に育てていけばどんな人でもある程度までは、上手くなっていくことが分かっているので、見てあげたいのですが、
とにかくそうでなくても新しい生徒が、待っている状態です。

親が子供に早く自立して欲しいと思うように私の生徒達も、早く私の手を離れて1人立ちしていけるといいなとそう願っています。


2008年3月18日(火) 苦しみは沢山味わって(その2)

最後まで、へこたれないという事は、誰かのためでもなんでもなく、今後の自分を救うために一番必要な事でもあるのです。

もし、上手くいかないと分かって投げ出したらー。
あの時、自分は投げ出したという事が、後々まで尾を引いてもっともっと自分に自信がなくなってしまうからです。

そういう人は一生自分に自信を失い、苦しい時はいつも逃げてばかりいるでしょう。
できなくったっていいんだ、投げ出さなかった、という現実が、自分自身を今までよりさらに一周りも
二周りも大きく成長させるでしょう。

私にとって、ピアノは人生です。私の経験で言えば子供の頃から現在まで上手くいかない事があった時も一度も投げ出した事だけはない、
と胸を張って言える強い自信だけが今の私を支えてくれています。
自信をもつという事はどん詰まりの状況に自分が落ち込んだ時どこまで自分の力を信じる事が出来るかにかかっています。
他人がもってきてくれるものでも何でもなく苦しみを沢山乗り越える事によって少しずつ得られるものです。
あんな苦しみを味わったんだ、今度の苦しみも乗り越えられないはずがない、と思えるようになってきます。

音楽家を目指そうとする生徒達もピアノを通して苦しみをどんどん味わってより寛大で、心の広い、思いやりのある
暖かい人間になれるよう成長していって欲しいと願っています。


2008年3月17日(月) 苦しみは沢山味わって(その1)

3月22日(土)の熱田文化小劇場で開かれる門下生コンサートが、近づいてきました。
早いもので6回目を迎える事ができ、皆様のお陰と本当に感謝しています。
私達にとってこのコンサートは、1人1人の1年の締めくくりみたいなものだと思っています。

人生で一番大きな試練の1つである受験を終えた生徒、又、コンクールで頑張った子、
又、日頃のレッスンで、沢山のレパートリーを増やした子、さまざまですが、本当によく皆頑張って
私についてきてくれたと思います。

辛かった事、苦しかった事は、人それぞれあったと思いますが、そんな事は、全て忘れて、楽しもう、というコンサートですので、
きっと聴いてくださる方々にも楽しんで頂けると思います。

年齢が上がってくると本番で弾く前の1週間は子供の頃の人前で弾くのが好きだった時と違い一番苦しい時期だと思います。
なぜかといえばテクニック的にひきにくい場所は、何ヶ月練習しても弾きにくいし、自分の頭ではこうしたいというのがあっても指がそれについてこない、上手に
弾かなければという思いばかりであせるし、テンポはどんどん早くなってくるし・・・。というのが殆どの人が抱える悩みだと思います。

色々な人たちから「そんな風に壁にぶつかった時はどうすればよいですか?」ときかれる時が良くあります。
答えは1つ、「弾き続けなさい」です。

全然上手くひけていないように感じても自分が練習しても無駄だと思えても・・・。
どんな事があってもとにかく弾き続ける。それが唯一の解決法です。
大抵の人は自分の力に限界を感じたときにそこで、あきらめてしまうと思います。
自分に力がなくても、上手く弾けなくても最後まであきらめず、愚痴を言わず、悩みは自分の胸におさめて本番を迎えられる人は、
はたから見ても立派だし、かっこいいです。

私は途中で投げ出す人は、大嫌いです。
そんな人は、ピアノはおろか、何をやらせても苦しくなればすぐ逃げる事だけを考える人ですから、恐らく何も出来ないでしょう。
出来なくても、黙々と練習し、泣き言を言わず冷静に練習し続ける人、そんな人が大好きです。

私だけでなく、この世の人は全てそういう人に憧れを持つのではないでしょうか。
悩みは自分の心で解決して、淡々と努力していく人は、本当に立派です。

苦しみから逃げ出さず共存して最後までやり遂げ、1つ1つ壁を乗り越えていけば、より大きな自分へと成長していくのです。


明日へ続く


2008年3月11日(火) もみの木の思い出(その2)

北欧の人にとってもみの木は永遠の生命の象徴ともいえるでしょう。

日本は、暖かい国なのでもみの木が育たないのでしょうが、ヨーロッパから留学を終えて帰国する時、何とかして、
このもみの木の苗を持って帰って植えたいなと思ったぐらい大好きな木でした。

