2008年2月23日(土) 成長し続ける小学5年生

最近私の生徒の5年生たちがぐんぐん伸びてきて嬉しい限りです。
昨日も小学5年生の彼女がまだまだ身体も手も小さくなんともあどけないのですが、ベートーヴェンのソナタ
のオーケストラのような豊かなバランスを聴いて弾いているのを聴くと子供とは思えず本当にすごいなと思います。
ましてオクターブを全てとって弾いていてもそれを全く感じさせない豊かな音楽性には、感心してしまいます。
彼女はレッスンノートにベートーヴェンがとても好きだと書いていました。
又、彼女の弾くショパンの即興曲のフレーズのまとめ方、ハーモニーの緊張を持続させ、クライマックスまで持っていき、音楽の弧を上手に描く天性の音楽性は
教えて出来るものではなく、本当に将来が楽しみです。

又、今日来た小学5年生の子も非常に譜読みが早くモーツァルトでもショパンでもベートーヴェンでもハイドンでも次から次へと弾いてきます。
レッスンノートを見ていても毎日、本当に真剣にそれでいてとても楽しそうにピアノを練習している様子が目に見えるようでほほえましい限りです。
音も随分しっかりしてきました。

ショパンの「スイス少年の主題による変奏曲」もとっても上手になったねとほめました。
3/22の門下生コンサートが楽しみです。
ドレスを着て髪の毛もきちんとして度々家でリハーサルをやっているとの事で本当に良くがんばっている様子。

私も自分が小学5年生の頃を思い出します。
あの頃は、そういえば私がピアノ人生の中でも一番ピアノがひきやすくなって何でもかんでも弾けるようになって楽しくてたまらない、そういう年齢だったなぁと思い出します。
私は小学5年生の頃、同年齢の子より成長が早く身体もすでに大人なみで、オクターブは既に平気で届いていました。
小学5年の彼女達は能力がある上に練習も良くしています。
彼女達の見えないところでの努力は私には全て見えます。
才能がある生徒はそれ以上に自分の宝を大切に磨き続けなくてはならないのです。
口で言うのは簡単ですが、これがとても大変な事です。
それが良く分かるので私には、先生と生徒というよりも彼女達を見ると「自分の宝を磨き続ける仲間」という感じがします。

明日も本当に良く頑張っている小学5年生の生徒がやってきます。
彼女の弾くドビュッシーの夢は、この世のものとは思えないほど美しい、美しい夢です。
3/22の門下生コンサートが今から本当に楽しみです。


2008年2月17日(日) 意識した練習

今日レッスンをしていると、小学4年生の生徒から「YPFの本選に進みます。ご指導よろしくお願いします。」
と、喜びの電話がかかりました。彼女は、小学4年生とは思えないほどしっかりとして頭の良い子です。
レッスンでも充分意思の疎通がとれる子で、私も彼女とのレッスンをいつも楽しんでいます。

又、最近入られた生徒さんで小学6年生の子がまだ私のレッスンを受けて3回目なのに、随分弾き方が変わってきてこれは、私にとって大変嬉しい事でした。

そういえば、つい最近も静岡県から通ってくる小学2年生の生徒が私のレッスンを受けて2回目でも随分かわってきて、
一生懸命目的を決めて頑張ろうとすれば、本当に子供の上達は早いなぁとつくづく感心させられたところでした。

皆、私のクラスの入門待ちの生徒さんは、まだ月に1回とか不定期でしか見てあげられていません。

今日の小学6年生の女の子はつい最近までエレクトーンを弾いていた子ですが、初見の速さと彼女の反応のよさと音感のよさ、輝きのある
まなざしから、これはきっと将来もっと伸びると私はそう確信しました。
彼女に「4月からは、なるべく毎週レッスン出来るようにするからね」というと「ありがとうございます」といって嬉しそうににっこり。

やはりレッスンする側としては、出来なくてもよいので次回のレッスンまでに、前言われたところを直した努力の形跡が
見られると非常に嬉しいものです。

1週間生徒がどのように日々を過ごしたか、私はすぐ見抜けてしまいます。
真剣に取り組んでいる生徒、ボーッとしている生徒、本人の意識で、全くピアノの上達は変わってきます。

今日の小学6年の生徒は、1ヶ月の間、私の注意をとても大切に意識しながら練習してくれたんだなぁと嬉しく思いました。


2008年2月10日(日) ピアノの先生との人間関係(その3)

私が高校、大学の時、音楽理論の授業をしてくださった今は亡き平吉毅州先生が「君らはええなぁ、教えてもらえる先生がおるで。
もう僕らの年になったらだーれも何にも教えてくれへん、良かろうが、悪かろうが、勝手にせいという感じや。教えてもらえる時は幸せやで」
とよくおっしゃっていました。
それも今となればよくわかります。

私も生徒との毎回のレッスンをとても大切にしています。
私のどの生徒とも永遠に、という事はありえないし、又、悲しいけれどそのように人生は作られていません。
だからこそ、毎回のレッスンを生徒達が、将来振り返って、あの頃は最高だったと思ってもらえるように努めていきたいと
毎日思いながら、レッスンしています。

高校3年間なんてあっという間に来ます。

明和高校の受験ももうやがて来ますが、受験生の皆に希望に満ちた春が訪れて欲しいなぁと祈っています。


2008年2月9日(土) ピアノの先生との人間関係   (その2)

私がその昔、ピアノの先生と別れる時の事を思い出します。
今思い出しても失恋みたいにどれもなんか辛くて悲しい事ばかりで、それだけ、矢張りピアノの先生との人間関係は素晴らしく深かったのだなぁとつくづく感じ、
又、そんなにまで
先生の事を愛する事の出来た自分をとても幸せに感じるのです。

ある意味で、ピアノのレッスンのように1対1で向き合える習い事というのはどれをとってみてもない気がします。
バレエ・水泳、お習字・ソロバン 勿論塾もだし、学校だって多人数をまとめて指導します。
人間関係が希薄になった今の時代、唯一心を開いて暖かい人間関係を作り出せる場所、それがピアノレッスンという気がします。
少なくとも学生の頃の私はそうでした。

ピアノの先生と別れる時はまるで大好きだった恋人と別れるみたいな、そんな感じ・・・・。
お互いの事がすごく良く分かり合ってまだまだ、自分は、この先生のところにいたいのに・・・・・・という思いで一杯なんですが、勝手に年齢が上がってしまってもう卒業しなくてはならない、そういう別れを恐らくどんな人でも人生のうちで、何回かは、経験すると思います。

私が大学4年の時、ピアニストの今は亡き田中希代子先生から最後におっしゃられた言葉は「先生から離れてさっさと自立しちゃいなさい。
ピアニストというのはとっても孤独なものよ。そうやって自分の道を見つけなさい。」とおっしゃられた時、すごく淋しくて胸が痛んだ事を今でも思い出します。

今となれば、先生のおっしゃられた意味がすごくよくわかるのですが・・・。
私にとっては、小さい頃から、ピアノ一色の人生でしたから、それこそ、ピアノの先生は、私にとってもっとも大切な人でありました。
私達は誰でも大切な人との関係をいつまでも永久に保ち続けたいと願います。
しかし、何でも変化していくというこの世の真実を唯一教えてくれたのが、ピアノの先生との別れでした。

明日へ続く


2008年2月8日(金) ピアノの先生との人間関係

まだまだ、風は冷たい毎日ですが、日差しは、以前よりもずっと明るくなりもう、やがて春が来るかなぁといった感じです。
この時期が来ると、毎年卒業生、新入生の入れ替わりの時期が又、来たなぁという気持ちになります。

今日は、明和高校の3年生の最後のレッスンでした。
ピアノ科の学生が、最後に持ってきた曲は、グラナドスのスペイン舞曲、そしてプーランクの「エディット・ピアフをたたえて」でした。