そういえば、私が高校生の頃、お習いしていた先生がフィンランドの血が入っていてシベリウスについてとても詳しくて
その先生が指揮をされるシベリウスの交響曲や、ピアノ曲、歌曲などもよく譜めくりさせていただいたりしたお陰で
シベリウスはとても身近に感じられます。

その中で私が好きなのは、シンフォニーの2番の4楽章。又、小学生の音楽の授業で聞いたフインランディアも心に残っています。ヴァイオリンコンチェルトも最高に好きな曲です。

いずれにしても、シベリウスを聞くと、ヨーロッパの澄みきったひんやりした冷たい空気をこの肌で感じます。
そして何といっても孤独なのです、
音楽そのものが。音の配置といい、何か孤独な感じのする響きがシベリウスにはあると思います。
そういうところが、私は大好きです。

私の生徒達も、そんな孤独な淋しいところから音楽は生まれるのだという事を分かって欲しいなと思っています。


2008年3月10日(月) もみの木の思い出(その1)

ことしのPTNAのD級課題曲にシベリウスのもみの木が出ています。
昨日、小学5年生の生徒が、シベリウスが生まれたフィンランドはどんな国から始まって生い立ちから歴史的背景をしっかり勉強してレッスンノート
にインターネットで調べた事を張ったり書いているのを見て、とても嬉しく思いました。

そういえば中学1年生の生徒も作曲家の研究を事細かにしてあって、皆、勉強熱心だなぁと感心させられます。

シベリウスのもみの木は、私が小学2年生の頃やはり、PTNAのC級かD級の課題になっており、
その頃、一緒にアメリカへ演奏旅行に行った先輩のお姉さんが弾いているのを聞いて、とても感動したのを覚えています。

元々「もみの木」という題名が、その当時の私はとても気にいっていました。
なぜかといえばその当時大好きだったハイジのアニメにしょっちゅう出てくる美しい木が「もみの木」で
私は一度この木を自分の目で見たいといつも思っていました。
実際に見る事が出来たのは、やはりヨーロッパに留学してからでした。

北欧だけでなくウィーンやドイツにも勿論ありますし、冬に行ったザルツブルグの景勝地ザルツカンマーグートへ行く途中にも
もみの木に雪がキラキラ舞っていて何と美しいんだろうと、とても深い感銘を受けた事を強く思い出します。

もみの木は、遠くで見ると優しいやわらかそうな葉で緑の葉が白っぽく見えます。
しかし近づいて、手で触ってみると、すごく固くて細かい葉が小枝にしっかりと並んでいて幹もすごく太く寒い国で耐えられる堂々とした立派な木です。

ヨーロッパでは、このもみの木を買ってきてクリスマスツリーにします。
クリスマス時期になるとどこの家庭にも必ず、家の前に植えられて飾られます。

ウィーンに住んでいた頃の私は、冬にチロルやザルツブルグの方面からウィーンへ戻る長距離列車の窓の外を見るのが大好きで
そのたびに心が慰められました。がやがやと騒がしい日本のクリスマスと全く違って物音一つしない悲しいほど静かで淋しい、だけどたまらなく美しいヨーロッパのクリスマス・・・・・・・・・。

周りに何もなく真っ暗闇の中にひっそりともみの木がたたずんでいます。
小枝には、チラチラと暖かいオレンジ色の灯がともって・・・。
その美しさは、言葉では、とても表現しきれません。
そんな美しさは音楽でしか表現できません。

  明日へ続く



2008年3月6日(木) 曲目選びも1つの勉強(その2)

大人が素敵な曲だと思えるものが必ずしも子供にも素敵だと思えるとは限りません。
子ども自身が、あまりにもテクニック的に、又、音楽的につかめないようなものをやりたいといってきた場合は、もう一度
よく考えるように言い聞かせますが、そうでない限りは、なるべく子供の感性で、とらえやすく、弾きやすいといったものを弾かせてやりたいと思っています。

たまに、この子には、しっとりしたものがとてもよく似合うと思える生徒がいます。
けれどリズミックなのを弾きたがったり、逆の場合もありで、誰が考えても、リズミックな曲が似合うのに
ゆっくりした情緒豊かな曲を弾きたいといってきた場合、実際ひいて失敗させてそこから学んでいくのが良いと考えます。

大人はとかく失敗させないように、と子供を必要以上に守りがちですがどんどん失敗させてそれで、子ども自身で分かっていきのびていくのが一番良いのです。

怪我を一杯して、痛い思いをしたら次からは、自分でころばないように気をつけるようになるのと同じ事です。

話は変わって私のところにもありとあらゆる楽譜がありますが、私が学生の時、全て親が、買い揃えてくれました。
そのお陰で今、生徒を教える側になった時にちっとも困りません。
楽譜を見ると昔に出た課題曲が今も出ていて私の母の筆跡で「昭和51年PTNA B級課題曲」とか書いてあるのを見ると少し笑えます。
私が出場しない級の楽譜まで皆そろえて一体どうするつもりだったのか・・・・・・・。その頃の私は他の級の曲も沢山譜読みして勉強して他の人の演奏がよくわかるようにしていました。
将来何になるとも分からないのに、私も親も必死だったなぁーとつくづく感じます。