彼女が弾くのを聴きながら、彼女と共に過ごした3年間の日々を思い出していました。
彼女は元々、音楽性のある子でしたが、それ以上に、人間が素晴らしい子だったなぁという印象です。
今日が最後のレッスンという事もあり、又、高校を卒業していく彼女にレッスンを少し早めに切り上げ、
「少しお話しようか」といって将来のことについて話しました。

彼女が、まず人間として大変素直な誰からも好かれる子だという事、
人間は、自分に見合った場所で、生きていくのが何より幸せだという事、
どの道でいくにせよ、きっと上手くいくということも伝えました。

「本当にあっという間の3年間という感じだったわ、先生も貴女を教えられて幸せだった。元気でね」
と、彼女の手を強く握って握手して「何か、先生に質問ない?」と、きくと
「先生の演奏会がすばらしくて、感激して・・・・」というのがやっとという感じでした・・・・・。

明日へ続く


2008年2月3日(日) 2日目のYPF。愛し続ける事は努力を怠らない事  節分の日

今日は、寒い1日でしたので、朝から、身体中に4つも貼るカイロを貼って、これでもかというくらい厚着をして
審査へ向かいました。
普段から身体にはものすごく気をつけています。
風邪をひくと長引くし、まず気持ちよく仕事が出来ません。第一自分が辛い。自分の気分が優れないと相手に優しく出来なくなりますし、
不快な思いをさせてしまいます。
外に出るときは必ずマスクをして予防します。首を絶対冷やさないように足元を冷やさないように、身体が寒いと感じたときは、
もう風邪を引いてしまっている時ですから、いつもからだの中の血流がゴーゴー流れているように暖かくしておきます。
どんなに気をつけていてもひいてしまう事もありますが、周りにいる人たちにいつも気持ちよく接する事ができるよう、極力気をつけています。

さて今日は初め小学3年、4年、そして中学生部門でした。
1人4年生で大変音楽性のある子がいらっしゃいましたが、全ての音を、1オクターブ下で弾いてしまい、本人も全く気付かないようでとても残念でした。
そそっかしいといえば、そそっかしいともいえますが、
他の子も楽譜が読めていない子が非常に多く気になった点でした。
殆どの子は同じレベルですから当日のひく順番、弾いた曲目によって全く違う結果になってくるのがコンクールや受験です。
当然の事ながら、終わりのほうは得をします。

もうこれ以上上手い子はいなさそうだと思うと点を甘くつけていくからです。
ピアノを弾く人が競争の場へ出て行くときは(こういう言葉は大嫌いですが)100点満点で、
演奏を評価されるとすれば70点台や80点ぐらいでは、確実性はない、普通のレベルだと評価されるのだと覚悟してよいでしょう。
みんなそのぐらいの演奏は出来るからです。
それよりもっと上へ行きたいと願うなら、普段から自分の演奏を90点か100点に近いようにするよう心がけて練習しておく事です。何でも心がけによってどんどん人間は素晴らしくなっていくのですから。
審査の後で意見が分かれるのもいわゆるこういった普通のタイプの演奏なのです。
「あぁ、あの子どんな演奏してたかな・・・。?」位では駄目だという事。
ものすごく心惹かれる演奏に出会えると大抵の審査の先生方はその子の顔も名前も着ているものまで覚えているものです。

私の所へ初めてレッスンにこられた方はそこまで深く音楽を掘り下げていかなきゃダメなんだと驚かれるみたいです。
いい加減なところがどこもない、どこをつつかれても大丈夫というテクニックに加え、あたかもその時初めて湧き出てくるような
インスピレーションに満ちた新鮮さでもって演奏をしなければ説得力に欠けたものとなってしまいます。
それにはまず常に美しさを追求していく、普段のとことん、徹底した練習が必要です。
それが本番で力を発揮できていく事につながります。
あぁ、これで限界、人間誰しもそう思うときが必ずあります。
しかし、そこを辛いけどグーッと押して重たい扉をこじ開けていく_。
扉は開ければあけるほど、重くなっていきますがそこを乗り越えると又、1つ力が付いてきます。それが強い自信につながります。
それを数え切れないほどあけていく間に自然に素晴らしい音楽の世界へ入っていけるのです。