私が中学1年で受けた毎コンの課題は、”シューマンのアヴェック変奏曲”でしたが、その楽譜といったらヘンレ版の同じものが3冊
ペータース版、ブライトコップ版、何で、こんな同じものが次から次へと何冊も何冊もあるのかなと本当におかしくなります。

そんな風に分からない時は何でもがむしゃらに情熱的に打ち込めます。
そのような時代を懐かしく思い出し、私の生徒も音楽きちがいのノイローゼみたいになって欲しくはないけど
まぁ、才能のある子で将来は音楽家になりたいと思う人は沢山失敗して精力的にピアノに向かっていって欲しいなと思っています。


2008年3月5日(水) 曲目選びも1つの勉強(その1)

昨日PTNAのB級を受ける男の子の生徒がPTNAのソロの楽譜、10冊、そして連弾2冊と「よいこらしょ、よいこらしょ」
と抱えてレッスン室に持ってきました。

軽くざっと弾いてみて、彼が、まだひけていないものは、私が初見で全部弾いて聞かせました。
「この中では、どれが一番弾き易い?」「これ!」気持ちの良い返事がサッと却ってきます。
「じゃ、これにしよう」と1つ1つ決めていきました。

私はいつも生徒たちに、コンクールなどの課題が、沢山出ている場合は、全て楽譜を買ってみて、
自分で一応ざっと弾いてみる事をすすめています。

選んでいく過程で、自分に合うもの、合わないないものが、分かってきますし、どの曲も知っていれば、
実際、コンクールで他の子が違う曲を弾いている時に興味を持って聞けるからです。

コンクールだけでなく、受験もそう、ベートーヴェンのソナタからならベートーヴェンのソナタをまず、沢山知っていなくては、自分に合うものが選べません。
バッハの平均律だってそうです。
まず、知って自分で弾いてみる、そして選んでいくのが曲目選びです。

明日へ続く


2008年3月2日(日) PTNAの課題

又、今年もPTNAの課題曲が出ました。
大体、受ける子には、曲の説明が今日で終了しました。

今年もまた、挑戦する生徒、今年は、他の曲を沢山練習したいから受けません、と、はっきり言い切る生徒、
受験があるので、という生徒さまざまですが、私が今回とても嬉しかったのは、皆、とても人間的に成長してくれている事でした。
以前は、何の曲を弾こうか、から始まって、受けるのか、受けないのかをお母さんに聞いてみてから、という感じの子が多かったのですが自分の意思をしっかり私に伝える事が出来る子ばかりになってきました。

PTNAを受けたいという生徒には「この曲は、こういうところが弾きにくいよね」 「これはテクニック的にはやさしいけど、音楽作りが大変だよ」と、
楽譜を見せてピアノの横に座らせて大体の感じを私が弾いてきかせます。
すると、生徒も私にあう、あわない、これは自分には無理だなぁと、どんなに幼くても分かるみたいです。

今日受験の子にも言った事なのですが、「レッスンのとき、先生から言われたことをすぐに直せなくてもいい、けれど、自分はこういう音をしているなとか、
力が抜けていないなとか、そういう違いが分からなければダメよ」といいました。違いが分からなければ、上手くなりようがないからです。

美しい音色、色彩感のある音とはどういうものなのか、又、音が歌っている、語っているとは、こういうことをいうのだなぁということに気付くのが一番大切なのです。
結局のところ、音楽は、音がどこまで語れるかにかかっています。

ある人は、誰かのピアノ演奏を聴いて技術的なことや表現上の解釈の事について色々批評するでしょう。しかし、それは所詮表面的なこと。
その音楽が暗闇を表現しているならそのように音が響いていなくてはならないし、
又、ロマンスを歌い上げているものなら、そのように音が語りかけてこなくては、何もないのと同じです。

私が生徒達によく言うのは、「今の音楽には何もなかったね」です。

小さい時のA1や、B,C級あたりまでは、何もなくても綺麗にひけていればよしとされますが、
D級以降は、本人の持つ音楽性、音楽の語りかけがなければ、なかなか、そう上手くはいかないよという事も、
生徒達には、話していますので皆分かっていると思います。
「上手に弾けているけど伝わるものが何もない」にならないようにやるからにはしっかり頑張って欲しいです。