美しい音楽の世界を本当に知るには、重たい扉をこじ開けてこじ開けて、それは一生続き、終わりはありません。
しかし一生こじ開け続けてもかまわない、それ以上に音楽の素晴らしさに心惹かれ、
苦労と思わない人だけが出会える素敵な素敵な音楽の世界だと私はつくづく思っています。

音楽家という職業は、この世で一番自分も他人も幸せになれる職業だと思います。
私は毎日自分の仕事をとても愛して仕事をしています。
いえ、ピアノを始めたときからずっとこの調子なので仕事をしている感覚はありません。
自分の好きな事がそのまま仕事につながっていき今も愛し続け、これからももっともっと愛したいという感覚です。
そのような毎日が送れてとても幸せです。

今日参加した子のどれだけの子が音楽を好きかは、分かりませんが音楽を愛し続けるという事は
毎日の練習の努力を怠らないようにしなければならないのだという事も是非知っておいて欲しいと思います。

そういえば
中川文化小劇場に3月22日(土)熱田文化小劇場で行われる私のクラスのコンサートのチラシが置いてありましたが
帰るときは随分なくなっていたので是非皆さんいらしてくださいね。

皆とても上手に弾いています。皆さんお楽しみに。。。。。。。。。。。。。


2008年2月2日(土) YPFピアノフェスティバル

今日は、YPFピアノフェスティバルの審査で中川文化小劇場へ行きました。
午前は、小学1年生、2年生、午後からは、小学5年生、6年生です。

皆、可愛いドレスを着せてもらって元気にステージに出てくる様子を見るとつい私の生徒達の姿と重なり、子供は本当に可愛いなぁと思います。
こんな純粋無垢の子達に点をつけたり、講評用紙に決めつけたような事を書いてしまってよいものだろうか、と毎回頭を悩ませます。

何故ならば殆どの生徒は、その子に合わせた適切な指導で上手に曲を仕上げられる力は持っているからです。
なので、年長さんや小学1年、2年のまだ関節がふにゃふにゃの生徒にフォルテやフォルテシモの時に無理やりピアノをたたきつけて
押し付けて弾いている子を見ると、「あーぁ、あんなふうにたたきつけて出していたら、大きくなった時
その癖を取るとしても、もうとりにくいだろうなぁ」と可哀想に思います。
小さい時に音がならないのは、当然のことなのです。
大人の手と小1、小2、ぐらいの手を比べたら一目瞭然です。

私が、あまりにも小さい時にコンクールを勧めたくないのはこの事からです。
コンクールの場では、どうしたって音がしっかりはっきりなっていないとだめだからその時はそれで何とかしたとしても
小学校高学年になった頃は変な癖が付いてもう既に手遅れという状態になってしまいます。

私が生徒達にいつも指導する事は小学校低学年のうちは、弱い音でも良いので強い音を出す事よりも指先に
意識を持たせる事にしています。
それより美しい音楽を美しいと感じられる耳を育てる事の方が余程大切です。
音量は小学5,6年になってきますと誰でも身体も随分大きくなってきますのでそれに伴って自然に音も出てくるのは当然のことなのです。神経質になる必要は全くありません。

小学5,6年のC部門では、、皆とても指は良く回っているのにどれもこれも練習曲のように聞こえました。
どれもこれも強い音ばかりでした。
ふっとやさしい表情が現れたり柔らかで弾力性のあるスタカートや、音の切り方、フレーズのおさめ方にもっともっと神経の行き届いた演奏が必要です。

又、音楽としてとらえていない演奏が非常に多いなぁと感じました。
(弾く事だけで精一杯な子もいるとは思いますが)出来るだけ早い時期からピアノを弾く時は歌として、音楽としてとらえさせる事を
教えていく事が一番大切です。
それはひいては、音楽を愛する心、全てのものをいつくしむ心を育てる事にもつながっていくのです。

明日は、小学3,4年と中学生です。楽しみです。